2015/12/27

2015年を生きて

  庭木の手入れは終わりました。 12月14日(月)から始めて、20日(日)まで、ぎっちり、一週間かかりました。 七日間の内、当初、予定していた槙と黄楊は、三日間で終わったのに、やるつもりがなかった松の為に、その後、四日間も費やしたのは、計画外も計画外、えらい思いをしました。 その件については、また、記事を改めて書くかもしれません。

  紙日記の索引作りは、庭木の手入れの間、完全に中断してしまい、勢いが殺がれて、やる気を失ってしまいました。 まあ、そちらは、急ぐわけではないので、ボチボチ進める事にします。 いかに、突然死の恐れありとはいえ、年内には、死にそうにないですから、大丈夫でしょう。

  読書は、図書館で借りてきた、カーター・ディクスンの、≪修道院殺人事件≫を読んでいるんですが、作品が悪いのか、訳が悪いのか、はたまた、私の疲労のせいか、庭木の手入れをしていた一週間の間に、100ページしか進みませんでした。 もう一冊、≪メッキの神像≫も借りてあるんですが、そちらは、とても、期限内に読めそうにないので、延長するか、一度、返却するか、どちらかになりそうです。


  それらはさておき、庭木の手入れに日数を奪われている内に、年が押し詰まってしまい、今回の更新が、今年最後という事になりました。 というわけで、この一年を振り返っておこうと思います。 年末だからと言って、毎年、それっぽい記事を書いていたわけではなく、柄にもないと言われれば、その通りなんですが、引退してから、完全無職で過ごした、最初の年ですから、暮らし方を省みてみるのも、一興かと思うのです。



  今年、2015年が、私にとって、どんな年だったか、一言で言い表すなら、「シュンが死んだ年」でした。 年の前半は、介護で明け暮れたので、他に何か、思い出に残るような事をした記憶がありません。 犬の介護と、人の介護では、だいぶ、レベルが違うと思いますが、それでも、介護というのが、どれだけ大変かを思い知りました。 一生懸命やっても、結局、その先に待っているのは、「死」だけでして、頑張った甲斐がないのです。

  シュンが死んだのは、7月11日(土)の、夜11時頃で、翌朝には、火葬をしてくれるお寺に電話し、日曜の午後、荼毘に付して、そのお寺の供養塔に納骨しました。 その後、母と父は、一回ずつ参っただけですが、私は、最初の一ヵ月間は、毎日通いました。 命日の後は、週に一度に減らして、土曜日だけ、線香を上げに行く事にし、その習慣は、多少、曜日がズレる事があっても、現在まで続いています。

  そこの供養塔は、カロートが満杯になったら、合葬処分してしまうそうで、シュンの骨壺を納めた時、すでに、八割方、埋まっていましたから、半年近く経った今では、シュンの骨は、もう、そこにないのかもしれませんが、骨がどこにあるかが問題ではなく、墓参に行くという行為に意味があるので、続けている次第。

  シュンの存在が大きかったのは、16年と7ヵ月も、一つの家族として暮らして来たのだから、当然の事です。 家族の一員としての、存在の重さは、人間も犬も変わらないです。 だけど、そういう事は、犬を飼った事がないとか、ペットを看取った経験がない人には、ピンと来ないんですよね。 下手に、他人に話したりすると、冗談にされてしまうのがオチです。 シュンには、私が勤めを辞めるまで生き延びてくれた事に、心から感謝している次第。 ペット・ロス状態では、仕事なんか、する気になりませんからのう。

  欲を言えば、あと、2・3年、動ける状態で生きていてくれれば、思う存分、遊んでやれたんですが・・・。 もっとも、柴犬は、そんなに遊び好きというわけではなく、人懐っこい西洋犬を基準に考えていると、愛想がないので、がっかりします。 それでいて、結構、凶暴。 「飼い主に忠実」と言うより、「他人に厳しい」と言った方が、適当。 犬と遊びたいなら、レトリバーあたりを飼った方が、ずっと楽しいと思います。



  今年の出来事を二つ挙げるなら、二番目は、「父の部屋に、エアコンを付けた年」ですな。 これまでにも、さんざん、「付けろ付けろ」と言って来たのに、まるで、聞く耳持たなかったのが、今年の8月3日に、朝から寝込むほど、体調を崩した事で、ようやく、OKしてくれたという経緯。 長年、「エアコンは、体に悪い」を座右の銘にして来た父も、さすがに、「死ぬほどの暑さ」を文字通りに体験して、「どんなに体に悪くても、死ぬよりはマシ」と考えを改めたのでしょう。

  近所の電気屋さんに頼んで、一番安いのを取り付けてもらったのが、8月5日の事。 代金は、工賃込みで、きっちり、10万円でした。 それは、私が出しましたが、電気代は父が払っているから、かならずしも、「私が、エアコンを買ってやった」という事にはなりません。 電気がなければ、タダの箱ですけんのう。

  10月23日に、フィルターの掃除を、私がしたのですが、その時、「寒くなったら、エアコンで暖房してみな」と言っておいたら、その後、ちょこちょこ使っている様子。 例年、父は、石油ファン・ヒーターを愛用していて、それが、すでに機械が古くなっているせいか、半端なく、灯油臭い。 冬場、父の部屋のドアが開けっ放しになっていると、灯油の臭いが、二階の廊下に広がって、大変、迷惑していました。 明らかに、不完全燃焼して、一酸化炭素が発生していると思うのですが、よく、中毒死しないものです。

  今年、このまま、エアコンで冬を乗り切ってくれれば、あの灯油臭さから解放されるわけで、大変、喜ばしいです。 石油ファン・ヒーターという機械、一時期、石油ストーブの後釜として、爆発的に広まったのですが、灯油も使う、電気も使うで、とても、省エネになるとは思えません。 ファンを回している分、部屋を速く暖める能力は、対流に頼る石油ストーブより高いと思いますが、そんなに急いで暖める必要はないんですよ。 どうせ、部屋の中には、父一人しかいないんだし。



  今年の出来事を三つ挙げるなら、三番目は、「自室の大整理」という事になります。 今年10月から始めて、今に至る一連の片付け活動を、「2015年の大整理」と呼ぶ事にしようと思います。 最後に残った、紙日記の処分が、来年にずれ込む恐れがありますが、まあ、そのくらいは、誤差の内としましょう。

  流れとしては、8月半ばから取りかかった、「サブ・パソコン設置計画」が、そもそもの発端だったのですが、そちらが一応の完成を見た後、少し間があって、ワープロと古いパソコンを処分する事を決めたのがきっかけで、大整理が始まったから、別の出来事とした方が、妥当だと思うのです。

  この2ヵ月くらいで、随分、多くの物を捨てましたが、それでも、自室にある物全体の、20分の1くらいでしょうか。 ミニマリストになるつもりはないから、紙日記の処分が終わったら、しばらく、物を捨てる事は考えない事にしようと思っています。 捨てる事自体が目的になってしまったのでは、後で悔やみそうですから。

  今回の大整理のテーマは、「死んだ後、人に見られたら恥ずかしい物」を、部屋の中から、なくす事にありました。 一応、テーマを決めておいたお陰で、捨てる物と残す物の、判断基準ができたのは、良かったと思います。 基準がないと、何も捨てられなかったり、捨てる必要がない物まで捨ててしまったりと、よくある、「片付けの落とし穴」に陥る事になります。

  恥とは関係なく、片付けのついでに出て来た物で、ただ単に、もう使わない物も、かなり捨てましたが、それは当然でして、いくら恥多き人生とはいえ、そんなに恥ずかしい物ばかりに埋もれて暮らしていたわけではありません。



  今年の三大事件は、そんなところ。 他にも、「25年ぶりの確定申告」、「母の電動アシスト車の後輪タイヤ交換」、「ブラザーの複合機購入」、「春秋の庭木の手入れ」、「二階の廊下に、センサー・ライト設置」、「旧居間の網戸の張り替え」、「犬小屋の解体」、「横溝正史作品の読み返し」など、やった事は多いですが、いずれも、一つ一つ、取り上げるほどの事でもないです。

  ああ、そうだ! 「池の解体」があったっけ! あれも、厳しかったなあ。 四位を選ぶなら、あれになりますねえ。 ちなみに、壁を一面だけ崩して、歩いて中に入れるようにした、元池ですが、それ以降、何の用にも使っていません。 見るたびに、「いっそ、全部壊してしまえば良かった」と感じるものの、瓦礫の量が、5倍も出ると思うと、実行は、とても無理ですな。 冗談じゃない。 1トン、超えてしまいますよ。


  バイクでのツーリングは、遠出したのは、「河口湖カチカチ山」、「富士宮・芭蕉天満宮」、「伊豆下田・田牛サンド・スキー場」、「湯河原・万葉公園」の四ヵ所。 前の三ヵ所は、すでに、紀行文にしてあります。 10月末に行った、「湯河原・万葉公園」については、来年早々にでも、紀行をアップする予定。 本当は、先週の更新で、読書感想文ではなく、そちらを出しておけば良かったんですが、紀行だと、纏めるのに時間がかかるから、後回しにしたのです。

  近場では、6月8日に、沼津市内の、「長浜城址」に、6月30日に、三島市の、「子供の森公園」に行っています。 距離が遠かろうが、近かろうが、初めて行った場所が新鮮に感じられるのは、同じです。 バイクで出かけた先は、合計六ヵ所で、勤めていた頃なら、多いですが、引退して、いつでも出かけられる身になっている事を考えると、明らかに少ないです。

  私は、勤めている頃からそうでしたが、バイクが大好きというわけではなく、通勤オンリーで、土日は全く乗らず、連休になると、勤め先で話の種にする為にだけ、ツーリングに出ていたという人間なので、引退して、好きな事がやれる身分になったら、好きではないバイクを持て余すようになってしまったんですな。

  乗って走っている間は、少し若返ったような気分になりますが、傍から見れば、五十オヤジである事に変わりはなく、自分がバイクに乗って、似合うとは、全然、思っていません。 これが、ハーレー辺りだったら、乗り手の年齢は関係ないのですが、ヤマハのオフ・ロード・バイクではねえ。 かといって、ハーレーに買い換えようなどという気には、金輪際、なりません。 だーからよー、別に、バイクが好きなわけじゃないんだったら、あたしゃよー。 これ以上、無駄金を使って、なんとする?

  そういや、「車購入シミュレーション」なんてのも、やりましたなあ。 本気で買う気はなくて、結局、興味が萎んでしまいましたが、バイクを買い換えるくらいなら、バイクをやめて、車を買った方が、まだ役に立ちそうです。 いや、買いませんがね。 もし、車にしたら、ガソリン代が勿体なくて、遠出は、全くしなくなるでしょうなあ。


  テレビ番組は、ドラマで、≪デート 恋とはどんなものかしら≫と、≪怪奇恋愛作戦≫が印象に残っています。 どちらも、第一期でした。 第二期までは、割とマメに、ドラマを見ていましたが、シュンが死んだ後、ペット・ロスで、気分がうつろになって、ドラマどころではなくなり、それっきりに。 映画のテレビ放送も、同様で、7月11日以降、よほど話題になった作品以外、見なくなりました。

  読書は、年の前半は、ソ連・東欧のSFを読んでいて、シュンが死んで以降、しばらく、何も読まなかったのですが、やがて、自分で持っていた、横溝正史作品を読み返し始めて、そこから、ディクスン・カー(カーター・ディクスン)の名前を知り、最近は、そればかり、読んでいます。 詳しくは、いずれ、読書感想文の蔵出しで、書きます。


  健康面では、腰痛が、春と秋に一回ずつ。 春の方は、重傷で、完治までに、一ヵ月もかかりました。 トランクスが穿けなくて、タオルで、越中褌を作って、代用していたくらいですから、過去に前例のないダメージだったと言えます。 秋の方は、ずっと軽くて、褌を巻くまでもなく、十日くらいで、ほぼ、正常に戻りました。 季節の変わり目は、要注意ですなあ。

  そうそう。 10月から始めた事が、もう一つありました。 ウエストがなかなか、締まらないので、自転車での運動を、徒歩による登山に切り替えたのです。 登山と言っても、近所にある山で、家から歩きで出かけて、登って、下って、1時間15分くらいで帰って来れるんですがね。 その件については、現在、まだ継続中なので、いずれ、報告文を書きます。

  その絡みで、スニーカーを一足と、トレッキング・シューズを一足買いました。 あと、前々から、買っておかなければと思っていた、礼装用の革靴も、一足買いました。 いや、2009年にあった、叔父の葬式までは、持っていたんですが、その後、合皮が皹割れて、捨ててしまっていたのです。 今度、買ったのは、本革ですが、アマゾンの特売で、4000円以下だった、かなりの廉価品。 なーに、とりあえず、急場の不幸があった時に、履ける靴があればいいのです。


  まーた、思い出した。 シュンが死ぬ直前ですが、7月の頭に、自転車の保険に入ったのです。 年間の払い込み額が、5000円で、補償が、最大2億円のタイプ。 名義は私ですが、他者への賠償に関してのみ、家族にも適用されるので、両親が事故を起こしても、対応できます。 保険料は、三人で割り勘にして、よく自転車に乗る私と母が、2000円ずつ出し、たまにしか乗らない父は、1000円出しました。



  うーん。 今年、起こった事というと、そんなところでしょうか。 調べてみたら、思ったよりも多かったですが、毎日、遊んでいる人間にしては、「これんばっかのエピソードで、よく、一年が埋まったな」という感じもしますねえ。 とりわけ、1月から3月まで、確定申告以外、これといった事を、何もしていないのですよ。 シュンの介護のせいですかねえ。


  ところで、このブログ、今年は、時事関連の記事が、一本もありませんでしたなあ。 今でも、一応、国際情報番組は見ていますが、勤めていた頃に比べると、興味は、著しく薄くなりました。 突然死の恐れを宣告された引退者には、世界の行く末なんか、どーでもいー事なのです。 私には子孫がいませんから、自分が死んでしまえば、それまででして、人類が絶滅しようが、地球が崩壊しようが、関知する事ではありません。


  ・・・・・、人類や地球は、どーでもえーんじゃが、死んだ後、人に見られたら恥ずかしい物を残すのは、よかねーんじゃなー。 人間とは、とことん、自分本位なものじゃて。

2015/12/20

読書感想文・蔵出し⑰

  2週連続で、恐縮ですが、またまた、読書感想文の蔵出しです。 今回は、庭木の手入れが、予想外に長引いたのが、原因。 当初、槙4本と、黄楊3本だけ刈り込めばいいと思っていたのですが、いざ、私が作業を始めたら、そのすぐ後ろで、父が、松の手入れを始めやがりまして、「えええーっ! 松もやるのーっ!」と、仰天した次第。 完全に、予定が狂いました。

  黒松の大きいのが、7本もあるんですが、松の手入れは、技能と根気が必要で、私のような刈り込み専科には、とてもじゃないが、手が出せません。 とは言っても、父はもう、高い脚立に登れませんから、私がやるか、手入れを諦めるか、どちらかしか、道がないと来たもんだ。 特に大きな二本は、育ち過ぎて、すでに、最大の脚立でも、頭まで届かなくなっており、技能・根気以前の問題として、どうにもならないような気がせんでもなし。

  庭木の方に、全体力を奪われて、「紙日記」の索引作りは、1999年の半ばで中断したままです。 今年中に処分は、もはや、不可能と諦めました。 まあ、それは、構わないんですが。



≪星の船≫

世界SF全集22 所収
早川書房 1969年
イワン・エフレーモフ 著
飯田規和 訳

  エフレーモフという人は、ソ連の第二次大戦後の代表的なSF作家だそうです。 ≪星の船≫は、1947年発表の初期の作品で、2段組、80ページくらいの中編。 作者は、古生物学や地質学の権威で、第二次大戦中に小説を書き始め、次第に、SFに傾いて行ったのだとか。 元が科学者というSF作家は、割と珍しいものの、ビッグ・ネームになる人が多いですな。 この作者の場合、専門が、技術系とは掛け離れた分野なので、もっと珍しいケースでしょう。

  ソ連の古生物学者が、中国の同分野の学者から送られて来た、人工的に孔を開けられた後、死んだと思われる恐竜の化石から、7千万年前の地球に、異星人が来たのではないかと考え、発掘の実務能力がある友人に声をかけて、ソ連国内の同一地層を、あちこち掘ってもらったところ、とんでもない物が見つかる話。

  シンプルですが、語り方が工夫してあって、巧みに、読者の科学的興味を引きます。 最初に見つかった化石が、三人の学者に、バトン・タッチされながら、次第に、大きな科学的成果に繋がって行くところとか、数年前に戦場で破壊された戦車の中から、戦死した研究員のノートを発見するところとか、三人目の学者の登場が、アメリカの学界に出た帰りに、ハワイで津波に遭う場面から始まるところなど、何とも、心憎い語り口です。

  まだ、プレート・テクトニクスが分かっていない頃に書かれた作品なので、地震や津波の原因が、海底地盤の「しわ」によって発生するといった、今では通用しない記述も出て来ますが、これはもう、「いずれは、科学技術の発展に追い越される」という、SF作品の宿命なので、致し方ないです。 それを言い出すと、ベルヌの作品などは、ほとんど、価値がなくなってしまい、ウェルズのように、科学的根拠が薄い作品しか認められないという事になってしまいます。

  作品名が、≪星の船≫になっているのは、文字通り、星が船の役割を果たしたからでして、それはつまり、普通なら、他の恒星まで、宇宙船で行くのは、距離が遠過ぎて、不可能なのですが、銀河は回転しているので、7千万年前には、太陽系と、他の恒星が近づいた時期があり、その時に、異星人が宇宙船で、地球にやって来て、光線銃のような物で、恐竜を狩ったのではないかという仮説を立てたから。

  中国は内戦中で、外国人が発掘に行けないので、ソ連国内で、同一地層を探そうと考えるのが、いかにも、広大な国土を持つソ連人の発想で、面白いです。 それを探す際に、放射性元素を手がかりにするのですが、7千万年前の異星人も、放射性元素を探しに来たのではないかと推測するところが、実に科学者的な、理詰めの発想。 ただ、地球内部の地殻変動に、核反応が絡んでいるではないかという記述は、現代から見ると、間違っています。

  長さ的にも、ちょうどいいし、オリジナリティーが強烈で、確実に、面白いんですが、ちょっと、レトロな感じもしますかねえ。 だけど、47年ですから、レトロで当然で、その点に文句を言うのは、筋違いかもしれません。



≪アンドロメダ星雲≫

世界SF全集22 所収
早川書房 1969年
イワン・エフレーモフ 著
飯田規和 訳

  1957年発表ですから、≪星の船≫より、10年も後ですな。 作者の最初の未来小説だとの事。 2段組で、370ページくらいある、かなりの長編です。 これが、作者の、SF作家としての代表作になっているようです。 ≪星の船≫の感想でも書いたように、元は、古生物・地質学者でして、そちらの方の著作もあるので、全著作の代表作となると、また違って来るいう話。

  他の恒星系の文明と、専ら、通信によって接触が進んだ、「大宇宙連合」の時代、第37宇宙探検隊の恒星間宇宙船、タントラ号が、「鉄の星」と呼ばれる恒星の重力に捉まり、燃料を消耗して、その周囲を巡る惑星に着陸するが、そこで、以前の探検で行方不明になっていたパールス号と、異星の宇宙船を発見し、無人だったパールス号から燃料を移して、帰還可能になるものの、異星の宇宙船を調べるのには失敗し・・・。

  と書くと、宇宙冒険物のようですが、実は、これは、部分の梗概でして、この小説のテーマは、地球の未来社会の様子を描く事にあります。 宇宙冒険物だと思って読み始めると、ページが進むに連れて、地球での、発掘の話とか、踊りとか、恋愛とか、当初、尾鰭だと思っていた部分が、どんどん増えて来て、タントラ号が地球に帰還してしまうと、もう、地球の話オンリーになってしまい、絶望的な気分になって来ます。

  つまり、カテゴリー分類するなら、ユートピア小説なのですが、ユートピア小説に限って、つまらないと相場が決まっており、この作品も例外ではありません。 たぶん、書き出した時には、冒険物で行くつもりでいたのが、「どうせ、未来社会の説明を書き込むのなら、時代全体を描いてやろう」という気になって、次第に、ユートピア物へ切り替わってしまったのではないかと思います。

  未来社会を描いたSF小説は、他にも、いくらでもありますが、個人の頭の中で、実在しない一つの社会を創造しようとすると、どうしても、その人の理想が入り過ぎて、上澄みだけ掬ったような描写になりがちです。 この小説は、その典型例と言ってもいいです。 長編とはいえ、ページ数に限りがある小説の中で、一つの社会を描ききるとなると、結局、単純化は避けられないのであって、「なんだか、すっきりさせ過ぎなんじゃないの?」と、眇目で見られる事になってしまうんですな。

  非常にまずいと思われるのは、人間の本能というか、本性というか、動物である限り、変わらないような、精神構造の根本部分まで変えている事で、それをやってしまうと、登場人物達に、読者が感情移入するのが、難しくなってしまいます。 「人類の精神的な進化」と考えれば、悪い事ではありませんが、物語としては問題で、欠点が克服された人間ばかり出て来たのでは、文字通り、「人間ドラマ」が成立しません。

  これが、異星人ならば、地球人と精神構造が違っていても、問題にならず、むしろ、地球人との比較で、面白くなるのですが、地球人自身が変わってしまったのでは、読者は、どこに軸足を置いて、物語を見ればいいのか、分からなくなってしまいます。 もし、こういう未来社会を、SF小説に取り上げるなら、タイム・スリップ物にして、現代人をその中に放り込み、ギャップを描く話にした方が、面白くなったでしょう。

  宇宙探検物の部分だけなら、充分に面白いんですがねえ。 そこだけ分離して、別の後半を付け足し、中編小説に仕立てた方が、良かったんじゃないでしょうか。 ユートピア物の部分とは、明らかに、「別の話」でして、独立させても、何の問題もないからです。



≪泰平ヨンの未来学会議≫

ハヤカワ文庫 SF
早川書房 2015年
スタニスワフ・レム 著
深見弾・大野典宏 訳

  ポーランドSFの・・・、というか、世界SFの巨匠、スタニスワフ・レムの、≪泰平ヨン・シリーズ≫の一冊。 最初に発表されたのは、1971年で、以前、感想を書いた、≪航星日記≫の、最後の方で書かれた章と、同じ年ですな。 ただ、≪航星日記≫と、この作品の間に、≪回想記≫という作品が挟まっているようです。 この作品の10年後に、≪現場検証≫が発表されて、シリーズは終わりになった様子。 発表順に並べると、≪航星日記≫、≪回想記≫、≪未来学会議≫、≪現場検証≫となるわけだ。

  日本では、80年代に、同じハヤカワ文庫で、≪泰平ヨン・シリーズ≫が、一通り出ているのですが、沼津の図書館には、その時期の本がなく、ここ数年の間に改訳出版されたものが、ようやく購入されました。 この本は、その最新刊。 2015年の5月ですから、出たばかりです。 今後、改訳出版されると思われる、≪回想記≫や、≪現場検証≫も、図書館で買ってくれればいいんですがねえ。 ネットで、80年代に出た古本が買えない事はないですが、安くなるどころか、プレミアがついていて、とても手が出ません。

  コスタリカで開かれる、「未来学会議」に参加する事になった、泰平ヨンが、会場になっている巨大なホテルに逗留して、会議に臨んだところ、初日から、テロが発生して、鎮圧の為に軍が投下した、「誘愛弾」という化学兵器のガスを吸ってしまい、精神に異常を来たして、治療を未来の医学に託する事になり、ガラス固化されて、2039年に目覚めるが、その時代には、あらゆる幻覚を自由に操れる、様々な種類の薬が支配して・・・、という話。

  ネタバレを避ける為に、これ以上は書きません。 つまり、オチがあるわけです。 未来学の対象テーマになっているのは、人口の増加でして、爆発的に増えた人口により、食料も、住居も、衣服も、とても足りなくなってしまった状況を、幻覚剤を大衆に飲ませたり吸わせたりする事で、ごまかしているとだけ、書いておきましょうか。 でも、≪泰平ヨン・シリーズ≫の他の作品を読んでいれば、このオチは、大体、予測がつきます。

  ストーリーも面白いのですが、全文章が、諧謔と風刺で埋め尽くされていまして、もー、すーごい事になっています。 普通のSF小説とは、次元が異なる感じ。 人類が築き上げた、知識・教養を網羅しており、作者の頭の中を、全部、曝け出したような有様。 「知性の洪水」とでも、申しましょうか。 こんなのは、SFはもちろん、全文学カテゴリーを探しても、他の作家には、とても書けますまい。 この作者の知性を超えるのは、不可能だと、強烈に感じさせます。

  レムという人は、アインシュタインやホーキング博士などより、総合的な「脳力」では、上だったんじゃないでしょうか。 主に、知能が優れている事を指す、「天才」という言葉だけでは、この人の力を表現するには、とても追いつかないです。 理系と文系を股にかけて、これだけの高みに達した人というのは、他にいないんじゃないの?

  専ら、薬の名前で、ダジャレも相当使われているのですが、全て、日本語に翻訳されており、訳者の苦労の程が窺われます。 ただ、≪フィネガンズ・ウェイク≫ほど、極端な置き換えは行われていないと思うので、原文が、どの程度のダジャレ具合だったかは、大体、想像がつきます。 知性が優れていればこそ、意味が不明になってしまうほどの言葉遊びは、慎む理性が働くわけだ。 できれば、薬の名前ごとに、原文の語を挙げ、注釈を加えたページが欲しいところですが、そういうものは、付いていません。

  いやあ、この本、欲しいなあ。 図書館にあるのだから、いつでも、借りて来て、読む事はできるのですが、中身が、あまりにも濃いので、買って、手元に置いておきたいという欲求が募って来るのです。 今なら、新刊で、1080円で買えるわけで、買っておくべきか。 どうせ、時間が経てば、プレミアがついてしまうのですから。

  早川書房が、日本語版の翻訳権を独占しているようですが、レム作品に関しては、常に、新刊で買えるようにしておいた方が、SF界のみならず、日本人の知的レベルの向上にとって、有意義なんじゃないでしょうか。 レム作品を読んでいるといないとでは、その人の、文明に対する見方が、数段階、違って来ると思います。



  以上、二冊、三作品。 6月半ばから、7月初旬にかけて読んだもの。 この後、シュンが身罷って、しばらく、図書館に本を借りに行かなくなります。 レムは、誰にでも、お薦めですが、エレーモフは、今となっては、読者を選ぶと思います。 特に、≪アンドロメダ星雲≫は、「とても、つきあいきれない」と感じる人も多いんじゃないでしょうか。 同じ、ソ連の作家でも、ストルガツキー兄弟の作品と比べると、とっつきが悪いでしょうなあ。

2015/12/13

読書感想文・蔵出し⑯

  読書感想文の蔵出しには、必ず、言い訳が付いているものですが、今回もあります。 10月から始めた、部屋の整理が終盤に近づき、いよいよ、ラスボスとも言うべき、ワープロ時代につけていて、紙に印刷して残してある、「紙日記」の処分に手をつけたのですが、これが、「赤裸々な心情の吐露」とか、「小説の断片」など、大変、恥ずかしい内容を、膨大な量、含んでおりまして、とても、そのままでは残しておけない事が分かりました。

  さりとて、人生の記録も含まれていますから、そのまま、シュレッドしてしまうわけにも行きません。 で、全ページを写真に撮った上で、重要事項を調べ易いように、索引を作り、その後、紙の方をシュレッドして捨てる事にしました。 ところが、索引作りに、予想よりも手間取り、年内に終わるかどうか、微妙な情勢に・・・。 この件については、また、詳しく書きます。

  他に、ここ一年の間に、めっきり衰えて、脚立に上れなくなってしまった父の代わりに、庭木の剪定もしなければならず、立て込み具合に、ますます拍車がかかっている始末。 よく考えてみれば、日記の処分なんぞ、別に急がなくてもいいんですが、性格的に、「ぼちぼち、進める」という事ができないんですな。

  というわけで、今回は、読書感想文の蔵出しとなったわけです。 うーむ・・・、言い訳と承知した上で、文章を書いていると、結構、中身のある理由であっても、何となく、言い訳臭い苦しさが付き纏って来るものですな。 



≪泰平ヨンの航星日記≫

ハヤカワ文庫 SF
早川書房 2009年
スタニスワフ・レム 著
深見弾・大野典宏 訳

  スタニスワフ・レムという人は、ポーランドのSF作家。 SF界の世界的巨人。 映画化されている、≪ソラリス≫や、≪エデン≫、≪無敵≫など、名作が目白押し。 この作品は、一人の人間を主人公にしたシリーズ物の短編集です。 序文を除くと、全部で、14話ありますが、ボリュームは、各話それぞれで、最短は15ページ、最長は93ページと、えらい、偏りがあります。 書かれたのは、1953年から、1971年にかけてで、第7回の旅から、第28回の旅まであるものの、欠回が多くあり、書かれた順番もバラバラです。

  レムの作品は、ほとんどが、宇宙物ですが、本格的なSF小説は、長編に多く、短編の場合、風刺が入った、ユーモアSFが多いです。 もっとも、レム作品の場合、ユーモア小説といっても、取り上げられているSFテーマは、怖いくらい、本格的なのですが。 それら短編の内、太陽系内を舞台にした、近未来の作品が、≪宇宙飛行士ピルクス物語≫に収められており、太陽系外の異星を舞台にした、遠未来の作品が、≪泰平ヨン・シリーズに≫に収められていると考えれば、分かり易いでしょうか。

  シリーズ物と言っても、「遠未来・外宇宙・異星文明」が関わるアイデアを思いついた時に、そのつど、泰平ヨンを引っ張り出して、主人公を務めさせただけで、互いに、まるっきり、関係ない話ばかり。 泰平ヨンのキャラも、ざっくりした設定にしてあって、どんな話でも、うまい具合に役柄に当て嵌められるようにしてあります。 一人称でありながら、主人公の性格が曖昧になっているというのは、不思議な作りですな。

  全部で、14話もある事ですし、一話ずつ感想を書くと、何日もかかってしまうので、それは、勘弁してください。 泰平ヨンは、自分の宇宙船に乗って、何十年もかかる遠い星まで出かけて行ったり、未来から来たタイムマシンで時間を遡ったり、話の自由度が高いので、なんでもアリという感じです。 私の好みとしては、技術的な制約があるが故に、リアリティーが高い、≪ピルクス物語≫の方が、面白く感じられます。

  一番、印象が強いのは、【第21回の旅】です。 これが、最も長い、93ページの作品なのですが、ただ長いだけでなく、中身も詰まっています。 生命科学が発展した、ある星で、人体改造技術が極端に進み、自然状態に復元できないほど、形態が変わってしまった人間や生物達の数千年に渡る歴史を、その星の隠れた宗教団体に保護された泰平ヨンが、秘蔵されていた本から学ぶという形式の、とても、短編とは思えないボリュームを持つ話。

  読んでいて、一番てこずったのも、この回でして、歴史解説書のような文体が続くので、読み物としては、面白くないのです。 だけど、中身の濃さから言えば、これを筆頭に挙げないわけには行きません。 「生命とは何なのか?」という、根源的なテーマが取り上げられているので、一度読んで分らなければ、二度・三度と読み返してもいいのでは?

  物語として面白いのは、【第11回の旅】の、ロボットに支配された地域の話です。 ある星の一地域が、コンピューターの支配を受けるロボット達に占拠されていて、泰平ヨンが、ロボットの格好をして、そこへ潜入するのですが、さんざん、ひどい目に遭うものの、他のロボット達の正体が分かった途端、一挙に解決するという展開。 星新一さんの作品みたいな、意外な結末が小気味良いです。

  このシリーズで、最初に書かれた、【第24回の旅】も、短編小説として、よく纏まっています。 身分制度のある星で、技術が発展した結果、生産が自動化されて、労働者階層が飢え始めるのですが、それを解決する為に、技術者が作ったシステムが、人々を、あくまで、彼らの、「自由意志」によって、透明な円盤に変えて行ってしまう話。

  他にも、ごく短い作品には、ショートショート的な、軽いオチがつけられているものがあり、そういうのは、気軽に読めます。 一つの短編集として見た時には、バラツキが大き過ぎて、読み難いと感じる人も多いんじゃないでしょうか。 これは、借りて読むものではなく、買って、何度も読み返すべき本ですな。 いや、高いから、買いませんけど。 文庫が千円って、いくらなんでも・・・。 そういう値段のつけ方しているから、学生が本を買わなくなってしまうんですわ。



≪大失敗≫

スタニスワフ・レム コレクション
国書刊行会 2007年
スタニスワフ・レム 著
久山宏一 訳

  1987年に発表された、レムの、最後の長編小説にして、最後の小説。 この作品の後、小説の執筆をやめて、科学・時事評論家として、晩年を過ごします。 つまり、この小説が、レムが、創作として書きたかった、最後の作品という事になります。 知名度的には、英米のSF作家に及びませんが、実力的には、「地球上に存在した、最高のSF作家」と言ってもよい、レムほどの大物になると、作品の出来よりも、彼が何を考えていたかの方が、興味を引くのであって、その最後の小説なのですから、相応の価値があるはず。

  本は、一段組ですが、結構、文字や行間が詰まっていて、400ページほどあり、レムの長編に慣れているか、最低でも、他の作家の長編SFを読んだ事がある人でないと、読み切れないかもしれません。 レムの作品には、途中で、話の雰囲気がガラリと変わり、甚だしくは、テーマまで切り替わってしまうものが多いです。 この作品も、やはり、二部構成になっていて、冒頭の章である【バーナムの森】と、それ以降の章の間に、約100年の隔絶があるのですが、長編SFに慣れていないと、【バーナムの森】だけで、ギブ・アップしてしまうかも危険性は高いです。

  レムの長編の場合、どんなに読み難かろうと、つまらなかろうと、そこで諦めてしまってはいけないのであって、後ろに行くに連れて、面白くなるのです。 知的レベルのフィルターで、読者の振るい落としをしているのではないかと疑いたくなりますが、それは穿ち過ぎで、実際には、単に、気分が乗って来ると、どんどん筆が進むタイプだったのではないかと思います。


  土星の衛星タイタンで、遭難者の救助に向かう途中、自身も遭難し、ガラス固化装置でガラスに閉じ込められて、100年後に発見され、たまたま、蘇生設備を備えていた、異星文明との接触を任務とする船に載せられて、航行中に生き返った男が、人類初めての、異星文明との接触に立ち合う事になるが、その星では、二つの軍事国家が対立して、長期間、膠着状態にあり、地球側の接触要求は、ことごとく拒絶されて、とめどもなく、険悪な状況に傾いて行ってしまう話。

  地球側が、異星へ出向いていって、異文明と接触するという点では、同じ作者の、≪エデン≫と同じテーマですが、≪エデン≫では、過度の干渉は避けて、引き揚げて来るのに対し、こちらでは、とことん、干渉します。 もう、頑なで、怖いくらいに、諦めません。 なぜかというと、広大な宇宙で、二つの文明が接触する確率は、実質的にゼロなのですが、そこを、ブラック・ホールの特性を利用した時間操作で、辛うじて、成り立たせているので、「今回、駄目だったら、次の機会に」というわけには行かない、一発勝負という事になっているからです。

  莫大な予算と準備期間を費やしている計画なので、接触の成果を持ち帰れないくらいなら、相手の文明を滅ぼしても構わないという姿勢なんですな。 その発想自体に、強烈な抵抗感を覚えるのですが、これは、あくまで、作者が、そういう設定にしたのであって、必ずしも、全ての異星文明との接触が、こうなるというわけでないと思います。

  それにしても、この話は救われない。 滅ぼすくらいなら、接触を諦めて、帰るのが、常識的な対処法なのでは? 相手の星は、宇宙空間に、海水を持ち上げて、陸地を増やしたり、膨大な数の人工衛星を飛ばすくらいの技術レベルですが、地球側の方が、更に高い技術を持っていて、母船から発進した接触用の船ですら、その装備で、惑星を破壊するほどの力があります。 量ではなく、技術で圧倒してしまうところは、まさに、「神業」なのですが、それを使う、地球人の理性レベルは、現代から、全く進歩しておらず、むしろ、退化しているようにも見えます。

  異文明を滅ぼす事に反対するのが、同乗していた、ドミニコ会の神父一人だけというのが、皮肉な話。 少なくとも、100年以上は未来で、しかも、異星人を訪ねて行く話なのに、キリスト教が出て来るのは、奇妙な感じがしますが、これは、作者が、ポーランド人だからという事ではなく、作者の、もっと若い頃の作品には、宗教に触れられていないものが、いくらでもあります。 つまり、本当に皮肉として、神父に良識派の役割を負わせているんですな。 異文明との接触と言ったら、アメリカ大陸で、カトリック教会が殺戮と破壊の先鋒に立った事が、すぐに思い起こされますが、その事は、もちろん、念頭にあるはず。

  87年発表という事は、それ以前の、数年をかけて書かれたわけですが、折りしも、冷戦末期でして、その頃の時代背景が、この作品の設定に、大きく影響しているものと思われます。 相手の星が、二つの軍事国家に分かれ、宇宙空間にまで対立が拡大している状況は、冷戦そのものですな。 ただし、この作品の中では、相手の星の二つの国同士が熱い戦いを始める事はなく、対立構図は、相手の星全体と、地球側の宇宙船で構成されます。

  よく読むと、先に手を出しているのは、勝手に、人工衛星を捕獲・分解した地球側なのですが、その点については、スルーして、力の差を分からせる為に、その惑星の月を破壊するという、乱暴極まりない事を実行し、相手の星の二つの軍事国家が、ミサイルで阻止しようとすると、それを地球に対する攻撃と見做すという、これまた、無茶苦茶な論理。

  「作者は、気が触れたのではないか?」とさえ思ってしまいますが、冷戦時代の争いというのが、つまり、こういう、自分に好都合な理屈を互いに主張しあう、無茶苦茶なものだったのでしょう。 だけど、究極的な破壊を実行しなかっただけでも、冷戦時代の米ソの首脳の方が、まだ、理性的です。 作者自身が、共産政権ポーランドでの生活に息苦しさを感じており、世界の未来に対して、明るい展望が見えていなかったのではないでしょうか。


    主人公は、ガラス固化されていた100年の間に、記録も記憶も失われて、自分が何者だったのか、分かっていません。 冒頭の章、【バーナムの森】での主人公、パルビスなのか、その教官に当たり、同じ場所で先に遭難した、ピルクスなのか分からないまま、話が進みます。 ピルクスというのは、≪宇宙飛行士ピルクス物語≫の主人公で、そちらを先に読んでいる読者としては、ピルクスであって欲しいと思うのですが、結局、その事は、ストーリーの展開に関係して来ません。 なぜ、ピルクスであるかもしれないと匂わせたのか、意図が不明。


  大変、知的興味を掻き立てる内容で、面白いといえば、これだけ、面白いSF小説も珍しいと思いますが、ラストが救われないのが、玉に瑕。 異星文明との接触は、何の利益も齎さず、どちらかの滅亡で終わるというのが、レムの結論なんですかね? これが、作者の最後の小説だと思うと、尚の事、残念です。 つまり、レムは、文明について、絶望したまま、小説家としての幕を引いてしまったという事なんでしょうか。 小松左京作品の最終作、≪虚無回廊≫が、「現代の文明状況から、未来の方向性が見えて来ないから、まだ書けない」という理由で、結局、未完で終わってしまったのと、同じくらい、残念です。



≪金星応答なし≫

ハヤカワ・ファンタジイ
早川書房 1961年
スタニスラフ・レム 著
桜井正寅 訳

  この本、外見は、「ハヤカワ・SF・シリーズ」と同じなんですが、その名前に変わったのが、62年だそうで、初版は、「ハヤカワ・ファンタジイ」の扱いで出た模様。 SFという言葉の馴染みが薄くて、ファンタジーで括ってしまっていたわけだ。 61年というと、まだ、日本では、小松左京さんら、第一世代の作家がデビューしたばかりの頃です。 そんな本が、沼津の図書館にあるというのが、奇妙だと思ったら、個人からの寄贈書でした。 初版本を、自ら手放すとは思えないので、たぶん、元の所有者は、他界されたんでしょうなあ。

  作者の名前が、「スタニスワフ」ではなく、「スタニスラフ」になっているのは、レムが日本に最初に紹介された頃、ポーランド語版が手に入り難かったり、ポーランド語の翻訳者がいなかったりで、ロシア語版を元にしたから、読み違えが起こったのだと、何かの本の解説で読んだ事があります。 間違いではありますが、この本を、ネット上で検索する時には、「スタニスラフ」で調べないと、引っかからないので、御注意。

  この作品が、本国ポーランドで発表されたのは、もっと昔で、1950年。 レムの処女長編が出たのが、48年で、これが長編の第二作だとの事。 原題を直訳すると、≪宇宙航行者≫だそうですが、その題では、漠然とし過ぎていますから、改題されても致し方ないと言うべきか。 もっとも、邦題の方も、お世辞にも、センスがいいとは言えない上に、内容を誤解させる恐れがある、いかにも、早川書房らしいネーミングです。

  本国や周辺諸国では、大ヒットした作品であるにも拘らず、発表から、日本での刊行までに、10年以上経っていて、随分、呑気な反応だと思うかもしれませんが、それでも、日本での刊行は、まだ早い方だったらしいです。 アメリカなんて、SFの本場のくせに、ソ連・東欧圏のSFを、長い事、無視していて、70年頃になっても、レムの存在が知られていなかったと言いますから、呆れた話。 72年のソ連映画、≪惑星ソラリス≫を見て、仰天し、慌てて、原作者を調べ始めたんじゃないでしょうか。

  前置きが長くなっていますが、もうちょっと、付け加えますと、ガガーリンが宇宙へ出たのが、61年で、日本で、ソ連・東欧のSFが注目され始めたのは、その影響が最も大きかったものと思われます。 スプートニクは、57年ですから、この作品が書かれた時点では、まだ、無人の人工衛星すら飛んでいません。 それを踏まえた上で、この本を読めば、そのリアルな描写に、レムという人の想像力が、いかに並外れたものだったかが、よく分かると思います。


  1908年、ツングースで起きた大爆発が、隕石ではなく、宇宙船の墜落によるものだという事が、2003年に発見・解読された、金星人の記録から分かり、その中に、地球を侵攻する計画が暗示されていた為、地球側で、科学者達を乗せた宇宙船が仕立てられ、金星へ調査へ向かうが、いざ、着いてみると、金星人の姿を見つけられない上に、用途が分からない人工構造物の存在に混乱させられる話。

  異星文明を訪ねて行くという点では、最後の長編である、≪大失敗≫に似ていますが、こちらの場合、出かける前には、金星の状況が全く分かっておらず、接触する用意もして行きません。 地球侵略が企まれている事を承知している割には、「とにかく、調査に行ってみる」という、かなり、乱暴な計画です。 「金星人の宇宙船が墜落してから、100年近く経過していて、その間、侵略がなかったのだから、切迫した危険はないはずだ」という説明が、一応、されていますが、ちと、説得力が弱い感じがします。

  ≪金星応答なし≫を、37年後に、時代の変化に合わせて、書き直したのが、≪大失敗≫なのだとしたら、その間に、作者の宇宙観や文明観には、途轍もない変化があったという事になります。 とにかく、1950年の時点では、宇宙の事が、ほとんど分かっていなかったんですな。 金星に知的生命体が住んでいるなどという設定は、今でこそ、お笑い種ですが、この頃には、充分、SFの題材として通用したわけです。

  しかし、そういう、設定の古さを別にして読めば、この作品には、今でも、色褪せていない魅力があります。 金星だから、まずいのであって、もっと、未来の話にして、恒星間航行の説明を入れ、他の恒星系の惑星を舞台にすれば、到着してからの調査の部分は、今でも、そのまま、充分、通用するのではありますまいか。 そちらが、全体の8割以上を占めるのですから。

  冒頭の、ツングース大爆発から、金星への宇宙船が出発するところまでは、説明が多くて、もたつくのですが、到着して調査が始まり、人間ドラマが展開されると、俄然、面白くなります。 この点は、レムの他の長編と同じ。 二部構成が好きな人ですなあ。 一番面白く感じられるのは、主人公達が、窮地に陥って、宇宙船まで戻って来れなくなりそうになる場面でして、それが、何回か起こります。 しかし、そこで、読者が感じているのは、SFの面白さではなく、冒険小説の面白さです。 この作品に、SFとして、高い評価を与えない人は、そこを見抜いているのでしょう。

  ただし、SFとして面白い部分もあり、金星人が作った巨大な施設の仕組みとか、調査隊員の姿が見えなくなってしまった事件の解説とか、科学知識を使ったサービスも盛り込まれています。 レムという人は、世界のSF作家の中でも、科学技術に詳しい点では、アーサー・C・クラーク氏と並んで、トップ・クラスだったんですな。 出て来る機械が、現実にありそうな機械の発展した物でして、ちょっと、SFらしくないと思うくらいに、地に足が着いているのです。 この律儀さが、リアリティーの確保に多大の貢献をしているのは、疑いないところ。

  とにかく、読んで、損はない内容を持っています。 あと、ちょっと、気になったのは、訳文の古さでして、おそらく、訳者が、SFに慣れていなかったのだと思いますが、用語にこなれていない物が多く、いささか、読みづらかったです。 新仮名遣いなのに、「っ」が「つ」に、「ゃ・ゅ・ょ」が、「や・ゆ・よ」になっているのも、馬鹿にできない抵抗感あり。 私が読んだのは、1961年の新書版ですが、81年に、同じ早川書房から、別訳者の文庫版が出ており、そちらが手に入るなら、そちらの方が、読み易くなっているかも知れません、



  以上、今回は、三冊、三作品まで。 5月の初旬から、6月中旬にかけて、読んだもの。 ≪大失敗≫に関しては、「久々に、凄いものを読んだな」という感じでした。 とにかく、レムの作品を読んでいると、何だか、自分まで、高尚な人間になったような錯覚に浸れるのです。 哲学書や、宇宙関係の科学書などより、ずっと強く。

2015/12/06

捨てる物・残す物②

  今回も、自室の整理で、出て来た物品です。 前回は、残す物も含まれていましたが、今回のは、捨てる物だけ。 全部、天井裏に上げてあった物ですな。 思いきって、仕分けしたせいで、今現在、私の部屋の天井裏は、だいぶ、すっきりしまして、押入れの直上部分以外には、ほとんど、物が載っていない状態になりました。 天井板が落ちて来る危険性が、ほぼ、なくなったのは、大変、喜ばしいです。



≪ヘルメット≫

≪写真上≫
  これは、確か、植木屋の見習いをしていた21歳の時、車の免許を取ってから、車を買うまでの、僅かな間、家にあったスクーターで、通勤していた事があり、その為に、近所のホーム・センターで買ったものです。 はっきり覚えていませんが、8000円くらいだったでしょうか。 当時は、スクーター・ブームの末期でしたが、今よりも遥かに多くのバイク・グッズを、ホーム・センターで扱っていました。

  マルシンという会社の、「D-Ⅲ」というジェット・ヘルですが、シールドはなくて、庇だけがついたタイプです。 並べてあるシールドは、後々、29歳で、中型二輪免許を取ってから、長距離ツーリングの為に、汎用の後付け部品を買ったもの。 中型二輪免許、大型二輪免許を取る時にも、このヘルメットで、教習を受けました。

  「後付けしてまで、こんな不恰好なシールドをつけたいのか?」と疑問に思われる方もいるでしょうが、シールドがないと、目が乾いてしまって、とてもじゃないけど、長距離を走れないのです。 私は眼鏡をしているのですが、その程度では、まるで、風を防げません。 その昔、≪ナナハン・ライダー≫という漫画があり、主人公達が、ノーヘル、ノーゴーグルで飛ばしまくっていましたが、あんなの、嘘ウソ! 我慢できるのは、走り始めてから、せいぜい、3キロくらいでしょう。

  後で考えれば、中免を取った後、すぐに、ちゃんとしたシールド・ジェットを買ってしまえば良かったと思うのですが、最初の一年間は、乗っているバイクが原付だったので、メットだけいいのを買う事に、気後れしたんですな。

≪写真下左≫
  これは、兄が、転勤先の厚木で、スクーター通勤していた時に買ったヘルメットを、結婚後、家に置いて行ったもの。 いわゆる、125cc以下向けなのですが、外見は、シールド・ジェットですから、どうせ、分からんだろうと思って、私が、大きな免許を取った後、しばらく、使っていました。 帽体そのものが小さいので、兄が、内装のスチロールを削ったらしく、被ると、中が凸凹していました。 長時間被っていると、偏頭痛が起こりました。

  このヘルメットは、1995年の5月に、紀伊半島ツーリングに行った時にも、被って行きました。 その時、すでに、ちゃんとしたジェット・ヘルをもっていたのですが、まだ新しいヘルメットを、野宿ツーリングで傷つけるのが嫌で、惜し気のない、こちらを被って行ったというわけ。 案の定、四日間、偏頭痛の嵐でした。

≪写真下右≫
  1994年の9月、225ccのバイクを買ったのに合わせて、ようやく、まともな、シールド・ジェットを買いました。 アライの、「SZ-α」という製品。 25000円くらいしたと思います。 高いだけあって、被り心地は良かったです。 夏はいいんですが、冬の通勤には耐えられず、一度、風邪を引いたら、いつまで経っても治らない始末。 最初の冬は何とか乗り切ったものの、翌年の冬は、我慢の限界を超え、フルフェイスを買って、夏冬二帽体制になりました。

  10年以上使っていたんですが、縁のゴムが剥がれてしまい、ボンドで何度も直したものの、どうにも、みっともなくなって来たので、後継製品の、「SZ-αⅢ」に買い換えて、引退させました。


  3個とも、ずっと、天井裏にしまってあったもの。 私の引退後、もはや、バイク自体を続けるかやめるかという状況になっており、今後とも、これらのヘルメットに出番はないので、処分する事にしました。



≪スーパー・ファミコン≫

  天井裏に、20年くらい上げてあった、スーパー・ファミコンの、「本体」、「RFスイッチ」、「ACアダプター」。 ソフトは、箱入りが、「スーパーメトロイド」と、「ノスフェラトゥ」。 裸で買って、中古ソフト店の箱に入っていたのが、「美少女雀士 スーチーパイ」と、「パロディウスだ!」。

  メトロイドは、会社の同僚に借りて、一度やり、その後、自分で買って来て、かなり嵌まりました。 ノスフェラトゥは、その同僚が会社を辞める時に、プレゼントしてくれたものですが、難易度が高く、私には、歯が立ちませんでした。 スーチーパイは、麻雀のルールを覚えたくて、買ったものですが、ゲームはゲームでして、これをいくらやっても、実際の麻雀はうまくならないと思われます。 パロディウスは、シューティングをやってみたくて買ったのですが、本編より、番外ゲームの方に、かなり、嵌まりました。

  その後、しばらく間を置いて、プレステ2を買いましたが、専ら、母が持っていた、ロール・プレイングのソフトを借りて、やっていました。 すぐに、飽きてしまいましたけど。 数年前、プレステ2本体を処分した時、リサイクル店に持って行ったら、200円しかつきませんでした。 それに懲りているので、更に古いスーファミに値段がつくとは思えず、直行で、埋め立てゴミに出す事にしました。

  もしかしたら、これを読んで、「勿体ない。 オークションで売れば、欲しがる人がいるのに」と思う方もあるかと思いますが、いやいやいや、そういう問題ではないと、今となっては、思うのですよ、私は。 どんな人であっても、こんな古いゲームなんかに時間を費やしていたら、今現在を生きている意味がなくなってしまいます。 人生の時間は、無限ではないのですから。 本で古典を読むのとは、次元が違います。 ゲームをいくらやったって、温故知新にゃなりますまい。



≪魚・ハムスターの夢の跡≫

≪写真上≫
  60cm水槽。 20年くらい前ですが、金魚を飼いたくなり、趣味で繁殖をやっていたおじさんに、「3匹くらい下さい」と頼んだら、50匹も持って来られてしまい、高校時代に買った古い水槽だけでは足りなくなり、追加で買って来たものです。 濾過器やライトとセットで、2500円くらいだったと思います。

  最初は、居間に置いていました。 その後、金魚は大きくなりすぎて、池に移され、代わりに、熱帯魚をしばらく飼っていました。 エンゼルとか、コリドラストか、石巻貝とか、アップルスネイルとか。 懐かしい。

  熱帯魚が全滅した後、一旦、天井裏に上げていましたが、2003年頃、ハムスターのケージを大きくする為に、再登板させました。 それも、3年くらいで終わり、その後は、再び、天井裏へ上げて、現在に至りました。 もう、魚も、ハムスターも飼う事はないので、処分。

  右上に、小さく写っているのは、手柄杓と、ミニ如雨露。 たぶん、亀を飼い始めた頃に、水換えや、水足しに使っていた物だと思います。 母が見て、とっておけというので、物置へ。 安い物の方が、残り易いという事でしょうか。

≪写真中≫
  これは、最初のハムスター、「金太」を飼い始めて間もない頃、新たに買って来たプラケース。 980円でした。 これで、一年くらい飼っていましたが、手狭な感じがして、上の写真の水槽に換えたという順序になります。

≪写真下≫
  ハムスターの、「回し車」、「水飲み器」、砂場にしていた「枡」です。 二匹目の「銅丸」が死んだ後、もう、ハムを飼う気はありませんでしたが、思い出になると思って、とっておいたもの。 だけど、もう、9年経ち、写真だけでも、思い出には充分になったので、処分する事にしました。



≪釣り道具≫

≪写真上≫
  天井裏に、30年以上、置かれていた、釣竿二本。 長い方は、小学生の頃に、親に買って貰った物。 投げ釣り用で、元が長い上に、継ぎ足し式だったので、これを持って出かけるのは大変だった思うのですが、実際に釣りに行った記憶が残っていません。 兄が欲しいと言い出して、私のも一緒に買ってくれたのかも知れません。

  短い方は、中学生の頃に、自分で買った伸縮式の竿。 学校の友達と、何回か出かけたのですが、早起きするせいで、頭が痛いばかりで、全然面白くなく、ただの真似事で終わりました。 ちなみに、私は魚を、ほとんど釣った事がなく、釣りで殺生はしていないのではないかと思います。 今後も、魚を殺す気はないので、道具は、処分。

≪写真中≫
  中学の頃に買い集めた、釣り道具。 結構、いろいろと入っていて、驚きました。 道具集めから始めるタイプだったわけですな。 青白のバッグは、元々は母の物で、1975年に、沖縄海洋博に行った時に、旅行会社から貰った物。 全て、処分です。

≪写真下≫
  青白バッグの横に貼ってあった、「EXPO'75」のラベル。 マスコットの「オキちゃん」が、図案化されています。 「近畿日本ツーリスト」で、行ったんですな。 母に見せたら、懐かしがっていました。 このバッグ、紐が工夫されていて、背中に背負う事もできるようになっていて、重宝したとの事。

  「そんな思い出の品を、捨ててしまっていいのか?」と思うかも知れませんが、今までにも、何度も、それを考えて、残して来たのです。 しかし、今回、出してみたら、ファスナーが壊れていて、もはや、使い物にならないので、捨てる決心がついたというわけ。 どんな物であっても、無限に残し続けるわけには行かないのです。

  ちなみに、母が沖縄へ行った39年後の去年、私も、退職後の旅行で、沖縄へ行ったのですが、その時の旅行会社も、「近畿日本ツーリスト」でした。 因縁を感じますなあ。 更に、母が39年前に買った、「ブルーガイド・ブックス【沖縄】」を、私も持って行きましたが、それは因縁でも何でもなく、単に私がケチで、新刊を買うのが勿体なかったからです。



≪処分品全景と、野宿用マット≫

≪写真上≫
  第一回目の処分品の全景。 自分の部屋には置ききれないので、床の間に置いてあります。 埋め立てゴミの日まで、ここに仮置きしていました。

≪写真下≫
  上の写真で、右端に立ててある銀色の巻物は、バイクで野宿ツーリングを始めた頃に使っていた、マットです。 テントの中に敷いて、地面の凸凹を緩和するもの。 しかし、なくても、どうにかなるので、使ったのは、最初の一年だけでした。 以降、20年近く、天井裏に上げてあった事になります。

  上の写真では、捨てる為に、元の状態に戻したのですが、ツーリングに持って行っていた時と、天井裏に入れてあった時は、こういう外見でした。 黒いゴミ袋を切って貼り、アルミの銀色や、スポンジの青が見えないようにしたのです。 黄色いテープの部分は、固定用のバンドを通す穴。 マットは軽いので、テープくらいでも、壊れる事はなかったです。

  1994年ですが、野宿ツーリングを始めた時には、こういう物を、一生懸命、工夫しました。 こうして見返すと、自分でも、よく作ったと思います。 このマットを持って行ったのは、4月の週末に試験的に出かけた、紀伊半島の尾鷲。 5月連休に行った、山陽・山陰。 8月連休に行った、東北。 いずれも、DT50という、原付オフロード・バイクで、スピード違反で捕まる事を恐れ、時速35キロで走りました。 よく、やったなあ、あんなこと・・・。



  以上が、11月2日の、埋め立てゴミの日までに、処分決定した分です。 埋め立てゴミに出せる物は出し、資源ゴミに該当する物は、11月16日まで仮置きして、資源ゴミの日に出しました。 その後も、断捨離熱は冷めず、天井裏の次は、天袋。 そして、押入れ、勉強机周辺と、容赦なく、仕分けの嵐が吹きまくる事になりました。 現在も継続中。


  以前にも書きましたが、「物を捨てたい」という衝動は、「物を買いたい」という衝動と、同類でして、ただ、方向性が違うだけです。 嵌まり易さも同じで、買う方に、「買い物依存症」があるように、捨てる方にも、「物捨て依存症」という精神疾患の存在が想定されます。 断捨離に夢中になっている人や、昨今流行の「ミニマリスト」などは、物捨て依存症に罹っている可能性が、極めて高い。

  捨てれば捨てるほど、自分の過去から自由になれるような気になるんですな。 ところが、これが、錯覚でして、その時のノリで、当座使わない物を、何でもかんでも捨ててしまい、物捨て熱が冷めてから、「あれは、どこへやったかな?」、「ああっ、あの時、捨ててしまったのか!」と、愕然とする事になります。 物の重要さによっては、手足を失ったような辛い気分になる場合さえあります。

  「捨てる前に、写真を撮っておく」というのは、思い出を失わない為の、最低限の対策ですが、その物を、実際に使いたい場合は、写真だけでは、役にも立ちません。 で、同じ物を、また、買って来たりするわけです。 それこそ、愚かしい。 しかし、そういう経験がある人は、多いと思います。 私もあります。

  最初に買う時には、「欲しい欲しい!」で、頭が一杯になっているから、仕方ないとしても、捨てる時には、少しは、考えるゆとりがあるはずですから、どうしても、すぐに処分してしまわなければならないという物以外は、とりあえず、とっておくのが、無難だと思います。 特に、自治体のゴミ回収で持って行って貰える物は、慌てて捨てる理由がありません。

  ゴミ屋敷化しているとか、新しい物を買う為に、場所を捻出しなければならないというのならともかく、当座、ある物が、収まる所に収まっている状態なら、そのままにしておく方が、断然、宜しい。 しばらく、時間を置けば、熱が冷めて、大急ぎで捨てたいなどと思わなくなるはずです。 だって、何年も、何十年も、その状態で、暮らして来たんですから。


  以上の事を踏まえた上で、今の私の精神状態を分析すると、十中八九、物捨て依存症に罹っていると思われます。 とにかく何でも、捨てたくて、しょうがないのです。 まずいな。 変なスイッチが、入ってしまいました。 CRTワープロの処分から始まって、それは、自治体のゴミ回収では持って行ってくれないから、無料で処分できる機会を利用したのは、正解だったんですが、いつでも捨てられるものまで、捨てたくなってしまい、己の衝動の激しさに、恐れ戦いています。

  ビデオ・テープなんか、100本くらいありますが、どーしたもんでしょーねー・・・。 私は、アニメ・ファンだったので、全体の8割以上が、アニメなんですが、日本のテレビ・アニメの衰退と共に、徐々に興味が萎み、3年くらい前に、完全に見限って、アニメ自体に価値が感じられなくなってしまいました。 もはや、録画してある昔の作品を見返す気が、綺麗さっぱり失せている有様です。

  「引退したら、見返す事もあるだろう」と思っていたのが、甘かった。 たとえ、無理に見たとしても、面白いとは思えないでしょう。 捨てたら、さぞや、スッキリすると思いますが、もしかしたら、今後、また気が変わって、見たくなるかも知れず、その時、地団駄踏むのが嫌なので、捨てられないのです。