2016/06/26

復活の光

  6月7日(火)に、入院した父ですが、まだ、入院しています。 というわけで、一日の内、三時間くらいは見舞いで潰れており、何かと忙しいので、今回も、日記からの移植で、お茶を濁させてもらいます。 前回までは、父の容態に関する事だけを抜き出していましたが、今回からは、まるごと出します。 その方が、この時期、どんな生活をしていたか分かって、臨場感がありそうなので。




≪2016/06/19 (日)≫
  今朝、カーの、「連続殺人事件」を読み終わりました。 まずまず、面白かったです。 これで、父が入院した日に借りて来た三冊は、全て読み終わりました。


  日曜日なので、病院の面会は、午前10時から可能です。 庭に水撒きをしてから、9時半頃、母と自転車で出かけました。 向こうに着いたのが、9時50分で、まだ面会時間になりません。 父も眠っているし、看護師の人が、台車に乗せた計測機器を持ち込んで、検査しているようなので、一旦、病院の外に出ました。

  母が、病院の近くにある、市の福祉施設を見たいと言い出し、それにつきあって、30分ばかり歩いて来ました。 その施設、名前は知っているのですが、具体的に何をやっているのかは知りません。 今日も、入口の前まで行っただけで、分からないまま、通り過ぎて来ました。

  母が喉が渇いたというので、一階の自販機でポカリスエットの500ペット・ボトルを150円で買いました。 私は、飲みたいわけではなかったのですが、母が何か買えと言うので、ココアを130円で買いました。 ココアを買うのは、岩手異動から撤退して来た時、深夜に、国道16号線の川越で、歩道の縁石に座って飲んで以来です。 あれから、ほぼ、2年経ちます。 父の病室がある階の食堂で一服。 時刻は、10時20分になっていました。

  病室の方で、台車に乗った機械が見えなくなったので、父の所へ行ってみると、昨日は一本だった点滴が、二本になっていました。 母に、「増えてるぞ」と言っていたら、そこへやって来た看護助手に、「増えてませんよ」と、ピシャリと否定されました。 午前中は、抗生剤を入れているから、二本なのだそうです。

  便は、出ていないと言います。 下剤を飲んでも出ないのでは、話になりませんな。 食事は、昨日は、出された量の半分くらいしか食べていなかったのが、今朝は、全部食べたようです。 食べなければ、便は出ないわけで、できれば、毎回、完食してもらいたいものです。 昨日、当人から聞いたところでは、「食べたくないから食べない」との事でしたが。

  父は、声をかければ目を開けますが、別に話す事はない様子。 「何で来た?」と訊かれたので、「自転車で来た」と答えました。 「庭に水を撒いてきた」と報告しましたが、返事はありません。 「今日は何日だ?」と訊かれたので、「19日の日曜日で、入院してから、13日目だ」と言い添えておきました。 見舞い客が病室で腰をかけたい場合、食堂から、丸椅子を持って来るのですが、今日は、持ち込まずに、11時前には、引き揚げました。


  午後、資源ゴミのダンボールを捨てに行った後、バイクを出し、三島図書館へ向かいました。 三冊返し、新たに、カーの、≪死者のノック≫、≪悪魔のひじの家≫、≪毒のたわむれ≫を、書庫から出してもらい、借りて来ました。 フェル博士が探偵役のシリーズで、三島図書館にある本は、これで全部借りた事になります。

  日曜日の事とて、三島市街は人出が多く、混みそうな道を回避しようとしたら、入った道の先で、お祭りの山車を移動していて、渋滞を起こしており、却って、時間を喰ってしまいました。 マーフィーが暴れまくっておるのう。 山車の移動なんて、夜か早朝にやった方がいいんじゃないですかね? いや、私はよそ者だから、余計な事を言う資格はないですけど。


  午後3時過ぎから、雨。 父の自転車は、プレハブ離屋にしまってしまいました。 当人が退院して来るまでは、用がないからです。 もしかしたら、持ち主に乗られる事は、もう、ないかもしれません。



≪2016/06/20 (月)≫
  今日も、母と二人で、自転車で見舞い。 薄曇りで、それほど暑くはならず、助かりました。

  ネットからダウンロードしたカレンダーを、6月分だけ印刷し、入院日に丸をつけて持って行きました。 父はテレビを見ていないのでテレビの前に貼って、横を向くだけで見えるようにしました。 何日、入院しているか、承知しておいてもらわなければ・・・。

  今日の父は、ちょうど、食堂から部屋に戻って、横になったばかりで、直前まで車椅子に座っていたせいか、入院以来、最もよく、話が通じました。 便は、昨日の夕方出たらしいのですが、トイレではなく、他の場所でしたとの事。 もしかしたら、浣腸したのかもしれません。 リハビリは、午前の時もあれば、午後の時もあり、立って歩いているが、ふらつくと言っていました。

  父が「自転車は、あそこにあるのか?」と訊くので、私はてっきり、家の自転車置場の事かと思い、「昨日、プレハブに入れた」と答えたのですが、考えてみれば、私が昨日、父自の場所を変えた事を、父が知っているわけがなく、もしかしたら、自転車をどこかに置いて来た夢を見て、その続きの話をしていたのかもしれません。

  私が、「便を出す為に、御飯は全部食べた方がいい」と言ったら、「まずくて、食べる気にならない」との事。 「家の飯だって、そんなにうまくないだろう」と言ったら、「家の方が、いろいろなおかずがあっていい」と言っていました。 御飯は、まだ、お粥で、ヨーグルトや牛乳も出ているらしいです。 父は自分のメニューだけ特別だと思っていたようですが、前の前の日曜に、私が、食事の様子を見た時には、メニューは一人一人、全部違っていました。

  帰る時、一階の売店の前で、掌に載るくらいのハムスターのぬいぐるみがあるのを母に見せたら、母は、ハムスターには興味を示さず、その隣の、犬のぬいぐるみを手に取りました。 柴犬もあったのですが、丸顔過ぎて、シュンとは似ても似つかないので、買うなと言っておきました。 値段は、324円だったかな? 割と、安いですな。



≪2016/06/21 (火)≫
  午前中は雨。 風はなくて、吹きかける事はありませんでしたが、何となく不安になって、雨戸を閉めたくなるくらい、一時期、多く降りました。


  9時半頃。 ガス会社の人が、ガス漏れ警報器の交換に来ました。 母とのやり取りを、二階で聞いていたら、ついでに、電気事業も始めたという売り込みをしている模様。 母が、ブレーカーが落ちないように、アンペア数を上げたいなどと訴えていたので、面倒な事にならない内に、私が出て行って、「たまにしか落ちないから、どうという事はないです」と言って、帰ってもらいました。 ガス屋に、電気の事を相談する母も、だいぶ、判断力が衰えています。


  午後は、見舞い。 今日は、兄の仕事が休みの日なので、車で家まで迎えに来てもらい、兄、兄嫁、母、私の四人で、病院まで行きました。

  今日の父は、病室のベッドで眠っていました。 看護師さんに、様子はどうか訊いたら、だいぶ、元気になって来たとの事。 小便も、トイレに車椅子で連れて行ってもらって、自分で座って、しているらしいです。 それは、大変、結構な事。 だけど、まだ自然に便が出ておらず、そちらが安定しない内は、とても退院できそうにありません。

  父は、昨日に引き続き、今日も、受け答えはまともでした。 兄夫婦に、病状を知っておいてもらう為に、私が、食事・便チェック・シートの見方を説明しました。 兄は、自分の入院の時、よほど、ベッドの角度で苦労したらしく、今日も、手動レバーを回して、最も楽な角度にしようとしていました。 兄嫁が、「楽な角度は、人によって違うのでは」と言ったのですが、兄が何かと言うと、黙ってしまいました。 どうも、この夫婦は、緩い主従関係にあるようですな。 兄嫁が引いているから、もっているように見えます。

  窓際に昨日入院した患者が、かなり元気な人で、自力で歩き回り、テレビの映りが悪いなどと、看護師に不平を漏らしたりしていたのですが、こちらが喋っていると、カーテンの向こうで、嫌がらせっぽい咳払いなどするので、早めに帰る事にしました。 兄は、見舞い時間が短過ぎると思ったようですが、父も、兄夫婦が来ていたのでは、緊張が続いて、負担になるでしょう。

  頭の方が、体調を崩す前の状態まで戻ったのは、喜ばしい事です。 ただ、肝心の胃腸の方が、うまく機能していないのでは、根本的解決になりません。 とにかく、食べなければ出ないのですから、まずくても、我慢して、完食してもらいたいものです。



≪2016/06/22 (水)≫
  終日、曇り。

  読書は、カーの≪毒のたわむれ≫を読み終わり、≪死者のノック≫を読み始めました。 よくもまあ、同じ作家の推理小説ばかり、こんなに読み続けられるものだと思います。 だけど、私のカー批評は、未だに辛いままです。 「だったら、読むな」と言われると、その通りなんですが、他に読みたいものがないのですよ。 乗りかかった舟だし、借りれる限り、読んでみようと思っています


  昼過ぎから、母と自転車で、父の見舞いへ。 曇りで、ちょうど良かったです。

  父は自分のベッドで、眠っていました。 酸素チューブが外されて、点滴だけになっており、かなり、軽くなった感じ。 点滴も、台車に吊ってあるので、自力での移動が可能になったわけです。 15分くらい待っていたら、父が起きたので、調子はどうか訊きました。 受け答えは、今日もまともでした。 完食率は、朝飯は、9割、昼飯は5割。 「食べなければ、便が出ないから、いつまで経っても退院できないぞ」と言っておきました。

  初めて会う男性のリハビリ療法士が来て、これまでの経過を説明されました。 掴り歩きはできるらしいです。 トイレも行くだけは行けるけれど、自分で呼ばずに、看護師に訊かれてから連れて行ってもらっているとの事。 そういう話を、看護師ではなく、リハビリ療法士から説明されるのが、また、この病院の奇妙な点です。

  午後からもリハビリをすると言っていましたが、すぐではないようなので、しばらく、父の所にいたのですが、帰り際に見たら、療法士の人が、まだいて、廊下で他の誰かと話をしていました。 どうやら、私達が帰るのを待っていたようです。 それならそうと言ってくれれば、すぐに帰ったのに。 それにしても、リハビリで筋力が戻っても、胃腸が回復しないのでは、話になりませんな。


  母はスーパーへ寄るというので、私は先に家へ戻りました。 今夜の雨に備えて、旧母自を物置へしまってから、靴を登山靴に履き換えて、横山へ運動登山へ。 昨夜の雨でぬかるんでいたもののが、滑るほどひどいわけではなかったです。 むしろ、久々に来たせいで、歩いても歩いても、横山峠に着く感じがしない方に参りました。 下り口がまた、前回以上に草が生い茂っていて、靴がびしょびしょ。 夏の山は、こんなものなのでしょう。



≪2016/06/23 (木)≫
  夜から、午前中にかけて、豪雨。 風が出なかったのは、幸いでした。 雨戸を閉めて、灯りを点けた部屋で、地味に読書。


  昼頃には晴れて来て、母と自転車で見舞いに行けました。 狩野川の土手を通ったのですが、水が黄土色に濁って、増水していました。 何かの工事で使うのか、河川敷に、砂を山にしていた所があるのですが、そこまでは水が来ていなくて、今日も重機が動いていました。 危なっかしい事に変わりはないのですが。

  父は、食堂にいました。 部屋に戻りたがっていて、看護師さんが来たので、私が車椅子を押して行きました。 もう、点滴しか体についていないし、点滴は台車に吊ってあるのだから、自分で歩かせた方が、絶対いいと思うのですがねえ。

  チェック・シートを見ると、今日の朝食と昼食は、3割しか食べていませんでした。 昨日、私が、「便を出す為に、まずくても、全部食べな」と言ったから、それに反発したのではないかと思います。 こうなったら、奥の手で、「入院は、タダじゃないんだよ。 お金がかかっているだよ。 後払いだけど、お金を払うんだよ。 大体、一日に、1万円かかっていると思えばいい」と言っておきました。 だけど、分かったんだか、分かってないんだか、分からない顔つきでした。

  父が突然、兄の名前を口にして、「ここまで、どうやって来てるんだ?」と訊くので、少し考えてしまったのですが、「自転車で、どこを通って来てる?」と付け足した事で、私の事を言っているのだと分かりました。 やれやれ、また、兄と私の区別が付いていないのです。 馬鹿馬鹿しい。 毎日の見舞いで、もう、げんなりしているのに、来る気もなくします。

  母はまた、スーパーに寄るというので、私は、蛇松線に入り、自転車を押して歩きました。 蛇松線に日陰があって涼しいからというより、今日は、山に登るつもりがないから、運動の為に、歩きたかったのです。 港大橋に出て、狩野川の右岸、上流の土手道を遡ってみましたが、まだ、永代橋まで行けるようにはなっていませんでした。


  去年は、6月18日に、市県民税の納付書が郵送されて来たのですが、今年は、同じ日を過ぎても届きません。 父と母の納付書は、もう来たとの事。 不安になって、市役所の担当課に電話してみたら、「昨年の所得がない人には、お送りしていません」との返事でした。 なるほど、市県民税は、所得に対してかかるので、収入がない私は、ゼロになるのです。 それなら、納付書が来るわけはないわなあ。

  お金を払わずに済むのは、ありがたいですが、何となく、寂しい気もしますねえ。 税金を払っていないのに、図書館なんか利用しちゃっていいんじゃろうか? もっとも、ここのところ、隣の自治体の、三島市立図書館しか使っていないのですが。



≪2016/06/24 (金)≫
  昨夜は降らず、今日は、明るい内は、ずっと、曇り。 夕方頃から、パラパラして来ました。

  午前中は、庭に水を撒く以外に、これと言ってやる事がなく、カーの、≪死者のノック≫を読んでいました。

  ここ数日、母が、私に食事の仕度をさせないのは、「ボケるのが嫌だから」だそうです。 母は、父が家にいる頃には、父がおかしな行動をとっても、「家族の気を引く為に、わざと、そんなフリをしているだけ」と決め付けていたのですが、入院後、まるで会話が通じない父を目の当たりにして、ようやく、本当に認知不全になっているのだと悟ったらしいです。 随分と遅い事よ。


  午後、いつものように、母と自転車で見舞いへ。 二人で、自転車を連ねて走って行くと、相手が気になって、却って危険なので、今日は、別々のコースで行きました。 私は、蛇松線の中を、自転車を押して行ったのですが、母より、少し遅れただけで、病院に着きました。

  私達が、エレベーターから出ると、ちょうど、父が、トイレから、病室に帰るところで、看護師さんに支えられながらも、自分の脚で歩いていました。 便も出たとの事。 ただし、自然に出たのではなく、下剤は毎日服用しているようです。 自分で、ベッドに横になり、会話しましたが、受け答えは、至って、まともで、もう、五日連続で、そんなですから、頭の方は、ほぼ、入院前の状態に戻ったと見ていいでしょう。

  食事は、昨日の夕食が7割、今日の朝食が8割、昼食が9割で、頑張って食べている様子。 たぶん、昨日、私が、入院費用の事について話したので、俄かに、早く出なければならないと思ったのではないでしょうか。 誰でも、一日一万円かかっていると思えば、のんびり滞在なんかできないはず。 もっと、早く言っておけば良かったです。

  更に、退院したい気持ちになるように、「もう、だいぶ、長くいるから、病院の方だって、退院させたがっているはずだ」と言っておきました。 これは、満更、はったりではなく、患者の回転が速い病院では、ほんとに、そう思っていると思います。 病院は患者を治療する所であって、介護施設のように、住む所ではないのですから。 父が、私の入院期間を訊いて来たので、胆石の時には半月、心臓の時には九日だったと答えました。 父は、今日で、18日目です。

  10分もいない内に、母が、腹の調子が悪いと言い出し、病院のトイレを使いたくないから、早く帰りたいと言います。 まったく、それなら、無理に来なくたって、私一人でも良かったのに。 先に帰るように言ったら、父が、私にも帰っていいと言ったので、それならという事で、私も一緒に病院を出ました。 ただし、母は家に直行したのに対して、私は、狩野川の土手道をぐるっと回って、運動して帰りました。

  午後4時頃、病院から電話があって、「明日、退院の事について話したい」と伝えて来ました。 病院側も、マジで、そろそろ、お引き取り願いたいのでしょう。



≪2016/06/25 (土)≫
  夜半から、予想外の嵐。 午前3時半頃、風雨の音で目覚め、慌てて、自室の雨戸を閉めました。 外に出て、自転車置場の雨除けにしている波板を外し、地面に伏せましたが、すでに手遅れで、波板が風に煽られて、植木鉢を一つ、引っ繰り返していました。 植えられていた草花の茎が折れていて、もう、助けようがありませんでした。 一台だけ、自転車置場に置いてあった母自を、玄関の中に避難させて、ようやく、眠り直しました。


  土曜日なので、掃除や、亀の水換えなど、週末作業。 9時半頃には、雨が上がって、晴れて来ました。 嵐で落ち葉だらけになった外回りを掃除したのですが、途中で昼になり、中断。


  午後は、いつものように、母と自転車で、父の病院へ。 昨日の夕方、退院について話があるという電話があったので、その内容を聞きに行ったわけですが、あいにく、病院の防災避難訓練の日で、しかも、ちょうど、その時間に当たってしまい、終わるまで、30分くらい待ちました。 まあ、仕方ないですな。 看護師さん達にしてからが、「ほんとに火事になったら、どうなるんだろうね?」などと話していましたが、どの組織でも、避難訓練が、訓練の為の訓練になっているのは、同じようですな。

  その内、訓練が終わって、看護師さんが説明に来ました。 もう、今落としている点滴が終われば、治療は全て終わるから、いつ退院してもいいとの事。 自然排便を待つものと思っていたので、ちょっと不安ですが、すでに、19日目で、長居し過ぎており、向こうが退院していいと言うのですから、素直に従っておくに越した事はありません。 退院後は、通院や、薬の服用も必要ないとの事。 それは、ありがたい。 家からの距離が遠いので、父が自転車に乗れたとしても、ここまでは来れない恐れがあるからです。

  退院日は、いつでもいいけれど、平日ならば、事務が開いているから、会計が一回で済むとの話。 今日は土曜日なので、今日・明日は外し、月曜にしたいところですが、火曜日なら、兄が休みになるので、車で迎えに来てもらえば、タクシーを頼まなくて済みます。 で、母や父と話し合った上で、火曜日の午後に決めました。

  面会時間と違い、退院の場合、午前中でもいいのに、なぜ、午後にしたかというと、兄夫婦が午前中に来た場合、うちで、昼飯を用意しなければならず、父の迎え入れで忙しいのに、そんな余裕がないと思ったからです。 迎えに来てもらうのだから、飯くらい出せと思うかもしれませんが、兄夫婦が来る時には、上寿司をとるのが常なので、タクシー代より高くついてしまいます。 そういう計算を一瞬でしたのですから、私の頭も、損得勘定能力だけは、まだ衰えていませんな。

  虫がいいのは、私達が、その事を、兄本人に一切相談せずに決めてしまった事です。 「まあ、どうせ、来週の火曜にも、見舞いに来るつもりだったろうから、断られる事はないだろう」と踏んだんですな。 恐ろしい家族だて・・・。

  とにかく、退院が決まって良かったです。 病院の帰りに、私だけ、シュンの寺に寄り、退院が決まった事を伝えて、礼を言っておきました。 家に戻って、外回りの掃除の続き。 今日は、暑かったです。




  日記はここまでです。 そんなこんなで、何とか、退院日が決まるところまで、やって来ました。 便を出さなければいけないのに、物を食べないという、悪循環に陥った時には、無限に入院が続くのではないかと恐れましたが、とりあえず、事態に変化が見られたのは、幸いでした。 何と言っても、父の頭は、すでに、健康人のそれとは違っているので、こちらの意思を伝えるのに、えらい苦労するのが、最大の問題です。

  退院できる事が分かっても、帰って来た後、家で、どんな生活をするかについて、先々、難問は山積しています。 自分で、トイレに行けるのか、それともオムツ生活になるのか。 自分で風呂に入れるのか、シャワーだけになるのか、介添えが必要なのか。 階段を上り下りして、自分の部屋に住めるのか、一階の旧居間に寝起きするのか。 入院前から、通院していた医院へは、自転車で行けるのか、車でなければ駄目なのか。 などなど。

  看護師さんから、介護認定について、世話をするという話が出ましたが、やはり、要介護度がつく状態なんでしょう。 その話も聞いて来なければなりません。 父が、入院前の生活に戻れるなら、しばらくは不要ですが、オムツ生活になってしまうのなら、介護認定を受けていれば、購入補助が出ると聞いた事があります。

  車を買うべきか否か、それが問題。 父が、自転車に乗れないと分かれば、否が応でも、車を買わなければ、父が今後、病院へ行くたびに、タクシー代を払う事になってしまいます。 もはや、免許を持っているのは、私だけなので、私の名義で買う事になりますが、私自身は、車を全く必要としていないので、心情的に、大きな抵抗がある次第。 やっと、車と無縁な生活になって、サバサバしていたのに、またかよ・・・。

2016/06/19

生きたいと思う者の為に

  6月7日(火)に、吐血して、救急車で運ばれ、そのまま入院した父ですが、12日経った現在、まだ、退院していません。 目立った病変がないのに、この回復の遅さは、弥が上にも、家族の不安を盛り上げてくれます。 当人は、半ボケ状態で、さほど、気にしていない様子。

  毎日、見舞いに行っている私は、父と、噛み合わない会話を交わすたびに、消化器系の問題で入院したのに、認知不全で入院したかのような錯覚に陥っているのですが、それも、当人は分かっていない様子。 入院のショックで、認知機能の低下が一気に進んでしまったのは、間違いないと思います。




≪2016/06/12 (日)≫
  父が入院している病院の面会時間は、平日は、午後1時から、8時まで。 日曜・祝日が、午前10時から、午後8時まで。 で、今日は、食事の様子を見るために、昼前に出かけていきました。 父は、ナース・センター隣の部屋から、一般の大部屋に移っていました。 四人部屋。 男性老人ばかり。 この部屋に限らず、この階全体が、高齢者専用のようです。

  母が、どういうつもりなのか、10時過ぎには家を出てしまい、私も後から追いかけたのですが、早く着き過ぎて、1時間近く、待つ事になりました。 面会時間は30分なのに、こんなのが許されるのかどうか。 何時間もつききりの人もいるようなので、家族なら、目こぼしされるのかも知れません。

  今日の父は、横になっている間、ほとんど、眠っていました。 点滴は外れ、今は酸素だけですが、それでも、快適なのか、夜も眠っているくせに、よくもまあ、こんなに眠れるものです。 カード式のテレビがありましたが、見たいか訊いたら、要らないというので、カードは買いませんでした。

  ようやく、昼になり、その場で食べるのかと思ったら、移動できる人は、待合所のような所へ集まって、テーブルを囲んで食べるようです。 看護師さんの介助で、車椅子に乗るのですが、それまで、死んだように眠りこけていた父が、起き上がったら、異様にしっかりしているので、驚きました。 空使っとるんとちゃうか? 食事の時も、スプーンや割り箸を使って、割と危なげなく、食べていました。

  メニューは、ちょっと固めのお粥、なめ茸入り大根おろし、魚の切り身の煮物、肉じゃが、洋梨のサイコロ切り、他に、お茶。 洋梨は、最初、リンゴかと思ったのですが、メニューの紙を見て、洋梨と分かり、驚いた次第。 父は、いきなり、そればかり食べていましたが、たぶん、喉が渇いていたのでしょう。

  病院から出た後も、別々に帰り、母は買い物、私は、シュンの寺に墓参へ行きました。 父が入院した事を、シュンに報告しておきました。 さんざん、介護して見送った犬に、「じいちゃんを見守ってやってくれ」と頼むのも、変な話ですけど。



≪2016/06/13 (月)≫
  午後、父の病院へ見舞い。 腹の方は、問題ないようですが、頭の方が、まだ、はっきりしません。 横になっていると、眠っていなくても、夢を見ているような感じで、わけの分からない事ばかり口にします。 上半身を起こし、ベッドの端にかけると、次第に言う事が、まともになって来ます。 起きてから、5分くらいは、安定しない、家での症状と同じですな。

  未だに、酸素チューブがついていて、ベッドから離れられないから、寝ているしかなく、ボケボケになってしまうのではないかと思うのです。 病院のせいとは言いませんが、入院が長引くほど、手遅れになって行くような気がします。 胃腸だけが問題なら、点滴を外した時に、酸素もやめて、運動できるようにしてくれれば良かったのに。



≪2016/06/14 (火)≫
  午後から、病院の見舞い。 兄夫婦が車で来たので、母ともども、乗せて行ってもらいました。 父は、今日は、ずっと、座っていましたが、酸素はまだ外せず、バイタル・クリップまでつけており、むしろ、調子が悪くなっているようでした。 昨夜、食べた物を戻したとの事。 もしかしたら、入院してから食べた物が、ずっと胃の中に留まっていて、先に進んでいないのかも知れません。 で、満杯になったから、戻したのではないかと・・・。 少しずつ、医師が信用できなくなりつつあります。

  私達が着いてすぐに、兄嫁の御両親が見舞いに来て、驚きました。 報せなくても良かったのに。 親戚にも報せてないのに、姻戚に来て貰ったのでは、恐縮してしまうではありませんか。 兄嫁の御両親と、うちの両親は、顔を合わせる事など滅多にないので、挨拶が済めば、それ以上、話などあるわけもなく、いても、気まずいだけです。 あまり、見舞い客が多いと、肝心の容態を父から訊き出す機会が減るのも困る。

  親戚と言えば、東京に住んでいる、父のすぐ下の弟、つまり、私の叔父ですが、その人から電話があり、父の様子を訊いて来ました。 うちからは、報せていなかったのですが、どうやら、父が救急車に乗せられたところを、近所に住んでいる遠い親戚が目撃し、勝手に電話したらしいのです。 まったく、ろくでもない。 どうして、そういう余計な事をしやがるかな。 これだから、親戚なんぞ、百害あって一利ないというのです。

  その叔父さんも、もう、80歳を超えているので、たぶん、見舞いには来ないと思いますが、昔生まれの人だから、「行くのが礼儀」と考えるかも知れず、油断なりません。 80歳過ぎて、親戚に、律儀さをアピールしても、何の得にもなりゃしないんですがね。 大体、来たって、ほとんど、話が通じないよ。 また、遠くから親戚が来れば、うちに寄る事になり、それでなくても、父の入院で、異常状態が続いているのに、親戚をもてなすゆとりなんか、ありゃしません。 勘弁してくださいよ、まったく。

  ちなみに、その叔父さん、私が若い頃に、胆石の手術で入院した時にも、見舞い来ているのですが、その時は、うちの母が電話して、わざわざ報せたので、いやいやながら、やって来たのです。 ところが、来たのが遅過ぎて、私はもう退院しており、普通に生活していたものだから、そんな奴の見舞いに来させられたのが、気に喰わなくて仕方ない。 そう、顔に書いてありました。 あまつさえ、退院したばかりの私に向かって、「灰皿を出して来い」などと命令したのには、呆れ返りました。 一体、何しに来たんだよ。

  そういう苦々しい経験をしていると、親戚なんて、ろくなもんじゃないと、くっきりはっきり悟るわけですな。 



≪2016/06/15 (水)≫
  午後、自転車で、父の見舞い。 体に着けているものは、昨日までと変わりませんでした。 今日は、リハビリ療法士の女性が来て、その指示に従い、ベッドから起き上がったり、その場で立って、足踏みしたりしていました。 当人は、「ふらつく」と言っていましたが、つい、十日前まで、自力で階段を上り下りし、自転車に乗っていた人ですから、筋力が、そんなに急激に衰えるとは思えません。

  家に戻れたとしても、階段を上がれるようになるまでは、一階で寝起きするしかありませんな。 ほぼ、介護状態になってしまいます。 やれやれ。 見通しは暗い。 当人に、早く良くなりたいという、強い意志がないのが、最大の問題です。 父の本音としては、いられるものなら、ずっと、病院にいたいのではないかと思います。



≪2016/06/16 (木)≫
  昼過ぎから、雨になりそうだったので、父の見舞いをどうするかという話になったのですが、タクシー代がもったいないので、私だけが、バイクで行く事にしました。 ところが、出かける前に降り出してしまい、バイクや合羽を濡らすに忍びず、長靴を履き、傘を差して、徒歩で行って来ました。 片道、40分。 結構な運動です。

  父は、昨夜、便が出たそうで、その点は、進展があったのですが、一度外していた葡萄糖の点滴が再開されていて、よくなっているのかいないのか、分かりません。 ほとんど、眠っていて、会話しても、分かっているんだか、いないんだか・・・。 私と兄の区別がつかないのも、困ったもんだ。

  45分ほどいて、引き揚げて来ました。 病院から出ると、雨が上がっていました。 蛇松線跡の散策路を通っていったのですが、緑に挟まれているので、普通の道路を歩くより、気持ちが良かったです。



≪2016/06/17 (金)≫
  朝方まで雨で、その後、曇っていたのが、昼頃から快晴になり、猛暑となりました。 こんなに暑くなってしまったのでは、父の病院までの道中、母が持たないだろうと思い、今日も、私一人で、出かけました。 よせばいいのに、二日連続で徒歩で行けば、腹が凹むかと思って、軽い気持ちで出かけたのが命取り。 すっごい、日射し! も、すっごいの! 日陰を選んで歩いても、気温の高さは如何ともしがたく、よーく、頭をやられてしまいました。

  父は、昨日と変わらず。 今日は、家から、昨日の新聞を持って行ったのですが、読むかと思いきや、老眼鏡をかけて、一面の見出しを見ただけで、興味を失ったらしく、それっきりになりました。 「新聞を読むなんて、何ヵ月ぶりだ」などと言っていましたが、入院前、新聞を取りに行くのは父の役目だったので、その言葉が本当かどうかは分かりません。

  相変わらず、夢と現つの狭間を行き来していて、どう考えても、幻想としか思えないような事ばかり口にしています。 点滴、酸素、横になりっぱなしと、頭をはっきりさせるのに障碍になる要素が、三セット揃っているせいか、夢の世界から出て来れない様子。 特に、時間の感覚の混濁が甚だしく、大昔の話を、今起きている事のように話します。

  こうなってしまうと、父本人から、治療の進捗具合を聞きだすのは、無理・無意味と考えるべきでしょう。 で、帰りがけに、看護師さんを捉まえて、容態を訊いてみたら、数日前に、食べた物を戻した時、誤嚥して、肺の機能が落ちてしまったので、それで、点滴を再開したとの事。 結構、重大な事だと思うのですが、こちらは、毎日顔を出しているのだから、翌日に説明してもらいたかったものです。

  更に、一昨晩、便が出たというのは、自然に出たのではなく、腸内に溜まっているようだったので、「出させた」との事。 方法まで聞きませんでしたが、下剤か浣腸を使ったのでしょう。 それも、翌日に教えて欲しかったです。 自然に出たのなら、順調に回復しているわけですが、出させたのでは、胃腸が正常に機能していない事になり、元の木阿弥。 もう、十日も入院しているのに、担ぎ込まれた日と、容態は何も変わっていない事になります。

  回復が遅れるのは、父の体の問題だから、仕方ないにしても、なぜ、それを家族に伝えないのか、そこが分からん。 父は、何を言っているのか分からない有様なのですから、病院側が家族に、直接伝えなければ、何がどうなっているのか、分からないではありませんか。 看護師の交代が激し過ぎるのが、そもそも、問題で、患者は大勢いるのに、担当看護師が、こんなに頻繁に変わったのでは、引き継ぎが追い付くわけがありません。 よく、こんな体制でやっとるのう?

  と、腹が立って仕方なかったのですが、どうも、私自身が熱中症で頭が痛くて、普段より怒りっぽくなっているような感じがしたので、その事は、一切口にせず、「分かりました」と言って、帰って来ました。 だけど、やっぱり、おかしいと思いますよ。 治療を進めてこそ、病院なのであって、介護施設じゃないんだから、対処療法的な世話だけ続けていればいいというわけではないでしょうに。 世話が大変なのは、こちらも承知していますが、だからと言って、治療が進まないのでは、病院にいる意味がありません。



≪2016/06/18 (土)≫
  父の入院以来、晴れた日には、庭の盆栽に水をやるのも、私の仕事になっています。 当初、一時的な代行のつもりで、気軽にやっていたんですが、そう早くは出て来れそうにないと分かってからは、気が重くなりました。 水やりくらいはできますが、盆栽の手入れとなると、お手上げです。 盆栽は、植木以上に、好きな人でなければ、世話ができないのです。

  午後、暑い最中に、母と二人で、自転車で出かけ、父の見舞いに向かいました。 日陰を探そうと、蛇松線跡に沿っている道を探したのですが、分断が激しく、日陰に入れないばかりか、逆に、時間を喰ってしまいしました。 暑くて暑くて、入院している方より、見舞いに行く方が、先に死にそうです。

  父は、食事スペースで、車椅子に座っていました。 寝ている時より、頭がはっきりしているのは、いつもの事。 体に着けているのは、昨日と変わらず、点滴、バイタル、酸素の三点セット。 便は出たか訊いたら、今夜、下剤を飲んで、入院後二回目の便を出すとの事。 一回目も、下剤を使ったと言っていました。

  父が言うには、「会社の人が、家族に話があると言っていたが、今日は家族は来ないと言ってしまった」との事。 私が毎日来ていても、分かっていないわけで、がっくり来てしまいます。 会社の人というから、事務員が、お金の事で話があるのかと思ったら、そうではないらしく、看護師のような服の人だったと言います。 看護師が、お金の話をするとは思えません。

  病室のベッドに戻った後、今日の担当らしき看護師に、「昨日の昼頃から、今までの間に、何か変化はありましたか?」と訊いたら、父が自分で言った通り、今夜、下剤を飲んで、明日、便を出すとの事。 下剤で出しても仕方ないと思うのですがね。 これからずっと、下剤に頼り続けるわけにも行きますまい。 入院12日目だというのに、まだ、こんな事でもたついているのは、たまげた話で、退院まで、何日かかるかと思うと、頭がクラクラして来ます。

  他に、水だと誤嚥してしまうので、トロミ薬というのを混ぜて飲ませているらしいのですが、それは患者の家族負担で、最初に病院から出した分がなくなったから、買って来てくれとの事。 そんなのは、初耳です。 なぜ、最初に説明しない? いい加減な病院である証拠が次々と露見するのは、困ったものです。

  このトロミ薬を飲ませるのは看護助手の仕事らしく、どうも、父が言った「会社の人」とは、その看護助手の事ではないかと思われます。 事務員ではなかったのでしょう。 母が売店でトロミ薬を買って来ましたが、1620円だったとの事。 担当看護師の情報では、ドラッグ・ストアの方が安いのだそうです。

  今日も今日とて、治療の進展は、全くなかったわけで、またまた、腹が立った状態で帰る事になりました。 帰りは、別々に走り、母は、スーパーへ買い物に。 私は、シュンの寺へ、墓参に。 シュンに、「じいちゃんを助けてくれ」と泣きつきましたが、たぶん、何の効能もないと思います。




  日記はここまでです。 まあ、こんなわけで、治療の進展は、全く見られません。 若い人間なら、病気になっても、治って行く過程というものが、大体決まっていて、「この病気なら、何日くらい」と、入院期間が予測できるのですが、父のような高齢者の場合、体のあちこちが機能不全寸前になっていて、一度、バランスが狂うと、総崩れになって行くのではないかと思われます。

  父本人に、治す気がないという疑いも、濃厚に漂っています。 入院生活は不自由なものですから、普通ならば、早く退院したいと願うわけですが、父の場合、家でも、もはや、何の楽しみもなしに生きていた状態でしたから、早く帰りたいと思う動機がないのです。 ここ数年の父は、やらなければいけない事は、ほとんどなく、やりたい事は、全くないという生き方をしていました。 人間、そういう状態になると、生きる理由を見失ってしまうんですな。

  こればっかりは、家族には、どうにもならない事で、私が、あれをやったら、これをやったらと薦めても、当人がその気にならなければ、無理やりやらせるわけにも行きません。 父を見ていて、つくづく思うのは、「この世は、生きたいと思っている者の為にある」という事です。 自分が生きている理由を忘れてしまった人間には、もう、生きる意味がないのです。

  病気というのは、なりたくてなれるものではないですが、治す気がないと治らないというのも事実でして、今の父が、正に、それなのです。 入院していれば、看護師さん達が、あれこれ世話してくれるので、家にいて、私だけと話しているより、ずっと、楽しいのでしょう。 だけど、タダじゃないんだから・・・。 父は、過去に入院経験がないので、支払いシステムが分かっておらず、後払いだけど、日々、お金がかかっているのだという事が、ピンと来ていないのかも知れません。

  とにかく、困った・・・。 今後、入院費やら、在宅介護やら、背負いきれないほどの厄介事を背負い込むくらいなら、私の方が、先に死にたいです。 いや、実際問題、老老介護家庭では、「先に死んだ者勝ち」なのです。 自分以外の人間を、みんな見送ってしまえば、楽になるかと思いきや、独居になって、結局、惨めな生活に陥るのであって、最後まで生き残っても、いい事なんか、何もありません。

2016/06/12

父倒れる

  父が、85歳にして、生まれて初めて、入院しました。 ここ数年、認知不全が、じわじわと進んでいたものの、壮年期に健康オタクだったくらいの人で、体の方は丈夫だったので、家族としては、想定外の出来事に、大いにうろたえました。 以下、現在までの経過を、私の日記から、移植します。 尚、尾籠な描写が含まれているので、食欲を落としたくない人は、読まないで下さい。




≪2016/06/06 (月)≫
  今朝から、父が腹が痛いと言い出し、昼食と夕食はお粥を作りました。 自力で動いていますから、そんなにひどい状態とは思わなかったのですが、それは、嵐の前の静けさに過ぎませんでした。


  夜になると、何度も吐いたり、下痢をしたりを繰り返すようになりました。 8時台のは、ひどくて、廊下で、いつまでもガタガタやっているので、見に出たら、洗面所で、なにやら黒い液体を、大量に吐き出しています。 父が言うには、眠っている時に、吐き気が来て、トイレまでもたずに、ベッドの上で戻してしまったとの事。

  一体、何を吐いたのか訊くと、弱々しい声で、「フキ」という返事。 見ると、排水溝の網に、確かに、フキのようなものが詰まっています。 このフキは、隣から貰ったのを、母が煮たもので、私や母も食べています。 それにしても、一緒に出て来ている、黒い液体は何なんでしょう?

  服を着替えるのを手伝い、ベッドのマットレスから、汚れた敷きパッドを外し、代わりにタオルを何枚か敷いて、また、寝かせました。 私は、夜11時まで、洗濯を続けて、ようやく、眠りました。



≪2016/06/07 (火)≫
  父ですが、夜中に、また戻したらしく、今朝になったら、もっとひどい事になっていて、ベッドのマットレスや、床まで、例の黒い液体で、べっとり汚れていました。 私が敷いたタオルは、真っ黒になって、ゴミ箱に詰め込んでありました。 捨てて、どうする? 病気だから仕方ないのですが、昨夜の努力が水の泡です。 一生懸命やっても報われないのが、老人の世話の特徴ですな。

  朝の7時20分頃、洗面所の流しで、更に戻し、「これは、病院だろう」という事で、タクシーを呼びました。 車が来るまでの間に、極力、父の部屋の掃除と、汚れ物の洗濯を進めました。 そろそろ、出かける仕度をと思って、一階の旧居間で横になっていた父に、立つように言ったのですが、全く駄目で、返事もできないほど、弱っています。

  「これは、救急車だろう」という事になり、タクシーをキャンセルして、119番を呼びました。 たとえ、私が背負って、タクシーまで運べたとしても、車内で戻す恐れがあり、乗せる方も嫌でしょう。 それに、自力で病院に行った場合、順番を待つ事になりますが、座っていられないような状態では、それも覚束ないです。 10分もしない内に、サイレンが聞こえて来て、救急車が家に到着。 女性一人、男性二人の三人で、女性は大きなバッグを持ち、男性二人は、ストレッチャーを運び入れました。 

  救急隊員に、父が戻した物を見せると、「吐血だろう」との事。 もしやと思ってはいたものの、やはり、驚きました。 吐いた量が多いので、たぶん、入院になるが、どこの病院がいいかと訊かれたので、「うちには車がないから、なるべく近い方がいいです」と答えたら、いくつか、候補が出て、結局、家から自転車で通える距離にある、割と小さな総合病院に決まりました。

  今まで、私は、3回、救急車に乗った事がありますが、全て、患者の立場でした。 今回、初めて、付き添いの立場で乗りました。 どちらで乗っても、あまり居心地が良くない反面、出発してから病院に着くまでが早過ぎると感じるのは、不思議な事です。 10分もかからずに到着。

  父は、救急搬送口から入り、私は、病院の受付へ案内されました。 そこで説明された、書類の山とも言うべき、煩雑な入院手続きに、たじろぎました。 えらい病院に来てしまった。 ほとんどが同意書です。 よほど、訴訟沙汰を恐れているんでしょう。 私が最後に入院した岩手の県立病院では、この種の書類は、書いた覚えがありません。

  私が待ったり、医師に事情を訊かれたりしている間に、父は、いくつかの検査を受けました。 内視鏡の結果について、医師から説明されたところによると、すでに、胃の中は空っぽで、特に、悪いところはないとの事。 ポリプが一つと、凹凸がある部分があるので、そこの組織を採取して調べると言われただけ。

  一安心と言いたいところですが、父の年齢と、認知不全に片足突っ込んでいる事を考えると、良かったんだか、悪かったんだか、分かりません。 看護現場では、認知不全の老人の扱いに悩まされているようで、父の場合、どのような症状が出ているか、細々と訊かれました。 自分が入院している事が分からなくなり、点滴の針を抜かれたりすると、大変、困るようなのです。 だけど、同じ部屋の、他の老人達と比べると、父は、騒がないだけ、マシなのではないかと思えました。

  母が来て、着替えなども持って来たのですが、この病院では、アメニティー・サービスが、割と安い金額で受けられるそうで、使い慣れている物の方が、看護師さん達がやりやすかろうと思って、全部、向こうに頼む事にしました。 おむつを使った事がないと言ったら、パンツで対応する事になったのですが、その後、父が失禁してしまい、おむつを含んだコースを追加する事になりました。

  昼に、一度、家に戻りました。 母は、自転車で来ていたので、それで帰り、救急車で来た私は、歩いて帰りました。 家まで、約40分。 だけど、普段、山歩きで、1時間以上歩いているので、そんなにきつくはなかったです。

  昼飯を食べ、今度は、バイクを出して、三島図書館へ。 あいにくな事に、今日が返却期限だったのです。 雨が降っていなかったのが、せめてもの慰め。 カーの本を三冊、≪緑のカプセルの謎≫、≪死者はよみがえる≫、≪連続殺人事件≫を借りて来ました。 父の状態を考えると、読書どころではないような気もしますが、入院してしまった以上、家族は、面会に行くくらいの事しかできません。

  家に戻って、午後3時。 休む間もなく、今度は、母と二人で自転車で出かけ、父の様子を見て来ました。 点滴で意識朦朧としており、会話は、ほとんどできず、夢と現の世界を彷徨っていました。 これで、認知不全が入っていなければ、むしろ、羨ましいと思うのですけど・・・。 たとえ、胃腸の調子が回復しても、今回のショックで、父の認知機能の衰えは、更に進む事でしょう。 行く末は暗い。

  4時20分頃に、家に戻って来て、ようやく、一服できました。 家の中が、部屋干しの洗濯物で一杯です。 先日、蕎麦殻を出して洗ったばかりの、父の枕も、あっさり汚されてしまい、また、中身を出して、洗わなければなりません。 もう、げんなりです。 しかし、なんですな。 本格的に介護をしている人達の苦労は、こんなもんじゃないんでしょうねえ。 毎日毎晩。 そりゃ、殺人事件も、無理心中も起ころうってもんですよ。

  母が、夜を待って、兄に電話したところ、ちょうど、今日が休みで、次の休みは一週間後だとの事。 つまり、見舞いには行けないというわけです。 最初から、期待していないから、何の問題もありませんけど。 病院の部屋番号も訊かないのだから、とことん、見舞う気がないんですな。

  ただ、この件に関しては、兄が悪いというより、父の方に問題の根がありまして、父は、兄にせよ、私にせよ、子供にほとんど興味がなく、特別に可愛がったりしなかったのです。 一応、家計を半分支える事で、親としての義務を果たしているつもりでいたのだと思いますが、喰うに困らないというのと、家族を大切にしているというのは、また別問題なんですな。

  父にしてみれば、他の人間が、結婚しているから、自分も結婚しただけ。 他の人間が、子供を作っているから、自分も作っただけ。 それ以上の出来事ではなかったのです。 父の世代の場合、そういう、父親意識の希薄な父親は、多数派だったわけですが、父親意識が希薄な父親の元で育った子供は、当然、子供意識が希薄になるわけで、父親が健康を害したり、死んだりしても、そんなに衝撃がないのです。



≪2016/06/08 (水)≫
  朝から、父の部屋の浄化作業の続き。 濡れ雑巾で床を拭き直しましたが、やはり、全ては取れませんでした。 一日経ったら、吐血のにおいは、ほぼ消えましたが、念の為、目につく所にある布製品を、片っ端から洗濯しました。 蕎麦殻枕の中身を、また出して、袋を洗濯。 毛布は、汚れていませんでしたが、一応、干すだけ干しました。

  それとは、別に、自分の部屋の布団を干し、カバーを洗濯。 これは、梅雨時で、晴れた日に干しておかないと、次はいつ干せるか分からないからです。 今日、晴れてくれて、助かりました。 どかっと洗った父の洗濯物が、全て乾いたからです。


  午後、兄から電話があり、半日休みを取ったから、見舞いに行くとのこと。 おやおや、珍しい。 いやいや、来るというなら、結構な事で、文句はありません。 車で来るというので、家に寄ってもらい、私と母が乗って、三人で病院へ。 入り組んだ所にある病院なので、車で行く道を、私も母も把握しておらず、行き当たりばったりの、最悪の道案内となりました。 しまいにゃ、喧嘩ですわ。 血縁者は遠慮がなくて困る。

  父は、昨日よりは、頭がはっきりしていましたが、案の定、自分がどこにいるのか分からないようでした。 一応、説明しましたが、どうせ、一眠りすれば、また忘れてしまうでしょう。 兄は、父に会うのは、10ヵ月ぶりくらいで、いきなり、会話が通じない父に対面したので、ショックを受けたものと思います。

  看護師さんの話によると、今日は、担当の医師が往診に出ていて、何の検査もしなかったとの事。 総合病院の医師なのに、往診なんてあるんすか? 何だか、嫌な予感がします。 そう簡単には、出してくれない病院なのかも。 父は、早くも帰りたがっていますが、何せ、認知不全に片足突っ込んでいるので、帰りたい理由が、どうにも妄想的で、安直に、「気持ちは分かる」と共感できません。

  兄が、差し入れに、スポーツ新聞と週刊誌を買って来ていました。 兄も、鼠径ヘルニアで、何回か入院経験があるので、その退屈さは分かっていて、気を利かせたわけです。 しかし、父は、とても、そういったものが読める状態ではないような気がします。 恐らく、兄自身も、父の様子を見て、そう思った事でしょう。

  病院には、1時間ほどいて、家に帰って来ました。 兄は、一旦家に上がり、煙草を一本吸って帰って行きました。 まったく、それだけで、臭くて仕方がない。 なんで、一本、我慢できんかなあ?


  昨日の昼から、母と二人で食事をしているのですが、三人と二人では、食事のレベルがまるで違っていて、あり合わせの物ばかりになっています。 これが、一人になると、もっとテキトーになるのは、応援や異動で経験済み。 食費で計算すると、一人と二人では、3倍くらいの差があり、一人と三人では、5倍くらい、差が開くと思います。



≪2016/06/09 (木)≫
  昨日洗った父の枕袋に、蕎麦殻を詰めて、縫い直し、父の部屋の浄化は完了。 後は、当人が帰って来るのを待つだけになりました。

  午後1時頃、母と二人で、自転車に乗り、病院へ、父の見舞い。 父は、同じ病室ながら、入り口に近い所へ、ベッドが移されていました。 まだ、点滴や酸素のチューブがついているのに、ベッドから下りようとしたとの事。 点滴のせいだと思いますが、頭がはっきりしないようで、会話が、ほとんど通じません。 「まだ、ベッドから離れられないんだよ」と、口で言っても、分からないのです。

  喋る事も、まるで、要領を得ず、大昔の記憶を、一方的、且つ、断片的に口にするだけ。 憐れ、衰えたり・・・。 これが、つい三日前まで、自力で朝飯の支度をしていた人とは思えません。 全て、点滴の影響ならいいのですが、果たして、元の状態に戻れるかどうか・・・。 看護師さんの話では、土曜日から、食事を出すとの事。 それまでは点滴が外せないわけで、よーく、ボケボケになってしまいそうです。

  今日は曇りでしたが、雨が降らなければいいというわけでもなく、距離が遠いから、自転車では、疲れます。 昨日、兄の車で来て、一度、楽をしているから、根性が挫けてしまっていて、尚悪い。 「誰か、車で乗せてってくれんななあ・・・」というのが、正直な気持ちでした。



≪2016/06/10 (金)≫
  いい天気でした。 入梅後、晴れと曇りが一日交替しています。

  午後、母と二人で、自転車に乗り、父の見舞いへ。 今日は、入院以来、最もマシな状態になっていました。 ピント外れながらも、一応、会話ができましたから。 熱が出たそうで、氷枕をしていたのですが、そのせいでしょうか。 熱が出て、頭がはっきりするというのは、理屈に合わないような気がしますが。

  よりによって、炎天下の一番暑い時間帯に行ったので、私と母の方が、父より弱っていたと思います。 母も、ここのところ、ちょっと体を動かすと、息が、ゼイゼイ言うようになり、よくもまあ、往復7キロも走って、倒れないものです。 まったく、人間の体というのは、よう分からん。

  戦場のジンクスに、「同じ所に、二度、爆弾は落ちない」というのがありますが、「夫婦が相次いで入院する」とか、「夫婦が相次いで死ぬ」というのは、割とアリでして、これは、それまでの生活パターンが崩れて、心身に不調を来すからだと思います。 「後を追うように死んでしまった」というのは、何も、仲がいい夫婦に限りませんが、精神的にも、経済的にも、相手への依存度が低ければ、確かに、ダメージは少ないでしょうなあ。


  夜になって、兄から電話があり、母が、今日の父の様子を伝えました。 その一時間後に、今度は、兄嫁から電話があり、明日、見舞いに行きたいとの事。 兄嫁も車を持っているので、母が、うちに寄って乗せていってくれないかと訊いたら、あっさり、OK。 いや~、助かった。 これで、明日は天気に関係なく、疲れなくて済みそうです。

  ちなみに、なぜ、兄と兄嫁が別々に電話して来たかというと、別に仲が悪いわけではなく、仕事の関係で、家に戻る時間が違うかららしいです。 兄と兄嫁は、子供がいない夫婦であるせいか、仲がいい方だと思います。 いや、どの家にも、外面・内面があるから、本当のところは分かりませんけど。



≪2016/06/11 (土)≫
  今日は、兄嫁が見舞いに来たので、それにちゃっかり便乗し、車で往復しました。 いやあ、車で良かった。 今日の天気で、自転車を漕いだのでは、熱中症になりかねないところでした。 こういう時は、車を持っている人が、神の使いに見えますな。

  父は、今日から、食事を食べる予定だと聞かされていたのですが、私らが、行ってみると、予定通り、朝・昼と食べ、しかも、完食したとの事。 別に、腹が痛くなったわけでもなく、今のところ、順調に回復しているようです。 点滴のチューブが外されて、腕が自由になっていました。 ただ、酸素のチューブは、まだ、ついたままで、ベッドを離れる事はできません。

  腹は回復に向かっていますが、頭の方は、依然として、はっきりせず、私の事を兄だと思い込んでいたり、自分が入院している事を忘れていたりと、結構な混乱ぶりでした。 点滴さえ外せば、頭がはっきりすると思っていたんですが、そんなに簡単な話ではなかったか。 退院して、家に戻って来ても、果たして、元通りの生活ができるかどうか・・・。

  家に戻って、兄嫁と、母と私の三人で、話をしたのですが、父の話題から逸脱し、その場にいない兄の事や、兄嫁の実家の事、犬の事、韓ドラの事など、午後2時半から、4時くらいまで話が続きました。 うちは、滅多に客が来ないので、外部の人と話すのは楽しいのですが、ちと、喋り過ぎて、疲れました。




  とりあえず、日記はここまでです。 父の入院は、土曜までで、五日目ですが、この分だと、一週間では出られそうにないです。 十日、あるいは、もっとかかるのかも。 腹の方に関しては、病院にいる方が安心ですが、人任せの生活が続くと、頭の方が、よーく衰えてしまいそうで、怖いです。 父本人は、結構、居心地が良さそうですが、私としては、早く退院してくれた方がいいんですがねえ。


  そもそも、腹の不調の原因は何かというと、病院では分からないとの事。 吐血した量が多い割には、出血場所が特定できず、医師も首を傾げていました。 黒い液体が、血だろうというのは、医師が確認したわけではなく、救急隊員が、見た目で判断しただけなので、もしかしたら、血ではないのかもしれませんが、では、一体何なのかとなると、それが分かりません。 何らかの原因で、胃腸が食べ物を受け付けなくなり、胃に物が溜まって、それが黒くなったんですかね?


  吐いた物の中に、フキが入っていて、そのフキは、隣家の庭に生えたのを、貰った物だというのは、日記の中でも触れました。 その時、一緒にアシタバも貰ったのですが、そのアシタバを私が食べた時に、とても、植物の味とは思えない、化学薬品のような味がしたので、一口食べただけで、残りは捨ててしまいました。 あの味は、農薬ではないかと思ったのですが、同じ庭に生えたのなら、フキにも農薬がかかっていた可能性があります。

  同じフキを、私も少し食べているのですが、父ほどではないものの、少し腹が渋る状態が続いていて、もしかしたら、中毒なのではないかと、疑えないではなし。 ただし、その件については、確たる証拠があるわけではないので、医師には伝えていません。 隣家が、わざと、農薬がかかった野菜をよこすとも思えませんから、大ごとになりかねない事は、避けねばなりません。

  家庭菜園や庭で作った野菜を、近所に分けるのは、良くある事ですが、そういう作り方の場合、農家の畑と違って、管理しているのが一人とは限らないので、家人が農薬をかけた直後である事を知らずに、収穫して、人にやってしまう事もあるわけで、大変、危なっかしいです。

  プロの農家がくれたものなら、あまり心配しなくてもいいですが、素人が作った物の場合、よくよく気をつけて、怖いと思ったら、食べない方がいいと思います。 食べるところまで、見られているわけではないですから、こっそり捨ててしまっても、分かりゃしません。 言うまでもなく、近所づきあいより、命の方が大事です。

2016/06/05

錆との戦い⑯ 【番外編】

  軽快車三台のレストアは、前回の記事で終わったわけですが、錆との戦いには、その後、一週間ばかり、延長戦がありました。 「家の北側の軒下に置いて、カバーをかけてある折自は、ほとんど錆びていないのに、カー・ポートの下に置いている軽快車三台は、なぜ錆びるのか?」と考えると、「雨に濡れているから」としか思えません。 そこを解決しなければ、どんなに綺麗にレストアしても、また、すぐに錆びてしまいます。

  で、カー・ポートをじっくり観察したところ、西側の隣家との境のブロック塀と、カー・ポートの屋根との間に20センチくらいの隙間があり、そこから、雨が吹き込んでいるに違いないと思われました。 他に、南側は、カー・ポートの屋根が、自転車置場から、1メートルくらいしか張り出してなくて、南風の日には、斜めに吹き込んだ雨が自転車にかかってしまうと思われました。

  北側は、カー・ポートの屋根の長さに、充分なゆとりがあるから、問題なし。 東側は、家の壁が塞いでいるので、これも、大丈夫。 つまり、西側と南側だけ塞げばいいわけだ。 ちなみに、「一台ごとに、カバーをかける」というのは、使い易さを損なってしまうので、却下。 「サイクル・ハウスを買って入れる」というのは、使い易さ的にも、庭の敷地のレイアウト的にも、問題外です。

  そりゃあ、屋内に入れれば、風雨対策は完璧ですが、自転車というのは、乗りたい時に、すぐに乗れるようになっていなければ、乗るのが億劫になってしまうものでして、優先順位としては、錆対策よりも、そちらの方が上になります。 私一人ならともかく、別段、自転車に興味がない両親の利便を考えると、尚の事です。




≪2016/02/23 (火)≫
  自転車そのものではありませんが、少しでも、錆びて来るのを遅らせる為に、自転車置場になっているカー・ポートに雨が吹き込まないよう、隙間を塞ぐビニール・カバーを作り始めました。 農業用ビニールが、幅2メートル、長さ50センチで、130円。 カー・ポートにとめる為の、クリップが、18個入りで、108円。 家にあった、細いパイプを骨にするので、それ以上のお金はかかりません。 明日には、完成、設置できる見込み。



≪2016/02/24 (水)≫
  今日は、寒かったです。 父に頼んで、散髪。 ますます寒くなり、ほとんど、寝ていました。 自転車置場の雨よけは、固定する為のクリップに塗った錆どめが乾かず、設置は明日に繰り延べました。



≪2016/02/25 (木)≫
  文具クリップの塗装が、大体、乾いたので、カー・ポートの隙間を塞ぐビニールを取り付けました。 総計238円で作ったので、安っぽいですが、どうせ、往来からは離れているから、しげしげ見る人もおらんでしょう。 ビニールを押さえる為のクリップですが、持ち手の部分が外せる事に気づいて、全部外してしまいました。 もち手がなければ、それが文具クリップだとは、誰も気づかないはず。

  これで、自転車置場の西側は、塞がりました。 次に、南側から吹き込む風雨を防ぐ為に、よしずを買って来ようと思い、今日一日、旧母自で、ホーム・センターや100円ショップを何軒か回ったのですが、発見できませんでした。 疲れた・・・。

  どうやら、夏場だけ売る、季節商品のようです。 ネットなら買えますが、最安でも、600円台。 当座、何か他の物で代用して、夏を待った方が、利口なようです。



≪2016/02/26 (金)≫
  自転車置場の、南側の風雨避けですが、よしずは諦め、家にあった、プラ波板で代用しました。 元々は、父が作ったアロエ温室の扉だったものですが、アロエが育ち過ぎて、扉が締まらなくなり、もはや不要なので、再利用しても、文句は出ません。

  カー・ポートの下に、潜り戸が付いている仕切り格子があるのですが、そこに紐で吊り下げる格好にして、風が強い日には外せるようにしました。 「それでは、雨避けにならんではないか」と思うでしょうが、風が強くて、雨も降っている場合、自転車をプレハブと物置に非難させて、凌ぐつもりでいます。 少々、面倒臭いですが、また、錆取りをするよりは、ずっと楽だと踏んでいます。



≪2016/02/27 (土)≫
  今日は、自転車関係の事は何もせず、部屋掃除や、亀の水換え、犬の墓参など、極普通の週末を過ごしました。

  午後になってから、そこそこ、風が出て来たのですが、カー・ポートに吊るした、風雨対策のビニールは、結構、パタパタ踊っています。 すぐに、破れてしまいそうな感じ。 うーむ、こりゃ、しっかりした枠をつくらなきゃ、駄目かな。 風の力を甘く見ていました。



≪2016/02/28 (日)≫
  カー・ポートの風雨対策のビニールですが、しっかりした枠を作るのが、コスト的にも手間的にも、どうしても、気が乗らないので、今のまま使う事にし、風でバタついたり、捲れ上がって、隣の方へ行ってしまわないように、紐で下に引っ張って、煉瓦に結んで押さえる事にしました。

  文章だけだと、私が作った風雨対策ビニールが、どんなものか伝わらないと思いますが、幅広の掛け軸のような物だと思ってもらえればいいです。 掛け軸でも、下軸の両端に錘を吊るしますが、その代わりに、紐と煉瓦を使ったという格好。 押さえた結果、かなりの風の日でも、このままで乗り切れるのではないかと思えるほど、丈夫になりました。 さすがに、台風が来ると分かっている場合、巻き上げて、縛っておいた方がいいと思いますが。

  ビニールに穴を開けて、紐を通したのですが、そこからビニールが破れてしまわないように、ハトメで補強しました。 このハトメは、ハトメ・パンチとセットで、高校の頃に買った物。 33・4年間、使わずに、押入れにしまってあったのですが、入れてある箱を変えなかったせいで、割と簡単に見つける事ができました。 ハトメは、今でも、そんなに珍しいものではないですけど、自分で使う事は、滅多にないんですなあ。 ちなみに、ハトメを漢字で書くと、「鳩目」。 鳩の目に似ているからでしょう。



≪2016/02/29 (月)≫
  夜来の雨が朝には上がりました。 カー・ポートのビニール掛け軸は、ちゃんと仕事をしていて、水滴がいっぱいついていました。 今までは、それが全部吹き込んでいたわけで、道理で、自転車も錆びるわけです。 つまり、なんだ、カー・ポートというのは、よほど静かに降る雨でもない限り、まるで雨避けにはならないわけだ。

  ドス曇りの中、バイクを出して、銀行へ。 それは、1時間もかかりませんでしたけど。

  昼頃には、また降り始め、2時過ぎまで、結構には吹き付けました。 その最中に、カー・ポートを見に行ったら、南側と南西側はブロックできているものの、無防備な北西側から吹き込んで、一番北側に置いてある母自に、水滴がついていました。 うぬぬぬぬ、ビニール掛け軸をもう一つ作って、北西側まで延長しなければ駄目なのか。 なかなか、終わらんのう。



≪2016/03/01 (火)≫
  今日は、一日かけて、カー・ポートの隙間塞ぎに着けたビニール掛け軸を延長していました。 ほぼ同じ物を、もう一つ作り、幅2メートルの内、50センチを、先に作った方と重ねて、全幅を、2メートルから、3.5メートルに広げた次第。 経費、ビニール代、130円。 もう、これで完成でしょう。 というか、これでまだ、雨がかかったとしても、もう、やれる事がありません。




  日記は、以上です。 次に、写真を出しますが、例によって、説明文の内容に、日記と重複している部分があるのは、ブログ間の移植の都合なので、御容赦あれ。


≪写真上≫
  カー・ポートの下の、自転車置き場です。 西側は、カー・ポートの屋根と、ブロック塀の間に、隙間があります。 南側は、仕切り格子しかないので、横殴りの風雨には、ほぼ、無防備。

≪写真下左≫
  カー・ポートと、ブロック塀の隙間は、ビニールで塞ぐ事にしました。 写真は、100円ショップのセリアで買って来た、文房具のダブル・クリップ、18個入り。 これで、ビニールの上の端を、カー・ポートの雨樋に挟んで固定する算段です。

≪写真下右≫
  これは、ホーム・センターで、切り売りしていたのを買って来た、農業用のビニールです。 幅は、2メートルあります。 長さ1メートルにつき、260円の物を、50センチで、130円。 切り売り商品のラベルは、昔は、売り場で計算して、値段まで書き込んでいましたが、今は、商品ごとにバー・コードが入ったラベルが用意されていて、売り場では、「0.5」と書き込むだけ。 後は、レジで計算します。




  まず、ビニールの上下に、家にあった園芸用のパイプを着けて、掛け軸状の物を作りました。 次に、上の軸を、カー・ポートの雨樋の中に入れて、クリップで固定し、ブロック塀の内側に垂らしました。

≪写真1≫
  家の敷地内から見たところ。 ビニールだと、風でバタつくわけですが、真ん中辺りを、仕切り格子で押さえてあります。

≪写真2≫
  隣の敷地から見たところ。 カー・ポートの雨樋は、こちら側にあります。 ちなみに、隣は、賃貸マンションの駐車場でして、入って行っても、短時間なら、何も言われません。

≪写真3左上≫
  雨樋に、上の軸を入れ、ビニールを文具用のダブル・クリップで挟んで、留めてあります。 ダブル・クリップは、錆びないように、カラーサビ黒で、塗りました。 取っ手の部分は、必要ないので、外してしまいました。

≪写真3左下≫
  ビニール掛け軸の、下の軸に紐を結び、ハーフのレンガを重石にして、下方向へ引っ張ってあります。 これも、バタつき対策です。

≪写真3右≫
  仕切り格子で、ビニールを押さえてある部分。 バタつかないように、木片で隙間を塞ぎ、ビニールが材木とこすれて、破れないように、食品トレイを切って、挟んであります。 貧乏臭い処置ですが、この辺りは、カー・ポートの柱の陰になって、往来からは見えないので、問題なし。

  最初、幅2メートルのビニール掛け軸を一つ設置したんですが、その後、西側からの雨を完全に防ぐには、幅が足りない事が分かりました。 ほぼ同じ物を、もう一つ作り、50センチ重ねて、全幅を、3.5メートルにして、現在に至ります。 今回出した写真は、拡幅前の様子ですが、まあ、拡幅後も、似たようなものです。




  これは、仕切り格子がある南側です。 プラスチックの波板を、二枚、吊り下げて、塞ぎました。 この波板は、元々は、父が作ったアロエ温室の扉だったんですが、アロエが育ち過ぎて、扉が閉まらなくなり、とっくに外されて、しまわれていたのを、引っ張り出して来たものです。

  紐で、上から吊ってあり、取り外す事ができます。 天気予報に気をつけていて、風速が高くなるようなら、予め外しておこうと思っていたんですが、どの程度の風速まで耐えられるか、様子見している内に、風速9メートルの日が来てしまい、巻き上がって、かなり破損してしまいました。 今後は、風速6メートルを超えるようなら、外しておこうと思います。

  ちなみに、この板を外すと、自転車置場は、南からの風雨に直撃されてしまいますから、その時には、自転車を、一台ずつ、物置、プレハブ離屋、玄関に避難させる算段です。




  写真は、以上です。 これらの文章を書いたのは、日記の方が、2月下旬、写真の方は、4月中旬頃で、今は、5月中旬ですから、もうだいぶ経っているのですが、天気予報に注意していて、雨が何日も続く時は、自転車を屋内に避難させ、風が強くなる時は、南側のプラ波板を外して、カー・ポートの下に伏せて重ね、重石を置いて押さえるようにしています。

  そのせいか、レストアした自転車は、今のところ、錆が出ていません。 やはり、濡れるのが、悪さをしていたのですよ。 うちの場合、自転車四台の内、カバーをかけている折自だけが、錆びていないのですから、比較対照できたはずで、もっと早く、気づくべきでした。

  だけど、それが分かったからと言って、人様にまで、「濡らさないようにしなさいよ」などと、余計なお節介は言いません。 うちの場合、引退者ばかりだから、雨の日は乗りませんが、通勤通学に使っている人は、濡らさないわけにはいかないからです。 「濡らしたら、すぐ拭きないさいよ」というのも、実行するとなると、厳しいものがあると思います。 自転車は、形が複雑で、拭くのに時間がかかりますし、雨が何日も続く時など、帰って来るたびに、水気を取るのは、もはや、苦行の領域でしょう。


  話を戻します。 その後、ダイソーで、よしずを売り始めたので、南側のプラ波板を、よしずに換えようかと思ったのですが、値段を見たら、324円商品じゃありませんか。 出端を挫かれた格好で、未だに換えていません。 まあ、プラ波板の方が、雨を通さない点では確実ですから、しばらくは、それで行こうと思っています。


  そもそも、この仕切り格子は、なぜあるのかというと、犬を飼っていた時に、庭の奥半分で、放し飼いにする為に、父が、家の西側と東側に、仕切りを作ったのを、そのまま残してあるのです。 西側は、幅が広いので、仕切り格子の一部に潜り戸が設けてあります。 東側は狭いので、格子の扉だけになっています。

  仔犬から飼い始めて、3ヵ月くらいで、庭に出したのですが、それから間もなく、この仕切り格子を作ったので、うちの犬は、鎖や紐に繋がれていた期間が、ほとんどありませんでした。 ある宅配便の兄ちゃんが残した、「お宅の犬は、幸せだ」というコメントもあります。 だけどねえ。 犬って、自分の興味だけで、庭を隅々まで歩き回る事って、ないんですよ。 人間がいれば、様子を見に来ますけど。 他の動物の匂いがしないから、面白くないんでしょうな。


  犬は、去年の7月に死んでしまいまして、この仕切り格子は、不要になったのですが、撤去する話は、全く出ません。 なぜというに、これがあるお陰で、訪問販売員など、他人が、家の裏側に入り込んで来るのを防ぐのに、絶大な効果があるからです。 潜り戸には、掛け金が付いていて、外からでも中からでも開けられるのですが、とりあえず、潜り戸を押してみて、開かないと思うと、わざわざ、掛け金を外してまで、中に入って来る人間は、ほとんどいないのです。