読書感想文・蔵出し (24)
今回からしばらく、読書感想文です。 最近の私の読書動向ですが、相変わらず、図書館には行っておらず、家にある母の蔵書を読み続けています。 文庫の推理小説ばかり。 読むのはいいんですが、感想文を書くのが、面倒でねえ。 だけど、すぐに書いておかないと、一ヵ月もすれば、綺麗さっぱり忘れてしまいますから、致し方ありません。
≪犯罪精神医学入門≫
中公新書 1796
中央公論社 2005年
福島章 著
図書館で借りてきた本。 実際に起こった、大量殺人事件の犯人を題材にして、精神鑑定について再検証を加えたもの。
大阪教育大学付属池田小学校事件
テキサス大学時計塔大量殺人事件
連続射殺魔事件
池袋通り魔事件
全日空機ハイジャック事件
連続幼女誘拐殺人事件
などが取り上げられていますが、池田小学校の犯人、Tについて、最も詳しく、分析しています。 最初、センセーショナルな書き方がされているので、著者は、ジャーナリストかと思ったのですが、プロフィールを見たら、れっきとした精神医学者で、犯罪者の心理を専門に研究している人だとの事。
面白いといえば、相当には、面白いです。 特に、犯罪の実録になっている部分は、あまりに粗野な犯人の行動に、顔を顰めながらも、引き込まれる感じで、どんどん、ページが先へ進んでしまいます。 大量殺人犯は、計画は立てても、知能的な隠蔽工作とは無縁で、推理小説の犯人とは、まるで重ならないのですが、この引き込まれる感じは、良く出来たミステリーの雰囲気とよく似ています。
犯罪者の精神鑑定が、鑑定する医師によって食い違いが多いという事は、この本でも触れられています。 日本の裁判では、大量殺人犯の精神鑑定で、医師達の意見が分かれた場合、「責任能力あり」という診断を出した方の鑑定結果が採用される事が多いのだとか。 責任能力があれば、死刑を言い渡せるからです。
この本の著者は、それを、問題だと指摘しているのですが、もし、裁判官達が、逆の判断ばかりしたら、それも、問題でしょうなあ。 大量殺人犯が、みんな、死刑を免れてしまうわけですから。 本当に問題なのは、医師達の間で、意見が分かれるという事そのものの方でして、それはつまり、精神鑑定や、その基盤になっている精神医学が、不完全だという事の証明なのではないでしょうか?
地震予知や、噴火予知は、未だに、科学的な予知方法が確立されていない、似非科学の領域に留まっていますが、精神医学にも、それと似たところが、大いにあると思います。 片や、責任能力あり、片や責任能力なしで、真っ向から意見が対立するようでは、同じ学問を修めているとは、到底、言えますまい。 少なくとも、人の命がかかっている裁判で、証拠にできるような、確度の高い診断とは考えられません。 あり・なし、どちらもです。
この著者は、重大殺人を犯す人間の脳には、生理学的な障碍があると考えているようです。 それはそうなのかも知れませんが、そういう論法を取ると、「重大殺人犯は、みな、精神病であって、責任能力はない」という事になってしまい、それでは、殺し得になってしまわないでしょうかね? 大量に殺せば殺すほど、「責任能力なし」の診断を受け易くなるわけだ。
これらの大量殺人犯達が、最も大きな事件を起こす前に、小さな事件をいくつも起こしていて、精神科にかかった経歴があるという事実にも、首を傾げてしまいます。 診断していたにも拘らず、精神科医達が、その人物の危険性を、全く見抜けなかったという事になるからです。 結果がどうなっても、責任を問われない身分というのは、お気楽でいいですねえ。 津波の高さを、2・3メートルと予報して、実際に来た10メートル超の大津波で、大量の死者を出したのに、過失致死にも問われない、気象庁の役人みたいではないですか。
その言い訳のように、「一人の患者でも、症状は、時間の経過によって、変化するのだ」と書いていますが、それならば、尚の事、裁判に精神鑑定を持ち込むのは、無意味ではないでしょうか? 「犯行時は、精神異常だったが、今は治った」と言えば、みな、減刑された上に、釈放後、閉鎖病棟に収監される事もなく、大手を振って、世間を歩けるわけだ。 そして、またやる。 今度は、もっと、凄い事をやるかも知れぬ。 だけど、鑑定した精神科医は、やはり、責任を負う事はないと・・・。 随分と、虫がいい話ではないですか。
≪事故と心理≫
中公新書 1859
中央公論社 2006年
吉田信彌 著
図書館で借りてきた本。 交通事故が、なぜ起こるかを、心理学方面から分析したもの。 著者は、東北大学の教授で、専攻は、交通心理学。
最初の章に、実際に起こった事故の例が挙げられていて、それに関して、重箱の隅を突くような細かい分析を加えています。 ここまで、心の中を読まれてしまうと、事例になった実在の人物は、いい気はしないでしょうなあ。 この本が世間に出回っている間、自分が起こした事故の事が、無関係な他人にまで、知れ渡ってしまう事もありますし。
最初の章で、週刊誌の記事的な、センセーショナルな雰囲気だったのが、第2章になると、エラー(間違い)の心理学的研究の歴史を、フロイトから説き起こし、急に、学問的になります。 落差が大きいので、そこで脱落する読者が多いらしく、私が借りた本では、第2章から先に、ページをめくった痕が、全くついていませんでした。 痕が復活するのは、最終章です。 つまり、小難しいところを飛ばして、結論だけ読もうという読者が多かったのでしょう。
だけど、この本に、結論と言うほどの結論はありません。 この本を読んで分かるのは、精神分析学が、事故の分析には、まるで役に立たない事や、統計データから結果を読み取るのが、大変、難しいという事、心理テストにまやかしが多い事など、学問の限界を思い知らされる事ばかり。 科学への信頼が深まるどころか、その逆の印象が強いです。
「リスク補償説」や「リスク・ホメオスタシス説」は、面白いと思いましたが、それらも、単純には成立しないと解説されており、白ける事、甚だしいものがあります。 あれも駄目、これも駄目、「交通事故を防ぐ、有効な方策は、安全に対する知見を増やして行く以外にない」と言うわけですが、漠然とし過ぎていて、一般人には、理解し難いです。 もっと、具体的な対策を教えてほしいのですがねえ。
新書本は、入門書だから、素人でも分かるように書いてもらわないと、ついていけません。 読み物として、つまらないのです。 はっきりした結果が出せない分野では、学者として真面目であればあるほど、「これは、こうだ」という断定が難しくなるのは分かりますが、断定まで行かなくても、「これは、こうだと思う」くらいの確かさを示してもらわないと、読む方の興味が萎えてしまうのです。
≪ネガティブ・マインド≫
中公新書 2019
中央公論社 2009年
坂本真士 著
うつという感情を発生させる心の働き(認知)を、「ネガティブ・マインド」と名付け、それに関して、様々な実験や考察を施した内容。 著者は、社会心理学博士。
一応、全ページ、目を通したんですが、どうも、私の興味と重ならないところが多く、あまり、頭に入って来ませんでした。 新書では、よくある事で、気にしない事にします。 「ああっ、こんなんじゃ、本を読んだなんて、言えない。 私は、駄目な人間なんだ」とか思っていると、鬱病になってしまいますから。 それこそ、この本で指摘されているように。
漠然とした印象しか残っていないのですが、同じような事を、何度も何度も、繰り返し説明されたような読後感です。 「自己注目」とか、「内在他者」とか、「自己確証」とか、「事故発生的態度変容」とか、用語がいろいろ出て来て、それらを軸に解説がなされるので、同じ内容が繰り返されているわけではないと思うのですが、なぜか、リピート感覚が拭えないのです。 いくつも出て来る、心理テストや、図表が似通っていて、変化を感じないからでしょうか。
この本のいいところは、鬱病にならないための、予防方法を示している事です。 具体的なアドバイスがあるので、鬱病になりかけている自覚がある人には、実際的に役に立つと思います。 「気晴らし」や、「運動」がいいそうで、それは、私の実体験からも、頷ける対策です。 精神分析や心理学の本では、理論だけ並べて、実践の方になると、「実際の治療は、患者のケースにより、複雑になるので」とか言って、大雑把な事しか書いていないものが多いので、こういう本は、貴重なのでは?
所々に、コラムが挟まれているのですが、その中に、≪巨人の星≫の、星飛雄馬の自己注目意識を分析したものがあり、それは、大変、面白かったです。 私は、原作漫画を読んでおらず、テレビ・アニメを、ボーっと見ていただけだったので、そんなに深い話だったとは、知りませんでした。
≪自我崩壊 【心を病む 不条理を生きる】≫
こころライブラリー
講談社 2007年
岩波明 著
著者は、精神科医。 学者・研究者ではなく、実際に治療に当たっている医師のようで、そのせいか、患者の実例が多く挙げられ、内容も詳しいです。 私が、ここ最近読んだ、同類カテゴリーの本の中では、最も読み易かったです。 何と言っても、ありがたいのは、精神医学理論を、ダラダラ書き連ねた部分がない事ですな。
取り上げられている症状は、「統合失調症」、「パニック障害」、「自閉症」、「トラウマ」、「境界性人格障害」、「多重人格」、「強迫神経症」、「ヒステリー」、「覚醒剤精神病」、「うつ病」などなど。
実例は、患者を仮名にしてあるものの、ほんとに、実例らしいので、生々しく、こんなにも、生きる事に苦しんでいる人達がいると思うと、気分が重く、暗くなります。 完治したように思われる人は、ごく僅かで、それ以外は、「治療を続けているが、なかなか、安定しない」とか、「何ヵ月後に、再発して、再入院した」とか、「リストカットを繰り返している」とか、げんなりするような結果ばかり。
やはり、すっかり、正常と言える状態まで治る例は、多くなさそうです。 もちろん、軽度の内に来院した人は、治り易いわけですが、そもそも、症状が軽い内は、本人も周囲も、進んで、精神科に行こうとは思わないから、手遅れになる割合が多いのでしょう。 さりとて、「境界例」の患者のように、治す手立てがなく、医師を振り回すだけなので、精神科から毛嫌いされている症状もあるらしく、早く行けばいいというものでもないようです。 精神科の領域というのは、厄介な世界ですなあ。
トラウマに関する記述には、蒙を啓かれるところがあります。 一時期の日本社会で、何でもかんでも、トラウマを原因にしてしまう風潮があったという指摘には、大いに頷けます。 つまりその、問題の原因として罪をなすりつけるのに、トラウマという概念は、大変、便利だったわけですな。 著者によると、子供の頃のトラウマが、歳月を経て、大人になってから、精神疾患を引き起こす事はありえず、精神疾患には、別の原因があるのだそうです。
文学作品からの引用が多く含まれているのですが、「覚醒剤精神病」の章で、フィリップ・K・ディックさんの、≪スキャナー・ダークリー≫が出て来たのは、面白かったです。 私が、2013-14年の北海道応援の時に、苫小牧図書館で借りて、読んだ本。 書いた本人が、覚醒剤中毒の後遺症と戦っていたせいで、ストーリー的には、グジャグジャでしたが、こういうところで、引用されて、少しは世の役に立っていたわけだ。
以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2017年の
≪犯罪精神医学入門≫が、3月中旬。
≪事故と心理≫が、3月中旬。
≪ネガティブ・マインド≫が、3月下旬。
≪自我崩壊≫が、4月上旬。
このカテゴリーの本が、もう少し、続きます。 これまでの人生で、精神医学関係の本に取り組んだ事が、何回かあるのですが、多くても、10冊くらい読むと、興味が離れます。 もともと、こういう世界が好きなわけじゃないんですわ、たぶん。
だけど、この種の本を読んできたお陰か、狂人と、そうでない人間の区別は、割と容易につくようになりました。 「そんなの、誰でも分かるだろう」と思うかもしれませんが、そうでもないんですよ。 職場で、ある人物の事を、私だけが狂人だと思っていて、他の人達は、まともな人間として対応しているというケースが、稀にですが、ありました。
一番分かり易いタイプは、被害妄想がある事で、他人からの攻撃に備えて、ナイフや、銃身を切り詰めた猟銃といった武器を持っていたりするわけですが、隠すのではなく、むしろ、見せたがるのが、特徴。 直接、口には出しませんが、「俺は、こういうものを持っているんだぞ。 だから、俺を攻撃すると、ひどい目に遭うぞ」と匂わせて、他人を威嚇しているわけです。
「馬鹿」の一言で片付けられないのが、狂人の怖いところでして、とばっちりを食いたくなかったら、距離を置くしかありません。 ゆめゆめ、「俺は、まともな人間だから、俺とつきあっていれば、あいつも、その内、まともになるだろう」などと思わない事です。 狂人は、相手に合わせないので、まともな人間の影響は受けませんが、その逆はアリでして、まともな人間は、相手が狂人であっても、合わせようとしますから、まともな人間の方に、狂気がうつって行きます。
「最初は、変な奴だと思っていたけど、話してみたら、面白い奴だった」
そういうケースは、割と多くの人が経験していると思いますが、その現象を客観的に分析すると、最初は、相手の事を、異常な人間として警戒していたのに、話す内に、自分の方が、相手の考え方に合わせるようになり、言わば、狂気に慣れる格好で、いつの間にか、会話に違和感を覚えなくなってしまったのでしょう。 自分の方が、狂人に引っ張られている事に、気づいていないんですわ。
私が見た実例では、あるグループに、一人の狂人が異動して来たところ、次第に、その影響が、メンバーに広がって、グループ全体が、非常識な行動を取るようになりました。 他のグループから、「あいつら、最近、ちょっと、おかしい」という見方をされるようになったのです。 ところが、その後、その狂人が、また別の職場に異動して行ったら、もともと、狂人でなかった他のメンバーは、まともな人達に戻って行きました。 狂人の影響というのは、そういうものなのです。
私が、実際に見た狂人は、自分が心の病であるという自覚がなく、精神科の治療も受けておらず、普通の人間として、一般社会で暮らしている人達でした。 自覚があって、治療を受けている患者でも、重大事件を起こすケースは多いようですから、未発覚の狂人が、特段、恐ろしいというわけではないですけど、狂人を狂人として扱わずに、「ちょっと変わっているだけ」くらいの認識でいると、思わぬところで、ぞっとするような被害を受ける恐れがあるのも、否定のしようがない事実だと思います。
≪犯罪精神医学入門≫
中公新書 1796
中央公論社 2005年
福島章 著
図書館で借りてきた本。 実際に起こった、大量殺人事件の犯人を題材にして、精神鑑定について再検証を加えたもの。
大阪教育大学付属池田小学校事件
テキサス大学時計塔大量殺人事件
連続射殺魔事件
池袋通り魔事件
全日空機ハイジャック事件
連続幼女誘拐殺人事件
などが取り上げられていますが、池田小学校の犯人、Tについて、最も詳しく、分析しています。 最初、センセーショナルな書き方がされているので、著者は、ジャーナリストかと思ったのですが、プロフィールを見たら、れっきとした精神医学者で、犯罪者の心理を専門に研究している人だとの事。
面白いといえば、相当には、面白いです。 特に、犯罪の実録になっている部分は、あまりに粗野な犯人の行動に、顔を顰めながらも、引き込まれる感じで、どんどん、ページが先へ進んでしまいます。 大量殺人犯は、計画は立てても、知能的な隠蔽工作とは無縁で、推理小説の犯人とは、まるで重ならないのですが、この引き込まれる感じは、良く出来たミステリーの雰囲気とよく似ています。
犯罪者の精神鑑定が、鑑定する医師によって食い違いが多いという事は、この本でも触れられています。 日本の裁判では、大量殺人犯の精神鑑定で、医師達の意見が分かれた場合、「責任能力あり」という診断を出した方の鑑定結果が採用される事が多いのだとか。 責任能力があれば、死刑を言い渡せるからです。
この本の著者は、それを、問題だと指摘しているのですが、もし、裁判官達が、逆の判断ばかりしたら、それも、問題でしょうなあ。 大量殺人犯が、みんな、死刑を免れてしまうわけですから。 本当に問題なのは、医師達の間で、意見が分かれるという事そのものの方でして、それはつまり、精神鑑定や、その基盤になっている精神医学が、不完全だという事の証明なのではないでしょうか?
地震予知や、噴火予知は、未だに、科学的な予知方法が確立されていない、似非科学の領域に留まっていますが、精神医学にも、それと似たところが、大いにあると思います。 片や、責任能力あり、片や責任能力なしで、真っ向から意見が対立するようでは、同じ学問を修めているとは、到底、言えますまい。 少なくとも、人の命がかかっている裁判で、証拠にできるような、確度の高い診断とは考えられません。 あり・なし、どちらもです。
この著者は、重大殺人を犯す人間の脳には、生理学的な障碍があると考えているようです。 それはそうなのかも知れませんが、そういう論法を取ると、「重大殺人犯は、みな、精神病であって、責任能力はない」という事になってしまい、それでは、殺し得になってしまわないでしょうかね? 大量に殺せば殺すほど、「責任能力なし」の診断を受け易くなるわけだ。
これらの大量殺人犯達が、最も大きな事件を起こす前に、小さな事件をいくつも起こしていて、精神科にかかった経歴があるという事実にも、首を傾げてしまいます。 診断していたにも拘らず、精神科医達が、その人物の危険性を、全く見抜けなかったという事になるからです。 結果がどうなっても、責任を問われない身分というのは、お気楽でいいですねえ。 津波の高さを、2・3メートルと予報して、実際に来た10メートル超の大津波で、大量の死者を出したのに、過失致死にも問われない、気象庁の役人みたいではないですか。
その言い訳のように、「一人の患者でも、症状は、時間の経過によって、変化するのだ」と書いていますが、それならば、尚の事、裁判に精神鑑定を持ち込むのは、無意味ではないでしょうか? 「犯行時は、精神異常だったが、今は治った」と言えば、みな、減刑された上に、釈放後、閉鎖病棟に収監される事もなく、大手を振って、世間を歩けるわけだ。 そして、またやる。 今度は、もっと、凄い事をやるかも知れぬ。 だけど、鑑定した精神科医は、やはり、責任を負う事はないと・・・。 随分と、虫がいい話ではないですか。
≪事故と心理≫
中公新書 1859
中央公論社 2006年
吉田信彌 著
図書館で借りてきた本。 交通事故が、なぜ起こるかを、心理学方面から分析したもの。 著者は、東北大学の教授で、専攻は、交通心理学。
最初の章に、実際に起こった事故の例が挙げられていて、それに関して、重箱の隅を突くような細かい分析を加えています。 ここまで、心の中を読まれてしまうと、事例になった実在の人物は、いい気はしないでしょうなあ。 この本が世間に出回っている間、自分が起こした事故の事が、無関係な他人にまで、知れ渡ってしまう事もありますし。
最初の章で、週刊誌の記事的な、センセーショナルな雰囲気だったのが、第2章になると、エラー(間違い)の心理学的研究の歴史を、フロイトから説き起こし、急に、学問的になります。 落差が大きいので、そこで脱落する読者が多いらしく、私が借りた本では、第2章から先に、ページをめくった痕が、全くついていませんでした。 痕が復活するのは、最終章です。 つまり、小難しいところを飛ばして、結論だけ読もうという読者が多かったのでしょう。
だけど、この本に、結論と言うほどの結論はありません。 この本を読んで分かるのは、精神分析学が、事故の分析には、まるで役に立たない事や、統計データから結果を読み取るのが、大変、難しいという事、心理テストにまやかしが多い事など、学問の限界を思い知らされる事ばかり。 科学への信頼が深まるどころか、その逆の印象が強いです。
「リスク補償説」や「リスク・ホメオスタシス説」は、面白いと思いましたが、それらも、単純には成立しないと解説されており、白ける事、甚だしいものがあります。 あれも駄目、これも駄目、「交通事故を防ぐ、有効な方策は、安全に対する知見を増やして行く以外にない」と言うわけですが、漠然とし過ぎていて、一般人には、理解し難いです。 もっと、具体的な対策を教えてほしいのですがねえ。
新書本は、入門書だから、素人でも分かるように書いてもらわないと、ついていけません。 読み物として、つまらないのです。 はっきりした結果が出せない分野では、学者として真面目であればあるほど、「これは、こうだ」という断定が難しくなるのは分かりますが、断定まで行かなくても、「これは、こうだと思う」くらいの確かさを示してもらわないと、読む方の興味が萎えてしまうのです。
≪ネガティブ・マインド≫
中公新書 2019
中央公論社 2009年
坂本真士 著
うつという感情を発生させる心の働き(認知)を、「ネガティブ・マインド」と名付け、それに関して、様々な実験や考察を施した内容。 著者は、社会心理学博士。
一応、全ページ、目を通したんですが、どうも、私の興味と重ならないところが多く、あまり、頭に入って来ませんでした。 新書では、よくある事で、気にしない事にします。 「ああっ、こんなんじゃ、本を読んだなんて、言えない。 私は、駄目な人間なんだ」とか思っていると、鬱病になってしまいますから。 それこそ、この本で指摘されているように。
漠然とした印象しか残っていないのですが、同じような事を、何度も何度も、繰り返し説明されたような読後感です。 「自己注目」とか、「内在他者」とか、「自己確証」とか、「事故発生的態度変容」とか、用語がいろいろ出て来て、それらを軸に解説がなされるので、同じ内容が繰り返されているわけではないと思うのですが、なぜか、リピート感覚が拭えないのです。 いくつも出て来る、心理テストや、図表が似通っていて、変化を感じないからでしょうか。
この本のいいところは、鬱病にならないための、予防方法を示している事です。 具体的なアドバイスがあるので、鬱病になりかけている自覚がある人には、実際的に役に立つと思います。 「気晴らし」や、「運動」がいいそうで、それは、私の実体験からも、頷ける対策です。 精神分析や心理学の本では、理論だけ並べて、実践の方になると、「実際の治療は、患者のケースにより、複雑になるので」とか言って、大雑把な事しか書いていないものが多いので、こういう本は、貴重なのでは?
所々に、コラムが挟まれているのですが、その中に、≪巨人の星≫の、星飛雄馬の自己注目意識を分析したものがあり、それは、大変、面白かったです。 私は、原作漫画を読んでおらず、テレビ・アニメを、ボーっと見ていただけだったので、そんなに深い話だったとは、知りませんでした。
≪自我崩壊 【心を病む 不条理を生きる】≫
こころライブラリー
講談社 2007年
岩波明 著
著者は、精神科医。 学者・研究者ではなく、実際に治療に当たっている医師のようで、そのせいか、患者の実例が多く挙げられ、内容も詳しいです。 私が、ここ最近読んだ、同類カテゴリーの本の中では、最も読み易かったです。 何と言っても、ありがたいのは、精神医学理論を、ダラダラ書き連ねた部分がない事ですな。
取り上げられている症状は、「統合失調症」、「パニック障害」、「自閉症」、「トラウマ」、「境界性人格障害」、「多重人格」、「強迫神経症」、「ヒステリー」、「覚醒剤精神病」、「うつ病」などなど。
実例は、患者を仮名にしてあるものの、ほんとに、実例らしいので、生々しく、こんなにも、生きる事に苦しんでいる人達がいると思うと、気分が重く、暗くなります。 完治したように思われる人は、ごく僅かで、それ以外は、「治療を続けているが、なかなか、安定しない」とか、「何ヵ月後に、再発して、再入院した」とか、「リストカットを繰り返している」とか、げんなりするような結果ばかり。
やはり、すっかり、正常と言える状態まで治る例は、多くなさそうです。 もちろん、軽度の内に来院した人は、治り易いわけですが、そもそも、症状が軽い内は、本人も周囲も、進んで、精神科に行こうとは思わないから、手遅れになる割合が多いのでしょう。 さりとて、「境界例」の患者のように、治す手立てがなく、医師を振り回すだけなので、精神科から毛嫌いされている症状もあるらしく、早く行けばいいというものでもないようです。 精神科の領域というのは、厄介な世界ですなあ。
トラウマに関する記述には、蒙を啓かれるところがあります。 一時期の日本社会で、何でもかんでも、トラウマを原因にしてしまう風潮があったという指摘には、大いに頷けます。 つまりその、問題の原因として罪をなすりつけるのに、トラウマという概念は、大変、便利だったわけですな。 著者によると、子供の頃のトラウマが、歳月を経て、大人になってから、精神疾患を引き起こす事はありえず、精神疾患には、別の原因があるのだそうです。
文学作品からの引用が多く含まれているのですが、「覚醒剤精神病」の章で、フィリップ・K・ディックさんの、≪スキャナー・ダークリー≫が出て来たのは、面白かったです。 私が、2013-14年の北海道応援の時に、苫小牧図書館で借りて、読んだ本。 書いた本人が、覚醒剤中毒の後遺症と戦っていたせいで、ストーリー的には、グジャグジャでしたが、こういうところで、引用されて、少しは世の役に立っていたわけだ。
以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2017年の
≪犯罪精神医学入門≫が、3月中旬。
≪事故と心理≫が、3月中旬。
≪ネガティブ・マインド≫が、3月下旬。
≪自我崩壊≫が、4月上旬。
このカテゴリーの本が、もう少し、続きます。 これまでの人生で、精神医学関係の本に取り組んだ事が、何回かあるのですが、多くても、10冊くらい読むと、興味が離れます。 もともと、こういう世界が好きなわけじゃないんですわ、たぶん。
だけど、この種の本を読んできたお陰か、狂人と、そうでない人間の区別は、割と容易につくようになりました。 「そんなの、誰でも分かるだろう」と思うかもしれませんが、そうでもないんですよ。 職場で、ある人物の事を、私だけが狂人だと思っていて、他の人達は、まともな人間として対応しているというケースが、稀にですが、ありました。
一番分かり易いタイプは、被害妄想がある事で、他人からの攻撃に備えて、ナイフや、銃身を切り詰めた猟銃といった武器を持っていたりするわけですが、隠すのではなく、むしろ、見せたがるのが、特徴。 直接、口には出しませんが、「俺は、こういうものを持っているんだぞ。 だから、俺を攻撃すると、ひどい目に遭うぞ」と匂わせて、他人を威嚇しているわけです。
「馬鹿」の一言で片付けられないのが、狂人の怖いところでして、とばっちりを食いたくなかったら、距離を置くしかありません。 ゆめゆめ、「俺は、まともな人間だから、俺とつきあっていれば、あいつも、その内、まともになるだろう」などと思わない事です。 狂人は、相手に合わせないので、まともな人間の影響は受けませんが、その逆はアリでして、まともな人間は、相手が狂人であっても、合わせようとしますから、まともな人間の方に、狂気がうつって行きます。
「最初は、変な奴だと思っていたけど、話してみたら、面白い奴だった」
そういうケースは、割と多くの人が経験していると思いますが、その現象を客観的に分析すると、最初は、相手の事を、異常な人間として警戒していたのに、話す内に、自分の方が、相手の考え方に合わせるようになり、言わば、狂気に慣れる格好で、いつの間にか、会話に違和感を覚えなくなってしまったのでしょう。 自分の方が、狂人に引っ張られている事に、気づいていないんですわ。
私が見た実例では、あるグループに、一人の狂人が異動して来たところ、次第に、その影響が、メンバーに広がって、グループ全体が、非常識な行動を取るようになりました。 他のグループから、「あいつら、最近、ちょっと、おかしい」という見方をされるようになったのです。 ところが、その後、その狂人が、また別の職場に異動して行ったら、もともと、狂人でなかった他のメンバーは、まともな人達に戻って行きました。 狂人の影響というのは、そういうものなのです。
私が、実際に見た狂人は、自分が心の病であるという自覚がなく、精神科の治療も受けておらず、普通の人間として、一般社会で暮らしている人達でした。 自覚があって、治療を受けている患者でも、重大事件を起こすケースは多いようですから、未発覚の狂人が、特段、恐ろしいというわけではないですけど、狂人を狂人として扱わずに、「ちょっと変わっているだけ」くらいの認識でいると、思わぬところで、ぞっとするような被害を受ける恐れがあるのも、否定のしようがない事実だと思います。