ゴミ奉行
今回、気分の悪い話なので、今現在、気分があまり良くないという方は、御遠慮ください。 後日改めて、気分が良い時に読んでいただくのは、問題ありませんが、読んだ結果、せっかく良かった気分が悪くなったとしても、当方としては、責任を負いかねます。
7月24日に、母自・前輪と、旧母自・後輪のタイヤ交換をした事は、前回、書きました。 外した古いタイヤは、とりあえず、物置に入れておいたのですが、8月7日の朝、家の外周りの掃除をする前に、物置に入ったら、その日がちょうど、埋め立てゴミの回収日だった事を思い出し、捨てに行きました。
普通は、ゴミ出しの解禁日時である、前日の正午過ぎに、すぐに持って行くのですが、その日の前日は、父の一周忌で出かけており、ゴミ出しどころではなかったので、埋め立てゴミを出すのは、諦めていたのです。 翌日、たまたま、自転車の古タイヤ2本が目に入ったので、それだけでも、捨てて来ようと思い立った次第。 あくまで、「捨てて来よう」であって、「ステテコ用」ではありません。
ところが、最寄のゴミ集積所まで行き、置く場所を決めようと、タイヤ2本を持ったまま、分類表示板を見て歩いていたら、近くにいた、40歳くらいの男が、ニコニコ笑顔で近づいて来ました。 そして、口にした言葉が、あーた、ビックリするじゃありませんか、
「すいません。 タイヤは、捨てられないと思うんですけど・・・」
たぶん、ゴミの片付け当番に当たっている組長なのでしょう。 しかも、ゴミの分別が頭に入っていない、経験の浅い人間と見ました。
私は、無表情で、「いや、車やバイクのタイヤは駄目だけど、自転車のは捨てられるんですよ」と答え、その男が持っていた、自治体発行の、ゴミ出し便利帳を開かせ、「タイヤ」の項を指してやったら、ちゃんと、「タイヤ 自転車 埋め立て①」と書いてあります。 それ見た事か。 言わんこっちゃない。
私が、「埋め立て①ですね」と言って、①の場所にタイヤを置き、立ち去ろうとしたら、その男が、後ろで、「ありがとうございます」と言っていました。 ゴミを出して、礼を言われたのは初めてですが、恐らく、「教えてくれて、ありがとうございます」という意味なのでしょう。
だけど、常識的に考えれば、この場面で、その男が発すべき言葉は、「どうも、すみません。 失礼しました」の方でしょう。 必要なのは、知らない事を教えてもらった「感謝」の言葉ではなく、間違えて、他人をルール違反者扱いした事に対する、「謝罪」の言葉です。
「この場合の『感謝』は、『謝罪』を前提としているから、『謝罪』を含む」というつもりだったのかも知れませんが、それは、その男の頭の中で、一瞬の内に捏ね上げられた屁理屈に過ぎず、実際のところは、「謝罪すると、バツが悪いから、感謝でごまかした」というのが、正解なんじゃないでしょうか。 とにかく、他人に謝るのが、嫌なんだわ。 自分の間違いを認めるのが嫌なんだわ。 一方、感謝の言葉は、それらとは無関係だから、ホイホイ気軽に、口にできたんだわ。
この一件、私には、何の非もないのであって、全て、その男の問題なのですが、どこが問題だったのかというと、自分が、ゴミの分別が完全に分かっていないのに、他人の出し方に文句をつけようとした、その性根でしょう。 最初、ニコニコ笑って話しかけてきたのは、別に、愛想がいいのではなく、「この馬鹿、タイヤなんて持って来やがって。 そんなもん、捨てられるわけがないだろう。 こういう、いい加減な奴には、やんわりと優しく指導してやらなきゃならんな」というつもりだったに違いないのです。 いかにも、そういう話しかけ方だったのですよ。 大人が子供に説教するようなつもりでね。
ところが、私から逆に、「捨てられる」と指摘され、よりによって、自分が持っていた便利帳で、自分が間違っている事を証明されるや、形勢逆転、一瞬にして、自分の方が、「いい加減な奴」になってしまったのです。 「大人に説教される子供」になってしまったのです。 いや、私は、説教なんて、しませんでしたがね。 この男の中で、自尊心が崩壊したのは、想像に難くないです。 私が壊したんじゃありません。 自損自壊ですよ。
だからねー。 便利帳なんて、膨大な項目数があって、市役所の担当者でもない限り、丸暗記なんて、とてもできないんだから、うろ覚えの知識で、デカい事を言うなってんだよ。 他人に駄目出しをする前に、まず、自分の能力を疑えと言うのよ。 自分に絶対の自信がなければ、全くの赤の他人に、こういう事を言えないと思うんですが、言ってしまったんですなあ、この男は。
わざわざ、御丁寧に、便利帳を持って来ているんだから、もし、分別不詳のゴミを持って来た人がいたら、その場で、調べてみればいいんですよ。 自転車のタイヤなら、「自転車」か、「タイヤ」で引けば、10秒もかからずに、分かるんだから。 それを怠って、知りもしないくせに、自信満々で、他人のミスを指摘してやろうなんて考えるから、一生、記憶にこびりついて消えないような、大恥を掻いてしまうんですわ。
私も、他の事で経験がありますが、こういう、他人にちょっかい出して、逆に、やり返されてしまった恥は、ほんとに、一生、記憶に残ります。 関連する事柄があるたびに、思い出して、恥ずかしさに、耳まで真っ赤になります。 他人を舐めてかかるのが、そもそもの間違いですな。
他人事ながら、その男が掻いた大恥は、気の毒なようだねえ。 だけど、こちらも、最初、「ゴミの分別が分からない、いい加減な奴」という扱いをされたのだから、気分は良くないです。 向こうが悪いんですよ、全面的に。 同情するに足りませんな。 自業自得でしょう。 あれで、もし、私の事を逆恨みでもしていたら、呆れる話ですが、そういう可能性もなくはないです。 つくづく、他人は、怖いわ。
たぶん、その男、自転車のタイヤ交換なんて、した事がないんでしょう。 古タイヤが出た事もないから、どうやって捨てるか、考えた事もなかったわけだ。 ところが、その一方で、車やバイクのタイヤを、自治体回収のゴミに出せない事だけは知っていて、そこから、類推して、「タイヤは、全て、駄目だ」と、決め付けておったのでしょう。
そこまでは、仕方ないとしても、便利帳をよく読んでもいないくせに、他人を吊るし上げられると思ったのが、あまりにも軽率。 40歳前後になっても、他人の怖さが分かっていないんですわ。 今まで、そういう姿勢が許される、ぬるい人生を生きて来たんでしょうなあ。 学生時代も、社会人になってからも、周囲を、なあなあで通じる友人知人ばかりで固めて、防壁にして来たんじゃないでしょうか。 近所の人間が、自分の言葉一つで、敵になってしまう事など、想像した事もなかったに違いないです。
そもそも、ゴミ奉行になろうなどという考え方が、間違っています。 感謝されるどころか、睨まれ、憎まれ、恨まれるのが関の山です。 たとえ、ゴミの分別を完璧に把握していたとしても、赤の他人が、ハイハイ素直に、指示なんて聞くもんですか。 近所に住んでいる住人は、互いの立場は対等なのであって、他人の命令を聞いてやる謂れなど、元より、ないからです。 まして、奉行側が、御定法を頭に入れていないようでは、不埒千万、切腹物の大失態ですな。
7月24日に、母自・前輪と、旧母自・後輪のタイヤ交換をした事は、前回、書きました。 外した古いタイヤは、とりあえず、物置に入れておいたのですが、8月7日の朝、家の外周りの掃除をする前に、物置に入ったら、その日がちょうど、埋め立てゴミの回収日だった事を思い出し、捨てに行きました。
普通は、ゴミ出しの解禁日時である、前日の正午過ぎに、すぐに持って行くのですが、その日の前日は、父の一周忌で出かけており、ゴミ出しどころではなかったので、埋め立てゴミを出すのは、諦めていたのです。 翌日、たまたま、自転車の古タイヤ2本が目に入ったので、それだけでも、捨てて来ようと思い立った次第。 あくまで、「捨てて来よう」であって、「ステテコ用」ではありません。
ところが、最寄のゴミ集積所まで行き、置く場所を決めようと、タイヤ2本を持ったまま、分類表示板を見て歩いていたら、近くにいた、40歳くらいの男が、ニコニコ笑顔で近づいて来ました。 そして、口にした言葉が、あーた、ビックリするじゃありませんか、
「すいません。 タイヤは、捨てられないと思うんですけど・・・」
たぶん、ゴミの片付け当番に当たっている組長なのでしょう。 しかも、ゴミの分別が頭に入っていない、経験の浅い人間と見ました。
私は、無表情で、「いや、車やバイクのタイヤは駄目だけど、自転車のは捨てられるんですよ」と答え、その男が持っていた、自治体発行の、ゴミ出し便利帳を開かせ、「タイヤ」の項を指してやったら、ちゃんと、「タイヤ 自転車 埋め立て①」と書いてあります。 それ見た事か。 言わんこっちゃない。
私が、「埋め立て①ですね」と言って、①の場所にタイヤを置き、立ち去ろうとしたら、その男が、後ろで、「ありがとうございます」と言っていました。 ゴミを出して、礼を言われたのは初めてですが、恐らく、「教えてくれて、ありがとうございます」という意味なのでしょう。
だけど、常識的に考えれば、この場面で、その男が発すべき言葉は、「どうも、すみません。 失礼しました」の方でしょう。 必要なのは、知らない事を教えてもらった「感謝」の言葉ではなく、間違えて、他人をルール違反者扱いした事に対する、「謝罪」の言葉です。
「この場合の『感謝』は、『謝罪』を前提としているから、『謝罪』を含む」というつもりだったのかも知れませんが、それは、その男の頭の中で、一瞬の内に捏ね上げられた屁理屈に過ぎず、実際のところは、「謝罪すると、バツが悪いから、感謝でごまかした」というのが、正解なんじゃないでしょうか。 とにかく、他人に謝るのが、嫌なんだわ。 自分の間違いを認めるのが嫌なんだわ。 一方、感謝の言葉は、それらとは無関係だから、ホイホイ気軽に、口にできたんだわ。
この一件、私には、何の非もないのであって、全て、その男の問題なのですが、どこが問題だったのかというと、自分が、ゴミの分別が完全に分かっていないのに、他人の出し方に文句をつけようとした、その性根でしょう。 最初、ニコニコ笑って話しかけてきたのは、別に、愛想がいいのではなく、「この馬鹿、タイヤなんて持って来やがって。 そんなもん、捨てられるわけがないだろう。 こういう、いい加減な奴には、やんわりと優しく指導してやらなきゃならんな」というつもりだったに違いないのです。 いかにも、そういう話しかけ方だったのですよ。 大人が子供に説教するようなつもりでね。
ところが、私から逆に、「捨てられる」と指摘され、よりによって、自分が持っていた便利帳で、自分が間違っている事を証明されるや、形勢逆転、一瞬にして、自分の方が、「いい加減な奴」になってしまったのです。 「大人に説教される子供」になってしまったのです。 いや、私は、説教なんて、しませんでしたがね。 この男の中で、自尊心が崩壊したのは、想像に難くないです。 私が壊したんじゃありません。 自損自壊ですよ。
だからねー。 便利帳なんて、膨大な項目数があって、市役所の担当者でもない限り、丸暗記なんて、とてもできないんだから、うろ覚えの知識で、デカい事を言うなってんだよ。 他人に駄目出しをする前に、まず、自分の能力を疑えと言うのよ。 自分に絶対の自信がなければ、全くの赤の他人に、こういう事を言えないと思うんですが、言ってしまったんですなあ、この男は。
わざわざ、御丁寧に、便利帳を持って来ているんだから、もし、分別不詳のゴミを持って来た人がいたら、その場で、調べてみればいいんですよ。 自転車のタイヤなら、「自転車」か、「タイヤ」で引けば、10秒もかからずに、分かるんだから。 それを怠って、知りもしないくせに、自信満々で、他人のミスを指摘してやろうなんて考えるから、一生、記憶にこびりついて消えないような、大恥を掻いてしまうんですわ。
私も、他の事で経験がありますが、こういう、他人にちょっかい出して、逆に、やり返されてしまった恥は、ほんとに、一生、記憶に残ります。 関連する事柄があるたびに、思い出して、恥ずかしさに、耳まで真っ赤になります。 他人を舐めてかかるのが、そもそもの間違いですな。
他人事ながら、その男が掻いた大恥は、気の毒なようだねえ。 だけど、こちらも、最初、「ゴミの分別が分からない、いい加減な奴」という扱いをされたのだから、気分は良くないです。 向こうが悪いんですよ、全面的に。 同情するに足りませんな。 自業自得でしょう。 あれで、もし、私の事を逆恨みでもしていたら、呆れる話ですが、そういう可能性もなくはないです。 つくづく、他人は、怖いわ。
たぶん、その男、自転車のタイヤ交換なんて、した事がないんでしょう。 古タイヤが出た事もないから、どうやって捨てるか、考えた事もなかったわけだ。 ところが、その一方で、車やバイクのタイヤを、自治体回収のゴミに出せない事だけは知っていて、そこから、類推して、「タイヤは、全て、駄目だ」と、決め付けておったのでしょう。
そこまでは、仕方ないとしても、便利帳をよく読んでもいないくせに、他人を吊るし上げられると思ったのが、あまりにも軽率。 40歳前後になっても、他人の怖さが分かっていないんですわ。 今まで、そういう姿勢が許される、ぬるい人生を生きて来たんでしょうなあ。 学生時代も、社会人になってからも、周囲を、なあなあで通じる友人知人ばかりで固めて、防壁にして来たんじゃないでしょうか。 近所の人間が、自分の言葉一つで、敵になってしまう事など、想像した事もなかったに違いないです。
そもそも、ゴミ奉行になろうなどという考え方が、間違っています。 感謝されるどころか、睨まれ、憎まれ、恨まれるのが関の山です。 たとえ、ゴミの分別を完璧に把握していたとしても、赤の他人が、ハイハイ素直に、指示なんて聞くもんですか。 近所に住んでいる住人は、互いの立場は対等なのであって、他人の命令を聞いてやる謂れなど、元より、ないからです。 まして、奉行側が、御定法を頭に入れていないようでは、不埒千万、切腹物の大失態ですな。