2019/05/26

読書感想文・蔵出し (51)

  読書感想文です。 三島市立図書館の横溝正史作品の内、角川旧版の少年向けを読み終わり、角川新版の発掘短編集、≪喘ぎ泣く死美人≫が一冊あって、その後は、同図書館の、角川スニーカー文庫に移ります。 全て、書庫にしまわれていた本なので、大人向けでも、少年向けでも、借りる時は同じ扱いだったのは、好都合でした。




≪喘ぎ泣く死美人≫

角川文庫
角川書店 2006年12月/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 角川文庫の横溝作品ですが、新版で、22作目に当たるもの。 カバー表紙は、書で、文字は、「泣」。 単行本や文庫に未収録の中・短編を集めたもので、ショートショートも含めて、18作も収録されています。 一作一作、感想を書くと思うと、頭がクラクラするので、ごくごく簡単なものにしようと思います。


【川獺】 約32ページ 
(ポケット 1922年7月)

  池に通い、川獺の妖怪に魅入られていると噂されたいた女が、死体で池に浮かび、続いて、その継母が殺され、更に、村一番の美人までが殺される。 若い和尚が疑われるが、実は・・・、という話。   短い割には、入り組んだ話で、とても、犯人を推理しながら読むなんて事はできません。 山村の池という舞台設定が良いので、ゾクゾク感は、かなりあります。 疎開前にも、こういう作品を書いていたんですねえ。


【艶書御要心】 約16ページ
(サンデー毎日 1926年10月1日)

  人の真似をして、年頃の女性の袂に、自分の名刺を、片っ端から入れて回ったものの、反応がなく、空振りしてしまった青年が、たった一通届けられた手紙につられて、映画館へ出かけて行ったところ・・・、という話。

  新商売のアイデアを先に思いつき、作品に盛り込んだという格好。 その点では、【ネクタイ綺譚】と、同趣向の作品です。 別に、面白くはありません。


【素敵なステッキの話】 約18ページ
 (探偵趣味 1927年7月)

  人から貰ったステッキをなくしたと思ったら、知人達の間を、勝手に持って行かれたり、譲られたりと、一本のステッキが、あちこち、巡り巡って行く話。

  話というほどの話ではなく、「素敵=ステッキ」というダジャレから思いつき、テキトーに捏ね上げたような、軽い話です。 オチのようなものはないので、期待せぬように。


【夜読むべからず】 約12ページ
(講談雑誌 1928年8月)

  片手、片脚、首の順で、もげ落ちるという、特殊な蜘蛛から採った毒を使い、妻の浮気相手を殺そうとする話。

  イギリスが舞台で、出て来るのも、イギリス人です。 こういうのも、あったのか。 現実には存在しない生物や、毒物を、モチーフに使うのは、推理物では、禁じ手ですが、シャーロック・ホームズの短編の中に、例があるせいか、昭和初期くらいの日本では、あまり、気にしていなかったのかも知れません。

  意外な結末が用意してあって、存在しない毒を出さなくても、話にできるような内容ですが、この作品の眼目は、その毒による惨たらしい死に方を描く事にあり、やはり、破格と言わざるを得ません。 ホラーとして読むのなら、問題なし。 そんなに、怖くありませんが。


【喘ぎ泣く死美人】 約16ページ
(講談雑誌 1929年7月)

  幽霊が出る屋敷を買って、住み始めた夫婦。 妻の方が、幻覚を見て、過去に屋敷で行なわれた犯罪の仔細を知る話。

  これも、イギリスが舞台。 イギリス人と、アメリカ人が登場人物です。 ホラーでして、推理小説ではないです。 幻覚の中で、投げ捨てられるのを見た剣が、正気に戻ってから調べたら、その通りの場所から出て来た、という、そこだけ、ゾクっとしますが、そんなに面白いわけではないです。


【憑かれた女】 約90ページ
(大衆倶楽部 1933年10-12月)

  酒の飲み過ぎで、幻覚を見るようになった女が、実際の殺人事件に巻き込まれていく話。

  これだけ、中編。 同じタイトルで、由利先生物に書き改められたものが、他にあるらしいですが、私は、未読です。  戦前の作品とは思えないほど、新しい感じがします。 由利先生どころか、金田一が出て来ても、おかしくないくらい。 戦後に書かれた、金田一物の作品には、この作品から分離して、焼き直したと思われる場面が、幾つも見られます。

  推理小説として、かなり、レベルが高いと思うのですが、探偵役がいないせいか、事件が解決しても、すっきりしない終わり方で、そこが、残念です。


【桜草の鉢】 約11ページ
(信濃毎日新聞夕刊 1939年1月7-10日)

  泥棒が高価なネックレスを隠した桜草の鉢植えを、それとは知らずに買ってきた奥さんの家に、泥棒が取り返しに入ったが、何も見つからなかった。 奥さんが、似た鉢植えを、他の所で間違えて持ち帰った事に、後で気づく話。

  シンプル。 あまり、小説を読まない人なら、面白いと感じるかもしれません。 ショートショートとしては、結末の意外性が、今一つです。


【嘘】 約4ページ
(四国新聞 1947年1月)

  ビルマ戦線で、左胸を銃弾で射抜かれたにも拘らず、生還した男が、復員後、メチル・アルコールを飲んで死んだ。 本人の遺言に従い、解剖してみたら、意外な真相が分かった、という話。

  これは、意外だ。 しかも、ありうる事なので、すんなり、腑に落ちます。 それにしても、軽い話です。


【霧の夜の放送】 約5ページ
(主婦之友 1938年7月)

  殺人事件の様子が、ラジオで中継放送されるのを、殺した本人が聞く話。

  意外は意外ですが、こんな事は、現実には、ありえないので、ホラーの部類に入れるべきですな。 面白くはないです。


【首吊り三代記】 約7ページ
(探偵 1931年5月)

  その家の当主になると、みんな、首を吊って死んでしまう家の、三代目を継いだ男が、恐怖のあまり、自分を殺しそうな奴を、前以て、殺してしまおうとする話。

  わははは! これは、凄い! ショートショートというよりは、小話ですが、とにかく、面白いです。 物凄い皮肉な結末になるのですが、それに気づかなかった主人公が、無茶苦茶、笑えます。


【相対性令嬢】 約6ページ
(文藝春秋 1928年1月)

  二ヵ所に同時に存在しているとしか思えない女性の謎を、相対性理論で、簡単に説明する話。   わはははは! これも、面白い。 謎を、SF的解釈で、強引に説明してしまっていて、話になっていないのですが、とってつけたようなラストに落差があり、大笑いできます。 相対性理論が発表された頃に、書かれたんでしょうかね?


【ねえ! 泊ってらっしゃいよ】 約5ページ
(講談雑誌 1929年4月)

  終電車に乗り遅れ、その後、友人と、知り合いの女性にも置いてきぼりを食わされた男が、最後には、迫って来た娼婦に置いてきぼりを食わせて、逃げる話。

  話になっていません。 よっぽど、締め切りに迫られたんでしょうか。


【悧口すぎた鸚鵡の話】 約4ページ
(新青年 1930年9月)

  利口な鸚鵡を飼っている男爵夫人が、口を滑らして、顰蹙を買い、更に、鸚鵡のおしゃべりで、恥を掻く話。

  つまらない。 アイデアが、生煮えという感じ。


【地見屋開業】 約6ページ
(朝日新聞夕刊 1936年5月21日)

  売れない物書きが、路上でお金を拾う商売に、鞍替えする話。

  横溝さんの初期の短編に良く見られる、珍商売物ですな。 別に、面白い話ではないです。 横溝さん、こういうアイデアばかり思いついていた頃には、小説家でやっていけるかどうか、常に、不安と戦っていたのかも知れませんな。


【虹のある風景】 約9ページ
(近代生活 1929年6月)

  お金を貯めて、ほんの数日だけ、豪華なホテルに泊まり、華族のお姫様を装った事がある女が、そこで知り合った、本物の華族の子息と、虹を見たという思い出を語る話。

  いい雰囲気の話なんですが、ラストが、意外な結末にしようとして、逆に、興を殺いでしまっています。 ほんの数日だけ、貴人の気分を味わうというアイデアは、【角男】でも、使われていました。


【絵馬】 約26ページ
(家の光 1946年10月)

  戦後、岡山県で起きた、老女殺人事件の捜査を進める内に、彼女の故郷の村で起こった、昔の事件まで、芋蔓式に解決してしまう話。

  本物の刑事からの聞き書きという体裁になっていて、「さては、実話か?」と、緊張して読み進めて行くのですが、後ろの方へ行くと、横溝作品らしい展開になり、創作である事が分かります。 それが分かっても、尚、面白いですけど。 金田一を絡ませれば、容易に、金田一物に書き改められるような、濃い内容です。


【燈台岩の死体】 約16ページ
(ポケット 1921年11月)

  燈台の近くで、男が殺される。 神社の神主が逮捕され、否認のまま、懲役判決が出るが、その後、真犯人が分かって、釈放される話。

  ネタバレさせてしまいましたが、この作品の眼目は、誰が犯人かではなく、事件の裏にある相関関係で、人情話を語るところにあり、推理物とは、趣きが異なります。 デビュー作の【恐ろしき四月馬鹿】と同じ年の発表だそうで、最も初期の作品ですから、まだ、どんな話を書きたいか、目標が定まっていなかったのだと思います。

  仮名遣いは新しく改められていますが、漢字の使い方が、いかにも、大正時代という、独特なもの。 慣れないと、読むのに苦労します。


【甲蟲の指輪】 約13ページ
(家庭シンアイチ 1931年7月5日)

  ある青年が、居眠りして乗り越した電車内で、起こしてくれた老婆が急死する。 後になって、それが老婆ではなく、若い映画女優である事が分かる。 彼女の連れで、先に下りた若い男が、青酸カリを盛ったと見られたが、その男の指輪を青年が発見し・・・、という話。

  いろいろと設定が凝っていますが、噛み合っていないというか・・・。 別に、若い女優が、老婆に変装している必要はないのではないかと・・・。 ラストが、取って付けたようなオチになっているのも、感心しません。



≪怪獣男爵≫

角川スニーカー文庫
角川書店 1995年12月/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 外見は、真新しいので、「どうして、こんな本が、書庫に?」と思うのですが、発行年を見ると、もう、四半世紀近く経っているんですな。 この綺麗さを見るに、あまり、借りられなかったんでしょう。

  角川文庫の旧版の方は、同じ書名で、1978年に出ています。 ジュブナイルなので、スニーカー文庫という、少年向けのシリーズに再編したのだと思います。 巻頭に、登場人物を紹介したイラストあり。 イメージ・イラストのページあり。 漫画風のコマ割りをしたページあり。 作中に、数枚の挿絵あり。 カバー表紙絵も含めて、全て、漫画風の絵柄です。

  ネット情報によると、1948年11月に、偕成社から出版されたとの事。 書き下ろしだったのか、雑誌連載だったのかは、不明。


  悪事の限りを尽くして、死刑になった古柳男爵が、脳だけ移植した、ゴリラ風外見となって生き返り、閉じ込められていた孤島から脱出して、かつて、自分を捕まえた、小山田博士への復讐を始める。 小山田博士一族と、等々力警部らが、怪獣男爵の巧緻この上ない企みに翻弄される話。

  推理物ではなく、冒険アクション物。 ただし、冒頭の孤島場面を除くと、舞台のほとんどは、都会の中です。 男爵の屋敷とか、金持ちの大きな屋敷の庭とか、教会とか、精神病院とか、サーカスとか。 江戸川乱歩さんの、少年探偵団の世界に、かなり近い雰囲気。 善玉側で、前面に出て動くのが、小学生、中学生、大学生というのは、いかにも、少年向けという感じ。

  あまりにも、次から次へと、事件が起こるので、纏まった一つのストーリーという感じがしません。 少年向けだったから、飽きられないように、見せ場を分散したのだと思いますが、大人の感覚で読むと、こういうのは、逆に、興味を殺ぐところがありますねえ。 小山ばかり幾つもあって、高い頂上がない登山のようなものです。

  脳の移植が、怪獣男爵誕生の大きな鍵になっているのですが、そういう事は、今の医学でも不可能でして、完全に架空の技術です。 その点は、合理性に拘る横溝作品らしくありません。 横溝さんは、薬剤師の免許を持っていた人で、医学知識は、人並み以上にあったはずですから、そんな事は承知の上で、少年向けと割り切って、SFっぽい設定として取れ入れたのだと思います。

  横溝作品に、サーカスが出て来るという事は、猛獣の脱走が必ずあるわけで、例によって、最後には、みんな、撃ち殺されます。 この作品が書かれた時代、動物の命が、いかに軽く考えられていたかが、よく分かります。 犬でさえ、ペットではなく、家畜に過ぎなかったのだから、猛獣なんて、殺しても一向に構わないと思われていたのでしょう。

  解説が、新井素子さん。 解説というより、感想に近い、軽いもの。 新井さんは、SF作家でして、脳移植が、SFっぽいから、頼んだのだと思いますが、畑違いがもろに出てしまったような内容になっています。 解説で、時事ネタを使うと、歳月の経過に耐えられないという、いい例になっている感あり。



≪幽霊鉄仮面≫

角川スニーカー文庫
角川書店 1995年12月/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 この本も、綺麗。 やはり、あまり、借りられなかったんでしょう。 角川文庫の旧版の方は、同じ書名で、1981年9月に、初版が出ています。 タイトルを見れば分かるように、最初から、子供向けに書かれた話でして、それを承知で借りて来ました。

  ≪怪獣男爵≫と違うのは、戦前発表の作品だという点で、ネット情報によると、1937年4月から、1938年3月にかけて、「新少年」に連載されたとの事。 巻頭に、登場人物を紹介したイラストあり。 イメージ・イラストのページあり。 漫画風のコマ割りをしたページあり。 作中に、数枚の挿絵あり。 カバー表紙絵も含めて、全て、漫画風の絵柄です。


     新聞広告で殺人を予告し実行する怪人、「鉄仮面」によって、二人の男が殺され、三人目が誘拐される。 秘密の金鉱の地図を刺青された二人の女性を巡り、捜査に乗り出した、敏腕記者、三津木俊助と、矢田貝博士、御子柴少年らが、いいように翻弄される話。

  梗概らしい梗概が書けません。 横溝さんは、子供向けの話を書く時には、ありきたりのモチーフを、決まったパターンで羅列して、冒険アクション物に仕立てる事に決めていたようで、手抜きとまでは言いませんが、大人向けとは、完全に別物として、書いていたように見受けられます。

  読書する子供にも、いろいろといまして、こういう、ワン・パターンに近いストーリーを、飽きずに何十冊も読み続ける子もいれば、数冊読むと、見切ってしまい、二度と手に取らなくなる子もいます。 私は、後者だった方で、江戸川乱歩さんの少年探偵団シリーズも、5冊くらいで、やめてしまいました。 大人になっても、その性質は変わらず、やはり、こういうタイプの作品を面白いと感じる事ができません。

  個々の人物の人格を書き込んでいないせいで、この上なく、皮相な人物描写になっているのが、何と言っても、残念なところ。 また、謎を出しておいて、その説明をしていないのも、悪い癖ですな。 二人の女性の背中に刺青で地図が描かれているのですが、この二人の関係について、はっきりした説明がないのは、どうした事か・・・。 もちろん、他の部分から、推測はつきますが、やはり、説明して然るべきでしょう。

  また、袋詰めにされて、海に放り込まれた三津木俊助が、ちゃっかり生きていて、しれっと再登場してくるのですが、どうやって脱出したのか、その説明がありません。 まあ、大体、想像はつきますが、やはり、ちゃんと説明して欲しいところですなあ。 思うに、横溝さんは、「そんな事、いちいち書かんでも、分かるやろ」と判断すると、端折ってしまう、困った癖があったわけだ。

  しかし、日本国内が舞台の間は、まだいいのです。 終盤、モンゴルの奥地に、秘密の金鉱を探しに行くのですが、完全な冒険物になってしまい、もはや、探偵小説ではなくなります。 で、また、犬殺しです。 悪玉が放った追っ手の犬、十数匹を、由利先生や三津木俊助が、ピストルでバンバン撃ち殺し、口まで引き割くのですから、もはや、異常暴力の世界。 ほんとに、動物の命なんて、何とも思っていなかったんでしょうなあ。

  解説がついていますが、この作品の解説にはなっておらず、ほぼ、一般論を述べた随筆です。 解説者は、どうやら、こういう話が好きなタイプの人のようで、真逆タイプの私には、気が知れません。



≪青髪鬼≫

角川スニーカー文庫
角川書店 1995年12月/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 旧版は、1981年9月に出ています。 95年に、スニーカー文庫として、改版したもの。 収録されているのは、長編1、短編3の、計4作。 巻頭に、登場人物を紹介したイラストあり。 イメージ・イラストのページあり。 漫画風のコマ割りをしたページあり。 作中に、数枚の挿絵あり。 カバー表紙絵も含めて、全て、漫画風の絵柄です。


【青髪鬼】 約162ページ
  1953年1月から12月にかけて、「少年クラブ」に連載されたもの。

  新聞に、三人の人間の死亡記事が出るが、本人達は、まだ生きているという、奇妙な事件が起こる。 青い髪の男による犯行と分かり、偽死亡記事に出た三人が、殺されたり、誘拐されたりするのを、探偵小僧・御子柴進と、敏腕新聞記者・三津木俊助、更には、怪人・白蝋仮面までが入り乱れて、活劇を繰り広げる話。

  全体的なアイデアは、【幽霊鉄仮面】と同じです。 昔、お宝を発見した一味の間で、仲間割れが起こり、ひどい目に遭わされた者が、復讐を始めるというパターン。 【幽霊鉄仮面】は、戦前の作品なので、戦後になって、リメイク的に書き改めたのが、この作品なのかも知れません。 髪が青いのは、【迷宮の扉】に出て来る青い髪と同じ理由で、コバルト鉱山での労働によるもの。 

  【幽霊鉄仮面】より、短い分、月並みな見せ場を繰り返される回数が少ないので、楽しんで読めます。 犬も殺されないし。 しかし、地下室で水攻めとか、水上の追跡とか、迷路の洞窟とか、やはり、道具立てが月並みである事に変わりはなく、楽しむと言っても、限界は低いですなあ。

  それにしても、白蝋仮面・・・。 毎度の事ですが、何の為に出て来たのか、よく分からないところがあります。 横溝さんが作った、一種のダーク・ヒーローなのですが、他人に化けられるという特技は、怪人二十面相に似ているものの、キレがないというか、悪人になりきれないところがあり、何とも、中途半端なキャラなのです。


【廃屋の少女】 約24ページ
  作品データ、なし。

  金持ちのお嬢様が、屋敷に入った泥棒に温情をかけて、泥棒の妹の治療費を恵んでやった。 後々、お嬢様が危機に陥った時に、その妹が命を救ってくれる話。

  小説の体裁で書かれていますが、話の基本構造は、恩返し物の昔話に近いです。 ネタバレですが、ラストで、泥棒の妹が、お嬢様の身代わりに死ぬような事はないので、安心して読めます。 そうなっても、おかしくないような流れなのですが、お約束的な、お涙頂戴を避けたのかも知れませんなあ。


【バラの呪い】 約34ページ
  作品データ、なし。

  ある女子高の寮で、ツー・トップの美少女の内、一人が毒殺される。 もう一人の美少女が、犯人の目星をつけるが、なぜか、それを明らかにしようとしない。 その態度を、死んだ美少女の腹違いの妹が、誤解して・・・、という話。

  同じく、女子高の寮が舞台になる、【死仮面】よりも、更にベタベタの少女小説でして、推理小説的な要素は、希薄です。 横溝さんの少女観が、よく表れていると言えば言えます。 この作品に於いては、少女達の世界を描く事に目的があり、ストーリーは、オマケのようなものです。


【真夜中の口笛】 約26ページ
  作品データ、なし。

  夜中になると口笛が聞こえると言っていた姉が、「悪魔の手が・・・」と言い残して死ぬ。 その2年後、妹が、叔父と一緒に投宿していた旅館で、同じように、口笛を聞く。 同じ旅館に泊まっていた青年が、その部屋に張り込んで、「悪魔の手」と、口笛の正体を暴く話。

  シャーロック・ホームズにある、【まだらの紐】の翻案です。 蛇が、蜘蛛に変わっているだけ。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2019年の、

≪喘ぎ泣く死美人≫が、2月9日から、14日にかけて。
≪怪獣男爵≫が、2月16日から、19日まで。
≪幽霊鉄仮面≫が、2月19日から、21日。
≪青髪鬼≫が、2月21日から、24日にかけて。

  スニーカー文庫の横溝作品は、三島市立図書館には、今回の3冊と、あと、≪蝋面博士≫の、計4冊しかありませんでしたが、その他にも、何冊か発行された模様。 いずれも、角川旧版に入っていたものですが、角川旧版の少年向け作品が、全て、スニーカー文庫に移ったというわけではないのかも知れません。

  口絵があり、漫画の1ページも入っています。 たぶん、漫画版があって、そちらから、持って来たんじゃないでしょうか。 JETさんの絵は、好き嫌いが分かれるところだと思いますが、JETさんが、横溝作品が死ぬほど好きという事は、十二分に伝わって来ますし、少年向け作品に限るのであれば、杉本一文さんが作り上げた世界を損なうような事はないです。

2019/05/19

読書感想文・蔵出し (50)

  読書感想文です。 三島市立図書館の、横溝正史作品が続きます。  今回の途中で、同図書館にある大人向けを読み尽くしてしまい、少年向けに移ります。 最初に読んだ、≪迷宮の扉≫が、大人向けとしても通用する作品だったので、読み進めて行ったのですが、二冊目以降は、「やはり、少年向けは、少年向けか・・・」と思うようなものばかりでした。




≪死仮面≫

角川文庫
角川書店 1984年7月/初版 1996年5月/15版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 横溝正史ブームの末期に出された文庫で、ほぼ同じ形で、90年代半ばまで、重版が続いていた事が分かります。 購入されてから、23年経っているものの、書庫にしまっておくのが勿体ないような、綺麗な本。


【死仮面】 約160ページ
  1949年(昭和24年)5月から、12月まで、中部日本新聞社刊、「物語」に連載されたもの。 この作品、地方雑誌の連載だった関係で、その後、行方知れずとなり、中島河太郎さんが発掘したものの、第4回分が欠けていて、なかなか見つからないので、中島さんがその分を補って、出版したとの事。 すでに、その時、横溝さんは亡くなっていて、見せる事ができなかったそうです。 その後、第4回分も発見されて、1988年に、春陽文庫に収められたそうですが、そちらは、私は読んでいません。

  芸妓だった母親から、それぞれ、父親を別にして生まれた三姉妹の内、長女は、父方から名門学校・校長の地位を受け継ぎ、次女も、その学校で教師として働いていた。 三女だけが、母親の元で育ち、その後、食い詰めて、母と共に長女の元に逃げ込んできていた。 その三女が失踪し、岡山に住む美術家の男から、三女を看取ったと言って、そのデス・マスクが届けられた。 次女からの依頼で、事件に関った金田一が、学校の寮を舞台に、錯綜した謎を解いて行く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  160ページあれば、確かに、長編で、それが、数十年ぶりに発掘されたわけですから、当時のファンは、大喜びしたと思うのですが、出来の方は、素晴らしいとは言いかねます。 デス・マスクを道具にしたトリックのアイデアは、【生ける死仮面】のそれと、部分的に重なるものの、腐乱死体と、デス・マスクが、別人のものという点だけで、こちらの話では、デス・マスクが果たしている役割が、かなり薄いのです。

  犯人の目的は、校長を脅迫する事だったのですが、校長は、デス・マスクが誰から送られて来たか、承知しているわけで、犯人側が、岡山の美術家の存在を、なぜ、捏造しなければならなかったのか、それが分かりません。 警察や探偵を騙す為としか思えないわけですが、そもそも、そんな余計な小細工を弄するから、バレるんでしょうが。

  金田一も、出番多く、活躍しますが、サスペンス的な活劇部分も少なくなくて、そちらの中心人物は、女学生の一人です。 この人物、最後になって、学校の正統な後継者という事になるのですが、母親が、殺人犯である事に変わりはなく、金田一の言うように、立派な教育家として、学園を立て直せるとは、とても思えません。 いろいろなところに、無理がある。

  横溝さん、さんざん、筋を捏ねくりまくって、何とか、小説の形にしたものの、どうにも、すっきりせず、「失敗作」のつもりでいたから、発掘して、文庫に収録するのに、消極的だったのかも知れませんな。 晩年に、改稿するつもりだったらしいですが、その前に、筆を取れない健康状態になってしまったのだとか。 他人事ながら、こんな、縺れに縺れてしまった話を、書き直すと思うと、熱が出て来そうです。

  上述したように、この作品には、オリジナル版があるわけですが、途中回が違っているだけだから、ストーリー全体に、大きな異同はないと思います。 わざわざ、読み比べるほど、凄い話ではないです。


【上海氏の蒐集品】 約64ページ
  1980年(昭和55年)7月・9月に、「野性時代」に分載されたもの。 しかし、未発表原稿の一つで、書かれたのは、昭和40年前後と思われるとの事。 ちなみに、昭和40年は、1965年になります。

  戦後、記憶喪失になって、上海から復員して来た男が、絵がうまかった事から、画家をやって、暮らしていた。 やがて、画家は、団地建設用地に、田畑を売って金持ちになった農家の後家の娘と仲良くなったが、その娘には、母親に対して良からぬ魂胆があり、遅れ馳せながら、犯罪を止めようとした画家だったが・・・、という話。

  団地建設の様子は、【白と黒】にも出て来ますが、ほぼ、同じ時期に書かれたのではないかと思います。 【白と黒】は、1960年11月から、1961年12月までの発表ですから、この作品も、その頃に近いでは? 憶測に過ぎませんけど。 団地建設による、見慣れた風景の急激な変容は、横溝さんの心に、少なからぬ衝撃を与えたのだと思うのですが、そうそう、長期間、その印象が続くとも思えないので。

  とにかく、風景描写が細かいです。 冒頭からしばらくは、ストーリーなんて度外視して、団地建設の描写に夢中になっている感じがします。 だけど、読者の方は、そういう光景を見た事がある人ばかりではありませんから、特段、興味がない事を、じっくり読むのは、ちと、辛いですなあ。

  以下、ネタバレ、あり。

  話の方は、正に、取って付けたように、中ほどから、急に進み始めますが、会話が多く、ストーリー性は希薄です。 ラストで、主人公の素性が明らかになるものの、蓋を開けてみれば、割と良くあるパターン。 どちらかと言うと、草双紙的な、安易な結末ですな。 何より、残念なのは、作中人物の誰も、主人公の素性を知らないまま、話が終わってしまう事です。 人の一生を描いているのに、「本当の事は、読者だけが知っている」というのは、何となく、寂しくはないですかね?



≪金田一耕助のモノローグ≫

角川文庫
角川書店 1993年11月/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 横溝正史ブームが終わってから、10年以上経って、出されたわけですが、これも、旧版の内です。 表紙は、最盛期のそれとは、タッチが些か異なるものの、やはり、杉本一文さんの手になるもの。 外見だけでなく、中身も綺麗な本で、ほとんど、読まれない内に、書庫行きになってしまったものと思われます。 1993年では、図書館で横溝作品を借りる人は、減っていたでしょうなあ。

  徳間書店の雑誌、「別冊 問題小説」に、1976年(昭和51年)夏季号から、1977年冬季号まで、連載されたもの。 「金田一耕助のモノローグ」というタイトルですが、中身は、横溝正史さんの、回顧録です。 しかも、半生記といった長い期間を対象にしたものではなくて、1945年3月から、1948年7月までの、3年半に限った内容です。 本文は、122ページくらい。

  なぜ、この3年半なのかというと、横溝さんは、戦争末期になって、東京・吉祥寺から、岡山県の桜という山村へ疎開し、3年半、そこで暮らしていて、その時の思い出を綴ったのが、このエッセイ集なのです。 日記の体裁ではないから、読み易いです。 ただし、一部、他の所へ先に書いた文章からの再録があり、内容が重複していて、まどろっこしいところもあります。

  東京から岡山へ移った、主たる理由が、「島を舞台にした本格推理小説を書く為に、瀬戸内海に近い土地に行ってみたかったから」、というのが、意外。 横溝さんは、戦争が激しくなると、作品を発表できなくなっていたので、東京にいても、意味がなかった様子。 で、親戚から、「疎開して来い」と誘われたのをいい潮に、一家総出、家財丸ごと、引っ越したのだそうです。 鉄道省にコネがある知り合いがいて、家財を運ぶのに、貨車を一輌、借りたというのですが、そういうのも、アリだったんですねえ。 戦争末期だというのに。

  親の出身地が近くだった関係で、余所者扱いを受ける事もなく、「先生、先生」と慕われて、村の人達には、大変良くしてもらったのだとか。 闇で食糧を買うのが嫌で、畑と農具を借り、ジャガイモなどを作っていたらしいです。 結核もちなのに、妙に逞しい。 精神力が横溢していたんでしょうか。

  執筆を始めるのは、戦後から。 この時期に書かれたのが、【本陣殺人事件】、【蝶々殺人事件】、【獄門島】など。 横溝さんが、戦後すぐに、思う存分、本格推理に取り組めたのは、都会から離れた山村にいたかららしいです。 しかし、勝手に書いて、溜めておく事はせず、あくまで、注文が来てから、書いていたというのは、モチベーションの問題なのか、当時の出版事情に合わせていたのか、分かりません。 元編集長だけあって、枚数を注文に合わせるのには、大変、心を砕いていた様子。

  おっと、こんな調子で、内容紹介して行くと、全部書き写す事になってしまいかねないので、このくらいにしておきましょう。 重複にさえ目を瞑れば、とても、読み易い文章で、スイスイと進み、一日で読み終わります。 ただ、この回顧録を楽しむ為には、横溝作品を、かなり読んでからでないと、興味が湧いて来ないと思います。



≪迷宮の扉≫

角川文庫
角川書店 1979年7月/初版 1996年8月/29版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 初版は、横溝正史ブームの後期に出ていますが、この29版は、90年代半ばと、かなり新しくて、旧版は旧版であるものの、カバー裏表紙に、内容説明が書いてあるタイプになります。 裏表紙の下の方に、「汚破損あり 修理不要」のシールが貼ってありますが、勝手に本を修理しようとする利用者向けに書かれたものなのか、図書館の処置分類の為に書かれたものなのか、判断つきかねます。

  長編1、短編2の、計3作収録。 少年向け雑誌に書かれたものであるせいか、旧版にしては、解説が、中島河太郎さんではなくて、作品データが載っていません。


【迷宮の扉】 約196ページ
  戦時中の部下から恨みを買って、姿をくらましている資産家が、シャム双生児として生まれた息子二人を、分離手術の後、互いに憎み合っている、亡妻の兄夫婦に、別々に預け、三浦半島と房総半島の突端に建てた、屋敷で育てて貰っていた。 三浦半島の屋敷で、年に一度、誕生日に訪ねて来る、父親からの使者が殺される事件が起こり、房総半島の屋敷は、火事で全焼する。 父親が都内に建てた左右対称の屋敷に移り住んだ関係者一同が、父親の残した恐ろしい遺言に翻弄される話。

  ややこしい。 こんな梗概では、何がなんだか、さっぱり分かりますまい。 設定だけは、有名長編に負けない複雑さをもっています。 「恐ろしい遺言」というのは、【犬神家の一族】のそれと、酷似しています。 また、双子に、それぞれ、そっくりに作った屋敷を与え、移り住んだ先も、左右対称の建物の両翼という、「病的な公平さ」は、戦前に書かれた、【双仮面】に似ています。

  設定が複雑なだけでなく、そこそこの長さがあるので、描きこみも丁寧で、読み応えがあります。 ただ、半島突端の屋敷が舞台になるのは、最初の頃だけで、主な舞台は、都内の屋敷になり、地方情緒が欠けるのは、いささか、興を殺がれるところでしょうか。 半島突端同士では、あまりにも距離が離れていて、犯罪を行なわせるにも自由が利かぬと思い、途中で、舞台を変更したのかも知れません。

  中学生向けの雑誌に掲載されたらしいですが、それは、解説で知った事で、言われなければ、大人向けの作品と、区別が付きません。 強いて挙げるなら、設定が、あまりにも、図式化し過ぎているところが、リアリティーを損ない、大人向け作品の批評に耐えられないと言えないでもないです。


【片耳の男】 約20ページ
  ある青年が、たまたま、チンドン屋風体の男に襲われていた少女を助ける。 その少女と兄の元に、「父親の遺産を渡すから、訪ねて来るように」という手紙が来て、青年が付き添いとしてついて行ったところ、その相手はすでに事切れており、資産の隠し場所が分からないという下男だけがいて・・・、という話。

  ページ数を見ても分かるように、こくごく、ささやかな作品で、謎解きのアイデア一つだけを元に、小説に仕立てたもの。 ネタバレを断るまでもなく、父親の船の名前が、「北極星」、資産を隠した屋敷の名前が、「七星荘」で、庭に天女の像が、7体配置されていると聞けば、どこに隠してあるかは、子供でも分かります。 まあ、子供向け作品だから、それでいいんですけど。


【動かぬ時計】 約16ページ
  父と二人だけで暮らしている娘に、年に一回、誰とも分からぬ相手から、贈り物が届けられていた。 その中の一つ、お気に入りの金時計が、ある時、動かなくなってしまい、修理するつもりで裏蓋を開けたら、見知らぬ女性の写真が入っていた。 後になって、時計が壊れたのと同じ頃に、その女性が他界していた事を知る、という話。

  おっと、梗概で、ネタバレさせてしまいましたな。 しかし、そもそも、推理小説ではないから、ネタバレも何もありゃしません。 見知らぬ女性は、たぶん、母親なんでしょう。 雰囲気的には、少女小説と言ってもいいですが、別に、主人公が、少年であっても成り立つ話でして、分類に困るところ。

  大変、繊細な心理を扱っているので、当時、これを、子供向け雑誌で読んだ人達は、横溝さんが書いたものと知らぬまま、後年になるまで、はっきり記憶しているんじゃないでしょうか。 そんな事を想像させる作品です。



≪黄金の指紋≫

角川文庫
角川書店 1978年12月/初版 1996年8月/28版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 同じ、1996年8月に出た角川文庫でも、≪迷宮の扉≫では、カバー裏表紙に、内容説明が書いてあったのに、この本では、従来の角川文庫のように、カバーの表紙側の折り返し部分に、内容説明が書いてあります。 どう違うのか、理由が分からない。 

  ≪迷宮の扉≫同様、解説が、中島河太郎さんではないので、作品データが分かりません。 ネット情報では、1951年6月から、1952年8月まで、「譚海」に連載されたとの事。 約228ページの長編1作を、収録しています。 タイトルや、表紙絵から、何となく分かりますが、少年向け、つまり、ジュブナイルでして、大人向けだと思って読み始めると、肩すかしを食います。


  瀬戸内海で船が難破し、岸に流れ着いた青年から、ある人物の指紋が焼き付けられた黄金の燭台を託された少年が、青年の指示に従い、金田一耕助に燭台を送り届けようとするのを、二つのグループが、つけ狙う。 同時に、指紋の主である、元侯爵の孫娘の身柄を巡って、金田一耕助と警察が、怪獣男爵と、丁々発止の騙し合いを繰り広げる話。

  推理小説というより、冒険活劇です。 金田一と等々力警部が出て来るのが、違和感を覚えるくらい。 特に、金田一は、江戸川乱歩の少年探偵団物に於ける、明智小五郎と似たような、というか、それ以上に、活動的な役割を振られており、ピストルまで持って、体を張った活躍をします。 大人向け作品に出てくる金田一とは、全然、イメージが合いません。

  金田一が活躍する一方、燭台を託した青年や、託された少年も、重要人物として、全編で活躍し続けます。 敵も多けりゃ、味方も多い。 その結果、ストーリーには、バラバラ感が強烈ですが、何と言っても、少年向け作品だから、勢い任せで、出たとこ勝負的に、書き飛ばしたのだと思います。 こういう作品に、リアリティーを求めても、仕方がない。 怪獣男爵に至っては、もはや、SFですから。

  ささやかな事ですが、作中に、新幹線が出てきます。 しかし、1951-52年に書かれたのだとしたら、新幹線は、まだ、ありません。 いかに、ネット情報が信用ならないとはいえ、発表が、10年以上ズレるとは思えないので、新幹線が開業した、1960年代半ば以降に、一度、手直しされているのかも知れません。

  こういう作品も、文庫本になって、28版も重ねたという事は、横溝さんの作品なら、どんなものでも読みたいという読者が多かったんでしょうねえ。 名前が売れていない作家になると、まるで売れず、第2版すら出ない場合もありますから、28版というのが、どういう売れ方をしたかが、分かると思います。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2019年の、

≪死仮面≫が、1月26日から、29日にかけて。
≪金田一耕助のモノローグ≫が、1月31日。
≪迷宮の扉≫が、2月5日から、6日。
≪黄金の指紋≫が、2月6日から、9日にかけて。

  ≪死仮面≫の表題作の件ですが、角川文庫に収められた時点では、連載の途中回が見つからず、中島河太郎さんが、想像で復元して補ったものになっています。 その後、本来の途中回が発見されて、春陽文庫の改装版が出た時に、追加で出版されたとの事。

  「その後」といっても、春陽文庫の改装版が出たのは、90年代でして、すでに、20年以上経っており、今では、新刊書が売っていません。 ヤフオクや、アマゾンの中古に出て来る事があるものの、希少なせいか、目を剥くほど高い値段になっています。 同じ春陽文庫でも、旧版なら安く出ていますが、そちらには、≪死仮面≫は入っていません。

  ちなみに、春陽文庫の横溝作品は、20冊ありますが、ほとんどが、マイナーな作品です。 角川旧版と同じ時期に出されたものだから、市場でぶつかるのを避けたんでしょうかね。 旧版のカバー絵は、割と地味なもの。 改装版の方は、スーパー・レアリズム風の絵で、派手です。

  しかし・・・、角川旧版の、杉本一文さんの絵と比べると、何となく、つまらなく見えるから、不思議ですな。 芸術性の優劣と言うより、その方向性が違うと言いましょうか。 角川旧版の絵は、一冊一冊を見ると、エロ・グロなのに、ずらりと並べて見ると、大変、華やかな感じがするのに対し、春陽改装版の方は、一冊一冊は、女性の顔のリアルさが際立ちますが、ずらりと並べて見ると、些か下品な感じがします。

2019/05/12

読書感想文・蔵出し (49)

  読書感想文です。 今回分から、完全に、三島市立図書館の本へ移行しました。 私の家からだと、清水町立図書館も、そこそこ遠いのですが、三島市立図書館は、その1.8倍くらい遠いです。 母自(電動アシスト車)で行くのですが、復路の途中で、バッテリーが切れてしまいます。 車で行かないのは、たかが趣味の為に、ガソリン代を使うのに、抵抗があるから。

  こんな苦労をするのも、沼津市立図書館が、横溝作品を揃えていないからなのですが、無料で借りるものですから、文句の言いようがありません。 リクエストすれば、県内の他の図書館から、取り寄せてくれますが、2週間以上かかります。 大変、面倒臭い。




≪呪いの塔≫

角川文庫
角川書店 1977年3月15日/初版 1996年1月20日/26版
横溝正史 著

  三島市立図書館にあったもの。 蔵書整理がバー・コード化された後で、購入されたからだと思いますが、スタンプの類いは、一切押してありません。 カバーの上に、透明ビニールを貼ってあり、程度は、大変良いのですが、なぜか、書庫に入っていました。 つまり、横溝作品を読みたがる人が、それだけ、減っているという事なのでしょう。

  新潮社が、1932年(昭和7年)4月から、翌年にかけて、刊行した、探偵小説の「書き下ろし長篇全集」、全10作の内、1932年8月に、第10作として、発表されたもの。 他の作品は、他の作家が書いています。 文庫本にして、約390ページもある、堂々たる長編。 戦前、しかも、耽美主義時代より前に、こんな作品があったとは、つゆ知りませんでした。


  軽井沢に滞在していた、探偵小説作家、大江黒潮が、同じく、軽井沢へロケに来ていた映画関係者の面々や、東京から呼び寄せた探偵小説仲間と共に、犯罪推理ゲームを計画する。 そのゲームは、別荘地の近くの、遊戯施設の廃墟内にある、入り組んだ構造の建築物、「バベルの塔」で行われたが、展望台にいた、被害者役の大江本人が、本当に殺されてしまい、更に、犠牲者が続く。 大江に小説のアイデアを与えていた、書かざる探偵小説作家、白井三郎が、東京に戻ってから、謎を解き、真犯人を炙り出す話。

  本格物です。 ただし、犯人側が仕掛けるトリックは、ありません。 探偵側が、謎を解いて行き、犯人を捕らえる為に、罠を仕掛けるだけです。 バベルの塔という、奇妙な建築物を、わざわざ設定した点は、ちょっと、ズルっぽく感じられますが、恐らく、怪奇な雰囲気が欲しいから入れたものであって、これがもし、普通の建物の廃墟であっても、話は成立したと思います。

  驚くのは、小説のスタイルが、大変、洗練されている事でして、「ほんとに、1932年の作か?」と、何度も、解説を見返して確認する事になります。 1970年頃に書かれたと言われても、おかしいと思わないくらい、新しい。 登場人物に和服姿の者が多かったり、煙草の銘柄が古かったり、公衆電話を、「自動電話」と書いたりしているから、大昔の話だと思い出す程度。

  犯人側のトリックはないし、謎も、あっと驚くようなものではないから、傑作と言うわけには行きませんが、ストーリーの語り方が巧みなのは、否定のしようがないところでして、先へ先へと、自然にページをめくってしまう点、横溝さんの長編としては、ダントツなのではないかと思います。

  この「書き下ろし長篇全集」というのは、大急ぎで刊行されたせいで、作家の執筆が間に合わず、代作者を立てる作家が続出したそうですが、もしや、この作品も、誰か、別の人が書いたのではありますまいか? だって、これだけ、新しいスタイルで、本格物を書いた人が、その後から、耽美主義や、草双紙趣味の作品を書きますかね? 【真珠郎】と比べても、こちらの方が、遥かに面白いです。

  これだけ面白いのに、映像化されていないのは、勿体ないですが、恐らく、バベルの塔を作るのに、予算を食われてしまうからでしょう。 だけど、前述したように、普通の建物でも、話は成立しますよ。 もっとも、第二部の方に、見せ場が少ないから、頭でっかちな作品になってしまうと思いますけど。



≪悪魔の家≫

角川文庫
角川書店 1978年3月5日/初版 1993年11月30日/23版
横溝正史 著

  三島市立図書館にあったもの。 これも、90年代に入ってから購入されたもので、程度は良いです。 書庫に入っているのが、残念なくらい。 全7作。 【薔薇王】だけが中編、それ以外は、短編です。


【広告面の女】 約34ページ
  1938年(昭和13年)1月、「新青年」に掲載。

  新聞の広告面に、女の顔が部分ごとに描き加えられて行き、一週間かけて完成すると、それは尋ね人の広告だった。 たまたま、さる子爵の邸内に、その女がいるのを発見した青年が、探りを入れていると、そこから瀕死の重傷を負って逃げ出してきた女が、自分の死体を、ある場所に運んでくれるように言い残して死ぬ。 青年が、その場所に行ってみると、意外な人物が待っていて・・・、という話。

  謎はあるけれど、探偵役はおらず、自然に謎が解けるというタイプ。 人物相関が込み入っている割には、話が短か過ぎで、アイデアを安売りした感がなきにしもあらず。 本来、長編の一部分にすべきアイデアだと思います。


【悪魔の家】 約34ページ
  1938年(昭和13年)5月、「富士」に掲載。

  ある夜、三津木俊助が、たまたま出会った女を、その家まで送って行ったところ、悪魔の姿が浮かび上がっては消えるのを目撃し、その家に住む幼女が、「アクマが来た!」と叫ぶ。 やがて、その家の主人が殺される事件が起こる。 その直前に、主人を訪ねて来た、義足の男が疑われるが、実は・・・、という話。

  金田一物にある、【殺人鬼】の、オリジナル版のようです。 しかし、【殺人鬼】の方には、悪魔の姿は使われておらず、大幅に改作されたというか、一部だけ取り出して、再利用されたような感じです。 ちなみに、【殺人鬼】は、同じ角川文庫で、80ページと、2倍以上の長さがあります。

  悪魔の姿、義足の男、せむし男など、ちょっと、怪奇小説の定番モチーフを揃え過ぎていて、この長さで、消化するのは、無理というもの。 その中でも中心になっている、悪魔の姿というのが、種明かしすると、全くの子供騙しでして、とても、戦後の作品では通用しなかったろうと思われます。 だから、書き換えの際に外してしまったわけだ。


【一週間】 約36ページ
  1938年(昭和13年)6月、「新青年」に掲載。

  ある新聞記者が、特ダネ欲しさに、狂言殺人をデッチ上げようとしたが、それが、本当の殺人事件に発展してしまい、殺人犯役だった男に泣きつかれて、「一週間で、真犯人を見つける」と言ってはみたものの、何の手掛かりもなく・・・、という話。

  シンプルな話で、これといった、捻りもありません。 話が単純な割に、結構、ページ数があるのは、新聞記者の生態を、詳しく描写しているから。 あまり、意味のない情報で、枚数を稼ぐ為に、描き込んだように思えます。 ラストは、取って付けたような纏め方。 もし、新人が、出版社の編集部に、こういうのを持ち込んだら、さんざん説教喰らって、返されるのではないかと思います。


【薔薇王】 約70ページ
  1939年(昭和14年)4月・5月、「新青年」に掲載。

  結婚式をすっぽかして逃げた贋子爵の男を、すっぽかされた女と、たまたま男の逃走を助けてしまった小説家の女が、それぞれ別々に、捜し出したところ、男の意外な正体が判明する話。

  そこそこ長いですが、エピソードを足して、もっと長い話にした方が相応しい内容です。 それも、推理小説ではなく、一般小説として書くべきような話ですなあ。 推理小説として読むと、全然、面白くないです。 上の【一週間】もそうですが、「新青年」は、横溝さんの古巣だから、こういうのでも、通ったんでしょうなあ。


【黒衣の人】 約30ページ
  1939年(昭和14年)4月、「婦人倶楽部」に掲載。 連載なのか、分載なのかは、不明。

  女優を殺した罪に問われ、未決囚として獄死した兄の無実を信じる妹が、4年後、「蓼科高原で知り合った、黒衣の人」から手紙を貰って、殺人事件があった場所へ行ったところ、今度は、4年前に殺された女優の弟子に当たる女が殺されているのに出くわす。 由利先生と三津木俊助が関わり、謎を解く話。

  推理小説としては、相当、不完全です。 「黒衣の人」とか、「ばら撒かれた碁石」とか、モチーフだけ並べておいて、話の本筋とは、全然、関係ないというのは、どうにも、誉めようがないです。 このページ数で、主要登場人物に加えて、由利先生と三津木俊助の二人を動かすのは、きつい。


【嵐の道化師】 約32ページ
  1939年(昭和14年)10月、「富士」に掲載。

  互いの父親が敵同士という、因果な男女が恋に落ち、将来を悲観して、心中しようとしていたところへ、犬が飛び込んできて、異常を報せる。 女の父親であるサーカスのピエロが、男の父親を殺して、逃げたのだった。 たまたま、通りかかった三津木俊助が、由利先生と共に、謎を解く話。

  三津木俊助という男、たまたま、通りかかり過ぎるのでは? それは、スルーするとして、サスペンス仕立てで、川の上での追撃場面もあり、いかにも、由利・三津木物という感じがします。 私は、あまり、好きではないですけど。 トリックは、すり替わり物で、よく使われるタイプ。

  クロという犬が大活躍しますが、戦前の横溝作品に出て来る動物にしては、珍しく、殺されません。 その点は、安心して読めます。


【湖畔】 約18ページ
  1940年(昭和15年)7月、「モダン日本」に掲載。

  S湖畔に現れる、古めかしい服装をした紳士には、日によって性格が極端に変わる特徴があった。 その紳士が、近くにある古着屋に強盗に入り、大金を盗んで逃げたが、翌朝、湖畔のいつもの場所で、宿のどてら姿で死んでいるのか発見された。 一年後、死んだはずの紳士が現れて、秘密を明かす話。

  以下、ネタバレ、あり。

  これも、すり替わり物です。 顔に痣がある時と、ない時で、性格が違うというので、すぐに、似た顔をした人間が二人いる事が分かります。 その点は、些か、分かりやす過ぎで、捻りがありませんが、湖畔の雰囲気を細かく描き込んでいるおかげか、作品の質は、高く感じられます。 推理小説ではなく、哀愁を感じさせる、一般小説として読んだ方が、味わい深いです。



≪人面瘡 【金田一耕助ファイル6】≫

角川文庫
角川書店 1996年9月25日/初版 2008年1月30日/24版
横溝正史 著

  三島市立図書館にあったもの。 書庫ではなく、開架にありました。 角川文庫ですが、1990年代になって、「金田一耕助ファイル」として、再編された本。 表紙は、絵ではなく、書です。 文字は、「面」。 長編は、一冊一作品だから、変わりはないですが、短編集は、再編されると、収録作品が変わり、ややこしくなります。

  長編1、中編2、短編2の、計5作を収録。 内、【睡れる花嫁】は、≪華やかな野獣≫に、【蜃気楼島の情熱】は、≪びっくり箱殺人事件≫にも収録されていて、それらの時に感想を書いてあるので、書きません。


【湖泥】 約106ページ
  1953年(昭和28年)1月、「オール読物」に掲載。 挑戦形式の作品で、推理ファンの三氏が解決部分を推理するという企画だったとの事。

  岡山の山村にある二つの旧家が、息子の嫁にと取り合っていた若い娘が行方不明になり、捜索を経て、湖畔の小屋から暴行を受けた死体が発見される。 小屋に住んでいる男は、暴行は認めたが、殺害はしていないという。 続いて、村長の妻が、やはり、死体で発見される。 若い娘が義眼を入れていた事を手がかりに、金田一が、殺害時刻当時の関係者のアリバイを崩して行く話。

  旧家の争いは、定番のパターン。 しかし、その設定は、殺人事件のそのものとは、直接関係していません。 旧家の争いという設定がなくても、成り立つ話です。 殺人が二つ起こる上に、容疑者が複数で、よくよく注意して読まないと、誰がどう怪しいのか、見失ってしまいます。

  実は、この作品、私の手持ちの本、≪貸しボート十三号≫にも収録されていて、二回くらい読んでいるのですが、冒頭の、湖の上での捜索場面と、死姦された若い娘の死体というのが、ビジュアル的に印象に残っていて、後ろの方は、すっかり、忘れていました。 ややこし過ぎて、記憶できなかったのだと思います。

  古谷一行さんの主演でドラマ化されているそうですが、私は、未見。 「死姦された若い娘の死体」というのは、映像にしたんですかね? テキトーに、ぼかしたとは思うんですが。 事件の中身は複雑なので、2時間もたせる事は可能だと思いますが、やはり、分かり難いのでは?


【蝙蝠と蛞蝓】 約30ページ
  1947年(昭和22年)9月、「ロック」に掲載。

  あるアパートに住む男が、隣に越して来た金田一耕助を、「蝙蝠」と呼び、裏に住んでいる女を、「蛞蝓」と呼んで、どちらも嫌っていた。 ある時、戯れに、裏の女を殺し、その罪を金田一に被せてしまうという小説を書いたが、その後、本当に女が殺されてしまって・・・、という話。

  ほんの小品ですが、金田一が登場して間もない頃の作品であるせいか、洒落が利いていて、読んでいて、楽しい気分になります。 事件の方は、全く、どうという事はないです。 些か、江戸川乱歩さんの短編っぽいかも。


【人面瘡】 約88ページ
  作品データ不明。 この本、角川文庫ですが、90年代になって、再編されたシリーズなので、解説がついていません。 おそらく、旧シリーズを見れば分かると思うのですが、行ける範囲の図書館には置いてない模様。

  岡山の湯治場で、夢遊病の気がある女中が、「妹を二度殺した」という遺書を書いて、自殺を図る。 その脇の下には、人面瘡があった。 やがて、その妹が、近くの淵で、死体となって発見される。 磯川警部と静養に来ていた金田一が、姉妹の過去を調べ、妹を殺した犯人と、人面瘡の謎を解く話。

  以下、ネタバレあり。

  この、妹というのが、曲者でして、まあ、殺されても仕方がないような輩。 事件は、シンプルなもので、話の中心は、その湯治場に流れて来るまでの姉妹の過去にあります。 空襲で焼け出されたドサクサに、身元を隠して、第二の人生を歩み出すというパターンは、日本の推理小説では、よく使われますねえ。

  人面瘡の方は、科学的な説明が施されています。 しかし、それはそれで、気味の悪い話でして、むしろ、ただの皺だった方が、まだ救われる感じがします。



≪首 【金田一耕助ファイル11】≫

角川文庫
角川書店 1976年11月/初版 1986年5月/18版 2003年5月/改版10版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 角川文庫ですが、1990年代になって、「金田一耕助ファイル」として、再編された新装版。 旧版では、【花園の悪魔】が表題作だったらしいですが、収録作品は同じです。 表紙は、絵ではなく、書で、文字は、「首」。 中編4作品を収録しています。


【生ける死仮面】 約70ページ
  発表データ、不明。 新装版には、解説がないものが多いようです。 旧版なら、書いてあると思うんですが、ネットで調べても分かりませんでした。 たぶん、1950年代半ば頃の作品だと思います。

  アトリエで、少年の腐乱死体が発見され、その傍らで、デス・マスクに彩色していた美術家が逮捕される。 デス・マスクから少年の身元が割れ、美術家の男色癖から起こった死体玩弄事件かと思われたが、金田一が、腐乱死体とデス・マスクが同一人物とは限らないと言い出し、等々力警部らが、振り回される話。

  首のない死体物のアレンジで、種明かしまで読んだ後で振り返ると、犯人の頭の良さが分かって、面白いです。 確かに、腐乱死体の傍らで、デス・マスクを愛おしそうに弄っていれば、その死体のデス・マスクだと思いますわなあ。 今なら、DNA鑑定で、すぐにバレてしまいますが、当時は、せいぜい、血液型くらいしか、調べようがなかったですから。

  「自然に起こる性転換」も、モチーフの一つになっていますが、そちらは、なくても、話は成り立ちます。 そちらはそちらで、中心テーマにして、別の話を作った方が良かったのでは? 中編のアイデアの一部として使ってしまったのでは、勿体ない。


【花園の悪魔】 約52ページ
  1954年(昭和29年)2月に、「オール読物」に掲載されたもの。

  東京近郊の温泉宿で、離屋に投宿した女が、宿付属の花園の中で、全裸死体で発見される。 すぐに、女の交際相手の青年が、容疑者として浮かび、指名手配されるが、行方はが掴めず、捜査は滞ってしまった。 1ヵ月半も過ぎた頃、金田一が現れ、等々力警部を、容疑者のところへ案内する話。

  途中から、ひょっこり顔を出した金田一が、等々力警部に、いきなり、謎解きをしてしまうという、妙に胸のすく展開です。 こういう話の時には、金田一が、シャーロック・ホームズ以上の名探偵に見えますねえ。 何せ、出て来た時には、もう、ほとんどの謎が解けているのだから。

  トリックも、謎も、舞台も、短編としては、十二分の内容で、完成度が高い作品です。


【蝋美人】 約90ページ
  1956年(昭和31年)、初出発表。 これも、ネットには出ていなくて、手持ちの春陽文庫「横溝正史長編全集18【蝋美人】」にある、僅かなデータで、発表年が分かるのみです。 「蝋」の字は、本来、旧字。

  名門学校を創設した教育一家に、息子の後妻として入った放埓な映画女優が、夫殺しの嫌疑を受けたまま、失踪する。 一年後、発見された白骨死体に、ある法医学博士が、肉付けして、復元したところ、その顔は、失踪した女優そのものだった。 しかし、その博士が教育一家と遺恨ある関係だった事が分かり、更に、博士本人が殺されてしまう。 金田一が、一年前の事件を、オルゴールの音から解きほぐし、顔復原のトリックを暴く話。

  面白いです。 復元した像のお披露目場面は、大変、ビジュアル的で、横溝作品の面目躍如というところ。 一年前の事件で止まったオルゴールの謎も、鮮やかというほどではないですが、なかなかのゾクゾク感があります。 このページ数で、これだけ、読み応えがあるのは、完成度が高い証拠ですな。

  この作品、古谷一行さん主演、「白蝋の死美人」というタイトルで、2004年に、ドラマ化されています。 女優役は、杉本彩さん。 古谷一行さんのシリーズとしては、終りから二番目という新しさで、新しくなるほど、出来は悪くなるんですが、この作品に限っては、完成度が高いです。 特に、音楽が良い。


【首】 約79ページ
  1955年(昭和30年)5月に、「宝石」に掲載されたもの。

  岡山の山村で、300年前に、一揆代表の生首が曝された岩の上に、一年前、近くの宿の婿養子が、同じように、生首を載せられて、殺された。 その事件を解かせるべく、磯川警部が、休暇と騙して、金田一を誘い込んだところ、今度は、映画のロケに来ていた監督が、生首にされてしまう・・・、という話。

  生首が三つも出て来て、ちと、多過ぎ。 しかし、やはり、三つないと、話が成立しないんですな。 それは仕方ないとしても、宿の部屋の天袋から、書き置きが出て来て、その一部を金田一が、たまたま見つけて、謎解きに繋がるというのは、ちと、偶然が過ぎませんかね。 更に、それに目を瞑るとしても、他人の使った方法で、もう一度、殺人事件を起こすというのは、やはり、リアリティーを欠きますなあ。 300年前ならともかく、現代の警察は、「○○様の祟り」では、そうそう騙されてはくれんでしょう。

  以下、ネタバレ、あり。

  ラストは、第二の生首事件について、不問という事になるのですが、金田一だけならともかく、磯川警部は、立場上、そうはいかんでしょう。 それが罷り通ってしまったら、警察は不要という事になってしまいます。 もっとも、相手が、古狸の磯川警部だったから、そういう談合もありと考えたのかも知れません。 もし、等々力警部が相手だったら、金田一も、腹芸を求めたりしなかったと思います。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2019年の、

≪呪いの塔≫が、1月8日から、11日にかけて。
≪悪魔の家≫が、1月12日から、14日。
≪人面瘡≫が、1月15日から、19日。
≪首≫が、1月23日から、24日にかけて。

  今回の4冊は、全て、カバーが健在でした。 おしなべて、三島市立図書館の本は、程度が良いです。 カバー付きの本は、図書館で購入したら、すぐに、透明ビニールを貼ってしまえば、カバーの劣化を防げるんですが、清水町立図書館の横溝作品は、そういう対策が普及する前に、カバーがボロボロになって、取ってしまったんでしょう。

  横溝作品の角川文庫・新版について、少し補足しますと、≪首≫は、旧版の≪花園の悪魔≫の表題作を換えただけのものですが、≪人面瘡≫の方は、新版になってから再編したもので、旧版では、他の本にバラバラに収められています。

【睡れる花嫁】は、≪華やかな野獣≫に。
【蜃気楼島の情熱】は、≪びっくり箱殺人事件≫に。
【湖泥】は、≪貸しボート十三号≫に。
【蝙蝠と蛞蝓】は、≪死神の矢≫に。
【人面瘡】は、≪不死蝶≫に。

  金田一物の短編は、他にも、いくらでもあるのですが、どうしてまた、ごく僅かの作品だけが、再編されたのかは、不明です。

  新版の作品選択には、首を傾げるところが、他にもあります。 メジャー長編に、≪不死蝶≫が入っていないとか、通俗物で、≪悪魔の寵児≫と、≪幽霊男≫が入っているのに、≪吸血蛾≫だけ欠けているとか、金田一物ではないけれど、評価が高い、≪蝶々殺人事件≫や、≪真珠郎≫が入っていないとか。

  そもそも、当初、22冊限定という枠を嵌めていた上に、「金田一耕助ファイル」などという、シリーズ名をつけてしまったから、選択の幅が狭くなってしまったのであって、22冊に限定しなければならない理由がありますまい。 それが証拠に、後になってから、追加しているのですが、その中には、金田一物でない作品も含まれています。

  追加分の内、≪双生児は囁く≫や、≪喘ぎ泣く死美人≫のように、旧版の発行が終わった後で発掘された作品を纏めたものは、価値がある仕事だとは思いますが、横溝さんの代表的作品群とは言えないので、やはり、アンバランスな感じがします。

  まあ、こんな文句を言い出したら、しまいにゃ、「旧版全部、復刊すべし」という事になり、キリがないのですが。

2019/05/05

読書感想文・蔵出し (48)

  読書感想文です。 清水町立図書館の松本清張作品が、二作。 その後、借り先を、三島市立図書館へ移し、横溝正史作品に戻ります。 清張作品も、面白いと思うのですが、とりあえず、横溝作品の方が、落穂が少ないから、先にそちらを、全て拾ってしまおうという事で・・・。




≪黒の様式≫

新潮文庫
新潮社 1973年9月25日/初版 1975年12月30日/9版
松本清張 著

  清水町立図書館にあった本。 カバーはないです。 新潮文庫の表紙は、この頃から、変わりませんな。 葡萄のマークで。 もっとも、最近は、文庫本を、ほとんど買っていませんから、今も同じかは知りませんけど。

  ≪黒の様式≫は、1967年(昭和42年)1月から、「週刊朝日」に掲載されたシリーズで、その内、3作までが、この文庫本に収録されています。 「中編集」という言葉かないから、短編集になっていますが、長さ的には、みな、中編です。 短編と思って読み始めると、長いので、要注意。


【歯止め】 約88ページ
  遊んでばかりで、大学受験が心配な息子を抱えた母親が、20年前に自殺した姉の元夫に、偶然出会う。 たまたま、息子の担任が、その元義兄の学生時代の事を人伝に知っていて、その話から、姉の死の原因に疑惑を抱く事になり、夫とともに、推測を逞しくして行く話。

  推理小説ですが、かなり、変わっています。 破格、もしくは、異色と見るべきなのか、完成度が低いと見るべきなのか、評価に迷うところ。 推理の内容は、読者に伝わりますが、犯人を問い詰めるわけでもなければ、逮捕されるわけでもなく、ただ、推理をして終わりなのです。

  メイン・テーマは、エディプス・コンプレックスでして、それだけでも、抵抗がありますが、モチーフに自慰行為を盛り込んでいるところが、また、問題。 自慰行為を、頭が悪くなる原因と決めて書いているのは、古い知識ですなあ。 それはまあ、耽り過ぎれば、時間をとられて、成績は落ちるでしょうけど。 1967年頃は、まだ、そういう考え方を残している人が多かったという事なんですかねえ。

  ところが、この作品、船越英一郎さんが、その息子役で、ドラマ化されているのです。 日テレ系の火曜サスペンス劇場で、1983年4月5日放送だったとの事。 私は、再放送で見ているのですが、なんと、大きな川の河川敷のような所で、息子が自慰行為をするという、あっと驚く場面がありました。 原作にない場面なんですが、それでなくても問題がある原作を、もっと問題があるドラマにしようとしたんですかねえ。 気が知れません。


【犯罪広告】 約92ページ
  失踪したと言われていた母親が、実は再婚相手の男に殺されたに違いないと気づいた青年が、すでに殺人の時効が過ぎていた事から、元義父が住む村に戻り、その罪状を細かく書いた犯罪広告を、村中に配布する。 母親の遺体は、元義父の家の床下に埋められていると主張し、警察や村人立会いの下に、床下を掘るが、死体は出て来ない。 ところが、その夜から、青年の姿が見えなくなり・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  これも、変わっていますが、犯罪広告から始まる出だしだけで、その後は、割と普通の展開になります。 「○○を、どこに隠したか」というタイプの謎。 この作品の場合は、死体です。 青年の推理が、2回も間違えるのですが、そこが面白いとも言えるし、そこが白けるとも言えます。 さすがに、2回間違えると、信用できなくなりますから。 3回目で当てるのですが、もう手遅れ。

  犯人が誰かは、最初から明々白々で、それが最終的に逮捕されるのは、まあ良いとして、主人公が途中で殺されてしまうので、読後感が、非常に悪いです。 善悪バランスがとれていないわけだ。 わざと、バランスを崩したのだと思いますが、そういう面で、破格をやられても、面白いとは感じません。

  この作品は、1979年1月20日、テレビ朝日系の土曜ワイド劇場で、ドラマ化されています。 初放送の時に見ましたが、私はまだ、中2でした。 「ウミホタルだーっ! ウミホタルが出たぞーっ!」と人々が叫ぶ、冒頭の宣伝専用場面を覚えています。


【微笑の儀式】 約112ページ
  ある法医学者が、奈良の古刹で出会い、一緒に仏像の微笑について論じた彫刻家が、その後、展覧会に、女の顔の像を出品して、話題になった。 会場に来ていた保険会社の男から、その像にそっくりな顔をした女が最近殺されたと聞いて、法医学者が事件について調べて行く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  「笑っているような死に顔」が、謎でして、それは、あるガスを吸った効果によって、そうなるのですが、まず、そこから発想して、前の方へ肉付けして行って、作り上げた話だと思います。 それが分かってしまうと、ちと、白けます。 冒頭の、奈良の古刹の場面が、推理小説らしくない、美学的な雰囲気で、趣きがあるだけに、ラストが、単純な謎で終わっていると、物足りなさを感じるのです。

  感心しないのは、水増しが見られること。 法医学者は、顔馴染みの刑事を始め、複数の人物から、捜査報告を聞くのですが、同じ事項に関する報告を、別の人物から、もう一度聞く事があり、普通は、「内容は同じであった」で済ませるところを、わざわざ、全部繰り返していて、それだけで、1.3倍くらい長くなっています。

  こういうのは、アリなんですかね? 編集者は、OKしたわけですが、もし、デビュー間もない新人が、こういう書き方をしたとしたら、問答無用で、没でしょう。 「おいおい、なめとんのか?」と言われてしまいそうです。 作者が、実績十分の売れっ子だから、許されたわけですな。

  この作品も、ドラマで見た記憶があり、内藤剛志さんが彫刻家役をやったのがそうではないかと思っていたのですが、調べたら、やっぱり、それでした。 法医学者役は、役所広司さんだったらしいですが、忘れていました。 初放送は、1995年3月7日で、日テレ系の火サス。 これは、初放送の時にも見たし、再放送でも見ています。



≪点と線≫

新潮文庫
新潮社 1971年5月25日/初版 1981年10月30日/41版
松本清張 著

  清水町立図書館にあった本。 カバーは、なし。 寄贈本です。 「清水町公民館図書館 昭和59年4月21日」のスタンプあり。 昭和59年は、1984年。 つまり、1984年までは、清水町立図書館は、存在していなかったわけだ。 長編1作、収録。

  ≪点と線≫は、1957年2月から、1958年1月にかけて、雑誌「旅」に連載されたもの。 タイトルだけは、知っていましたが、1958年の映画版は、冒頭しか見ておらず、2007年のドラマ版を見て、「ああ、時刻表トリックの話なのか。 それにしては、随分と、人間ドラマの尾鰭が多い事よ」と思った程度でした。


  福岡県の海岸で男女二人の死体が発見され、心中として処理されかけるが、死ぬ前に、男が一人で食事をしていた事を知った所割刑事が、心中説に疑問を抱く。 東京からやって来た警視庁の警部補が、その話を聞き、二人の仲や、背景を調べる内に、怪しい人物が浮かび上がるが、その男には、しっかりしたアリバイがあった。 公共交通機関を使った時刻表トリックを、一進一退しながら、突き崩して行く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  面白いです。 ただし、時刻表トリックを使った推理小説が、まだ少ない時代に書かれた物であるという事を念頭に置いて読まないと、ピンと来ません。 つまり、正確に表現するなら、「おそらく、発表当時に読んだ人達は、これ以上ないくらい、面白かっただろうなあ」と思われる、という事になります。

  この作品、有名な割に、2回しか映像化されていないのですが、その理由は、簡単に見当がつきます。 この作品の後、いろんな作者が、時刻表トリックを使った推理小説を大量に書くようになり、新味がなくなってしまったんでしょう。 時刻表トリックだけで、全編埋められているような作品だから、そのまま映像化しても、「ああ、こういうのね・・・」という感想が出るだけ。

  だから、ドラマ化した時には、刑事側の人間ドラマまで盛り込んで、肉付けしたわけだ。 私は、それを、尾鰭と感じたのですが、原作にはないのだから、ほんとに、尾鰭だったわけです。 ドラマのクライマックスは、犯人が、鉄道だけでなく、飛行機も使った事に、刑事達が気づく場面でしたが、あまりにも大時代過ぎて、呆れてしまい、そこから後ろは、真面目に見るのをやめて、他の事をしながら、音声だけ聞いていました。

  一番、ゾクゾクするポイントは、東京駅のホームで、死んだ二人が九州行きの夜行列車に乗る様子を、別のホームから、二人の知り合いに目撃させるというところです。 間に、他行きの列車が停まっている事が多く、4分間しか見通せない事から、目撃者に、完全な偶然だと思わせられる、というのが、実によく考えてあります。 松本清張さんは、推理小説を書くに当たって、トリックよりも、謎よりも、ゾクゾクするシチュエーションを考案する事に、最もエネルギーを注いでいたと思われます。



≪真珠郎≫

新版 横溝正史全集 1
講談社 1975年5月22日/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった単行本。 カバーは、なし。 「三島市立図書館 蔵書 昭和52年11月30日 登録」のスタンプあり。 昭和52年は、1977年。 今の三島図書館は、割と新しい建物の中に入っていますが、この当時は、どこにあったのか、全く不詳です。

  新版全集の第一冊ですが、一体、横溝さんの全集というのは、何種類あるんでしょう? いずれも、全集と言いながら、収録しているのは、有名な作品だけ、もしくは、マイナーな作品だけという、偏った物が多いように感じられます。 図書館の蔵書用に、全作収録した、本当の全集を、どこか、出してくれればいいのに。

  表題作の【真珠郎】が長編、【芙蓉屋敷の秘密】が中編、それ以外は、初期の短編12作を収録していて、全部で、14作です。 その内、【恐ろしき四月馬鹿】、【丘の三軒家】、【悲しき郵便屋】、【広告人形】、【飾窓の中の恋人】、【犯罪を猟る男】、【断髪流行】の7作に関しては、角川文庫版、≪恐ろしき四月馬鹿≫で、感想を書いているので、こちらでは、触れません。


【山名耕作の不思議な生活】 約16ページ
  1927年(昭和2年)1月、「大衆文芸」に掲載。

  突然、安い下宿に引っ越して、病的なまでの倹約生活を始めた男が、それが原因で仲違いしてしまった友人に、そんな生活を始めた、そもそもの理由と、皮肉な結末について、語る話。

  O・ヘンリーの短編的な話。 タイトルが興味を引くので、どんな話かと思っていたら、大した話ではありませんでした。 単なる倹約生活であって、不思議というほどではないです。 皮肉な結末も、こういう流れならば、当然、そうなるであろうという予測がつくもの。


【川越雄作の不思議な旅館】 約12ページ
  1929年(昭和4年)2月、「新青年」に掲載。

  かつて、友人に夢を語っていた男が、奇妙な旅館を経営し始め、友人を招待して、あっと驚かせる話。

  タイトルだけ見ると、【山名耕作】と対になる作品かと思ってしまいますが、内容は、まるで無関係で、登場人物も共有していません。 【山名耕作】は、それでも、O・ヘンリーの短編風で、小説的でしたが、こちらは、出来の悪い落語的な、軽いオチです。 


【芙蓉屋敷の秘密】 約68ページ
  1930年(昭和5年)5月から8月まで、「新青年」に連載。

  白鳥芙蓉という女性が、自分の屋敷で殺される。 犯人が落として行ったと思われる帽子を手がかりに、探偵・都筑欣哉が、謎を解いて行く様子を、その友人の小説家が書き留めた話。

  本格推理物。 解説によると、この頃に横溝さんが書いていた本格物は、大変、珍しいとの事。 探偵と小説家のコンビは、ホームズ物以来、定番化していたわけですが、この作品に出てくる二人は、ホームズとワトソンというより、ファイロ・ヴァンスと、ヴァン・ダインに、圧倒的に近いです。 ≪ベンスン殺人事件≫の発表が、1926年ですから、この作品が出た1930年は、ファイロ・ヴァンス物の黄金期でして、もろに、影響を受けたものと思われます。

  ただ・・・、作品の出来は、あまり良くありません。 本格物をどう書いていいのか、どういう風に語れば面白くなるのかが、まだ掴みきれていなくて、謎の材料だけ並べて、終わってしまった感があります。 この頃には、横溝さん自身が、本格物を読むのに、あまり、面白さを感じていなかったのかも知れません。


【ネクタイ綺譚】 約12ページ
  1927年(昭和2年)4月、「新青年」に掲載。

  自分には不釣合いに美しい女優と結婚した男が、黄色いトンボ型ネクタイの広告戦略に絡んで、一儲けする話。

  この梗概では、ネタバレになってしまいますが、ネタバレを気にするほど、中身が濃くないから、いいでしょう。 儲けるのはいいけれど、これでは、自分の妻の性的魅力を、切り売りしている事になりませんかね? ちょっと、釈然としないところがあります。


【あ・てる・てえる・ふいるむ】 約14ページ
  1928年(昭和3年)1月、「新青年」に掲載。

  後妻に入った女が、夫と映画を見に行った後、夫が失踪してしまう。 やがて、映画の中で、夫が何を見たのか、夫の前妻が、なぜ死んだのかが分かって、戦慄する話。   映画の中で、ある場面を見た事から、過去の犯罪が露見するというのは、松本清張さんの作品でよく使われるパターンですが、こちらの方が、先に書かれていたわけですな。 しかし、では、横溝さんのアイデアなのかというと、それは分からないのであって、もっと以前に、他の作家によって、使われた例があるかもしれません。


【角男】 約8ページ
  1928年(昭和3年)3月、「サンデー毎日」に掲載。

  「清朝の王族」と名乗って、高級ホテルに投宿した三人の内、雇われていた一人が、たまたま、ある見世物小屋で、自分を雇った二人が、見世物になって出演しているのを目にし、理由を聞いて、驚く話。

  これも、【山名耕作】と、同じようなアイデアです。 短か過ぎて、趣きを欠きます。


【真珠郎】 約108ページ
  1936年(昭和11年)10月から翌年2月まで、「新青年」に連載。

  浅間山近くの湖畔の館に、しばらく投宿する事になった二人の青年学者が、浅間山が噴火した日に、美少年が、館の主を殺す場面を目撃する。 美少年の正体は、館の主によって、生まれた時から蔵に閉じ込められ、血も涙もない殺人鬼に育てられた「真珠郎」という男だった。 その後、主の姪が、青年の一人と結婚し、東京に出て来るが、そこにも真珠郎が現れて、凶行を重ねて行く、という話。

  耽美主義と、草双紙趣味の作風でして、ストーリーだけ書けば、20ページくらいで終わってしまう内容なのですが、そこを、耽美主義的な、細かい描写で、おどろおどろしく膨らませて、長編に引き伸ばしています。 こういうのが好きな人には、読み応えがあると思いますが、私は、どうも・・・。

  一方、草双紙趣味の活劇調も全開でして、真珠郎が暴れるアクション場面はもちろんの事、舞台設定が半端ではなく、洞窟内を流れる川の中洲は、まあいいとしても、浅間山の噴火まで出て来るとなると、もはや、サスペンスと言うより、スペクタクルですな。 更に、首のない死体物という、本格推理も盛り込んであるのですが、そちらは、ちと、テキトーで、オマケ程度です。

  由利先生が登場するものの、ちょっと謎解きの解説をする程度。 本格物として読む場合、弱いのは、謎解きを明確に行わずに、「このくらい書いておけば、分かる読者は、分かるでしょ」といった、放り出し方をしてある点です。 戦前の横溝さんは、ラストで、謎解きを細々解説するのを、鬱陶しいと思っていたのではないかと想像されます。

  この作品、何度か、ドラマ化されています。 1978年、≪横溝正史シリーズ Ⅱ≫の第2話。 2005年、≪名探偵・金田一耕助シリーズ≫の第32話。 どちらも、古谷一行さんが金田一役で登場しますが、原作には、金田一は出て来ません。 1978年の方は、割と原作に近く、2005年の方は、原形を留めていない感じ。 1983年にも、小野寺昭さんが金田一役で、ドラマになっているようですが、私は、未見です。

  最後に、ネタバレ。 これから、この作品を読もうと思っている人は、この先、読まないでください。

  この話の面白さは、「話の中心人物であるはずの真珠郎が、実は、一連の事件が起こる数年前に、死んでいる」という点にあります。 何とも皮肉な話でして、主人公は、死んだ人間の影に怯えていたわけですな。 もっとも、真珠郎以上に凶悪な、真犯人がいるわけですが・・・。



≪不死蝶≫

東京文藝社 1972年10月10日/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった単行本。 カバーは、なし。 「三島市立図書館 蔵書 昭和47年11月25日 登録」のスタンプあり。 昭和52年は、1972年。 発行されて、すぐに、図書館で購入したわけだ。 半世紀近く経っているだけあって、もう、ボロボロ。 中ページは外れるわ、破れはあるわ。 極め付けに、後ろの方の数ページに、タイヤ痕だか靴痕だか、黒いトレッド・パターンが付いています。 どうやりゃ、図書館の蔵書に、こんな痕が付くのよ?

  1953年(昭和28年)6月から11月まで、雑誌「平凡」に連載されたもの。 単行本にする際、加筆されたそうです。 この本には、解説がなくて、ネット情報に拠りました。 ページ数は、約330ページですが、この本は、文字が大きく、行間も広いので、文庫版なら、もっと、少なくなるかもしれません。


  信州・射水にある矢部家の当主から、23年前に、次男を殺して逃げた女が、対立する玉造家に滞在している、ブラジルのコーヒー王の養女の母と同一人物かどうか調べるよう依頼された金田一が、両家の間で長年続いている愛憎入り乱れた怨讐を感じながら、両家の間にある鍾乳洞を舞台に起こる、連続殺人事件に挑む話。

  横溝作品には良く出て来る、鍾乳洞や洞窟ですが、この作品では、8割くらいのページ数が、鍾乳洞内の描写に割かれていて、【八つ墓村】や、【迷路荘の惨劇】よりも、更に、地底色が強いです。 横溝さんは、洞窟のもつ不気味な雰囲気を、こよなく愛していたんでしょうねえ。 しかし、鍾乳洞内ばかりなので、舞台変化に乏しく、ちょっと、食い足りない感じもします。

  トリックあり、謎ありで、本格物としても充分な資格があるのですが、語り方が、冒険物のそれでして、会話も多く、ページが、スイスイ進みます。 その点では、この作品のすぐ後から書き始められる、【幽霊男】などの「通俗物シリーズ」と同じですが、この作品では、露悪的な部分が見られず、「戦後は、本格一本で行こう」と決めた気持ちが、まだ残っている頃に書かれたのだと思います。

  二つの旧家の対立というのは、横溝作品の地方物では、定番化していますが、この作品は、意識的に、≪ロミオとジュリエット≫をモチーフにしていて、なんと、ロミオとジュリエット的な関係になる男女が、4組も出て来ます。 明らかに、多過ぎで、そんなに両家で愛し合う者が多いのなら、いっそ、一つの家になってしまえばいいのにと思います。 そういえば、神父が手助けするのも、≪ロミオとジュリエット≫から、戴いているんでしょうなあ。

  古谷一行さんが金田一役で、2回、ドラマ化されていて、1978年の、≪横溝正史シリーズ Ⅱ≫第4作の方は、再放送で見た事があります。 しかし、覚えているのは、竹下景子さんが、鮎川マリ役だった事と、植木等さんが演じた宮田文蔵が、追い詰められて、底なし井戸に飛び込む場面だけ。 ドラマでは、外の場面の方が多いので、鍾乳洞物だという事さえ、忘れていました。

  横溝正史ブームの頃に売られていた角川文庫版の、杉本一文さんの表紙絵が、「夜の蝶」を連想させる、ちょっと、淫猥な感じがする絵でして、それに惹かれて買ったという人もいると思うのですが、内容に、淫猥な部分は、皆無・絶無です。 殺害方法にも、派手なところはなくて、作品全体の雰囲気は、むしろ、品がいい方。




  以上、四作です。 読んだ期間は、去年、つまり、2018年から、今年、つまり、2019年に、跨ぎます。

≪黒の様式≫が、12月20日から、24日にかけて。
≪点と線≫が、12月24日から、26日。
≪真珠郎≫が、12月28日から、2019年1月4日。
≪不死蝶≫が、1月5日から、1月6日にかけて。

  松本清張作品と、横溝正史作品を比較して、どちらが面白いかという切り口で批評をする人がいますが、私は、どちらも面白いと思います。 というか、一方を読んで、もう一方を読まないというのは、勿体ない話。 脱出不可能な無人島に、どちらか一方の作品集だけを持っていけるとしたら、横溝さんの方になりますが、それは、好みレベルの問題でしょう。

  それにしても、1976年に、横溝正史大ブームが起きた時、横溝さん本人を別として、一番驚いたのは、松本清張さんと、その系譜を継いでいた社会派推理作家の面々だったでしょうなあ。 「えっ! これから、横溝さんに戻るの?」と、愕然としたと思います。

  角川書店による、横溝作品リバイバルの仕掛けは、70年代初頭から始まっていて、社会派推理作家の面々は、「何やってんだか・・・。 今時、そんな古いもの、売れるわけがない」と、冷笑的に見ていたと思うのですが、≪犬神家の一族≫の映画公開を起爆剤に、ドカドカと売れ始め、最終的に、5500万部。 心底、たまげたと思いますねえ。 自分が立っている大地が裂けて、呑み込まれる心地がしたんじゃないでしょうか。

  とはいえ、松本清張さんの作品は、横溝大ブームの間中も、その後も、コンスタントに高い人気を保ち続け、ドラマを中心に、映像化も続いたので、やはり、ガッチリとファンを掴んでいたんですな。 実績的に見ても、どちらがより優れているかという比較は、意味がないと思います。