2020/10/25

バイク生活復活後一年

  そろそろ、「EN125-2Aでプチ・ツーリング」のシリーズを再開しようと思ったのですが、週一のペースで出かけているせいで、少々、行った先が溜まり過ぎまして、一回当たり、組み写真4枚程度出すペースでは、永久に、一段落しないのではないかと思われ、全部出すのは、とりあえず、断念しました。




  中古のEN125-2Aを、ヤフオクで落札し、埼玉県北部のバイク店から購入したのが、去年の、9月の事。 補修と並行して、乗り始め、程なくして、週一回のペースになり、すでに、一年が経過しました。 出かけた先を列挙しますと、


【2019年】

9月 5日 落札 ■
9月17日 届く 手続き ■
9月21日 初乗り ●
9月26日 青山ダイソー ●
9月30日 給油 ワークマン ●

10月 6日 蛭ヶ小島 / 江川邸
10月10日 ステム・ベア交換後の試し乗り ●
10月16日 ダイソー巡り ●
10月20日 日金山 / 十国峠
10月26日 ナガシマ巡り ●

11月 2日 図書館 / マックスバリュ沼津南店 ●
11月 6日 達磨山レストハウス / 達磨山
11月12日 愛鷹山麓 水神さん
11月16日 長泉町森林公園
11月23日 給油 ●
11月29日 図書館 / 銀行 ●

12月 6日 市立病院下見 ●
12月12日 早霧湖(不着)
12月20日 早霧湖
12月27日 休場遺跡


【2020年】

1月 4日 八畳石 / 赤野観音 / ネオパーサ駿河湾沼津下り側
1月 9日 富士竹類植物園(門前)
1月16日 妙法華寺
1月22日 火雷神社 / 不動滝 / メルヘンの里 / 酪農王国オラッチェ
1月30日 かんなみスポーツ公園

2月 7日 元野牧
2月11日 原の史跡
2月19日 馬渡橋 / 山田川自然の里
2月27日 西浦河内・禅長寺の頼政堂 / 菖蒲塚

3月 5日 元野牧再挑戦
3月13日 伊豆長岡・駒形古墳
3月21日 夏梅木・八王子神社
3月25日 大場・赤玉神社

4月 2日 三島・幸原・耳石神社
4月10日 拓南神社
4月16日 弘法大師堂
4月19日 眠らせる ■

5月20日 弁天島
5月27日 大場・神明神社

6月 4日 函南・馬坂神社
6月10日 長泉 三神社
6月16日 愛鷹山・三神社
6月24日 長岡・二溜池

7月 2日 愛鷹広域公園
7月12日 日緬寺 / 長岡
7月16日 図書館 / 本能寺
7月22日 沼津エスポット / 江原公園

8月 2日 浮島ひまわりらんど
8月 7日 三島・加茂川神社 / 清掃センター下
8月13日 長岡・長瀬ダム
8月19日 愛鷹明神中宮
8月29日 洋ランパーク跡 / 白石の石棺

9月 4日 三島・駒形神社 / 龍澤寺
9月11日 門池・天王宮 / 西友 / マックスバリュ沼津南店
9月18日 清水柳北1号墳
9月22日 門池・八幡神社 / 池田明神 / 牧堰
9月30日 西浦木負・鮑玉白珠比咩命神社 / 消波堤


  その後も、出かけていますが、とりあえず、一年分という事で、切りのいいところで、9月末の分までにしておきます。 「■」は、出かけた先ではありません。 「●」は、バイクで出かけはしましたが、プチ・ツーではないです。


  うーむ、よくもまあ、これだけ、あちこち、行ったものです。 バイク生活を復活させる前までは、「もう、近場は行き尽くした」と思っていたのですが、その認識状態から、ここまで、行き先を開拓したのだから、我ながら、大したものです。 偉いなあ。 いや、別に、偉くはないか。 言い直します。 主観的に偉いなあ。

  たった一年間の出来事なのに、行った先が、ことごとく、懐かしく感じられます。 初めて行った所が、大半なのですが、そういう場所は、印象が強く、記憶に染み込みやすいようですな。 同じ所に再訪を繰り返していると、記憶のピントがブレて来て、何回目に行った時の記憶なのか、分からなくなってしまいます。 今後も、極力、初めての所を狙い続ける予定。

  出かけるパターンとしては、ほとんどが、晴れた日の午後で、12時45分頃から、バイクと車を入れ換え、1時頃、家を出発します。 片道、1時間以内。 目的地での滞在時間が、10分から、20分程度。 帰りが、1時間以内。 遅くても、午後3時までには、戻っています。 帰ってから、1時間、バイクを冷やして、その間に風呂に入り、車とバイクを入れ換えて、カバーを掛けています。

  新型肺炎の感染防御の為に、極力、人出が少ない平日を選び、平日が雨の場合に限り、土日も出ています。 雨が降っていなくても、ドス曇りで、いつ降るか分からないという天気の場合、出かけません。 基本的に・・・、というより、もう絶対に、バイクを濡らす気がないので、雨の危険が少しでもあれば、出ません。 引退者だからこそ、できる事ですが。

  行き先は、都市地図で近隣市町を調べ、神社、寺、湖沼池、橋、史跡、古墳などを見つけ、道順を暗記して出かけます。 現役時代の長距離ツーリングなら、ルート・メモを書いたものですが、近場だと、一度も見ないで帰って来る事が多いので、いつしか、書かなくなってしまいました。

  行き先の選択は、大体、北、北西、西、南、南東、東、北東と、反時計回りに、選んでいます。 南西が抜けているのは、沼津市の中部から見ると、南西が海に当たるからです。 駿河湾を挟んで向こうにある、大瀬崎(おせざき)は、南西ですが、遠過ぎて、帰りが夕方になってしまうので、行っていません。 うちは、夕飯が早いので、それまでには、帰るようにしています。

  目的地に、他の人がいる事は、滅多にありません。 そもそも、人がいなさそうな所ばかり選んでいるからです。 先客がいた場合、その人達が去るのを待ちます。 大勢いた場合、近寄らずに、遠くから写真だけ撮って、引き揚げます。 人がいない所だから、気楽に出かける気になるのです。

  新型肺炎対策として、春夏秋は、マスクをしてから、シールド付きジェット・ヘルを被ります。 冬場のフル・フェイス・メットでは、マスクは着けませんが、他人がいる場合は、ヘルメットをは脱がず、シールドも開けません。 ちなみに、私は、「屋外だから」、「人が少ないから」という理由で、無マスクで行動する事はないです。

  給油は、セルフのスタンドで、一回に、千円分入れています。 大体、7リットル台。 それで、2ヵ月、もちます。 燃費計算はしていませんが、ガソリン代を負担に感じた事はないです。 むしろ、「もう少し、使ってもいいかな」と思っていますが、週一のペースは崩したくないですし、遠出をするとなると、疲れてしまいますから、たぶん、このままで行くと思います。

  補修は、買った直後に、纏めてやったっきりで、その後は、ほとんど、ノー・メンテで乗っています。 車の車検の時、ついでに、バイクのタイヤも、空気を足しただけ。 オイル交換は、一度もやっていません。 本当はやりたいのですが、前の持ち主が、取扱説明書にある規定通りに交換していたと仮定して計算すると、次の交換は、まだまだ先でして、それまで待っているのです。 中途半端なところでやると、ズレてしまいますから。

  あっ、思い出した! ノー・メンテではありませんでした。 ギア・インジケーター「1」のランプが切れてしまって、アマゾンで、LED球を買って、交換しました。 今までついていたのと、外見が似た品を買ったのですが、隠れている部分が違っていて、「1」だけ、妙に暗くなってしまいました。 まあ、点いているのが分かるから、それで良しとしていますが。 ちなみに、EN125-2Aのギア・インジケーター・ランプは、デフォルトでは、麦球です。 私のバイクは、前の持ち主が、メーター内の電球を、全て、LED球に交換してあったのです。

  もとより、中古車ですし、車よりヤレが早いバイクの事ですから、完璧な動作を期待しているわけではないです。 外観が、綺麗なだけでも、充分に満足しています。 ↓こんな感じですが。



  上には上がいるが、下には下がいるもので、バイク生活をしたいと思っているけれど、諸般の事情で、できずにいるという人は、プチ・ツーリングの話を読んだり、こういう写真を見たりすると、「ちっきしょー。 俺も買おうかな」と、思うでしょうねえ。 いやまあ、止めも勧めもしませんが。

  若い頃、バイクに乗っていたけれど、車に切り替えて、やめてしまったという人は、二輪の免許はあるわけだから、バイクの購入費と諸経費、合計10~15万円くらい用意すれば、すぐにでも、私と同じような事ができるわけですが、どんなもんでしょうねえ。 プチ・ツー趣味を遂行する上で、最も重要なのは、行き先の選定でして、私が行っているような、地味な目的地に、全く興味がないという向きには、勧めようがありません。

  「目的地なしで、ただ、走りに行く」というのは、続かないのでは? 走るだけで満足できるというのは、よほどのバイク好きに限られますが、そういう人は、そもそも、車に切り替えて、バイクをやめたりしないものです。 一生乗り続けているわけですから、再開する必要はないわけだ。 当然、250ccクラス以上に乗っているものと思われ、125ccに憧れたりしますまい。

  ちなみに、一般道では、125ccでも、それ以上の排気量でも、性能に大きな差はないです。 速い遅いは、乗り手の技量や、方針によって変わって来ます。 とはいえ、小排気量車は、長もちさせたいのなら、あまり、高回転まで回さない方がいいと思いますねえ。 とりわけ、逆輸入車は、ディーラーの整備工場を当てにできないから、エンジンやミッションが壊れると、即廃車になる危険性がある事ですし。

  目的地といっても、観光地、景勝地、レジャー施設などは、プチ・ツーで行く半径内では、すぐに、行き尽くしてしまいます。 それなら、喫茶店巡りや、レストラン巡りでもした方が、まだ、初めての場所を見つけ易い。 しかし、店が目的地だと、そのつど、店で使うお金が必要になるわけで、結構、痛い出費になると思います。 また、新型肺炎の感染防御上も、人が集まる所は、避けたいもの。 遊びに出かけた先で、うつされていたのでは、敵わん。

  地味な目的地で満足できるというのなら、勧めるのに吝かではないです。 とはいえ、現役で働いている人は、趣味だけで、バイクに乗るというのは、厳しいかも知れませんねえ。 逆に、通勤に使っている人は、かつての私がそうだったように、休みの日までバイクに乗ろうとは思わないでしょう。 そうなると、やはり、125のバイクでプチ・ツー趣味を勧められる対象は、引退者に限られてきます。

  大学生などで、とりあえず、中免をとって、入門のつもりで、125から乗り始める人が、結構いるそうですが、それはそれで、何の問題もないと思います。 結局、すぐに、車に切り替えてしまって、バイクは、125だけで終わっても、出費を少なく抑えられたのだから、賢い選択だったと言えるでしょう。

  125では、高速道路はもちろん、無料の自動車専用道にも入れないから、泊まりがけの遠出は、かなり、厳しくなります。 せっかく、バイク乗りになったのに、長距離ツーリングをしないのは、勿体ない気もしますが、だからといって、大排気量車を、若い人達に勧めるのは、気が進みません。 遠出そのものが、事故の危険性を高めてしまうからです。 乗り物に乗る上で、何が馬鹿馬鹿しいと言って、事故や、違反切符を切られる事ほど、馬鹿馬鹿しいものはない。 楽しみに行って、悩みの種を背負い込んでいて、どうする?

  125だと、ピンク・ナンバーで、すぐにそれと知れてしまい、大排気量車に乗っている人から馬鹿にされるという問題点がありますが、引退者であれば、「もう、歳だから、125で充分」という無言の言い訳が利きますから、気にする事はないです。 「歳を取って、良かったなあ」と思うのは、そんな事くらいですかねえ。

  私は、山道や海岸線のワインディング・ロードで、後ろに、他のバイクや車がつくと、路肩に寄って、先に行かせるようにしていますが、こちらは、ピンク・ナンバーだから、速いものを先に行かせても、理に適っているわけで、むしろ、大変、好都合です。 せっかく、ワインディング・ロードを楽しみたいのに、後ろにくっつかれていたのでは、台なしですから。 言うに及ばず、公道で、赤の他人と俄かレースなど、以ての外の言語道断。 排気量に関係なく、そんなのは、キチガイ沙汰です。 誰が、あなたの命を保証してくれるというのだ?

  あと、これは、意外に思われるかも知れませんが、逆輸入の125は、知名度が低い分、注目度が高いです。 それも、ピンク・ナンバーが関係していて、信号待ちなどで、後ろについた、バイクや車の運転手が、「おやっ! このバイクは何だ?」と思うようなのです。 外見的には、トラディショナル・デザインのオン・ロード・バイクと変わらないから、「スズキに、こんな125があるのか?」という感じで、じっと観察される事が良くあります。

  ところで、引退者に勧めるといっても、それは、あくまで、若い頃に、マニュアル・バイクに乗っていた経験がある人です。 「引退してから、小免をとって・・・」、などという人には、金輪際、勧めません。 命の保証ができないです。 「125なんて、原付だから、誰でも乗れる」という事はないのであって、スクーターとは、全然、別物ですから、軽く見ないように。 全く経験なしに、老いらくで始めるような趣味ではないです。

  また、若い頃に乗っていたけれど、ガンガン、峠を攻めていたという人にも、勧めません。 そういう人は、バイクをやめたのが大正解だったのであって、引退後に、また、不正解に戻る必要はありません。 バイク経験が全くない人とは逆に、若い頃のバイク経験が邪魔をして、安全運転ができないのです。 気持ちだけは、若い頃と変わらず、ガンガン行こうとするのに対し、体力や反射神経は、歳相応に衰えていますから、すぐに、大怪我をするか、最悪、死ぬと思います。


  バイク生活を再開してから、つくづく思い知った事ですが、バイクと言うのは、「乗ってナンボ」、「出かけてナンボ」の乗り物なんですなあ。 バイク趣味には、改造やチューンなど、弄ってばかりいる人とか、ガレージが満杯になるまで、気に入ったバイクを買い集める人とか、いろいろといるわけですが、試し乗り程度に、たまにしか乗らないなんて、勿体ない話です。

2020/10/18

なぜマスクをしないのか?

  まったく、マスクをしない奴が多い。 東京などは、装着率が高い方で、東京を基準にするから、「日本には、マスク文化がある」などと、間違った認識で物を言う識者が目白押しなのですが、地方に行くと、地元の人間の装着率は、最も多い時でも、7割程度、その後、ズルズルと落ちてきて、今では、5割を割っています。




  特に、屋外は、圧倒的に、していない人間の方が多い。 自転車に乗っている奴は、ほとんどしていない。 スポーツ自転車に至っては、している者を見た事がない。 「ペダルを漕ぐしか能がない馬鹿だから、仕方がない」と言う気はないです。 馬鹿でも、マスクはした方が良いに決まっています。

  あと、犬の散歩をしている人間は、絶対に、マスクをしていない。 なぜか、犬の散歩なら、無マスクで許されると思っているらしい。 そして、犬の散歩友達と会うと、無マスク同士で、ベラベラ話し込む。 あれで、どちらかが感染していたら、うつらないはずがないです。 「犬の散歩 = のどか = 緊急の対極 = 感染しない」といった等式が、頭の中にあるのかも。 非科学的も、そこに極まる。

  屋内でも、していない者が一人もいない店というのを見た事がありません。 店の入口に、「マスク装着をお願いします」という貼り紙があっても、読んでいないのか、読む気がないのか、全く歩を緩めずに、無マスクで、ズカズカ入店して行くから、その低劣且つ頑冥な意識に、ゾッとせずにはいられません。

  なぜ、彼らは、マスクをしないのか? 原因を探って行こうと思います。


≪マスクでは、感染を防げないと思っている≫
  特に、布マスクについて、繊維の格子が、ウィルスより、遥かにサイズが大きいから、ウィルスは素通りしてしまうという事を、「なんで、そんな事に気づかないのか?」という口調で力説する人がいます。 大変、愚か。 一知半解タイプでして、もっとよく調べれば、その認識が間違いだという事が分かるはず。 ウィルスは、口や鼻から出て来る時には、飛沫やエアロゾルのような、小さな水滴に包まれているので、その水滴を止められればいいのです。

  特に、感染力が強いのは、ウィルス量が多い、飛沫でして、布マスクであっても、飛沫の大きさは、繊維の格子より大きいから、充分、用が足ります。 しないと、しているのとでは、大違いです。 スパコンを使った研究では、布マスクは、不織布マスクより、若干劣るものの、エアロゾルの拡散を抑える効果も、充分にあるとの事。 繰り返しますが、しないと、しているのとでは、大違いです。 比較にならぬ。

  こういう事を主張する輩に限って、「自分は、科学的な考え方をしている」と信じ込んでいるのですが、一知半解では、似非科学を信じているのと、変わりがないです。 更に言えば、そもそも、科学的考え方云々以前に、マスクをしたくないんだろう? まず、マスクしたくないありきで、その口実として、科学を引っ張り出しているわけだ。 だけどよー、そんな考え方していると、いずれ、感染するぜ。


≪屋外ではうつらないと思っている≫
  「三密を避けよ」というのを、「危険なのは、三密だけ」と解釈し、屋外では、マスクをしないという連中がいます。 確かに、屋内よりは、感染する危険性が低くなりますが、所詮、可能性が下がる程度の違いです。 ところが、こういう連中は、言葉に囚われて、「屋外では、絶対、うつらない」と決め込んでしまうんですな。 その自信は、どこから来るのか? 何を根拠に、「絶対、うつらない」と判断しているのか? 根拠なんか、あるわきゃありません。 ただ、闇雲に信じているだけで、宗教と変わりなし。

  私が実際に見た光景ですが、店の中から、マスクをした高齢女性二人が、話をしながら、出て来ました。 それが、屋外に一歩出た途端、一人が、マスクを外し、もう一人も、続いて外しました。 そして、互いに相手の方に顔を向け、ベラベラ喋りまくりながら、歩いて行きました。 これなんか、「三密以外は、絶対、うつらない」と信じ込んでいる、典型例でしょう。


≪専門家の指示を摘まみ食いしている≫
  これは、「熱中症対策として、社会的距離が取れる場合は、マスクを外してよい」という指示が、厚労省経由で出た件です。 このお達しが、どれだけ、感染を広げたか、調べようもありませんが、相当な数の感染者を出したのではないかと思います。

「熱中症対策として、社会的距離が取れる場合は、マスクを外してよい」

  が、勝手な解釈を施され、条件句の部分が消えてしまって、

「熱中症対策として、マスクを外してよい」

  に、なってしまったんですな。 距離なんて関係なく、暑い場所では、マスクを外していいと判断した者が、うじゃらうじゃら出て来て、うつしまくったものと思われます。 まったく、人間というのは、いい加減なものだて。

  で、そういう口実で、マスクを外していた連中ですが、すでに秋でして、涼しくなり、熱中症の危険など、遥か遠くに去ったにも拘らず、まだ、マスクを外したままです。 そりゃそうだよな。 ただの口実だったんだもの。 そもそも、自分は感染しないと、全く根拠なしに信じているから、着けたりするわけがない。

  ちなみに、マスクを着けて、山に登ったり、走ったりするのは、呼吸が阻害されてしまい、無理がありますが、平地を歩いたり、自転車をゆっくり漕いだりする分には、障碍にはなりません。 最初、苦しくても、すぐに慣れます。 そもそも、呼吸が苦しいから、マスクを外そうと考えるより、マスクをしたままできる事は何かを考えるのが、合理的と言うもの。 「熱中症になりたくないから、マスクを外して、新型肺炎の方を選ぶ」とか、「運動の時に息苦しいから、マスクを外して、新型肺炎の方を選ぶ」なんて、おかしいでしょ?


≪ナルシシストである≫
  これは、秘かに多そうだな。 自己愛主義者なのです。 自分が好きで好きでたまらない。 しかも、自分の事を、「真・善・美の権化」、「完璧な人間」だと思っているのです。 「完璧な人間だから、誰からも好かれるはず。 私を嫌う者がいたら、そちらの方が、異常なのだ」という考え方をする奴。

  人前で、無マスクで、平気で咳やくしゃみをします。 「私が咳をしたら、みんな、『大丈夫?』と、心配してくれる」と思っているのです。 かつて、人前でくしゃみをして、下心のある連れから、「うふふ、可愛いくしゃみだね」などと言われたのを、未だに有効だと思っていて、新型肺炎流行後も、くしゃみをしまくり、周囲から、ドン引きされている地獄行きの馬鹿も少なくない事でしょう。 くしゃみをするのを、自分の魅力の発露だと思っているのだから、救いようがない。

  何せ、「真・善・美」の権化ですから、自分が新型肺炎に感染する事など、ありえないと信じている。 ありえないのだから、マスクは必要ない。 人からうつされる事もなければ、うつす事もない。 そういう考え方だもの。 そりゃもう絶対、しないわなあ。 うつらないと信じているから、できる限り、正確な知識を取り入れて、感染防御をしましょうなんて、考えもしません。

  ナルシシストと言うと、線の細い少年少女を連想する人もいると思いますが、そんな事はないのであって、面の皮が地殻より厚い、オッサン、オバハン、ジーサン、バーサンなど、年齢性別に関係なく、「自分だけは、感染しない」と思っている輩はいます。 パチンコ屋が吊るし上げられていた頃、「自分は、免疫力があるから、大丈夫」と力説していた客なども、ナルシシストの一種だと思います。 何か、特別な存在だと思っているんだわ。 都会の人情より薄っぺらな根拠で。

  「すでに、感染して、治っていて、抗体があるから、免疫がある」というのなら、まだ分かりますが、この連中が口にするのは、「免疫」ではなく、「免疫力」でして、せいぜい、体が丈夫だから、風邪を引き難いという程度の話なのです。 そんなもの、未知のウィルスに、効くものかね。 そういう考え方をしているのなら、すぐに、改めた方がいいです。 「ミカンが大好きだから、免疫力は、バッチリよ」。 もはや、狂人だな。 しかし、こういう輩も、結構多いのでは?


≪鼻からは、うつらないと思っている≫
  鼻出しマスクですな。 立体マスクを使っている人に多いです。 ネットで型紙を手に入れて、自分で作った人も多いと思いますが、立体マスクは、鼻ワイヤーが入っていないから、鼻の両脇が開きますし、そのせいで、容易にズレ落ちて来ます。 顔の形と言うのは、人によって、大いに事なるのですが、そこのところが分かっておらず、「立体マスクは、簡単に作れる上に、顔にフィットする」などという甘言を真に受けて、立体マスクでなければ駄目みたいな認識でいるから、鼻が丸出しになるわけだ。

  鼻ワイヤーが入っているマスクなのに、鼻を出しているというのは、もう確信犯的に、自分は感染とは関係ないと思っている連中で、立体マスクで、鼻が出てしまったという連中より、ずっと、悪質で、愚かで、救いようがないです。 鼻では、一切、呼吸しないというのなら、鼻出しでもいいですが、鼻が詰まっているのでもないかぎり、そんな事はできんでしょうが。 まさか、鼻と喉が繋がっていないと勘違いしているのではあるまいね。 新型肺炎のウィルスは、目からだって侵入するのに、鼻から入らぬわけがなかろうに。


≪人目だけ気にしている≫
  顎マスクは、口も鼻も出ているわけで、感染防御効果はゼロ。 というか、顎にかけたり、持ち上げたりをやっていると、顎についていたウィルスがマスクの裏につき、口鼻に上げた時に、それを吸い込んでしまう恐れがありますし、マスクを上げ下げする時、手にウィルスがつき、その手であちこち触って、汚染場所を増やすなど、感染を助長しているとも言えます。

  顎マスクは、周囲の人間から、「マスクをしろ」という指摘、もしくは、無言の圧力を受けた時だけ、上げればいいという考え方の人間がするもので、感染防御の為にやっているわけではないわけですが、こういう連中、やはり、「自分は感染しない」と信じていて、マスクの意味なんて、その程度のものだと思っているんですな。

  顎マスク以外でも、ポケット・マスク、鞄マスクなど、普段は着けずにいて、何か言われたら、着ければいいと思っている輩は、みな、同類です。 マスクに頼ろうとしないその背景には、「自分はうつらない。 うつらないから、うつしようもない」という、病的に固い信念があるわけですが、わざわざ、検証するまでもなく、そんなのは、何の根拠もない戯言です。

  もしかしたら、顎マスクを、カッコいいと思っている馬鹿もいるかも知れぬ。 「俺は、感染なんて、怖くないんだぜ。 だけど、人から文句言われると厄介だから、さっと上げて、その場をごまかしているのさ」というポーズ。 凄じい愚かさ。 それが、いかに愚かなポーズであるかは、自分が感染するか、感染の媒介をしてしまった時に、分かるわけだ。


≪感染は、どこか遠くで起こっていると思っている≫
  これは、結構、実例があるのではないかと思うのですが、職場や、飲み会、町内会の行事などで、上司や、飲み会奉行から、マスクを外すように、求められた事はないでしょうか? 

「いいよ、いいよ、マスクなんて、外しちゃって。 みんな、身内だからさ」

  更には、もっと強硬に、

「飲み会なんだぜー。 マスクしてたら、楽しめないだろー。 それとも何かー? この中に、感染者がいるとでも言うのー? お前が感染者なのかー?」

  恐ろしいの一語に尽きる。 もし、職場だったら、上司に報告して、こういう馬鹿は、厳重注意してもらうしかありません。 その上司も同類だったら、更に上の上司に注進するしかありません。 飲み会だったら、この種の暴言を口にされた時点で、帰るべし。

  この手の馬鹿は、新型肺炎の何たるかが、全く分かっていないのです。 おそらく、何の知識もないのでしょう。 エボラ出血熱のように、遥か遠くで起こっている病気、もしくは、エイズや、B型肝炎、性病のように、何か特別な事をした人だけがかかる病気だと思っているんだわ。

  夏場、バーベキューでクラスターが発生したというニュースが何件かありましたが、感染した人の中には、この手の馬鹿に強制されて、マスクを外させられた人もいたでしょうね。 気の毒に。 馬鹿は死ななきゃ治らないのだから、対策なし。 どうせ、感染の危険性を説いても、理解できるほど、知能はありますまい。 そんな奴からは、逃げるしかないのです。


≪世の中で、何が起こっているのか分かっていない≫
  情報に興味がなく、ワイドショーや報道番組は言うに及ばず、テレビ・ニュース、ネット・ニュース、新聞など一切、見ない・読まない生活をしている輩です。 人づてに、新型肺炎の話が耳に入っても、情報量が少な過ぎて、危機意識が盛り上がらない。 で、何が起こっているか、ほとんど、分からないまま、従来の生活を続けているのです。

  これは、救いようがないな。 こういう人達に、「情報に興味を持て」などと言っても、金輪際、無駄な事は、社会経験が少しでもある人なら、分かると思います。 学校や会社なら、無口で、話しかけても、ぼそっとした必要最少限の返事が返って来るだけで、会話にならない人というのがいると思いますが、そういう人達です。

  引退後、話し相手がいない生活が長く続いたせいで、情報を必要としなくなり、同じ状態になる人が多い。 家に居場所がなく、早朝、日中、夜まで、用もないのに、外出して、通りをうろうろ歩いている高齢男性は、みなそのタイプで、判で押したように、マスクをしていません。 もはや、世の中と、情報的に断絶してしまっているんですな。

  これまた、救いようがないです。 こちらから、積極的に避けるしかありません。


≪もう、流行は終わったと思っている≫
  第一波が下火になって、全国での認定感染者数が、100人を遥かに下回っていた時期がありましたが、その時点で、「もう、終わった」と決めてしまい、以後、新型肺炎について、興味がなくなったという人。 終わったと思っているから、当然、マスクなどしません。 興味がなくなっているから、新型肺炎関連のニュースを見る事もなく、マスクをしている人に会うと、「え、まだ、してるの?」などと、平気で言います。

  こういう人は、ズボラというより、精神的に非常に弱くて、長丁場の緊張に耐えられないんですな。 生活の大きな変化にも耐えられない。 だから、最も騒ぎが大きかった時には、一応、対処したけれど、一度、終わったと判断したら、また、対処するという事ができないのです。 現実から目を背けて、元通りの生活をしようとするわけだ。 救いようがない。


≪妄説を信じている≫
  やはり、第一波が下火になって、全国での認定感染者数が、100人を遥かに下回っていた時期の事ですが、「日本では、これこれこういう特殊な事情があるから、感染が大きく広まらなかった」という言説が流布しました。 「マスク文化」や、「BCG接腫」など、科学的根拠があるかのように装っていたから、始末が悪く、それを真に受けて、信じてしまった者もいたわけです。

  その時の認識が抜けず、第二波が発生し、明白にグラフが盛り上がってきても、「日本は、大丈夫だ」、「こんな数字は、嘘だ」と力説している者が、少なからず、存在しました。 愚かも愚かだが、よーく、珍説に騙されてしまったわけで、憐れと言った方が、的確か。 おそらく、職場などでも、そういうのがいたと思うのですよ。 今では、立場がなくなって、新型肺炎の話題を口にしなくなっていると思いますが。

  こういう輩、日本のマスク文化を口にしていたくらいだから、自分でも、当然、マスクはしそうなものですが、ところがどっこい、しない奴もいるんですな。 「マスクは、他人がしているから、俺はいいんだ」という、説得力ゼロの論理を展開し、しようとしません。 マスクをしたくないばかりに、「日本は、大丈夫」という妄説に乗っかったという順序だったんでしょう。 やはり、憐れむ価値もないほどに、愚かなのか。


≪付和雷同している≫
  自分の考えが固定しておらず、周囲がマスクをしていないから、自分もしないというタイプ。 自転車通学の高校生が典型で、性別に関係なく、マスクをしている奴を見た事がない。 全員、無マスクです。 まー、高校生らしいっつや、らしいこってして、しない人間が多くなった途端、自分だけしていると、からかわれるとでも思うのか、耐えられなくなって、外してしまうんですな。

  これも、自分にはうつらない、もしくは、年齢的に、うつっても、大した事はないと高を括っているんでしょう。 だけどなあ。 高校生くらいになると、親ですら、50歳代で、感染すれば、重症化率が高いと思うのですが、家族に媒介してしまう事は、全然、考えていないのだなあ。 まー、高校生らしいっつや、らしいこってすが。

  これから、大学へ行こうって時に、自分が媒介したウィルスで、親が死んじゃったら、どうするのかね? 脳味噌スッカラカンの、クラスの糞馬鹿どもに合わせて、無マスクで通した結果、自分の人生を暗転させてしまうなど、パターン数ある転落人生の中でも、最低に下らない口なのでは?

  相手が親ですら、そうですから、祖父母なんて、死んだら死んだで構わないと思っているんでしょうねえ。 まー、高校生らしいっつや・・・、もう、いいか。 十代後半の人間というのは、これから出会う他人には、興味津津だけれど、子供の頃から見慣れて、見飽きている相手に関しては、自分の将来の邪魔になるような気がして、早く縁を切りたいと思っているから、軽く見るのも、致し方ない。

  家族にうつした後で、「うつす気はなかった」という言い訳をするかもしれませんが、安易に許さない方がいいです。 うつす気がないのは当たり前の事で、うつす危険性があると分かっているのなら、自分自身も、うつされないように、家族に媒介しないように、気をつけるべきでしょう。 周囲を気にして、マスクをしないのが、家族の命を守る事と天秤にかけるような、価値がある事かね? 馬鹿馬鹿しい。




  結論ですが、マスクをしない理由は数あれど、その根本で共通しているのは、「マスクをしたくない」という欲望ではないかと思います。 更に、遡れば、「新型肺炎に対して、特別な対策をしたくない。 元通りの生活をしたい」という欲望がある。 その欲望を抑えられないわけだ。 人の精神の奥底から出て来ているだけに、こりゃあ、難敵だなあ。

  自力で判断できないというのなら、とにかく、家の敷地から、5メートル以上離れる時には、必ず、マスクをして下さい。 慣れてしまえば、全然、大した事ではないです。 口と鼻が隠れていれば、材質や形状は、どんなものでもいいです。 ズレが起きない場合に限り、立体マスクでも、構いません。

  ご存知のように、日本では、政府や自治体が、有効な対策をしてくれません。 文句を言っても詮ない事でして、政治家、役人は勿論、学者に至るまで、大変な低能で、何をどうすればいいか、判断する能力がない上に、たとえ、正確な判断が下されたとしても、それを実行する能力もありません。

  となると、感染対策として、頼りになるのは、個々人の、マスク装着だけなんですよ。 とにかく、流行が世界的に収束するまで、マスク生活を続けるしかないんですわ。 他人の為、社会の為にしろとは言わないから、自分や、家族の為に、して下さいな。


  そういえば、「マスク警察」というのが出て、マスコミに吊るし上げられていましたが、私は、心情的には、マスク警察の味方です。 「しなくてもいい」と、「しなければいけない」では、考え方が正反対ですが、感染拡大防止に寄与するのは、確実に、「しなければいけない」の方だからです。 「しなくてもいい」という考え方で、感染拡大を止める事は、全くできません。

  ただし、マスク警察がやらかす違法行為までも、庇うつもりはありません。 脅迫や、暴行、傷害などは、刑事犯罪である一方、マスクを強制する法的根拠は、何もないです。 なにせ、日本では、マスク装着は、せいぜい、推奨に過ぎず、義務化されていないのですから、しなくても、法律違反にはならず、脅迫、暴行、傷害で強制した方が、犯罪者になってしまいます。

  希望を言わせてもらえば、外出時のマスク装着は、国や自治体で、義務化した方がいいと思います。 そうならない可能性は非常に高いですが、それでも言うのは、マスク装着が、一番安上がりで、大きな効果が期待できる対策だと思うからです。

  法律の方は、いつになるか分かりませんが、それまでの対処法として、その種の揉め事を収める立場になった警察官や係員は、マスク警察側に、法的根拠がない事を伝えるだけでなく、マスクをしていなかった方には、「あなたも、外出する時には、マスクをした方がいいですよ」と、やんわり勧めるがいいと思います。 人から言われて、間違いに気づくケースも多いですから。

  繰り返しますが、無マスクには、感染拡大を止める効果が全くないです。 感染拡大を助長する効果しかありません。 マスクをする人間が増えれば、増えるほど、感染拡大は抑えられます。 これは、どんな屁理屈を並べられても、微動だにしない、自明の理です。

2020/10/11

セルボ・モード補修 (30)

  車の修理・整備記録のシリーズ。 今回で、とりあえず、終わりです。 車は、その後、これといった問題もなく、使えています。 車検で75000円、タイヤ交換で、16000円も費やしたのだから、2年間は、バッチリ、働いてもらわなければ。





【タイヤ交換③】

≪写真1≫
  これは、ホイールに、新しいタイヤを取り付ける準備をしているところ。 結束バンドが残り少ないので、代わりに、紙紐で、三ヵ所、縛ってあります。 バイクのタイヤなら、全周、10箇所くらいを縛っている様子を、ネット上で見た事がありますが、車のタイヤでは、結束バンド法の写真が、ほとんど出ておらず、とりあえず、三ヵ所でやってみた次第。 何も縛らないよりは、ずっと、簡単に、反対側を入れる事ができました。

  反対側は、もちろん、タイヤ・レバーで入れます。 レバーや、プライヤーの柄で、あれこれ悪戦苦闘していると、ある時、急に、ズボッという感じで、入るというパターンでした。

  この写真では、縛ってから、入れていますが、まず、裏側を入れてから、結束バンド、もしくは、紐で縛り、表側だけ、レバーで入れる方が、作業効率がいいです。 ホイールとタイヤが接する部分には、シリコン・スプレーを吹いていたのですが、途中でなくなってしまい、最後の一本だけは、中性洗剤を薄めた液で、代用しました。 問題なく、使えます。 要は、ヌルヌルしていればいいだけなので。

≪写真2≫
  ビード上げが、また、大変。 自転車用空気入れでは、スースー抜けて、全く入らず、やむなく、ネットで知った裏技を使いました。 空気が入ったタイヤに繋いで、一気に空気を移動させ、ビードを上げるというもの。 たまたま、壊れた足踏み式空気入れのホースがあったので、それを使いました。

  空気を貰う側は、バルブの虫を抜いた上で、ゴムのホースを捻じ込み、空気を送る側は、アタッチメントで取り付けました。 一気といっても、劇的な事が起こるわけではなく、静かに、空気が移動します。 タイヤの空気圧は知れていますから、ビードは、片側、もしくは、両側の8分目くらいしか上がりませんが、そのくらい上がってくれれば、後は、自転車用空気入れで、ビードを上げる事ができます。 ビードが上がると、「パン!」という大きな音がするので、分かります。

  空気を送る側のタイヤですが、私がやって見た限りでは、普通のタイヤより、テンパー・タイヤの方が、ビードが上がる率が高かったです。 やはり、高圧だからでしょう。 私の車の場合、普通のタイヤが、1.8kgf/cm2なのに対し、テンパー・タイヤは、4.2kgf/cm2で、2倍以上違います。 空気を送った後も、ペタンコになる事はありませんが、減っているので、そのまま、車を動かしたりしない方がいいです。 必ず、空気を入れ直してから、動かします。

≪写真3≫
  ビードを上げ、空気を入れ直した、新しいタイヤとホイール。 左上の方に、ホイールの端が歪んでいる部分がありますが、これは、私がやったわけではありません。 4本とも、同じような歪みがあり、前の持ち主か、前の持ち主が頼んだ業者が、タイヤを外す時か、つける時に、力任せにレバーを使って、歪ませたのだと思います。 乱暴な事をしてくれる。 しかし、これだけ歪んでいても、空気は漏れません。

  どうせ、高速走行はしないので、ホイール・バランスは取らず、黄色マーク(軽点)を、バルブの位置に合わせただけです。 それも、大体です。 錘も、元のまま付けてあります。 たとえ、バランスが崩れていても、低速で走る分には、ほとんど、害がありません。 

≪写真4左≫
  車への取り付けには、買ったばかりのトルク・レンチが活躍しました。 締め付けトルクは、「80N.m」。

  車に取り付けてから気づいたのですが、夏タイヤのせいか、今まで付いていた、スタッドレスに比べて、側面のふくらみが大きく感じられます。 少し、カッコ悪くなった観あり。

≪写真4右≫
  試し乗りした後、トルクレンチで締め直してから、ホイール・カバーをつけました。 ホイール・カバーをつけたら、タイヤ側面の膨らみが、あまり、目立たなくなりました。 よしよし。

  これで、交換作業そのものは、終了しました。

  車ですが、新しいタイヤになって、乗り心地は、多少、良くなりました。 ブレーキをかけると、停まる寸前に、ガクンと変な衝撃があったのも、なくなりました。 やはり、タイヤが駄目だったわけだ。




【タイヤ処分】

≪写真上≫
  とりあえず、物置に置いてある、廃タイヤ。 外す時に、シリコン・スプレーを吹いたので、中性洗剤で洗って、綺麗にしてあります。

  全て、スタッドレスで、3本は、ダンロップ、1本だけ、トーヨーです。 ダンロップの3本は、ヒビだらけで、捨てるのに、ためらい、なし。 トーヨーのは、ヒビがなく、使おうと思えば使えるのですが、側面が赤っぽくなる性質がある上に、大変、硬いタイヤで、外すのに大苦労したので、もう、つけ直す事はなかろうと思い、捨てる事にしました。

  捨てるといっても、ゴミには出せませんから、業者に引き取ってもらう事になります。 電話で調べたら、近所のオートバックスで、一本、税込み330円、4本で、1320円で引き取ってくれるというので、そこへ持って行く事にしました。

≪写真下≫
  8月5日の午後に、車に積み込みました。 後席の背凭れを倒してあります。 車内を汚さないように、新聞紙を敷いてから、載せました。 持って行って、下ろして、引き取ってもらい、1320円払って、帰って来ました。 簡単に済んでよかった。

  これで、タイヤ自力交換計画は、全て、終了しました。 日程は、以下の通り。

7月31日(金)午後 「右後輪交換」
8月 2日(日)午後 「左後輪交換」
8月 3日(月)午前 「左前輪交換」
8月 3日(月)午後 「右前輪交換」
8月 4日(火)  「ホイール・カバー取り付け」
8月 5日(水)  「廃タイヤ処分」

  ところが、その後、右の足首が痛くなり、半月近く、足を引きずって歩く事になりました。 ビード落としの時に、踵を使い過ぎたのが原因です。 やはり、ビード落としは、ナメられぬ。 かといって、これから、既製品のビード・ブレーカーを買うのも、馬鹿な話。 年齢的に考えて もう、私が車のタイヤ交換をする事はないでしょう。

  タイヤの自力交換ですが、人様には勧めません。 難易度が高過ぎるのです。 業者に頼むと、交換作業自体は、一本、2千円弱くらいですが、そのくらい払っても、やってもらった方がいいです。 通勤で車を使っている人は尚の事で、体力的、技能的以外に、時間的にも、自力でやるのは、難しいです。 道具を揃えたとしても、確実に楽になるというわけではないですし。




【内装異音対策】

  もう、記憶にないくらい以前から、車に乗っていると、後ろの方から、「カタカタ、カタカタ」、異音がしていたのですが、ようやく、どこが鳴っているのか、見当がついたので、8月15日に、対策を取りました。

≪写真上≫
  左側の、パーセル・シェルフ(パッケージ・トレイ)のベース部分が、トランク・ルームの側面内装に当たっているのだと目星をつけ、スポンジ・テープを二ヵ所に貼りました。 この写真では、潰れているので、分かり難いです。 スポンジ・テープは、昔買ったものの残りを使いました。

  スポンジ・テープを貼ったら、嘘のように、異音がなくなりました。 とっくに、気づけば良かった。 運転中の快適度が、まるで、違います。

≪写真中≫
  なぜ、異音がするようになったのか? パーセル・シェルフの固定棒が原因と見ました。 本来、水平なのが、外側が上になるような角度がついて、キャッチに嵌め込むと、ベース部分を持ち上げてしまうからではないかと思われます。

≪写真下≫
  なんで、固定棒が上を向いてしまったかというと、パーセル・シェルフが、経年変化で、反ってしまったからです。 この写真の、後ろ窓の下にあるのが、パーセル・シェルフですが、反りまくって、真ん中が、5センチくらい下がってしまっています。

  私は、パーセル・シェルフの上に、物を置いたりしないのですが、材質の特性で、自然に反ってしまうんでしょうな。 これは、直しようがないです。 反っている点を除けば、綺麗なものなので、買い換える予定はなし。




【エアコン・ガス追加充填】

  車のエアコンが、冷えなくなってしまったので、8月25日に、ガスを追加充填しました。 前回やったのは、2018年の7月だったから、2年間、もった事になります。

≪写真1左≫
  2年前に買った、ゲージ付エアコン・ガス・ホース(1790円)と、エアコン・ガスの缶。 缶は、2本セットで、1350円でしたから、1本だと、675円になります。 この程度の出費で、4年間、車を冷やせるのなら、安いもの。 ただし、無資格者が追加充填できるのは、「HFC-134a」というガスを使っている車だけです。

≪写真1右≫
  2年前、ネットで調べた手順メモを、コピーして、カー・ポートの柱に貼っておいたんですが、迂闊にも、読んでから始めるのを忘れて、いきなり、ガスを漏らしてしまい、慌てて、塞ぐ一幕がありました。

≪写真2≫
  エアコンの配管には、「H」と「L」、二つのポートがあり、追加充填には、「L」ポートだけを使います。 セルボ・モードの場合、ラジエーターの下の方にあります。 「L」と刻印してある、灰色のキャップが、それ。

≪写真3≫
  キャップを外し、ホースを繋いだ様子。 配管を押す事になるので、無理な力がかからないように、ナンバー・プレートを外して、下から手を入れ、配管を支えながら、接続しました。

≪写真4≫
  ガスが、なかなか、入って行かず、缶を振ったり、掌で包んで温めたりしました。 2年前は、そんな事はなかったので、経年で、液体が、固形化していたのかもしれません。 缶が軽くなり、冷たさを感じなくなれば、充填完了です。


  細かい手順は、敢えて、書きません。 なぜなら、私自身が、原理が分かっていないからです。 ネットで検索すれば、詳しく書いてあるサイトやブログがあるので、そちらで読んで下さい。 作業内容は、上のメモに書き出してある程度だから、すぐに終わります。 いきなり間違えた私が言うのもおこがましいですが、手順さえ間違えなければ、全く、難しい事ではないです。




  以上です。

   それにしても、セルボ・モードも、路上を走っているのはもちろん、年中停まっている車でさえ、ほとんど、見なくなりましたねえ。 生産・販売中止から、22年も経ったのだから、無理もないか。 いや、私が買った、2016年でさえ、ほんの僅かしか、見ませんでしたから、急に減ったというわけではないですが。

  車の平均保有年数というのは、10年くらいだと思いますが、もったいない話で、壊れたところを直しながら乗れば、もっと長く使えます。 基本的に、自分だけが運転する車なら、他者から文句を言われる筋合いはないわけで、好きなだけ長く使えると思うのですがねえ。 修理や整備をディーラー任せにするから、お金がかかってしまうのであって、自分でやれば、そんなに大枚をはたかないでも済みます。

  そもそも、車を買う店が問題でして、メーカー系のディーラーで買うから、なりゆき上、車検・点検・修理・整備を全面的に任せる事になってしまうのです。 中古車ディーラーで買えば、必要最小限の事だけ、店に任せて、他は自分で管理する事ができます。 メーカー系なら、何でも、安心できるというわけではないんだわ。

2020/10/04

セルボ・モード補修 (29)

  車の修理・整備記録のシリーズ。 いよいよ、タイヤ交換(組み換え)の記事になります。 今年の車関係イベントは、車検が最大だと思っていたのですが、今から振り返ると、最大は、確実に、タイヤ交換の方でした。 これは大変だったわ。 洒落にならんわ。





【タイヤ届く】

≪写真上≫
  車検から帰って来たセルボ・モードですが、ふと見たら、タイヤにヒビが入っているじゃありませんか。 これは、左前輪ですが、溝の底のヒビが広がって、繋がりかけています。 ヒビというよりは、もはや、亀裂ですな。

  道理で、ここ半年ばかり、ブレーキをかけると、停まる寸前に、ガクンと変な衝撃があると思った。 サスペンションや、エンジン・マウントを疑っていましたが、これが原因だったのでしょう。 タイヤのゴム部分に、ぐるっと一周、亀裂が入り、カーカスという繊維部分だけで、もっていたのです。

  ネットで調べたら、溝の底にヒビが入ったら、もう、バースト寸前だとの事。 これは、否が応でも、換えなければなりますまい。 業者に頼む事も検討したのですが、6・7千円かかる工賃が惜しくなり、自分でやる事にしました。

≪写真中≫
  アマゾンで、7月22日に注文したのが、27日に、新潟から発送され、28日には届きました。 こんな大物なのに、郵便局です。 大きなビニール袋に入れられていました。 

≪写真下左≫
  ビニールを外すと、こんな感じ。 4本積み重ねて、PPバンドで、三ヵ所、留められていました。

≪写真下右≫
  ラベル。 ブリヂストンの、「NEXTRY 155/65R13 73S」。 夏タイヤです。 4本で、12100円でしたが、私が買った後、値下がりし、11200円になりました。 900円も損したわけで、大変に腹が立ちます。 だけど、いつ安くなるかなんて、分かりませんから、仕方ないですな。

  ちなみに、「155/65R13」は、タイヤのサイズを表しています。 幅が、155ミリ。 扁平率が、65パーセント。 ホイールの直径が、13インチ。 メートル法と、ヤード・ポンド法が、混在していますな。

  「73S」は、タイヤの性能で、「73」は、ロード・インデックスと言い、一本のタイヤで支えられる重量を表わしています。 換算表を見ると、「73」は、365kg。 「S」は、速度記号で、何キロまで出せるかを表しています。 「S」は、時速180キロまで。 今までついていたスタッドレス・タイヤは、「73Q」でしたが、「Q」は、時速160キロまでなので、こちらの方が、性能が高い事になります。 私は、せいぜい、時速70キロくらいまでしか出さないから、最低の「L」でも、問題ないんですが、そんなタイヤは売っていません。

  この後、一旦、プレハブ離屋に運んでおきました。 新しいものだから、プレハブの中が、ゴムのニオイで、充満しました。




【アマゾンでトルクレンチ】

  車のタイヤ交換ですが、7月31日から始めて、8月3日終わりました。 その間に、トルクレンチが届いたのですが、時系列に従うと、ややこしくなるので、先に、トルクレンチ購入の方を出します。 7月30日に、アマゾンに注文し、届いたのは、8月1日でした。

  3125円のところ、アマゾン・ポイント、7円を使い、3118円。 この手の工具は、値段がピンキリでして、私が買ったのは、最も安い口です。 整備工場ならともかく、個人では、何もなければ、2年に一回くらいしか使わないのであって、高いのを買っても、意味がないです。

≪写真1≫
  届いた荷姿。 アマゾンの扁平な箱です。 箱を開けると、商品の周囲に、紙を丸めて、隙間を埋めてありました。

≪写真2≫
  商品。 ビニールで、パックされています。

≪写真3≫
  ビニール・パックを外すと ケースのプラスチックの独特のニオイが立ち上りました。 悪いニオイではありませんが、工場ならともかく、家の中には似合いませんな。

≪写真4≫
  ケースを開けると、こんな感じ。 説明書は日本語。 ボックス3種と、エクステンション付き。 車のタイヤのハブ・ナットに使う場合、緩めるにしても、締めるにしても、エクステンションは不要で、ボックスを直接つけるだけで、充分です。

≪写真5≫
  トルクの設定は、持ち手の底のネジを緩めてから、持ち手を回して、目盛りを合わせ、底のネジを締めて、固定します。 後は、ボルト・ナットにかけて、力を入れれば、規定トルクに達したところで、カチッと音がし、それ以上、締まらなくなります。

  長期間、使わない時には、目盛りを、最も緩めた状態にしておき、バネが伸びてしまうのを防げとありました。 使った後、その通りにして、自室の押入れ・天袋にしまいました。




【タイヤ交換①】

  車のタイヤ交換ですが、新しいタイヤが届いたのは、7月28日でしたが、他の用事やら、雨やらで、なかなか、交換作業ができませんでした。

≪写真1≫
  7月31日から、ようやく、取りかかりました。 最初にやったのは、右後輪。 理由は、車の位置関係上、一番外し易かったからです。 一本目は、できるかどうか、試しにやってみたので、作業中、写真は撮りませんでした。 これは、後日、撮影したアフター写真です。

≪写真2≫
  8月1日は雨で、2日の午前中に、バイクで、「浮島ひまわりらんど」に行き、午後から、左後輪のタイヤ交換に取り組みました。 まずは、ジャッキ・アップ。 セルボ・モードのジャッキ・ポイントは、サスペンションの付け根にあります。 取扱説明書がないと、分からないので、間違えて、ロッカー下にかけてしまう人も多い事でしょう。

≪写真3≫
  左後輪を外した後、テンパー・タイヤを取り付けて、ジャッキを外しておきました。 時間がかかるのに、ジャッキで上げたままにするのは、危険なので。 

≪写真4左≫
  これは、新聞紙を折り畳んで、ガム・テープで留めた、手製ビード・ヘルパーです。 使用中に撮影したので、すでに、汚れています。 ビード・ヘルパーは、既製品がネットで売っていますが、隙間を開けるだけなら、こんな物でも十分です。

≪写真4右≫
  ビードを落とした後で、こういう風に、ホイールとタイヤの隙間に嵌め込んで使います。 隙間を作り、そこに、結束バンドか、紐を通して縛るのです。 縛らずに、このまま、タイヤを外す作業にかかると、いとも容易に取れてしまう点が、既製品のビード・ヘルパーとの違い。 縛る事を前提にしているから、こういう簡単な物でも、用が足りるわけです。

  終わった後は、燃やすゴミに捨てました。 ただの新聞紙なので、惜し気がありません。




【タイヤ交換②】

≪写真1≫
  2×4角材と、ロープ、ジャッキを使った手製ビード・ブレーカーをかけて、タイヤのビードを落としている様子。 ホイールとタイヤの隙間に、シリコン・スプレーを吹いた上で、この機械で、ギリギリと締め上げても、なかなか落とせませんでした。 一ヵ所目で勝負をかけようとせず、面倒でも、隣接する何ヵ所かにかけた方が、外れ易くなるかも知れません。 私は、2ヵ所にかけて、後は、靴の踵で踏んで、何とか落としました。

≪写真2≫
  古いタイヤを外している様子。 その前に、反対側を、三ヵ所、結束バンドで縛って、タイヤが、ホイールの中の凹み溝に入るようにしてあります。 結束バンドを入れる隙間を作る為に、新聞紙のビード・ヘルパーを用いた次第。

  一番上に挿してあるのが、父の遺品のタイヤ・レバーです。 一本しかないので、プライヤーの柄を二本目の代用にしています。 二本目は、レバーで持ち上げた所を落ちないようにするだけだから、タイヤにキズをつけない金属の棒ならば、何でも用が足りるのです。 三本使う人もいるようですが、足や膝で、二本を押さえる事になるので、かなりの熟練が必要になると思います。

  レバーが、直接、当たると、ホイールにキズがついてしまうので、プラスチックの板を挟んであります。 リム・プロテクターという既製品が売っていますが、わざわざ、買う必要はないです。 プチ・トマトや、キウイの容器を切った物で、充分、代用が利きます。 どうせ、捨ててしまえるから、惜しげなく使えます。 要は、10×10センチくらいのプラスチックの板なら、何でもいいのです。 食品トレイのようなスチロールでは、もちません。

≪写真3≫
  外した左後輪タイヤのビード。 一部、タイヤの側面が膨れ上がっている所があったのですが、外してみたら、ビードが裂けていました。 これでも、空気が漏れずに、走れていたのだから、チューブレス・タイヤの構造は不思議です。

≪写真4左≫
  タイヤを交換するついでに、エア・バルブも新しい物に交換しました。 左後輪は、先立って、換えてあったので、それ以外の3本を交換。 左側が、古いバルブ。 右側が、新しいバルブです。 バルブを外す時には、お尻の方を、ニッパーで切り取り、口の方を引っ張れば、抜けて来ます。

≪写真4右≫
  新しいバルブを入れる時には、虫を抜き、径が合うナットを取り付けます。 そのナットを、プライヤーで挟んで、引っ張れば、ズボッという感じで、入ります。 滑りがいいように、バルブの根元に、シリコン・スプレーを吹いておきます。 プライヤーで挟んだ時に、バルブの筒を潰さないように、ナットは、ゴツい方がいいのですが、私は、手近になかったので、自転車の英式バルブの根元ナットを使いました。 この写真は、取り付け後で、すでに、ナットは外して、虫を入れてあります。




  今回は、以上です。

  そういや、以前、ネットの質問掲示板で、タイヤ交換のやり方を質問した人がいて、ある回答者が、「そんな事も知らないの? 教習所で習わなかった?」などと、大変、失礼な回答を寄せていましたが、タイヤ交換と聞いて、タイヤの組み換えを、ただの車輪交換と、間違えていたんでしょうなあ。

  車輪交換なんて、わざわざ、質問掲示板で訊くわけがないとは思わなかったのかね? 幸い、他にも回答者がいて、勘違いした回答者の事は無視して、タイヤ組み換えについて、正確な解答を書き込んでいましたけど。 他人事なのに、こちらまで、恥ずかしくなってしまう勘違いというのは、あるものなんですな。

  そもそも、「タイヤ交換」という言葉に、二つの意味があるから、宜しくない。 組み換えの方は、「タイヤ組み換え」と言って、はっきり分けてしまえばいいのです。 もっとも、そんな事を提案しても、絶対に、流行も定着もしないのは、分かっているんですが・・・。

  ところで、日本語では、「車輪」という言葉があるから、ホイールとタイヤをセットにした物を、多少、こなれが悪いものの、一応、指し示す事ができますが、英語では、「車輪 = ホイール」ですから、ややこしくなるでしょうねえ。 何か、別の言葉があるのだろうか?