2022/05/29

EN125-2Aでプチ・ツーリング (32)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、32回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年4月分。





【伊豆の国市神島・子育て地蔵尊①】

  2022年4月5日、バイクで、伊豆の国市、神島にある、「子育て地蔵尊」へ行って来ました。 以前、「雄飛滝」へ行った時に、前を通ったので、場所は知っており、迷う事なく、到着。 道中各所で、桜と桃が咲いていました。

≪写真1≫
  大仁の、城山と狩野川に挟まれた辺り。 桜が満開でした。 逆光、御免。

≪写真2≫
  神島と言っても、だいぶ、南で、もう、熊坂が近い所に、「子育て地蔵尊」があります。 伊豆長岡の、大門橋袂から、狩野川の左岸の道を南下して行けば、右手の道路沿いにあるので、普通に走っていれば、難なく、見つけられると思います。 前の道路には、そこそこの傾斜があります。

≪写真3左≫
  ≪写真2≫の左端に写っている建物を、単独で撮影。 この建物も、施設の内のようですが、左手の正面の方を、よく見て来ませんでした。

  白いのは、伊豆の国市教育委員会による、「伊豆の国市 指定文化財 子育て地蔵尊」の解説板。 子供がない夫婦が、小さな地蔵を持って帰り、子供が生まれると、もう一体添えて返す、という仕組み。 弘法大師伝説もあると書いてあります。

≪写真3右≫
  「お賽銭」とあります。 仏物の世界では、「浄財」となっている事が多いですが、まあ、用途が分かれば、充分か。 全て、石で作るのは、大変だったでしょうな。

≪写真4≫
  本尊と、その周辺。 本尊は、浮き彫りではないです。 顔立ちは、素朴な彫り。 たくさんある、小さいのが、借りて帰る地蔵なんでしょうな。




【伊豆の国市神島・子育て地蔵尊②】

≪写真1≫
  「子育て地蔵尊」の前。 道路の反対側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 下り坂に、サイド・スタンドで停めるのは、前にガックンと行ってしまいそうで、ヒヤヒヤですな。 同じ角度でも、上り坂側に停めた方が、ずっと安定がいいのですが、ここの場合、それをやると、カーブの内側になってしまうので、やむなく、こちら側に停めました。

  カーブの内側だと、何が悪いかというと、内側車線を曲がって来る車から見ると、停まっているバイクが、突然目に入るので、事故を起こし易いのです。

≪写真2≫
  「子育て地蔵尊」前の、狩野川。 といっても、河川敷が、葦原になっていて、川が見えませんが・・・。 対岸は、大仁の辺り。

≪写真3≫
  少し、南下した所で、山の桜を撮りました。 といっても、山桜の花が咲く時期は過ぎているので、たぶん、人が植えた、染井吉野系だと思います。 花見場所を造ってあるのかも知れません。

  右下の道路沿いにも、桜並木が見えます。 この付近、伊豆の国市と伊豆市の境でして、桜が咲いているのは、伊豆市になるのかも知れませんな。 昔の、修善寺町。

≪写真4≫
  帰りに、神島橋の袂で撮った、桃。 赤いのは、間違いなく、桃です。 梅にも赤がありますが、季節が違うから、4月始めに咲いているのは、桃しかありえません。 ピンク色のは、染井吉野系の桜と紛らわしいですが、枝ぶりや、花のつき方で、桃と分かります。 桜に比べて、桃は、花の雰囲気が、ポップというか、キュートというか、可愛らしい感じがします。




【伊豆の国市神島・浮島神社①】

  2022年4月11日に、バイクで、伊豆の国市・神島の、「浮島神社」に行って来ました。 神島と言っても、この前に行った「子育て地蔵尊」とは、だいぶ、離れていて、ここは、狩野川右岸です。 国道136号線が近いです。

≪写真1左≫
  周囲は、住宅地と農地。 南側に、出入り口があり、他からは、入れません。 社標には、「村社 浮島神社」とあります。 対になっている門柱には、「明治三拾七年」とありました。 だいぶ、古い。

≪写真1右≫
  鳥居は、石製。 名額に、「浮島神社」。 沼津市に、「浮島」という地名があり、そこは、元が湿地でした。 この辺りも、狩野川が近いので、河道の変遷などが原因で、過去に湿地だった頃があったんでしょうか。

≪写真2左≫
  石燈籠。 脚がある、高級タイプ。 一対ありました。

≪写真2右≫
  引退した石燈籠も、境内に並んでいました。 みんな、火袋が壊れています。 とってあるのは、律儀と言うべきか、はたまた、単に、捨てる所がないのか。

≪写真3≫
  社殿。 木造で、屋根は、ブリキ・トタン葺き。 棒注連縄あり。 直管の蛍光灯が付けてあるのは、珍しいです。 暗くて見えませんが、扉にガラスを抜いてある部分があり、たぶん、その中に、賽銭箱があるのだと思います。

≪写真4左≫
  手水場。 漱盤は、石製。 正面に、右から、「奉納」。 蛇口あり、ハンドルあり。 使える手水場ですな。

≪写真4右≫
  後ろ側。 排水設備も、バッチリ。 水を扱う以上、こうでなくては。 石製の漱盤に、塩ビ配水管が入っているのは、初めて見ました。 「なせばなる」の典型例と称すべき。




【伊豆の国市神島・浮島神社②】

≪写真1左≫
  社殿を側面から見ました。 拝殿と本殿が、廊下で繋がっている形式。 ここの廊下は、比較的、長いですな。 廊下の壁だけ、波板トタンになっています。 木で作ると、高いんですかね。 サッシも入っています。

≪写真1右≫
  境内に、立派な舞台があって、驚きました。 駿東近辺で、舞台がある神社なんて、三嶋大社だけだと思っていました。 祭りで、芝居とかやっているんですかね? 新型肺炎が収まったら、見に来てみたいです。 といっても、その頃には、この神社の事を忘れてしまっていると思いますが。

≪写真2左≫
  境内別社。 といっても、石の祠ですが。 たぶん、よそから、移して来たもの。 右端のは、地蔵っぽいですが、神社に持って来たのだから、神像なのかも知れません。

≪写真2右≫
  鳥居の横に停めた、EN125-2A・鋭爽。 見た目より、土が柔らかくて、一通り見て、戻って来たら、サイド・スタンドが、かなり、めり込んでいました。 危ない危ない。 倒れてしまうよ。 やはり、湿地だったんですかね。 その割には、周囲の住宅は、普通に建っていましたが。

≪写真3≫
  境内から、北の方を見た景色。 高架は、鉄道ではなく、「修善寺道路」です。

≪写真4≫
  境内から、西の方を見た景色。 大仁(おおひと)のランド・マーク、「城山(じょうやま)」が、ドーンと見えます。 マグマが冷えた、岩の塊。

≪写真5≫
  帰る時に、神社の西側の道路から、菜の花を撮ったら、神社の鎮守の森の様子もよく分かる写真になっていました。 森が、豊かです。 狩野川に架かる神島橋を渡って来た場合、すぐに南へ右折すれば、この森が目印になります。




【伊豆の国市三福・熊野神社①】

  2022年4月20日に、バイクで、伊豆の国市・大仁の、三福にある、「熊野神社」へ行って来ました。 目的地は、下畑の「子神社」だったんですが、ロストしたと思って、早々と引き返してしまい、帰途に、たまたま見つけたのが、三福の熊野神社だったのです。 代わりに寄ったのでは罰が当たるくらい、立派な神社でした。 「三福」は、「みふく」と読みます。

≪写真1≫
  正面。 石の鳥居。 石垣は、明治以降のものでしょうねえ。 石の柵。 お金がかかっています。

≪写真2左≫
  鳥居の脇にあった、「皇紀二千六百年記念」の石碑。 皇紀というのは、戦前・戦中に使われていた暦で、その2600年は、昭和15年、1940年の事です。 ちなみに、「ゼロ戦」の「ゼロ」は、「2600」の下一桁の「0」の事。

  この神社、「皇紀二千六百年記念」には、相当、力を入れたらしく、その時期の奉納品が、いくつか見られました。 当時の世相から考えて、他の神社でも、同じ事をやっていた可能性が高いですが、戦後のアメリカ占領期間中に、お咎めを恐れて、撤去してしまったのではないかと思います。 この神社では、それが残されている、という事なのかも知れません。

≪写真2右≫
  鳥居の下に、用水が流れていて、その上に、短い石橋が架けられていました。 結界ですな。 写真には写っていませんが、水は綺麗に澄んでいて、勢いよく迸っていました。

≪写真3左≫
  鎮守の森が、伊豆の国市の指定文化財になっているようです。 これは、その解説板。 神社の由来の方が、多く書かれていて、指定文化財が、森なのか、神社なのか、はっきりしません。

  木々の背丈は高いですが、本数が少なく、鬱蒼とした感じはしません。 もしかしたら、かつては、今の境内の左右にも、森が広がっていたのかも知れません。

≪写真3右≫
  参道。 巨木があります。 石燈籠の残骸もあります。

≪写真4左≫
  第二の鳥居。 こちらも、石製で、立派なもの。 左右に、これが現役と思われる、完品の石燈籠があります。

≪写真4右≫
  手水舎。 トタン葺きの小屋がけは、立派。 石製の漱盤も、まずまず。 惜しむらく、蛇口がなく、オブジェになっています。 もしや、祭りの時だけ、水を入れるとか? 何だか、却って、手を汚してしまいそうですな。

≪写真5左≫
  獅子型狛犬。 獅子型でも、戦前のデザインです。 これも、「皇紀二千六百年」に奉納されたもの。 それはさておき、造形的に、妙に、カッコいいな。 名のある彫刻家の作なのか。

≪写真5右≫
  「奉納 御神馬」。 馬の石像というのは、初めて見ました。 建立は、昭和10年でして、時代柄、何となく、神馬というより、軍馬を想起させます。




【伊豆の国市三福・熊野神社②】

≪写真1≫
  熊野神社の社殿。 背景の巨木に負う所も大きいですが、「ドドーン!」という感じで、ムチャクチャ、カッコいい建物です。 屋根は銅板葺き。 この写真では分かりませんが、壁は、蔀が入っています。

≪写真2左≫
  側面。 基本的に、本殿と拝殿が、廊下で繋がっている形式ですが、本殿と拝殿の一体感が強く、複雑な形をした、一つの建物に見えます。 このデザインは、凄いで。 おそらく、この社殿を見て育った人達は、よその神社の社殿を見ても、「不恰好」にしか見えないでしょう。

  本殿を囲むように、石の柵があります。 これは、本殿に近づけないようにする為のもの。 愛知県の方で多く見られます。

≪写真2右≫
  この建物は、舞台ですかね? 伝統芸能があるらしいのですが、それを演ずる場所なのかも知れません。 屋根と壁は、トタン。 白い所は、シャッターが入っています。

≪写真3左≫
  境内別社。 木造のと、石の祠があります。 木造の建物の手前に、先代と思われる、漱盤が置いてありました。 現役も、先代も、オブジェか。

≪写真3右≫
  石碑、二つ。 手前が、忠魂碑。 奥は、神社の名前が彫られたもの。 忠魂碑の裏に、50人弱の戦死者名が彫ってありました。 三福は、集落としては、大きい方だと思いますが、それでも、戻らなかった50人弱は、割合的に、少なくありません。 「皇紀二千六百年記念」に力が入っただけに、痛々しさが際立ちます。

≪写真4左≫
  「種播三番叟」という伝統芸能があるらしく、これは、その解説板。 大変、詳しく書かれていて、興味がある人には、ありがたい配慮です。

≪写真4右≫
  この神社の付近、「仲道A遺跡」であるとの事。 旧石器時代から、鎌倉時代まで、遺物が出て来たそうで、よっぽど、暮らし易い土地なんでしょうな。

≪写真5左≫
  神社の裏手に、大きな工場があり、工業都市風の景色になっていました。 この写真だけ見せれば、富士市とか、四日市市とか、川崎市と言っても、通りそうです。

≪写真5右≫
  社殿の傍らに停めた、EN125-2A・鋭爽。 後ろの建物は、「三福公民館」で、そちらの駐車場もあるので、車で来ても、停める場所には困りません。




【伊豆の国市下畑・子神社①】

  2022年4月25日、バイクで、伊豆の国市・下畑の、「子神社」へ行って来ました。 前回、辿り着かなかったところ。 調べ直して、再挑戦した次第。 「下畑」は、「しもはた」と読みます。 

≪写真1≫
  山の斜面にあります。 これは、正面。 社標には、「村社 子神社」とあります。

≪写真2左≫
  社標の裏側。 「日露戦没記念」。 四件の勲等が記してあります。 こういうのも、初めて見ました。

≪写真2右≫
  境内は、段々になっています。 上の方の段にあった、切り株。 そこそこ、太い木があった模様。

≪写真3≫
  社殿、正面。 木造で、屋根は、トタン葺き。 完品の石燈籠あり。 外置きの、賽銭箱あり。

  社殿の色が赤いですが、この神社、都市地図には、「弁財天」と載っていて、もしかしたら、何か関係があるのかも知れません。

≪写真4左≫
  手水場。 石製の漱盤は、正面に、左から、「奉納」。 その下に、絵が彫ってありますが、扇子以外は、よく分かりません。

  蛇口、ハンドルあり。 なんと、漱盤に、ステンレスのシンクが嵌め込んであります。 こんな、ピッタリのシンクがあるはずがありませんから、採寸して、作ったんでしょう。 なぜ、ステンレス・シンクにする必要があったのか分かりませんが、発想そのものが、ユニークで、面白いです。

≪写真4右≫
  漱盤の側面。 「昭和七年十月二十日 ○○氏」と、彫ってあります。 1932年ですな。 「昭」の字だけ、上の淵の部分に食み出ているのは、奇妙。 

  裏面に、水道管と、排水樋が見えます。 樋は短くて、そのまま垂れ流すだけのようです。 排水管を設置するのは、平地でも大変で、山では尚の事です。




【伊豆の国市下畑・子神社②】

≪写真1≫
  境内から見下ろした、下畑の集落。 いい所だなあ。 

≪写真2左≫
  社殿を側面から。 本殿と拝殿が、短い廊下で繋がれている形式。 赤い色に目が行ってしまいますが、形も、よく纏まっています。

≪写真2右≫
  神社の横を通る道路。 バイクを停める所がなくて、やむなく、路肩に停めました。 これだけ、あいていれば、他の車が来ても、通れると思って。 すぐ近くに、住宅があるので、車で行って、同じ所に停めて、文句を言われても、私は知りません。

≪写真3≫
  同じような写真で恐縮ですが、雰囲気がいいので、出します。 見上げる位置に社殿があると、大変、神々しい趣きがあります。 夢に出て来そうな風景だな。

≪写真4≫
  EN125-2A・鋭爽。 大仁は、遠い。 この日も、37キロも走ってしまいました。 ガソリンが、どんどん、減ります。 急に、燃費が悪くなったのかと思ったら、そうではなく、遠い目的地が続いたから、減ったのです。 今後しばらく、近場を選ばなければ。




  今回は、ここまで。

  やはり、組み写真8枚は、多い。 4月は、出かけた回数が、四回だったのに、その内一回も、組み写真一枚の時がなかったわけだ。 要所だけ撮影するようにすれば、一枚で収まるんですが、それだと、神社アイテムばかりになってしまって、変化がなくなってしまうのです。

2022/05/22

実話風小説④ 【男なら】

  「実話風小説」の四作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。 前回で、在庫が払底したのですが、その後、書きましたよ、一本。 こんな、しょーもない小説。




【男なら】

  A夫妻。 夫が、大企業の重役を勤めていた関係で、裕福な生活をして来た。 その夫が、「引退後は、静かな環境で余生を送りたい」と言い出した。 妻の方は、あまり乗り気でなかったが、夫の収入に全面的に頼って暮らして来た手前、異議を唱えられる立場ではなかった。 A夫妻は、山の中に土地を買い、洒落た家を建て、引退と同時に移り住んだ。 街なかに住んでいた頃から、住み込みの使用人夫婦がいて、その二人も一緒に、山の家に移った。

  一応、地域社会に属していたが、他の住人とのつきあいは、ほとんど、なかった。 家が、集落から離れた山奥にある事もあったが、もっと大きな理由は、「田舎の人間とは、話が合わない」というものだった。 といって、対立しているわけではなく、町内会の活動には、専ら、夫の方が顔を出していた。

  妻は、街なかに住んでいた頃の友人・知人と 交際を続けていたが、歳を取るにつれ、実際に顔を合わせる機会は減っていった。 夫が、高齢で車の運転ができなくなると、決まった仕事がある使用人を運転手代わりに使うのも気が引けるし、タクシーを呼んでまで、つきあいの為に出かけて行く事はなくなってしまったのだ。

  やがて、夫が病に伏し、先に他界した。 引退後、10年生きて、75歳だった。 ちなみに、妻は、2歳年下である。 夫が死んだ時点で、山で暮らす理由はなくなっていたが、街の家は売ってしまっていたし、山の家を建てるのに、夫の退職金のほとんどを使っていたので、今から街に戻るのは、経済事情的に、無理だった。

  夫が死んで、2年後、今度は、使用人の夫の方が、交通事故で、死亡した。 家政婦を務めていた妻の方が、車の運転ができたので、食料品や生活必需品の買い出しは続けられたが、男手がいなくなってしまったせいで、生活は俄かに不便になった。


  やはり、山の中だが、A家から、400メートルほど離れた所に、昔からの農家があった。 何十年も空き家だったのが、元の住人の一人、Bさんが、引退後、土弄りがしたいと思い立って、戻って来た。 廃屋だったのを、素人大工で手を入れて、住めるようにした。 

  家の方が、ほぼ完成し、畑の方の手入れに取り組んでいた、ある日の昼下がり。 畑の隅に、人が立っているのに気づき、Bさんは、ギョッとした。 もう、そこそこ高齢の女で、村内では見覚えがなく、初めて会う顔だ。 女は、A家の家政婦だと名乗った。 Bさんは、A家の事は、村の知り合いから聞いて知っていたが、自分は、子供の頃から、20歳過ぎるまで、この家に住んでいたので、村の中では、先住者だと思い、自分の方から挨拶には行ってなかった。

  何の用かと訊くと、A家まで来て欲しいとの事だった。 Bさんの服が、畑仕事で汚れているのを、ジロジロ見て、「少し綺麗な格好で来てくださいね」と付け加えた。 ニコリともせずに、それだけ言って、帰ってしまった。

  Bさんは、ご近所のお招きは、戻って来た直後から、ちょこちょこと受けていた。 A家は初めての人達だが、招かれて、行かないのも失礼だと思い、出かける事にした。 しかし、普通、そういう招待は、夕食を御馳走になるものだが、まだ、午後2時過ぎである。 赤の他人だから、食事よりも気軽な、3時のお茶に招くつもりなのだろうか?

  時間を確認しておけば良かったと思ったが、もう家政婦の姿はない。 電話番号も知らないし、まあ、いいか、そんなに遠いわけではないから、時間を訊きに行って、夕食の事だったら、また戻って、出直せばいい。 そう思って、こざっぱりした服に着替え、出かけて行った。

  10分ほど歩いて、A家に着いた。 山の中には似つかわしくない、洋風の大きな家である。 邸宅と言っても、おかしくはない。 玄関が開いていて、呼び鈴を押すと、家政婦が、奥から出て来た。 いらっしゃいと言うでもなく、無感情な目で、Bさんを見て、「こっちです」と、顎で方向を示し、スタスタ、入って行ってしまった。

  案内されたのは、洗面所で、天井灯の真下に、踏み台が置いてあった。 「電球が切れたんだけど、カバーが外れないの。 お願いしますね」と言う。 Bさんが、驚いていると、家政婦は、更に付け加えた。 「それが済んだら、浴室の洗い場に、デッキ・ブラシをかけてください。 終わったら、呼んでね。 他にも、外周りで、幾つか、やってもらいたい事があるから。 わたし、台所にいますからね」と。 これには、ますます、驚いた。

  人によっては、「女所帯で、困っているんだろう。 やってやればいいではないか」と思うかもしれない。 Bさんも、最初から、事情を説明してもらって、丁寧に頼まれれば、嫌がるような心の狭い人ではない。 問題は、話の持って行き方なのだ。 初対面の他人に向かって、下男でも使うような調子で、仕事を押し付けるとは、何事か。

  Bさんは、夕食か、3時のお茶の招待だと思っていたから、尚の事、落差が大きかった。 扱き使われる為に、自分の仕事を中断し、わざわざ着替えて、訪ねて来たわけではない。 かといって、激昂して、怒鳴りつけるのも、大人気ないと思い、思いっきり、ガッカリ落胆したという表情を作り、強い語気で言った。

「な~んだ~! そ~んな用事で呼びに来たんですか~! そういう事は、便利屋を頼んで下さい!」

  家政婦は、呆気に取られた顔をしている。 廊下の途中、居間らしき部屋から、顔を見せていた奥様が、帰ろうとするBさんに向かって、窘めるような口調で、声をかけた。

「あなた、男でしょ?」
「そうですよ」
「力仕事は、男の義務だって、親御さんに教わらなかった?」
「何言ってるんですか? 男である前に、他人ですよ。 あなた、常識がないんですか?」

  常識がないと言われて、奥様は、ぐっと詰まってしまった。 これまでの人生でも、友人達から、何度か言われた事がある言葉だったからだ。 頭に血が昇り、目眩がするほど、猛烈な怒りが湧いたが、相手が男なので、それ以上、事を荒立てる事に危険を感じて、何も言わなかった。 Bさんは、奥様を睨みつけながら、外へ出た。

  帰りしなに、庭の方に目をやると、苔が生えた屋外用のテーブルの上に、紙コップ、緑茶のティー・パック、古ぼけた魔法瓶、ラップをかけた小皿が、盆に載せて置いてあった。 小皿の中は、たくあんが3切れだった。 Bさんは、それを見て、ますます、腹が立ち、こんな家、二度と来るものかと心に誓いながら、大股で家路を急いだ。


  この一件、Bさんは、村内で会う人ごとに、喋り捲った。 聞いた人の反応は濃淡様々だったが、「あの家なら、やりそうな事だね」というのが、大方の意見だった。 地元の住民を、同じ人間として扱っていないと思われていたのである。 実際、そうだったのだが。

  町内会の用事で、A家を訪ねた人が、家政婦と話をした時、その一件の事が出た。 家政婦は、「ちゃんと、お礼をするつもりで、お茶を用意してましたよ」と言ったらしいが、Bさんの報告の方が詳しかったせいで、「わざわざ、着替えさせた上に、庭で、紙コップにティー・パックのお茶と、たくあんを出して、済ませようとしたらしい。 よっぽど、他人を汚いと思ってるんだろう」と語り合われてしまった。


  Aの奥様、生まれ育ちが良くて、資産家のお嬢様として、娘時代を過ごし、その後、高収入の夫と結婚したので、常に、家の中には、使用人がおり、力仕事や汚れ仕事をしてくれる、男手がいた。 そのせいで、下層階級の男というのは、使用人だろうが、他人だろうが、そういう仕事をするものだと、勘違いしていたのである。

  家政婦も家政婦で、何十年も、同じ家に住み込みで働いている内に、すっかり、井の中の蛙になってしまい、奥様の考え方に毒されて、常識を見失ってしまっていたのだ。 でなければ、もう少し、頼みようがあったろうに・・・。 この世で一番偉いのは、奥様。 二番目が、自分。 それ以外の者は、自分達の命令をきくのが、当たり前、と思っていたのだろう。


  この話を聞いて、「Bの奴は、プライドが高過ぎるんだよ。 俺が、Aさんを助けてやる」と、自分から出向いた男がいた。 A家では、一応、歓迎されたが、さんざん、3K仕事をさせられた挙句、やはり、庭で、紙コップにティー・パックのお茶と、たくあんを出されて、なんだか、馬鹿馬鹿しくなってしまい、二度と行かなかった。 電話番号を教えて来なかったのは、幸いだった。 もし、教えていたら、A家に、べったり頼られて、扱き使われ続けたに違いない。


  その後の奥様。 村内で評判が悪くなった事を知り、家を売ろうとしたが、交通不便な立地の割に、希望売却価格が高過ぎて、なかなか売れず、痺れを切らして、実家へ戻った。 ところが、実家は、とっくに零落していて、使用人を雇う余裕もなかった。 弟の息子の嫁が、まだ体が動く奥様に、家事を手伝ってくれと頼んだが、頑として聞かず、死ぬまで、有閑生活を押し通した。 現実問題として、何もできない人だったのである。

  奥様の家政婦は、その後どうなったのか、消息が分からない。 家政婦以外に仕事をした経験がない人だったが、奥様の影響で、すっかり、他人を見下す高慢な性格になってしまっており、よその家に行って、勤まったとも思えないのである。

2022/05/15

読書感想文・蔵出し (87)

  読書感想文です。 前回出したのが、2月13日でしたから、だいぶ、間が開きました。 読書意欲は衰えたものの、一応、図書館通いは続けています。





≪モンタギュー・エッグ氏の事件簿≫

論創海外ミステリ 258
論創社 2020年11月20日/初版
ドロシー・L・セイヤーズ 著
井伊順彦 編・訳

  沼津図書館にあった単行本です。 一段組み。 短編、13作を収録。 本国刊行の短編集を、そのまま訳したものではなく、翻訳の際に、編集されたもの。 内訳は、ピーター・ウィムジイ卿物1、モンタギュー・エッグ物6、ノン・シリーズ6。 

  ドロシー・L・セイヤーズさんは、イギリスに於ける、長編推理小説黎明期の、代表的作家の一人。


【アリババの呪文】 約44ページ 1928年
  主亡き後、犯罪組織に加わった、元従僕。 歳月を費やして、信用を得るが、ある時、秘密集会で、裏切り者である事を指摘されてしまう。 殺されそうになって、自宅の金庫に、組織の名簿が隠してあると脅し、首領に探しに行かせるが・・・、という話。

  長編の探偵役として活躍する、ピーター・ウィムジイ卿物。 金庫に仕掛けが施してあって、そこが、読ませどころなのですが、機械仕掛けは、いくらでも、複雑な物を設定できるので、推理物としては、破格になってしまいます。 実際、ウィムジイ卿のファン以外には、ちっとも面白くありません。


【毒入りダウ'08年者ワイン】 約16ページ 1933年
  ワインのセールスマン。 出入りしているお屋敷の主人が、自社製のワインで毒殺されたと聞いて驚き、素人探偵として、捜査に当たる話。

  どうやって、ワインに毒を入れたかが、謎になっていますが、トリックは、物体的なもので、読者には推理が不可能な、特殊な道具が使われています。 こういうのは、ズルなのでは? トリックには、読者が誰でも知っているような物を使わないと、読者の意表を衝けないではありませんか。


【香水を追跡する】 約16ページ 1933年
  ワインのセールスマンが、あるパブで、逃亡中の殺人犯の経歴を聞き、店に居合わせた顔ぶれの中から、ある癖を観察して、犯人指名に至る話。

  これは、何とか、ズルを避けられているかな? 結末を知ってから、読み返せば、その癖について、先に記述があるのが分かります。 しかし、普通に読んでいると、見逃してしまうでしょうねえ。 すでに、パブには警官が来ていて、店内の誰かが犯人だと分かっているとなると、設定が不自然な気がせんでもなし。 そこまで分かっていれば、普通、全員しょっぴいて、一人一人、調べるんじゃないでしょうか。 


【マヘル・シャラル・ハシュバズ】 約16ページ 1933年
  猫を売りにいくという少女を助けた、ワインのセールスマン。 乗りかかった舟で、ついて行ってやるが、買い取り側の様子が、少しおかしい。 やがて、引き取られたはずの猫が、自分で戻って来てしまい、引き取った家を見に行くと・・・、という話。

  タイトルは、猫の名前。 こんな凝った名前をつけるほど可愛がっているのに、売りに行くというのは、かなり、おかしな設定です。 猫を使った犯罪なのですが、大量の猫の遺骸が出て来たりして、露悪趣味に流れています。


【ゴールを狙い撃ち】 約18ページ 1935年
  殺された男が握っていた紙切れに書かれた文字に特徴があり、たまたま、パブで関わったワインのセールスマンが、特定の職種の人間が犯人だと指摘する話。

  モンタギュー・エッグ物は、パブが舞台になる話が多いですな。 文字の特徴を見せる為に、紙切れの絵が入っていますが、読者としては、こういうものを見せられても、その特定の職種の人物が誰なのか分からないのだから、推理のしようがありません。 文字遊びも入っているのですが、英語圏の読者でなければ、全く分からないものです。


【ただ同然で】 約18ページ ?年
  安ホテルに泊まったワインの・セールスマン。 夜中に、時計の鳴る音と、人間の呻き声を聞く。 朝になると、知り合いの宝石商が殺されていた。 時計の音から、犯人を指名する話。

  昔は、一時間ごとに、鳴る時計があったわけですが、今考えてみると、夜中まで鳴られたのでは、うるさくて、目が覚めてしまいますな。 トリックが使われているわけではなく、謎解きも、ワインのセールスマンが、勘違いしていた事に気づくという、それだけの話。


【偽りの振り玉】 約18ページ 1934年
  安ホテルで、殺人事件が起こり、犯行時刻をごまかす為に、時計の針が操作されている可能性が出てくる。 振り玉の位置を見て、ワインの・セールスマンが謎を解く話。

  また、時計ですか。 セイヤーズさん、よっほど、時計が好きなようで。 たぶん、自分の家の中にある時計を眺めながら、トリックを考えていたのでしょう。 振り玉の動きについて、細々と書いてありますが、振り玉を使った時計というのを見た事がないので、どこがどう、面白いのか、全く分かりません。

  登場する機械が時代遅れになって、内容が分からなくなってしまう現象は、ポケベルを使った犯罪をモチーフにした推理小説が、瞬く間に陳腐化したのを思い起こさせます。


【噴水の戯れ】 約20ページ 1932年
  ある金持ち。 かつて、刑務所にいた事を知る男に脅され、金を要求される。 殺してしまう事に決め、自邸の庭にある噴水を利用して、アリバイを作ろうとするが・・・、という話。

  ノン・シリーズで、探偵役は出て来ません。 噴水は、誰でも知っているから、トリックに使う道具としては、合格印つきですな。 だけど、だから、面白いというわけではないです。


【牛乳瓶】 約16ページ ?年
  配達された牛乳が取り込まれずに、何本も溜まっている貸家の部屋。 それを見かけた新聞記者が、事件の匂いを感じ取って、小さな記事にしたところ、読者から反応があり、本格的な取材に乗り出す。 やがて、部屋から、異臭が漏れ始め・・・、という話。

  オチがついている話。 ストーリーが入り組んでいる割には、結末が軽いので、何だか、馬鹿にされたような気分になります。 どうも、この作者、短編を、その程度のものと見做していたようですな。 ここまで読んで、いい印象の話が一つもないのは、どうした事か。


【板ばさみ】 約12ページ ?年
  火事を起こした執事の命より、研究の成果を持ち出す事を優先して、批判された医学者がいた。 それに類した話として、弁護士事務所で働いていた男が、列車事故に遭った時、被告人の無罪を証明する証拠品より、閉じ込められた子供の命を助ける事を優先した顛末を語るが、実は・・・、という話。

  サンデル教授の白熱教室に出て来る、題材みたいな話。 究極の選択的な、倫理の問題ですな。 この作品が書かれた当時、すでに、この種の話のネタ本があったのでは? と、思わせます。

  さらりと書き流されていますが、人種差別・民族差別が含まれています。 この作者は、そういう人だったわけだ。 「差別意識を持っていた事が逸話で残っている」というのならまだしも、作品に直接書き込んでしまうのは、相当、人格が卑しいのでは?


【屋根を越えた矢】 約18ページ 1934年
  しょっちゅう、編集者から原稿を付き返されている小説家。 編集者に、次回作への興味を引かせる為に、作品から切り取った文章を送りつけていた。 やがて、その編集者が殺され、送りつけた文章から、捜査の手が及ぶ事を恐れた小説家の秘書が、証拠になりそうな原稿や書付を焼いてしまうが・・、という話。

  アイデアは分かるんですが、オチ話にしてしまうと、終わりの方のバランスが悪くなってしまいますな。 小説家が捲し立てる独り言みたいな書き方をせず、もっと、普通に書けば、読み易くなったと思うんですがね。 しかし、ケチをつけないのであれば、面白い話だと思います。


【ネブガドネザル】 約16ページ ?年
  あるパーティーで、幾つかの寸劇から、それぞれが表している単語を当て、それらの頭文字を並べて出来る単語を当てる、「ネブガドネザル」というゲームが行なわれた。 妻を失っていた男が、目の前で繰り広げられる寸劇が、自分の妻の名前を表していると思い込み・・・、という話。

  寸劇の内容ですが、聖書のエピソードからとられたものばかりで、聖書に詳しくないと、全く分かりません。 おそらく、第二次世界大戦後生まれだと、英米人でも、理解できないのでは? かつては、知識人の教養とされていたものでしょうが、今では、全く外れてしまっていますから。

  ある病気への差別表現が含まれています。 この作者、とことん、差別意識が強かったんですな。 一生、劣等意識に苛まれ続けた口なんじゃないでしょうか。 そういや、衒学趣味も、劣等意識をもっている者が、嵌まり易いものですな。


【バッド氏の霊感】 約19ページ 1925年
  流行らない理髪店の店主。 懸賞金がついた殺人事件の新聞記事に興味を引かれていたところへ、客がやってくる。 髪を染めたいというので、その準備をしながら観察するに、どうも、記事に出ている殺人犯の特徴が見て取れる。 恐怖に震え上がりながらも、この好機を逃すまいと、ある工夫を凝らして・・・、という話。

  前置きが長いのが、些か鬱陶しいですが、客が入って来てからは、テンポ良く進み、痛快な結末まで、一気に読ませます。 この短編集の中では、一番、面白い話。 逮捕場面を、船の上にしたのは、変化があって、読後感を、より味わい深いものにしています。


  短編集全体として、概ね、辛い評価になりましたが、こういう、人を食ったような、皮肉たっぷりの話が好きな読者なら、もっと、高評価になるのではないかと思います。 それでも、作者の持つ差別意識は、論外だと思いますが。

  私は、過去に、セイヤーズ作品の長編を、片手で数える程の数、読んでいて、それっきり、やめてしまったのですが、その感想を読み返したら、やはり、差別表現が引っ掛かって、それ以上、読む気をなくしたのだと分かりました。 この本を読んで、短編も同じらしいと分かったので、もう、この作者の作品は読まない事にしようと思います。




≪ゴルフ場殺人事件≫

クリスティー文庫 2
早川書房 2011年7月15日/初版 2014年7月15日/3刷
アガサ・クリスティー 著
田村義進 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 アガサ・クリスティーさんの作品は、随分前に、有名なのを、片手で数える程度、読んだのですが、その後、避けていました。 理由は、デビッド・スーシェさん主演のドラマで、一通り見ていたから。 

  早川文庫の中に、クリスティー文庫というのがあり、なるべく、番号が若いのから、借りて来ました。 【ゴルフ場殺人事件】は、コピー・ライトが、1923年になっています。 約356ページ。 文庫としては、厚い方だと思いますが、読み易いので、ページがスイスイ進みます。


  南アメリカで財をなし、フランスに別宅を持っているイギリス人から依頼を受け、ドーバーを渡った、名探偵ポワロと、ヘイスティングス大尉。 着くなり、依頼主が殺されたと報される。 夫人や使用人の証言には、異同があり、隣の屋敷に住む婦人が、被害者の愛人だったという話が出る一方、被害者の息子の行動に不審な点があり、ヘイスティングス大尉が知り合った軽業師の娘まで事件に絡んで来て・・・、という話。

  梗概には、あまり、意味がありません。 なぜなら、後半で、ころころと、話が何度も引っ繰り返って行くからです。 犯人は、Aだと思ったら、B・・・、と思わせておいて、実はC、といった具合。 最初から、それを狙って書いたものと思われます。 クリスティーさんが、長編推理小説の草分け的な存在だったから、許された事で、今の推理作家が、こういう話を書いたら、「なんだ、このパターンか・・・」と、眉を顰める読者もいると思います。

  タイトルに反して、ゴルフは、ほとんど、関係ありません。 屋敷の横に、ゴルフ場があり、バンカーになるはずの場所に、死体があった、というだけの話。 全く関係ないというわけでもないですが、少なくとも、ストーリー上は、ゴルフ場が出てくる意味は薄いです。 原題は、「MURDER ON THE LINKS」になっています。 「LINKS」を調べて見たら、ズバリ、「ゴルフ場」だそうです。

  やはり、先に、ドラマを見ているからか、のめりこむほど面白いという感じはしませんでした。 ストーリーが複雑すぎるからかも知れません。 どんでん返しを何度も予定しているせいで、犯人と目される事になる登場人物が多いだけでなく、読者を目晦ましする為に、キャラが被っている人物もいる有様。 誰がどんな役割をしているのか、謎解きをされるまで、全く分かりません。

  ポワロ物の第一作、【スタイルズ荘の怪事件】は、1920年の発表なので、その3年後とすると、まだ、初期の作品ですから、いろいろと、長編推理小説の可能性を模索していたのかも知れません。 この複雑さは、ホームズ物の長編と比べると、完全に、時期を画していてる感があります。 クリスティーさんは、並々ならず、頭が切れて、複雑な事を処理する能力が高かったんでしょうなあ。 ドイルさんが、頭が切れなかったわけではないですが、推理小説を、どう長編化すればいいのかまでは、辿り着かなかったわけだ。




≪ビッグ4≫

クリスティー文庫 4
早川書房 2004年3月15日/初版 2019年5月15日/11刷
アガサ・クリスティー 著
中村妙子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 ≪ビッグ4≫だから、クリスティー文庫の、4番目なんでしょうか。 2よりも、4の方が、先に出版されているのが、よく分からぬ。

  【ビッグ4】は、コピー・ライトが、1927年になっています。 約330ページ。


  結婚して、南米に移住したヘイスティングス大尉が、久しぶりに、イギリスへ戻り、ポワロの元を訪ねて来たところ、ポワロは、驚くような高報酬につられて、南米に旅立とうとする寸前だった。 途中で、罠であるに気づいて、引き返すが、それ以来、「ビッグ4」と名乗る四人の頭目に率いられた国際組織による、犯罪が頻発する。 警察、諜報部のみならず、関係各国まで巻き込んで、目的の為なら殺人も厭わない相手との戦いに、明け暮れる話。

  これは、推理小説ではなく、スパイ物の冒険小説です。 解説によると、元は、雑誌に連載した短編が何作かあったものを、編集者の勧めにより、纏めて、長編にしたのだとか。 短編向きのアイデアが、幾つも出て来るのは、そのせいで、説明されれば、納得できます。 本来は、短編の推理小説だったものを、強引に、長編の冒険小説にしてしまったわけだ。

「あの、クリスティーが、そんな雑に事をやるのか?」

  とは、誰もが思うところですが、これも、解説によると、長編に纏めるに当たって、編集側で手を入れているようで、つまりその、クリスティーさん本人は、長編化作業に関わっていない可能性もあります。 どうにも、本人らしくない、ストーリー展開を読むに、確かに、これは、誰か、器用な文章を書ける人物による、半代作だと思われて来ます。

  話の方は、何せ、冒険小説なので、大人の読者が楽しめるようなものではありません。 クリスティー作品の中でも、評判が悪いそうですが、推理小説のつもりで買った読者は、そりゃ、不満でしょうな。 私は、借りただけだから、懐に痛みは感じませんけど。 それにしても、らしくない。 これが、【アクロイド殺し】や【そして誰もいなくなった】などの傑作と、同じ作家が書いたものとは、とても思えません。 実際、そうではないわけですが。

  デビッド・スーシェさん主演のドラマ・シリーズでは、【ビッグ4】は、全く違う話に変えられて、普通の推理物になっていました。 個人による犯罪になり、物語の世界観は狭くなっていましたが、そちらの方が、ずっと、クリスティー作品らしかったです。 しかし、どちらも、クリスティーさん本人が考えたものではない、贋物である点では、同じですな。




≪邪悪の家≫

クリスティー文庫 6
早川書房 2011年1月15日/初版 2014年2月15日/2刷
アガサ・クリスティー 著
真崎義博 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【邪悪の家】は、コピー・ライトが、1932年になっています。 約348ページ。 原題は、【PERIL AT END HOUSE】で、直訳すると、【エンド・ハウスでの危難】。 「エンド・ハウス」というのは、中心人物である若い女性が住んでいる屋敷の事です。


  保養地に滞在していたポワロとヘイスティングスが、近くにある屋敷の主人である、若い女性と知り合いになる。 彼女は、立て続けに命の危機に見舞われたと語り、その場でも、銃撃される。 彼女の警護を買って出たポワロだが、花火の夜に、彼女の従妹が、彼女と間違えられて、殺されてしまう。 彼女には、冒険家の婚約者がいて、その青年は、ごく最近死んだ叔父から、莫大な遺産を受け継ぐ事になっていた・・・、という話。

  大変、複雑な話で、梗概では、この程度しか書けません。 フー・ダニットでもあり、ハウ・ダニットでもあり、内容は濃密です。 ダラダラと、注意散漫に読み始めても、次第に引き込まれ、ゾクゾク感を覚えずにはいられなくなります。 これは、推理小説のマジックですな。 さすが、クリスティーさんと言うべきか。

  地の文に比べて、会話が多くて、ページはスイスイ進みますが、それでいて、話の中身が、入り組んでいて、濃いというのは、不思議です。 複雑な話を、平明に書くというのは、難しいのですが、クリスティーさんは、そういう文章術の極意を、この時点で、確立していたわけだ。 素晴らしい。 視点人物を、ヘイスティングスにしている点が味噌で、純粋素朴な人物の目を通しているから、語られる事が分かり易いんですな。

  この話の犯人は、まーず、読者には、推理できません。 最も、ありえそうにない人物なのですから。 とはいえ、ズルで隠しているわけではなく、最初に、犯人の本名が出て来た時点で、気づく人は気づくかも知れません。 「あれ? 同じような名前の人が二人出てきたぞ」と。 英語母語話者なら、そうでない読者より、分かり易いはず。

  ポワロは、相変わらず、どの時点でも、自信満々ですが、この話では、全体の9割進むまで、殺人の真犯人が誰か分かりません。 名探偵でさえ、分かっていないのだから、読者が分からなくても、恥ずかしくありませんな。

  犯人は、ある人物になりすましているわけですが、全くの別人が、ある人物になりすましているわけではなく、ある一点を除いて、その人はその人で、本物であるという点、実に巧妙な、なりすましになっています。 どういう知能があれば、こういうアイデアを思いつくんですかね? 不思議だ。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、2022年の、

≪モンタギュー・エッグ氏の事件簿≫が、1月24日から、29日。
≪ゴルフ場殺人事件≫が、2月2日から、6日。
≪ビッグ4≫が、2月8日から、10日まで。
≪邪悪の家≫が、2月16日から、19日まで。

  いよいよ、アガサ・クリスティー作品を読み始めたのは、他に読みたい本がなくなってしまったからです。 クリスティー文庫の番号が、飛び飛びなのは、他の人が借りていて、図書館になかったか、もしくは、すでに読んでいて、飛ばしたものがあるからです。

  各本の感想の中にも書いていますが、ドラマで見ている話が多いので、犯人を知っているわけで、小説を純粋に楽しむ事ができません。 面白い話ほど、記憶が強く残っているから、小説の方が、つまらなくなってしまいます。

2022/05/08

寝たきりの母 (後編)

  2月に、母が寝たきりになった時の記録。 今回は、その後編です。 日記ブログの方に出した記事から移植し、関係ない部分を消して、出します。 今回で終わり。




【2022/02/17 木】
  母の様態。 今日は、ベッドから起き上がるのに、さほど、痛みを感じていないように見えました。 ただ、起き上がり方を工夫しただけなのかも知れませんが。 炊き込みご飯がおいしかったとの事。 それは、結構。 しかし、まだまだ、快方に転じたとは、思えません。



【2022/02/18 金】
  金曜なので、部屋の拭き掃除、掃除機かけ、外掃除、亀の水換え。

  母の部屋は、以前は、無人状態で掃除していたのが、今は有人で、動かせないものもあるので、できるところだけ、やっています。 掃除の間だけ、窓を開けました。 閉めっきりでは、結核になってしまいます。



【2022/02/20 日】
  朝一、一人で車で、近所のスーパーへ買い出し。 12日以来なので、ごっそり買わざるを得ず、レジ袋5.5個分になりました。 それでも、買い忘れあり。 まあ、私だけが食べる物は、なくても、何とかなりますが。

  昼飯に、惣菜稲荷を母に出したら、心太を食べると言い出し、稲荷は要らないとの事。 稲荷があるから、お吸い物を付けたのに、心太では、お吸い物は不要ですから、当然の如く、残されてしまいました。 捨てるしかありません。

  これだから、介護は、嫌なのです。 介護される側は、まるで、召し使いでも使っているような気分になり、自分の望みが何でも叶えてもらえると勘違いする傾向があります。 そんな事はないんだわ。 介護されているというだけでも、介護する人間に迷惑をかけているのだから、出されたものを、黙って食べるしかないんだわ。

  どうしても食べたい物があったら、次の機会に頼めばいいんだわ。 もう、他の物を持って来ているのに、それを拒絶して、自分の食べたいもの要求するなんて、とんでもない、心得違いなんだわ。 そういう事を、一度、はっきり言ってやらんと、分からんようです。 一体、何様のつもりなのだ。



【2022/02/21 月】
  母ですが、朝食は、自室で食べました。 その時、「昼は、下で食べる」と言い出しました。 「そんな事を言っていても、どうせ、階段を下りる気にならずに、撤回するだろう」と思っていたのですが、なんと、私が昼飯の仕度をしていたら、本当に下りて来ました。 突然、背後にいたのに気づいたので、驚いた戦いた。

  で、昼食の生ラーメンと、夕飯のマグロ刺身は、食卓で食べました。 普段、母は、メインの料理だけ食べて、常備菜には、ほとんど、手を着けません。 私が、少量ずつ皿に盛って運んだ方が、却って、栄養バランスがいいのですが、まあ、それはさておき・・・。 僅かでも、快方に向かってくれたのは、嬉しい事です。

  しかし、若い者と違い、高齢者の回復は、一時的なものである事も、承知しています。 体全体にガタが来ているのだから、本復など、望むべくもないのです。 少しずつ、健康状態のレベルが落ちていって、最後には、死を迎えるのです。 これは、誰でも避け難い。

  母の場合、糖尿病と心臓病の薬を飲んで、命を保っているようなものでして、もし、医薬がなかったら、5年以上前に死んでいたでしょう。 今、生きているのが、奇跡なんですな。

  久しぶりに、一階へ下りて来て、やった事が、仏壇の供え菓子の賞味期限チェックで、うなぎパイの包装を破って、「食え」と言わんばかりに、炬燵の上に置いていきました。 2週間も下りて来ず、私に食事の用意と運搬をさせていた癖に、まだ、食物の支配権に執着があるんですな。

  ところで、下りて来たのは、食事の時だけで、それが済むと、また自室へ戻って、横になっていました。 しばらくは、そのパターンが続くものと思われます。



【2022/02/22 火】
  母ですが、朝昼晩三食、一階に下りて来て、食卓で食べました。 しかし、必ずしも、私が楽になったわけではなく、元の生活には、ほど遠いです。

  感染予防策として、もう、だいぶ前から、トイレを分けて使っています。 昼間は、母が一階、私が二階。 夜は、その逆。 それが、母が自室に籠ってから、昼夜に関係なく、母が二階、私が一階に固定してしまいました。 一階のトイレには、ウォシュレットがないので、かなり、辛い。 早く、元のパターンに戻りたいのですが、いつになる事やら。

  母が自室に籠っていた二週間、私が、どんな生活をしていたか、毎日つけているカレンダー・メモを見返してみたのですが、書いてある内容が大雑把過ぎて、ピンと来ません。 とにかく、瞬く間に過ぎたという感じです。 介護とは、そういうものらしい。 自分の時間など、感じられないほど、介護される側中心の生活になってしまうのです。 そんな生活を、何年も続けている人も存在するのだから、恐ろしい事です。

  ところで、母の様態ですが、最悪の時よりは、痛みがだいぶ、減ったとの事。 左腕の使い方次第で、時々、左胸が、ズキンと痛くなると言っています。

  骨にヒビが入っているとしたら、ギプスなしの二週間くらいで、そこまで回復するのか、首を傾げるところ。 はたまた、新型肺炎で、峠を過ぎて、治って来たのかも知れませんが、それにしては、症状が、デルタともオミクロンとも違い過ぎていて、納得し難いです。

  2月25日に、糖尿病の方の医院へ、また行きますが、詳しく調べてくれるかどうか。 レントゲンだけでも撮ってくれれば、骨の状態は分かるわけですが、肋骨のヒビだと、撮る角度によっては写らないから、医院の設備では分からないかも知れませんねえ。



【2022/02/23 水】
  母ですが、昨日と同様、食事の時だけ、下に下りて来て、それ以外の時間は、自室で横になって過ごしています。 朝だけは、居間に座って、新聞の番組欄の確認や、血圧の計測などをしますが、それも、20分くらいで引き揚げます。 居間のテレビを見る事はしません。

  会話は、食事の時だけになりました。 母は、まだ生きているのに、一人暮らしをしているような侘しさになっています。 しかし、よく考えてみると、不調になる前から、母は、居間では、ほとんど、喋らなくなっていました。 テレビを見ていても、眠っている時間の方が、遥かに多かったのです。

  こういう言い方が許されるなら、母はすでに、3割くらい、死んでいたと言ってもいいでしょう。 去年11月下旬以降、食事の仕度をしなくなって、4割死に、今年の2月上旬以降、自室に籠って、6割死に、今週から、食事だけ下でするようになって、少し持ち直し、現在、5割というところでしょうか。 頭は、まだ、はっきりしているんですがね。



【2022/02/24 木】
  昼飯に、個別すき焼きの残りで、他人丼を作りました。 ようやく、コツが分かって、いい具合に、溶き卵を固まらせる事ができました。

  ところが、下りて来た母が、腹の調子が悪いと言って、1階のトイレに籠ってしまいました。 やむなく、一人で食べて、茶碗を洗い、金柑を煮て、煮終わった頃に、ようやく、母が出て来ました。 よく、一時間も座っていられるものです。 やはり、母は、いろんな意味で壊れていますなあ。

  少し良くなると、「このまま、徐々に良くなって行って、いずれは、元の生活に戻る」と期待してしまうのですが、それは、若い者の話でして、高齢者の場合、そうはなりません。 リハビリも、若年向けと、高齢者では、目標が違います。 高齢者のリハビリは、元に戻すのではなく、限定的な能力の回復だけを目指します。 たとえば、「トイレまでは、自力で歩けるようにする」とか。 それだけでも、介護する側が、大変、楽になるからです。

  母は、自発的なリハビリなど、全くしない人ですし、どうせ、私の言う事なんか聞きませんから、なるに任せるしかありません。 「親が要介護になったら、運動させて、リハビリさせて、健康寿命を目いっぱい延ばしてやろう」などと、夢想している人も多いと思いますが、まあ、実際にやってみれば、事前に計画していた事が、何一つ実行できないと分かって、愕然・呆然とすると思います。

  そもそも、子の指図に従って、運動するような人なら、自分からしてますって。 そういう自信家の親が、この世で最も小馬鹿にしているのは、自分の子でして、言葉通り、いつまでも、子供レベルの知識・判断力しかないと決め付けているのです。 子が、「少しは、運動しろ」、「せめて、体操しろ」などと言っても、鼻で笑って、真面目に受け取りません。 それでいて、体が動かなくなると、子を顎で使って介護させるのだから、ふざけた話。

  夕飯は、レトルト角煮。 柔らかくて、うまいのですが、量が少ないのが残念。 箸で切れるので、母も食べていました。



【2022/02/25 金】
  金曜なので、部屋の拭き掃除、掃除機かけ、亀の水換え。 途中、外掃除。 車の埃取り・ガラス拭き。 母の部屋の拭き掃除だけ、昼飯の後にやりました。 無人の方がやり易いので。

  午後2時50分頃に、母を、糖尿病の医院へ送って行きました。 一度、家に戻って来て、30分後に、また医院の駐車場へ。 そこで、1時間以上、待ちました。 予約制とは、とても思えない。 家に戻ってから、母に、医師がどう言っていたか訊いたら、別に、胸の痛みについては、何も言われなかったとの事。 レントゲンも撮らなかったそうです。 骨折だとは思っていないという事でしょうか。

  母は、昼食の後、17日ぶりに入浴し、医院へ行っている間を別にして、夜7時前まで、ずっと、居間にいました。 二階の自室に上がるのが大変だからですが、母が、食後の団欒で、居間にいる姿を見る事は、二度とないと思っていたので、私としては、感無量でした。 「このまま、治ってくれたらいいなあ」と、心底、思いましたっけ。

  骨折にしては、回復が早過ぎるので、やはり、新型肺炎だったんでしょうか。 そして、自力で治して、峠を越えたと。 ちなみに、糖尿病の医院でも、心臓の病院でも、新型肺炎の検査は、一度もしていません。 症状が、普通に見られるものと、だいぶ違うので、疑いを持たれていないのでしょう。

  しかし、突如、不調になるというのは、何かしら、流行病に罹ったと考えるのが、一番、納得し易いのです。 そして、このタイミングでは、新型肺炎以外に考えられません。 母が感染していたとなれば、私にも感染した可能性が高いですが、自覚症状は全くないから、無症状という事になります。 母が発症してから、18日も経っているので、私に感染したとしても、すでに、治っているとみた方が良いでしょう。

  ただし、これらは、全て、仮定の話です。 本当に、感染していたかどうかは、抗体検査をしてみなければ、分かりません。



【2022/02/26 土】
  自分のと、母の布団を干しました。 母の布団は、月末に一回しか干さないから、久しぶりという事ではありませんが、17日間も寝たきりだったから、湿気を飛ばしたのは、久しぶりという事になります。

  母は、朝食後、居間に座り、一日中、居間にいました。 2月8日以来です。 こんな日が戻るとは、思っていませんでした。 大人になってから、一番、嬉しい日です。 神様、ご先祖様、シュン、ありがとう。 お母ちゃん、治ったよう。 一生懸命、世話した甲斐があったよう。

  ちなみに、大人になってから、嬉しかった日の二番目は、母が、食事だけ下に下りて来られるようになった、21日(月)です。 一度失われたものが、復元したというのは、奇跡以外の何ものでもないと感じられます。

  だけど、だけど、私は知っています。 これが、一時的なものである事を。 高齢者の回復は、惑星の動きのように、見せかけなのです。 健康状態の悪化が止まるわけではありません。 でも、それが分かっていても、今日は、とても、とても、嬉しい日でした。

  ところで、子供の頃で一番嬉しかったというと、私が小学校低学年くらいの頃、母が胆石の手術で入院して、しばらく家にいなかったのが、ある日、家に帰ったら、戻っていた母が庭にいて、それを見つけた時ですかね。 母親の貴重さは、際立っていますな。



【2022/02/27 日】
  母は、ほぼ、2月7日以前の状態に戻りました。 夕飯前に、卵焼きと、里芋の煮物まで作ってくれました。 つい、三日前まで、ほとんど、横になって過ごしていた事を思うと、驚くべき回復ぶり。 やはり、原因が新型肺炎で、それが治ったから、戻ったんですかねえ。 不思議だ。

  入浴も毎晩に。 17日間、入らないでいられた人が、急に毎日入るようになるのは、どういう衛生基準なのか、私には、測り兼ねます。 とにかく、元気になってくれて、良かった。


≪鑓の権三≫ 1986年 日本
  近松門左衛門の浄瑠璃が原作。 篠田正浩監督の時代絵巻映画。 出演は、岩下志麻、郷ひろみ、火野正平、田中美佐子。 最初にテレビ放送した時に見たのですが、それからでも、もう、30年以上は経っていると思います。

  映像美に優れているという点では、日本の時代劇映画で、随一の作品。 黒澤明監督の映画より、上です。 しかし、面白いかというと、ちと、難があります。 人形浄瑠璃が原作ですから、話の進みが遅いのは、致し方ないとしても、やはり、見ていて、ダレます。 中盤で、川側伴之丞を討ち取る場面に、斬り合いを入れれば、少しは、緊張が続いたと思うんですが。

  時代劇を見慣れていれば、この作品が、とてつもなく、高品質で、今となっては、貴重な文化遺産である事が分かるのですが、現在、50歳以下という年代の人達は、分かる以前に、眠ってしまうでしょうねえ。




  日記からの移植は、以上です。

  なんで、最後に、≪鑓の権三≫の感想が書いてあるのかというと、2月26日に、居間に復帰した母と、録画してあった、≪鑓の権三≫を一緒に見たからです。 母は、≪こころ旅≫のファンなので、火野正平さんが出演するドラマや映画は、積極的に見るのです。 寝たきりが続いていた頃には、母と居間で、テレビを見る事は、二度とあるまいと思っていたので、感無量でした。 で、その感想を書いて、翌日の日付で、日記ブログにアップしたわけです。


  母の寝たきりは、単に、母だけの問題ではなく、介護をする私にとっても、大問題でした。 私は、人の面倒をみるのが好きなタイプでは全くないので、介護の喜びなんか、微塵も感じません。 まず、2015年に、柴犬シュンの介護で、何ヵ月もの間、夜中、起きていなければならない、辛い日々を経験し、2016年には、父の介護で、正味一ヵ月ですが、うんざりするような、嫌な思いをしました。

  正直言って、もう、介護は勘弁して欲しいのです。 どうせ、私が要介護になった時には、誰も介護してくれないのが分かっているわけですから。 不公平だよな。 世の中には、自分は誰の介護もせずに、介護されるだけで死んで行く人もいるのに、一方で、一人で何人もの介護をしなければならないケースがあるなんて。


  介護は、経験してみれば分かりますが、要介護者が、トイレに自力で行けるかどうかが、大きな分かれ目になります。 自力で行けなければ、トイレのたびに、起こして肩を貸して歩かせる。 もしくは、小なら尿瓶。 もしくは、紙オムツを着けなければなりません。 風呂は、2週間入らなくても、死にはしませんが、排泄だけは、どうしても、やらなければならないのです。

  よく、「親が要介護になったから、実家に戻って、働きながら、介護している」というセリフを耳にすると思いますが、要介護者が、自力でトイレに行けるなら、そういう介護も可能。 また、介護者が家でできる仕事をしているのなら、可能。 どちらにも該当しないのなら、「働きながら、介護」なんかできるわけがないです。 紙オムツを着けさせて、自分が働きに出ている間、要介護者に、糞尿まみれで待っていてもらうわけにも行きますまい。

  ちなみに、大便に関しては、紙オムツでの対応は、無理があります。 気持ちが悪くて、本人が、紙オムツごと外して、床や畳の上に放り出してしまうので、帰って来た介護者の片付け仕事は、数倍に膨れ上がります。 実際、その現場を目にすると、どんな人でも、ショックで、物が言えないと思います。 そして、否が応でも、片付けなければなりません。

  小であっても、必ず、紙オムツからの漏れが起こるので、眠っている間に出してしまった場合、毎回、敷布を洗い、布団を干さなければなりません。 私は、父の時、数日おきでしたが、朝食前に、それをやっていました。 正味一ヵ月で終わったからいいようなものの、あれが何年も続いたら、あまりの負担の大きさに、こちらが廃人になってしまった事でしょう。

  そういや、「若い世代を、もっと、介護職に・・・」なんて、考えなしに口にする政治家がいますが、介護は、将来に夢も希望もある若者にやらせるような事ではないです。 介護が、看護と決定的に違うのは、いくら献身的に世話をしても、治らないという事ですな。 毎日のように、要介護者から、「ありがとう」と言われても、結局、先に待っているのは、死です。 割いた時間と、投入したエネルギーが、全く回収できないのは、虚しいばかりですわ。

  ちなみに、「ありがとう」と口にはしていても、それは、社交辞令でして、要介護者が、満足しているわけではないです。 世話になっている身なので、言っておいた方がいいと思うから、言っているだけ。 介護する側にしてみれば、「自分が、一生懸命、介護したお陰で、要介護者は、安らかな日々を送れたはずだ」と思いたいところですが、介護されて生きている人が、絶対的な安らかさを感じる事はないです。 「糞尿まみれよりは、綺麗な状態にしてもらった方が、マシ」という、相対的な安らかさなら、感じると思いますけど。

  誰でも、できる事なら、介護なんかされず、自分の事は自分でやれる方が、幸せです。

2022/05/01

寝たきりの母 (前編)

  2月に、母が寝たきりになった時の記録を出しておこうと思います。 今は、ほぼ、寝たきりになる前の状態に戻っているのですが、いつのまにか、二ヵ月以上、経ってしまいました。 今の内に出しておかないと、機会を失ってしまいます。 日記ブログに書いた記事を移植しますが、例によって、関係ない部分は消して出します。




【2022/02/06 日】
  朝一、母と二人で、近所のスーパーへ買い出し。 荷室・後席8分目、買って来ました。



【2022/02/07 月】
  昼飯は、カレー・ライス。 夕飯は、母が、肉団子白菜汁、イカ刺し、ゆで卵、筍煮などをつくってくれたので、それを食べました。



【2022/02/08 火】
  昨夜から、母が、「左胸と、その背中の方の骨が痛い」と言い出し、今朝は、起きて来れませんでした。 10時頃、起きて来て、糖尿病の医院へ電話。 11時半に来るように言われ、早目の昼食を済ませて、車で送って行きました。 駐車場で、待つこと一時間。 薬局で、更に10分ほど待ち、乗せて帰って来ました。

  レントゲンも撮らず、痛み止めだけ、処方されたとの事。 つまり、何が原因か、分からんのでしょう。 高齢者の訴える症状には、そんなのが多いのではないかと思います。



【2022/02/09】
  母は、不調が悪化し、今日は、二階の自室に籠って、一階に下りて来ませんでした。 いよいよ、駄目か。 トイレは、自力で行っているから、最悪の状態ではありませんが。

  食事は、朝昼晩三食、私が運びました。 朝は、おかゆ。 昼は、カレーの残り。 夕飯だけ、新たに餃子を作りました。 母は、少食なので、食事の用意は、楽でいいです。 私は、自分一人で食べるなら、改まった料理は作りません。 レトルトや、袋ラーメンで充分。

  もしや、母の不調の原因は、新型肺炎では? 買い出しに行った次の日から、不調になったので、タイミング的には、説明がつきます。 しかし、症状は、まるで重なりません。 胸と、その後ろの骨が痛い? なんだ、そりゃ? 設備のある病院へ行って、精密検査を受ければいいのですが、この感染爆発下ではねえ。 もし、新型肺炎でなかったとしたら、自分の方から、わざわざ、感染しに行くようなものです。

  このまま家にいても、治るような気がしないし、病院へ行けば、感染して、重症化する恐れがあるし、前門の虎、後門の狼ですな。 幸い、本人の頭は、しっかりしているようなので、本人に決めて貰う事にします。 母は、何度か入院経験があるから、いよいよ、まずいと思ったら、自分から、救急車を呼ぶように言うでしょう。

  私が、母の様子を、冷めた目で見ているのは、父の時の経験から、素人考えで、あれやこれや工夫をしても、全て無駄骨に終わる事が分かっているからです。 たとえば、運動不足が諸悪の根源だと考えて、不調になってから、運動させても、疲れさせるだけで、いい事はありません。 手遅れなのです。 本人が自発的に運動する気を失った時点で、その人の健康寿命は、決まってしまうのでしょう。 家族が何を言ったって、変わりません。

  母は、1936年生まれだから、現在、85歳。 今年、86歳になります、 元気ならば、いくらでも長生きしてもらいたいと思っていますが、そうでないなら、もう、お迎えが来ても、早過ぎる歳ではないです。 私自身、現在56歳で、もう、やりたい事などなくなってしまい、いつ死んでも、さほど、惜しいと思っていないくらいですから。 もちろん、積極的に死にたいとも思っていませんけど。



【2022/02/10 木】
  今日は、一人で買い出しに行く日でしたが、雨なのと、母の不調が原因で、食料が減らないのが理由で、とりやめにしました。

  母は、今日も、部屋で寝たきり。 食事は、朝「おかゆ」、昼「餃子の残り」、夕「煮込み乾麺蕎麦」と、三食、部屋に運びました。

  ワイド・ショーで、オミクロン株の症状を見ていたら、「胸の痛み」というのがあるのを発見。 おっ! もしかしたら、母は、それなのかもしれませんな。 新型肺炎で喜ぶというのも、おかしいですが、これ以上、悪化しなければ、10日くらいで、回復する可能性が出て来ました。 全くの原因不明で、ただ、痛みに呻いているよりは、治るという希望があるだけ、マシ。

  母は、糖尿病と心臓病の基礎疾患がある上に、ワクチン未接種と、明らかに、「死に組」の入会条件を満たしていますが、昨日も書いたように、慌てて、病院や保健所に連絡などすると、もし、新型肺炎でなかったら、こちらから感染しに行くようなものなので、それは、しません。 マジな話、10日待って、回復してくれたら、嬉しいなあ。 そういう甘い期待をしていると、最悪の結果になりがちだという事は分かっていますが・・・。



【2022/02/11 金】
  金曜なので、部屋の拭き掃除、掃除機かけ、外掃除、亀の水換え。 それと、並行して、1・2階トイレの布類も洗濯しました。 昨日やるべきところを、母の世話で、忘れていました。 まあ、昨日は、雨だったから、どうせ、できなかったわけですが。

  母の調子、昨日と変わらず。 部屋に籠りきりです。 



【2022/02/12 土】
  朝一、一人で車で、イオン系スーパーへ、買い出し。 10日に行かなかったせいで、ヨーグルトやこもち昆布など、細々したものがなくなり、行かざるを得なくなった次第。 母が、あの調子では、16日の高齢者特売日も行けるわけがないので、今後は、0の付く、5パーセント割引の日に集中して、買い物に行くしかないです。

  母の様態は、変化なし。 先日も書いたように、新型肺炎かも知れないと疑ってはいるのですが、咳は全く出ません。 喉が痛いとも言いません。 風邪に似た症状自体が見られないのです。 やっぱり、違うのだろうか。 要精密検査となると、それはそれで、世の中が病院にかかれない状況だから、困るのですが。

  ずっと寝ているので、顔がむくんでおり、寝起きだと、「ふわあ?」と、もう、死ぬ寸前のような反応をするのですが、はっきり目覚めている時には、驚くくらい、しっかりした喋り方になります。 この人、本当に、不調なのだろうか? 上げ膳・据え膳を満喫しているだけなのでは?

  今日行ったスーパーで、たまたま、駅弁フェアをやっていて、母が好きな、「ますのすし」を買って来たのですが、それを報せたら、目を見開いて、「ええっ!」と驚いたのには、こちらが驚きました。 この人、本当に・・・、まあ、いいか。



【2022/02/13 日】
  母の様態、変わらず。 昨夜は、着替えをしたから、多少は良くなっているのかも知れませんが、本人に確かめたわけではないので、詳しくは分かりません。 なぜ、本人に訊かないのかというと、「良くなったか?」「今日はどうだ?」と、毎日のように訊くと、ストレスになると思うからです。 良くなれば、自ずと、部屋から出て来るでしょう。

  母は、今日で一週間、風呂に入っていません。 寝たきりでは、そんなのは、普通です。 母は、元気な時には、職場でも近所でも、綺麗好きで通っていましたが、別に、潔癖というわけではなく、衛生感覚は、普通の人なので、目に見える汚れや、汗・脂などによる不快な感触がない限り、「汚い」という認識にならないようです。 夏場なら、また、違ったはず。

  母の綺麗好きは、他人から、そう見られたい、そう思われたいという、虚栄心から出ていたんですな。 まったく、人間、見た目では、分からないものです。 そういえば、ついこないだまで、病院に行く時は必ず、直前にシャワーを浴びていましたが、それも、見栄のなせる業。 私だったら、潔癖ですから、病院から帰って来てから、体を洗います。 潔癖でない人間には、何が汚いのか、どこが不衛生なのか、判断できないのです。

  それにしても、急転直下で、要介護状態になってしまいましたなあ。 我が家に於いて、母が築き上げ、長年、維持して来た帝国は、今、崩れ去りつつあります。 父が、自室や、プレハブ、外周りで維持して来た帝国が、崩れ去ったように。 私に及ぼす衝撃・打撃は、それ以上かも知れません。



【2022/02/14 月】
  母の様態、変わらず。 起き上がる時に、ウンウン唸らなくなっただけでも、多少は良くなっているんでしょうか? 分からぬ。 昼飯は、焼きそばの残り。 夕飯は、マグロの刺身。



【2022/02/15 火】
  母の様態ですが、今日、訊いてみたら、良くなっていないとの事。 困ったねえ。 起き上がる時や、横になった直後が、痛いようです。 食事の時や、トイレの時は、ケロリとしています。 分からぬ。 新型肺炎の感染者数が減って来たら、総合病院へ行くしかないですな。 いつになるやら、分かりませんが。



【2022/02/16 水】
  母ですが、食事の時、ベッドの上に座っている分には、病人とは思えないような、普通の顔をしているので、詳しい容態を訊いたところ、左腕を動かすと、胸のあたりが痛いとの事。 なに? 腕と連動していると? それは、肺や心臓ではなく、肋骨がヒビが入っているのでは?

  母は、性別・年齢的にも、糖尿病の治療薬を飲んでいる点でも、骨粗鬆症になっていて、全然おかしくないです。 しかし、骨粗鬆症で、肋骨が折れたりするものでしょうか。 特に、ぶつけたとか、大きな衝撃が加わったという事はないのですが。 分からぬ。

  素人考えで、あれこれ推測しても、無意味か。 さっさと、感染者が減ってくれれば、病院に連れて行くんですが。 




  今回は、ここまで。

  冒頭の、2月6日・7日の記事の内容の時点では、まだ、不調になっていなかったのですが、敢えて、加えておいたのは、もし、不調の原因が、新型肺炎だった場合、6日のスーパーへの買い出しで、うつされ、翌日の夕刻過ぎから、発症したと思われるからです。 7日の夕食は、母が作ったのですが、不調が始まっていたのを、運動不足のせいだと考えて、無理に、料理をしたらしいです。

  8日には、すぐに、かかりつけ医である、近所の糖尿病医院へ行っているのですが、母も医師も、新型肺炎とは思っていませんから、そちらの検査は全くせず、レントゲンも撮らなかったところを見ると、骨折の疑いすら抱かれなったのでしょう。 その時期、オミクロン株が全国的に猖獗を極めており、病院も多忙。 当日の朝に急遽予約した患者など、迷惑なだけで、さっさと追っ払われただけだったのかも知れません。

  患者、つまり、客が多い医師ですが、何年も忙しい日々が続いていると、ドラマに出て来る、ヒーロー的な医師とは真逆に、患者の身になって、心を込めて治療しようなどという気は、消し飛んでしまいます。 やりたくても、余力がなくて、できないんでしょう。 私自身、現役時代は、結構、医療機関の世話になったので、そういう、熱が冷めてしまった医師を、何人も見ました。

  医療事故などが起こった時に、医師を訴えるタイプの人達は、医師という存在に、特別な高潔さや熱意を期待しているのだと思いますが、私は、そういう期待は全く持っておらず、医師にかからざるを得なくなった場合、治れば、幸運、治らなくても、仕方がないと諦めています。 入院の経験もありますが、そうなったら、俎板の上の鯉なのであって、死ぬ事も覚悟しています。 「最良の医療が受けられて、確実に治る」なんていうのは、幻想なのではないでしょうか。