EN125-2Aでプチ・ツーリング (32)
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、32回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年4月分。
【伊豆の国市神島・子育て地蔵尊①】
2022年4月5日、バイクで、伊豆の国市、神島にある、「子育て地蔵尊」へ行って来ました。 以前、「雄飛滝」へ行った時に、前を通ったので、場所は知っており、迷う事なく、到着。 道中各所で、桜と桃が咲いていました。
≪写真1≫
大仁の、城山と狩野川に挟まれた辺り。 桜が満開でした。 逆光、御免。
≪写真2≫
神島と言っても、だいぶ、南で、もう、熊坂が近い所に、「子育て地蔵尊」があります。 伊豆長岡の、大門橋袂から、狩野川の左岸の道を南下して行けば、右手の道路沿いにあるので、普通に走っていれば、難なく、見つけられると思います。 前の道路には、そこそこの傾斜があります。
≪写真3左≫
≪写真2≫の左端に写っている建物を、単独で撮影。 この建物も、施設の内のようですが、左手の正面の方を、よく見て来ませんでした。
白いのは、伊豆の国市教育委員会による、「伊豆の国市 指定文化財 子育て地蔵尊」の解説板。 子供がない夫婦が、小さな地蔵を持って帰り、子供が生まれると、もう一体添えて返す、という仕組み。 弘法大師伝説もあると書いてあります。
≪写真3右≫
「お賽銭」とあります。 仏物の世界では、「浄財」となっている事が多いですが、まあ、用途が分かれば、充分か。 全て、石で作るのは、大変だったでしょうな。
≪写真4≫
本尊と、その周辺。 本尊は、浮き彫りではないです。 顔立ちは、素朴な彫り。 たくさんある、小さいのが、借りて帰る地蔵なんでしょうな。
【伊豆の国市神島・子育て地蔵尊②】
≪写真1≫
「子育て地蔵尊」の前。 道路の反対側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 下り坂に、サイド・スタンドで停めるのは、前にガックンと行ってしまいそうで、ヒヤヒヤですな。 同じ角度でも、上り坂側に停めた方が、ずっと安定がいいのですが、ここの場合、それをやると、カーブの内側になってしまうので、やむなく、こちら側に停めました。
カーブの内側だと、何が悪いかというと、内側車線を曲がって来る車から見ると、停まっているバイクが、突然目に入るので、事故を起こし易いのです。
≪写真2≫
「子育て地蔵尊」前の、狩野川。 といっても、河川敷が、葦原になっていて、川が見えませんが・・・。 対岸は、大仁の辺り。
≪写真3≫
少し、南下した所で、山の桜を撮りました。 といっても、山桜の花が咲く時期は過ぎているので、たぶん、人が植えた、染井吉野系だと思います。 花見場所を造ってあるのかも知れません。
右下の道路沿いにも、桜並木が見えます。 この付近、伊豆の国市と伊豆市の境でして、桜が咲いているのは、伊豆市になるのかも知れませんな。 昔の、修善寺町。
≪写真4≫
帰りに、神島橋の袂で撮った、桃。 赤いのは、間違いなく、桃です。 梅にも赤がありますが、季節が違うから、4月始めに咲いているのは、桃しかありえません。 ピンク色のは、染井吉野系の桜と紛らわしいですが、枝ぶりや、花のつき方で、桃と分かります。 桜に比べて、桃は、花の雰囲気が、ポップというか、キュートというか、可愛らしい感じがします。
【伊豆の国市神島・浮島神社①】
2022年4月11日に、バイクで、伊豆の国市・神島の、「浮島神社」に行って来ました。 神島と言っても、この前に行った「子育て地蔵尊」とは、だいぶ、離れていて、ここは、狩野川右岸です。 国道136号線が近いです。
≪写真1左≫
周囲は、住宅地と農地。 南側に、出入り口があり、他からは、入れません。 社標には、「村社 浮島神社」とあります。 対になっている門柱には、「明治三拾七年」とありました。 だいぶ、古い。
≪写真1右≫
鳥居は、石製。 名額に、「浮島神社」。 沼津市に、「浮島」という地名があり、そこは、元が湿地でした。 この辺りも、狩野川が近いので、河道の変遷などが原因で、過去に湿地だった頃があったんでしょうか。
≪写真2左≫
石燈籠。 脚がある、高級タイプ。 一対ありました。
≪写真2右≫
引退した石燈籠も、境内に並んでいました。 みんな、火袋が壊れています。 とってあるのは、律儀と言うべきか、はたまた、単に、捨てる所がないのか。
≪写真3≫
社殿。 木造で、屋根は、ブリキ・トタン葺き。 棒注連縄あり。 直管の蛍光灯が付けてあるのは、珍しいです。 暗くて見えませんが、扉にガラスを抜いてある部分があり、たぶん、その中に、賽銭箱があるのだと思います。
≪写真4左≫
手水場。 漱盤は、石製。 正面に、右から、「奉納」。 蛇口あり、ハンドルあり。 使える手水場ですな。
≪写真4右≫
後ろ側。 排水設備も、バッチリ。 水を扱う以上、こうでなくては。 石製の漱盤に、塩ビ配水管が入っているのは、初めて見ました。 「なせばなる」の典型例と称すべき。
【伊豆の国市神島・浮島神社②】
≪写真1左≫
社殿を側面から見ました。 拝殿と本殿が、廊下で繋がっている形式。 ここの廊下は、比較的、長いですな。 廊下の壁だけ、波板トタンになっています。 木で作ると、高いんですかね。 サッシも入っています。
≪写真1右≫
境内に、立派な舞台があって、驚きました。 駿東近辺で、舞台がある神社なんて、三嶋大社だけだと思っていました。 祭りで、芝居とかやっているんですかね? 新型肺炎が収まったら、見に来てみたいです。 といっても、その頃には、この神社の事を忘れてしまっていると思いますが。
≪写真2左≫
境内別社。 といっても、石の祠ですが。 たぶん、よそから、移して来たもの。 右端のは、地蔵っぽいですが、神社に持って来たのだから、神像なのかも知れません。
≪写真2右≫
鳥居の横に停めた、EN125-2A・鋭爽。 見た目より、土が柔らかくて、一通り見て、戻って来たら、サイド・スタンドが、かなり、めり込んでいました。 危ない危ない。 倒れてしまうよ。 やはり、湿地だったんですかね。 その割には、周囲の住宅は、普通に建っていましたが。
≪写真3≫
境内から、北の方を見た景色。 高架は、鉄道ではなく、「修善寺道路」です。
≪写真4≫
境内から、西の方を見た景色。 大仁(おおひと)のランド・マーク、「城山(じょうやま)」が、ドーンと見えます。 マグマが冷えた、岩の塊。
≪写真5≫
帰る時に、神社の西側の道路から、菜の花を撮ったら、神社の鎮守の森の様子もよく分かる写真になっていました。 森が、豊かです。 狩野川に架かる神島橋を渡って来た場合、すぐに南へ右折すれば、この森が目印になります。
【伊豆の国市三福・熊野神社①】
2022年4月20日に、バイクで、伊豆の国市・大仁の、三福にある、「熊野神社」へ行って来ました。 目的地は、下畑の「子神社」だったんですが、ロストしたと思って、早々と引き返してしまい、帰途に、たまたま見つけたのが、三福の熊野神社だったのです。 代わりに寄ったのでは罰が当たるくらい、立派な神社でした。 「三福」は、「みふく」と読みます。
≪写真1≫
正面。 石の鳥居。 石垣は、明治以降のものでしょうねえ。 石の柵。 お金がかかっています。
≪写真2左≫
鳥居の脇にあった、「皇紀二千六百年記念」の石碑。 皇紀というのは、戦前・戦中に使われていた暦で、その2600年は、昭和15年、1940年の事です。 ちなみに、「ゼロ戦」の「ゼロ」は、「2600」の下一桁の「0」の事。
この神社、「皇紀二千六百年記念」には、相当、力を入れたらしく、その時期の奉納品が、いくつか見られました。 当時の世相から考えて、他の神社でも、同じ事をやっていた可能性が高いですが、戦後のアメリカ占領期間中に、お咎めを恐れて、撤去してしまったのではないかと思います。 この神社では、それが残されている、という事なのかも知れません。
≪写真2右≫
鳥居の下に、用水が流れていて、その上に、短い石橋が架けられていました。 結界ですな。 写真には写っていませんが、水は綺麗に澄んでいて、勢いよく迸っていました。
≪写真3左≫
鎮守の森が、伊豆の国市の指定文化財になっているようです。 これは、その解説板。 神社の由来の方が、多く書かれていて、指定文化財が、森なのか、神社なのか、はっきりしません。
木々の背丈は高いですが、本数が少なく、鬱蒼とした感じはしません。 もしかしたら、かつては、今の境内の左右にも、森が広がっていたのかも知れません。
≪写真3右≫
参道。 巨木があります。 石燈籠の残骸もあります。
≪写真4左≫
第二の鳥居。 こちらも、石製で、立派なもの。 左右に、これが現役と思われる、完品の石燈籠があります。
≪写真4右≫
手水舎。 トタン葺きの小屋がけは、立派。 石製の漱盤も、まずまず。 惜しむらく、蛇口がなく、オブジェになっています。 もしや、祭りの時だけ、水を入れるとか? 何だか、却って、手を汚してしまいそうですな。
≪写真5左≫
獅子型狛犬。 獅子型でも、戦前のデザインです。 これも、「皇紀二千六百年」に奉納されたもの。 それはさておき、造形的に、妙に、カッコいいな。 名のある彫刻家の作なのか。
≪写真5右≫
「奉納 御神馬」。 馬の石像というのは、初めて見ました。 建立は、昭和10年でして、時代柄、何となく、神馬というより、軍馬を想起させます。
【伊豆の国市三福・熊野神社②】
≪写真1≫
熊野神社の社殿。 背景の巨木に負う所も大きいですが、「ドドーン!」という感じで、ムチャクチャ、カッコいい建物です。 屋根は銅板葺き。 この写真では分かりませんが、壁は、蔀が入っています。
≪写真2左≫
側面。 基本的に、本殿と拝殿が、廊下で繋がっている形式ですが、本殿と拝殿の一体感が強く、複雑な形をした、一つの建物に見えます。 このデザインは、凄いで。 おそらく、この社殿を見て育った人達は、よその神社の社殿を見ても、「不恰好」にしか見えないでしょう。
本殿を囲むように、石の柵があります。 これは、本殿に近づけないようにする為のもの。 愛知県の方で多く見られます。
≪写真2右≫
この建物は、舞台ですかね? 伝統芸能があるらしいのですが、それを演ずる場所なのかも知れません。 屋根と壁は、トタン。 白い所は、シャッターが入っています。
≪写真3左≫
境内別社。 木造のと、石の祠があります。 木造の建物の手前に、先代と思われる、漱盤が置いてありました。 現役も、先代も、オブジェか。
≪写真3右≫
石碑、二つ。 手前が、忠魂碑。 奥は、神社の名前が彫られたもの。 忠魂碑の裏に、50人弱の戦死者名が彫ってありました。 三福は、集落としては、大きい方だと思いますが、それでも、戻らなかった50人弱は、割合的に、少なくありません。 「皇紀二千六百年記念」に力が入っただけに、痛々しさが際立ちます。
≪写真4左≫
「種播三番叟」という伝統芸能があるらしく、これは、その解説板。 大変、詳しく書かれていて、興味がある人には、ありがたい配慮です。
≪写真4右≫
この神社の付近、「仲道A遺跡」であるとの事。 旧石器時代から、鎌倉時代まで、遺物が出て来たそうで、よっぽど、暮らし易い土地なんでしょうな。
≪写真5左≫
神社の裏手に、大きな工場があり、工業都市風の景色になっていました。 この写真だけ見せれば、富士市とか、四日市市とか、川崎市と言っても、通りそうです。
≪写真5右≫
社殿の傍らに停めた、EN125-2A・鋭爽。 後ろの建物は、「三福公民館」で、そちらの駐車場もあるので、車で来ても、停める場所には困りません。
【伊豆の国市下畑・子神社①】
2022年4月25日、バイクで、伊豆の国市・下畑の、「子神社」へ行って来ました。 前回、辿り着かなかったところ。 調べ直して、再挑戦した次第。 「下畑」は、「しもはた」と読みます。
≪写真1≫
山の斜面にあります。 これは、正面。 社標には、「村社 子神社」とあります。
≪写真2左≫
社標の裏側。 「日露戦没記念」。 四件の勲等が記してあります。 こういうのも、初めて見ました。
≪写真2右≫
境内は、段々になっています。 上の方の段にあった、切り株。 そこそこ、太い木があった模様。
≪写真3≫
社殿、正面。 木造で、屋根は、トタン葺き。 完品の石燈籠あり。 外置きの、賽銭箱あり。
社殿の色が赤いですが、この神社、都市地図には、「弁財天」と載っていて、もしかしたら、何か関係があるのかも知れません。
≪写真4左≫
手水場。 石製の漱盤は、正面に、左から、「奉納」。 その下に、絵が彫ってありますが、扇子以外は、よく分かりません。
蛇口、ハンドルあり。 なんと、漱盤に、ステンレスのシンクが嵌め込んであります。 こんな、ピッタリのシンクがあるはずがありませんから、採寸して、作ったんでしょう。 なぜ、ステンレス・シンクにする必要があったのか分かりませんが、発想そのものが、ユニークで、面白いです。
≪写真4右≫
漱盤の側面。 「昭和七年十月二十日 ○○氏」と、彫ってあります。 1932年ですな。 「昭」の字だけ、上の淵の部分に食み出ているのは、奇妙。
裏面に、水道管と、排水樋が見えます。 樋は短くて、そのまま垂れ流すだけのようです。 排水管を設置するのは、平地でも大変で、山では尚の事です。
【伊豆の国市下畑・子神社②】
≪写真1≫
境内から見下ろした、下畑の集落。 いい所だなあ。
≪写真2左≫
社殿を側面から。 本殿と拝殿が、短い廊下で繋がれている形式。 赤い色に目が行ってしまいますが、形も、よく纏まっています。
≪写真2右≫
神社の横を通る道路。 バイクを停める所がなくて、やむなく、路肩に停めました。 これだけ、あいていれば、他の車が来ても、通れると思って。 すぐ近くに、住宅があるので、車で行って、同じ所に停めて、文句を言われても、私は知りません。
≪写真3≫
同じような写真で恐縮ですが、雰囲気がいいので、出します。 見上げる位置に社殿があると、大変、神々しい趣きがあります。 夢に出て来そうな風景だな。
≪写真4≫
EN125-2A・鋭爽。 大仁は、遠い。 この日も、37キロも走ってしまいました。 ガソリンが、どんどん、減ります。 急に、燃費が悪くなったのかと思ったら、そうではなく、遠い目的地が続いたから、減ったのです。 今後しばらく、近場を選ばなければ。
今回は、ここまで。
やはり、組み写真8枚は、多い。 4月は、出かけた回数が、四回だったのに、その内一回も、組み写真一枚の時がなかったわけだ。 要所だけ撮影するようにすれば、一枚で収まるんですが、それだと、神社アイテムばかりになってしまって、変化がなくなってしまうのです。
【伊豆の国市神島・子育て地蔵尊①】
2022年4月5日、バイクで、伊豆の国市、神島にある、「子育て地蔵尊」へ行って来ました。 以前、「雄飛滝」へ行った時に、前を通ったので、場所は知っており、迷う事なく、到着。 道中各所で、桜と桃が咲いていました。
≪写真1≫
大仁の、城山と狩野川に挟まれた辺り。 桜が満開でした。 逆光、御免。
≪写真2≫
神島と言っても、だいぶ、南で、もう、熊坂が近い所に、「子育て地蔵尊」があります。 伊豆長岡の、大門橋袂から、狩野川の左岸の道を南下して行けば、右手の道路沿いにあるので、普通に走っていれば、難なく、見つけられると思います。 前の道路には、そこそこの傾斜があります。
≪写真3左≫
≪写真2≫の左端に写っている建物を、単独で撮影。 この建物も、施設の内のようですが、左手の正面の方を、よく見て来ませんでした。
白いのは、伊豆の国市教育委員会による、「伊豆の国市 指定文化財 子育て地蔵尊」の解説板。 子供がない夫婦が、小さな地蔵を持って帰り、子供が生まれると、もう一体添えて返す、という仕組み。 弘法大師伝説もあると書いてあります。
≪写真3右≫
「お賽銭」とあります。 仏物の世界では、「浄財」となっている事が多いですが、まあ、用途が分かれば、充分か。 全て、石で作るのは、大変だったでしょうな。
≪写真4≫
本尊と、その周辺。 本尊は、浮き彫りではないです。 顔立ちは、素朴な彫り。 たくさんある、小さいのが、借りて帰る地蔵なんでしょうな。
【伊豆の国市神島・子育て地蔵尊②】
≪写真1≫
「子育て地蔵尊」の前。 道路の反対側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 下り坂に、サイド・スタンドで停めるのは、前にガックンと行ってしまいそうで、ヒヤヒヤですな。 同じ角度でも、上り坂側に停めた方が、ずっと安定がいいのですが、ここの場合、それをやると、カーブの内側になってしまうので、やむなく、こちら側に停めました。
カーブの内側だと、何が悪いかというと、内側車線を曲がって来る車から見ると、停まっているバイクが、突然目に入るので、事故を起こし易いのです。
≪写真2≫
「子育て地蔵尊」前の、狩野川。 といっても、河川敷が、葦原になっていて、川が見えませんが・・・。 対岸は、大仁の辺り。
≪写真3≫
少し、南下した所で、山の桜を撮りました。 といっても、山桜の花が咲く時期は過ぎているので、たぶん、人が植えた、染井吉野系だと思います。 花見場所を造ってあるのかも知れません。
右下の道路沿いにも、桜並木が見えます。 この付近、伊豆の国市と伊豆市の境でして、桜が咲いているのは、伊豆市になるのかも知れませんな。 昔の、修善寺町。
≪写真4≫
帰りに、神島橋の袂で撮った、桃。 赤いのは、間違いなく、桃です。 梅にも赤がありますが、季節が違うから、4月始めに咲いているのは、桃しかありえません。 ピンク色のは、染井吉野系の桜と紛らわしいですが、枝ぶりや、花のつき方で、桃と分かります。 桜に比べて、桃は、花の雰囲気が、ポップというか、キュートというか、可愛らしい感じがします。
【伊豆の国市神島・浮島神社①】
2022年4月11日に、バイクで、伊豆の国市・神島の、「浮島神社」に行って来ました。 神島と言っても、この前に行った「子育て地蔵尊」とは、だいぶ、離れていて、ここは、狩野川右岸です。 国道136号線が近いです。
≪写真1左≫
周囲は、住宅地と農地。 南側に、出入り口があり、他からは、入れません。 社標には、「村社 浮島神社」とあります。 対になっている門柱には、「明治三拾七年」とありました。 だいぶ、古い。
≪写真1右≫
鳥居は、石製。 名額に、「浮島神社」。 沼津市に、「浮島」という地名があり、そこは、元が湿地でした。 この辺りも、狩野川が近いので、河道の変遷などが原因で、過去に湿地だった頃があったんでしょうか。
≪写真2左≫
石燈籠。 脚がある、高級タイプ。 一対ありました。
≪写真2右≫
引退した石燈籠も、境内に並んでいました。 みんな、火袋が壊れています。 とってあるのは、律儀と言うべきか、はたまた、単に、捨てる所がないのか。
≪写真3≫
社殿。 木造で、屋根は、ブリキ・トタン葺き。 棒注連縄あり。 直管の蛍光灯が付けてあるのは、珍しいです。 暗くて見えませんが、扉にガラスを抜いてある部分があり、たぶん、その中に、賽銭箱があるのだと思います。
≪写真4左≫
手水場。 漱盤は、石製。 正面に、右から、「奉納」。 蛇口あり、ハンドルあり。 使える手水場ですな。
≪写真4右≫
後ろ側。 排水設備も、バッチリ。 水を扱う以上、こうでなくては。 石製の漱盤に、塩ビ配水管が入っているのは、初めて見ました。 「なせばなる」の典型例と称すべき。
【伊豆の国市神島・浮島神社②】
≪写真1左≫
社殿を側面から見ました。 拝殿と本殿が、廊下で繋がっている形式。 ここの廊下は、比較的、長いですな。 廊下の壁だけ、波板トタンになっています。 木で作ると、高いんですかね。 サッシも入っています。
≪写真1右≫
境内に、立派な舞台があって、驚きました。 駿東近辺で、舞台がある神社なんて、三嶋大社だけだと思っていました。 祭りで、芝居とかやっているんですかね? 新型肺炎が収まったら、見に来てみたいです。 といっても、その頃には、この神社の事を忘れてしまっていると思いますが。
≪写真2左≫
境内別社。 といっても、石の祠ですが。 たぶん、よそから、移して来たもの。 右端のは、地蔵っぽいですが、神社に持って来たのだから、神像なのかも知れません。
≪写真2右≫
鳥居の横に停めた、EN125-2A・鋭爽。 見た目より、土が柔らかくて、一通り見て、戻って来たら、サイド・スタンドが、かなり、めり込んでいました。 危ない危ない。 倒れてしまうよ。 やはり、湿地だったんですかね。 その割には、周囲の住宅は、普通に建っていましたが。
≪写真3≫
境内から、北の方を見た景色。 高架は、鉄道ではなく、「修善寺道路」です。
≪写真4≫
境内から、西の方を見た景色。 大仁(おおひと)のランド・マーク、「城山(じょうやま)」が、ドーンと見えます。 マグマが冷えた、岩の塊。
≪写真5≫
帰る時に、神社の西側の道路から、菜の花を撮ったら、神社の鎮守の森の様子もよく分かる写真になっていました。 森が、豊かです。 狩野川に架かる神島橋を渡って来た場合、すぐに南へ右折すれば、この森が目印になります。
【伊豆の国市三福・熊野神社①】
2022年4月20日に、バイクで、伊豆の国市・大仁の、三福にある、「熊野神社」へ行って来ました。 目的地は、下畑の「子神社」だったんですが、ロストしたと思って、早々と引き返してしまい、帰途に、たまたま見つけたのが、三福の熊野神社だったのです。 代わりに寄ったのでは罰が当たるくらい、立派な神社でした。 「三福」は、「みふく」と読みます。
≪写真1≫
正面。 石の鳥居。 石垣は、明治以降のものでしょうねえ。 石の柵。 お金がかかっています。
≪写真2左≫
鳥居の脇にあった、「皇紀二千六百年記念」の石碑。 皇紀というのは、戦前・戦中に使われていた暦で、その2600年は、昭和15年、1940年の事です。 ちなみに、「ゼロ戦」の「ゼロ」は、「2600」の下一桁の「0」の事。
この神社、「皇紀二千六百年記念」には、相当、力を入れたらしく、その時期の奉納品が、いくつか見られました。 当時の世相から考えて、他の神社でも、同じ事をやっていた可能性が高いですが、戦後のアメリカ占領期間中に、お咎めを恐れて、撤去してしまったのではないかと思います。 この神社では、それが残されている、という事なのかも知れません。
≪写真2右≫
鳥居の下に、用水が流れていて、その上に、短い石橋が架けられていました。 結界ですな。 写真には写っていませんが、水は綺麗に澄んでいて、勢いよく迸っていました。
≪写真3左≫
鎮守の森が、伊豆の国市の指定文化財になっているようです。 これは、その解説板。 神社の由来の方が、多く書かれていて、指定文化財が、森なのか、神社なのか、はっきりしません。
木々の背丈は高いですが、本数が少なく、鬱蒼とした感じはしません。 もしかしたら、かつては、今の境内の左右にも、森が広がっていたのかも知れません。
≪写真3右≫
参道。 巨木があります。 石燈籠の残骸もあります。
≪写真4左≫
第二の鳥居。 こちらも、石製で、立派なもの。 左右に、これが現役と思われる、完品の石燈籠があります。
≪写真4右≫
手水舎。 トタン葺きの小屋がけは、立派。 石製の漱盤も、まずまず。 惜しむらく、蛇口がなく、オブジェになっています。 もしや、祭りの時だけ、水を入れるとか? 何だか、却って、手を汚してしまいそうですな。
≪写真5左≫
獅子型狛犬。 獅子型でも、戦前のデザインです。 これも、「皇紀二千六百年」に奉納されたもの。 それはさておき、造形的に、妙に、カッコいいな。 名のある彫刻家の作なのか。
≪写真5右≫
「奉納 御神馬」。 馬の石像というのは、初めて見ました。 建立は、昭和10年でして、時代柄、何となく、神馬というより、軍馬を想起させます。
【伊豆の国市三福・熊野神社②】
≪写真1≫
熊野神社の社殿。 背景の巨木に負う所も大きいですが、「ドドーン!」という感じで、ムチャクチャ、カッコいい建物です。 屋根は銅板葺き。 この写真では分かりませんが、壁は、蔀が入っています。
≪写真2左≫
側面。 基本的に、本殿と拝殿が、廊下で繋がっている形式ですが、本殿と拝殿の一体感が強く、複雑な形をした、一つの建物に見えます。 このデザインは、凄いで。 おそらく、この社殿を見て育った人達は、よその神社の社殿を見ても、「不恰好」にしか見えないでしょう。
本殿を囲むように、石の柵があります。 これは、本殿に近づけないようにする為のもの。 愛知県の方で多く見られます。
≪写真2右≫
この建物は、舞台ですかね? 伝統芸能があるらしいのですが、それを演ずる場所なのかも知れません。 屋根と壁は、トタン。 白い所は、シャッターが入っています。
≪写真3左≫
境内別社。 木造のと、石の祠があります。 木造の建物の手前に、先代と思われる、漱盤が置いてありました。 現役も、先代も、オブジェか。
≪写真3右≫
石碑、二つ。 手前が、忠魂碑。 奥は、神社の名前が彫られたもの。 忠魂碑の裏に、50人弱の戦死者名が彫ってありました。 三福は、集落としては、大きい方だと思いますが、それでも、戻らなかった50人弱は、割合的に、少なくありません。 「皇紀二千六百年記念」に力が入っただけに、痛々しさが際立ちます。
≪写真4左≫
「種播三番叟」という伝統芸能があるらしく、これは、その解説板。 大変、詳しく書かれていて、興味がある人には、ありがたい配慮です。
≪写真4右≫
この神社の付近、「仲道A遺跡」であるとの事。 旧石器時代から、鎌倉時代まで、遺物が出て来たそうで、よっぽど、暮らし易い土地なんでしょうな。
≪写真5左≫
神社の裏手に、大きな工場があり、工業都市風の景色になっていました。 この写真だけ見せれば、富士市とか、四日市市とか、川崎市と言っても、通りそうです。
≪写真5右≫
社殿の傍らに停めた、EN125-2A・鋭爽。 後ろの建物は、「三福公民館」で、そちらの駐車場もあるので、車で来ても、停める場所には困りません。
【伊豆の国市下畑・子神社①】
2022年4月25日、バイクで、伊豆の国市・下畑の、「子神社」へ行って来ました。 前回、辿り着かなかったところ。 調べ直して、再挑戦した次第。 「下畑」は、「しもはた」と読みます。
≪写真1≫
山の斜面にあります。 これは、正面。 社標には、「村社 子神社」とあります。
≪写真2左≫
社標の裏側。 「日露戦没記念」。 四件の勲等が記してあります。 こういうのも、初めて見ました。
≪写真2右≫
境内は、段々になっています。 上の方の段にあった、切り株。 そこそこ、太い木があった模様。
≪写真3≫
社殿、正面。 木造で、屋根は、トタン葺き。 完品の石燈籠あり。 外置きの、賽銭箱あり。
社殿の色が赤いですが、この神社、都市地図には、「弁財天」と載っていて、もしかしたら、何か関係があるのかも知れません。
≪写真4左≫
手水場。 石製の漱盤は、正面に、左から、「奉納」。 その下に、絵が彫ってありますが、扇子以外は、よく分かりません。
蛇口、ハンドルあり。 なんと、漱盤に、ステンレスのシンクが嵌め込んであります。 こんな、ピッタリのシンクがあるはずがありませんから、採寸して、作ったんでしょう。 なぜ、ステンレス・シンクにする必要があったのか分かりませんが、発想そのものが、ユニークで、面白いです。
≪写真4右≫
漱盤の側面。 「昭和七年十月二十日 ○○氏」と、彫ってあります。 1932年ですな。 「昭」の字だけ、上の淵の部分に食み出ているのは、奇妙。
裏面に、水道管と、排水樋が見えます。 樋は短くて、そのまま垂れ流すだけのようです。 排水管を設置するのは、平地でも大変で、山では尚の事です。
【伊豆の国市下畑・子神社②】
≪写真1≫
境内から見下ろした、下畑の集落。 いい所だなあ。
≪写真2左≫
社殿を側面から。 本殿と拝殿が、短い廊下で繋がれている形式。 赤い色に目が行ってしまいますが、形も、よく纏まっています。
≪写真2右≫
神社の横を通る道路。 バイクを停める所がなくて、やむなく、路肩に停めました。 これだけ、あいていれば、他の車が来ても、通れると思って。 すぐ近くに、住宅があるので、車で行って、同じ所に停めて、文句を言われても、私は知りません。
≪写真3≫
同じような写真で恐縮ですが、雰囲気がいいので、出します。 見上げる位置に社殿があると、大変、神々しい趣きがあります。 夢に出て来そうな風景だな。
≪写真4≫
EN125-2A・鋭爽。 大仁は、遠い。 この日も、37キロも走ってしまいました。 ガソリンが、どんどん、減ります。 急に、燃費が悪くなったのかと思ったら、そうではなく、遠い目的地が続いたから、減ったのです。 今後しばらく、近場を選ばなければ。
今回は、ここまで。
やはり、組み写真8枚は、多い。 4月は、出かけた回数が、四回だったのに、その内一回も、組み写真一枚の時がなかったわけだ。 要所だけ撮影するようにすれば、一枚で収まるんですが、それだと、神社アイテムばかりになってしまって、変化がなくなってしまうのです。