2022/07/31

EN125-2Aでプチ・ツーリング (34)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、34回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年6月分。





【三島市谷田・劔刀石床別命神社①】

  2022年6月3日に、バイクで、三島市谷田にある、「劔刀石床別命神社」に行って来ました。 読み方については、後ほど、触れます。 ロストしましたが、大体の位置が分かっていたので、他から回って、鎮守の森を目印に近づき、到着しました。

≪写真1≫
  この小山が、丸ごと、神社です。 かつては、もっと大きな山で、古墳もあったとの事。 鉄道敷設や、団地造成、道路拡張などで、削られてしまったのだそうです。 右側にあるのは、消防署。

≪写真2左≫
  正面。 鳥居は石製。 壊れかけた、名額が、そのままになっていますが、この額に、「明和(1764年)」の文字が刻んであるのだとか。

≪写真2中≫
  社標。 「延喜式内 劔刀石床別命神社」。 「つるぎ・たち・いわ・とこ・わけの・みこと・じんじゃ」と読みます。 知らなければ、絶対、読めない。 延喜式内なので、915年には、すでに存在した事になります。 平安時代初期頃。

≪写真2右≫
  石段。 そんなに高いわけではありませんが、高齢者にはきついと思います。 手すりが付いているのも、不思議はない。 大抵の神社には、車で上がれる裏道が造ってあるものですが、ここには、ありません。 石燈籠は、完品。

≪写真3≫
  社殿、正面。 蔀戸の板をガラスに換えたような、壁。 ガラスが割れないように、金網が張ってあります。 珍しい工夫です。 屋根は、銅板葺きのようですが、小さな銅板を重ねてあるわけではなく、変わった造りになっています。

  賽銭箱は、外にはありませんでした。 もしかしたら、中にあって、扉の格子の間から入れるのかも知れません。

≪写真4左≫
  社殿を側面から。 本殿と拝殿が、廊下で繋がれている形式。 廊下は短いです。

≪写真4右≫
  拝殿の正面に残っていた、電灯の痕跡。 なくなってから、久しいようです。 夜にお参りするような雰囲気ではないので、なくても、支障がないのでしょう。

≪写真5左≫
  手水舎。 二本柱のシンプルなもの。 屋根は、トタン葺きだと思います。 漱盤は、自然石を穿ったもの。 惜しむらく、水回りはなくて、オブジェになっています。

≪写真5右≫
  手水舎の裏側に、コンクリート・タイル貼りの流しがありました。 蛇口あり、ハンドルなし。 誰か、ハンドルを管理している人がいるんですかね?




【三島市谷田・劔刀石床別命神社②】

≪写真1≫
  鎮守の森の高い木。 存在感あり。 私のような年齢になっても、まだ、青空と緑の木を見て、感動する心が残っています。

≪写真2左≫
  境内別社。 この建物は覆いで、中に小さい社が入っています。 八坂神社と、秋葉神社。

≪写真2右≫
  扉に、ワイヤー・ロックがかけられていました。 面白い。 実用的だ。

≪写真3左≫
  境内別社。 こちらは、小さいもの。 中は、見て来ませんでした。

≪写真3右≫
  土俵。 子供相撲用だと思います。

≪写真4左≫
  正面は南側ですが、北西側にも、石段がありました。 工事手すりがついています。

≪写真4右≫
  正面石段の、登り口左右に置かれた、石燈籠。 大きくて、立派なものですが、片側の柱の部分に、鉄製の補強が入っていました。 ウエストを絞り過ぎて、ヒビが入ったんでしょうか。 石燈籠のコルセットですな。

≪写真5≫
  正面、鳥居横の路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 「駐車禁止」の注意書きがあったのですが、「駐輪だから、いいだろう」と思って、図々しく停めました。 実際、車を置くと、通行の邪魔ですが、バイクなら、問題ないような場所でした。




【三島市錦田・錦田グラウンド】

  2022年6月9日、バイクで、三島市錦田にある、「錦田グラウンド」へ行って来ました。 地図で見つけて、どんなところか見に行った次第。 国道一号の南側、箱根の山裾で、丘陵地帯でした。

  南側から入り、遺伝研の東側を回り込もうとしたら、まさかの一方通行。 緩やかな登り坂を、バイクを下りて押して進んだのですが、向こうから、下校してくる中学生の一団が来たので、感染させられてはたまらないと思い、方向転換して、バイクに乗り、引き返しました。 遺伝研の西側を回り込み、グラウンドのネットを目印に接近して、何とか、到着しました。

≪写真1左≫
  入口。 西側にあります。 ささやかなもの。 すぐに、駐車場になっています。

≪写真1右≫
  トイレと自販機。 植え込みの向こう側が、テニス・コートになっています。

  高齢者のグループが、無マスクで、テニスをしていました。 「スポーツだから、無マスクは仕方ない」という考え方は、そもそも、間違っており、「無マスクでなければできないようなスポーツは、やらない」というのが正しいです。 実際、無マスクで、うつされて、自分か家族が死んでしまったら、「スポーツだから、無マスクは仕方ない」と言いますかね? 新型肺炎をナメてるな。 伊達や冗談で、620万人も死んでいるのではないのだぞ。

≪写真2左≫
  水場と、ベンチ。 作られたのは、相当、昔でしょうな。 50年は、楽に経っているのでは? 私が、子供の頃に見ていた風景が、そのまま残っています。

≪写真2右≫
  駐車場の奥。 北の方へ延びています。 全部で、10台以上置けるのでは。 他にも、駐車場はあるようです。

≪写真3≫
  これが、メインのグラウンド。 野球やサッカーができそうです。 新型肺炎対策を書いた貼り紙が、何枚もありました。 しかし、そもそも、感染下で、グラウンドを使おうという人達に、感染防御ができるとは思えません。 本当に、感染が怖い人達なら、終息するまで、家に籠ってますよ。

≪写真4≫
  駐車場から、西側を見た景色。 ほんのちょっと、高くなっているだけなので、俯瞰というほどの眺望はありません。 僅かに、三島市街地が見えます。 遠くの稜線は、沼津アルプス。

≪写真5≫
  駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 珍しく、左側から撮ってみました。 つくづく、1990年代風のデザインだな。 私は、若い頃から、未来好きでしたが、今現行で売っているバイクのデザインを、未来的とは思いません。 強いて言うなら、SF映画的でしょうか。 無駄な形状が多くて、合理性に欠けていると思います。 つまりその、バイク・デザインの進歩は、90年代には、終わってしまったんですな。

  ここ数回、近場ばかり行っているので、ガソリンの減りが遅くて、助かっています。 目的地は、別に、神社でなくてもいいんですよ。 極端な話、交差点でもいいくらいですが、それをやると、毎回、同じような写真ばかりになってしまうでしょうな。




【裾野市水窪・水窪神社①】

  2022年6月13日、バイクで、裾野市水窪の、「水窪神社」へ行って来ました。 「みさくぼ」ではなく、「みずくぼ」と読むようです。 実は、長泉町だと思って出かけたんですが、帰ってから調べたら、水窪地区から北は、裾野市だとの事。 幹線道路から、黄瀬川の方へ少し入った、住宅地の奥にあります。 地図を調べて行くか、カー・ナビを使わなければ、まず、辿り着かないと思います。

≪写真1≫
  正面。 境内を除き、参道はないです。 鳥居は、コンクリート製。 鳥居の根元の左右に、大きな石がありますが、先代の鳥居の基礎のようです。 かつては、もっと、大きな鳥居が立っていたんですな。 向かって右下、白っぽい石は、恐らく、男根崇拝のそれ。

≪写真2左≫
  鳥居の名額は、新しい物でした。 金属で、額を支えているのは、割と珍しいです。

≪写真2右≫
  貝塚伊吹(カイヅカイブキ)の生垣。 枝が螺旋状に巻くのが特徴。 手入れすると、螺旋が目立たなくなります。 つまり、この状態は、手入れしていないわけですが、割と形が整っているので、年に一度はやっているのでは?

  下に、コンクリートを張った洗い場と、ハンドル付きの蛇口が見えます。 大きな物を洗うのに使うのでしょう。

≪写真3≫
  社殿。 木造、銅板葺き。 割と新しい建物だと思いますが、カチッとした、いいデザインですな。 獅子型狛犬はありますが、石燈籠がないです。 右隣の建物は、寄り合い所のようです。 村社クラスでは、社務所はないですから。

≪写真4左≫
  社殿の側面。 本殿と拝殿が、短い廊下で繋がっている形式。

≪写真4右≫
  拝殿正面の名額。 周囲に絵が描いてあります。 時計回りに、富士山、黄瀬川の流れ、大根、鮎、柿、玉虫、薩摩芋、蝉、人参、稲。 郷土愛、全開という趣き。

≪写真5左≫
  境内別社。 中を良く見て来ませんでした。 この長さだから、幾つか入っているのでしょう。 こちらには、石燈籠が一対あります。

≪写真5右≫
  寄り合い所の近くにあった、流し。 ハンドル付きの蛇口があり、使えるようです。 下に、青磁の花瓶が転がっているのは、どうしたわけか。 こんな所に置くような物ではないですが、割れてでもいるんでしょうか?




【裾野市水窪・水窪神社②】

≪写真1左≫
  手水舎。 四本斜柱、銅板葺きの、立派なもの。 カチッとしている点、社殿の設計者と同じ人の作ではないかと思います。

≪写真1右≫
  自然石の漱盤。 大きな石で、浴槽が彫れそうです。 筧口はありますが、ハンドルがどこにあるのか、確かめて来ませんでした。 水は出るはず。 なぜなら、

≪写真2左≫
  排水口があるからです。 これは、水道業者の仕事ですな。 洗い場、流し、漱盤と、この神社、強力な水道業者がバックについていると見ました。 氏子なのかも。

≪写真2右≫
  境内で咲いていた、紫陽花。 盛りの頃合い。

≪写真3左≫
  獅子型狛犬。 「平成二十一年」とありました。 2009年ですな。 新しいけれど、ファニーは入っていないようです。 カッチリした彫り。

≪写真3右≫
  神社の前から、南側を見た景色。 この辺り、緩やかな傾斜地ですが、緩やか過ぎて、俯瞰という感じはしません。 この日は、ほぼ曇りで、風景写真を撮る条件ではありませんでした。

≪写真4≫
  神社前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 たまには、ほぼ、シルエットもいいか。 スポーツ・バイクに、田園は、良く似合う。 少し、淋しい風景ですけど。

≪写真5≫
  神社と黄瀬川の間に、グラウンドがありました。 グラウンドに下りる階段が見つからず、川の方へ行くのは、諦めました。




【長泉町下長窪・山の神 / 静岡自動車教習所】

  2022年6月20日、バイクで、長泉町下長窪の、「山の神」と、「静岡自動車教習所」へ行って来ました。 ネット地図で見つけたところ。 以前にも、他の所を目的地に、近くまで来た事があり、迷わず、到着しました。

≪写真1左≫
  山の神の方に、バイクを置ける場所があったので、そちらへ停めました。 この写真に写っているのが、山の神の全景です。

≪写真1右≫
  石段、鳥居、社殿。 鳥居は鉄製。 木の板の名額に、「山の神」と、墨で書いてありました。 社殿は、木製・銅板葺き。 人間が入れないサイズです。 これは、たぶん、個人祭祀でしょうな。

≪写真2左≫
  山の神の、少し南にあった、「下長窪自主防災倉庫」。 随分、しっかりした倉庫です。 車を置く場所も確保してあって、大変、実用的。

≪写真2右≫
  山の神の、道路を挟んで向かい側にある、「静岡自動車教習所」。 公営なのか、民営なのか、詳しい事は分かりません。 森林が多い丘陵地帯でして、こういう地形の場所に、大きな敷地面積を必要とする教習所があるのは、不思議でした。 

≪写真3≫
  教習コース。 教習中の車は見当たりませんでしたが、停めてある車が、割と新しい車種だったので、営業しているのだと思います。 南側には住宅地がありますが、そんなに戸数が多いわけではありません。  

≪写真4≫
  山の神の参道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日は、薄曇りでしたが、そのくらいの方が、バイクの写真を撮るには、適しています。 あまり、日射しが強いと、メッキ部品が光り過ぎますから。 何度も書いている事ですが、ハンドルは、真っ直ぐにした方が、断然、カッコ良く撮れます。




【長泉町御長屋・東照宮①】

  2022年6月7日に、バイクで、長泉町、御長屋にある、「東照宮」に行って来ました。 ネット地図で見つけたのですが、東照宮が、こんな身近にあるとは知らなかった。

≪写真1≫
  本当にありました。 桃沢の幹線道路から、一本、東を通る道。 社標に、「東照宮」の文字あり。 境内は、二段になっています。

≪写真2左≫
  鳥居は、石製。 名額に、「東照宮」の文字あり。 棒注連縄あり。

  社殿建物の正面は、この写真しかありません。 境内の手前にゆとりがなくて、撮れなかったのです。

≪写真2右≫
  下の段にあった、長泉小学校卒業生一同が建てた石碑。 「星を研ぐ 風峡わたり 武家の跡」。 俳句として、いいのかどうか、よく分からぬ。 「武家の跡」というのは、解説板の写真で触れます。

≪写真3左≫
  拝殿正面の名額、「東照宮」。 これだけ、「東照宮」と書いてあっても、まだ、東照宮のような気がしません。

  右上に、スポット・ライトあり。 これは、明るそうだな。

≪写真3右≫
  拝殿正面。 静岡県神社庁の幟旗を、画鋲で留めてあります。 「祈 天下泰平 疫病退散」。 「天下泰平」が入っているという事は、ウクライナ侵攻の後に、作られたものなんでしょう。

  右の茶色い箱には、「御朱印箱」とあります。 御朱印がある神社は、初めて見ました。

≪写真4左≫
  鈴。 なるほど。 こういうのを、「鈴なり」というのだな。

≪写真4右≫
  本殿。 拝殿とは、別建物ですが、屋根だけ繋がっていました。 木造、瓦葺き。

≪写真5≫
  拝殿の側面。 木造、モルタル塗り、瓦葺き。

  社殿に、ガス・ボンベが置かれているのは、初見。 大変、面白いです。 窓に、洗剤の容器が置いてあるのも、滅法、庶民的。 中に、台所設備があるのでしょう。




【長泉町御長屋・東照宮②】

≪写真1左≫
  石燈籠。 円筒柱、六角断面型。 お寺にも置けるタイプです。 しかし、神社向けと、お寺向けでは、彫り物のモチーフが異なっているのかも知れませんな。

≪写真1右≫
  物置。 神輿は、拝殿の中にあったので、神輿置き場ではないです。 この写真では、分かり難いですが、左端にトイレがあります。 台所、トイレ、あとは、風呂があれば、住めますな。

≪写真2左≫
  手水場。 というか、流しです。 コンクリート・タイル貼りの流しは、かつて、一般的だったもの。 蛇口あり、ハンドルあり。 使えそうです。 ブリキのバケツは、今では、珍しくなりました。

≪写真2右≫
  解説板。 「明治維新後、静岡県に移された幕臣の一部が、この地に入植し、開墾に当った。 明治3年(1870年)、父祖恩顧の徳川家を思い、久能山から東照宮を勧請した」といった事が書いてあります。 これを読んで、ようやく、本物の東照宮である事に納得しました。

≪写真3左≫
  ベンチ。 露天だから、仕方ありませんが、苔がついているようで、座るのがためらわれます。 こういう設備を綺麗に保つのは、そもそも、無理があるのでしょう。

≪写真3右≫
  神社の横に川が流れていて、側溝の水が、勢い良く、流れ落ちていました。 山村では、側溝の水でも、澄んで、綺麗です。

≪写真4≫
  神社前の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日の走行距離は、28キロ。 長泉町・御長屋は、少し遠いです。 バイクがあるから、来るのであって、自転車では、ここまでは、とてもとても。

  バイクの調子は、まずまず、良いです。 今年は、どこも補修せずに済むかも知れません。

≪写真5≫
  東照宮を後にし、少し下った所で、東南側を見た景色。 この方角だと、遠くには、三島市街地が見えると思うのですが、霞んでしまっています。

  この付近、いい所だと思いますが、傾斜があるから、自転車は使い難いでしょうねえ。




  今回は、ここまで。

  まーた、組み写真の枚数が、8枚になってしまいました。 6月は、5週もあったから、出かけた回数が多いのであって、致し方ないか。  撮る枚数を減らせばいいんですが、普通の大きさの神社だと、ちょこちょこと、興味を引くものがあり、そういうのは、撮らないではいられないのです。 もしかしたら、二度と来ないかも知れないし。

  池とか、公共施設とかなら、5・6枚しか撮るものがない事もありますが、神社に比べると、桁違いに数が少なくて、滅多に目的地にできません。 なかなか、うまくいかないものですな。

2022/07/24

実話風小説⑥ 【昇進できなかった理由】

  「実話風小説」の六作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。

  そろそろ、ネタ切れか。 心が綺麗な人に、こういう話は思いつかないのは、確かだと思いますが、私の心が、如何に捻じくれ曲がっているといっても、そうそう、こんな事ばかり、考えているわけではないです。




【昇進できなかった理由】

  地方都市に本社がある、中堅の商社。 A氏は、割と有名な大学を出て、この会社に就職し、25年間、勤めて来た。 同期入社は、20人以上いたのが、少しずつやめて、今現在、半分ほどになっていた。 残っている者の内、A氏を除いて、みな、課長クラス以上に昇進していた。 一人は、部長になっている。 A氏だけが、係長補佐で止まっていた。

  A氏は、特に有能というわけではないが、仕事は人並み以上に、しっかりやるタイプで、なぜ昇進しないのか、不思議がられていた。 「Aさんは、出世する気がないんだろう」と思われていたが、そんな事はなくて、A氏自身も、なぜ、自分に昇進の話が来ないのか、不思議でならなかった。 控え目な性格だったから、自分の方から、その理由を訊ねる事はなかったが・・・。


  会社に、経営上の危機が訪れ、リストラが行なわれる事になった。 社内の人事部門が主導するリストラだったので、平の社員が、真っ先に切られる事になる。 「係長補佐」も、同類である。 なまじ、平でないだけ、切り易いとも言える。 若い者達より、年功分、高い給料をもらっているから、やめてもらえば、人件費を抑えるのに、有効性が高いのだ。

  A氏自身も、そうなる事は覚悟していて、人事部門から呼び出しを受けた時には、もう、早期退職を受け入れるつもりでいた。 予め、妻にも話をして、再就職をどうするか、相談までしていた。


  人事の担当者は、A氏よりも、いくらか若い男だった。 過去に面識はない。 そういう態度をとるように言われているのか、終始、低姿勢で、同情に絶えない、という表情・話し方で、退職してくれるように、頼んで来た。 A氏は、元々、控え目な性格であるし、覚悟が出来ていたので、「仕方がありませんね」と受け入れた。

  話が終わりかけた時に、A氏は、ふと思いついて、ある事を訊いてみた。

「退職の件は承知しましたが、その前に、一つ教えていただきたい事があるんですが・・・」

  人事の担当者は、ギクリとした様子だったが、とりあえず、どんな話が聞いてみようという気になったようで、椅子に座り直した。 死刑囚が、最期に、望みを一つ聞いてもらえるという話を思い出していた。

「どんな事でしょう?」
「私は、大卒入社で、勤続25年なんですが、係長補佐止まりでした。 同期入社の連中は、みな、課長クラスになっています。 自分では、特に、思い当たる事もないんですが、どうして、昇進できなかったんでしょうか?」
「それは・・・」

  「それは、あなたに、昇進するだけの能力がなかったからでしょう」と言いかけて、改めて、A氏を見て、外見や話し方が、無能社員に良く見られるそれとは、全く重ならない事に気づき、言葉を飲み込んだ。 「はて? この人は、なぜ、昇進できなかったんだろう?」 担当者本人が、不思議に感じて、調べてみる気になった。 A氏には、一旦、職場に戻ってもらい、担当者は、人事記録を調べに、資料室へ向かった。

  二日後に、A氏は、人事の担当者に呼び出された。 前回は、殺風景な会議室だったが、今回は、もっと小さい、もっと高級感がある、応接室だった。

「先日承ったご質問ですが、あなたが昇進できなかった原因について、確実な事が一つありました。 人事の記録にも残っていますし、当時の事を知る関係者にも、電話で確認しました」

  A氏の額から、汗が滲み出た。 やはり、原因があったのである。

「××年×月×日の事ですが、あなたは、社員食堂で、Bさんという、当時、営業3課の課長だった人と、同席しています。 しかし、もう、20年以上前の事だから、そんな事は覚えていないでしょう?」
「Bさん? うーん・・・、分かりません」
「Bさんの事も覚えていませんか。 当時、あなたは総務課ですから、Bさんとは、仕事上の関係は、なかったと思います。 しかし、同僚か上司か、誰かを通じて、面識はあった」
「そうなんですか。 分かりません」
「たまたま、食堂で合い席になって、世間話をしながら、一緒に食事をしていた。 そこへ、営業部の部長が、Bさんを捜しに来て、ある仕事について、すでに終わらせているかどうかを確認しました」
「はあ・・・」
「それは、取引先の人物に会う仕事だったんですが、Bさんは、『ああ、終わりましたよ。 いちいち、飯を喰っているところにまで、確認しに来ないで下さいよ』と、迷惑そうに答えました」
「はあ・・・」

  なかなか、話が、自分に関係して来ないので、A氏は、機械的に相槌を打っていた。

「営業部長は、更に念を押して、『昨日の内に、○○社のCさんに会ったんだな』と、問い質したところ、Bさんは、『会いました、会いました。 そこの通りにある喫茶店で。 なあ、お前もその時、近くの席にいたよなあ?』と、あなたに、話を振って来ました」
「えっ! 私にですか? そんな事があったかな?」
「あったんです。 あなたは、ちょっと考えてから、『ああ、はいはい、会ってましたよ』と答えています」
「私がですか? 全然、覚えていません」
「当時、食堂にいた、別の人が、そう証言しています。 その人は、営業3課で、Bさんの部下だったのです。 自分の仕事に関係がある話だったから、注意して聞いていたんだそうです」
「それで、私が、そう答えたのが、どうしたんですか?」

  人事部門の担当者は、少し間を置いてから、残念そうに、答えた。

「Bさんが、喫茶店で、○○社のCさんに会ったというのは、嘘でした。 しかも、何か考えがあって、ついた嘘ではなく、その場から、営業部長を追っ払う為の、口から出任せだったんです」
「・・・・・」
「ところが、あなたが、その嘘の証人になってしまった事で、営業部長は、Bさんの言葉を信じざるを得なくなり、○○社のCさんへ、確認をしませんでした」
「・・・・・」
「その結果、ある大きな取引を、ライバル社に取られる事になりました。 営業部が見つけて来た仕事ですが、有望そうだったので、担当責任者が、重役に切りかえられる直前の事でした」

  A氏は、絶句した。 自分が昇進できなかった理由は、誰かの嫌がらせかと思っていたのだが、全然、違っていたのだ。 Bさんて、誰だ? 営業の課長? 知らない。 ××年というと、入社3年目か。 他の部署の、しかも上役とのつきあいなんて、普通、ないだろう?

「営業部長は、取引がポシャった後になって、○○社のCさんから事情を聞いて、Bさんが嘘をついた事を知りました。 Bさんは、よく言えば、自由な人、悪く言えば、気ままな人で、自分が興味がある仕事は、夢中でやるけれど、そうでないと、先延ばしにしたり、部下に丸投げしたりして、なかなか、手をつけようとしない人でした。 その仕事は、他の者が見つけて来たものだったから、興味が湧かなかったようです。 ○○社のCさんと会う予定だった日には、『外回りに行ってくる』と言って、半日、会社にいなくて、知人の話では、どうやら、新しく買う予定の車を見に、ディーラーへ行っていたらしいです」
「なんて、いい加減な! そんな人が、課長をやっていたんですか!」
「Bさんは、譴責・減給の処分に留まらず、損失が明らかになった後で、懲戒解雇になりました」
「・・・・・」
「それで、Aさん、あなたですが、あなたが嘘の証言をした事は明々白々で、あなたの責任も追及すべきだという意見が、重役会議で出ました」

  A氏は、だくだくと、冷や汗を流し始めた。

「もし、あなたが、Bさんの嘘を裏付けるような事を言わなければ、営業部長は、○○社のCさんに連絡して、取引を纏める事ができたかもしれないからです」
「しかし、それは、可能性の・・・」
「そうです。 可能性の問題に過ぎません。 だから、あなたのところまで、追求が行かなかったのです」
「それも、逆でしょう? そんなに大ごとになったのなら、私に問い質しに来るのが、筋ではないですか? 話してくれれば、私だって、20年以上も、昇進しない事に悩まずに済んだのに・・・」
「総務部長と、あなたの上司の課長は、呼び出されています。 重役の一人が、あなたの事を、『とんでもない嘘つきだ!』と罵ったのを、その二人は、『いいえ、至って、真面目な男です』と庇ったそうです」
「・・・・・」
「あなたに嘘をつかれた本人である営業部長も、あなたの事は知らなかったけれど、Bさんの方を良く知っていたので、『Bの奴、たぶん、その場をごまかす為に、よその部署の若いのを巻き込んだんでしょう。 話を合わせるように、目配せでもしたんじゃないですかね』と言ったそうです。 その結果、あなたには、咎めがなかったわけですが、もし、責任を追及されていたら、Bさん同様、いずれ、懲戒解雇だったでしょう。 そちらの方が、良かったですか?」
「・・・・・」
「というわけです。 一度、そういう問題に悪い役どころで関わってしまうと、なかなか、昇進は難しくなるという事でして・・・」
「・・・・・」
「ご納得いただけましたか?」


  A氏は、ショックが大きくて、ボーッとしていたが、ふと、テーブルの上に視線を落とすと、人事担当者の持って来た書類が広げられていて、その一枚に、小さな顔写真が貼ってあるのが目にとまった。 B氏の名前が書いてあるから、恐らく、履歴書なのだろう。 若い頃の写真で、すぐには分からなかったが、「この顔が、歳をとったら、どうなるのだろう」と、想像を膨らませて行ったら、突然、記憶が蘇った。

「ああっ! Bさんて、あのBさんですか!」
「思い出されましたか」

  ありふれた苗字だから、顔と結びつかなかったのだ。 しょっちゅう、他の部署に顔を出し、知り合いを見つけては、世間話をして行く男だったのである。 A氏より、一回りくらい年上で、A氏の職場に来ては、同期の課長らと、長々と話し込んで行くのだった。 一度、自動販売機で、缶コーヒーを奢ってもらった事があり、太っ腹な人という、いい印象があった。

  少し年長の先輩達には、B氏の評判は悪かった。

「あんなの、何しに会社に来てるのか分からない」
「でも、仕事はできるんでしょ」
「そんなの、大昔の話だ。 二つ三つ、大口の取引を纏めただけで、その功績を、10年以上経っても、看板にしているんだ」

  しかし、A氏の目には、B氏は、キレ者に見えた。 花形営業マンだと思っていた。 飄々として、社内を闊歩している様子が、カッコよく見えた。 地味な仕事しかできない自分にないものを、B氏がもっているように思えて、秘かに、敬意と憧憬、羨望を抱いていた。

  そうだ、思い出した! あの時、食堂で、確かに、B氏から、目配せされた。 話を合わせてくれという合図だと思い、テキトーに合わせた。 B氏から、秘密を共有する仲間のように扱われて、嬉しかった事もあるが、B氏は出世しそうだから、ここで貸しを作っておけば、後々、自分に有利になるだろうと、打算をした事の方が大きかった。 そんな重要な取引に関わる事とは、想像もしなかった。 あの時の相手の男は、営業部長だったのか。 知らない人だったから、気にもしなかった。

  すっかり思い出した! なぜ、忘れていたのか? それは、その後、B氏が社内から姿を消してしまったからだ。 懲戒解雇になっていたとは知らなかった。 なんて、下らない事をしたのだろう! 出世しそうどころか、クビになるような奴を助けて、自分の信用を失墜させてしまったとは・・・。

「それで、Bさんは、その後、どうなったんでしょう?」
「それは、分かりません。 解雇された人のその後を、会社が調べる事はありませんから」

  しばらく、無言の時間が続いた。 ほんの、1分程度だったが、A氏には、無限の時のように長く感じられた。 やがて、A氏が、恐る恐る、最後の質問を口にした。

「あのう・・・、その事件の時の、会社の損失は、どのくらいだったんですか?」
「取引を纏めたライバル社は、その事業で、年間2億円以上の利益を上げるようになりました。 もっとも、商品が陳腐化するまでの、4年間くらいですが。 つまり、ざっと計算して、8億円くらいですかね」
「あ・・・、う・・・・」

  A氏が、今までに、会社からもらった給与・賞与を全部合わせても、1億円にもならない。 それは、労働の対価だから、差し引きゼロとして、つまるところ、A氏は、責任が半分としても、4億円の損害を与える為に、この会社に勤めていた事になる。 A氏は、俄かに、震え上がった。 リストラ解雇宣告に一矢報いるどころの話ではなく、一刻も早く、会社から逃げ出したくなったのだ。 調べてくれた事に礼を言って、そそくさと、応接室を後にした。

  A氏は、遅れ馳せながら、大きな教訓を得た。 「よく知らない奴を、その場のノリや、下司な打算で、庇ったりするものではない」という教訓を。 退職後は、姻戚の製材所に雇ってもらい、慣れない肉体労働に苦労しながらも、何とか、家族を養っている。


  歳月を遡って、懲戒解雇された後のB氏だが、仕事上の知人を頼って、他の会社に潜り込もうとしたものの、全て、断られた。 「懲戒解雇者は、まずい」と、どの会社でも、思ったのだ。 それまで、世の中をナメきって生きて来たB氏は、「自分には実力があるから、その気になれば、どんな仕事でも、うまくやれる」と思っていたのだが、雇ってもらえないのでは、実力を発揮しようがない。

  懲戒解雇された後、妻子と別居・離婚し、一人暮らしになった。 その後、夜の世界で、用心棒のような仕事をしていたという噂もあるが、詳細は不明だ。

2022/07/17

読書感想文・蔵出し (90)

  読書感想文です。 近況を書きますと、「母にスマホ計画」は、6月下旬に、実行に移し、終了しました。 その件については、いずれ、こちらでも、記事を書きます。





≪氷壁≫

新潮文庫
新潮社 1963年11月5日/初刷 2002年6月20日/84刷改版 2011年1月15日/104刷
井上靖 著

  沼津市立図書館にあった本。 文庫で、609ページもあります。 二冊に分けた方が、良かったのでは? 分厚い文庫を借りる時には、壊さないように、注意して読まなければならないので、神経を使います。 糊が剥がれて、ページが外れてしまうのは、割とよくある事。

  井上靖さんと言ったら、中国を舞台にした歴史小説が有名ですが、これは、現代日本が舞台の、一般小説です。 1955・56年(昭和31・32年)に起こった話として書かれているので、現代といっても、だいぶ昔ですが、山岳遭難がモチーフになっているせいか、話全体は、そんなに古い感じがしません。 ネット情報によると、1956年2月24日から、1957年8月22日まで、「朝日新聞」に連載されたとの事。


  年末に、雪山の氷壁を登りに行った、二人の青年登山家。 出回り始めたばかりの、ナイロン・ザイルが切れて、一人が落下し、死亡する。 生きて帰った方は、「自分が助かりたい為に、ザイルを、わざと切ったのではないか」といった批難を受け、世間の冷たい目に曝される。 死んだ青年には、一方的に思いを寄せていた人妻がいて、彼女から拒まれたせいで、自らザイルを解いて自殺したのではないかという憶測もあった。 やがて、ナイロン・ザイルが切れるか否かの実験が行なわれる事になり・・・ という話。

  山岳遭難がモチーフですが、それが、テーマというわけではないです。 では、何がテーマかというと、恋愛でして、恋愛小説としか言いようがないです。 山は、ダシに使われているだけ。 山岳小説と思って手に取った人達は、相当には、がっかりしたのでは? 私も、そのつもりで借りて来たので、やはり、がっかりしました。

  また、この作品を紹介する時、「ザイルが切れた話だ」と言う人がいると思いますが、確かにそうではあるものの、正確とは言えません。 それは、この作品のテーマではなく、ただのモチーフなので、間違えないように。 決して、ザイルについて書きたかった話ではないです。 ナイロン・ザイルが切れるか否かについて、実験が行なわれますが、犯罪小説ではないので、その結果に大きな意味はないです。

  以下、ネタバレ、あり。 推理小説ではないから、ネタバレしても、楽しめない事はないですが、やはり、知らない方が、「この先、どうなるんだろう?」と、いろいろ考えたり感じたりする楽しみがあると思うので、この作品を読む予定がある方は、以下は読まないでください。

  で、恋愛小説としてですが、つまりその、年が離れた夫を持つ人妻に、山男の青年が惚れるが、相手は、夫と離婚して、その青年と再婚するつもりはなく、はっきり、そう伝えた直後、青年が山で死んでしまった。 生き残ったもう一人の青年も、その後、その夫人を好きになるが、人妻に求婚する気はなく、死んだ青年の妹を選ぼうとする。 本心では、夫人が好きなのに、倫理的に許されないから、友人の妹を好きになろうとするが、その葛藤があだになり・・・、という話なんですな。

  恋愛小説というと、ガキ丸出し、頭スッカラカンの高校生や大学生が、グジャグジャしたナルシシズムや、生殖器ばかり活躍させる、地獄行きのスカタン小説を思い浮かべてしまいますが、それらに比べると、この作品の恋愛は、大人のそれです。 しかし、男の方は、二人とも、至って純情で、相手をとっかえひっかえ、恋愛遊びに興じている、爛れた大人の世界とは無縁です。 大人の恋なのに、純情という点で、大変、新鮮な印象があります。 こういうのを、本当の恋愛小説というのかも知れませんなあ。

  人妻が、古風なタイプ、死んだ青年の妹が、現代的なタイプと、主人公を巡る二人の女性の性質を対立させて、図式化しています。 図式化というのは、あまり、ガチガチにやり過ぎると、白けてしまうものですが、この作品のそれは、絶妙なところで、バランスを取ってあります。 ただ、図式化そのものが嫌いという向きには、通用しないでしょうな。 私も、その手ですが。

  その古風な人妻が、人格的に、つまらない人物なのは、残念なところ。 たぶん、外見がいいのだと思いますが、外見というのは、ただ、そういう形をしているというだけの話で、人間の中身とは関係がないので、若い内ならともかく、私くらいの歳になると、価値を感じられなくなります。 凄い美人だけど、中身は、人間というより、動物に近いというのもいますから。 それでいて、動物ほど、純粋ではないと。

  死んだ青年の妹も、パッとしません。 死んだ兄より、主人公への思いの方が強くて、不自然と言うほどではないものの、人格的な不純さを感じてしまうのです。 人妻に、兄が写った写真を選ばせる件りは、純文学の場面設定としては優れていると思いますが、妹の不純な腹づもりを想像すると、ムカムカと腹が立って来ます。

  そもそも、兄と主人公が一緒に写った写真を人妻にやりたくないのなら、選ばせたりせず、最初から、兄だけが写った写真を持って行けばいいではありませんか。 更にそもそも、人妻に、よその青年の写真をもっていてくれと頼むのも、非常識です。 そんな物をもっているが夫に知れたら、家庭不和の原因になるに決まっています。 この妹、その程度の事も分からないんでしょうか?

  死んだ青年の母親については、ほとんど、描写がありませんが、心情的に、自分の息子の死に関わっている主人公が訪ねて来たのを、歓迎するというのは、おかしくないですかね? ザイルを切った切らないは真相が不明な時点なので、問わないとしても、主人公と一緒でなければ、息子は、その山へ行かなかったわけで、母親としては、自然と恨むと思うのですが。

  井上靖さんが、女性の事を良く分かっていないとは思いませんが、性格類型は描き分けても、そこに人間的魅力を盛り込むところまでは、考えが至らなかったのかも知れませんねえ。 主人公は、あくまで、青年の方だから、女性陣がつまらないと指摘するのは、ズルい批評になってしまうかもしれませんが、私だったら、この人妻や、死んだ青年の妹に惹かれる事は、絶対にないと思います。 どちらも、面倒な事になるだけですわ。

  主人公の勤め先の支店長が、豪胆タイプの人物で、主人公以上に、目立つ存在になっていますが、些か、描き込み過ぎで、鬱陶しいです。 登山論を語らせる為に出したキャラが、独り歩きしてしまったのではないでしょうか。 豪胆であると同時に、支配欲が強く、何でも自分が決めた通りに進まないと気が済まない、何とも、嫌な性格になってしまっています。 こういう人は、確かにいますけど、こんなに出番を多くする必要はないと思います。

  貶してばかりになってしまいましたが、一般小説と取るにせよ、純文学と取るにせよ、決して、つまらない作品ではなく、時間を割いて読む価値はあると思います。 井上靖さんらしくない作品なので、同氏の歴史物しか読んでいない読者には、尚の事。 特に、時代を感じさせない点は、特筆物で、「えっ! 本当に、昭和30年代の作品?」とは、誰もが、思うのではないでしょうか。

  この文庫の解説ですが、文芸評論家二人が、別々に書いています。 一人は、井上靖さんの経歴と作品史について。 もう一人は、【氷壁】という作品について。 どちらも、不親切な事に、作品データには、全く触れられていません。 高邁な文学論なのですが、こういう文章を読んでいると、文学が過去のものになった感じが、強烈にしますねえ。




≪夢見る沼≫

ロマン・ブックス
講談社 1955年12月10日/初刷 1974年2月28日/23刷
井上靖 著

  家にあった、母の本。 新書サイズです。 新書サイズの「○○ブックス」の類いは、みんなそうですが、解説がなく、作品データもありません。 不親切極まりない。 ネット情報では、 1955年12月とありますが、するってーと、この本は、書き下ろしだったんですかね? 分かりません。 一段組みで、241ページ。 短めの長編、1作を収録。

  私、この本を、もう大昔に、一度手にとって、読んだ事があるのですが、当時の私は、恋愛小説など小馬鹿にしていたので、ちょうど真ん中あたりまで読んだら、馬鹿馬鹿しくなって、放棄してしまいました。 ≪氷壁≫を読んで、井上さんの恋愛小説が、現代的である事に気づき、読み返してみた次第。


  親友から、結納まで進んだ縁談を断ってきて欲しいと頼まれた女性が、相手の実家がある信州まで、使者に立つ。 相手の青年は、かなり、変わった人物で、用件は伝えたものの、ショックを受けた様子もない。 その後、何度か、その青年に会う機会があり、自分が彼に惹かれている事に気づくが、いつのまにか、親友と青年の縁談は、復元していて・・・、という話。

  ≪氷壁≫は、山岳遭難がダシに使われていましたが、この作品は、シンプルな恋愛物で、他のモチーフは、使われていません。 シンプル過ぎて、≪氷壁≫と比べると、読み応えは、遥かに劣ります。 会話が多いから、速い人なら、一日かからずに読み終えると思いますが、カテゴリーと言い、軽さと言い、ラノベに近いものを感じます。

  結婚が近づくと、恐怖感を覚える女性というのは、いつの時代にもいるものですが、縁談を断るなどという、不穏な役目を、友人に押し付けるとは、言語道断。 この親友には、呆れます。 相手の青年にとっては、こんな女と縁談が纏まってしまったのは、大変な不運。 破談になるのは、大変な幸運というべきでしょう。

  一見、特殊な事例のように思えますが、友人同士で、一人の異性を取り合いになるというのは、実は、非常に良く起こる事でして、生きている世界が狭いと、目ぼしい異性の数も限られてくるから、自然に、そうなってしまうんですな。 親友に、恋人を奪われてしまって、絶交したなんて例は、探せば、いくらでも出て来るはず。

  今は少ないですが、昭和の前半頃までは、兄弟や、姉妹で、一人の異性を取り合うケースも、小説や映画に、よく出て来ました。 特に、金持ちの家庭が舞台だと、そういうケースが多い。 社会的な身分があると、結婚相手は誰でもいいというわけには行きませんから、条件に合う人間が少なくて、やはり、取り合いになってしまうんですな。 つくづく、世界が狭い。

  以下、ネタバレ、あり。

  この作品のテーマは、主人公の女性が、親友の婚約者だった青年に対する自分の気持ちを、はっきり認識する、その心理過程にあります。 たった、それだけの為に、全体の半分のページ数を費やしています。 ところが、親友との関係があるから、好きだと気づいたからと言って、ホイホイ近づくわけには行かない、というのが、小説の読ませどころになっています。

  終わり方が、はっきりしないのですが、まあ、この後、何年かすれば、結婚できる状況になるんじゃないでしょうか。 友人の方は、別の男と、結婚するようだし。 友人のチャランポランな性格から考えて、恨まれるような事もないでしょう。 もっとも、それ以前に、この友人とは、縁を切った方がいいと思いますねえ。 先々、どんな、滅茶苦茶な事を頼まれるか分からない。

  気の毒なのは、主人公と、かつて、いい仲で、いずれ結婚するつもりでいた新聞記者でして、3年ぶりに海外転勤から戻ってきたら、思いもしない状況になっていて、愕然。 フラれているのに、求婚を諦めず、ひどく滑稽な立場に置かれてしまいます。 「これでは、ストーカーではないか」と思う人も多いはず。 しかし、この人物が取っている行動は、当時の婚姻風俗に照らせば、至って常識的なもので、今の感覚で批判するのは、無理があります。 おかしいのは、結婚したい相手を、くるくる変えている、他の三人の方なのです。

  ≪氷壁≫の人物達に比べると、恋愛だけに焦点が当てられている分、緊張感がなくて、「こんな、はっきりしない心理なら、相手は、誰でもいいんじゃないの?」と思ってしまうのですが、実際問題、結婚なんて、そんなものなのかも知れませんな。 恋愛結婚が、ほとんどを占めるようになった現在でも、うまく行かない夫婦なんて、珍しくもないわけですから。 好きな相手とさえ結婚すれば、幸福になれるとは限らないわけだ。




≪死との約束≫

クリスティー文庫 16
早川書房 2004年5月15日/発行 2012年10月31日/5刷
アガサ・クリスティー 著
高橋豊 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【死との約束】は、コピー・ライトが、1938年になっています。 約375ページ。


  中東アラブ世界を観光旅行していた、若い女性医師が、同じように旅行中の、アメリカ人一家と出会う。 その家族は、亡父の後妻が、支配者として君臨し、義理の息子二人と、長男の妻、義理の娘一人、実の娘一人を、奴隷のように扱って、彼らの人生を押し潰していた。 同じホテルに泊まったポワロは、次男と長女が、何者かを殺す相談をしているのを、漏れ聞いてしまう。 やがて、ペトラ遺跡で、亡夫の後妻が急死し・・・、という話。

  クリスティー作品に、中東が舞台の話が多いのは、作者の再婚相手が考古学者で、作者も発掘現場に同行した事があったからだそうですが、結果的に、お洒落で綺麗好きのポワロを、土埃の多い旅先で活躍させる事になってしまい、中には、違和感を覚える読者もいるのではないでしょうか。 かといって、ミス・マープルでは、もっと、無理があるか。

  この話、三谷幸喜さんが翻案したドラマで見て、大変、面白かったのですが、デビッド・スーシェさん主演のドラマ・シリーズでは、原形を留めぬほどに、改悪されていて、全く見るところがありませんでした。 もっと、遥か以前に、映画≪死海殺人事件≫で見ており、その時の場面が、いくつか、記憶に残っていました。

  三谷さんが、「クリスティー作品中の名作」と言っていたらしいですが、確かに、面白い。 先に映像作品を見て、犯人を知っていても、尚、小説が面白いのだから、本当に優れているんですな。 もっとも、ストーリーを知っている場合、楽しめるのは、推理小説部分ではなく、心理を描いた部分ですけど。

  以下、少々、ネタバレしますが、これから読むという人も、まあ、大丈夫でしょう。 どうせ、ネット上で読んだ他人の感想なんて、すぐに忘れるでしょうから。

  フー・ダニット物です。 各容疑者が、被害者に最後に接触した時間の、細かい差が、謎になっています。 注射器などが小道具として出て来るものの、トリックというほどのトリックは使われていません。 つまり、本格トリック物ではないという事になりますが、この作品を、推理小説の中心軸から外してしまうのは、大いに、ためらわれるところ。 これだけ王道的な推理小説も、そうそう、ありますまい。

  容疑者全員が嘘をついているので、あまり、真剣に読むと、無駄なエネルギーを使ってしまいます。 同じく、容疑者全員が嘘をついている、【オリエント急行の殺人】との違いは、全員共謀ではないという点でして、こちらでは、犯人だけが、自分を守る為に嘘をつき、他の者は、互いを庇う為に嘘をついています。 まったく、一人の作者が、いろいろなアイデアを思いつくものですねえ。 感服せざるを得ません。

  一つの特殊な家族の、一人一人の心理を、非常に細かく描きこんでいます。 クリスティーさんは、精神分析学に深い興味があったようで、特殊な人格の心理を掘り下げて、複雑な人間関係を作り出し、更にそれを、推理小説の骨格に嵌め込むという、人間離れした超絶技巧を駆使していたわけだ。 80年以上前に書かれた作品が、未だに、輝きを失わないのですから、驚きます。 その後に登場した作家が、クリスティーさんを、超えられないんですな。




≪八甲田山死の彷徨・岩壁の掟≫

新田次郎全集第七巻
新潮社 1974年9月25日/初刷 1980年3月25日/11刷
新田次郎 著

  沼津図書館にあった本。  二段組みで、長編2作、短編4作、計6作を収録。 【八甲田山死の彷徨】は、映画にもなった、有名な作品。


【八甲田山死の彷徨】 約156ページ
  1971年(昭和46年)9月 新潮社より、書き下ろし刊行。

  日露戦争が現実味を帯びて来た、明治後期。 対ロシア戦に備えて、八甲田山で雪中行軍を行なう計画が発案された。 第31連隊は、30名の小隊で、第5連隊は、200名を超える中隊規模で、それぞれ、逆方向から入山し、ほぼ同日に、八甲田山山中ですれ違う可能性が高かった。 入念な準備を整えていた少数精鋭の第31連隊ですら、凍傷者を大勢出す苦難の行軍だったが、第5連隊の200名は、数日前に寄せ集めた中隊で、装備もろくに整えないまま出発した上に、随行した大隊長が、途中で指揮権を取り上げるような事をしたせいで・・・、という話。

  ほぼ実話のようですが、登場人物の名前は変えてありますし、細部の会話など、想像で補った、もしくは、膨らませた部分もあると思われ、それが理由で、実録ではなく、小説という形式にしたのではないでしょうか。 明治時代に起こった事故ですから、残っている記録が少ないのは、当然です。

  雪中行軍の研究としては、第31連隊の方が、内容があります。 明治時代の日本軍は、割と、科学的・技術的な性質も持っていたんですねえ。 その点、昭和以降の日本軍の方が、退化している観があります。 民間人の案内人に対して、最初は、紳士的に接していた隊長が、肝腎の八甲田山に入ってからは、厳しく当たり、半ば強制的に案内をさせた点は、ちと、違和感あり。 物分かりのいい軍人であっても、所詮、民間人に対する意識は、こんな物なのかもしれません。

  有名な雪山遭難事故は、第5連隊の方で起こった事ですから、そちらの方が、話の中心になります。 こちらは、科学も技術も二の次。 無理が通れば道理引っ込む、コチコチの精神主義で、昭和の日本軍に通じるものが、大いにあります。 とにかく、準備がなさ過ぎる。 足りないのではなく、ないのです。

  雪山をナメきっていて、「ただ傾斜しているだけで、雪の平地を行くのと変わりはない」と思っているのだから、話にならぬ。 寒さも、疲労度も、野営場所を見つけるのが困難なのも、桁違いの凄まじさである事を、全く分かっていない。 本来の指揮官だった大尉は分かっていたわけですが、上官から、人数を増やせと言われて、断れなかったところから、計画が何もかもグスグズに崩れて行きます。 山中で、大隊長に指揮権を奪われる以前に、すでに、遭難は決まっていたようなもの。

  以下、ネタバレ、あり。

  この大佐、雪山について、何も分かっていないのに、「自分が指揮を執って、成功させた」という実績が欲しかったのか、本来の指揮官から、指揮権を、なし崩しに取り上げてしまいます。 この作品だけ読んでいると、凄い馬鹿としか思えませんが、実際には、こんな軍人は、いくらでもいた事でしょう。 一般人の世界でも、こういう人物は珍しくありません。 その能力がない人間が、指揮を執ると、滅茶苦茶になるのは、避けられません。

  なんと、この大佐、生き残った十数名の中に入っているのですが、責任を感じて、自殺したのは、当然と言うべきでしょう。 200人近く、死なせてしまったのですから、一人が自殺しても、責任が取れる事ではありませんが、生き続けるよりは、マシというところ。 自殺の動機は、死なせた部下に悪いと思ったからではなく、軍人・兵隊を大勢死なせてしまった事を、国に申し訳ないと思ったんでしょうねえ。

  遭難の責任について、追求が甘いです。 大佐が自殺、本来の指揮官であった大尉も死んでおり、責任者二人がいなくなっているから、追求できなかったという事情もありますが、軍隊全体で庇い合って、「誰が悪かったわけでもない」という結論で、終わりにしてしまったようなのです。 これでは、山中で凍りついて死んだ者達の遺族は、納得しないでしょう。 実際、かなり、文句が出たらしいです。

  極寒の描写が、凄まじいです。 あまりの低温で、指先が動かなくなり、マッチも擦れないというのは、暖を取る上では、大変、始末が悪い。 方位磁石が凍って、利かなくなるのも、怖い。 当時、ズボンの前は、ボタン留めだったのですが、指がかじかんで、ボタンを外せず、ズボンの中で失禁すると、尿が凍って、凍死してしまうとの事。 では、最初から、ボタンを外しておけばと思うでしょうが、そうすると、風が吹き込んで、やはり、股間が凍傷になってしまうのだそうです。 処置なし。

  体を動かしていれば、体温が低下しないと思うでしょうが、汗を掻くと、それが凍って、凍死するとの事。 頑張れば何とかなるというわけではなく、頑張ったから、死を早めたわけだ。 荷車を押していた兵隊が、真っ先に、汗が凍って死んだらしいですが、気の毒この上ない。 そもそも、山に登るのに、荷車を押して行くなど、夏山でも、非常識です。

  疲労と寒さで、頭までおかしくなり、異常な行動を取り始める者が、続々と出て来ます。 「川を泳いで下れば、麓に下りられる」と言って、裸になって飛び込む者が後を絶たなかったとの事。 もちろん、たちまち、心臓麻痺で死んだ事でしょう。 自分の隣で、人が倒れても、助けようとすれば、自分も死んでしまうので、そんな余裕はないのです。 9割以上が死んだ遭難というのは、そういう、本物の地獄なんですな。 個人の努力でどうにかなる限界を、遥かに超えているのです。

  この作品の最大の教訓は、「雪山には、行かない」という事でしょうか。 それ以外に、対策がないように思えます。 


【岩壁の掟】 約110ページ
  第二章[鴉の子]、1959年(昭和34年)4月、「小説新潮」に掲載。
  第一章「三人の登攀者」、1960年(昭和35年)6月、「日本」に掲載。
  第三章「虚栄の岩場」、1960年(昭和35年)8月、「オール読物」に掲載。

  不遇な少年時代を過ごした青年には、恩師の婚約者を、山で殺した過去があった。 社会人になってからは、山にばかり行っているのが原因で、職を転々とする。 ある時、たまたま出会った若者達と、三人だけの山岳会を作って、谷川岳に登るが、遭難してしまう。 その後、穂高の山小屋に住み込んで、山岳ガイドをしていた時、二人の女に別々に依頼されて、女性初登頂の記録を作る手伝いをするが・・・、という話。

  話の時間軸で並べると、「第二章、第一章、第三章」になりますが、単行本に纏めた時に、効果を高める為に、「三人の登攀者」を、前に持って行ったのでしょう。 なので、時間軸通りに読んでも、別に、混乱する事はないです。 [鴉の子]を書いた後、すっかり、捻くれさせてしまった主人公に、作者としての責任を感じて、続編を書いたんじゃないでしょうか。 結局、それなりの最期になりますが、少年時代の悲惨さに比べれば、随分と立派な大人になったものだと思います。

  「鴉の子」だけ見ると、山岳小説ではなく、少年が主人公の、一般小説、もしくは、純文学です。 私は、少年物が嫌いなので、げんなりしましたが、その内、山岳小説に戻る事を見越して、我慢して読みました。 タイトルの通り、カラスの子が出て来ますが、昭和中期頃までの日本の小説では、動物が出て来ると、必ず、死ぬので、心の準備をしていたら、案の定、死にました。 死なす為に出しているのですから、げんなりだ。 ちなみに、タイトルの「鴉の子」は、カラスの子だけを指しているのではなく、主人公の事も指しています。

  主人公の人格に好感が持てないので、読んでいる間も、読み終わった後も、気分は良くありませんでした。


【偽りの快晴】 約14ページ
  1962年(昭和37年)11月、「オール読物」に掲載。

  台風が沖縄付近に停滞している最中、気象学の大家の元を訪れた山岳家が、これから、八ヶ岳に行きたいと言う。 やめた方がいいと言われたが、台風が動き出したらやめると言って、出発し、山に入ってしまう。 ところが・・・、という話。

  台風の振る舞いは、読者の想像通りになりますが、被害は、読者の想像を超えて、ひどくなります。 短いですが、なかなか、怖い話。


【神々の岩壁】 約36ページ
  1963年(昭和38年)1月、「小説中央公論」に掲載。

  岩登りを得意としていた、北海道出身の青年。 東京に出て来て、働き始める傍ら、友人達と、近郊の山に登っていた。 丹沢で滝を登っている様子を、著名な山岳家に見出され、山岳会に入って、前人未踏の岩壁を次々と制覇して行くが、交際していた女性と結婚する為に、相手の親から出された条件が、危険な山の趣味をやめる事で、大いに葛藤する話。

  自己流で登っていた時の方が、カッコいいですな。 本格的な岩登りの技術を教えられた後は、単に、経験値を積んだだけの人になってしまいます。 岩登りと、登山は、一緒くたにされてしまう事もありますが、全く別物で、登頂したいだけなら、岩登りをする必要がない山の方が、圧倒的に多いと思います。

  結婚の条件云々は、山岳小説としては、尾鰭に過ぎず、一般小説のモチーフですな。 こんな誓いを立てたって、どうせ、しばらくすれば、ああだこうだと言い訳を捏ね、口実を作って、また、岩登りを再開するんじゃないでしょうか。 どうも、岩登りの厳しさと天秤にかけると、主人公の結婚話は、軽過ぎる感があります。 読者にしてみれば、岩登りにとりつかれた男が、結婚するか否かなど、どうでもいい事だからです。

  もしかしたら、この作品、実話が元になっているんでしょうか? だから、実際に起こった事に引っ張られて、小説らしい結構を取れなかったのかも知れません。


【万太郎谷遭難】 約12ページ
 発表誌不明。

  友達と一緒に、冬の谷川岳に登る予定だった若い女性。 友達に急用が出来て、一人で登る事にしたが、山中の雪で足を痛め、歩けなくなってしまう。 動くと危険と考えて、ビバークし、食料を切り詰めて、救助隊が来るまで、長期戦の構えを取る。 徐々に疲労が蓄積し、日付が分からなくなるほど消耗するが・・・、という話。

  一人で雪山に入ったのは、最悪。 しかし、遭難してから取った対応は、最善。 という評価。 だけど、捜索隊にかけた迷惑を考えると、雪山なんて、行かないに越した事はないと思いますねえ。 少なくとも、一度こういう事をやらかしたら、その人は、その後一生、山に入る資格を失うと思います。


【岩壁の九十九時間】 約21ページ
  1965年(昭和40年)7月、「別冊小説新潮」に掲載。

  岩登りをしている途中、上空から下りて来る、白い雲のようなものに、恐怖を感じていると、上を登っていた二人組の内、一人が転落して来て、ザイルで宙ぶらりんになる。 半畳ほどの岩棚に引き上げたものの、頭が割れて、重症。 他の者が救助を呼びに行っている間、岩棚から負傷者が落ちないように、寝ずの番をしていた主人公が、疲労のせいで、負傷者と痛みの感覚が入れ替わる体験をする話。

  オカルトが入っています。 こういう事が、絶対にないとも言い切れませんが、科学的ではありませんな。 必ずしも、オカルト現象だけを書きたかったわけではなく、山岳遭難小説としての緊迫感も描きこまれていますが、オカルトを入れてしまったばかりに、オカルト嫌いの読者を遠ざけてしまった観はあります。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、2022年の、

≪氷壁≫が、4月6日から、8日。
≪夢見る沼≫が、4月9日から、10日。
≪死との約束≫が、4月14日から、15日まで。
≪八甲田山死の彷徨・岩壁の掟≫が、4月16日から、21日まで。


  今回、クリスティー文庫は、一冊だけになってしましましたな。 この頃、無性に、山岳小説を読みたくなって、≪氷壁≫を借りて来たのです。 ≪夢見る沼≫は、家にあったので、同じ井上靖さんの作品という事で、続きで読んだ次第。

  実は、これらの感想文は、日記ブログの方で先行して出しているのですが、迂闊にも、≪夢見る沼≫を出し忘れていまして、こちらの≪読書感想文・蔵出し≫用に、慌てて、写真を加工しました。 こちらでは、読んだ日付を入れているから、後で出すと、混乱すると思って。 まあ、そんな事は、私本人にしか関係して来ない、つまらない楽屋裏事情ではありますが。

2022/07/10

読書感想文・蔵出し (89)

  読書感想文です。 これといって、書く事がないので、近況を述べますと、母にスマホを買ってやる計画を遂行中です。 私は、携帯・スマホに全く興味がないのですが、母は、2019年の末頃、盛んに欲しいと言っていた時期があり、だいぶ遅れましたが、それを叶えてやろうという計画。 いずれ、その件についても記事にします。





≪ひらいたトランプ≫

クリスティー文庫 13
早川書房 2003年10月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
加島祥造 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【ひらいたトランプ】は、コピー・ライトが、1936年になっています。 約382ページ。


  変わったものを集めるのが趣味の男が、犯罪者の蒐集を始めたと言って、ポワロを、パーティーに招く。 招待客の中には、過去に殺人を犯した事があるが、罰を免れている四人が含まれていた。 客達が、ブリッジに興じている間、離れた所にいた主人が、華奢なナイフで、刺殺されるが、誰が刺したか分からない。 ポワロ、推理作家のオリヴァー夫人、バトル警視、諜報局員のレイス大佐の四人が、探偵 となり、捜査に乗り出す話。

  デビッド・スーシェさん主演のドラマ・シリーズで見ているのですが、こういう話だった事は、忘れていました。 いや、忘れていたというより、知らなかったといった方が正しいか。 大まかに言って、小説より、ドラマの方が、分り易くなっているものですが、稀に、その逆のケースもあり、たぶん、この作品がそうだったんでしょう。 ドラマを見ているだけでは、頭に入ってこなかったストーリーが、小説を読んだら、すんなり理解できました。

  ゾクゾクするような話ではないですが、捕まっていない犯罪者を蒐集するというアイデアが面白いですし、ブリッジに臨む容疑者達の個性を見て、的を絞って行く、ポワロの心理的捜査法も、興味を引きます。 もっとも、ゲームをやらせて、容疑者の性格を知るというのは、ヴァン・ダインの作品に出ていて、そちらの方が早かったと思いますが

  以下、ネタバレ、あり。

  容疑者の四人が、過去に本当に殺人を犯していたか、それとも、蒐集家の思い違いかについては、調査が進むに連れて、明らかになり、結局、四人とも、本当に人殺しであった事が分かります。 一人は、殺人罪に該当しないので、お咎めなし。 二人は、罪の報いを受け、一人は、逮捕されます。 善悪バランスは、しっかりとられています。 やはり、こういう、折り目正しい倫理観が通っている作品は、読んだ後の、すっきり度が違いますな。

  ボート上でのクライマックスで、その時点で、最も怪しかった容疑者が死んでしまい、てっきり、それで解決かと思いきや、その後に、ドンデン返しが待っています。 刺殺事件の真犯人は、別にいたんですな。 また、クリスティーさんに、やられてしまいました。 だけど、ボートの場面で死んだ人物が真犯人でも、話は纏まるので、これは、オマケ程度の加筆修正で入れられた変更ではないかと思います。

  推理小説に於ける一般論ですが、フー・ダニット物では、ドンデン返しが、あまりにも容易にできるので、幾つもの作品で繰り返していると、読者から、「またか!」と呆れられてしまう恐れがなきにしもあらず。 これから、推理作家になろうという人達は、頭の隅に入れておくべきでしょう。 「有名な推理作家の○○がやっていたから、自分も・・・」が通用しないのが、プロの世界です。




≪エッジウェア卿の死≫

クリスティー文庫 7
早川書房 2004年7月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
福島正美 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【エッジウェア卿の死】は、コピー・ライトが、1933年になっています。 約446ページ。


  他に結婚したい男が出来たから、夫であるエッジウェア卿を離婚に応じさせて欲しいと、ポアロに依頼して来た女優がいた。 ポワロが卿を訪ねると、とっくに、離婚に応じる旨を書いた手紙を送ったと告げられた。 狐に摘まれた気分で、それを夫人に報告したが、その直後、卿が殺される。 続いて、物真似が得意な、若手の女優が殺される。 夫人には、アリバイがあり、動機がない。 ポアロやジャップ警部の捜査は、他の関係者に向いて行くが・・・、という話。

  デビッド・スーシェさん主演のドラマ・シリーズで、よく覚えている話の一つです。 物真似が得意な女優の印象が強かったので、忘れなかったのでしょう。 ただし、原作では、若手女優なのが、ドラマでは、ちょっと歳が行った人が演じていて、そちらの方が、原作の人物より、強い魅力を感じました。 ドラマにあったポワロの物真似は、原作にはないです。

  以下、ネタバレ、あり。

  ネタバレに切り替えるのが早過ぎるような気もしますが、ネタバレさせないと、感想が書けないのです。 そういう作品は、大抵、推理小説として、読み応えがある部類ですが。

  普通に読んでいて、最初に、「この人、犯人だろう」と思った人が、実際に犯人です。 ところが、中途段階では、その人は、容疑者から外されています。 「アリバイはあるが、それは、他の人間がなりすましていたのだろう」と、推理させておいて、「しかし、動機がないから、シロだな」と、読者を騙しておき、後ろの方へ行って、「実は、もっと複雑な事情があって、動機があったのだ」という、種明かしになっています。

  「アリバイをダミーにして、動機の重要性を隠した」というのなら、大したアイデアだと思うのですが、そういうわけでもなくて、動機に事情があった事は、終わりの方で、突然、提示されます。 これは、「フェア / アンフェア」などという次元ではなく、単純な、「後出し」でして、推理物としては、拙い出来です。

  ただ、メインの謎以外にも、フー・ダニット形式で、複数の登場人物を容疑者として出しており、そちらの方で、読み応えを稼いでいます。 最終的に、最初に犯人と思った人の所へ戻って来てしまうから、他の人物に対する捜査の部分は、無駄な読書になってしまうのですが、それを感じさせないのは、不思議。

  深い人間観察が盛り込まれていて、寄り道的な部分にも、興味を引くものがあるからでしょうか。 特に、女性の性格の類型について、クリスティーさんは、大変深い造詣をもっていたようですな。 それは、他の作品でも、よく見られます。 男の方は、それほどでもないです。

  少し穿って読むと、なりすましで、アリバイを作るアイデアは、短編用に考えたのではないかと思えます。 まず、その部分を思いついて、後から、フー・ダニットを盛り込んで、ストーリーを延長し、長編に仕立てたのではないでしょうか。




≪雲をつかむ死≫【新訳版】

クリスティー文庫 10
早川書房 2020年6月25日/初版
アガサ・クリスティー 著
田中一江 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【雲をつかむ死】は、コピー・ライトが、1935年になっています。 約394ページ。 【新訳版】という事は、【旧訳版】もあるわけですが、そちらも、そんなに古くはなくて、21世紀に入ってから、刊行されています。 内容の異同に関しては、不詳。 読み比べるほど、興味がありません。


  パリからロンドンへ向かう旅客機の中で、金貸しを業とする女性が殺される。 遺体には、刺されたような痕があり、機内で、蜂の死骸と、吹き矢の矢、更に、吹き矢の筒が発見される。 伯爵夫人、美容師、小説家、医師、歯科医、考古学者の親子などの乗客と、乗務員が容疑者になり、たまたま、同乗していたポワロが、ジャップ警部や、フランス警察の警部と情報交換しつつ、犯人を特定して行く話。

  この話も、デビッド・スーシェさん主演のドラマ・シリーズで、よく覚えています。 冒頭の犯行部分が、旅客機の中という、特殊な環境なので、印象が強いのでしょう。 ただし、覚えていたのは、その部分だけ。 捜査の方は、地上で行われるので、これといった特徴がなく、誰が犯人かは、すっかり忘れていました。

  ちなみに、旅客機と言っても、戦間期の、ごく初期の物なので、乗客は少ないです。 犯行の舞台になるのは、後部客席だけで、18席となっています。 今の旅客機とは、だいぶ、事情が違う。 しかし、「吹き矢を使ったら、必ず、誰かに見られている」という点は、今でも変わりませんな。

  三人称で、ヘイスティングスは出て来ません。 ほぼ、ポワロが視点人物。 つまり、割とありふれた推理小説の作法で書かれており、奇抜な形式に煩わされないで済む、安心感はあります。 しかし、だから、面白いという事にはなりません。 冒頭部を除くと、ありきたりのフー・ダニット物で、犯人が誰でも、「ああ、この人。 ふーん・・・」くらいの感想しか出ないのです。

  人物の性格描写は、伯爵夫人のそれが、最も辛辣ですが、どこがどう、尊敬できない人間なのかまでは、細かく書かれておらず、少し物足りません。 美容師は、ヒロイン的な役回りですが、ポワロの次に怪しくない人物であるせいか、こちらも、描き込みが足りず、クリスティー作品らしい人間観察は窺えません。 被害者の金貸しの女性は、興味深いですが、やはり、期待するほど、詳しく書かれてはいません。

  男の登場人物の方が多いのですが、若い面々は、小説家を除き、キャラが被っている感が強いです。 そもそも、クリスティーさんは、男の性格分析に、あまり興味がなかったようで、キャラが被る傾向は、多くの作品で見受けれます。 もっとも、推理小説ですから、性格を描き分けるのに優れていないくても、瑕にはなりませんが。




≪もの言えぬ証人≫

クリスティー文庫 14
早川書房 2003年12月15日/発行 2019年6月15日/7刷
アガサ・クリスティー 著
加島祥造 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【もの言えぬ証人】は、コピー・ライトが、1937年になっています。 約504ページ。


  ポワロが、ある高齢女性から、依頼の手紙を受け取るが、訪ねて行くと、差出人は、2ヵ月も前に病死していた。 興味だけで、調査を始めると、彼女は、死ぬ前に、犬が階段の上に置き忘れたボールを踏んで、階段から転落し、怪我をしていた。 更に、死んだ時には、口から、霊体らしきものを吹き出していたという。 肉親の遺産相続人は数人いたが、なぜか、遺産は他人の付添い人に贈られ・・・、という話。

  この話、デビッド・スーシェさん主演のドラマ・シリーズで見ていましたが、幸いな事に、犯人が誰かを忘れていて、楽しく読む事ができました。 やっぱり、推理小説は、犯人を知っている人間が読んではいけないんですな。 知っていると、知らないとでは、大違いですわ。 つくづく、分かりました。

  フー・ダニットにして、ハウ・ダニット。 死因になった一件のトリックに、医学・薬学の専門知識が使われており、一般の読者が、推理して謎を解くのは、不可能です。 解説によると、書かれた当時も、禁じ手になっていたのを、クリスティーさんが、わざと破ったらしいとの事。 しかし、やはり、分からんものは、分かりませんな。

  霊体が出てくるというのは、ディクスン・カー作品にあるような、怪奇趣味かと思いましたが、描写は、至って、サラリとしており、ホラーでゾクゾクさせようという意図はないようです。 クリスティーさんは、ホラー系のミステリーを、軽蔑していたのかも知れませんねえ。 怪奇の雰囲気を利用する事さえ、邪道だと思っていたんじゃないでしょうか。

  階段から落ちた一件の方は、トリックというほどのトリックではなく、一般人でも分かります。 証拠が残ってしまうから、実際の犯罪では、使えませんけど。 頭文字と鏡の謎は、子供騙しレベル。 これは、些か、ポワロらしくありませんな。 こんな謎は、2サスの素人探偵でも解けます。

  面白かったですが、敢えて、問題点を探すなら、少し、長過ぎますかね。 長く読みたいという読者もいるのかもしれませんが、私のように、せっかちな読者は、容疑者の長口舌や、ポワロとヘイスティングスの会話が続くと、イライラしてしまうのです。 400ページくらいにしたら、もっと、面白い話になったのでは?

  「もの言えぬ証人」とは、出て来る犬の事だと思いますが、このタイトル、羊頭狗肉でして、別に、犬が喋れたとしても、事件は解決しません。 犯行を見ていたわけではないからです。 アメリカで出版された時のタイトルは、別のものになっていたらしいですが、恐らく、内容とのズレを嫌ったのでしょう。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、2022年の、

≪ひらいたトランプ≫が、3月14日から、19日。
≪エッジウェア卿の死≫が、3月21日から、24日。
≪雲をつかむ死≫が、3月25日から、27日まで。
≪もの言えぬ証人≫が、4月1日から、5日まで。

  クリスティー文庫ですが、翻訳者は、バラバラです。 作品数が多いから、一人では、手に負えなかったんでしょう。 訳し方によって、ポワロやヘイスティングスの人間関係に違いが出ているケースがあり、ホームズ物のように、一人の翻訳者で訳したシリーズと比べると、幾分、問題点が目立ちます。

2022/07/03

読書感想文・蔵出し (88)

  読書感想文です。 読書感想文が出て来るという事は、他に、出す記事がないという事です。 近況に触れますと、2月に母が寝たきりになり、その後、回復して、ほぼ、元の生活に戻って、それが、今現在まで続いています。 何となく、薄氷を踏むような日々ですが・・・。





≪オリエント急行の殺人≫

クリスティー文庫 8
早川書房 2003年10月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村能三 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【オリエント急行の殺人】は、コピー・ライトが、1934年になっています。 約410ページ。


  イラクでの仕事の帰途、トルコのイスタンブールから、フランス・カレー行きのオリエント急行に乗る事になった、ポワロ。 季節的にガラガラのはずの一等車が、なぜか、ほとんど埋まっており、合い部屋で一晩を過ごしたが、その間に、殺人事件が起こった。 列車が大雪で立ち往生し、犯人は、一等車の乗客と車掌に限定されたが、各人の証言は錯綜して、犯人像が結べない。 やがて、容疑者達に、意外な共通点が見つかって・・・、という話。

  わざわざ、梗概を書くまでもなく、【オリエント急行殺人事件】を、映像作品で見た事がない人は、稀だと思います。 そして、一度見たら、ストーリーを忘れる人も、皆無でしょう。 私も、そうです。

  この作品は、映像作品を見る前に、原作小説を読むべき作品の、典型例ですな。 その点、【アクロイド殺し】や、【そして誰もいなくなった】と同じ特徴をもっています。 【ABC殺人事件】も、その中に入れていいかもしれません。 それでいて、これらの作品は、焼き直しではなく、それぞれ、まるで、違う話なのだから、クリスティーさんは、とんでもないアイデアを産み出せる人物だったんですなあ。

  以下、ネタバレ、あり。

  先に、映像作品を見ていると、後から、原作小説を読んでも、全然、面白くありません。 流れとしては、

「事件発生まで」→
「事件発生」→
「現場の調査」→
「聞き取り」→
「荷物調査」→
「謎解き」

  となりますが、一番ボリュームが大きいのは、「聞き取り」場面で、最も多くのページ数を割いてあるにも拘らず、ストーリーを先に知ってしまっていると、尋問される容疑者達の証言が、全て嘘である事が分かっているので、真面目に読んで頭に入れる気にならないのです。 というわけで、その辺りは、ほとんど、飛ばし読みしました。 読めないんですよ。 意味がないと分かっているから。

  話を知らない内に、推理しながら読んで行った人が、ポワロによる謎解きに至って、「あっ! やられたっ!」と驚くのは、無理もない。 一種の、アン・フェア物なわけですが、怒るより先に、感服させられてしまうと思います。 フー・ダニット物のパロディーと見てもいいです。 読者は、当然、フー・ダニット物のつもりで、犯人は誰かと、推理を働かせながら、読み進めるわけですが、そう思い込んでいるが故に、ものの見事に騙されてしまうんですな。

  映像作品を見ておらず、話を知らない人には、大いにお薦め。 知っている人は、読んでも、あまり、意味がないです。 買う前に、図書館で借りて、少し読んでみた方がいいでしょう。 たぶん、私同様、ほとんど、飛ばし読みになると思います。  

  ラストですが、映像作品によって、処置が異なります。 原作は、軽く纏めてあり、ポワロには、犯罪者を見逃す事への葛藤が、全くありません。 その為に、被害者を極悪人に設定してあるわけですが、そこに違和感を覚えた映像作家達が、いろいろと、自分なりの解釈を施しているわけですな。

  私としては、原作の処置は、軽過ぎると思います。 「それ相応の理由があれば、殺人も許される」というのなら、法治が成り立ちますまい。 明らかな謀殺となれば、尚の事、情状酌量の対象になり得ないのでは?




≪青列車の秘密≫

クリスティー文庫 5
早川書房 2004年7月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
青木久惠 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【青列車の秘密】は、コピー・ライトが、1928年になっています。 約432ページ。


  アメリカの大富豪の娘が、爵位目当てに、ろくでなしのイギリス貴族と結婚していたが、夫に愛人がいると知って、愛想を尽かし、父親と離婚について相談し始める。 そんな彼女が、ヨーロッパ大陸を、寝台列車で旅行中に殺される。 多額の遺産が入った夫や、夫の愛人、彼女の昔の恋人などに嫌疑がかかるが、アリバイがある者が多く・・・、という話。

  タイトルの「青列車」は、「ブルー・トレイン」の直訳ですが、日本のブルー・トレインとは、意味合いが違っていて、上流階級用の列車だったとの事。 寝台列車が殺人の舞台になるものの、【オリエント急行の殺人】とは違い、列車内だけで、話が進行するわけではありません。 というか、列車の中で起こる場面は、殺人と、犯人指名だけで、他は全て、地上での展開になります。

  典型的な、フー・ダニット物。 容疑者を何人も出しておいて、みんな怪しいと読者に思わせておき、「この人かと思ったら、そうではなかった」というパターンを、数回繰り返して、最後に真犯人の指名に至るというもの。 元は、短編からスタートした推理小説を、長編に伸ばす為に考案された手法なのだと思います。 フー・ダニットだから、面白いというわけではなく、むしろ、パターンが分かってしまっていると、ゾクゾク感を損なう欠点もあります。

  登場人物の多くが、怪しく描かれているのだから、読者側で真犯人を推理するのは、非常に難しいです。 真犯人が誰かについては、前の方に、ヒントが隠されているものですが、これだけ、容疑者が多いと、そんなのに気づけと言う方が無理な相談。 作者は、話の途中からでも、真犯人を変える事ができるのだから、お気楽でしょうな。 フー・ダニットは、複雑そうに見えて、書く側にとっては、むしろ、捏ね回し易い話なわけだ。 

  被害者や目撃者の若い女達の周囲にいる若い男達が、軒並み、ろくでなしか、犯罪者というのが、上流階級の腐敗具合を、よく表していますなあ。 仕事らしい仕事もせず、ぷらぷら遊んでいれば、どんな人間でも、腐って行くものなんでしょう。 もろに犯罪者で、詐欺師か泥棒かというのも、しょーもない。 仕事をしていないより、尚、悪い。

  ポワロに言わせると、若い女性は、そういう危ない雰囲気をもった男に惹かれるものらしいですが、それはその通りとは思うものの、余りにも、若気の至りが過ぎるのでは? 人生、方向性だけでも、真面目に考えておかにゃいかんよ。 遊び人の紐男や、犯罪者と結婚して、明るい未来があると思うかね? 馬鹿馬鹿しい。 考えなくても分かりそうなものです。




≪メソポタミヤの殺人≫

クリスティー文庫 12
早川書房 2003年12月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
石田善彦 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【メソポタミヤの殺人】は、コピー・ライトが、1936年になっています。 約410ページ。


  イラクで遺跡を発掘をしている調査隊の隊長から、妻の世話をして欲しいと依頼された若い看護師が、現地に赴く。 隊長の妻は、魅力のある美人だったが、その為人は、接する相手によって、評価が別れていた。 彼女は、若い頃に別れた前夫らしき人物から、脅迫状が送られて来ていると訴え、その影に怯えて暮らしていたが・・・、という話。

  うーむ。 こういうストーリーの場合、感想を書くにも、ネタバレなしというわけには行きませんねえ。 デビッド・スーシェさん主演のドラマ・シリーズでは、【メソポタミヤの殺人】は、ほぼ原作通り、映像化されていたので、こんなところで、他人の感想を読んでいる人達なら、ドラマを見て、知っているのでは?

  というわけで、以下、ネタバレありです。

  隊長の奥さんは、第一の被害者で、殺されてしまいます。 第一にして、メインの殺人でして、第二の殺人は、第一の殺人の真相に気付いた人物が、同じ犯人に消されてしまうというパターンです。 これ以上は、書かない事にしましょうか。

  フー・ダニットにして、ハウ・ダニット、しかも、密室殺人と、欲張った内容です。 殺害方法は、物体的なものですが、単純すぎて、種明かしをされないと、分かりません。 たとえ、推理して気づく読者がいたとしても、確信が持てないのではないでしょうか? その犯行が可能であった人物が誰かを考えれば、犯人が分かるわけですが、凶器の回収方法まで当てなければ、不十分なわけで、難しいと思いますねえ。

  フー・ダニットの欠点で、大勢の登場人物達への聞き取り場面が延々と続くのは、読む側にとって、相当な苦痛です。 しかし、クリスティーさんは、会話が多い文体だから、嫌になるほど、くどいという事はありません。 この文体も、多くの読者を獲得した理由なんでしょうな。

  で、犯人ですが、分かると、ビックリします。 まず、その人が犯人だという事にビックリし、次に、犯人の正体が何者であるかを説明されて、もう一度、ビックリします。 隊長の妻が受け取っていた、前夫の脅迫状は、てっきり、妻自身が書いた狂言だと思わされていたので、最後の最後に、それが活きて来て、「あっ、やられたっ!」と思うわけです。 まったく、クリスティーさんには、やられっ放しだな。




≪三幕の殺人≫

クリスティー文庫 9
早川書房 2003年10月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
長野きよみ 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【三幕の殺人】は、コピー・ライトが、1934年になっています。 約366ページ。


  高名な俳優の家で開かれたパーティーで、牧師が二コチンの大量服用で死ぬ。 しかし、配られたグラスには、ニコチンは入っておらず、他殺とは見做されなかった。 次に、精神科の医師の家で開かれた、ほぼ同じ招待客のパーティーで、医師自身が、今度は、確実に毒殺され、最近雇ったばかりの執事が姿を消す。 高名な俳優と、彼を慕う若い女性、芸術のパトロンの三人が、二つの事件は、同一人物による殺人だと考えて、調査を始める。 最初のパーティーに加わっていたポワロは、途中から、探偵グループに加わり・・・、という話。

  この話ですが、デビッド・スーシェさん主演のドラマ・シリーズで、私が、はっきり覚えているものの一つで、タイトルもしっかり記憶に残っており、読み始める前から、犯人が誰か、知っていました。 「推理小説の結末を喋ってしまう奴は、死刑に値する」とは、よく言われる事ですが、全く、その通りで、誰が犯人か分かっていると、面白さが、10分の1くらいに減じてしまいます。

  フー・ダニット物なのですが、犯人が分かっていると、関係者への聞き取り場面を真剣に読めないから、大変、つまらない。 犯人でないと分かっている人物を、疑いながら読み進めるなど、できるものではないので、ほとんど、飛ばし読みになってしまいます。 原作とは、映像作品を見る前に、読むべきなんですな。 当然と言えば、当然の事ですが。

  以下、ネタバレ、あり。

  この作品が、少し変わっているのは、犯人が、探偵側に加わっている事です。 その点、【アクロイド殺し】に似ていますが、あちらは、一人称、こちらは、三人称で、アン・フェア度は、ずっと低いです。 注意して読むと、犯人に関しては、心理描写が、ほぼ皆無である事が分かります。 倒叙物でもないのに、犯人の心理描写をしてしまったら、まずいですから。

  他方、犯人以外の探偵グループのメンバーに関しては、ポワロは別として、一人は心理描写があり、もう一人は、ありません。 つまり、心理描写がない人間を二人にしておく事で、勘のいい読者でも、心理描写の有無で、犯人を見分けられないように工夫してあるわけです。 さすがに、よく考えてあります。

  中心人物が、高名な俳優なので、演劇に関わる道具立てが多く、それが、この作品を、しゃれた印象にしているのですが、それは、読んでいる私が、演劇とは無縁の人間だからで、演劇関係者が読むと、逆に、素人っぽさを感じるのかも知れません。 ちなみに、トリックや謎を解くのに、演劇の専門知識は不要です。

  ドラマの方では、ポワロと高名俳優が、一緒に捜査しますが、原作では、ポワロは、前面に出て来ません。 その代わりに、芸術のパトロンが出ているという形。 ポワロは、後半になって、関わって来ます。 正直な感想、ドラマの方が、面白いと思いましたが、それは、やはり、私が先に、ドラマを見てしまったからでしょう。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、2022年の、

≪オリエント急行の殺人≫が、2月20日から、23日。
≪青列車の秘密≫が、2月25日から、3月2日。
≪メソポタミヤの殺人≫が、3月2日から、7日まで。
≪三幕の殺人≫が、3月9日から、13日まで。

  クリスティー文庫のお陰で、割と安定的に、図書館通いが続いています。 選ぶ必要がなく、順番に借りて来ればいいので、楽なのです。 クリスティーさんの作品が、大変、高品質である事を認めるのに吝かではありませんが、どうして読みたいというわけでもなく、他に読む物がないから読んでいるというのも、否定できません。 私が、読書家として、すでに、枯れてしまっているんでしょうな。