EN125-2Aでプチ・ツーリング (34)
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、34回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年6月分。
【三島市谷田・劔刀石床別命神社①】
2022年6月3日に、バイクで、三島市谷田にある、「劔刀石床別命神社」に行って来ました。 読み方については、後ほど、触れます。 ロストしましたが、大体の位置が分かっていたので、他から回って、鎮守の森を目印に近づき、到着しました。
≪写真1≫
この小山が、丸ごと、神社です。 かつては、もっと大きな山で、古墳もあったとの事。 鉄道敷設や、団地造成、道路拡張などで、削られてしまったのだそうです。 右側にあるのは、消防署。
≪写真2左≫
正面。 鳥居は石製。 壊れかけた、名額が、そのままになっていますが、この額に、「明和(1764年)」の文字が刻んであるのだとか。
≪写真2中≫
社標。 「延喜式内 劔刀石床別命神社」。 「つるぎ・たち・いわ・とこ・わけの・みこと・じんじゃ」と読みます。 知らなければ、絶対、読めない。 延喜式内なので、915年には、すでに存在した事になります。 平安時代初期頃。
≪写真2右≫
石段。 そんなに高いわけではありませんが、高齢者にはきついと思います。 手すりが付いているのも、不思議はない。 大抵の神社には、車で上がれる裏道が造ってあるものですが、ここには、ありません。 石燈籠は、完品。
≪写真3≫
社殿、正面。 蔀戸の板をガラスに換えたような、壁。 ガラスが割れないように、金網が張ってあります。 珍しい工夫です。 屋根は、銅板葺きのようですが、小さな銅板を重ねてあるわけではなく、変わった造りになっています。
賽銭箱は、外にはありませんでした。 もしかしたら、中にあって、扉の格子の間から入れるのかも知れません。
≪写真4左≫
社殿を側面から。 本殿と拝殿が、廊下で繋がれている形式。 廊下は短いです。
≪写真4右≫
拝殿の正面に残っていた、電灯の痕跡。 なくなってから、久しいようです。 夜にお参りするような雰囲気ではないので、なくても、支障がないのでしょう。
≪写真5左≫
手水舎。 二本柱のシンプルなもの。 屋根は、トタン葺きだと思います。 漱盤は、自然石を穿ったもの。 惜しむらく、水回りはなくて、オブジェになっています。
≪写真5右≫
手水舎の裏側に、コンクリート・タイル貼りの流しがありました。 蛇口あり、ハンドルなし。 誰か、ハンドルを管理している人がいるんですかね?
【三島市谷田・劔刀石床別命神社②】
≪写真1≫
鎮守の森の高い木。 存在感あり。 私のような年齢になっても、まだ、青空と緑の木を見て、感動する心が残っています。
≪写真2左≫
境内別社。 この建物は覆いで、中に小さい社が入っています。 八坂神社と、秋葉神社。
≪写真2右≫
扉に、ワイヤー・ロックがかけられていました。 面白い。 実用的だ。
≪写真3左≫
境内別社。 こちらは、小さいもの。 中は、見て来ませんでした。
≪写真3右≫
土俵。 子供相撲用だと思います。
≪写真4左≫
正面は南側ですが、北西側にも、石段がありました。 工事手すりがついています。
≪写真4右≫
正面石段の、登り口左右に置かれた、石燈籠。 大きくて、立派なものですが、片側の柱の部分に、鉄製の補強が入っていました。 ウエストを絞り過ぎて、ヒビが入ったんでしょうか。 石燈籠のコルセットですな。
≪写真5≫
正面、鳥居横の路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 「駐車禁止」の注意書きがあったのですが、「駐輪だから、いいだろう」と思って、図々しく停めました。 実際、車を置くと、通行の邪魔ですが、バイクなら、問題ないような場所でした。
【三島市錦田・錦田グラウンド】
2022年6月9日、バイクで、三島市錦田にある、「錦田グラウンド」へ行って来ました。 地図で見つけて、どんなところか見に行った次第。 国道一号の南側、箱根の山裾で、丘陵地帯でした。
南側から入り、遺伝研の東側を回り込もうとしたら、まさかの一方通行。 緩やかな登り坂を、バイクを下りて押して進んだのですが、向こうから、下校してくる中学生の一団が来たので、感染させられてはたまらないと思い、方向転換して、バイクに乗り、引き返しました。 遺伝研の西側を回り込み、グラウンドのネットを目印に接近して、何とか、到着しました。
≪写真1左≫
入口。 西側にあります。 ささやかなもの。 すぐに、駐車場になっています。
≪写真1右≫
トイレと自販機。 植え込みの向こう側が、テニス・コートになっています。
高齢者のグループが、無マスクで、テニスをしていました。 「スポーツだから、無マスクは仕方ない」という考え方は、そもそも、間違っており、「無マスクでなければできないようなスポーツは、やらない」というのが正しいです。 実際、無マスクで、うつされて、自分か家族が死んでしまったら、「スポーツだから、無マスクは仕方ない」と言いますかね? 新型肺炎をナメてるな。 伊達や冗談で、620万人も死んでいるのではないのだぞ。
≪写真2左≫
水場と、ベンチ。 作られたのは、相当、昔でしょうな。 50年は、楽に経っているのでは? 私が、子供の頃に見ていた風景が、そのまま残っています。
≪写真2右≫
駐車場の奥。 北の方へ延びています。 全部で、10台以上置けるのでは。 他にも、駐車場はあるようです。
≪写真3≫
これが、メインのグラウンド。 野球やサッカーができそうです。 新型肺炎対策を書いた貼り紙が、何枚もありました。 しかし、そもそも、感染下で、グラウンドを使おうという人達に、感染防御ができるとは思えません。 本当に、感染が怖い人達なら、終息するまで、家に籠ってますよ。
≪写真4≫
駐車場から、西側を見た景色。 ほんのちょっと、高くなっているだけなので、俯瞰というほどの眺望はありません。 僅かに、三島市街地が見えます。 遠くの稜線は、沼津アルプス。
≪写真5≫
駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 珍しく、左側から撮ってみました。 つくづく、1990年代風のデザインだな。 私は、若い頃から、未来好きでしたが、今現行で売っているバイクのデザインを、未来的とは思いません。 強いて言うなら、SF映画的でしょうか。 無駄な形状が多くて、合理性に欠けていると思います。 つまりその、バイク・デザインの進歩は、90年代には、終わってしまったんですな。
ここ数回、近場ばかり行っているので、ガソリンの減りが遅くて、助かっています。 目的地は、別に、神社でなくてもいいんですよ。 極端な話、交差点でもいいくらいですが、それをやると、毎回、同じような写真ばかりになってしまうでしょうな。
【裾野市水窪・水窪神社①】
2022年6月13日、バイクで、裾野市水窪の、「水窪神社」へ行って来ました。 「みさくぼ」ではなく、「みずくぼ」と読むようです。 実は、長泉町だと思って出かけたんですが、帰ってから調べたら、水窪地区から北は、裾野市だとの事。 幹線道路から、黄瀬川の方へ少し入った、住宅地の奥にあります。 地図を調べて行くか、カー・ナビを使わなければ、まず、辿り着かないと思います。
≪写真1≫
正面。 境内を除き、参道はないです。 鳥居は、コンクリート製。 鳥居の根元の左右に、大きな石がありますが、先代の鳥居の基礎のようです。 かつては、もっと、大きな鳥居が立っていたんですな。 向かって右下、白っぽい石は、恐らく、男根崇拝のそれ。
≪写真2左≫
鳥居の名額は、新しい物でした。 金属で、額を支えているのは、割と珍しいです。
≪写真2右≫
貝塚伊吹(カイヅカイブキ)の生垣。 枝が螺旋状に巻くのが特徴。 手入れすると、螺旋が目立たなくなります。 つまり、この状態は、手入れしていないわけですが、割と形が整っているので、年に一度はやっているのでは?
下に、コンクリートを張った洗い場と、ハンドル付きの蛇口が見えます。 大きな物を洗うのに使うのでしょう。
≪写真3≫
社殿。 木造、銅板葺き。 割と新しい建物だと思いますが、カチッとした、いいデザインですな。 獅子型狛犬はありますが、石燈籠がないです。 右隣の建物は、寄り合い所のようです。 村社クラスでは、社務所はないですから。
≪写真4左≫
社殿の側面。 本殿と拝殿が、短い廊下で繋がっている形式。
≪写真4右≫
拝殿正面の名額。 周囲に絵が描いてあります。 時計回りに、富士山、黄瀬川の流れ、大根、鮎、柿、玉虫、薩摩芋、蝉、人参、稲。 郷土愛、全開という趣き。
≪写真5左≫
境内別社。 中を良く見て来ませんでした。 この長さだから、幾つか入っているのでしょう。 こちらには、石燈籠が一対あります。
≪写真5右≫
寄り合い所の近くにあった、流し。 ハンドル付きの蛇口があり、使えるようです。 下に、青磁の花瓶が転がっているのは、どうしたわけか。 こんな所に置くような物ではないですが、割れてでもいるんでしょうか?
【裾野市水窪・水窪神社②】
≪写真1左≫
手水舎。 四本斜柱、銅板葺きの、立派なもの。 カチッとしている点、社殿の設計者と同じ人の作ではないかと思います。
≪写真1右≫
自然石の漱盤。 大きな石で、浴槽が彫れそうです。 筧口はありますが、ハンドルがどこにあるのか、確かめて来ませんでした。 水は出るはず。 なぜなら、
≪写真2左≫
排水口があるからです。 これは、水道業者の仕事ですな。 洗い場、流し、漱盤と、この神社、強力な水道業者がバックについていると見ました。 氏子なのかも。
≪写真2右≫
境内で咲いていた、紫陽花。 盛りの頃合い。
≪写真3左≫
獅子型狛犬。 「平成二十一年」とありました。 2009年ですな。 新しいけれど、ファニーは入っていないようです。 カッチリした彫り。
≪写真3右≫
神社の前から、南側を見た景色。 この辺り、緩やかな傾斜地ですが、緩やか過ぎて、俯瞰という感じはしません。 この日は、ほぼ曇りで、風景写真を撮る条件ではありませんでした。
≪写真4≫
神社前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 たまには、ほぼ、シルエットもいいか。 スポーツ・バイクに、田園は、良く似合う。 少し、淋しい風景ですけど。
≪写真5≫
神社と黄瀬川の間に、グラウンドがありました。 グラウンドに下りる階段が見つからず、川の方へ行くのは、諦めました。
【長泉町下長窪・山の神 / 静岡自動車教習所】
2022年6月20日、バイクで、長泉町下長窪の、「山の神」と、「静岡自動車教習所」へ行って来ました。 ネット地図で見つけたところ。 以前にも、他の所を目的地に、近くまで来た事があり、迷わず、到着しました。
≪写真1左≫
山の神の方に、バイクを置ける場所があったので、そちらへ停めました。 この写真に写っているのが、山の神の全景です。
≪写真1右≫
石段、鳥居、社殿。 鳥居は鉄製。 木の板の名額に、「山の神」と、墨で書いてありました。 社殿は、木製・銅板葺き。 人間が入れないサイズです。 これは、たぶん、個人祭祀でしょうな。
≪写真2左≫
山の神の、少し南にあった、「下長窪自主防災倉庫」。 随分、しっかりした倉庫です。 車を置く場所も確保してあって、大変、実用的。
≪写真2右≫
山の神の、道路を挟んで向かい側にある、「静岡自動車教習所」。 公営なのか、民営なのか、詳しい事は分かりません。 森林が多い丘陵地帯でして、こういう地形の場所に、大きな敷地面積を必要とする教習所があるのは、不思議でした。
≪写真3≫
教習コース。 教習中の車は見当たりませんでしたが、停めてある車が、割と新しい車種だったので、営業しているのだと思います。 南側には住宅地がありますが、そんなに戸数が多いわけではありません。
≪写真4≫
山の神の参道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日は、薄曇りでしたが、そのくらいの方が、バイクの写真を撮るには、適しています。 あまり、日射しが強いと、メッキ部品が光り過ぎますから。 何度も書いている事ですが、ハンドルは、真っ直ぐにした方が、断然、カッコ良く撮れます。
【長泉町御長屋・東照宮①】
2022年6月7日に、バイクで、長泉町、御長屋にある、「東照宮」に行って来ました。 ネット地図で見つけたのですが、東照宮が、こんな身近にあるとは知らなかった。
≪写真1≫
本当にありました。 桃沢の幹線道路から、一本、東を通る道。 社標に、「東照宮」の文字あり。 境内は、二段になっています。
≪写真2左≫
鳥居は、石製。 名額に、「東照宮」の文字あり。 棒注連縄あり。
社殿建物の正面は、この写真しかありません。 境内の手前にゆとりがなくて、撮れなかったのです。
≪写真2右≫
下の段にあった、長泉小学校卒業生一同が建てた石碑。 「星を研ぐ 風峡わたり 武家の跡」。 俳句として、いいのかどうか、よく分からぬ。 「武家の跡」というのは、解説板の写真で触れます。
≪写真3左≫
拝殿正面の名額、「東照宮」。 これだけ、「東照宮」と書いてあっても、まだ、東照宮のような気がしません。
右上に、スポット・ライトあり。 これは、明るそうだな。
≪写真3右≫
拝殿正面。 静岡県神社庁の幟旗を、画鋲で留めてあります。 「祈 天下泰平 疫病退散」。 「天下泰平」が入っているという事は、ウクライナ侵攻の後に、作られたものなんでしょう。
右の茶色い箱には、「御朱印箱」とあります。 御朱印がある神社は、初めて見ました。
≪写真4左≫
鈴。 なるほど。 こういうのを、「鈴なり」というのだな。
≪写真4右≫
本殿。 拝殿とは、別建物ですが、屋根だけ繋がっていました。 木造、瓦葺き。
≪写真5≫
拝殿の側面。 木造、モルタル塗り、瓦葺き。
社殿に、ガス・ボンベが置かれているのは、初見。 大変、面白いです。 窓に、洗剤の容器が置いてあるのも、滅法、庶民的。 中に、台所設備があるのでしょう。
【長泉町御長屋・東照宮②】
≪写真1左≫
石燈籠。 円筒柱、六角断面型。 お寺にも置けるタイプです。 しかし、神社向けと、お寺向けでは、彫り物のモチーフが異なっているのかも知れませんな。
≪写真1右≫
物置。 神輿は、拝殿の中にあったので、神輿置き場ではないです。 この写真では、分かり難いですが、左端にトイレがあります。 台所、トイレ、あとは、風呂があれば、住めますな。
≪写真2左≫
手水場。 というか、流しです。 コンクリート・タイル貼りの流しは、かつて、一般的だったもの。 蛇口あり、ハンドルあり。 使えそうです。 ブリキのバケツは、今では、珍しくなりました。
≪写真2右≫
解説板。 「明治維新後、静岡県に移された幕臣の一部が、この地に入植し、開墾に当った。 明治3年(1870年)、父祖恩顧の徳川家を思い、久能山から東照宮を勧請した」といった事が書いてあります。 これを読んで、ようやく、本物の東照宮である事に納得しました。
≪写真3左≫
ベンチ。 露天だから、仕方ありませんが、苔がついているようで、座るのがためらわれます。 こういう設備を綺麗に保つのは、そもそも、無理があるのでしょう。
≪写真3右≫
神社の横に川が流れていて、側溝の水が、勢い良く、流れ落ちていました。 山村では、側溝の水でも、澄んで、綺麗です。
≪写真4≫
神社前の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日の走行距離は、28キロ。 長泉町・御長屋は、少し遠いです。 バイクがあるから、来るのであって、自転車では、ここまでは、とてもとても。
バイクの調子は、まずまず、良いです。 今年は、どこも補修せずに済むかも知れません。
≪写真5≫
東照宮を後にし、少し下った所で、東南側を見た景色。 この方角だと、遠くには、三島市街地が見えると思うのですが、霞んでしまっています。
この付近、いい所だと思いますが、傾斜があるから、自転車は使い難いでしょうねえ。
今回は、ここまで。
まーた、組み写真の枚数が、8枚になってしまいました。 6月は、5週もあったから、出かけた回数が多いのであって、致し方ないか。 撮る枚数を減らせばいいんですが、普通の大きさの神社だと、ちょこちょこと、興味を引くものがあり、そういうのは、撮らないではいられないのです。 もしかしたら、二度と来ないかも知れないし。
池とか、公共施設とかなら、5・6枚しか撮るものがない事もありますが、神社に比べると、桁違いに数が少なくて、滅多に目的地にできません。 なかなか、うまくいかないものですな。
【三島市谷田・劔刀石床別命神社①】
2022年6月3日に、バイクで、三島市谷田にある、「劔刀石床別命神社」に行って来ました。 読み方については、後ほど、触れます。 ロストしましたが、大体の位置が分かっていたので、他から回って、鎮守の森を目印に近づき、到着しました。
≪写真1≫
この小山が、丸ごと、神社です。 かつては、もっと大きな山で、古墳もあったとの事。 鉄道敷設や、団地造成、道路拡張などで、削られてしまったのだそうです。 右側にあるのは、消防署。
≪写真2左≫
正面。 鳥居は石製。 壊れかけた、名額が、そのままになっていますが、この額に、「明和(1764年)」の文字が刻んであるのだとか。
≪写真2中≫
社標。 「延喜式内 劔刀石床別命神社」。 「つるぎ・たち・いわ・とこ・わけの・みこと・じんじゃ」と読みます。 知らなければ、絶対、読めない。 延喜式内なので、915年には、すでに存在した事になります。 平安時代初期頃。
≪写真2右≫
石段。 そんなに高いわけではありませんが、高齢者にはきついと思います。 手すりが付いているのも、不思議はない。 大抵の神社には、車で上がれる裏道が造ってあるものですが、ここには、ありません。 石燈籠は、完品。
≪写真3≫
社殿、正面。 蔀戸の板をガラスに換えたような、壁。 ガラスが割れないように、金網が張ってあります。 珍しい工夫です。 屋根は、銅板葺きのようですが、小さな銅板を重ねてあるわけではなく、変わった造りになっています。
賽銭箱は、外にはありませんでした。 もしかしたら、中にあって、扉の格子の間から入れるのかも知れません。
≪写真4左≫
社殿を側面から。 本殿と拝殿が、廊下で繋がれている形式。 廊下は短いです。
≪写真4右≫
拝殿の正面に残っていた、電灯の痕跡。 なくなってから、久しいようです。 夜にお参りするような雰囲気ではないので、なくても、支障がないのでしょう。
≪写真5左≫
手水舎。 二本柱のシンプルなもの。 屋根は、トタン葺きだと思います。 漱盤は、自然石を穿ったもの。 惜しむらく、水回りはなくて、オブジェになっています。
≪写真5右≫
手水舎の裏側に、コンクリート・タイル貼りの流しがありました。 蛇口あり、ハンドルなし。 誰か、ハンドルを管理している人がいるんですかね?
【三島市谷田・劔刀石床別命神社②】
≪写真1≫
鎮守の森の高い木。 存在感あり。 私のような年齢になっても、まだ、青空と緑の木を見て、感動する心が残っています。
≪写真2左≫
境内別社。 この建物は覆いで、中に小さい社が入っています。 八坂神社と、秋葉神社。
≪写真2右≫
扉に、ワイヤー・ロックがかけられていました。 面白い。 実用的だ。
≪写真3左≫
境内別社。 こちらは、小さいもの。 中は、見て来ませんでした。
≪写真3右≫
土俵。 子供相撲用だと思います。
≪写真4左≫
正面は南側ですが、北西側にも、石段がありました。 工事手すりがついています。
≪写真4右≫
正面石段の、登り口左右に置かれた、石燈籠。 大きくて、立派なものですが、片側の柱の部分に、鉄製の補強が入っていました。 ウエストを絞り過ぎて、ヒビが入ったんでしょうか。 石燈籠のコルセットですな。
≪写真5≫
正面、鳥居横の路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 「駐車禁止」の注意書きがあったのですが、「駐輪だから、いいだろう」と思って、図々しく停めました。 実際、車を置くと、通行の邪魔ですが、バイクなら、問題ないような場所でした。
【三島市錦田・錦田グラウンド】
2022年6月9日、バイクで、三島市錦田にある、「錦田グラウンド」へ行って来ました。 地図で見つけて、どんなところか見に行った次第。 国道一号の南側、箱根の山裾で、丘陵地帯でした。
南側から入り、遺伝研の東側を回り込もうとしたら、まさかの一方通行。 緩やかな登り坂を、バイクを下りて押して進んだのですが、向こうから、下校してくる中学生の一団が来たので、感染させられてはたまらないと思い、方向転換して、バイクに乗り、引き返しました。 遺伝研の西側を回り込み、グラウンドのネットを目印に接近して、何とか、到着しました。
≪写真1左≫
入口。 西側にあります。 ささやかなもの。 すぐに、駐車場になっています。
≪写真1右≫
トイレと自販機。 植え込みの向こう側が、テニス・コートになっています。
高齢者のグループが、無マスクで、テニスをしていました。 「スポーツだから、無マスクは仕方ない」という考え方は、そもそも、間違っており、「無マスクでなければできないようなスポーツは、やらない」というのが正しいです。 実際、無マスクで、うつされて、自分か家族が死んでしまったら、「スポーツだから、無マスクは仕方ない」と言いますかね? 新型肺炎をナメてるな。 伊達や冗談で、620万人も死んでいるのではないのだぞ。
≪写真2左≫
水場と、ベンチ。 作られたのは、相当、昔でしょうな。 50年は、楽に経っているのでは? 私が、子供の頃に見ていた風景が、そのまま残っています。
≪写真2右≫
駐車場の奥。 北の方へ延びています。 全部で、10台以上置けるのでは。 他にも、駐車場はあるようです。
≪写真3≫
これが、メインのグラウンド。 野球やサッカーができそうです。 新型肺炎対策を書いた貼り紙が、何枚もありました。 しかし、そもそも、感染下で、グラウンドを使おうという人達に、感染防御ができるとは思えません。 本当に、感染が怖い人達なら、終息するまで、家に籠ってますよ。
≪写真4≫
駐車場から、西側を見た景色。 ほんのちょっと、高くなっているだけなので、俯瞰というほどの眺望はありません。 僅かに、三島市街地が見えます。 遠くの稜線は、沼津アルプス。
≪写真5≫
駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 珍しく、左側から撮ってみました。 つくづく、1990年代風のデザインだな。 私は、若い頃から、未来好きでしたが、今現行で売っているバイクのデザインを、未来的とは思いません。 強いて言うなら、SF映画的でしょうか。 無駄な形状が多くて、合理性に欠けていると思います。 つまりその、バイク・デザインの進歩は、90年代には、終わってしまったんですな。
ここ数回、近場ばかり行っているので、ガソリンの減りが遅くて、助かっています。 目的地は、別に、神社でなくてもいいんですよ。 極端な話、交差点でもいいくらいですが、それをやると、毎回、同じような写真ばかりになってしまうでしょうな。
【裾野市水窪・水窪神社①】
2022年6月13日、バイクで、裾野市水窪の、「水窪神社」へ行って来ました。 「みさくぼ」ではなく、「みずくぼ」と読むようです。 実は、長泉町だと思って出かけたんですが、帰ってから調べたら、水窪地区から北は、裾野市だとの事。 幹線道路から、黄瀬川の方へ少し入った、住宅地の奥にあります。 地図を調べて行くか、カー・ナビを使わなければ、まず、辿り着かないと思います。
≪写真1≫
正面。 境内を除き、参道はないです。 鳥居は、コンクリート製。 鳥居の根元の左右に、大きな石がありますが、先代の鳥居の基礎のようです。 かつては、もっと、大きな鳥居が立っていたんですな。 向かって右下、白っぽい石は、恐らく、男根崇拝のそれ。
≪写真2左≫
鳥居の名額は、新しい物でした。 金属で、額を支えているのは、割と珍しいです。
≪写真2右≫
貝塚伊吹(カイヅカイブキ)の生垣。 枝が螺旋状に巻くのが特徴。 手入れすると、螺旋が目立たなくなります。 つまり、この状態は、手入れしていないわけですが、割と形が整っているので、年に一度はやっているのでは?
下に、コンクリートを張った洗い場と、ハンドル付きの蛇口が見えます。 大きな物を洗うのに使うのでしょう。
≪写真3≫
社殿。 木造、銅板葺き。 割と新しい建物だと思いますが、カチッとした、いいデザインですな。 獅子型狛犬はありますが、石燈籠がないです。 右隣の建物は、寄り合い所のようです。 村社クラスでは、社務所はないですから。
≪写真4左≫
社殿の側面。 本殿と拝殿が、短い廊下で繋がっている形式。
≪写真4右≫
拝殿正面の名額。 周囲に絵が描いてあります。 時計回りに、富士山、黄瀬川の流れ、大根、鮎、柿、玉虫、薩摩芋、蝉、人参、稲。 郷土愛、全開という趣き。
≪写真5左≫
境内別社。 中を良く見て来ませんでした。 この長さだから、幾つか入っているのでしょう。 こちらには、石燈籠が一対あります。
≪写真5右≫
寄り合い所の近くにあった、流し。 ハンドル付きの蛇口があり、使えるようです。 下に、青磁の花瓶が転がっているのは、どうしたわけか。 こんな所に置くような物ではないですが、割れてでもいるんでしょうか?
【裾野市水窪・水窪神社②】
≪写真1左≫
手水舎。 四本斜柱、銅板葺きの、立派なもの。 カチッとしている点、社殿の設計者と同じ人の作ではないかと思います。
≪写真1右≫
自然石の漱盤。 大きな石で、浴槽が彫れそうです。 筧口はありますが、ハンドルがどこにあるのか、確かめて来ませんでした。 水は出るはず。 なぜなら、
≪写真2左≫
排水口があるからです。 これは、水道業者の仕事ですな。 洗い場、流し、漱盤と、この神社、強力な水道業者がバックについていると見ました。 氏子なのかも。
≪写真2右≫
境内で咲いていた、紫陽花。 盛りの頃合い。
≪写真3左≫
獅子型狛犬。 「平成二十一年」とありました。 2009年ですな。 新しいけれど、ファニーは入っていないようです。 カッチリした彫り。
≪写真3右≫
神社の前から、南側を見た景色。 この辺り、緩やかな傾斜地ですが、緩やか過ぎて、俯瞰という感じはしません。 この日は、ほぼ曇りで、風景写真を撮る条件ではありませんでした。
≪写真4≫
神社前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 たまには、ほぼ、シルエットもいいか。 スポーツ・バイクに、田園は、良く似合う。 少し、淋しい風景ですけど。
≪写真5≫
神社と黄瀬川の間に、グラウンドがありました。 グラウンドに下りる階段が見つからず、川の方へ行くのは、諦めました。
【長泉町下長窪・山の神 / 静岡自動車教習所】
2022年6月20日、バイクで、長泉町下長窪の、「山の神」と、「静岡自動車教習所」へ行って来ました。 ネット地図で見つけたところ。 以前にも、他の所を目的地に、近くまで来た事があり、迷わず、到着しました。
≪写真1左≫
山の神の方に、バイクを置ける場所があったので、そちらへ停めました。 この写真に写っているのが、山の神の全景です。
≪写真1右≫
石段、鳥居、社殿。 鳥居は鉄製。 木の板の名額に、「山の神」と、墨で書いてありました。 社殿は、木製・銅板葺き。 人間が入れないサイズです。 これは、たぶん、個人祭祀でしょうな。
≪写真2左≫
山の神の、少し南にあった、「下長窪自主防災倉庫」。 随分、しっかりした倉庫です。 車を置く場所も確保してあって、大変、実用的。
≪写真2右≫
山の神の、道路を挟んで向かい側にある、「静岡自動車教習所」。 公営なのか、民営なのか、詳しい事は分かりません。 森林が多い丘陵地帯でして、こういう地形の場所に、大きな敷地面積を必要とする教習所があるのは、不思議でした。
≪写真3≫
教習コース。 教習中の車は見当たりませんでしたが、停めてある車が、割と新しい車種だったので、営業しているのだと思います。 南側には住宅地がありますが、そんなに戸数が多いわけではありません。
≪写真4≫
山の神の参道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日は、薄曇りでしたが、そのくらいの方が、バイクの写真を撮るには、適しています。 あまり、日射しが強いと、メッキ部品が光り過ぎますから。 何度も書いている事ですが、ハンドルは、真っ直ぐにした方が、断然、カッコ良く撮れます。
【長泉町御長屋・東照宮①】
2022年6月7日に、バイクで、長泉町、御長屋にある、「東照宮」に行って来ました。 ネット地図で見つけたのですが、東照宮が、こんな身近にあるとは知らなかった。
≪写真1≫
本当にありました。 桃沢の幹線道路から、一本、東を通る道。 社標に、「東照宮」の文字あり。 境内は、二段になっています。
≪写真2左≫
鳥居は、石製。 名額に、「東照宮」の文字あり。 棒注連縄あり。
社殿建物の正面は、この写真しかありません。 境内の手前にゆとりがなくて、撮れなかったのです。
≪写真2右≫
下の段にあった、長泉小学校卒業生一同が建てた石碑。 「星を研ぐ 風峡わたり 武家の跡」。 俳句として、いいのかどうか、よく分からぬ。 「武家の跡」というのは、解説板の写真で触れます。
≪写真3左≫
拝殿正面の名額、「東照宮」。 これだけ、「東照宮」と書いてあっても、まだ、東照宮のような気がしません。
右上に、スポット・ライトあり。 これは、明るそうだな。
≪写真3右≫
拝殿正面。 静岡県神社庁の幟旗を、画鋲で留めてあります。 「祈 天下泰平 疫病退散」。 「天下泰平」が入っているという事は、ウクライナ侵攻の後に、作られたものなんでしょう。
右の茶色い箱には、「御朱印箱」とあります。 御朱印がある神社は、初めて見ました。
≪写真4左≫
鈴。 なるほど。 こういうのを、「鈴なり」というのだな。
≪写真4右≫
本殿。 拝殿とは、別建物ですが、屋根だけ繋がっていました。 木造、瓦葺き。
≪写真5≫
拝殿の側面。 木造、モルタル塗り、瓦葺き。
社殿に、ガス・ボンベが置かれているのは、初見。 大変、面白いです。 窓に、洗剤の容器が置いてあるのも、滅法、庶民的。 中に、台所設備があるのでしょう。
【長泉町御長屋・東照宮②】
≪写真1左≫
石燈籠。 円筒柱、六角断面型。 お寺にも置けるタイプです。 しかし、神社向けと、お寺向けでは、彫り物のモチーフが異なっているのかも知れませんな。
≪写真1右≫
物置。 神輿は、拝殿の中にあったので、神輿置き場ではないです。 この写真では、分かり難いですが、左端にトイレがあります。 台所、トイレ、あとは、風呂があれば、住めますな。
≪写真2左≫
手水場。 というか、流しです。 コンクリート・タイル貼りの流しは、かつて、一般的だったもの。 蛇口あり、ハンドルあり。 使えそうです。 ブリキのバケツは、今では、珍しくなりました。
≪写真2右≫
解説板。 「明治維新後、静岡県に移された幕臣の一部が、この地に入植し、開墾に当った。 明治3年(1870年)、父祖恩顧の徳川家を思い、久能山から東照宮を勧請した」といった事が書いてあります。 これを読んで、ようやく、本物の東照宮である事に納得しました。
≪写真3左≫
ベンチ。 露天だから、仕方ありませんが、苔がついているようで、座るのがためらわれます。 こういう設備を綺麗に保つのは、そもそも、無理があるのでしょう。
≪写真3右≫
神社の横に川が流れていて、側溝の水が、勢い良く、流れ落ちていました。 山村では、側溝の水でも、澄んで、綺麗です。
≪写真4≫
神社前の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日の走行距離は、28キロ。 長泉町・御長屋は、少し遠いです。 バイクがあるから、来るのであって、自転車では、ここまでは、とてもとても。
バイクの調子は、まずまず、良いです。 今年は、どこも補修せずに済むかも知れません。
≪写真5≫
東照宮を後にし、少し下った所で、東南側を見た景色。 この方角だと、遠くには、三島市街地が見えると思うのですが、霞んでしまっています。
この付近、いい所だと思いますが、傾斜があるから、自転車は使い難いでしょうねえ。
今回は、ここまで。
まーた、組み写真の枚数が、8枚になってしまいました。 6月は、5週もあったから、出かけた回数が多いのであって、致し方ないか。 撮る枚数を減らせばいいんですが、普通の大きさの神社だと、ちょこちょこと、興味を引くものがあり、そういうのは、撮らないではいられないのです。 もしかしたら、二度と来ないかも知れないし。
池とか、公共施設とかなら、5・6枚しか撮るものがない事もありますが、神社に比べると、桁違いに数が少なくて、滅多に目的地にできません。 なかなか、うまくいかないものですな。