「実話風小説」の15作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。
【Bちゃん流】
A鉄工所は、小規模企業である。 従業員数は、15人。 増減があっても、13人から、17人までの間に抑えられていた。 15年前までは、特殊な製品を作る事で知られていたが、その後、経営方針が変わり、普通の鉄工工場になった。
経営者のA氏は、親から事業を受け継いだ。 いずれは、一人息子に継がせるつもりでいたのだが、その息子が、高校の時に、グレてしまった。 暴走族に加わり、さんざん、悪事を働いた挙句、別のグループとの喧嘩で重傷を負い、手術、入院したものの、半月後に死亡した。
A氏が変わったのは、それからで、積極的に、青少年の更生に関わるようになった。 少年刑務所帰りや、元不良少年ばかり、雇うようになったのだ。 元からいた従業員達は、最初の内は、悪い事ではないと思っていたが、更生組の人数が、5人を超えると、不平を訴え始め、一人また一人と辞めて行って、とうとう、ゼロになった。 A氏は、空いた穴を、更生青年だけで埋めて行った。
以来、15年間、そういう体制でやっている。 一年間に、5人程度の入れ替わりがあるが、それらがみな、続かない者というわけではなく、技能が向上して、A社長の勧めで、もっと、レベルが高い仕事をしている別の鉄工所へ移る者も含まれていた。 A氏としては、自分の工場を、更生青年達が立ち直る為の足がかりにしたかったのである。
そういう、商売を度外視した目的を掲げていると、得てして、経営が苦しくなるものである。 A鉄工所は、常に、若干の赤字で、A氏が親から相続した、別の土地の借地収入で、穴埋めしながら、会社を維持している有様だった。 ただし、従業員達は、そんな事情については、詳しく知らない。 自分達が、一生懸命働いて、会社を立ち行かせているのだと思っていた。
仕事を回してもらっている、V社という元請会社があるのだが、仕事が少ない時には、そちらの工場へ、応援を出す事が、常態化していた。 元請会社も、鉄工所だったが、従業員数は、100人もいて、郊外に、大きな工場を構えていた。 A鉄工所に雇われた、更生青年達は、3年経つと、応援に出された。 期間は、短くて、3ヵ月、長くて、1年である。
応援に出る事が決まると、近所にある居酒屋で、壮行会が開かれるのが決まりだった。 全員が参加するわけではなく、大体半数の、7・8人くらい。 その中には、必ず、Bが含まれていた。 Bは、A鉄工所では、社長を除く、最年長者で、すでに、勤続15年を数えていた。 A氏が更生青年を雇い始めてから入社し、今や、元不良ではない、かつての従業員達から仕事を教わった、唯一の人間である。 後輩達からは、親しみを込めて、「Bちゃん」と呼ばれていた。
壮行会と言っても、式次第があるわけではなく、単なる飲み会である。 変わっている点は、一時間くらい経つと、応援に出る者の隣に、Bちゃんが座り、「応援の心得」を伝授する事だった。 酔っ払いの繰り言で、いろんな事を、何度も口にするが、主な趣旨は、「下請けからの応援だからって、ナメられるなよ」の一言に尽きた。
「最初が肝心だからな。 敬語なんて、絶対、使うなよ。 俺も経験があるが、こっちが敬語を使うと、格下だと思って、ナメてかかってくる奴がいるからな。 まったく、ろくでもねえ。 向こうが、お前の名前を、さん付けで呼ぶのはいいが、お前が向こうを呼ぶ時には、『あんた』で充分だ。 そういうところに気をつけていれば、ナメられない」
Bちゃんは、更に言う。
「仕事は、最初は、教わるしかないけど、『教えてください』なんて態度を取ってると、ナメられるからな。 『教わってやる』ってつもりで、向こうの教え方にケチをつけてやるくらいが、ちょうどいい。 分からない時には、『何言ってんのか、分かんねえ』って、はっきり言え。 『あんたは、分かってて、説明してんのか?』って訊き返してやると、効果的だ」
Bちゃんの、応援の心得は、仕事関係に留まらない。
「休み時間には、昔やってた、ワルの自慢話で押し捲れ。 どうせ、V社のやつら、普通に、高卒で入社した連中ばかりだから、ワルの武勇伝を聞けば、お前が怖くなって、ナメて来なくなる。 少年刑務所の思い出話も効くな。 あの、つまらねえ連中、震え上がるぞ。 わははは!」
「女遊びの自慢も効く。 ナンパなんて、日常茶飯事で、3ヵ月に一度は、女をとっかえてるって言ってやれ。 真面目な奴らばかりだから、羨ましくて、お前に、一目も二目も置くようになる」
「世間話とか、テレビ番組の話とか、プロ野球の話とか、趣味の話とか、そういう普通の話題は、なるべく避けろ。 ヤワなところを見せると、そこから、付け入って来るからな」
「車は、改造してあるのか? なに、してない? 家から近いから、自転車で通う? 馬鹿か、お前! そんな事したら、ナメられるに決まってんじゃねえか! 俺のダチの車を借りてやるから、応援の間、それで通え。 族車で乗り付ければ、それだけで、あいつらを圧倒できるんだよ」
その時、応援に出るのは、Cという青年だった。 A社に入社してから、3年を過ぎたばかりで、22歳である。 Bちゃんに、親身に、心得を説かれて、感激した。 頼りになる、いい先輩を持ったと思った。 何か言われるたびに、「はい! はい!」と、気合いを入れて答えた。 さながら、暴走族の総長と、たまたま、声をかけられた下っ端の会話のようだ。
「今言った事を頭に入れておけば、充分だ。 最初が肝心だからな。 よし、頑張って、行って来い!」
「はいっ!」
壮行会は、2時間ちょっとで、お開きになった。 C青年が、店を出ると、2年先輩の、D氏が、さりげなく近づいて、声をかけて来た。
「おい、C。 ちょっと、俺の部屋へ、つきあえよ。 もうちょっと、飲もうぜ」
小さな声で言ったのは、どうも、他の者に聞かれたくないからのようだ。
「あー、いいけど・・・」
相手は、2年先輩だが、さん付けする以外は、タメ口である。 A社内では、社長を除き、みんな、タメ口なのだ。 Bちゃんが、そう決めているのである。
「どこ行くの? Dさんのアパート、過ぎちゃったよ」
「昔、うちの会社で働いていた人の家だ」
「なんで、そんなとこ・・・」
「いいから、ついて来い。 お前の為だから」
D氏は、C青年を、とある平屋の一戸建てに連れて行った。 呼び鈴を押すと、インター・ホンに、中年女性の声が出た。 D氏が、「Dですが、Eさん、いらっしゃいますか?」と言うと、しばらくして、50歳くらいの男性、E氏が玄関を開け、客間に通された。
「若いのを連れて来たという事は、応援だな」
「はい。 また、お願いします」
D氏は、C青年に、E氏を紹介した。
「Eさんは、俺達の、ずーっと先輩だ。 うちの会社で、最初に雇われた元ワルで、後々、社長が、更生事業を始めた時に、モデルになった人だ。 Bちゃんとも、3年くらい、一緒に働いてた。 その後、他の会社に移ったんだ」
E氏が、C青年の方を向いた。
「Bちゃんに、『応援の心得』を教えてもらったかい?」
「はい。 ものすごく、勉強になりました」
「どんな事を言ってた?」
C青年は、Bちゃんから聞かされたばかりの心得を、思い出し思い出し、順不同で、語って行った。 E氏は、妻が持って来たお茶に口をつけてから、やれやれ、という顔で、C青年を見た。
「君とは初対面だから、これは、あくまで、参考にする程度のつもりで聞いて欲しいんだが・・・」
「何ですか?」
「Bから聞いた事は、一つも実行しない方がいい」
「ええっ? 何言ってんすか?」
「無視しろとは言わないが、頭に入れるだけにして、実行しない方がいい」
「だって、それじゃあ、V社の連中に、ナメられちゃうじゃん!」
「逆だ。 Bの言う通りにやったら、君が、有害人物と見做されて、まともに扱ってもらえなくなるんだ」
「だって、Bちゃんは、一番、先輩で、応援にも何度も行ってて・・・」
「Bは、勤続年数は長いが、応援に行ったのは、一回だけだ。 それも、V社じゃなくて、W社という、A社と同じくらいの小さい鉄工場だった。 Bが使ってた機械と、同じ機械があったんで、そこに行ったんだ。 ところが、刑務所から出て来た人間だけ雇っている会社で、煮ても焼いても食えない猛者どもに囲まれて、Bは、だいぶ、痛い目に遭ったらしい。 それ以来、応援を極度に嫌って、他の会社にも行かなくなったんだ。 気の毒といえば、気の毒だが、そういう特殊な経験しかない人間の言う事を、真に受けられないだろう」
「そんな・・・、でも、でも・・・」
C青年は、混乱していた。 ついさっきまで、この世で一番頼りになるのは、Bちゃんだと思っていたのに、急転直下、正反対の評価を押し付けられたのだ。 しかも、初対面の相手から。 何か、言い返そうと思ったが、言葉が出て来ない。
「言い返して来ないという事は、君自身、Bの言う事に、疑問を感じていたんだろう? よく考えてみると、常識外れの、変な事ばっかりだ。 Bは、世間を知らないんだよ。 高校中退して、暴走族、少年刑務所、その後、すぐに、A社だ。 他の世界なんて、全く知らない。 Bだけが悪いわけじゃなくて、運も悪かった。 13年くらい前だが、元からいた従業員が、ごそっと辞めちゃって、社長が、Bの事を頼りにしていた時期があったんだ。 利益が出るのは、Bが使っていた機械だけで、Bがいないと、どうにもならなかった。 ところが、そのせいで、Bが、天狗になっちまったんだ。 会社を背負って立ってるのは、自分だって思い込んでな。 A社内だけなら、それでも通ったが、応援で外に出るとなると、話は別だ。 Bの流儀が通用するところなんて、ほとんど、ないだろう」
「・・・・・」
「Bと話をしていると、なんだか、ワル時代の自分が、それほど悪くなかったような気がして来るだろう。 ああいう生き方でも良かったんだ、許されるんだって、そんな気が。 だけど、それは、錯覚だ。 社会に出て、ワルが、そのまま通るわけがないんだ。 ワル時代の自分が間違っていた事を、自分で認めて、自分で否定して、やり直すしかないんだ。 Bは、その努力を怠った。 過去の自分を否定する苦しさから逃げた。 その結果、ああなっちまったんだ」
「・・・・・」
E氏の言う事には、いくつも、腑に落ちるところがあった。 C青年も、少年刑務所を出た時には、「もう、ワルはやめよう」と思っていたのが、A社に迎えられて、Bちゃんの話を聞くようになったら、自分には、後ろ暗い過去などないような気がして来た。 自分のような人生は、普通の内なんだと思えて来た。 しかし、こうして、改めて指摘されてみると、確かに、そんな事はありえない。 少年刑務所帰りが、普通とは、とても言えないではないか。 Bちゃんの言葉は、何から何まで、ワルの発想そのものだ。 あの人は、工場で一番の先輩で、一番の年長者だが、頭の中が、全く大人になっていないのかも知れない。
険しい顔で考え込んでいるC青年に、E氏の方から、質問をした。
「君は、A社の前に、どこかで、働いた事はあるの?」
「・・・・、ないです」
「そうか。 俺もそうだったけど、元ワルには、そういうのが多いな。 ツッパってるワルが、バイトなんて、似合わないもんな。 社会経験が少ないと、常識が身につかないのは、どうにも仕方がない。 君が、Bの話に疑念を抱いたのは、君が不良になる前に、一般学生として暮らしていた頃、常識として吸収していたものが、頭に残っていたからだろう。 その常識は、Bの心得なんかより、生きて行く上で、ずっと重要なものだ。 Bの言うように、相手から、ナメられないようにって事は、逆に言うと、相手をナメるって事だろ。 そんな、ナメるかナメられるかなんて、大人の世界の話じゃない。 赤の他人とでも、礼儀を介して、うまくやっていくのが、大人ってもんだ。 Bの流儀で、押し通せると思う方がおかしい」
「・・・・・」
C青年が黙っていると、その反応に、E氏は、むしろ、喜んだ。
「言い返して来ないな。 君は、見どころがあるぞ。 これまでに、Dが連れて来たのは、7・8人だが、中には、俺の言う事に、怒っちまって、怒鳴りつけて、出て行った者が、二人いた。 その二人、どうなった?」
E氏が、D氏に訊くと、D氏は、ドライに答えた。
「V社で、向こうの従業員と喧嘩して、怪我をさせて、傷害罪で、刑務所へ行きました」
C青年は、目を見開いて、D氏を見た。
「ほんとに?」
「うん。 一人は、まだ、刑務所にいる。 もう一人は、出所して、社長が迎えに行ったけど、会社に戻らなかった。 Bちゃんと同じ職場で働きたくないって、言ったらしい」
「なんで?」
「Bちゃん流が、外の世界で通用しない事が、身に浸みて分かったからだろ。 会社に戻れば、否が応でも、また、Bちゃん流で生きなきゃならないからな」
「・・・・・」
C青年は、暗く沈んで、考え込んでしまった。 E氏は、言った。
「とにかく、V社に応援に行ったら、できる限り、礼儀正しく振舞う事だ。 仕事をさせてもらいに行っているんだから、こっちが、立場上、下になるのは、仕方がない。 下手に出ると、嵩にかかって来る奴もいるにはいるが、そんなのは、向こうが大人になっていないんだから、そう思って、適当にあしらっておけばいい。 V社は、人間関系の雰囲気がいい方で、ちゃんと、対等に扱ってくれる人の方が、多数派だから、心配しなくていい。 一方、B流儀でやると、まともな人達を敵に回してしまうぞ」
「分かりました」
「ワルの自慢話なんか、絶対しちゃ駄目だ。 V社の社員は、A社からの応援者が、元ワルだって事を、みんな、知ってる。 そういう話をすれば、やっぱり、こういう奴かって思われて、相手にしてもらえなくなる。 どうしても、話題に入って行けない時には、黙っていればいいんだ」
「はい」
E氏の話は終わり、C青年は、D氏と共に、E家を辞した。
「もしかしたら、Dさん、初めて、応援に行く人間を、みんな、Eさんの家に連れてってるんですか?」
「ここ2年ほどはな。 俺の前には、他の人が連れてってた」
「その人は、どうしたんですか?」
「社長の紹介で、他の会社に移ったよ。 実は、俺も、あと半年くらいで、他へ移るんだ」
「何か、うちの会社に不満があるんですか?」
「そうじゃないけど、A社は、定員があるからな。 人数を減らさないと、次の少年刑務所帰りを迎えられないだろ」
「えっ! じゃ、俺も出なきゃなんないんですか?」
「いずれな。 その時が来たら、社長から、話があるよ」
「でも、Bちゃんは・・・」
「Bちゃんは、特別なんだよ。 それに、あの人は、他へ行っても、うまくやれないだろ」
「・・・・・」
「俺は、お前に関しては、あまり、心配してないんだよ。 割と、常識がある方だからな。 念の為、Eさんに、会わせたんだ。 もう、効果が出てる。 俺に、タメ口を利かなくなったろう。 親しくなれば、タメ口でもいいけど、Bちゃん流だと、初対面の一言目から、タメ口だからな。 そりゃあ、確かに、大人のやる事じゃないよな」
ちょっと間があって、E青年が、思い切ったように、こう言った。
「世の中って、ワルのままだと、生きて行けないんですかね」
「そういうのも、いるけどな。 ヤクザとか」
「Dさん、ヤクザになろうと思った事、ある?」
「ああ、あるよ。 不良は、みんな、一度は思うだろ。 ヤケクソでな」
「それも、人生とは言えないですかね?」
「言えない事はないが・・・。 でもな、長く続けられるようなもんじゃないぜ。 組長や、幹部はともかく、下っ端のヤクザで、年寄りなんて、見た事ないだろ」
「そう言われてみると、そうですね。 どうしちゃったんでしょう?」
「死んだか、やめたかだろう。 今時の暴力団は、意外と合理的な組織で、入団志望者を、誰でも彼でも受け入れてるわけじゃないらしい。 金を稼いで、組を潤せる奴か、鉄砲玉みたいに、捨て駒にできる奴か、どっちかしか、入れてないんじゃないか? ただのワルの年寄りなんて、お荷物にしかならないから、放り出されちゃうんだろう」
「ワルで、年寄りで、どこにも属してないとなると、生きて行くのが、厳しそうですね」
「ヤクザじゃ、まともな結婚もできないしな」
「できないんですか? だって、ドラマなんかで、家族をもってるヤクザが、よく出てくるじゃないですか」
「ただ結婚するだけなら、できるさ。 まともな結婚は無理だ。 女の方の親が、物凄く嫌がる。 強引に結婚したら、その女が、親から、縁を切られるのがオチだ。 そうしないと、女の兄弟や親戚にまで、迷惑がかかるからな。 それに、子供が出来たら、どうするんだ? パパの仕事は、ヤクザだって言うのか? パパの後を継いで、立派なヤクザになれって教えるのか?」
「なんだか、お先真っ暗な気分になって来ますね」
C青年は、V社に応援に行った。 Bちゃんの心得は無視して、E氏の言う通りに、礼儀正しくしていたら、思いの外、よくしてもらえた。 仕事は、丁寧に教えてもらえたし、休憩時間にも、話の輪に入れてもらえた。 話題は専ら、世間話、テレビ番組の話、プロ・スポーツの話、趣味の話。 ワルの自慢話など、もちろん、しない。 女の話もしない。 不良だった過去などなかったかのように振舞い、それで、通った。 V社の社員は、C青年が、普通の話題に入って来れる分には、対等に会話を交わしてくれた。 従業員数が多いだけに、常識がある社風だったのだ。
ちなみに、Bちゃんが、友人から借りてやると言った「族車」は、押し付けられずに済んだ。 Bちゃんの友人だから、すでに、30代半ばなのであって、現役の暴走族ではない。 思い出に保存してあった一台だったのだ。 Bちゃんが、「後輩に、通勤に使わせる」と言ったら、「大事にしてる車なのに、そんな長期間、貸せない」と、断られてしまった。 それを伝えに来たBちゃんは、バツが悪そうな顔をしていたが、C青年にとっては、勿怪の幸いであった。
一ヵ月経った時、A社の同僚達から誘いがあり、居酒屋で落ち合って、飲み会をやった。 面子は全員、応援経験者で、Bちゃんは、含まれていない。 前回、応援に出た先輩が、C青年に、小声で訊いた。
「Bちゃんの心得、通用したか?」
「しない!しない! 最初から、Eさん流でやりましたよ。 A社とは、全然、世界が違うじゃないですか」
「だろ?」
「だけど、戻ったら、また、Bちゃん流でやった方がいいんですよね」
「そうさ。 そうしなきゃ、まずいよ。 Bちゃんに、どうだったか訊かれたら、嘘にならない程度に、テキトーに言っとけ。 お陰で、ナメられないで済んだって」
「分かりました」
C青年の応援が、予定期間の3ヵ月が近づいた時、A氏から電話があり、もう3ヵ月、延長できないか、訊いて来た。 C青年に否やはなく、あっさり、3ヵ月延長が決まった。 一緒に働いている、V社の面々が喜んでくれたのが、意外で、嬉しかった。 自分が、ワル仲間からではなく、普通の人達から、仲間として受け入れられたのだと思って、感動を覚えた。 ちなみに、このC青年は、その後、V社の正社員になるのだが、それは、先の話。
その間に、A社では、大きな問題が起こっていた。 C青年に電話をした数日後、A氏が、脳卒中で倒れてしまったのだ。 倒れた時、近くに人がいて、救急搬送が早かったので、一命は取り止めたものの、そのまま、入院する事になった。 医師からは、いずれ、退院できると言われたが、半身に麻痺が残るから、リハビリに通う必要があるとも言われた。
常日頃から、赤字経営だったA社は、俄かに、窮地に陥った。 A氏は、病院から、電話で指示を出していたが、そもそも、あちこち駆けずり回っても、取って来れる仕事が足りなくて、赤字続きだったのだから、電話だけで、どうにかなるものではない。 経理を見ている事務社員がいたものの、営業は、A氏が全て担当していたので、代わりをする能力はなかった。
A氏の妻は、ほぼ、専業主婦で、会社とは、没交渉。 経営能力など、全くなかった。 かつては、頻繁に、工場に顔を出し、社員達と話をしていたのだが、グレた息子が喧嘩で死に、A氏が、更生青年ばかり雇うようになると、工場に寄りつかなくなった。 元ワルどもが、嫌いだったのだ。 話をするどころか、見るのも嫌。 息子を殺したのと同類の輩だと思うと、ぞっとする。 その件については、A氏と何度も口論をしていたが、A氏が折れる事はなく、妻の方が会社に近づかない事で、小康状態を保っていた。
A氏が倒れたのは、もちろん、不幸だったが、A氏の妻としては、これで、あの鉄工場を畳めると思って、ほくそ笑んでいる一面もあった。 鉄工場の赤字の穴埋めに回さないで済むのなら、借地収入だけでも、充分、暮らして行けるからである。 その方が、どれだけ、気楽な事か。
A氏が入院して、一週間後、Bちゃんが、A氏の自宅にやって来て、A氏の妻に、「奥さんが、社長の代理をするか、他の社長代理を指名して下さい」と言った。 A氏の妻は、嫌悪感を隠そうともしなかった。 35歳を過ぎても、まだ、不良を引きずっているようなBちゃんの事が、虫唾が走るほど、嫌いだったのだ。
「私は、経営なんて、全くできないから、無理だけど、他の社長代理って、誰の事?」
「それは、社長に決めてもらう事になるけど・・・」
そう言いながら、Bちゃん、些か、照れ臭そうな素振りである。 A氏の妻は、Bちゃんの腹の底を見透かしたように、言った。
「B君が、やりたいの?」
「いやあ、社長がやれって言うのなら・・・」
Bちゃんとしては、柄にもなく、控え目に提案した方だった。 社内で、社長の次に偉いのは、自分なのだから、ナンバー2が、次期社長になるのは、当然だと思っていたようだ。 そんな、Bちゃんの様子を、A氏の妻は、胡散臭そうに眺めながら、言った。
「うちの人がやっても、毎月、赤字なのに、B君には何か、うまく経営する当てがあるわけ?」
「社長は、いい人だけど、いい人過ぎて、取引先に対して、押しが弱いんじゃないすかねえ。 物事には、勢いってもんがあるから、押す時には、押さないと」
「ああ、そう。 分かった。 明日、うちの人に伝えておくから」
「よーしくおねあいしあーっす」
Bちゃんは、肩を揺すりながら、足取りも軽く、帰って行った。 A氏の妻は、翌日を待たずに、すぐに、病院へ出向き、A氏に、この事を伝えた。
「Bの奴、そんな事を言ってたのか・・・」
それでなくても、病み衰えているA氏は、幾分、呂律が回らない喋り方で、そう言った。
「いっその事、任せちゃったら、どう? 本人がやりたがってるんだから、いいじゃない」
「あいつに、会社経営なんて、無理だ」
A氏は、はっきりした口調で、断言した。 妻に言って、前々から、従業員の扱いに関して、相談に乗ってもらっていた人物を、病室へよばせた。 E氏である。 E氏は、Bちゃんの件を聞いて、驚いた。
「あいつ、そんな大それた事を? 工場で機械を操作する以外、何もやった事ないのに、どこから、そんな自信が出て来るんですかね?」
「自分の流儀で、取引先を脅すつもりなんだろう。 後輩に向かって、『一回、殴り合いの喧嘩をすれば、どんな奴とでも、仲良くなれる』なんて、話しているのを聞いた事がある」
「やりそうですね。 目に浮かぶようだ。 族時代から、全然、進歩してないんだな」
「苦しかった時に、あいつを頼りにしちまった俺にも責任はある。 反面教師としては、役に立ってくれたんだが、あいつ本人の事は、手のつけようがなかったんだ。 自分がこの世で一番偉いと思い込んでしまったら、周囲が何を言っても聞かないだろう」
「じゃあ、Bが社長代理という線は、なしですね」
「当然だ。 当たり前だ! 言うまでもない!! 話にならん!!! 取引先にまで、迷惑をかけちまう」
「で、会社は、どうするんです?」
「俺が、こんな様じゃ、廃業するしかないな。 今いる従業員は、他の会社に引き取ってもらえるよう、あちこちに、声をかけるつもりだ」
「3年以上経っている者は、応援で外の世界を知っているから、よそでもやっていけると思いますけど、それ以外は、何人いますか?」
「6人だ。 で、Eに頼みたいんだが、その6人に、Bの流儀が、外では通じない事を、教えてやってくれ」
「一人ずつの方がいいですね。 Dに、一人ずつ、連れて来させて下さい」
「分かった。 今夜からでも、頼むよ」
「でも、Bに心酔している奴だと、俺が言っても、聞かないかも知れませんよ」
「その場合は・・・、仕方ない。 できる限りの事はしたと思って諦めて、俺が恨まれる事を覚悟するよ」
A氏は、話し疲れて、言葉を切った。 しかし、E氏には、まだ、話し合っておかなければならない事があった。
「で、Bは、どうしますか? あいつ本人が、一番、よそでは通用しないわけですが」
「そうだな・・・。 それでも、よそへ行ってもらうしかない。 あいつには、厳しい事になるが、仕方ない。 その事は、Eに頼んだんじゃ、申し訳ないから、俺から、あいつに話すよ」
Bちゃん本人は、そんな密談が交わされているとは、つゆ知らない。 工場では、社長が最後に取って来た仕事を続けていたが、Bちゃんは、あれこれと、しなくてもいいような指図をしながら、すっかり、社長代理気取りでいた。 3年以上経つ、応援経験者達は、そんなBちゃんを、白けた目で見ていた。 Bちゃんが、社長代理になるなど、ありえないと思っていたからだ。
3年以下の者達は、Bちゃんの事を、ふざけて、「B社長」と呼んだりして、調子を合わせていたが、密談があった日から、一晩に一人ずつ、E宅へ連れて行かれて、E氏とD氏から、事情を聞かされると、次の日から、Bちゃんへの接し方が変わって行った。 残り仕事については、Bちゃんの指図に従っていたものの、仕事以外は、ほぼ、無視。 Bちゃんがいない所で、二人、三人と集まって、今後の身の振り方について語り合う光景が、多く見られるようになった。
A氏が退院し、自宅に移った。 まだ、床上げはできないが、自宅療養でいいという許可が出たのだ。 A氏は、自宅での生活が落ち着くと、早速、従業員達を一人一人、枕元によんで、会社の廃業について、自分の口で伝えた。 「君達を更生させるつもりで、何とかやって来たが、こんな事になって、申し訳ない」と、謝った上で、探しておいた再就職先を伝えた。 「行った先では、必ずしも、青少年の更生事業をやっているわけではないから、厳しくなるかも知れないが、頑張ってくれ」と、手を握って、激励した。 誰も、文句を言う者はいなかった。 Bちゃんを除いて・・・。
Bちゃんは、最後によばれた。
「何言ってんすか! まだまだ、A鉄工所は、イケますよ! 俺に任せて下さい! 絶対、立ち直らせて見せますから!」
こういう人を説得するのは、大変、難しい。 というか、不可能に近い。 A氏は、お金の問題だけに集中して、Bちゃんを攻略する事にした。
「会社経営は、そんな簡単なもんじゃない。 ちょっと、まずい方へ行けば、瞬く間に、借金達磨になっちまうんだ。 そうなっても、うちじゃ、助けられないぞ」
「やってみなくちゃ、分からないじゃないすか!」
「やってみて、駄目だった時には、もう遅いんだ。 何千万って借金抱えたら、お前、どうやって、返すんだ? 何百万でも、返せないだろうが」
「返しますよ! 銀行強盗でも、何でもやって!」
「冗談でも、そういう事を言うな! それ以前に、そういう考え方をするな! 昔から何度も言ってるだろう! 何が目的にせよ、犯罪を手段に選ぶ事はできないんだ! お前は、堅気なんだぞ!」
更生青年だったBちゃんに、これは効いた。 そもそも、Bちゃん、会社経営にやる気満々だったわけではない。 社長室にあった経営学の本を勝手に持って来て、読もうとしたが、読書なんぞ、小学生の頃以来した事がなく、最初の2行で、やめてしまった。 E氏が言った通り、機械の操作以外、会社でできる事など、何もなかったのである。 Bちゃんは、ただ、「社長」という肩書きが欲しかったのだ。 元不良で、元暴走族で、少年刑務所帰りの自分が、社長と呼ばれる身分に出世する、そういう夢を見ていただけだったのだ。
A鉄工所は、廃業。 A氏は、落胆すると同時に、長年の肩の荷が下りて、ホッとしてもいた。 A氏の妻は、清々していた。 従業員達は、全員、別々の会社に再就職した。 同じ会社に複数人を送らなかったのは、受け入れる側の都合もあったが、A氏の意向が強かった。 更生青年だけで、固まってしまうと、一般の従業員との間に壁が出来て、いつまで経っても馴染めないからと、配慮したのだ。 Bちゃんの悪影響に苦しめられた経験から得た教訓だった。
行った先で、馴染んだ者もいれば、短期間で辞めてしまった者もいた。 そういう者達は、もう、A氏の所には、顔を出さなかった。 みんな、A社で、3年以下しか働いていなかった者ばかりである。 Bちゃん流を押し通して、喧嘩になり、辞めてしまった者が一人いたが、幸い、警察沙汰にはならなかった。 リハビリして、何とか、杖をついて歩けるところまで回復していたA氏が、その会社に出向いて、そこの社長と、喧嘩相手に、平謝りに謝ったからだ。
さて、当のBちゃんだが、再就職先は、昔、応援に行かされた事がある、W社だった。 悪い記憶しかないのだから、そこだけは避けたかったはずだが、ここは嫌だ、あそこも嫌だと、不平ばかり言っている内に、他に行ける所がなくなってしまったのだ。 ところが、十数年ぶりに、W社に行ってみると、社長が代替わりしていて、方針が変わり、ムショ帰りの従業員は、一人しか残っていなかった。 他はみな、20代・30代の、高卒採用者になっていた。
Bちゃん、「これは、居心地が良さそうだ!」と、大喜びしたのも束の間、すぐに、他の社員と、険悪な仲になってしまった。 本人であるだけに、Bちゃん流全開で押し捲り、周囲の顰蹙を買ってしまったのである。 W社の社長に苦情が行き、Bちゃんが呼び出されて、注意を受けたが、社長相手なのに、敬語も使わない。 Bちゃんが、曲がりなりにも、敬語を使うのは、この世で、A氏と、その妻だけなのだ。
仕事ができないのも、Bちゃんの立場を悪くした。 Bちゃんが、A社で使っていた機械は、すでに時代遅れで、W社では撤去されていた。 新しい機械の操作法を教えられても、Bちゃんは、「何言ってんのか、分からねえ」を連発し、「あんたは、分かってて、説明してんのか?」と、ガンをつけて来る始末。 教えている方が、うんざりしてしまった。
休み時間になれば、Bちゃんの口から出るのは、ワル時代の自慢話や、女遊びの武勇伝ばかり。 他の社員が、普通の話題で盛り上がっていると、Bちゃんがやって来て、しばらく、黙って聞いていたかと思うと、
「そんなガキみたいな話して、面白い?」
などと、小馬鹿にするので、休憩所から、他の社員が、逃げて行くようになった。
「ここの連中は、話ができる奴が、一人もいねえ」
正確に言えば、Bちゃんと話ができる者が、一人もいないのである。
そういう態度なのだから、当然の事だが、堪忍袋の緒が切れた面々と、喧嘩が起こるようになった。 毎日、怒鳴り合いである。 W社の社長から、A氏に話が行き、A氏が、E氏と二人で訪ねて来て、Bちゃんを説得したが、Bちゃんは、流儀を変える気はないと言い切った。
「そんな事したら、いいように、ナメられちまうからよー」
同席していた、W社の社長が、さすがに、怒った。
「何なんだ、お前は! 誰が、お前をナメるんだ! 何が流儀だ! 人間関係を、滅茶苦茶にしてるだけじゃないか! もういいから、辞めろ! お前のせいで、社内がギスギスだ! 今すぐ、帰れ! 二度と来るな!」
「おー、帰るよ! 辞めるよ! お前みたいな奴の下で、働けるか!」
後先考えず、売り言葉に、買い言葉である。 A氏とE氏が宥めたが、W社の社長の怒りは解けなかった。 まあ、常識的に考えて、当然か。 弱ってしまったA氏が、Bちゃんに言った。
「お前、そんな態度じゃ、他の会社でも、全然、続かないぞ。 紹介できないじゃないか」
「いいですよ! 紹介してくれなくても! 自分で会社やりますから! そのくらいの貯金はあるんだ!」
これまた、売り言葉に、買い言葉だったが、A氏とE氏は、その言葉を聞いて、心に、ポッと明かりが点いた心地がした。 「これで、Bと、縁が切れる」と、期待したのだ。 Bちゃんは、一人で帰ってしまった。 A氏とE氏は、W社の社長に、何度も頭を下げてから、W社を後にした。
その後のBちゃんだが、会社は作らなかった。 大口叩いたほど、貯えがなかった事もあるが、そもそも、起業するような知識がなかったのだ。 A社の社長の座を狙っていたのは、A氏を始め、周囲の人達が、助けてくれると期待していたからだ。 A氏らと完全に縁が切れてしまった身となっては、起業なんて、とてもとても・・・。
ハロー・ワークの常連となり、5年間に、30ヵ所に応募したが、25ヵ所は落とされ、5ヵ所は、一応、雇ってもらえたものの、その内、4ヵ所は、Bちゃん流を発揮した事で、瞬く間に、辞めざるを得なくなった。
一番長く続いたのは、バイク便の仕事だった。 同僚と顔を合わせる事がなく、他人と接する機会が、比較的、少なかったからだろう。 族時代に取った二輪免許を活かした仕事だったので、過去を否定できないBちゃんとしては、心情的に受け入れやすい職種と言えた。
しかし、40歳になった年に、車のドライバーと、あおった、あおらないで、喧嘩になり、さんざん、毒づいてから、「ナメてんなよ!」と、捨て台詞を残して、去ろうとしたところ、怒った相手の大型クロカン車に跳ね飛ばされて、帰らぬ人となった。 Bちゃん流は、死ななければ、治らなかったのである。