2024/04/28

EN125-2Aでプチ・ツーリング (55)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、55回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年3月分。





【沼津市大岡中石田・消防団第20分団】

  2024年3月4日。 沼津市・松長へ、「消防団・第7分団」を見に行ったんですが、移転したようで、見つけられませんでした。 手ぶらで帰るのも癪なので、東へ向かい、大岡・中石田の、「消防団・第20分団」へ行って来ました。 第20分団の場所を、予め、調べておいて、良かったです。

  西から東へ行ったわけですが、どちらも、市街地から、そんなに遠くないので、走行距離は、知れたものでした。 

≪写真1≫
  工事中の、黄瀬川大橋から、少し上流の右岸側にあります。 川からは、少し離れています。 敷地は広いですが、鎖が張ってあって、立ち入り禁止。

  今風の、立方体、分団建物。 外階段あり。 シャッター絵は、なし。 「火の用心」と赤で書かれていたのが、白で消されています。 なぜ、消したのかは、不明。 赤い文字が大き過ぎて、火事を連想させるからでしょうか?  

≪写真2≫
  反対側は、窓が多いです。 こちらは、北側でしょうか。 窓が多い方の向きは、分団によって、マチマチですな。 繋がっているように見えますが、奥の方は、集合住宅で、別の建物です。

≪写真3左≫
  火の見櫓はなくて、スピーカーの支柱がありました。 アンテナは、防災無線のものでしょうか。

≪写真3右≫
  「火の用心」の看板は、第20分団のものですが、物置は、「富士町 自主防災会」のもの。 しかし、赤いランプが付いていて、分団と無関係とも思えません。 大岡は広いので、中石田地区の中に、更に、富士町があるのだと思います。

≪写真4≫
  溝蓋の上に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日の走行距離は、23キロ。 西浦に比べれば、全然、大した距離ではないです。




【沼津市大諏訪・消防団第7分団】

  2024年3月11日。 沼津市・大諏訪にある、「消防団・第7分団」へ行って来ました。 前回、行こうとして、見つけられず、調べ直したら、移転した事が分かって、捲土重来を期したもの。 今度は、簡単に見つかりました。

≪写真1≫
  建物。 新しいですが、よくある立方体ではなく、屋根が蒲鉾形になっている、洒落たデザインです。 外階段、あり。 シャッターが、2面あります。 左背後にある建物は、片浜小学校。

≪写真2≫
  シャッター絵。 絵というより、マークに近いです。 カッコいいとは思いますが、親しみは感じませんねえ。 「片浜」を漢字にしてあるのは、全体を締める効果が出ています。

≪写真3≫
  すぐ隣に、片浜小学校の門があります。 そちらに掲示されていた、「片浜小学校校区図」。 私、前回来た時に、走りながら、この図をちらっとだけ、見ているんですよ。 そこで停まって、ちゃんと見ておけば、前回、辿り着いていたのにねえ。

≪写真4左≫
  西側から。 こちらに、窓が多いですな。 西日が強そうですが、分団建物は、常時、人がいるわけではないから、問題ないのでしょう。

≪写真4右≫
  分団の敷地内に停めた、EN125-2A・鋭爽。 小学校のまん前なので、バイクで乗りつけて、フルフェイスのヘルメットを被ったまま、写真撮影するのには、少々、勇気が要りました。 誰にも、何も言われませんでしたけど。




【沼津市大岡下石田・消防団第21分団】

  2024年3月18日。 沼津市・大岡・下石田にある、「消防団・第21分団」へ行って来ました。 沼津市の消防分団巡りは、戸田・井田地区を除き、ここが最後です。

≪写真1≫
  今風の分団建物。 この向きから見て、妙に小さく思えたのですが、錯覚でした。 敷地は、そこそこ、広いです。 一部に、鎖を張ってあったものの、敷地内に入れるようになっていました。

≪写真2≫
  シャッター絵。 ちょっと、分かり難いですが、富士山の上半分です。 絵なのか、写真なのか、見ただけでは、判断できません。 

≪写真3左≫
  側面に回ったら、結構、大きな建物だと分かりました。 5角形というわけではなく、もっと複雑な形をしているようです。 反対側まで見なかったのですが、もしかしたら、そちらに窓が多いのかも。 もっとも、反対側の隣は、墓地なのですが、

≪写真3右≫
  洗濯機。 外置き。 洗濯機は、一応、外置きに耐えられるようですな。

≪写真4左≫
  柱。 これは、幟旗を揚げる為の物。 しかし、一応、登れるようになっているようです。

≪写真4右≫
  敷地内に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ここは、うちから近くて、この日の走行距離は、たったの、5キロでした。 一番最初に行った、第22分団の、建物やシャッター絵を、よく見て来なかったので、この後、もう一度、行こうかと思っていたのですが、意外と距離がある事を思い出し、やめておきました。




【沼津市大岡南小林・消防団第22分団】

  2024年3月27日。 沼津市・大岡・南小林にある、「消防団・第22分団」へ行って来ました。 去年の7月、分団としては、最初に行った所ですが、その時は、近くにある石碑が目的だったので、分団建物や、シャッター絵は、特に撮影して来ませんでした。 今回は、それらを撮りに行ったのです。 門池から、少し東に行き、南へ下った所にあります。

≪写真1≫
  今風の分団建物。 外階段は、なし。 こちら側の側面、窓が多いです。 エアコンの室外機が、面白い所に設置されています。

≪写真2≫
  シャッター絵。 街、住宅地、虹、山、救急車、消防車、ヘリコプターと、モチーフ満載。 元絵を描いたのは、小学生でしょうねえ。 配色のバランスが良くて、通る人の目を楽しませてくれていると思います。

≪写真3左≫
  建物を、南東側から。 背面には、窓がありません。 右手前に、物置らしき、コンテナが置いてあります。 分団の物置に、コンテナがよく使われるのは、地震で壊れる恐れがないからでしょう。

≪写真3右≫
  右上は、消防信号のパネル。 左上は、何かの電源。 その下に、「危険 関係者以外 絶対に手を ふれるな 消防」とあります。 きつい言葉ですなあ。 過去に、誰か触って、大ごとになった事があるのかも知れませんな。

≪写真4左≫
  北側側面。 こちらにも、窓が多いですねえ。 分団建物で、両側面に窓が多いのは、珍しい。

≪写真4右≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ここのところ、近場ばかり行っているので、ガソリンがなくなりません。 要は、週に一回、エンジンが暖まり切るくらい走ればいいわけで、近場でもいいんですが、目的地を決めるのが、厄介なのです。





  今回は、ここまで。

  沼津市の消防分団巡りは、今回 紹介した分で、終了しました。 戸田・井田地区を除いて、一通り見て回ったわけですが、シャッター絵だけでなく、建物そのものや、掲示板など、個性があって、面白かったです。

2024/04/21

実話風小説 (27) 【恐るべきカタギ】

  「実話風小説」の27作目です。 2月下旬後半に書いたもの。 実話風小説を看板にしているこのシリーズですが、今回は、「神視点三人称」を採用しているので、実話風とは言い難いです。 「この記録は誰が取ったのか?」といった疑問が湧いても、スルーしてもらえば、幸いです。 これが、映像作品なら、そんな事は当たり前で、わざわざ、断るまでもないのですが、意外と不便だな、小説は・・・。




【恐るべきカタギ】

  地方都市にある、A商会は、この事件が起こる1年前の、1992年に、暴力団から、会社組織に変身した。 バブル時代は、地上げで、さんざん稼ぎ、バブル崩壊後は、債権の取り立てを、主な業務にしていた。 バブル時代に、投資や投機に狂奔した人間は、バブル崩壊後、借金を抱え続けていた。 その連中をカモにしていた、元組長で、現社長のAは、目端が利く人間だったのだ。

  組員、いや、社員は、社長も入れて、30人。 舎弟二人が、専務、常務。 若頭が、部長。 課長2人。 係長4人の下に、それぞれ、5人ずつ、平社員がいるが、それらは、一応、表向きの肩書きだけであって、課長以下は、暴力団時代と変わらない、兄貴分・弟分の関係で構成されていた。 まあ、そんな事は、この話のストーリー上、大した問題ではない。


  で、1993年の7月、ある日の宵である。 社長は、部長から、借金の取り立てに行った平社員二人が戻って来ないという報告を受けた。 報告と言っても、事務所で、「あいつら、戻って来ないんですよ」と言われただけなのだが。 その債務者は、山の中に住んでいる、一人暮らしの中年男だった。 金額は、300万円。 ちなみに、A商会は、基本的に、住所が分かっている債務者の債権しか、買い取っていない。 人探しは、取り立てとは、別物の難しさがあり、それだけで、金がかかってしまうからだ。

  最初の取り立てなので、専ら、脅しをかけるのが目的で、「二人もいれば、充分だろう」と、柄の悪そうな奴らを行かせたのだが、半日経っても、何の連絡もないというのだ。 「あいつら、電話一本よこさねえんですよ」。 携帯電話が普及するのは、1990年代後半なので、この頃は、使うとしたら、債務者の家の電話か、公衆電話である。

  社長は、今までになかった事なので、心中、穏やかでなくなった。 その表情を見ていた常務が、代弁するように言った。

「まさか、やられちまったんじゃねえだろうな」

  事務所内にいた、10人ほどが、一瞬、静まり返った。 専務が、部長に訊いた。

「相手は、どんな奴なんだ?」

  部長は、書類を見た。 借用書や、債権譲渡書類と一緒に綴ってあるものだ。 取り立てに行く者は、とりあえず、それらのコピーを持って行く。 実際に、金の回収ができる時まで、本物は、事務所に保管しておくのである。

「名前は、B。 農業ですよ。 この住所じゃ、山奥ですね。 ビニール・ハウスを作るのに、借金したって書いてあります」
「何か、武道でもやってたのか?」
「そういう事は、書いてありませんね」
「誰か、この、Bって奴を知ってるか?」

  この質問は、都会では、奇妙かも知れないが、地方都市では、世間が狭いので、10人もいれば、一人くらいは、知っている者がいる事があるのだ。 しかし、この時は、誰も答えなかった。 課長の一人が言った。

「行ったのは、CとDでしょう? Dのガタイを見て、やっちまおうなんて思うカタギはいないんじゃないですか?」

  専務と常務は、顔を見合わせた。 専務が、ぼそっと言った。

「それは、分からねえ。 3年くらい前の事だが、地上げで行った先に、剣道5段の奴がいて、組員が 5人も病院送りにされた事がある」

  常務が言った。

「あん時は凄かったな。 こっちが、長ドスまで持ってかせたのに、ビニール傘一本で、5人とも、のされちまった。 カタギでも、そういうのが、いるんだ。 たまにな」

  課長の一人が訊いた。

「で、そいつ、どうしたんです?」

  専務。

「どうもしねえよ。 それっきりさ。 相手がカタギじゃ、ハジキを持ち出すわけにもいかん。 サツが黙ってねえからな」

  そうなのだ。 ヤクザが出て来る、映画やドラマを見ていて、「自分は、今までの人生で、ヤクザと関わった事なんか、一度もない。 なぜ、助かっているのだろう?」と、不思議な感じを抱いている人もいるだろうが、それは、あなたが、カタギ、つまり、法律を守って生きている一般人だからなのである。

  ちなみに、ヤクザが、カタギに手を出さないのは、別に、任侠道を奉じているからではない。 もっと、ドライな事情があるのだ。 カタギは、違法行為をしていないから、警察を始めとする、司法制度を、ためらいなく利用できる。 ヤクザが、苦手としているのは、あなたではなく、あなたを守っている、司法制度なのだ。 いかに向こう見ずなヤクザといえども、国家の巨大な暴力装置には抗しようがないのである。

  あなた個人なんか、どんなにしょぼいヤクザだって、怖がるものかね。 たとえば、無人島に、ヤクザと二人で流れ着いたら、奴隷として扱き使われるか、言う事を聞かずに殺されるかのどちらかである事は、想像してみれば、分かる事ではないか。

  ヤクザは、一般人から利益を得て、生活の糧にしているが、その対象は、一般人全てではない。 法律を守っていない、一部の一般人なのだ。 違法薬物、賭博、異性絡み、その他、犯罪に手を染めている者には、司法制度を頼れない事情がある。 そこをヤクザに、つけ込まれてしまうのである。 ちなみに、借金は、別に違法ではないから、カタギでも手を出す。 取り立て業のヤクザと、カタギが接する、ごく稀な例外である。


  話を、A商会の事務所に戻す。 社長が言った。

「とにかく、明日の朝まで待って、連絡がなかったら、今度は、4人 行かせろ」


  恐れていた通り、翌日の朝になっても、CとDは戻らず、電話もなかった。 前の晩の内に、二人が行きつけにしている飲み屋を、他の平社員が見て回ったが、姿を見つけられなかった。

  社長の指示通り、今度は、平社員4人が、B家へ出かけて行った。

「あいつら、どこ行きやがったんだ」
「使えねーなー」

  係が違うので、前の二人とは、兄貴分・弟分の関係ではない。 ブチブチ、不満を漏らしながら、事務所を出て行った。 見送った社長、専務、常務の三人は、不安が隠せないような顔をしていた。


  夜になっても、4人は、帰って来なかった。 残った平社員達は、他の仕事から戻った者も含めて、繁華街の飲み屋や、パチンコ屋を、虱潰しに調べて回った。 「山奥へ行ったのだから、山奥へ捜しに行けばいいのに」と思うかも知れないが、ヤクザというのは、街なかの生き物であり、上から、「捜して来い」と言われると、自分達が普段 入り浸っているような所にしか行かないのである。

  深夜に、重役会議。 社長、専務、常務に、部長も加わっている。 以下、誰の発言というわけでもない。

「4人もやられるなんて、信じられん」
「しかし、剣道5段の例もありますし・・・」
「今日行った奴らの中に、Eが入ってたよな。 あいつは、元・剣道3段だろう?」
「3段では、5段に敵わないぜ」
「そもそも、Bって奴が、剣道5段かどうかも、分かってない」
「武道系じゃなくて、催涙スプレーとか、スタンガンとか・・・」
「向こうは、一人だ。 4人相手に、そんな小手先の武器じゃあな・・・」
「じゃあ、ハジキを?」
「まさか。 Bは、カタギなんだぞ。 借金取りを、ハジキで撃ち殺すカタギがいるか? 世も末だ」
「落とし穴は?」
「子供じゃあるまいし」
「いやいや、ガキの頃、怪人二十面相とかで読んだんですよ。 家の中に落とし穴が仕掛けてあって、地下室へ落とされちまうんです。 そこには、出口がないんですよ」
「それは、怖いな」
「落とし穴がありなら、吊り天井もありだな」
「あの、ビッシリ棘が生えた天井が、ジワジワ、下りて来るやつ?」
「ジワジワとは限らん。 ズドーンと落ちて来る方が、怖い。 玄関の天井に仕掛けとけば、4人くらい、一遍に殺せる。 玄関は、血の海になるが、洗い流し易いように、プラスチックのような素材を貼ってあるに違いない」
「死体をどうするんです?」
「山ん中の農家だぞ。 そこらに埋めちまえば、誰にも分からん」
「大量殺人じゃないですか。 警察に通報しましょうか」
「おまえ、それはないだろう。 それだけはないだろう。 俺らは、ヤクザなんだぞ」

  社長が、決然と言った。

「とにかく、明日の朝まで待って、連絡がなかったら、今度は、8人 行かせろ」

  恐れていた通り、翌日の朝になっても、4人は戻らず、電話もなかった。 もう、他の仕事なんか、やっていられない。 8人掻き集めて、送り出した。 中に、係長が一人 含まれている。 係長は、B家より手前の、電話がある場所で待機し、平社員の中の一人を連絡係にして、先遣隊と往復させ、事務所に、一時間ごとに、電話を入れるという取り決めだった。 もう、軍事作戦だな。

  最初の電話。 専務が取った。

「どこから、かけてる?」
「ここは、Z村の、食品雑貨店です。 連絡係が、一度戻って来て、登山口で、車を2台、見つけたと言って来ました。 1台は、Cの車で、もう1台は、会社の車だったそうです」
「そこから、Bの家は遠いのか?」
「Z村からじゃ見えません。 登山口まで行けば、屋根が見えるそうです。 直線距離で、300メートルくらいと言ってました」
「すぐ、そこじゃねえか。 登山道で、Bの家まで行けるのか?」
「はい。 でも、村のもんの話じゃ、歩きでしか通れないから、B本人も、その道は使わないと言ってます。 車で行ける道だと、ここから、片道2時間かかるそうです」
「そんな遠回りしてたら、夜になっちまう。 登山道を歩いてけ。 険しいのか?」
「よく分かりませんが、『アップ・ダウンがある、ザレ場が多い』って言ってます」
「よく分からんな。 つまり、どうなんだ?」
「割と、登り易い道らしいです」
「だったら、行け! 家が見えてるんなら、迷いもしねえだろう」
「俺は、どうしましょうか? 電話のある所に残りますか?」
「いや、そこまで、事情が分かれば、充分だ。 お前も行け。 人数は多い方がいい。 もし、やられそうだったら、お前一人だけでも、報告に帰って来い」
「分かりました」
「ちょっと待て。 成り行き次第じゃ、Bを始末する事になるかも知れん。 話をした村の連中には、口止めしとけよ」
「分かりました。 たっぷり、脅しときます」

  最初の電話が、最後の電話になった。 8人は、夜になっても、帰って来なかった。


  二夜連続、深夜の重役会議。 以下、誰の発言というわけでもない。

「こうなったら、弔い合戦だ!」
「残った16人全員で、襲撃するぞ!」
「Bの奴、ナメやがって! ヤクザの怖さを、思い知らせてやる!」
「どうします、組長?」
「社長と呼べ」
「社長」
「Bの借金は、300万か。 しょぼいと言えば、しょぼいが、もう、金の問題じゃねえ。 組員の、いや、社員の半分もやられちまって、おめおめ、引っ込んだら、組の、いや、社の面子に関わる。 やるか、久しぶりに、大出入りを!」
「やりましょう」
「全員にハジキを持たせろ。 どうせ、山ん中だ、バンバン撃ちまくって、蜂の巣にしてやれ」


  翌日の昼過ぎ。 腹拵えを終えたA商会の面々16人が、5台の車に分乗して、雨の中を、Z村方面へ出発した。 1時間ほどで、食品雑貨店に到着。 とりあえず、車列を停め、部長が、店に入った。 事情を訊く為である。 出て来た部長は、社長と重役が乗った車に近づき、運転手に窓を開けさせて、首を中に突っ込んだ。

「うちの社のやつらは、昨日、登山口方面へ行ったきり、一人も戻って来てないそうです」
「Bが、どんな奴か、訊いて来たか?」
「一度、都会へ出て、30過ぎてから、Uターンして来たと言ってました。 家が村から離れてるんで、つきあいは、あまり ないそうです。 あと、妙な事が・・・」
「なんだ?」
「最初の二人が行った日ですが、ちょうど、二人が山に入った頃に、『ドーン!』という、爆発音が聞こえたとか・・・」
「なにっ! 爆弾!? そっち系の奴だったのか!」
「どうします、組長?」
「社長と呼べ」
「社長!」
「過激派だろうが、武道家だろうが、関係ねえ! 今更、引けるか! 腹ぁ括れ! 行くぞ!」


  登山口には、4台の車が乗り捨ててあった。 すぐ隣の敷地が、廃車置き場になっていて、紛らわしかったが、近づいてみると、その4台だけは、見覚えがある車だった。 4台とも、キーは、抜かれていた。 今日、更に、5台が加わったわけだ。

  朝から、ポツポツ降っていた雨が、いつの間にか、本降りになった。 梅雨時の分厚い雲で、昼過ぎなのに、異様に暗い。 村人から聞いた話では、登山口から、Bの家まで、30分くらいだという。 こんな天気で、山に登るなど、非常識だが、ヤクザというのは、本来、非常識なものである。 危険について、あまり、深く考える者はいなかった。

  社長が、一番年長だが、まだ、60代前半で、体力にも自信があり、一人だけ残る気はなかった。 Bの最期を、自分の目で見たかったのだ。 傘は、社長用に一本だけ持って来ていたが、社長が邪魔だと言うので、車に置いて行った。 A商会の16人は、なだらかなザレ場の道を、ぞろぞろと、列を作って、登り始めた。 これだけ、山に似合わないパーティーもなかろう。 革靴を履いている者が多いが、ザレ道なんか歩いたら、傷だらけになってしまうよ。 そんな心配は、余計なお世話か。

  一般市民である私だったら、片道2時間かかっても、車で行ける道があるなら、そちらを選ぶが、ヤクザは、そういう、まどろっこしい安全策を、嫌う傾向がある。 石橋を叩いて渡るなど、最も、ヤクザらしくない考え方なのだ。 直情径行、正面突破、思い切りがいいと言えば言えるが、そういう性格だから、命を落とし易いとも言える。

  最初の2人も、次の4人も、その次の8人も、最後の16人も、誰一人として、遠回りを選ばなかった。 それが、悲劇を産んだのだ。 実にヤクザらしい判断ではないか。 Bの家を襲撃するのが、目的だったのだが、彼らは、そこまで辿り着けなかった。 修羅場は、もっと手前に待っていた。 先に行った14人と同じ場所で、残りの16人も、骸と化す事になったのである。

  以下、A商会の最期の様子を、発話オンリーで、お送りする。 「会話」ではなく、「発話」である。 なぜなら、ほとんど、てんでんバラバラに喋っており、「会話」になっていないからだ。

「こっちは駄目だ! そっちへ行け!」
「馬鹿野郎! 下りて来るなって言ってるのが、聞こえねえのか!」
「どどど毒ガスだっ!」
「苦しい! 苦しいっ!」
「助けてくれ、アニキっ!」
「くそっ! 出て来い、B!」 パン! パン!
「馬鹿っ! 視界が悪いのに撃つな! 身内に当たるぞ!」
「Bの野郎! 殺してやるっ!」
「ちがう! ちがう! ゲホゲホ!」
「ちきしょー! こういう事だったのか! ゲホゲホ!」
「社長!」
「最期くらい、組長と呼べ」
「組長! ご無事ですか・・・、ゲホゲホ!」
「跡目は、生き残った奴に譲る・・・」

  雨は、どんどん激しくなり、3メートル先も定かに見えない、凄まじい豪雨となっていた。 やがて、山の上の方から、「ゴーーーーッ!!」という、地響きを伴った重低音が聞こえて来た。 まだ息があった者だけが、それを聞いた。

「あれも、Bの仕業か?」
「いや・・・、鉄砲水だ」

  言葉らしいものが拾えたのは、以上である。 A商会の面々がいた場所は、浅い谷間だった。 押し寄せた土石流が、一瞬で、谷全体を覆い尽くした。



  30年後の、2023年。 ハイカー・グループの一人が、休憩中に、金属の光が目に入り、地面に何かが埋まっているのに気づいた。 拾った小枝で、少し掘ってみると、なんと、拳銃だった。 ほとんど、錆びていたが、メッキが一部だけ残って、光っていたのだ。 拳銃を掘り出そうとすると、人間の指の骨が出て来た。 警察が呼ばれた。

  骨を掘り出して行くと、一人分ではない事が分かった。 次から次へ、折り重なって白骨化した死体が出て来た。 全部で、30体。 みな、拳銃や、刃物を所持していた。 もちろん、ボロボロに錆びている。 作業が終わり、掘った大穴を、埋め戻すか、そのままにするか、相談が行なわれていた時、「変なニオイがする」と言う者がいた。

「まずい! 火山ガスだ! 退避っ! 退避ーっ!!」

  慌てて避難したが、鑑識課員4人が、入院する騒ぎになった。 A商会の面々を、身動き取れなくしたのも、この有毒ガスだったのだ。 村人が聞いたという、「ドーン!」という爆発音は、小噴火して、ガスの噴気口が出来た時のものだったに違いない。 30年間、登山者に被害がなかったのは、被さった土石の圧力で、噴気が押さえられていたからだろう。

  30体の死体が、何者なのか判明するのに、時間はかからなかった。 30年前に、事務所を空にして、全員 失踪してしまった会社があったからだ。 家族からは、捜索願いが出ていたが、警察は、暴力団が隠れ蓑にしている会社だと知っていたので、真面目に捜査する気はなかった。

  行き先を聞いていた家族が一人もいなかった点は、一般人なら、不自然だが、この場合は、当て嵌まらない。 ヤクザは、仕事の内容を、いちいち、家族に話したりしないものなのである。 大抵、違法行為だから、自慢できる事ではないし、秘密が漏れるのを避ける目的もある。 また、若い者には、同居している家族そのものがいなかったのだ。

  失踪では、事件にならないので、たっぷり脅されていたZ村の人々も、自ら通報する事はなかった。 そもそも、A商会の面々が、その後、どうなったのかも知らなかったのだ。 乗り捨てられた9台の車は、放置一ヵ月後に、廃車解体業者が、素知らぬ顔で、バラバラにし、部品単位で売ってしまった。 誰の車かなど、知った事ではない。 置いて行った方が悪い、という理屈である。

  部長の着衣から、チャック付きビニール袋に入った、Bの借用書と債権譲渡書類が出て来た。 社長Aには、妻子がいて、債権は相続できたのだが、債務者のBが、すでに他界しており、土地・家屋・山林は、換金された上で、国庫に収められていて、回収のしようがなかった。


  半年後、あるテレビ番組が、Bの家を、衛星写真で見つけ、訪ねて来たが、とっくに、空き家になっていた。 取材スタッフは、Z村の食品雑貨店で、何気なく、Bの事を訊いた。

「どんな方だったんですか?」
「うーん。 小柄で、病弱で、痩せてたけど、大人しくて、虫一匹殺せない、優しい人でしたよ」

2024/04/14

パソコン・ネット関連機器 ⑥

  日記ブログの方に書いた記事。 私的な、パソコン・ネット関連機器の変遷史です。 今回も、一台分だけ。 日記からの移植なので、日付が付いている次第。




【2023/10/27 金】
  歴代パソコンの、四台目です。 四台目に関しては、二台目の時に、少し触れています。 2010年7月、居間に置いてあった、二台目のパソコンが壊れてしまい、大急ぎで、代わりを買ってきたもの。

  当時は、まだ、クレカをもっていなくて、ネットでの買い物は、代引き料金で高くなってしまうので、迷わず、実店舗に行きました。 清水町の「O.A ナガシマ」で、スリム・タワー型が、39699円で売っているのを発見。 デザインが良いのが気に入り、性能などは、ほとんど調べずに、買ってしまいました。

  「e Machines(イー・マシーンズ)」というメーカーの、「EL1352-H22C」という機種。 OSは、「Windows 7」。 CPUは、2.7GHz。 メモリーが、2GB。 HDDが、320GB。 DVD±R/±RW/RAM/±RDL・ドライブが付いていました。 起動ディスクは、DVD-Rで作りました。 間違えて、DVD-RAMを買って来てしまい、買い直しに行った事を覚えています。

  イー・マシーンズという会社は、元は、韓国メーカーで、その後、アメリカのゲートウェイ社に買収され、更に、台湾のエイサー社に買収されたとの事。 私が買った時には、エイサー傘下なので、パソコン自体が、エイサーのものなのかもしれません。 ちなみに、2013年には、ブランドが廃止されます。

  39699円という値段は、当時としては、「安くなったなあ」という印象でした。 廉価品とはいえ、最新スペックで、動画対応もしており、それでいて、今までに買ったパソコンの中で、最も安いのだから、ありがたい話です。 まだまだ、発展が続いていてから、どんどん安くなっていたんでしょうねえ。

  しかし、居間のパソコンは、基本的に、母用なので、ちと、問題が起こりました。 パソコンを換えたら、母が、使わなくなってしまったのです。 操作方法は変わらないのですが、高齢者には、ちょっとした変化が、抵抗になるようなのです。 2010年7月から、2014年3月頃までは、居間にあったのですが、その4年弱の間は、ほとんど、私しか使いませんでした。

  2014年4月に、私が仕事で、岩手異動するのを前に、フレッツ光を解約し、居間と、父の部屋のパソコンを、LANケーブルごと、撤去しました。 両親とも、もう、パソコンを使っていなかったからです。 父の部屋にあった、一台目のパソコンは、私の部屋の押入れ行き。 この四台目は、私の部屋の机に入る事になりました。 五台目を、岩手に持って行くので、帰省した時に使うパソコンにするつもりだったのです。

  ところが、私が、岩手で心臓を悪くして、呆気なく、退職。 たった、2ヵ月で、帰って来てしまったので、この四台目は、出番がなくなりました。 送り返した五台目が、机に入り、四台目は、押入れへ。 

  その後、2015年8月に、ふと思いついて、テレビ台の上を整理し、テレビの横に、パソコンを置いて、ベッドに寝ながらでも、インター・ネットができるようにしました。 で、また、四台目の出番となったわけです。 モバイル端末を、USB切替器で分岐して、机のメイン・パソコンと、テレビ横のサブ・パソコン、どちらでも、ネット接続できるようにしました。

  液晶テレビに、パソコン用の端子が付いていた事も、好都合でした。 接続には、2013-14年の北海道応援の時に、苫小牧のハード・オフで買った、中古のケーブルを使いました。 マウスは、掛け布団や、腹の上でも使えるように、新たに、無線式のを買って来ました。 キー・ボードは置けないので、文字入力が必要な時には、スクリーン・キー・ボードを使います。

  以来、その状態を維持しています。 「寝ながらネット」なんか、しなくても、どうにかなるのですが、使えるパソコンを、押入れに死蔵しているのも、どうかと思って。 2019年に、ヤフオクで、オートバイを買ったのですが、その吟味の時には、サブ・パソコンが、役に立ちました。 毎朝、目が覚めると、サブ・パソで、ヤフオクを見ていましたから。 それ以外は、特に、役立ったという事例はありません。


≪写真上≫
  2010年7月、買って来た直後の様子。 新しいパソコンを買っても、やれる事は同じだから、感動は、全くありませんでした。 デザインが良くなった事だけ、満足。 周辺機器が白なのに、パソコンだけ黒という組み合わせは、私の部屋なら、やらなかったと思いますが、居間だから、気にしなかったという次第。

≪写真下≫
  2015年8月に、自室のテレビ横に設置した直後の写真。 パソコンの前側上に載っているのが、USB切替器です。 アマゾンで、千円弱。  レコーダーのリモコン、テレビのリモコンと並んで置いてあるのは、エレコムの無線マウス。 沼津のノジマで、千円ちょっと。 反応は、有線ほどではありません。 妙に電池もちがよくて、単三電池ですが、未だに、一回も交換していません。 使用頻度が低いからでしょうな。

  今でも、ほぼ、同じ状態です。 ここのところ、メイン・パソにしている五台目が、不調になって来たので、我慢できないほどになったら、この四台目と入れ換える予定でいます。

2024/04/07

濫読筒井作品 ⑭

  前回、このシリーズをやったのは、2016年の4月で、えらい、間が開いてしまいました。 2021年の12月に、「読書感想文・蔵出し (81)」で、家にあった本、≪筒井順慶≫の感想を出していますが、新作ではないですし、それからでも、2年以上、経ってしまいました。 今回、図書館にあった8冊を、纏めて読んだので、2回に分けて、感想を出します。





≪ジャックポット≫

株式会社新潮社 2021年2月25日 初版
筒井康隆 著

  沼津図書館にあった、単行本です。 短編14作を収録。 一段組み。 全体のページ数は、274ページ。


【漸然山脈】 約24ページ

  一人称の主人公が、世界を彷徨する話。

  いや、実は、話になっていません。 世界地図を見ながら、思いついた単語や、言い回しを、誤変換させながら、書き連ねたもの。 「書き連ねただけ」と書かないのは、こんな芸当は、普通の人間には、できないからです。 一回 読んだだけでは、「なんじゃ、こりゃ?」ですが、何回か読み返すと、読者側の頭の中で、分析が進んで、意味、というか、元ネタが分かる部分が出て来ます。


【コロキタイマイ】 約28ページ

  漫才の形式を借りて、フランス文学について、連鎖的に批評を加えた、言葉遊びをふんだんに含む話。

  話という話ではないですが、小説は、作家本人が、「小説だ」と言ってしまえば、どんな形式でも、小説になるので、この作品も、小説と言えます。 認めない人は多そうですが。 一度 読んだだけでは分からないが、読み返すと、分かる部分が出て来るのは、【漸然山脈】と同じ。 内容が文学論なので、こちらの方が、ずっと、分かり易いです。

  書き散らされている観が強いですが、出て来る作家名や作品名を書き留めておいて、片っ端から読めば、それ自体、少々、時代遅れではあるものの、フランス文学の勉強になるのは、間違いないです。 筒井さん本人は、当然、これらを読んでいるのであって、すっごい読書量をこなしている事が分かります。

  「どの作家の、どの作品から、パクッて、自分のどの作品に使った」といった、告白まで含まれています。 パクリ作品を発表しても、フランス文学を研究していた人達は、筒井作品を読んでいないから、指摘もしなかったわけだ。 そもそも、研究者、批評家といった類いの文学者は、自分の井戸の中から出て来ないから、世間に名前が知られておらず、何か告発しても、聞いてくれる者がいないわけですが。


【白笑疑】(はくしょうぎ) 約20ページ

  地球規模で、食糧難と、人口減少に見舞われている未来。 一つ目の少女と出会った高齢男性が、独り言のように、文明批評を語る話。

  この作品には、ストーリーがあります。 半分くらい。 しかし、目的は、文明批評の方なので、ストーリーは、オマケのようなもの。 荒れつつある未来の街で、自分を頼りにする少女と出会うというのは、高齢男性の願望でしょうなあ。 まだ、人から頼られる程度の力があるが、歳を取っているのも事実だから、女の方を、一つ目にして、バランスを取っているのでしょう。


【ダークナイト・ミッドナイト】 約22ページ

  ラジオ・パーソナリティーのお喋りの形式を借りて、ハイデガーの哲学に触れつつ、「死」についての考えを語る話。 

  星新一さんが、「早死に」というイメージはなかったのですが、少し若いだけで、ほぼ同年代の筒井さんは、まだ存命なわけだから、比較すると、確かに、早死にだったんですな。 大きな仕事を成し遂げた後であれば、いつ亡くなっても、周囲から、地団駄踏むほど、惜しまれる事はないのであって、ただただ、深く感謝されるわけですが。

  「死」に関する哲学について、ハイデガーさんの、≪存在と時間≫の解説に、そこそこの行数が割かれています。 この作品だけでは、分かり難いので、筒井さんの講演記録、≪誰にもわかるハイデガー 文学部唯野教授・最終講義≫を、その内、読んでみようと思っています。


【蒙霧升降】(ふかききりまとう) 約18ページ

  筒井さん本人が、過去に担当だった編集者を相手に、戦後日本の世相を思い出しながら、批評する話。

  この形式でも、小説なんですなあ。 これから、小説家になりたいという人は、出版界に世話になるなら、真似ないように。 筒井さんのような、ウルトラ大御所様だから、許されるのであって、新人が書いたら、編集者が、青筋立てて激怒するのは、必定。 ネット上で、無料で発表するのであれば、むしろ、歓迎されるかも知れませんが。

  筒井さんが司会をやっていたという、「23時ショー」が、そういう番組だったとは知らなかった。 「クイズ100人に聞きました」は、見ていましたが、言われてみると、確かに、その通りで、ただのアンケート結果が解答というのは、カルト・クイズより、尚、価値が低いかも知れませんな。 そんな事知らなくたって、どうでもいいわけですから。


【ニューシネマ「バブルの塔」】 約22ページ

  詐欺師的小説家が、ロシアから仕事を始め、アメリカで外国作品を盗作して大文豪になり、日本まで来て、仲間を吟味する話。

  批評的な要素が少なく、さりとて、確固としたストーリーがあるわけではなく、スパイ小説のパロディーにしても、ボリュームが少ないし、何とも、評しかねる内容。  まあ、いいか。 筒井さんなら、何でも、許されるのだから。 こういう、やっつけな内容で、22ページ分も書けるというのが、凄いな。


【レダ】 約22ページ

  長男の社長と、次男の副社長が争ってばかりいる会社。 会長である父親が、長男・次男に見切りをつけ、世話をしてくれる若い女性との間に生まれた卵から、新たな息子が生まれて来るのを心待ちしているが、長男・次男が、そうはさせじと・・・、という話。

  梗概だけ読むと、普通の小説のようですが、さにあらず。 これも、語り口がぶっとんでいて、読み難いです。 これといって、言いたい事もないようですが、こういうぶっとんだ語り口には、内容がない方が、合っているような感じもします。


【南蛮狭隘族】 約22ページ

  太平洋戦争で死んだ、日米兵の亡霊が一体となって、双方の残虐行為を語る話。

  この作品も、語り口がぶっとんでいて、読み難いですが、内容は、歴史上の逸話なので、割と、理解し易いです。 全て、実際に起こった事なら、こんな恐ろしい事はない。 嘘が混じっているとしても、こんな嘘を平気で口にする人間がいるというのが、また恐ろしい。 「所詮、人間なんて、猿の延長なのであって、残忍な殺し合いをしても、ちっとも不思議ではない」とでも考えない限り、救われません。 もっとも、猿は、こんなに残忍ではないと思いますが。


【縁側の人】 約22ページ

  ある高齢男性が、縁側で、若い者を捉まえ、過去に日本で流行った、「詩」と、「詩人」、それらに関する事を、語る話。

  ヨーロッパの詩人も多く出て来ますが、あくまで、日本で流行ったものに限定しているので、世界的な広がりは感じません。 詩に興味がある人は限られており、一般読者には、これでも、情報が多過ぎて、アップアップすると思います。 私なんか、詩に全然興味がないから、すぐに、沈没してしまいました。


【一九五五年二十歳】 約18ページ

  筒井さん本人が、同志社大学時代に、演劇にのめりこんでいた頃の事を回想した話。

  たぶん、全て、実話。 小説というより、回想記、もしくは、期間を区切った、自伝なのですが、まあ、分類が何かは、どうでもいいか。 当時、同大学で、演劇に関わっていた人達なら、懐かしさを感じると思いますが、その方たちも、すでに、80代なわけで、高齢者施設に入っていても、おかしくない年齢。 この本を手にする機会はないかなあ。


【花魁櫛】(おいらんぐし) 約8ページ

  夫の祖先から伝わった遺品である、花魁の櫛。 夫が遊女の子孫である事を恥じる妻は、すぐに処分してしまおうとするが、鑑定者の専門度が上がるたびに、値段が一桁高くなる。 金に目が眩んだ妻は、なかなか、売ろうとしなくなり・・・、という話。

  この短編集の中では、唯一、ストーリーがある話。 他が、読み難いせいか、相対的に、大変、読み易く、面白く感じられます。 まあ、8ページだから、ささやかな掌編作品ですけど。

  ラストですが、妻が狂ってしまったのか、はたまた、櫛の値段が上がり過ぎて、お金に替えるよりも、自分自身が使った方が、自分にとって、価値があると考えたのか、二つの解釈が考えられます。


【ジャックポット】 約24ページ

  新型肺炎(コロナ)禍、ごく初期と、少し経ってからの、混乱ぶりを語ったもの。

  発表が、2020年8月なので、その時点での、途中経過のようなもの。 世界の混乱ぶりを、作者自身も混乱しながら、ぶっとんだ文体で語っているから、もう、グチャグチャです。 今から振り返ると、20年8月では、流行は、まだ、初期の内でして、何も分かっていなかったと言っても、過言ではない時期。 まだ、終息したわけではないから、未だに分かっていないとも言えますが。

  全世界で、何百万人、死んだ事か。 日本国内でも、確実なところで、7万人以上。 超過死亡数だと、13万人以上、死んだわけですが、犠牲者が多過ぎて、洒落にならないところがないでもなし。 パロディーに分厚い実績がある筒井さんだから、こういう作品を書いても許されるわけで、他の作家が書いたら、「不謹慎!」の一言で、業界から抹殺されると思います。


【ダンシングオールナイト】 約16ページ

  筒井さん本人が、若い頃の、音楽・社交ダンス遍歴を語ったもの。

  音楽の方は、やはり、ジャズが中心です。 社交ダンスが得意だったとは、初耳ですが、踊っている姿を見てみたかったですねえ。 1996年の映画、≪Shall we ダンス?≫に、役がなくて出そびれたそうですが、周防監督よ、なぜ、役を作ってでも出てもらわなかったのだ。 筒井さんの読者が、映画館に押しかけただけでなく、大変貴重な映像になったに違いないのに。


【川のほとり】 約8ページ

  筒井さん本人が、夢の中で、先に他界した息子さんに出会い、自分の頭で作り出した夢だと承知しながら、ぎこちない会話を交わす話。

  息子の伸輔さんは、画家で、筒井さんが、2012・13年に、朝日新聞に連載した、【聖痕】という小説に、挿絵を描いていたので、作風は、すぐに、ピンと来ます。 食道癌を患い、2020年に、51歳で、亡くなったとの事。 この単行本、≪ジャックポット≫の装画も、伸輔さんの作品。

  偉大な父親の七光りを当てにせず、別の分野で、芸術家として一本立ちしたのも凄いけれど、作品を見れば、「これぞ、本物の美術!」という、大変な迫力。 全身全霊を傾けて、取り組んでいたんでしょうねえ。 惜しい方を亡くしました。

  子供に先立たれた方の心中は、他人には、計り知れないものがあります。 余計な感想は書かず、息子さんのご冥福をお祈りするだけにします。



  短編集、≪ジャックポット≫の総括ですが、【川のほとり】は別扱いとして、大抵の読者は、【花魁櫛】しか分からないと思います。 私も、どちらかというと、その口ですが、それはさておき。 【花魁櫛】だけ、「ものがたり by mercary」で、他の、ぶっとんだ文体の作品は、純文学雑誌に掲載されたものです。

  ぶっとんだ作品の中で、ダジャレが連発されるので、「筒井先生、そこらのオッサンによく見られる、『中高年ダジャレ症』に罹っているのでは?」と思う人もいるかと思いますが、こ、こ、こらっ! 失敬な事を言うな! 「地上に舞い降りた、最後の文豪」と讃えられている筒井大先生に向かって、何たる雑言!

  君は、文芸批評に疎い人だねえ。 ダジャレなどという下賎なものでは、断じて、ない! 「二重含意」と言うのだ! 二重含意をふんだんに鏤めた作品を読んだら、「ジョイスの本歌取り」と賞賛するのが、前衛文学界の高雅な礼節とされている。 恥を掻きたくなかったら、覚えておきたまえ。

「そのジョイスさんとやらも、中高年ダジャレ症だったんじゃないの?」

  ぶ、ぶ、ぶ、無礼な! 君は、分析能力の低い人だねえ。 脳の中で、同じメカニズムで作り出される言葉であっても、そこらのオッサンが口にするのは、ダジャレに過ぎないのに対し、文学者としての業績を認められた人が書けば、二重含意となるのだ。 同じ行為でも、行為者が誰かによって、意味合いが変わって来るのは、人殺しを、個人がやれば、犯罪であるのに対し、国家がやれば、法の執行になるのと同様だ。

「はあ。 そーゆーもんすかねえ」

  分かれば、宜しい。 君のように若い人達は、中高年ダジャレ症の辛さを、実感として理解できないだろう。 知っている語彙が豊富なほど、脳髄の奥から噴泉の如く湧き出ずるダジャレの奔流に、いいように翻弄されてしまうのだ。 自分が喋る言葉だけでなく、話し相手の言葉まで、ダジャレに聞こえてしまうのだぞ。 「ありません」が、全て、「有馬温泉」に聞こえてしまう悲痛を想像できるか?

  患者が文筆業者で、転んでもタダでは起きない性格の場合、「勿体ないから、これで、ひと儲けしてやろう」と、作品に盛り込みたくなるのも、無理からぬ事。 もっとも、それが許されるには、編集者に有無を言わせない、作家としての「格」が必要とされるわけなのだが。




≪老人の美学≫

新潮新書 835
株式会社新潮社 2019年10月20日 初版
筒井康隆 著

  沼津図書館にあった、新書本です。 「はじめに」と、「後記」を含めて、155ページ。


  80代以降になって、ようやく、老境に至った事を感じ始めた作者が、老いについて、前向きに語る内容。

  小説ではないから、梗概は、不要か。 非常に、読み易い本で、普通の読書家なら、3時間もあれば、飛ばし読みなしで、読み切れると思います。 新書と言っても、80年代までの、学術入門書とは違って、90年代以降は、ずっと、砕けたものになっており、執筆者も、特に学者というわけではなし。 読み易いのも当然か。 ≪アホの壁≫を読んでいれば、ほぼ、同じノリで読めます。

  筒井さんの、少し若い頃の作品、【敵】、【わたしのグランパ】、【愛のひだりがわ】、【銀齢の果て】など、老人が出て来る小説を題材に取りつつ、語って行くのですが、些か、違和感あり。 どうも、筒井さんが考える老人は、美化され過ぎているのではないかと思うのです。

  【わたしのグランパ】の、五代謙三は、明らかに、カッコ良過ぎで、「こんな老人は、いないだろう」と思ったものですが、なんと、筒井さんの身内に、実在のモデルがいたとの事。 モデルがいるんじゃ、否定のしようがありませんが、少なくとも、現代では、いないと思いますねえ。 いるとしても、刑務所に入ったり出たりしているでしょう。 「老人の美学」というより、「ヤクザ者の美学」と言うべき。

  【敵】の、渡辺儀助は、ずっと、現実感がありますが、それでも、まだ、美化し過ぎている。 元大学教授で、時々、講演をしているというのが、もう、一般的ではないです。 どうも、筒井さん、老人を登場人物にする時には、自分自身、もしくは、自分の一部分をモデルにしているから、カッコ良くなってしまうようですな。 実際の一般的な老人は、もっとずっと、カッコのつかない、醜い存在です。

  おそらく、筒井さん自身が、何歳になっても、周囲の人々から、価値を認められているから、「老人は醜い」という考え方を受け入れられないんでしょう。 現実の老人は、「いない方がいい」と思われているものでして、それは、引退者すべてに言える事。 80代どころか、引退している人間は、20代でも、醜いです。 引きこもり青年を見ると、如実に、それが分かります。

  私は、現在、59歳ですが、50歳で引退してから、すぐに、それを悟り、極力、人前に出ないように生きて来ました。 買い物や、銀行、図書館くらいは行きますが、他人と交流しようなんて気は、微塵も持っていません。 新型肺炎流行以降は、マスクをしていても、誰も何とも思わないから、むしろ、好都合な世の中になったと言えます。

  つまりその、筒井さんは、何歳になっても、「醜い老人」と見てもらえないんですよ。 もともと、イケメンである上に、小説家として、余人に真似のできない、偉大な業績を積み上げており、そんな人を、「醜い」なんて、誰も思いません。 「存在の醜さ」の対象になりえないのです。 そういう「醜い老人ライセンス」を持っていない人が、こういう本を書くのは、ちと、無理があるのではないかと思います。

  まだ、若くて、「老いについて、考えた事が、ほとんどない」という読者なら、こんな感想を抱かないと思いますが、そういう人達は、「読み易いな」とは思っても、この本の内容が、ほとんど、頭に残らないと思います。 何せ、老いに興味がないから。

  美しい老人である為のアドバイスが、幾つか書かれていますが、化粧や演技のように、一般の男性高齢者では、できない事が多いので、あまり、参考になりません。 筒井さんは、俳優もやっていたから、特別なのです。 どうも、この著作そのものが、作者の遠回しな、「自慢」なのではないかと疑いたくなるところですが、それは、穿ち過ぎか・・・。

  一般論ですが、とにかく、「もはや、自分は、世の中に要らない人間である」と悟ったら、人目を避ける事ですな。 他に、生きて行く方法がないです。 毎日、散歩に出るだけなら、誰も文句は言いませんが、折返し地点で、縁もゆかりもない月極駐車場の空きスペースに腰を下ろし、弁当を広げたり、煙草を吸ったり、駐車場の隅で、立ち小便したりしたら、周囲の家の人達から、「死ね! ジジイ!」と思われない方がおかしい。 それでいて、本人は、「散歩を楽しんでいる、悠々自適のおじいちゃん」くらいに思われていると思っているのだから、始末に負えぬ。

  話を、感想に戻しますが、私が個人的に、大変、興味深く読んだのが、「八 美しい老後は伴侶との融和にあり」の章です。 仲がいい夫婦の実例として、筒井さんと、奥さんの事が書かれているのですが、「事実は小説より奇なり」を、地で行くような内容。 これは、一般的な例とは言えないような気もしますが、仲がいい夫婦の一例である事は、確かでしょう。

  実際には仲が良くないのに、外ヅラだけ、仲がいいフリをする夫婦がいますし、知能の高い人は、戦略的に嘘をつく事が、よくありますが、筒井さん御夫婦の、この例は、妙にリアリティーがあり、想像で作り上げたものとは思えません。 「夫婦」は、「親子」と並んで、人間関係の基本であり、互いの信頼が第一というのは、こういう事なのでしょう。

  性格が、夫婦で、正反対というのも、面白い。 とりわけ、食器を落として割った時の反応は極端で、筒井さんの反応で、爆笑し、奥さんの反応で、大爆笑します。 あまりにも面白いので、この部分だけは、創作ではないにしろ、脚色が入っているのではないかと思うくらいに。




≪笑犬楼 VS. 偽伯爵≫

株式会社新潮社 2022年12月25日 発行
筒井康隆 蓮實重彦

  沼津図書館にあった、ソフト・カバーの単行本です。 168ページ。


  筒井康隆さんと、文芸評論家の蓮實重彦さんの、「対談」、「評論」、「往復書簡」を収めたもの。


  「対談」は、大江健三郎さんをテーマにしたものです。 お二方とも、大江作品についても、大江さん本人についても、褒めちぎり。 ほとんど、読んでいるからこそ、できる事であって、大江作品を多くは読んでいない、もしくは、全く読んでいない人は、何の話をしているのか、全く興味を引かれないと思います。 理の当然か。

  大江さんの読者なら、分かるは分かるでしょうが、その反面、異論・反論も、多い事でしょうなあ。 難解な作品は、様々な解釈を許し易く、「自分だけが、大江作品の、真の理解者である」と思っている人が多いと思いますから。


  「評論」は、互いの作品を、一作ずつ、取り上げたもの。 蓮實さんは、小説も書いていて、その作品が、筒井さんによる評論の対象になっていますが、私は、読んでいないので、ピンと来ません。 筒井作品の方は、【時をかける少女】が対象で、読んでいる人が多いから、蓮實さんによる評論も、分かり易いと思います。

  蓮實さんは、【時をかける少女】をベタ誉めしているのですが、筒井さん本人が、同作を、「自分らしくない」と思っている事も承知している様子。 それでも、敢えて、同作を取り上げたのは、筒井さんに対してではなく、この本を読むであろう、筒井ファンに対して、受けの良さを狙ったのではないかと思います。 そういうところに、蓮實さんの頭の良さが窺えます。 筒井さんも、頭の良さに関しては、日本屈指なので、見抜いていると思いますが、どの作品であっても、高名な評論家から誉められて、不満は覚えないでしょう。


  「往復書簡」は、お二方が、子供の頃から、若い頃にかけて見た、映画の話が多いです。 ちなみに、筒井さんの方が、蓮實さんより、2歳年上。  私は、まるまる、一世代違うので、映画のタイトルを見ても、ほとんど、分かりません。 分かるのは、現在、80代後半の世代という事になりますが、それに該当する人達は、もう、本を読んでいないでしょう。


  知性、知識、教養、情報、いずれにも長けた方々のやりとりは、大変、知的で、好ましい雰囲気がありますが、それを楽しめる読者が、すでに失われているのは、寂しい事ですな。 蓮實さんが、「今の若者は、本なんて読まない」と書いていますが、正にその通りで、紙の本のみならず、たぶん、スマホでも、読んでいないと思います。 そんな時間があったら、動画を見る方に回すでしょう。

  お二方とも、出版物で食って来た人生なので、本を読む人間がいなくなると、困るわけですが、年齢を考えると、もう、逃げ切ったと言ってもいいですかね。 文芸文化の一番、おいしい時期を、食べて行ったわけだ。




≪筒井康隆、自作を語る≫

早川書房 2018年9月25日 発行
筒井康隆 著
日下三蔵 編

  沼津図書館にあった、ソフト・カバーの単行本です。 巻末の、全著作リストも入れて、233ページ。


  第一部は、2014、15、16、17年と、四回に分けて、聴衆を入れたトーク・イベントで、日下三蔵さんが、筒井さん本人と、筒井さんの著作について、語り合った様子を、文章に起こしたもの。 日下さんは、聞き手、筒井さんは、答え手なので、対談とは、趣きが異なります。 インタビュー対談とでも言うべきか。

  第二部は、徳間文庫の、自選短編集6冊の解題にする為に、2002年に行われた、同様のインタビュー対談を、纏めて収録したもの。

  そして、巻末に、全著作リスト。 巻末と言っても、40ページくらいあるので、侮れません。 ざっと目を通すくらいが関の山で、全て読む人はいないと思います。 研究資料なんですな。

  第一部の方が、第二部より、時間的に後になるので、より詳しいです。 同じ作品が取り上げられた場合、内容に、重複もありますが、それは、致し方ない。 第二部の方が、筒井さんの記憶が確かなのは、聴衆がいない場だったから、下調べが利いていたのでは?

  第一部では、記憶違いを、御自身で告白する場面が何ヵ所か出て来ますが、70年近い年月に渡る、膨大な数の作品の記憶ですから、その程度の記憶違いしか起こさないというのが、凄い事。 やはり、常人とは、脳の構造が違うわけですな。

  日下三蔵さんは、ミステリ・SF評論家で、作家の書誌編纂も仕事の内。 横溝正史作品に、中島河太郎さんが果たした役割と、同じような関係でしょうか。 作家のかたは、自分の作品について、自分より詳しい者の存在を、あまり、快く思わないのではないかと思いますが、この本のインタビュー対談は、第一部も第二部も、和気藹々と進んでいて、読んでいて、ヒヤヒヤするような場面はありません。

  若い頃に噂になった事を、高齢になってから、「あれは、嘘です」と、否定している場面が、ちょこちょこ出て来ますが、筒井さんは、俳優でもあるので、真顔で演じられてしまうと、本当か嘘か、周囲には分かりません。 作家も人気商売ですから、若い頃は、話題作りの為に、わざと、奇矯な人物を演じていたのが、後年、文豪と見做されるようになってから、文豪に相応しく見られるように、イメージを変更したという事も考えられます。

  常人では、そんな事は、とてもできないと思うところですが、知能の高い人には、不可能ではないんでしょうな。 筒井さんが、同じ天才でも、狂人型の天才と明白に違うのは、自分の頭の良さを、自分で制御できる点でして、優れた知能を、これだけ、うまく使いこなした人も、古今東西、稀だと思います。 コンピューターに譬えれば、狂人型の天才は、メモリーだけ、常人より一桁多くて、CPUは、むしろ、一桁能力が低いのに対し、筒井さんは、メモリーも、CPUも、常人より一桁二桁 上なわけだ。

  それにしても、長い作家生活ですなあ。 しかも、全期間に渡って、名作・傑作が、目白押し。 ひとたび、売れっ子になるや、ずっと、第一線、というか、別格、断トツで走り抜けて来たのだから、途轍もない人もあったもんだ。 「文豪」程度では、言葉が足りぬ。 「大文豪」でも、まだ、足りぬ。 日本文化への貢献度という尺度で測ると、鴎外級、漱石級を遥かに凌ぎ、紫式部級との間に、筒井康隆級を新設しなければならないほどです。

  ・・・・、誉め過ぎかな? いや、そんな事はない。 私が、筒井さんについて書くのも、私の健康状態から考えて、いつ最後になるか分からないので、この場で、大盤振る舞いしておきましょう。

  私は、筒井さんが、どんな賞をもらっても、ちっとも不思議だと思いません。 村上春樹さんが、ノーベル文学賞をもらったら、「選考基準が変わったのかな?」と、首を傾げるところですが、筒井さんなら、何の意外性も感じません。 相応しい作品を山ほど書いているからです。

  そもそも、ノーベル文学賞でも、筒井さんには、賞の価値が不足でして、もらう側より、やる側に回るべきかと。 ここはやはり、日本の出版界で基金を用意して、「筒井康隆賞」を設けるべきでしょう。 全世界から、推薦させて、筒井作品的な際立った特徴を備えた小説に、授与するわけです。 もちろん、面白くなければ、もらう資格がないわけで、真に筒井さんクラスとなると、該当作が、100年くらい出ない恐れもありますが・・・。

  ・・・・、誉め過ぎかな? いや、まだ、足りないかも知れぬ。 それほど、偉大な人物なんだわ、筒井さんは。




  読んだ期間は、

≪ジャックポット≫が、2023年12月19日から、21日まで。
≪老人の美学≫が、2024年1月2日から、3日まで。
≪笑犬楼 VS. 偽伯爵≫が、1月14日。
≪筒井康隆、自作を語る≫が、1月30日から、2月4日。

  読書意欲が減退していて、一回に借りる数が、一冊になってしまっていたので、やたらと、間隔が開いています。 そんな状態でも、筒井さんの本は、面白かったです。 若い頃から読んでいるので、慣れている点が大きいのだと思います。