EN125-2Aでプチ・ツーリング (57)
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、57回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年5月分。
【伊豆の国市神島・磨崖仏】
2024年5月5日。 伊豆の国市・神島にある、「磨崖仏」へ行って来ました。 ネット地図に、史跡として出ていたところ。 実は、現在の伊豆市に含まれる、旧修善寺町のつもりで行ったのですが、神島は、現在の伊豆の国市に含まれる、旧大仁町でした。
≪写真1≫
狩野川沿いの道路から、一本中に入った道路を進むと、右手に、こんな景色が見えます。 白い家の方に向かう畦道のような道があり、歩いて行くと、森の中の史跡に着きます。 自転車でも、下りて押してなら、行けますが、ロックがあるなら、舗装道路に置いて行った方が、無難。
≪写真2≫
これが、磨崖仏が彫られた、岩です。 教育委員会による、解説板あり。 江戸時代末期のものらしいです。 岩の前にあるのは、お供え物を置く台。 右手前に、石製の祠あり。 これは、他から、移されて来たのかも知れません。
≪写真3左≫
これが、磨崖仏。 虚空蔵菩薩で、縦80センチ、横50センチと、解説板にあります。 シンプルな彫りの割には、顔の表情に、温和さが、良く出ています。
≪写真3右上≫
傍らにあった、石製の祠。 これも、他から、移されて来たのかも。 磨崖仏は、仏物であるのに対し、祠は、神物ですから、いくら、神仏習合とはいえ、最初から、同じ場所に置かないでしょう。
≪写真3右下≫
森の中から、狩野川の方を見ました。 森の木を額縁代わりにして、明るい方を見ると、現地では、いい雰囲気ですが、写真に撮ると、さほど、いいと思えないのは、なぜだろう?
≪写真4左≫
森の入口に出ていた注意書き。 【「わな」があります 周辺にご注意下さい】。 素直に、注意しましたよ。 トラバサミに脚を挟まれたのでは、敵わない。 怖いなあ、もう。
≪写真4右≫
カメラのバッテリーが切れて、現地で、バイクを撮影できなかったので、代わりに、出かける前に撮った、メーターの写真を出します。 走行距離を知る為に、出かける前と、帰って来た後、メーターの写真を撮っています。
オド・メーター、「32283」キロ。 2019年9月、中古で買った時には、「26294」キロでしたから、4年半で、まだ、6千キロ弱しか走っていません。 プチ・ツー・オンリーだと、こんなものか。
【伊豆の国市神島・金刀比羅神社】
2024年5月17日。 伊豆の国市・神島にある、「金刀比羅神社」へ行って来ました。 「こんぴら」は、「金比羅」なので、「金刀比羅」は、「ことひら」と読むのでしょうか? 狩野川に架かる、神島橋の、左岸袂、山の高台にあります。
≪写真1左≫
これが、入口。 橋よりも、少し北側にあります。 バイクを停める場所がなくて、路肩に停めました。 狩野川の土手上にも停められますが、悪戯されると、まずいと思って。 この辺り、交通量が少ないので、路肩に停めておいても、さほど、危険ではありません。
≪写真1右≫
こんな竹藪の中を、3分くらい、登って行きます。
≪写真2≫
境内。 中腹というほど、高い所ではないです。 どうして、こういう高台が出来たのか、不思議。 削って、均したんでしょうか。
社殿は、人間が入れないサイズ。 拝殿というより、覆いです。 中に、小さい社が入っており、それが、本殿。 手前の鳥居は、木製。 朱塗りでない木製鳥居は、珍しいです。
≪写真3左≫
昨今では珍しくなった、外置きの賽銭箱。 木製。 日曜大工でも作れそうですが、プロに発注すると、結構 高いんでしょうな。
社殿、鳥居、賽銭箱と、神社アイテムは、最少クラス。 この境内の、現代風な造成から見て、昔から、ここにあったとは思えません。 どこか、他から、移して来たんでしょうか?
≪写真3右≫
境内から見下ろした、神島橋。 対岸は、旧大仁町の市街地です。
≪写真4≫
境内から見た、大仁のランドマーク、「城山」。 「じょうやま」と読みます。 この角度からだと分かりませんが、大きな岩でして、岩登りの聖地になっています。
【伊豆の国市神島・梅原寛重の碑】
2024年5月21日。 伊豆の国市・神島にある、「梅原寛重の碑」へ行って来ました。 神島橋より、少し南へ行った所にあります。
≪写真1≫
「神益麻志神社」の隣にあります。 境内の一部なのかもしれません。 境内に上がる、車用坂道の横にあるのです。 この坂道、異様に急傾斜で、よほど慣れた人でないと、車で上がるのは、無理。 バイクなど、以ての外。 オフ・ロードの経験がある人でも、勧めません。 転倒必至。
≪写真2≫
解説板。 この大きさなら、そのまま、読めます? 梅原寛重さんは、地元出身の植物学者で、江戸時代から明治にかけて、農業技術の普及に努めた人のようです。
≪写真3左≫
石碑。 これ以上、近づかなかったので、漢文なのか、漢字仮名交じりなのか、不詳。 いずれにせよ、解説板があるのなら、そちらを読みます。
≪写真3右≫
すぐ隣にある、神益麻志神社。 「かみますまし・じんじゃ」と読みます。 2013年の5月、城山、葛城山、発端丈山の登山をした時に、ここに寄っており、今回は、入りませんでした。
≪写真4左≫
神社の、道路を挟んで向かい側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 他に、停める場所がなかったのです。 後ろにある、石の柱は、何か、神社アイテムなのかもしれません。
≪写真4右≫
バイクを停めた所から、狩野川方向に、歩いてみました。 黄緑色の斜面が、土手。 上まで登るには、粋狂心が足らず、ここで、引き返して来ました。 私も、歳を取った。 もう、今年は、還暦だものなあ。
【伊豆の国市三福・御嶽神社】
2024年5月29日。 伊豆の国市、旧大仁町の、三福にある、「御嶽神社」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。
一度、ロストして、見知らぬ土地をテキトーに走り回りましたが、知っている場所に行き当たりません。 幹線道路まで戻り、曲がるべき交差点を見つけ直して、何とか、辿り着ました。 家から遠い所で、ロストすると、ヒヤヒヤします。
以前、行った、熊野神社から近いですが、入り組んだ住宅地の高い所にあり、予め道を調べておかないと、まず絶対、見つけられません。
≪写真1≫
神社の前が、道路、そして、崖なので、これ以上、後退できず、全景が撮れませんでした。
≪写真2左≫
道路の近くに並んでいた、石塔。 神社の境内には、普通、置きませんが、墓石っぽいですな。
≪写真2右≫
石燈籠。 これ一つだけでした。 シンプルですが、笠や火袋の造りを見ると、プロの作である事が分かります。 竿が四角柱だと、安く出来るのかも知れませんな。
≪写真3左≫
社殿の背面。 拝殿・本殿、一体型。 飛び出している部分の中に、小さい社が置いてあるわけですな。
≪写真3右≫
名額。 右から、「社神嶽御」。 その下に、牛蒡注連。 輝きからして、割と新しいと思われる、鈴があります。 特に、その神様に用がない限り、鈴には触らない方が、無難。 勢いよく、ガラガラやっていると、落っこちて来る恐れがあるからです。 それでなくても、音が近所迷惑ですし。
≪写真4≫
神社の前の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 通行の邪魔にならないように、崖側の路肩に停めました。 崖は、10メートルくらいの高さ。 幅員が狭くて、Uターンができず、跨って、エンジンをかけずに、バックし、広い所まで戻りました。 ヒヤヒヤだ。
今回は、ここまで。
5月は、現伊豆市、旧修善寺町に行くつもりでいたんですが、最初に行った磨崖仏が、現伊豆の国市、旧大仁町だった事に、後になってから気づき、やむなく、大仁町を先に回った次第。
【伊豆の国市神島・磨崖仏】
2024年5月5日。 伊豆の国市・神島にある、「磨崖仏」へ行って来ました。 ネット地図に、史跡として出ていたところ。 実は、現在の伊豆市に含まれる、旧修善寺町のつもりで行ったのですが、神島は、現在の伊豆の国市に含まれる、旧大仁町でした。
≪写真1≫
狩野川沿いの道路から、一本中に入った道路を進むと、右手に、こんな景色が見えます。 白い家の方に向かう畦道のような道があり、歩いて行くと、森の中の史跡に着きます。 自転車でも、下りて押してなら、行けますが、ロックがあるなら、舗装道路に置いて行った方が、無難。
≪写真2≫
これが、磨崖仏が彫られた、岩です。 教育委員会による、解説板あり。 江戸時代末期のものらしいです。 岩の前にあるのは、お供え物を置く台。 右手前に、石製の祠あり。 これは、他から、移されて来たのかも知れません。
≪写真3左≫
これが、磨崖仏。 虚空蔵菩薩で、縦80センチ、横50センチと、解説板にあります。 シンプルな彫りの割には、顔の表情に、温和さが、良く出ています。
≪写真3右上≫
傍らにあった、石製の祠。 これも、他から、移されて来たのかも。 磨崖仏は、仏物であるのに対し、祠は、神物ですから、いくら、神仏習合とはいえ、最初から、同じ場所に置かないでしょう。
≪写真3右下≫
森の中から、狩野川の方を見ました。 森の木を額縁代わりにして、明るい方を見ると、現地では、いい雰囲気ですが、写真に撮ると、さほど、いいと思えないのは、なぜだろう?
≪写真4左≫
森の入口に出ていた注意書き。 【「わな」があります 周辺にご注意下さい】。 素直に、注意しましたよ。 トラバサミに脚を挟まれたのでは、敵わない。 怖いなあ、もう。
≪写真4右≫
カメラのバッテリーが切れて、現地で、バイクを撮影できなかったので、代わりに、出かける前に撮った、メーターの写真を出します。 走行距離を知る為に、出かける前と、帰って来た後、メーターの写真を撮っています。
オド・メーター、「32283」キロ。 2019年9月、中古で買った時には、「26294」キロでしたから、4年半で、まだ、6千キロ弱しか走っていません。 プチ・ツー・オンリーだと、こんなものか。
【伊豆の国市神島・金刀比羅神社】
2024年5月17日。 伊豆の国市・神島にある、「金刀比羅神社」へ行って来ました。 「こんぴら」は、「金比羅」なので、「金刀比羅」は、「ことひら」と読むのでしょうか? 狩野川に架かる、神島橋の、左岸袂、山の高台にあります。
≪写真1左≫
これが、入口。 橋よりも、少し北側にあります。 バイクを停める場所がなくて、路肩に停めました。 狩野川の土手上にも停められますが、悪戯されると、まずいと思って。 この辺り、交通量が少ないので、路肩に停めておいても、さほど、危険ではありません。
≪写真1右≫
こんな竹藪の中を、3分くらい、登って行きます。
≪写真2≫
境内。 中腹というほど、高い所ではないです。 どうして、こういう高台が出来たのか、不思議。 削って、均したんでしょうか。
社殿は、人間が入れないサイズ。 拝殿というより、覆いです。 中に、小さい社が入っており、それが、本殿。 手前の鳥居は、木製。 朱塗りでない木製鳥居は、珍しいです。
≪写真3左≫
昨今では珍しくなった、外置きの賽銭箱。 木製。 日曜大工でも作れそうですが、プロに発注すると、結構 高いんでしょうな。
社殿、鳥居、賽銭箱と、神社アイテムは、最少クラス。 この境内の、現代風な造成から見て、昔から、ここにあったとは思えません。 どこか、他から、移して来たんでしょうか?
≪写真3右≫
境内から見下ろした、神島橋。 対岸は、旧大仁町の市街地です。
≪写真4≫
境内から見た、大仁のランドマーク、「城山」。 「じょうやま」と読みます。 この角度からだと分かりませんが、大きな岩でして、岩登りの聖地になっています。
【伊豆の国市神島・梅原寛重の碑】
2024年5月21日。 伊豆の国市・神島にある、「梅原寛重の碑」へ行って来ました。 神島橋より、少し南へ行った所にあります。
≪写真1≫
「神益麻志神社」の隣にあります。 境内の一部なのかもしれません。 境内に上がる、車用坂道の横にあるのです。 この坂道、異様に急傾斜で、よほど慣れた人でないと、車で上がるのは、無理。 バイクなど、以ての外。 オフ・ロードの経験がある人でも、勧めません。 転倒必至。
≪写真2≫
解説板。 この大きさなら、そのまま、読めます? 梅原寛重さんは、地元出身の植物学者で、江戸時代から明治にかけて、農業技術の普及に努めた人のようです。
≪写真3左≫
石碑。 これ以上、近づかなかったので、漢文なのか、漢字仮名交じりなのか、不詳。 いずれにせよ、解説板があるのなら、そちらを読みます。
≪写真3右≫
すぐ隣にある、神益麻志神社。 「かみますまし・じんじゃ」と読みます。 2013年の5月、城山、葛城山、発端丈山の登山をした時に、ここに寄っており、今回は、入りませんでした。
≪写真4左≫
神社の、道路を挟んで向かい側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 他に、停める場所がなかったのです。 後ろにある、石の柱は、何か、神社アイテムなのかもしれません。
≪写真4右≫
バイクを停めた所から、狩野川方向に、歩いてみました。 黄緑色の斜面が、土手。 上まで登るには、粋狂心が足らず、ここで、引き返して来ました。 私も、歳を取った。 もう、今年は、還暦だものなあ。
【伊豆の国市三福・御嶽神社】
2024年5月29日。 伊豆の国市、旧大仁町の、三福にある、「御嶽神社」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。
一度、ロストして、見知らぬ土地をテキトーに走り回りましたが、知っている場所に行き当たりません。 幹線道路まで戻り、曲がるべき交差点を見つけ直して、何とか、辿り着ました。 家から遠い所で、ロストすると、ヒヤヒヤします。
以前、行った、熊野神社から近いですが、入り組んだ住宅地の高い所にあり、予め道を調べておかないと、まず絶対、見つけられません。
≪写真1≫
神社の前が、道路、そして、崖なので、これ以上、後退できず、全景が撮れませんでした。
≪写真2左≫
道路の近くに並んでいた、石塔。 神社の境内には、普通、置きませんが、墓石っぽいですな。
≪写真2右≫
石燈籠。 これ一つだけでした。 シンプルですが、笠や火袋の造りを見ると、プロの作である事が分かります。 竿が四角柱だと、安く出来るのかも知れませんな。
≪写真3左≫
社殿の背面。 拝殿・本殿、一体型。 飛び出している部分の中に、小さい社が置いてあるわけですな。
≪写真3右≫
名額。 右から、「社神嶽御」。 その下に、牛蒡注連。 輝きからして、割と新しいと思われる、鈴があります。 特に、その神様に用がない限り、鈴には触らない方が、無難。 勢いよく、ガラガラやっていると、落っこちて来る恐れがあるからです。 それでなくても、音が近所迷惑ですし。
≪写真4≫
神社の前の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 通行の邪魔にならないように、崖側の路肩に停めました。 崖は、10メートルくらいの高さ。 幅員が狭くて、Uターンができず、跨って、エンジンをかけずに、バックし、広い所まで戻りました。 ヒヤヒヤだ。
今回は、ここまで。
5月は、現伊豆市、旧修善寺町に行くつもりでいたんですが、最初に行った磨崖仏が、現伊豆の国市、旧大仁町だった事に、後になってから気づき、やむなく、大仁町を先に回った次第。