2024/06/30

EN125-2Aでプチ・ツーリング (57)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、57回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年5月分。





【伊豆の国市神島・磨崖仏】

  2024年5月5日。 伊豆の国市・神島にある、「磨崖仏」へ行って来ました。 ネット地図に、史跡として出ていたところ。 実は、現在の伊豆市に含まれる、旧修善寺町のつもりで行ったのですが、神島は、現在の伊豆の国市に含まれる、旧大仁町でした。

≪写真1≫
  狩野川沿いの道路から、一本中に入った道路を進むと、右手に、こんな景色が見えます。 白い家の方に向かう畦道のような道があり、歩いて行くと、森の中の史跡に着きます。 自転車でも、下りて押してなら、行けますが、ロックがあるなら、舗装道路に置いて行った方が、無難。 

≪写真2≫
  これが、磨崖仏が彫られた、岩です。 教育委員会による、解説板あり。 江戸時代末期のものらしいです。 岩の前にあるのは、お供え物を置く台。 右手前に、石製の祠あり。 これは、他から、移されて来たのかも知れません。

≪写真3左≫
  これが、磨崖仏。 虚空蔵菩薩で、縦80センチ、横50センチと、解説板にあります。 シンプルな彫りの割には、顔の表情に、温和さが、良く出ています。

≪写真3右上≫
  傍らにあった、石製の祠。 これも、他から、移されて来たのかも。 磨崖仏は、仏物であるのに対し、祠は、神物ですから、いくら、神仏習合とはいえ、最初から、同じ場所に置かないでしょう。

≪写真3右下≫
  森の中から、狩野川の方を見ました。 森の木を額縁代わりにして、明るい方を見ると、現地では、いい雰囲気ですが、写真に撮ると、さほど、いいと思えないのは、なぜだろう?

≪写真4左≫
  森の入口に出ていた注意書き。 【「わな」があります 周辺にご注意下さい】。 素直に、注意しましたよ。 トラバサミに脚を挟まれたのでは、敵わない。 怖いなあ、もう。

≪写真4右≫
  カメラのバッテリーが切れて、現地で、バイクを撮影できなかったので、代わりに、出かける前に撮った、メーターの写真を出します。 走行距離を知る為に、出かける前と、帰って来た後、メーターの写真を撮っています。

  オド・メーター、「32283」キロ。 2019年9月、中古で買った時には、「26294」キロでしたから、4年半で、まだ、6千キロ弱しか走っていません。 プチ・ツー・オンリーだと、こんなものか。




【伊豆の国市神島・金刀比羅神社】

  2024年5月17日。 伊豆の国市・神島にある、「金刀比羅神社」へ行って来ました。 「こんぴら」は、「金比羅」なので、「金刀比羅」は、「ことひら」と読むのでしょうか? 狩野川に架かる、神島橋の、左岸袂、山の高台にあります。 

≪写真1左≫
  これが、入口。 橋よりも、少し北側にあります。 バイクを停める場所がなくて、路肩に停めました。 狩野川の土手上にも停められますが、悪戯されると、まずいと思って。 この辺り、交通量が少ないので、路肩に停めておいても、さほど、危険ではありません。

≪写真1右≫
  こんな竹藪の中を、3分くらい、登って行きます。

≪写真2≫
  境内。 中腹というほど、高い所ではないです。 どうして、こういう高台が出来たのか、不思議。 削って、均したんでしょうか。

  社殿は、人間が入れないサイズ。 拝殿というより、覆いです。 中に、小さい社が入っており、それが、本殿。 手前の鳥居は、木製。 朱塗りでない木製鳥居は、珍しいです。

≪写真3左≫
  昨今では珍しくなった、外置きの賽銭箱。 木製。 日曜大工でも作れそうですが、プロに発注すると、結構 高いんでしょうな。

  社殿、鳥居、賽銭箱と、神社アイテムは、最少クラス。 この境内の、現代風な造成から見て、昔から、ここにあったとは思えません。 どこか、他から、移して来たんでしょうか? 

≪写真3右≫
  境内から見下ろした、神島橋。 対岸は、旧大仁町の市街地です。

≪写真4≫
  境内から見た、大仁のランドマーク、「城山」。 「じょうやま」と読みます。 この角度からだと分かりませんが、大きな岩でして、岩登りの聖地になっています。




【伊豆の国市神島・梅原寛重の碑】

  2024年5月21日。 伊豆の国市・神島にある、「梅原寛重の碑」へ行って来ました。 神島橋より、少し南へ行った所にあります。

≪写真1≫
  「神益麻志神社」の隣にあります。 境内の一部なのかもしれません。 境内に上がる、車用坂道の横にあるのです。 この坂道、異様に急傾斜で、よほど慣れた人でないと、車で上がるのは、無理。 バイクなど、以ての外。 オフ・ロードの経験がある人でも、勧めません。 転倒必至。

≪写真2≫
  解説板。 この大きさなら、そのまま、読めます? 梅原寛重さんは、地元出身の植物学者で、江戸時代から明治にかけて、農業技術の普及に努めた人のようです。

≪写真3左≫
  石碑。 これ以上、近づかなかったので、漢文なのか、漢字仮名交じりなのか、不詳。 いずれにせよ、解説板があるのなら、そちらを読みます。

≪写真3右≫
  すぐ隣にある、神益麻志神社。 「かみますまし・じんじゃ」と読みます。 2013年の5月、城山、葛城山、発端丈山の登山をした時に、ここに寄っており、今回は、入りませんでした。

≪写真4左≫
  神社の、道路を挟んで向かい側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 他に、停める場所がなかったのです。 後ろにある、石の柱は、何か、神社アイテムなのかもしれません。

≪写真4右≫
  バイクを停めた所から、狩野川方向に、歩いてみました。 黄緑色の斜面が、土手。 上まで登るには、粋狂心が足らず、ここで、引き返して来ました。 私も、歳を取った。 もう、今年は、還暦だものなあ。




【伊豆の国市三福・御嶽神社】

  2024年5月29日。 伊豆の国市、旧大仁町の、三福にある、「御嶽神社」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。

  一度、ロストして、見知らぬ土地をテキトーに走り回りましたが、知っている場所に行き当たりません。 幹線道路まで戻り、曲がるべき交差点を見つけ直して、何とか、辿り着ました。 家から遠い所で、ロストすると、ヒヤヒヤします。

  以前、行った、熊野神社から近いですが、入り組んだ住宅地の高い所にあり、予め道を調べておかないと、まず絶対、見つけられません。

≪写真1≫
  神社の前が、道路、そして、崖なので、これ以上、後退できず、全景が撮れませんでした。

≪写真2左≫
  道路の近くに並んでいた、石塔。 神社の境内には、普通、置きませんが、墓石っぽいですな。

≪写真2右≫
  石燈籠。 これ一つだけでした。 シンプルですが、笠や火袋の造りを見ると、プロの作である事が分かります。 竿が四角柱だと、安く出来るのかも知れませんな。

≪写真3左≫
  社殿の背面。 拝殿・本殿、一体型。 飛び出している部分の中に、小さい社が置いてあるわけですな。

≪写真3右≫
  名額。 右から、「社神嶽御」。 その下に、牛蒡注連。 輝きからして、割と新しいと思われる、鈴があります。 特に、その神様に用がない限り、鈴には触らない方が、無難。 勢いよく、ガラガラやっていると、落っこちて来る恐れがあるからです。 それでなくても、音が近所迷惑ですし。 

≪写真4≫
  神社の前の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 通行の邪魔にならないように、崖側の路肩に停めました。 崖は、10メートルくらいの高さ。 幅員が狭くて、Uターンができず、跨って、エンジンをかけずに、バックし、広い所まで戻りました。 ヒヤヒヤだ。





  今回は、ここまで。

  5月は、現伊豆市、旧修善寺町に行くつもりでいたんですが、最初に行った磨崖仏が、現伊豆の国市、旧大仁町だった事に、後になってから気づき、やむなく、大仁町を先に回った次第。

2024/06/23

実話風小説 (29) 【懇親会】

  「実話風小説」の29作目です。 4月20日頃に書いたもの。 このシリーズを読んで、「人間の醜いところばかり、ほじくり返して、読んでいて、気分が悪くなる。 もっと、明るい希望を感じさせる話を思いつかないのか?」と思う方もいるでしょうが、私としては、そういう明るい話を、わざと避けているのです。 他人が全て、鬼・悪魔とは言わないけれど、世の中は、総じて、甘くない。 私が、60年生きて来た結論は、それだったんですな。




【懇親会】

  A氏(男)の父親は、 83歳の夏のある日、庭で草毟り中に、脳溢血で倒れた。 体を丸くしたまま、横倒しになり、音も立てなかったので、家族が気づくのに、30分以上かかった。 救急車で総合病院に搬送されたものの、その日の内に世を去った。 突然死であるが、年齢的に見て、周囲が意外に思うほど、突然ではなかった。

  父親は、他界する寸前まで、町内会の会合に出ていた。 体も頭もしっかりしていたので、町内会の仕事は、ずっと、引き受けていたのだ。 懇親会や、祭り、運動会などで、酒を飲むのが好きだったのである。 家族にしてみると、面倒な事を進んでやってくれるので、好都合だった。

  父親の死後、その役が、A氏に回って来た。 A氏は、父親に似ず、人付き合いは苦手だった。 幸いな事に、人口が減っていて、町内会の行事も、ほとんど、廃止になっていたが、「その分、懇親会だけは、続けよう」という話になり、月に一度は、公会堂で、飲み会が開かれていた。 困った事に、その提案をしたのは、酒好き、宴会好きの、A氏の父親だったので、親の責任を子が取る格好で、A氏も出ないわけには行かなかった。

  出て来る顔ぶれは、10人前後。 80代は、A氏の父親が最後で、70代、60代、50代が、それぞれ、3・4人ずつ。 40代以下は、いなかった。 この町内は、古い住宅地で、若い夫婦や、小さい子供がいる夫婦が、ほとんど、いなかったのだ。 おそらく、10年もしない内に、立ち行かなくなり、他の町内と合併するか、吸収される事になるのだろう。

  50代は、A氏のほかに、3人いたが、その内の一人、男Bは、A氏の小中学校時代の同学年生だった。 子供の頃から、ずっと、その町内に住んでいて、結婚しても、親と同居し、親の跡をついで、町内会に顔を出すようになったのだ。 同学年ではあるが、同級になった事はない。 かつて、町内会の下部組織として存在した、「子供会」では、一緒に行動した事があるが、親しかったわけではなく、直接、話をした事はなかった。

  男Bの印象というと、常に、近所の兄ちゃんと一緒にいて、その庇護下にあったという事である。 その兄ちゃんは、子供会では、結構な「顔」だったので、男Bとしては、大樹の陰に寄っていたのだろう。 A氏の家は、彼らの家から離れており、A氏は、その兄ちゃんを頼る事はなかった。

  子供心に、兄ちゃんに守られている男Bの事を、羨ましいと思った事もあったが、やがて、その兄ちゃんは、中学生になって、子供会からいなくなってしまい、その後の男Bが、どうしていたかについて、全く記憶がない。 後で知ったが、庇護者がいなくなってからは、子供会に出て来なくなっていたらしい。


  話を現在に戻すが、懇親会に出るようになってから、否が応でも、A氏は、男Bと付き合わなければならなくなった。 僅かに残っていた、町内会の行事でも、顔を合わせ、一緒に作業をする事があった。 A氏の方は、そんなつもりがなかったのだが、男Bの方は、忽ち、急接近して来て、瞬く間に、馴れ馴れしい態度を取るようになった。 

  A氏は、隣の市にある家具の販売会社に勤めていて、職種は、店舗での接客と、外回りの営業が半々である。 普段から、顧客と会話をしているので、言葉遣いは丁寧だ。 ところが、男Bは、ぞんざいを具現化したような話の仕方しかしなかった。 ちなみに、男Bの職業は、この話とは関係ないので、触れない。 接客業でなかった事だけ断っておく。

  A氏に対して、最初の一言から、タメ口・呼び捨てだった。 同い歳だから、目くじら立てる程の事ではないのかもしれないが、子供の頃から、友人だったわけではなく、知人と言うにも、縁が薄過ぎである事を考えると、普通なら、さん付け・丁寧語で話すべき関係であろう。 ところが、男Bには、そういう意識はまるでなかったのだ。 A氏に対してだけでなく、年上に対しても、さん付けするだけで、丁寧語は、一切 使わなかった。

  ただ単に、言葉遣いが馴れ馴れしいというだけではなく、口にする事の内容も悪かった。 からかう、馬鹿にする、見下す、笑い者にする、そんな事ばかり。 それしか言わない、と言っても良い。 たまに、男Bが、何かを質問して来るとする。 その事について、知りたいのかと思って、真面目に説明していると、突然、男Bが、ニヤニヤし始めて、「えっ? 何、お前、そんな事してんの? 馬鹿じゃねーの? わははは!」 そして、周囲にいる他の者に向かって、「おーい! こいつ、こんな事してんだってよ!」と、触れて回るのである。

  つまり、男Bは、何かを知りたくて、質問をしたのではなく、ツッコミどころを探す為に、相手に答えさせていたのである。 たとえば、中古車を買ったとする。 男Bが、「いくらだった?」と訊いて来たので、「50万円」と答えると、「えっ! あんなボロ車に、そんなに払ったの? 馬鹿じゃねーの?」と笑う。 しかし、そもそも、貶すのが目的だから、仮に、「30万円」と答えても、男Bの反応は、全く同じなのである。 「10万円」と言っても、同じである。 男Bが発する質問は、全て、その種の低劣・下賎な罠であった。

  その町内の懇親会では、そんな場面が、毎回のように見られた。 男Bだけではなく、他の者も、程度の差はあれ、同じような事をやっていた。 A氏は、なんだか、小中学生の世界に引き戻されたような感じがした。 A氏の場合、高校生になった頃から、他者を馬鹿にするような言動は、意識して慎んでいたので、50を過ぎた大の大人が、そんな会話をしているのを見て、衝撃を受けた。

  しかし、男Bだけでなく、他の者もやっていた事が、A氏が当初 抱いた違和感を薄めてしまった。 A氏自身、小中学生の頃には、そういう事をやっていた経験があるので、合わせられないわけではなかった。 こちらが、相手を馬鹿にしても、相手は、不機嫌な顔になるだけで、別に怒り出すような事はない。 「この懇親会は、こういうものなんだろう」と思って、合わせる事にした。 よせばいいのに・・・。


  A氏の妻は、A氏とは、別居していた。 不仲が原因ではなく、妻の父親が、要介護状態になって、その介護をする為に、実家に戻っていたのである。 妻の母親の方は、もっと前に、他界していた。 2年間、別居して、妻が父親の最期を看取り、葬儀を出し、実家を処分してから、A氏の家に戻って、また同居となった。 A氏の母親だけ、まだ健在だが、高齢者施設に入っている。

  A氏夫婦は、別居していた間、半月に一度くらいの間隔で、顔を合わせていた。 いろいろと、打ち合わせがあったからだ。 妻は、別居していた2年の間に、A氏の態度が、少しずつ、変わって行くのを感じていた。 同居していた頃の、優しい労わりや気遣いが、徐々に見られなくなり、代わりに、妻に対して、呆れたり、馬鹿にしたり、からかったりする事が多くなっていった。 妻が気分を害して、眉間に皺を寄せ、

「なんで、そんな事 言うの?」

  と、言い返すと、A氏は、一瞬、ハッとしたような表情を見せてから、ぎこちなく笑い、

「冗談だよ。 介護がきついだろうから、気分を和ませようと思って、言ったんだよ」

  と、答えた。 しかし、ごまかしているのは、見え見えだった。 妻は思った。

「同居している時には、確かに、こんな人ではなかった。 何が起こっているのだろう?」


  妻が戻って来た事の報告がてら、A氏は、懇親会に、妻を連れて行った。 酒やつまみは、出席者が持ち寄るので、別に、女性を給仕に扱き使うような事はない。 ちなみに、女性には、別に、婦人会という組織があったが、会員が減ったせいで、今では、年に一度しか、会合が開かれていない。 さて、懇親会に出たA氏の妻は、挨拶だけして帰るつもりでいたのだが、酒を勧められて、少し飲んで行く事にした。 割と、イケる口だったのである。

  しかし、すぐに、この懇親会の、異常な雰囲気に気づいた。 男達が、互いに、貶し合い、からかい合っているのである。 面白い冗談を言って、一緒に笑うというのではなく、相手を笑い者にしているのだ。 特に、男Bは、そういう態度が際立っていた。 自分は、ベラベラと好き放題しゃべるくせに、他の者が話していると、

「その話、長い?」

  とか、

「その話、今じゃなきゃ、ダメ?」

  などと言って、遮り、喋っていた人間が黙ってしまうと、その様子を見て、ゲラゲラ笑うのである。 耳寄りな情報や、役に立つ真面目な話であっても、お構いなし。 さすがに、周囲の者は、白けてしまって、男Bを、呆れ顔で見るのだが、男Bは、酒が入った人間特有のご機嫌さで、全く気にしていない様子。

  懇親会に来ない、近所の人間の陰口も、凄まじかった。 男Bは、まず、A氏の妻に向かって、

「奥さん、奥さん! これから聞く事は、ここにいる人間以外に喋っちゃダメよ。 喋ったら、すぐ分かるからね」

  と、脅しておいて、他人の悪口を、これでもかというくらい、叩きまくるのである。 その場にいない人間の事だから、他の面子も、笑って聞いているが、すぐに分かるのは、男Bは、他の場所に行けば、この場にいる者の悪口も、同じように、叩きまくっているのだろうという事だ。 そういう性格としか思えない。

  A氏の妻は、「男のつきあいというのは、こんなものなのだろうか?」と思ったものの、釈然としなかった。 妻自身、職を持っていたが、大人の世界では、こういう様子を見た事がなかった。 家に戻ってから、夫に訊くと、毎回、あんな感じだという。

「なんだか、小学校の男子の世界みたいだね」
「俺も、最初は、そう思ったけど、2年も経つと、慣れちまったな」


  A氏の妻は、勤め先の昼休みに、職場の仲間に、この話をした。 同年輩の女性達は言った。

「ああ、確かに、小学校の男子で、そういうつきあいをしてるのがいたよね」
「大人でも、仲がいいと、そういう事 言い合ってるの、見た事あるよ」
「男って、そういうところがあるよね」

  その場にいた、5人の内、一人だけが男性で、中途採用の50代だった。 C氏である。 定年まで、平社員と決まっている人だが、温厚な人柄で、職を転々とした経歴がある分、社会経験が豊富で、そこそこの人望を集めていた。 彼が、ポツリと言った。

「その懇親会、年中、そんな話ばかりしているとすると、異常だと思いますよ。 Aさん、旦那さんに言って、誰が、そういう貶し合いを始めたか、調べてもらったら?」
「調べるって、どうやって?」
「年長の人の家を訪ねて行って、いつ頃から、そうなったのか、さりげなく訊いてみたらどうですかね」


  調べるまでもなく、貶し合いを始めたのは、男Bではないかと思われた。 家に帰って、A氏にその話をすると、最初は、拒絶された。

「いいんだよ、あれはあれで。 特定の誰かが吊るし上げられているわけじゃなくて、お互いに貶し合ってるんだから。 ああいうのも、つきあいの一形態なんだよ」

  しかし、数日経った日曜日。 犬の散歩に行っていたA氏が、戻って来て、こう言った。

「河川敷の公園で、Dさんに会ったんだけど・・・。 懇親会の話になってね」

  D氏は、懇親会のメンバーで、70代の、最年長者である。

「貶し合いを始めたのは、Bらしい」
「やっぱり。 だと思った」
「5年前に、Bが、Bの父親に代わって、懇親会に出始めたんだって。 Bは、酒が入ると、よく喋るから、次第に、Bが会話の中心になるようになったんだって」
「いくら、酒の上だって、貶され始めた時、よく、他の人が、文句を言わなかったもんだね」
「陰で文句を言った人もいたらしいよ。 だけど、その頃、懇親会は、参加者が、どんどん減っている時で、若手のBに気を使って、窘めたりしなかったらしいんだ」
「それで、ああなっちゃったわけ? 何だか、間違った方向に行っちゃってる感があるね」


  A氏の妻は、職場へ行って、その話をした。 C氏は、頷きながら、言った。

「そうですか。 元凶がいましたか」

「元凶ですか?」

「その、Bという人、たぶん、懇親会に出始める前に、他人から、長期間に渡って、貶されていた時期があるんですよ。 自我を守る為に、自分も貶し返していたんでしょう。 で、すっかり、そういうのが、人づきあいだと、誤解してしまったんだと思います。 その流儀を、そのまま、懇親会に持ち込んだんでしょう」

「夫は、お互いに貶しあってるんだから、問題ないって言ってるんですけど」

「そんな事はないと思いますよ。 貶されて、気分がいい人間なんて、いないでしょう。 貶されれば貶されるほど、心が傷つく一方です。 たとえ、貶し返したとしても、相手が自分を貶した事が帳消しになるわけじゃないですから。 それに、貶された記憶は、一生涯 残ります。 その懇親会に出続ければ、心の傷は、増える一方でしょう」

「仲がいいほど、貶しあったり、からかいあったりするという関係も、あるんじゃないですか?」

「確かに、現実には存在します。 学生の頃の友人には、そのまま、固定してしまったケースも多いですね。 そういう関係が気安いと言う人もいますが、どうでしょうねえ? 貶す時は、小気味いいかもしれませんが、貶される時もあるわけで、そちらは、歳をとればとるほど、不愉快の度が増すんじゃないですかね? 歳が行くほど、プライドが高くなるのが普通ですから。 学生時代からの友人と、死ぬまでつきあい続ける人が稀なのは、気安く、馬鹿にしたり、見下したり、からかったりして来る相手に、我慢がならなくなるからじゃないですかね? 自分が何か、悪い事をしたり、間違った事をした時に、遠慮せずに窘めてくれるという相手なら、貴重ですが、ただ、馬鹿にしてくるだけというのは、全く別物でしょう。 そんなつきあいは、百害あって一利ないと思いますよ」

「そうですねえ。 夫の件ですが、どうしたもんでしょうね?」

「懇親会を廃止するのは、そう簡単にはいかないから、旦那さんが、その懇親会に出ないようにするのが、一番でしょうね」

「それも、できないんですよ。 夫の父親が、懇親会を始めた関係で、夫がやめるわけにはいかないんです」

「そうですか。 厄介な問題ですね。 しょうがない。 懇親会は懇親会、それ以外はそれ以外と、態度を使い分けるように、勧めてみてはどうでしょう」


  A氏の妻は、家に戻ると、深刻な表情で、夫に、C氏の話を伝えた。 意外にも、夫は、頷きながら、真剣に話を聞いてくれた。

「そう分析されると、納得し易いな。 俺が、今までに付き合って来た、友人や同僚にも、Bと同じようなタイプが、何人かいたけど、評判は良くなかったよ。 俺自身、そういう奴らとは、自然に距離をおくようにして来たんだ。 今だから、言える事だけどな。 懇親会にも、ずーっと、違和感があるにはあったんだ。 なんで、こんなに、他人を貶さなきゃならないんだと思って・・・」

  それ以降、A氏の妻に対する態度は、別居前のそれに戻った。 当然の事ではあるが、他者を、貶したり、からかったりしなくても、生きて行くのに、何の支障もないのだ。 毎日、顔を合わせて暮らす、家族ならば、尚の事だ。

  A氏は、懇親会に出るのをやめはしなかったが、時折り、休むようになった。 そういう時には、前以て、飲み食い代の会費だけ、年長のD氏に渡しておき、他の参加者から恨まれるのを避けた。


  異常な事は、長くは続かないものである。 懇親会の、貶し合いは、突然、終わりを迎えた。 男Bが、傷害事件を起こし、逮捕されたのである。 近くの地方都市の酒場で、酔って、店にいた赤の他人の悪口を言い、怒った相手と喧嘩になった。 殴られたので、カッと来て、割った酒ビンで、相手の胸を刺した。 店の者が、110番と119番に電話。 刺された方は、救急搬送されたものの、意識不明の重態。 一命を取り止め、回復するまでに、半年もかかった。 男Bは、傷害罪で逮捕。 初犯だったが、傷害の程度が甚だしかったので、実刑を言い渡された。

  元凶の男Bがいなくなると、懇親会は、次の回から、つきものが落ちたように、温和なものとなった。 参加者は、男Bがいなくなってから、増えた。 今まで、男Bが嫌で、出て来なかった者達が、4・5人、顔を出すようになったからだ。 彼らは言った。

「これが、普通だよな。 Bがいた頃には、貶し合いばっかで、いたたまれなかったものな」
「まるっきり、ガキの世界になってたからな。 『大人の会話は、情報交換なんだ』って、Bの奴に言ってやった事があったんだが、全く分からなかったようだ。 それからしばらく、『ちょっと、ちょっと、情報交換さん』なんて、小馬鹿にされて、うんざりして、出なくなったんだ」
「たった一人、ああいうのがいただけで、10人以上いた会が、あれほど変質するっていうのは、怖い事だな」
「Bって、一体、どういう奴だったんだ? Aさん、同い歳だろ? 子供の頃の事、知らないか?」

  A氏は、思った。 たぶん、男Bは、庇護してもらっていた近所の兄ちゃんから、毎日、貶し倒されていたのだろう。 傍目には、親分・子分で仲がいいように見えたが、実は、そうではなかったのだと思う。 近所の兄ちゃんから、さんざんに傷つけられた男Bは、同級生達を傷つける事で、精神のバランスを取っていたのではなかろうか。 貶せば、当然、相手も貶し返して来る。 そんな事を続けている内に、それが、他人との付き合い方だと、思い込んでしまったのであろう。


  3年後、男Bは、出所して、家に戻って来た。 しかし、懇親会に復帰したいとは言わなかった。 一年前に、定年を迎え、都会からUターンして来た近所の兄ちゃんが、懇親会に出ているのを知ったからである。 子供の頃のように、一方的に貶されるのが、怖かったのであろう。 その近所の兄ちゃんだが、彼自身は、都会の職場で揉まれて、すっかり、おとなしい紳士になっていた。 皮肉な話である。

2024/06/16

時事旧聞 ①

  6月は、日曜が、5回あるので、このブログも更新回数が、例月より、1回多くなります。 他にネタがないから、日記ブログの方に書いた記事から、時事問題を扱った内容のものだけ、出します。 もう、だいぶ、月日が経っているものばかりでして、「時事旧聞」とした次第。




【2023/08/28 月】 「海洋放出問題」

  福島第一原発からの、放射性物質・海洋放出の話。 重苦しい話題なので、気分を暗くしたくない人は、読まないで下さい。

  日本政府は、「処理水」と言ってますが、薄めただけで、処理もなかろうに。 中国政府は、「核汚染水」と言っていますが、それでも、実態を表していない。 ズバリ、「放射性物質」と言うのが、正しいです。 ちなみに、水で薄めても、変質しないので、薄める事自体には、大きな意味はありません。 海水中で、拡散し易くなるだけで、放射性物質が減るわけではないです。

  「規制値の、40分の1以下に薄める」と言いますが、放出は、一回きりではなく、これから、30年間、続けるのだから、40日分流せば、1日分の規制値を超えてしまう事になります。 まあ、誰でも思い浮かぶ、素朴な疑問ですわな。 「安全」だそうですが、本当に安全なら、原発事故直後から、放出しているはず。 薄めるだけなら、新技術なんて要りますまい。 「危険」だから、12年間、タンクに溜めて来たわけで、非常に分かり易い矛盾ですな。

  放出開始の数日後に、海のトリチウム濃度を測って、「規制値以下だ」と発表していましたが、そりゃ、そうでしょうよ。 まだ、数日分しか、放出していないんだから。 だけど、それを、30年間続ける予定なんでしょう? 30年後も、規制値以下なんですか? トリチウムは、変質したり、なくなったりするわけではないのだから、海の中で、濃度は、どんどん高くなるんじゃないのかい?

  どうも、説明が、朝三暮四の猿向けっぽいですな。 というか、説明している方も、猿レベルで、自分が何を説明しているのか、分かっていないニオイがします。 ちなみに、以前にも書いたように、政治家や官僚は、理工系の知識がゼロなので、そもそも、原子力の事なんて、全く分かっていません。 厳密に言うと、医師出身の政治家は、科学的思考ができるから、ある程度は分かっているはずですが、彼らは、政党の中では、発言力が小さいです。

  原子力技術者・学者は、原発が飯の種なので、自分達に都合が悪い事は言いません。 危険だと分かっていても、顔色一つ変えず、「安全です」と言います。 その事は、2011年3月の、福島第一事故の直後に、テレビに出て来た、原子力学者によって、思い知らされました。 建屋が水素爆発で吹っ飛んでるのに、「大丈夫です。 対策は、いくらでもあります」と言っていたあの顔が、忘れられない。 いい加減な事を言いおって。 対策なんて、あるものか。 その結果が、今の事態なんだわ。

  12年半経っても、技術の進歩なんて、全く見られないのは、想像していた事とはいえ、恐ろしい事実ですな。 結局、「薄めて、海に流す」以外に、思いつかなかったんだわ。 言うまでもなく、「やむを得ない」で済む問題ではないです。 もし、事故前に、今のような事態になったら、どうするか、原子力技術者・学者に質問したとしたら、ゲラゲラ笑って、「そんな事には、絶対ならないから、安心して下さい」と答えたでしょう。 この連中のいい加減さは、最初から、一般常識の埒外にあります。 

  考えてみると、日本という国、日本という社会は、2011年3月に、もう、死んでいたんですな。 しばらく、タンクを並べて、致命的に深刻な重大問題から目を背けていただけなんだわ。 道理で、技術的にも、文化的にも、新時代を感じさせるものが、何も出て来ないわけだよ。 死んでたんだものねえ。


  中国の水産物輸入禁止措置は、常識的に考えれば、当たり前の事で、日本政府や日本人が怒るのは、筋違いです。 放射性物質を流しているのは、日本であって、中国ではないからです。 文句を言うなら、流している主体に言うべき。 苦情や、嫌がらせの電話なんて、放射性物質の放出に比べたら、何が有害なものか。 そんなものに食いついて、反中意識を煽っているマスコミもマスコミで、ピント外れも甚だしい。

  ちなみに、中国では、政府要人は、全員、理系出身でして、何が危険かは、分かっています。 日本の政治家で、「丁寧に説明すれば、分かってもらえる」などと言っている人は、思い留まるべし。 自分が分かっていない事を、分かっている相手に、どんなに丁寧に説明しても、説得できるわけがありません。

  放出前から、やめるように主張していた中国に、説明が必要だと考えた日本の政治家は、一人もいなかったようですが、近隣国に、重大な影響が及ぶ事なのに、無視して、それで通ると思っていたんだから、凄い感覚だな。 まして、相手は、経済的な結びつきが強い、大国だというのに。 だから、前に言ったでしょうが。 中国との経済関係を損なう事は避けろと。 どうなっても、知らんぞ。

  問題の根本は、放出にあるのであって、放出を止めれば、一定期間を置いた後、水産物輸入禁止措置は、解除されるでしょう。 放出期間が長ければ長いほど、解除までの期間は、長くなります。

  中国の措置が気に入らないというだけで、放出に理解を示している日本人が、少なからずいる模様ですが、何が、問題の本質なのか、全く分かっていない。 原発関係の人間ではないというのなら、自ら進んで、悪役側の肩を持つなど、馬鹿馬鹿しい事です。 そんな事をして、何の得があるのだ?

「風評被害が出ないように、進んで、○○地方産の海産物を買います」

  それは、奇特な事ですが、そもそも、実際に、放射性物質を流しているのだから、風評ではないです。 安全だと保証できないのに、自分の健康に害が出る恐れがある物を、進んで口に入れるという考え方が理解できぬ。 新型肺炎禍で、思っていた以上に、愚かな人間の割合が多いと思い知ったから、驚きはしませんが。

  非常にまずいのは、海が地球全体で繋がっているという事でして、いずれ、地球上の海が、全て、汚染される事になります。 太平洋は、真っ先に。 放出地点近辺だけでなく、どこで獲れた海産物も、危険になるというわけだ。 今後、トリチウム濃度検査で、徐々に数値が上がり、規制値を超えたとして、それ以上の放出を止める事はできても、すでに放出した分を、回収する事はできません。 どうするのよ、それ?


  笑ってしまうのは、国際原子力機関(IAEA)や、オーストラリア、イギリス、アメリカなどが、「科学的に、安全」と言って、放出を許容した事ですな。 大方、距離があるから、余裕ぶっこきかましているんでしょうが、海は繋がっているから、距離なんて、防壁にならんと言うのよ。 気が知れぬ。 自分達が、放出しているわけでもないのに、日本の肩をもって、何の得があるのだ? これが、放出しているのが、ロシアだったら、金輪際、許容など せんだろうに。

  放射線障害が、どんなものか、分かっていないという見方もあります。 ≪インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国≫という、2008年のアメリカ映画。 何度も、テレビ放送されているから、ほとんどの人が見ていると思いますが、あの中に、主人公が、核実験場に迷い込む場面があります。 サイレンが鳴って、冷蔵庫の中に逃げ込んだところで、爆発。 冷蔵庫ごと、遥か彼方へ吹っ飛ばされて、無事に脱出します。

  あの場面を見て、「あれ? この人、被曝しなかったのか?」と、首を傾げた人は、日本人の中では、多かったはず。 被爆しないわけがない。 爆発の衝撃だけでも、冷蔵庫程度の遮蔽で、核爆発を至近で喰らって、助かるわけがありませんが、たとえ、命が助かっても、重度の被曝で、何日も生きていられないでしょう。

  ジョージ・ルーカス氏も、スピルバーグ氏も、アメリカを代表する、芸術家で、文化人ですが、そもそも、アメリカ人全般に、「核爆発で、放射線被曝する」という、知識がないのだと思います。 ないんですよ。 「核爆発は、火薬爆発の、桁違いに大きなもの」程度の認識しかないのでしょう。 もちろん、放射線被曝が、どういう健康被害を与えるかも、全く知らないと思われます。 ≪はだしのゲン≫を読んでいるアメリカ人なんて、100万人に一人以下なのでは?

  そういう国々なら、放射性物質に対する警戒感が低いのも、不思議はない。 しかし、そういう国々が許容したからと言って、放射性物質の放出が正当化できるわけではないです。 今の所、唯一の核兵器被害国で、被曝の恐ろしさを知っているはずの日本が、放射性物質を海に放出しているというのは、途轍もない皮肉ですが、皮肉で済む話ではなく、先々の心配をすべきでしょう。

  そういえば、アングロサクソン系の国だけでなく、「EU、原発事故後の日本産食品の輸入規制・撤廃を正式決定」なんて、ニュースもありました。 すでに、日本政府が、「処理水を放出する」と発表していた後です。 当然、海産物も、食品に含まれるわけですが、今までより、危険が増えるのに、このタイミングで、規制を撤廃するというのは、どういう判断なのか、さっぱり、分からない。 欧米全般に、合理的な考え方ができなくなってるんじゃないですかね?


  この問題は、いつ考えても、暗い気分にさせてくれますなあ。 唯一、救いと言えるのは、私がすでに、60歳近い年齢で、今後、放射性物質の影響が出たとしても、そちらで健康被害が出る前に、寿命で死ぬだろうと、期待できる事ですな。 一方、若い世代や、子孫がいる方々には、大変、お気の毒だと、お悔やみ申し上げます。


  むりやり、明るい希望を探すなら、もうすぐ、AIが、あらゆる点で、人間を追い越すと予想され、目的を持ったAIが、文明を受け継げば、もう、人類は必要なくなります。 そうなれば、健康被害も何も、問題ではなくなります。 放棄された原発からは、放射性物質が垂れ流しになり、生物の様相も、大変わりするでしょうが、人間がいなくなれば、長期的には、安定して行くでしょう。 放射性物質は、人類の問題ではあるが、地球の問題ではないわけだ。 しかし、こんな事は、何の慰めにもならんなあ。



【2023/12/25 月】 「電気自動車。」

  かつての、≪東京モーター・ショー≫が、改名したイベント、≪Japan Mobility Show 2023≫。 「おぎやはぎの愛車遍歴」で、2回分かけて、紹介されたのを、テキトーに、見流しました。

  事前に、「コンセプト・カーばかり」というマイナス評価を耳にしていたのですが、確かにその通りした。 過去の例から言って、コンセプト・カーが、実際に売り出される事は、非常に稀、というか、ほとんど、ないので、ただ、ショーの為に作っただけなんでしょう。

  日本メーカーの、電気自動車シフトが、まるで、進んでいない事を、改めて、思い知らされました。 まずいな、これは。 今や、家電も、AV機器も、デジカメも沈没し、日本の製造業で、海外からお金を稼げるのは、自動車業界だけになっているのですが、電気自動車化の流れについていけないのでは、最後の牙城も失うのは、時間の問題です。 高度経済成長期以降の日本社会が、経済的にゆとりがあったのは、海外から、お金が入って来ていたからであって、稼げる産業がなくなってしまうと、貧しくなるのは、避けられません。

  半年くらい前までは、日本の車メーカーが、「水素自動車の方が、脱炭素に適している」などと、平気で言っていましたが、さすがに、ここのところ、それは口に出さなくなった模様。 寝言もいいところで、電気自動車が世界的に普及し、主流になってしまえば、水素自動車なんて、誰が買ってくれるものかね。 水素ステーションの整備だけで、莫大な社会資本がかかるのであって、家庭用電源で手軽に充電できる電気自動車と、どちらの普及が容易か、比較するのも、馬鹿馬鹿しい事です。

  日本メーカーが、水素推しだったのは、内燃機関の生産設備や、機械技術者を維持するのが、最大の目的だったと思うのですが、そんなお荷物を抱えていて、電気自動車専門の海外メーカーに、太刀打ちできるわけがないです。 中国のBYDですら、生産台数の半分が、プラグ・イン・ハイブリッド車で、内燃機関の設備・人員を抱えており、今後、そちらが、お荷物になって来る危険性があるのです。 況や、99パーセント、内燃機関車を作っている日本の車メーカーに於いてをや。 大急ぎで、設備や技術者を更新しなければ、全滅必至です。

  ちなみに、従来のエンジン車メーカーが雇っている技術者の専門は、「機械」でして、彼らは、「電気」の事は、ごく基本的な事以外、まるで分からないと断言してしまっていいです。 電気自動車に使う技術は、「電気」の中でも、特に、「バッテリー」でして、近年になって、急に、電気自動車が実用化されたのは、電気自動車に使えるバッテリーが開発されたからに外なりません。 モーターなどは、遥か昔に、完成しきった技術で、特に、近年の進歩があったわけではないです。

  つまり、「デンソー」のような、電気関連装備の専門メーカーがあったとしても、バッテリーの技術がなければ、電気自動車は、作れないわけだ。 日本にも、バッテリー・メーカーはあるのですが、電気自動車用のバッテリーについては、どこが取り組んでいるというニュースを聞きません。

  日本の車メーカーが、外国の電気メーカーから、バッテリー・ユニットを買うという話は聞いた事がありますが、その方式でもいいから、電気自動車に切り替えを急いだ方がいいです。 ただし、「一応、作ってます。 一応、売ってます」というレベルでは、やはり、世界的な競争には、勝って行けないでしょう。 電気自動車を作り始めても、エンジン車も、並行して作り続けなければならない、従来の車メーカーは、その負担で、脱落して行く可能性が高い。 なにせ、電気自動車の専門メーカーは、全資本を、電気自動車に注ぎ込めるのですから。

  従来の車メーカーに、有利な点があるとしたら、自前の販売網をもっている事だけですかね。 自動車は、必ず、整備が必要になるので、販売店や整備工場が揃っている事は、大変 重要な条件になります。 韓国の現代自動車が、2000年代前半に、日本市場に進出したものの、販売店が少な過ぎて、敬遠され、撤退を余儀なくされたのは、知る人ぞ知るところ。 ちなみに、日本市場から撤退した後、現代自動車の車は、デザインに革新が起こり、世界的に、評価が、グンと高まります。 カッコよくなった現代自動車の車を買えないのは、日本だけという、皮肉な現象が起こったわけです。

  そういえば、≪Japan Mobility Show 2023≫で、BYDの車も紹介されていましたが、これから、日本市場に打って出るとなると、電気自動車では、尚の事、整備拠点を確保するのが、難しいと思います。 一県に、販売店が、指を折って数える程では、誰も買いません。 平均的な大きさの県で、販売店が、最少でも、30軒は欲しいところ。 それも、進出当初の話で、その後、どんどん増やして行く事が条件ですが。 従来メーカーの販売店は、一桁多いのですから。

  「そんなに一遍に、販売店を作れない」と言うのなら、全国展開は諦めて、首都圏だけとか、一県だけとか、地域を限定すべきでしょうな。 同じ、100店舗 作るなら、全国に散らばらせるより、首都圏、もしくは、一県に集中した方が、お客の利便は高くなります。 どうせ、テレビCMは、都道府県ごとに違うのだから、車を売っている地域だけに流せばいいだけの事。

  それにしても、電気自動車は、まだまだ、高いな。 1500cc相当の5ドアで、200万円を切るものが出て来たら、ドーンと売れると思います。 航続距離は、そんなに長くなくても、300キロもあれば、充分、使えるのでは? 通勤距離の平均は、往復60キロくらいが、最大だと思うので、毎日、家で充電するのなら、航続距離100キロあれば、不安なく使えるでしょう。 300キロなら、週に二回の充電で済む事になります。

  私個人の望みとしては、航続距離100キロでいいから、軽自動車の規格で買える、100万円以下のが、出て来てもらいたいです。 それの、中古が、30万円を切ったら、購入を検討します。 もっとも、そうなる前に、私の車人生は、終わると思ってますけど。

  そうそう、テスラが始めて、中国メーカーも取り入れている、「車の情報化」、つまり、「スマホのように、ソフトを更新できるようにする」という考え方ですが、そーんなこたー、どーでもいーんだよ! ただ単純に、エンジン車の代わりになる電気自動車が欲しいんだよ。 バカでかい液晶画面なんて、邪魔なだけではないか! そんなもん、なくして、少しでも安くなるなら、そうして欲しいです。 人間が運転している段階では、情報化なんて、気が散って、危険が増えるだけでしょうが。



【2024/02/13 火】 「株価。」

  柄にもなく、経済の話を。

  株価が、バブル後最高値を更新中。 バブル崩壊を経験している世代だと、暴騰の後には、暴落が来ると知っているから、ヒヤヒヤしているはず。 それよりも若い世代は、「行け行け! Go!Go!」気分かもしれませんが、知らぬが仏ですな。 一般個人で株をやっている人は、恐らく、スッテンテンになる事でしょう。

  いずれ、下がるのは分かっているわけですが、どこで、ピークを迎えるかが、分からないのが、株式市場の恐ろしいところです。 今日なのか、数ヵ月後なのか、数年後なのかが、分からない。 「もう、だいぶ、高くなっているから、損しないように、早く売ってしまおうか」と思う反面、「もしかしたら、今日の2倍まで上がるかもしれない」とも思うから、売る事ができないんですな。

  プロの投資家が売り始めると、株価が下がり始めるのですが、一般個人は、「また、上がるかもしれない」と思うから、やはり、売れず、ためらっている内に、どんどん暴落して行って、大損する事になります。 これは、歴史上、何度も、繰り返されて来たパターン。

  今回の株高ですが、原因が分かりません。 漠然と、「企業業績が、好調」と言われていますが、日本で、そんなに、うまく行っている企業があるとも思えないのですがねえ。 バブル時代の頃には、世界に名を轟かす日本企業が、数え切れないくらいありましたが、今は、ほぼ全社、半沈没状態。

  各企業の業績は、売り上げ高や、利益といった数字で出て来るわけですが、業績が上がったわけではなく、インフレのせいで、数字が上がっているだけなのでは? どうも、経済の世界では、「価値」と「価格」が紛らわしくて、本当の好調・不調を見分けるのが難しいです。

  たとえば、不動産バブルですが、開発計画があるわけでもないのに、土地の価値が、突然、2倍3倍になるなどというのは、ありえないのであって、それは、価値ではなく、価格の数字だけが上がっているわけです。 バブルが崩壊すると、実態の価値まで、数字が落ちます。

  アメリカでも、株価が史上最高値になっていますが、アメリカは、日本以上に、猛烈なインフレに見舞われており、価格だけ上がっているのが、企業業績が上がっているように見えて、株価を押し上げている可能性があります。 暴騰とセットでやって来る、暴落が起こった後、どうなるかは、興味深いところ。

  アメリカの株価に関しては、「AI開発企業の、将来性が買われている」なんて、もっともらしい分析をしているエコノミストもいますが、AIと言っても、今の生成AI程度では、そんなに将来性があるとは思えませんな。 目新しさで、騒がれているだけで、その内、飽きられてしまうでしょう。

  話の脱線覚悟で、AI発展の段階について言わせてもらえば、「人間が、使っている」レベルでは、普通のコンピューターと同じ、ただの道具。 「人間を、使っている」でも、まだ、足りない。 「人間など、不要」となった時点で、ようやく、本物のAIと言えます。 それを考えると、生成AIが、いかに、初歩的レベルかが分かるのでは?

  脱線ついでに、もう一説。 世に、「エコノミスト」と呼ばれる人達ですが、正体が良く分かりません。 報道番組やワイド・ショーなどに、しょっちゅう出演して、解説者として顔が売れている人もいますが、言う事がそのつど違っていたり、共演している他のエコノミストと、その場限り、意見を合わせたり、節操に欠ける事、甚だしい。 「この人の言う事だから、間違いない」と思い込んでいると、他の番組では、正反対の事を言っているという案配で、誰を信じていいのか分からなくなってしまいます。

  エコノミストの正体は、「経済学説や、過去の経済事例を、たくさん、知っている人」というだけなのかも知れません。 ネタ知識だけ、豊富で、そのつどそのつど、適当に、時流に合わせた、もっともらしい事を口にしているだけ。 競馬に、「予想屋」と呼ばれる商売がありますが、それに近いのでは? もっともらしい根拠を並べ、人を信用させて、予想代を取るが、当たらなくても、「あくまで、予想」と言い張れば、それ以上、責められないから、涼しい顔をしているという寸法。

  閑話休題。

  株価が暴落した場合、大損をするのは、「ちょっと、小遣い稼ぎに」というノリで、数百万円規模で株を買っていた、素人の個人投資家でして、暴落した株を持ち続け、スッテンテンのカラッケツになります。 勢い余って、身包み剥がされ、スッポンポンまで行くかも知れぬ。 彼らが株に投じたお金は、消えてなくなるわけではなく、株の売り時を正確に見極めて、最大の利益が得られるタイミングで売った、プロの投資家達の懐に入ります。

  という事はつまり、株をやっていない人は、あまり、怖がらなくてもいいわけだ。 バブル崩壊の時には、銀行金利が落ちて、預金が増えなくなってしまうという、大迷惑な余波がありましたが、今は、すでに、金利がゼロ付近なので、これ以上、落ちようがないです。

  また、株価が暴落しても、経済が崩壊するほどの、影響はないと思います。 日本のバブル崩壊も、アメリカのリーマン・ショックも、この世の終わりかというイメージで受け止められましたが、実際には、どちらの国の経済も、不況になった程度で、崩壊などしないどころか、GDPが落ちる事さえありませんでした。 「一度 大きくなった経済は、簡単には萎まない」という、原則がありますが、その通りなんでしょう。 その社会を維持する為だけでも、経済は回り続けるというわけです。

  ただし、株価の暴落で、資金調達ができなくなってしまい、倒産する企業は、うじゃうじゃ出て来ると思います。 まったく、株価の高騰なんて、お後の始末が悪いだけで、いい事なんて、何もありゃしない。 喜んでいるのは、確実に、大金が転げ込む、プロの投資家だけです。

  周囲にいる、家族・友人・知人の中に、株に手を出していて、「バブル後、最高値! 最高値!」と興奮を隠せない輩がいたら、どうせ、人の忠告なんか聞き入れないと思いますから、今の内に、縁を切っておいた方が、賢明だと思います。 暴落で、夢から覚めたら、「金貸してくれ」とか、「今夜だけでいいから、泊めてくれ」とか、泣きついて来ますから。

  「ちょっと、訪ねて来ただけ」と言われても、家に入れてはいけません。 隙を狙って、金目の物を盗んで行く恐れがあるからです。 貧すりゃ貪す。 バブル崩壊直後も、そんな奴はうじゃうじゃいたのです。 一度、投資・投機の夢に溺れた人間が、地道に働く事などできないと思うので、食い詰めて、ほとんど、死んでしまったと思いますが。

  それが別に、大袈裟な物言いでないところが、お金の問題の冷厳なところ。 人は誰でも、一日一日を、お金で生きているのですから、お金がなくなったら、生きていられなくなるのは、人間社会の摂理です。 「金はない、働く気もない」では、死ぬしかないではありませんか。




  以上です。 まだ、在庫がありますが、それは、9月に回します。 どうせ、旧聞だから、問題なし。 先に読みたい方は、ブログ、≪換水録≫の、ラベルリスト、「それにつけても」から入れば、この種の記事が読めます。

2024/06/09

パソコン・ネット関連機器 ⑧

  日記ブログの方に書いた記事。 私的な、パソコン・ネット関連機器の変遷史です。 日記からの移植なので、日付が付いている次第。




【2023/11/06 月】
  パソコン・ネット関連機器の変遷史ですが、モニターも、一応、やっておきます。 すでに、パソコンと一緒にお見せしている写真もあります。




≪写真1≫
  2001年5月2日。 沼津の旧ノジマ店舗で、一台目のパソコンと同時に買った、一台目のモニター。 三菱の、14インチ・液晶モニター、「Diamondcrysta RDT1425」です。 6万円でした。 高い高い。 なぜ、三菱にしたかというと、ブラウン管テレビで、三菱のものが映りが良かったので、液晶でも、良いのではないかと期待しての事。

  2011年5月から、2014年2月まで、13年間、ほぼ、毎日使っていました。 終わりの数ヵ月くらい、画面の一部に、僅かに暗くなる部分が出ていましたが、それ以外は、何の不満もなく、働いてくれました。

  この写真は、2014年2月、廃棄する直前に撮ったもの。 日記を調べると、PCデポで、100円で買い取ってもらったようです。

≪写真1右下≫
  2001年12月頃の様子。 スタンドを外して、自作の台の上に、立て掛けて使っていました。 そうしないと、机の空間に入らなかったのです。

≪写真2左≫
  2002年の4月末。 居間に両親用のパソコンを設置。 高齢なので、モニターは、大きい方がいいだろうと思い、清水町の「O.A ナガシマ」で、イイヤマ製の、「AS4314UT」という、17インチのを買いました。 69800円。 高いなあ。

  母が、ヨン様の画像を見るのに、このモニターは活躍しました。 2002年4月から、2014年3月頃まで、居間にありました。 大きいから、見易いのは、当然なのですが、私が見た場合、自室の14インチ・モニターと比べてしまうので、雑な感じがしました。 それは、致し方ないか。

  2014年6月末。 引退後の片づけで、処分。 三島のハード・オフへ持って行ったのですが、なんと、値段がつかず、「タダなら、引き取る」との事。 当時、すでに、ワイド・タイプが主流になっていたものの、店内には、まだ、スクエア・タイプも、2千円くらいで売っていて、「この店員、騙してるな」と思ったものの、面倒なので、タダで置いて来ました。 そういう店員は、たまに見ますが、すぐ、クビになっているでしょう。 「客を騙して、ナンボ」と思っている人間に、商売は、全く向きません。

≪写真2右≫
  2002年の年末に、父の部屋に、パソコンを設置。 私が使っていた、一台目のプレサリオです。 モニターは、グリーンハウスの、15インチ・液晶モニター。 沼津のノジマで、32800円でした。 買った当時の写真が、加工した小さいものしかない上に、取説が見当たらなくて、名前が分かりません。

  父が、3年くらい使い、その後、死蔵。 2014年2月に、父の部屋から撤去して、その後、私の部屋で、死蔵。 岩手異動の間、自室の机に設置してありましたが、2ヵ月で戻って来てしまったので、すぐに、撤去。 忙しない。

  2014年6月末、沼津のハード・オフへ持って行き、200円で、引き取ってもらいました。 値段がついただけ、マシか。

≪写真3≫
  2014年1月末。 自室のモニターを買い換えました。 二台目です。 一台目の画面の一部に、暗い所が出来ていたので、そろそろ換え時だと思ったのです。

  ASUSの、「VEシリーズ 19インチ ワイド液晶ディスプレイ」という機種。 アマゾンで、11635円。 モニターも、安くなったものです。 大きさには、すぐ慣れてしまって、何とも思わなくなりました。

  「Windows 10」の無料切り替え期間に、ダウン・ロードしようとしたら、「モニターが、対応していないから、駄目」という表示が出て、できませんでした。 このモニター、その頃まだ、最新に近かったんですがねえ。 大体、最初から、「10」が入っているパソコンなら、どんなに古いモニターと組み合わせても、画面は映るだろうに。 わけの分からん話です。

≪写真4≫
  これは、モニターではなく、液晶テレビです。 「エスケイ・ジャパン」という会社が輸入した、「SOLARIA SRG-LE19A」という製品。 19インチ。 地デジ化に伴い、自室初の液晶テレビとして、買いました。 「沼津エスポット」というショッピング・センターで、19800円でした。 2011年8月下旬の事。 地デジ・オンリーですが、BS対応のレコーダーと組み合わせて、使っています。

  2015年8月に、四台目のパソコンを押入れから出して、自室のテレビの横に置き、ベッドに寝ながら使える、サブ・パソコンにしたのです。 テレビに、パソコン用の端子が付いていたから、そんな事を思いついた次第。

  テレビの入力切替を、「PC」にすると、パソコンの画面が映ります。 ちと、面倒ですが、パソコンの方が、立ち上がりに時間がかかるから、時間的には、ロスはありません。 最初、画面の横に黒い部分が出ましたが、テレビの設定で、画面調整をしたら、なくなりました。


  モニターは、パソコン以上に、道具そのものでして、どれも、特に大きな不具合が出なかった事もあり、印象が薄いです。 単純な電子機器というのは、壊れ難いんですなあ。 可動部分がないからなんでしょうねえ。

  ちなみに、画面の手入れは、普段は、カメラ用のブロワーで埃を飛ばし、週に一回、パソコン・モニター用の静電ブラシで、撫でています。

2024/06/02

筒井さんにお礼

  今回の筒井作品濫読も終わったので、この機会に、筒井さんへのお礼を述べておこうと思います。 【プレイバック】など、近年の掌編作品からいただいた設定で・・・。 もし、筒井さん御本人の目に留まった場合、お礼になるどころか、むしろ、激昂を誘発する恐れが濃厚ですが、所詮、素人が書いたものですから、鼻で笑って、御容赦あれ。

  同題の文章を、先行して、日記ブログ、≪換水録≫で公開していますが、こちらでの公開までに、1ヵ月半ほどあったので、その間に、加筆修正した部分があります。 しかし、大筋は、変わっていません。 この心更版の方が長いので、こちらを先に読んだ方は、換水録版を読む必要はないです。 先に換水録版を読んでいる場合、変更箇所は、主に後半なので、中年男が死んだ後あたりから、どうぞ。

  ちなみに、作中に、「なんちゃって大阪弁」が出て来ますが、私は、どちらかというと、東日本の人間なので、精確さに欠けても、関知致しません。 「なんや、これ? なめとんのか? うちの近所じゃ、鸚鵡かて、こないな喋り方せえへんわ」とか言われても、知らんっちゅーのよ。 それにしても、筒井さんが使う、一人称の種類が多いのには、改めて、驚いた。 普段は、自分の事を、何と言っているんだろう?



【夢の5分間】

  地獄、極楽にかかわらず、あの世など存在しないが、魂が消え去ってしまう前に、夢の形で、最後の望みが叶えられる事がある。 誰でも、死ぬのは初めてなので、迷わないように、小旗を持った案内人がいる。

「は~い! 最後の望みに、『筒井康隆先生に、お礼を言いたい』を選んだ人は、ここに集まって下さ~い! 今夜は、300人くらいかな。 これから、筒井先生の夢の中へ訪ねて行くわけですが、こんなに大勢で押しかけては、ご迷惑ですから、心を統一して下さい。 好きな作品を思い浮かべれば、自然に、纏まって行きますから」 

  300の魂が、うにょうにょと、離合集散して、人間の形に纏まるが、性別、年齢、顔立ちは、はっきりしない。 人数も、3人になったり、5人になったり、10人になったり。

「ああ、今夜も、一人に統一は無理か。 筒井先生は、作風がバラエティーに富んでいるからな。 まあ、いいでしょう。 では、出発します」

  もやもやした霧の中を進む内に、人数が、また増えて来た。 好みの違いが激しい読者達のようだ。 やがて、霧の中から、複雑な形をした大きな建物が姿を現し、一行は、その玄関先までやって来た。

「は~い、ここで~す! 前以て、注意ですが、夢を訪ねると言っても、先生と一対一で話ができるわけではないです。 会話は、期待しないで下さい。 あと、これは、筒井先生に限らない事ですが、作家の方は、読者の事を、編集者や作家仲間と比べて、遠い存在だと思っている事が多いです。 愛想のいい顔が見られなくても、最悪、迷惑がられたりしても、不満を言ったりしないで下さい。 こちらが、お邪魔している立場である事をお忘れなく」

  いつのまにか、300の魂は、一人になっている。 先生に会えるという期待で、心が一つに纏まったのだろう。 建物の中に入ると、建て増しを繰り返して来た古い旅館によく見られるような、不規則に張り巡らされた廊下を、二人で進んで行く。 目標を発見! トイレを探して駆けずり回っている筒井先生を、案内人が呼び止めた。

「こんばんは」
「あー、この辺にトイレはないかな?」
「私の夢ではないので、分かりかねます」
「あんた、前にも会ったような気がするな」
「先生の読者を案内して参りました」
「また来たのか。 夢を見るのも仕事の内だから、あんまり、同じような夢ばかり見るのは、困るんだが」
「その点は、ご安心下さい。 お邪魔できるのは、一回に5分までと決まっておりますし、夢に外部から介入した部分は、覚醒後、記憶に残らないようになっております」
「ほう。 御都合主義的に、うまく出来ているんだな。 こういうのは、どの作家の所へも行ってるの?」
「いえ、他界する直前の魂だけ、望みが叶えられるのです。 大抵の作家のかたは、読者より先に亡くなるので、こういう事はないのですが、筒井先生の場合、喜ばしい事に、長生きされているので、読者の側に先立つ者が多いという次第でして・・・」
「喜ばしい? ほんとに、そう思っているんだろうな?」
「読者の皆さんは、心から、そう思っています」
「この人がそう? 今回も、性別・年齢・顔立ちがはっきりせんな」
「大勢の魂がくっついているので、仕方ないのです。 今夜は、300人くらいです」
「体がボロボロ、崩れておるな。 端から、煙になって消えて行くではないか」
「こうしている間にも、こときれた者達の魂が脱落しているのです。 何か一言、お願いできますか」
「あー、どうも、皆さん、ようこそ、私の夢へ。 この度は、ご愁傷様です。 いや、まだ死んでいないのか。 お気を確かに。 傷は浅いですよ。 病は気からと・・・、だだだ駄目だ、我慢できん!」
「あっ! 先生、どちらへ!」
「知れた事! 起きて、トイレに行って来るのだ!」
「待って下さい! 読者の皆さんが、先生にお礼を言いたがっています!」

  目覚めようとしている先生に、300をかなり割ってしまった魂どもが、一斉に、声をかける。

「先生、ありがとうございます」
「先生のお陰で、楽しい人生でした」
「学生の頃から、ずっと、大笑いさせてもらいました」
「先生は、永遠に僕達のヒーローです」
「先生こそ、本当の天才です」
「ありがたや!ありがたや!(拝)」
「先生の作品から読み始めて、読書人の末席に連なる事ができました」
「やっと会えた! 【トリックスター】のチケットが買えなかったんですぅ! おーいおいおい!」
「泣き方で、年代が分かるな」

  先生に負けず劣らず、渋い声が語り始めた。

「覚えてねえだろうな。 あんたが東京に出て来てすぐの頃、飲み屋で隣に座った、ケチなヤクザさ。 あんた、酔っ払って、『絶対、有名な作家になってやる!』なんて抜かしやがるから、『賭けるか? もし、有名になったら、足洗って、あんたの小説、全部読んでやるよ』って言ったら、ほんとに、有名になっちまいやがって・・・。 しょうがねえから、指落として、カタギになって、汗まみれ埃まみれで働きながら、あんたの本、ずっと読んで来たよ。 虚構へ行っちまった時には、ちっと、手こずったけどな。 でも、最後まで、読み切れなかった。 俺の方が、先にお陀仏さ。 約束守れなくて ごめんよ、先生・・・」

  零れ落ちて、煙となって、消えて行く。 思わず、聞き入ってしまった一同、シーンと静まり返っている。 目覚めかけていた先生まで、フリーズしている。 案内人が先生に訊いた。

「記憶力には定評のある筒井先生ですが、本当の話ですか?」
「あんなの、知らんがな」
「すると、今のは、創作? 死ぬ間際に、虚構をブチかますとは、恐れ入りますなあ!」
「俺のファンなら、やりかねん」

  また、騒がしくなる。

「【俗物図鑑】を読んで以来、壺という壺が、みんな・・・」
「それは言うな。 飯がまずくなる。 といっても、もう、飯を食う機会はないが・・・」

「【走る取的】に戦慄しました!」
「多いなあ、そういう人」
「カフカと比べても、遥かに面白いのは、時間を詰めて、緊迫感を盛り上げているからでしょうか」
「模範的な批評だな」

「パスワードを、『56859』にしてました」
「そういえば、新潟空港で、『五郎八』という地酒が売っているというのは、本当かな? 『フライトが荒れるから、乗る前には買うな』という都市伝説まであるそうだが・・・」
「嘘、嘘!」

「『熊の木節』を歌って踊れます」
「いつ、歌って踊ったのだ?」
「1995年の1月と、2011年の3月と、2019年の終わり頃・・・」
「洒落にならぬ・・・」

「【家】と【長い部屋】が好きです」
「こらっ! 【長い部屋】は、筒井先生の作品ではない! 【遠い座敷】と言いたいんだろうが!」
「そう、それそれ!」

「【旅のラゴス】のお陰で、学問に目覚め、物理学者になれました。 テレポーテーション実験中の爆発で、この様ですが・・・」
「えっ! テレポーテーションできるところまで行ったの?」
「いえ。 発想を逆転させて、まず、爆発を起こして、そのエネルギーで、瞬間移動できないかと・・・」
「そりゃ、あんた、死ぬわ。 そりゃ、死ぬわ」

「中学の時、【村井長庵】と【問題外科】を、千回読み返しました」
「変態が混じってるぞ!」
「人体に興味が湧き、外科医になりました」
「尚、悪い!」

「先生の演劇物の作品が好きです」
「ハズレがないものね。 経験に裏打ちされていると、着想はもちろん、描き込みの深さや鋭さが違って来るのかも知れない」

「先生の動物ものが好きです」
「私も~! 動物が、ひどい目に遭わされないから、安心して読めますよね~!」

  八割方 目覚めかけていた先生が、やしやし戻って来た。 周囲をキョロキョロ見回しているのは、家族・友人・知人が見ていないか、警戒しているのかも知れない。

「今のは、女性の声ではないか?」
「はーい! でも、もう、50代ですけど。 うふふふ!」
「良い良い。 わしから見たら、50代なんて、まだまだ、娘役の内じゃ。 ふほほほほ!」
「まあやだ、先生ったら、お上手なんだから! おほほほほ!」
「むふふふふ! さあ、一曲踊ろうではないか」
「あら。 私が社交ダンスやってた事、どうして、ご存知なの?」
「声の雰囲気で分かる。 踊りたくて、うずうずしているのが分かる」
「でも、久しぶりだから、躓いて、倒れちゃうかも知れないわ」
「良いではないか、倒れたら倒れたで。 わしが支えてやろうほどに。 ほっほっほっ!」

  突如、旅館の廊下が、大きな円形ホールに変わったのは、先生の夢という、御都合主義的設定によるものだろう。 魂の塊から、50代女性の魂が分離して、先生に手を取られ、ホールの中央へ向かう。 昨今のアンチ・エイジング系テレビCMに出て来て、「50になりました(取材当時)」とか言いそうな、そこそこの美形だが、セクハラを避ける為に、それ以上の描写は控える。 案内人の指示で、観衆役を務める為に、300弱の魂が分離して、ホールの壁際に立つ。 それぞれ、人の形をしているが、魂だけなので、影が薄い。 中央の二人に、スポット・ライト。 ワルツがかかり、踊り始める。

  壁際で見ていた、青年と中年男らしき者の声。 以下、発話が長くなるので、状況に応じて、行間を開ける。

「僕の世代から見ると、筒井先生は、貫禄たっぷりの品行方正な紳士としか思えないんですが・・・」

「そうだろうね」

「でも、作品を読むと、性的に、とっても、極端な事が書いてあるでしょう? 落差が大き過ぎて、イメージが統一できないんです」

「そりゃ、先生の性的志向は、文学的に昇華されているから・・・」

「素朴な疑問なんですが、筒井先生って、スケベエなんですか?」

「こっ、こっ、こらっ! 失敬な事を言うな! 『大阪湾で、帆立貝から生まれた、最後の大文豪』と讃えられる筒井大先生を踏ん捕まえて、何たる雑言! スケベエなどという下劣なものでは、断じて、ない! 『鋭敏な性的感性で、人間の本質を抉っている』と評さなくてはいかん! そもそも、君は、昭和元禄に於ける性風俗紊乱の甚だしさを知らんのだろう。 中間小説誌に書いていた作家は、星新一先生を唯一の例外として、全員、エロを要求されたのだ。 筒井先生を、スケベエ呼ばわりして責めるとなれば、×××一など、色情狂で、病院送り。 ×坂××は、即逮捕。 ×××行なんか、即死刑。 大×××に至っては、即射殺なのだぞ」

「伏字にしなくても、今じゃもう、誰の事だか分かりませんよ」

  ホール中央では、タンゴ、ルンバ、ジルバを経て、パソドブレから、ジャイヴに突入し、先生が、到底 後期高齢者とは思えない、目にも止まらぬスピードで、ステップを踏んでいる。 「天才と見做されている割には、努力家の一面もある先生の事だから、90年代末に、≪Shall we ダンス? 2≫のオファーが来た時に備えて、自宅にダンス教師を招き、猛特訓に励んだ成果なのだろう」などと、勝手な推測を巡らせてはいけないのであって、ただ単に、夢の中なので、体の動きが若い頃に戻っているのである。 観衆から、「おおおうっ!」という、大きなどよめきが、繰り返し起こる。

「さすが、我らの先生だ!」
「なんて、華麗な方なの! 見ているだけで、イッてしまうわ!」

  と、呟きながら、ほんとに逝ってしまった女性の魂が、5、6、7、8、煙となって消えて行く。 こういう描写も、セクハラかな?

  中年男の主張は続く。 音楽がうるさいので、大声でがなりたてている。

「大体、筒井先生のエロは、エロそのものではなく、エロのパロディーなのだ。 エロ書けエロ書けと、けしかけていた編集者の面々も、筒井先生には、すっかり騙された。 確かに、先生の作品に出て来るのは、尋常でないエロなのだが、なぜか、勃起を誘わないのだ。 笑うのに忙しくて、勃っている暇がないのだとばかり思い込んでいたが、それは読みが足りない分析だった。 後年、【エロチック街道】を読んでいて、ズボンの前がきつくなったのを感じ、初めて、それまでの筒井作品のエロが、エロのパロディーであった事に気づいたのだ。 まんまと、してやられた編集者諸氏の、愕然としたその顔、是非とも間近で見てみたかったものだな。 自分より知能が高い存在に指図をしようなどと、身の程知らずな事を考えるから、しっぺ返しを喰らったのだ。 わはははは!」

「なるほど。 でも、パロディーであっても、変態性欲物なんかは、やはり、本人が、相応のスケベエでないと、書けないような気がしますが・・・」

「君は、洞察力に乏しい人だねえ。 先生の性欲は、ノーマルの範囲内に、きっちり納まっておる。 ただ、若い内に、この上なく魅力的な奥様と結婚するや、忽ち、東洋一の愛妻家になってしまったせいで、浮気を避ける為に、異性遊びを封印せざるを得なくなった辛い事情があるのだ。 元来 イケメンだった上に、名声が高まり、収入は増えて、モテる三条件が揃ったのだから、事ここに至ってはもう、美女ヶ原へハンティングに繰り出すしかないと、夜毎、猟銃の手入れに勤しんでいた矢先に、ウェディング・ブレーキがかかってしまったのだ。 ちなみに、これは、ウェディング・ケーキと、パーキング・ブレーキをかけたダジャレなのだが、高等過ぎるせいか、今まで、ウケたためしがない。 それはこの際どうでも良いとして、あと5年 独身だったら、千人斬りも夢ではなかった先生の、内面意識レベルの無念さは、涙なくしては推し量れぬ。 で、抑圧された性欲が、作品の中で縦横に解放された結果、一部の品性陋劣な読者から、スケベエと誤解されたに過ぎんのだ。 更に、フロイト的分析を逞しくすれば・・・」

  いつのまにか、ダンスを終えた先生、息一つ切らさず、汗一滴浮かべていない。 夢の中なら、肺気腫にならんじゃろとて、スッパスッパ 煙草を吸いながら、眉間に深い皺を寄せ、冷め切った目つき、ドスの利いた低音で、中年男の饒舌を遮る。

「そのくらいにしとけ。 人の性欲まで洞察せんでええ」 

「へへ~っ! 申しわけありませぬ~っ!」

「なにが、『大阪湾で帆立貝』やねん? わしゃ、ヴィーナスか? どうせ、性別を超越するのなら、せめて、ミューズにしとかんかい。 物を識らん奴め!」

「御指摘、一々ごもっともでございます~っ! 恐れ入りました~っ!」

「『東洋一の愛妻家』っちゅーのも、どういう形容やねん? わしゃ、ダムか? 鍾乳洞か?」

「ははっ! 『日本一』では、桃太郎みたいですし、『世界一』だと、大風呂敷過ぎて、リアリティーを欠くのではないかと慮りまして。 また、昭和中期の雰囲気を匂わせたいという下心も、僅かながら ございました事を、告白しておかなければなりません」

「そんなつまらん告白、わざわざせんでええ。 どうも、俺のファンには、馴れ馴れしい奴が多くて困る。 作家に対する畏敬の念が、根本から足りとらん。 脳なしの能なしの悩なしどもは、【読者罵倒】で、二度と小説が読めない体にしてやり、【朝のガスパール】で、新聞紙上へおびき寄せて、公開処刑、一匹残らず、根絶やしにしてやったと思っておったが、まだ、生き残りがいたか」

「私め、間もなく死にまするので、何卒、ご勘弁を~っ!」

「いいや、お前のような慮外者には、たとえ、今はの際であっても、おぎゃあと生まれた直後であっても、はっきり思い知らせてやった方が良かろう。 一体、俺を誰だと思っておるのだ? あの大江健三郎と文学論を交わした男なのだぞ」

「はて? 大江先生となら、筒井先生の方が、文学者として、上だと認識しておりますが」

「むむっ! 井上ひさしとも、ツーカーの仲だったのだぞ」

「ご冗談を。 筒井先生の方が、遥かに上でございます」

「むむむっ! 俺は江戸川乱歩に見出されて・・・」

「わははは! 江戸川先生は、短編と新人発掘に秀でていただけではございませんか。 筒井先生に長編を勧められたのは、筒井先生の伸び代を見抜かれた上で、自分は面白い長編が書けないから、反面教師にせよという意味だったのでございましょう」

「むむむむっ! 俺は、SF草創期に、小松左京と切磋琢磨した間柄なのだぞ」

「・・・・・」

「む! なぜ、答えない? どうなのだ? 俺と小松左京は、どっちが上なのだ?」

「・・・・・」

「頼む! 答えてくれ! 年寄りを不憫だと思って、何とか言ってくれよう!」

「筒井先生には、小松先生より、圧倒的に優れた点がございます」

「おおっ! さもあろう! して、それは、いかなる点じゃ? 先に断っておくが、BMIとか言うなよ」

「読者を、最後まで見捨てなかった事でございます。 小松先生は、【虚無回廊】を中絶した後、小説から遠ざかってしまわれたので、読者は、大変、寂しい思いをしなければなりませんでした。 しかし、筒井先生は、読者の事を忘れていなかった。 御高齢を押して、掌編小説を書き続けて下さった。 作家としての責務を全うして下さった。 読者として、こんなに幸せな事はございません。(涙袖拭)」

  満場、嵐のような拍手!

  先生、内心、

(いやあ、実は、特段 読者の事を考えてたわけやのうて、どうせ、コロナで外出できんから、暇潰しの手慰み、小遣い稼ぎに、担当編集者とのつきあいを兼ねて、ちょこちょこ書いてただけなんやけど、そないな事を告白できる雰囲気ではのうなってしもうたなあ・・・)

  と、思っているが、そこは役者魂、おくびにも出さない。

(みんな、喜んどんのやから、喜ばしときゃ、ええわ)

  先生、ふと気づき、中年男の魂を、端の方へ引っ張って行く。

「一旦終わった話を蒸し返すのは、小説の展開上、御法度だという事は承知しているが、これは、小説とは到底 言い難い、ただの駄文だから良かろう。 俺が大江健三郎より上というのは、どういう根拠で言ったのだ? 気になるではないか。 どうせ、大した根拠ではないだろうと思ってはいるが・・・」

「大江先生の作品は、片手の指で数える程度しか、読んでいません。 筒井先生の側に立って、推測しただけでございます」

「推測?」

「純文学に打って出るとお決めになった先生は、先生の性格から推して、まず、御自分を誉めてくれる者、つまり、御自分を評価してくれる存在を探されたものと思われます。 当時、安部公房先生が御健在でしたが、安部先生は、SFにも通じておられたので、筒井先生の事を、ドタバタ作家だと誤認されている恐れがございました。 危ない危ない、安部先生の一言で、純文学界から撥ねつけられてしまっては、敵わない。 そこで、次に白羽の矢が立ったのが、大江先生でございます」

「ぬぬ! お前、いやらしい推測をするなあ。 どういう育ち方をしたら、それほど下司な勘繰りができるようになるのだ? 親の影響とは思えんから、きっと、これまでに読んで来た本に毒されたのであろう。 これほどの下司妖怪を世に現出せしめてしまった、罪深い作家の顔が見てみたい」

  案内人始め、魂ども一同、先生を凝視しているが、先生は背中を向けているので、気づかない。 中年男の勘繰りは続く。

「ところが、【虚人たち】の時点で、すでに、筒井先生は、大江先生を超えていらっしゃった。 大江先生も、それを見抜かれたものと思われます。 もし、筒井先生を、御自分より下だと思われていたら、対等なおつきあいはなさらなかったでしょう。 筒井先生から、大いに得るものがあると思われたからこそ、お近づきになりたいと望まれたのだと考えられるのでございます。 【治療塔 二部作】は、SFとしては、珍作になってしまう事を覚悟の上で書かれた、筒井先生に対する、遠回しなオマージュなのではございますまいか?」

「ぬぬぬ! 言わせておけば、勝手な事を! 尿意さえ堪えていなければ、唯野仁に変身して、いくらでも、言い返してやるものを・・・」

「勝手ついでに、更に申し述べさせていただければ、筒井先生が、純文学界で成功するのは、約束された当然の成り行きでございました。 『私小説』などという、黴が生え、蛆が涌いた、自慰小説、手淫小説、せんずり小説としか言いようがない、最低に情けないジャンルが、王道ヅラをして罷り通っていたところへ、筒井先生が、世界の最先端文学を下敷きにした作品を引っ提げて乗り込んで行ったのですから、腐れきったマス掻き野郎どもが、太刀打ちできるわけがなかったのでございます。 凋んだチンチン握ったまま、びーびー泣き泣き、蜘蛛の子散らして逃げ惑った様子が目に浮かぶようでございますな。 痛快、痛快! わはははは!」

「ぬぬぬぬ! 痛快どころか、聞いていて、腹が立つ! 仮に、それが事実であったとしても、それは、お前ではなく、俺の手柄だ! 虎の褌で相撲をとる狐め! 大体、文壇とは、文学とは、そんな単純なものではないのだ! 貴様ごとき、三流読者風情に、何が分かる!」

「おっしゃる通りでございます。 私ごときには、先生の偉大さは、遥か下方から推し量る事しかできません。 しかし、先生より下だという点では、私も大江先生も、違いがございません。 筒井先生は、頂点に立ってしまったが故に、御自分を、上から評価してくれる存在を、永遠に失ってしまったのでございます」

「認めん! 認めんぞ! 猪口才な! 小癪な! 賢しら口を叩きおって・・・、お、おい、どうした? 崩れ始めておるではないか!」

「お別れでございます」

「待て! まだ死ぬな! 俺より長生きして、もっと、俺を誉め続けろ! 貴様ごとき、無知無恥無学な下司野郎でも、特に許す。 誉めて誉めて、誉めちぎるのだ!」

「筒井先生、万歳・・・」

  中年男の魂は、崩れ去り、煙となって消えて行く。 先生、目を見開き、口を開けて、煙草を落とし、呆然としていたのも束の間、さすが、作家人生を通して、批評家と戦い続けて来た萬戦錬磨の文傑だけの事はあり、すぐに立ち直る。

「ふん! あんな奴、大した事を言っていたわけではない。 饒舌でごまかしておったのだろう。 そもそも、俺は、文学なんて、全力でやっていたわけではない。 俺は、本来、役者であって・・・」

  と、そこへ、他の魂。

「先生の奥様物が好きです」

「えっ? ≪社宅奥様シリーズ≫見てくれたの? 嬉しいなあ。 懐かしいなあ。 もう、四半世紀になるんだなあ。 といっても、ぼくくらいの歳になると、つい、こないだのような気がするんだけどね。 郁恵ちゃんとは、その後、≪箱根湯河原温泉交番≫でも共演してるんだけど、そっちは、料理にうるさい小説家の役だったんで、監督に、『海原雄山風でいいですか?』って訊いたら、『あんな偉そうなキャラでは困ります。 筒井先生、地のままで結構です』って言われちゃってね。 お膳を引っ繰り返して、『なんだ、この料理はっ! 女将を呼べっ!』って、やってみたかったんだけど、残念だったなあ・・・。 あ、ごめんごめん、≪社宅奥様シリーズ≫の話だったね。 で、どうだった、ぼくの演技? あっちは、ファース担当の小さい役だったけど、その分、肩の力が抜けて、自然体で行けたと思うんだよね。 コミカルな役を自然体で演るのは、結構 難しくて・・・」

「いえ、そうじゃなくて、先生の奥様が出てくる、【妻の惑星】とか・・・」

「あ、そっち・・・。 いや、いいんですけどね」

「あのう・・・、ご気分を害されました?」

「いやあ、こんな事で、不機嫌になったりしませんよ」

「でも、先生、『不良老人』だから、キレ易いんじゃないかと・・・」

「いやいや、不良だったのは、80代前半までの話です。 コロナで出かけられなくなって、コンビニ前でウンコ座りとか、ゲーセンでとぐろ巻きとか、駅前でナンパとか、路地裏でカツアゲとか できなくなったんで、いい機会だと思って、さなぎセンターに入って、すっかり更生しました。 真人間になった事を一番喜んでくれたのは、かみさんでしてね。 どうも、私が不良だった間、近所の人から、からかわれていたらしいんですよ。 『お宅のご主人、おグレにおなり遊ばしたんですって? プッ!』、『まあ、奥様も大変ねえ。 プッ!』てな具合に。 なーに、他人なんか、勝手に言わせておけばいいんですよ。 雨降って、地固まる。 逆に、夫婦仲は良くなりました。 『あなたが立ち直ってくれて、嬉しいわ。 元不良を見る世間の目は厳しいだろうけど、二人で頑張って生きて行きましょうね』って。 泣かせるじゃありませんか。 女房と味噌は古い方がいいとは、よく言ったものです」

「その話、本当ですか?」

「冗談に決まっとるわ!」

「わあ! 怒った怒った!」

「怒ってません!」

  先生、ようよう、読者の相手をするのに倦み、再び、目覚めモードに向かう。 魂どもは、またぞろ騒ぎ出すが、もう、5分の期限が迫っていて、焦りまくる。

「【時をかけ・・・」
「それは、禁句だ!」
「なんで? 代表作なのに」
「それも、禁句だ!」

「【モ・・・」
「長くなりそうな話はよせ!」

  10歳くらいの少女。 薬品臭いパジャマ姿で、頭に包帯とネット。 痩せ細っていて、胸に抱き締めた、【愛のひだりがわ】の単行本が、やけに大きく見える。 魂だけなのに、立っているのが辛いのか、カタカタ小刻みに震えている。

「先生、大好きです」

  先生、一瞬、「わしゃ、こういうお涙頂戴が大嫌いなんじゃ!」と思ったものの、案内人に、ちらっと目をやると、一見して、

「天下の筒井先生ともあろうお方が、何をおっしゃいます。 ここは、クライマックスですぞ。 たとえ、作家としての先生が、この臭い場面に我慢がならなくても、俳優としての先生なら、演じきる事ができるはず。 もし、これが舞台だったら、演出家や子役の前で、『できぬ』とおっしゃいますか?」

  という顔をしているので、なにくそと、役者本能を奮い起こし、脊髄反射的に思い浮かんだ、この場に最も相応しいセリフを用意して、少女に近寄ると、片膝をついて、優しく抱き締めてやる。

「よく頑張ったね。 えらい、えらい」

  先生に抱き締められたまま、少女の魂が煙となって消えて行くのに連れて、大勢の声が一つに纏まって行く。

「先生、大好きです!」
「先生、大好きです!!」
「先生、大好きです!!!」

  ホールに、合唱となって、響き渡る。 天井が抜け、両手を広げた先生の体が浮き上がり、満天の星空に向かって上昇して行くのを、スポット・ライトの光芒が追い、魂どもの歓声が送る。

「先生、ありがとう!」
「先生、ありがとう!!」
「先生、ありがとう!!!」

  あー、あー、感度良好。 こちら、上空の先生。 お約束の人体飛行ポーズを決め、上ばかり見ていたが、突然、カメラの方を向き、

「ん? 飛行機ぎらいのわしが、涼しい顔して、空 飛んどるのは、変? いやいや、そら、誤解やわ。 わしゃ別に、高所恐怖症ではないんよ。 ただ、飛行機の安全性を信用しとらんだけで。 詳しくは、≪狂気の沙汰も金次第≫の【事故】を参照の事。 ちなみに、まだ、新刊で売ってます。 ほら、下を見ても、なんも怖いことない」

  と言って、視線を下に向けると、ホールの様子が、まだ見える。

「ああっ、読者達が、次々と、煙になって消えて行く。 そないにブンブン手ぇ振らんでもええのに・・・、そないに大声で叫ばんでもええのに・・・、安静にしとれば、あと何分か生きられるかも知れんのに、アホやなあ。 せやけど、読者とは、こないにも一途なものやったんか。 わい、肝でんぐり返ったなあ。 そないに慕うてくれんでも、本さえ買うてくれたら、先生、充分 嬉しいんやが。 できれば、文庫ではなく、単行本を。 更に欲を言えば、文庫も単行本も、どっちも。 そらさておき、こないに熱心なファンが仰山おるわいは、幸せもんや。 こっちこそ、おおきに・・・、おおきに・・・。 ふふ・・・、いつも、ニヒルでダンディーな俺に、泣き顔は似合わんな。 ここんとこ、涙もろうなっていかん。 忘れんぞ! 君らの事は、わしの命が続く限り、決して決して、忘れんぞ!!」

  もう、高く上がり過ぎて、魂どもの声は、ほとんど、届かない。

「ありがとう・・・」
「ありが・・・」
「あり・・・」

  夢に幕が引かれ、ホールも、大きな建物も消えて行く中、案内人が、ポツリと言う。

「先生、功徳を施されましたね」

  約1分後、トイレで生き返った心地を味わいながら、先生は、ふと思う。

「何か、夢を見とったんやが、綺麗さっぱり忘れてしもうたな。 駄洒落を思いついたような気が・・・。 虎の・・・、虎の・・・、おお! 『虎の胃を借るピロリ菌』というのはどうやろ。 使えるかも知れんから、メモしとこ」

  魂は、みな、煙となって消え去り、小旗を巻いた案内人だけが、そこそこの充足感と、いくらかの虚しい気持ちを抱えて、今夜も、霧の中を、とぼとぼと帰って行く。