読書感想文・蔵出し (37)
読書感想文です。 ここのところ、地味~に、沼津の図書館に通い、そこにある本だけを、地味~に借りて、地味~に読んでいます。 とりあえず、読むものがあれば、それでいいんですよ。 一人の作家に拘って、続けて読もうとすると、三島図書館まで行ったり、相互貸借を頼んだりしなければならないのですが、それほど、使命感に燃えて、読書しているわけではないのですから。
≪緋文字≫
ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1970年11月25日初版 11月30日5版
エラリイ・クイーン 著
青田勝 訳
沼津市立図書館にあった本。 沼津の図書館にある推理小説は、本が古い上に、状態が悪く、とりわけ文庫では、やたらと、水没形跡のあるものが多いのですが、新書サイズのハヤカワ・ポケット・ミステリーに関しては、単に古いだけで、損傷はそれほどでもないです。 ただし、この本に限っては、扉と小口に、水濡れ痕があり、古い本に慣れていない人だと、放り出したくなるような状態でした。
エラリー・クイーンの作品というと、私は、高校生の時に、学校図書室の本で、ドルリー・レーン物を読んでいます。 ≪Xの悲劇≫、≪Yの悲劇≫、≪Zの悲劇≫、≪レーン最後の事件≫の内、≪Y≫と、≪最後≫は、確実に読んでいるはず。 残りの2冊は、ちと記憶が怪しいです。
その後、同じく学校図書室にあった本で、エラリー・クイーン物を一冊読もうとしたんですが、どの作品だったか忘れてしまったものの、何だか、妙に軽い文体で、テレビ・ドラマのノベライズ本のような中身の薄さを感じたので、10ページも行かない内にやめてしまいました。 クイーン作品は、それっきり、35年近く、一冊も手にしていません。
この≪緋文字≫は、1953年の発表で、ダネイ&リーの、クイーン・コンビの内、執筆担当のリーが、自ら書いていた頃の、晩期の作品に当たるようです。 この二人、他者が書いた作品を、監修だけして、名義を貸すといった方法で、システマティックに小説を量産していたらしいのですが、私としては、そういうところが、あまり好きになれません。 何とも、アメリカ的だとは思いますが。
売れない推理作家ダークと、その妻マーサの夫婦関係が危機的状態になる。 彼らの友人エラリーが、その秘書ニッキーと共に、何とか、悲劇的な結末に至らないように、仲裁を続けるが、ダークの嫉妬深さが原因で喧嘩が絶えないというのに、マーサは、他の男とデートを繰り返す。 とうとう、ダークに感づかれて、最悪の事態に至るものの、実は・・・、という話。
凝っているといえば、凝っている。 アンバランスといえば、アンバランス。 全体の九割近く、最悪の事態の場面に至るまでは、推理小説らしいところが、ほとんどなくて、ただの、不倫妻の追跡劇に過ぎず、読むのがアホらしくなって来ます。 クリスティーの≪ABC殺人事件≫や、ポーの≪盗まれた手紙≫へのオマージュらしき謎が、ちょこっと出て来るだけ。
それが、最悪の事態の後、急展開して、それまでの話が、前置きに過ぎなかった事が分かります。 探偵役が謎解きをするまで、見事に犯罪の存在が隠されていて、「実は、こういう事だったのだ」という説明を、呆気に取られて読まされる事になります。 たまげたな、これは。 ゾクゾク感どころの話ではなく、背筋が凍りつくような気分になります。
「まず、殺人が起きて、次に、探偵役が捜査して、最後に、謎解きと犯人指名をする」という、基本パターンに慣れていると、こういう破格の物語には、強烈な刺激を受けますねえ。 破格といえば、クリスティーの≪そして誰もいなくなった≫や、≪アクロイド殺し≫が代表格ですが、この作品は、それらほどではないものの、準ずるレベルだと思います。
この作品、読み始めたものの、なかなか、推理小説らしくならないので、時間の無駄のような気がして、放り出してしまった人も多い事でしょうねえ。 最後まで読めば、途轍もないドンデン返しが待っていたのに、勿体ないことよ。
≪箱の中の書類≫
ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 2002年3月初版
ドロシイ・セイヤーズ 著
松下祥子 訳
沼津市立図書館にあった本。 これは、2002年と新しいので、かなり、綺麗な本です。 しかし、三角の大きな折れ痕が、あちこちのページにあり、過去に、非常識な利用者に借りられた事が分かります。 栞の代わりに、ページの隅を折る人がいるのですよ。 そーゆー事は、自分の本でだけにせよ。
ドロシー・セイヤーズ(1893年生‐1957年没)という人は、戦間期のイギリスで、推理小説の黄金時代を築いた作家の一人。 女性作家としては、アガサ・クリスティーと並ぶ存在だったと事。 ただ、作品は、クリスティーほど、多くはないようです。 この、≪箱の中の書類≫は、1930年の発表。 新書サイズの二段組みで、250ページくらいの長編です。
若い後妻と暮らす家に、二人の若い芸術家を下宿させた、電気技師の男が、田舎の別荘で、自ら採集したキノコに中り、死亡する。 外国から帰国した、先妻との間の息子が、父親の事故死に疑念を抱き、家政婦、下宿人の一人、後妻らが書いた手紙を捜し集めて、事件の真相に迫って行く話。
書簡体小説で、複数人の手紙を並べる形式で、話が進みます。 時系列は揃えられているので、ストーリーの流れを見失うような事はないのですが、手紙の書き手が代わるたびに、頭を切り替えなければならず、とっつきは悪いです。 手紙の書き手の中に、狂人や、嘘つきが混じっている可能性が仄めかされていて、「どうせ嘘なら、読んでも仕方ない」と思うと、なかなか、気を入れて読む事ができません。
電気技師が死んだ後、息子が帰国すると、俄然、面白くなります。 供述書という形は取るものの、実質的に、息子の一人称で、全体を見渡した描写がなされ、小説っぽくなるからです。 事故ではなく、殺人事件だと当たりをつけて、犯人を捜したり、殺害方法の謎解きをしたりと、推理小説らしさが全開になり、大いに、ゾクゾク感を覚えます。
惜しむらく、クライマックスが、科学実験室での顕微鏡検査というのは、あまりにも地味で、盛り上がりに欠ける。 残りのページ数から考えて、もはや、犯人は決まっており、検査結果がクロと出るのは分かっているのですから、尚更、つまらない。 まあ、撃ち合いよりは、ずっと、マシだと思いますけど。
クライマックスの前に、科学談義が長々と続くのですが、ストーリーとは、ほとんど関係がなくて、なぜ、こんなものを入れたのかが分かりません。 前年の、1929年に、ヴァン・ダインの≪僧正殺人事件≫が発表されて、アメリカで、大ウケしたのですが、セイヤーズも、それを読んで、影響を受けたのかも知れませんな。 SF作家からならともかく、推理作家から、科学を教えて貰おうとは、思いませんけど。
≪スペイン岬の秘密≫
ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 2002年3月初版
エラリイ・クイーン 著
大庭忠男 訳
沼津市立図書館にあった本。 2002年というと、16年前ですか。 作者が有名どころの割には、あまり借りられていないのか、状態が綺麗ですな。 この表紙ですが、円に入った写真が小さ過ぎて、何が写っているのか、よくよく見ないと、分かりません。 タイトルから推測して、スペイン風の家の一部なのだと思いますが、夕景なので、スペイン的な雰囲気は、あまり感じられません。
クイーンの作品には、前期に、「国名シリーズ」というのが、9作あり、この≪スペイン岬の秘密≫は、その9作目。 この作品の後、作風が変わって行くのだそうです。 1935年の発表。 クイーン作品の探偵役は、作者と同名の、「エラリー・クイーン」という人物ですが、小説は、三人称で書かれています。 ややこしくて、説明し難い関係ですが、実際に、作品を読んでみると、その種の事は、大した問題ではないと分かります。
アメリカ合衆国のスペイン岬にあるゴッドフリー邸で、主の妻の弟と、主の娘が誘拐される。 娘は無事に戻るが、その間に、屋敷では、主の妻の招待客である男が殺され、全裸にマントという奇妙な姿で発見される。 たまたま、休暇で近くに来ていて、事件に巻き込まれたエラリー・クイーンと判事マクリンが、地元の警視と協力して、稀代のジゴロだった被害者の過去を暴き、殺人犯をつきとめる話。
450ページくらい、ありますが、今風の文庫なので、それほどの長さではありません。 にも拘らず、読み終えるのに、一週間もかかってしまいました。 ヴァン・ダインの作品と比べると、明らかに、これは、プロの一流作家が書いたもので、小説としての格が、数段、上です。 しかし、一流作家の作品であっても、一流作品とはいえません。 推理小説に必須のゾクゾク感が欠けている点は、ヴァン・ダイン作品と同レベルです。
まず、登場人物の行動半径が、屋敷の中と、その周辺に限られており、舞台に変化がありません。 次に、聞き込み場面がやけに多くて、まるで、ファイロ・ヴァンス物みたいです。 とどめに、どうも、最初に尺ありきで、不要な描写を入れて、水増ししている観があります。 刈り込めば、3分の2くらいになるんじゃないでしょうか。 長過ぎるせいで、テキトーに読み飛ばしていても、犯人が分かってしまう、弛みが見られます。
犯人ですけど、探偵が謎を解く根拠とは関係なく、半分行かない内に、大体、分かります。 「たぶん、この人だろう。 もし、この人でなければ、この人の存在は、読者への目晦ましだろう」と、そこまでは、確実に分かります。 そして、それは、目晦ましではなく、ほんとに、犯人なんですな。 これでは、ゾクゾクのしようもありません。
同じ豪邸でも、イギリスの貴族のそれと、アメリカの金持ちのそれとでは、雰囲気がまるで違っていて、「これだから、アメリカの推理小説は、イギリスに敵わない」と、つくづく思わされます。 歴史の重みを利用できないと、こうも差が出るかと・・・。 ポーがフランスを舞台にした理由や、カーがイギリスに移住した気持ちが良く分かります。 トリックや謎は、負けず劣らず、よく考えてあると思うんですがね。
≪誰の死体?≫
創元推理文庫
東京創元社 1993年9月初版 1995年3月5版
ドロシイ・L・セイヤーズ 著
浅羽莢子 訳
沼津市立図書館にあった本。 普通の神経の人なら、指先直径1ミリでも、触れるのをためらうほど、状態が悪いです。 「きったねー、本だなー!」と、私も思ったんですが、他にないから、仕方ありません。 ちなみに、私は、図書館で借りて来た本は、除菌アルコールを湿したティッシュで拭いてから、読んでいます。
発表は、1923年。 セイヤーズ作品の最初の長編推理小説で、探偵役のピーター・ウィムジイ卿が初登場する作品でもあります。 ちなみに、クリスティーの≪スタイルズ荘の怪事件≫は、1920年の発表。 恐らく、クリスティーの作品を読んで、「自分にも、書けそうだ」と思って、書き始めた人の一人なんじゃないでしょうか。
高層住宅の最上階にある建築家宅の浴室で、全裸に鼻眼鏡だけをかけた男の死体が発見され、知人である素人探偵、ピーター卿に助けを求めてくる。 一方、時を同じくして、金融界の名士が失踪し、浴室で発見された死体が、その人物に似ていた事から、警察の捜査は混乱する。 ピーター卿が、友人のパーカー警部、従僕のバンターらと協力して、真犯人をつきとめる話。
以下、ネタバレあり。 しかし、読んでしまっても、これから、この作品を読むのに、支障はないと思います。 ネタバレを気にするほどの出来ではないからです。 「全然、面白くない」と言っては、ちと、嘘になりますが、「ほとんど、面白いところがない」と言えば、ほぼ、真。
「裸の死体と、失踪した金融界の名士が、似てはいるが、実は別人」という設定は、謎と言えば、確かに謎ですが、犯人が、なぜ、そんな事をしたのか、簡単な説明しかないので、よく理解できません。 「金融界の名士の方を殺したかった」のは分かりますが、裸の死体を、他人の家の浴室に置いておく理由はないんじゃないでしょうか? どちらも、隠してしまえば、より、完璧な犯罪になったと思うんですがね。
裸の死体なんて、余計なものが出て来るから、警察が怪しむのであって、百害あって一利なし。 これでは、犯人は、単純な判断力も持ち合わせない、アホウではありませんか。 「金融界の名士を殺した後、埋葬場所がないから、本来、裸の死体が入るべき墓に入れた」という事なんですか? いっや~、そんな面倒な事をして、死体の数を増やすより、山の中に穴でも掘って、金融界の名士の死体を埋めた方が、ずっと簡単だと思いますがねえ。
いくら、ミステリーだからって、なんでもかんでも、謎めいた設定にすればいいってものではないです。 そこのところが、分かっていないまま、小説を書いてしまったんじゃないでしょうか? これを出版した編集者も、分かっていなかったんですかね? 何となく、面白そうな設定だったから、売れそうだと思って、OKを出してしまったと?
翻訳のせいではないと思うのですが、妙に、文体が軽薄です。 リズミカルとも言えますが、コメディーではないのですから、もそっと、真面目な雰囲気を作った方が、犯罪を扱う推理小説としては、相応しいんじゃないでしょうか。 ピーター卿の人格そのものが、不謹慎と言っても良いです。 推理小説に於ける、コミカル・パートの効能を否定するわけではないですけど、読者に、不謹慎と思われるのを恐れて、主人公に言い訳させているのは、どんなもんなんでしょうねえ。
科学の学説を、そのまま、挟み込んだような部分が出て来る点、どうも、ヴァン・ダイン作品と似た匂いがします。 本来、書き手側ではなく、読み手側の人が書いたのではないかという、「二流」の匂いが感じられる点も、ヴァン・ダインぽいです。 第一作の発表は、セイヤーズの方が、3年早いですけど。
「セイヤーズには、ユダヤ民族に対する差別意識がある」と言われているらしいのですが、それは、第一作から、もろ出しで、出て来ます。 憎悪タイプではなく、侮蔑タイプの差別意識で、しかも、「自分だけでなく、世間全般が、そう思っているに決まっている」と思い込んでいる、無意識的な差別意識だから、始末が悪い。 当人には、悪意の認識がないまま、書いているわけだ。 むしろ、「ユダヤ人にしては、質素で真面目な人物にしてやったのだから、感謝してもらいたいくらいだ」と思っていたのでは?
もっとも、そういう事を言い出すと、ディケンズなんか、評価するのも問題外になってしまいますが、ディケンズが、近世から近代の人だったのに対し、セイヤーズは、近代から現代の人でして、同列には扱えません。
以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、
≪緋文字≫が、2月14日から、17日にかけて。
≪箱の中の書類≫が、2月17日から、22日。
≪スペイン岬の秘密≫が、2月25日から、3月3日。
≪誰の死体?≫が、3月4日から、6日にかけて。
クイーンせよ、セイヤーズにせよ、波長的には、私の好みから、だいぶ離れています。 探偵のキャラに、好きになれないところがあって、やる事言う事、鼻についていけません。 むしろ、その作家の代表的探偵キャラが出て来ない作品の方が、面白いような傾きがあります。
≪緋文字≫
ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1970年11月25日初版 11月30日5版
エラリイ・クイーン 著
青田勝 訳
沼津市立図書館にあった本。 沼津の図書館にある推理小説は、本が古い上に、状態が悪く、とりわけ文庫では、やたらと、水没形跡のあるものが多いのですが、新書サイズのハヤカワ・ポケット・ミステリーに関しては、単に古いだけで、損傷はそれほどでもないです。 ただし、この本に限っては、扉と小口に、水濡れ痕があり、古い本に慣れていない人だと、放り出したくなるような状態でした。
エラリー・クイーンの作品というと、私は、高校生の時に、学校図書室の本で、ドルリー・レーン物を読んでいます。 ≪Xの悲劇≫、≪Yの悲劇≫、≪Zの悲劇≫、≪レーン最後の事件≫の内、≪Y≫と、≪最後≫は、確実に読んでいるはず。 残りの2冊は、ちと記憶が怪しいです。
その後、同じく学校図書室にあった本で、エラリー・クイーン物を一冊読もうとしたんですが、どの作品だったか忘れてしまったものの、何だか、妙に軽い文体で、テレビ・ドラマのノベライズ本のような中身の薄さを感じたので、10ページも行かない内にやめてしまいました。 クイーン作品は、それっきり、35年近く、一冊も手にしていません。
この≪緋文字≫は、1953年の発表で、ダネイ&リーの、クイーン・コンビの内、執筆担当のリーが、自ら書いていた頃の、晩期の作品に当たるようです。 この二人、他者が書いた作品を、監修だけして、名義を貸すといった方法で、システマティックに小説を量産していたらしいのですが、私としては、そういうところが、あまり好きになれません。 何とも、アメリカ的だとは思いますが。
売れない推理作家ダークと、その妻マーサの夫婦関係が危機的状態になる。 彼らの友人エラリーが、その秘書ニッキーと共に、何とか、悲劇的な結末に至らないように、仲裁を続けるが、ダークの嫉妬深さが原因で喧嘩が絶えないというのに、マーサは、他の男とデートを繰り返す。 とうとう、ダークに感づかれて、最悪の事態に至るものの、実は・・・、という話。
凝っているといえば、凝っている。 アンバランスといえば、アンバランス。 全体の九割近く、最悪の事態の場面に至るまでは、推理小説らしいところが、ほとんどなくて、ただの、不倫妻の追跡劇に過ぎず、読むのがアホらしくなって来ます。 クリスティーの≪ABC殺人事件≫や、ポーの≪盗まれた手紙≫へのオマージュらしき謎が、ちょこっと出て来るだけ。
それが、最悪の事態の後、急展開して、それまでの話が、前置きに過ぎなかった事が分かります。 探偵役が謎解きをするまで、見事に犯罪の存在が隠されていて、「実は、こういう事だったのだ」という説明を、呆気に取られて読まされる事になります。 たまげたな、これは。 ゾクゾク感どころの話ではなく、背筋が凍りつくような気分になります。
「まず、殺人が起きて、次に、探偵役が捜査して、最後に、謎解きと犯人指名をする」という、基本パターンに慣れていると、こういう破格の物語には、強烈な刺激を受けますねえ。 破格といえば、クリスティーの≪そして誰もいなくなった≫や、≪アクロイド殺し≫が代表格ですが、この作品は、それらほどではないものの、準ずるレベルだと思います。
この作品、読み始めたものの、なかなか、推理小説らしくならないので、時間の無駄のような気がして、放り出してしまった人も多い事でしょうねえ。 最後まで読めば、途轍もないドンデン返しが待っていたのに、勿体ないことよ。
≪箱の中の書類≫
ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 2002年3月初版
ドロシイ・セイヤーズ 著
松下祥子 訳
沼津市立図書館にあった本。 これは、2002年と新しいので、かなり、綺麗な本です。 しかし、三角の大きな折れ痕が、あちこちのページにあり、過去に、非常識な利用者に借りられた事が分かります。 栞の代わりに、ページの隅を折る人がいるのですよ。 そーゆー事は、自分の本でだけにせよ。
ドロシー・セイヤーズ(1893年生‐1957年没)という人は、戦間期のイギリスで、推理小説の黄金時代を築いた作家の一人。 女性作家としては、アガサ・クリスティーと並ぶ存在だったと事。 ただ、作品は、クリスティーほど、多くはないようです。 この、≪箱の中の書類≫は、1930年の発表。 新書サイズの二段組みで、250ページくらいの長編です。
若い後妻と暮らす家に、二人の若い芸術家を下宿させた、電気技師の男が、田舎の別荘で、自ら採集したキノコに中り、死亡する。 外国から帰国した、先妻との間の息子が、父親の事故死に疑念を抱き、家政婦、下宿人の一人、後妻らが書いた手紙を捜し集めて、事件の真相に迫って行く話。
書簡体小説で、複数人の手紙を並べる形式で、話が進みます。 時系列は揃えられているので、ストーリーの流れを見失うような事はないのですが、手紙の書き手が代わるたびに、頭を切り替えなければならず、とっつきは悪いです。 手紙の書き手の中に、狂人や、嘘つきが混じっている可能性が仄めかされていて、「どうせ嘘なら、読んでも仕方ない」と思うと、なかなか、気を入れて読む事ができません。
電気技師が死んだ後、息子が帰国すると、俄然、面白くなります。 供述書という形は取るものの、実質的に、息子の一人称で、全体を見渡した描写がなされ、小説っぽくなるからです。 事故ではなく、殺人事件だと当たりをつけて、犯人を捜したり、殺害方法の謎解きをしたりと、推理小説らしさが全開になり、大いに、ゾクゾク感を覚えます。
惜しむらく、クライマックスが、科学実験室での顕微鏡検査というのは、あまりにも地味で、盛り上がりに欠ける。 残りのページ数から考えて、もはや、犯人は決まっており、検査結果がクロと出るのは分かっているのですから、尚更、つまらない。 まあ、撃ち合いよりは、ずっと、マシだと思いますけど。
クライマックスの前に、科学談義が長々と続くのですが、ストーリーとは、ほとんど関係がなくて、なぜ、こんなものを入れたのかが分かりません。 前年の、1929年に、ヴァン・ダインの≪僧正殺人事件≫が発表されて、アメリカで、大ウケしたのですが、セイヤーズも、それを読んで、影響を受けたのかも知れませんな。 SF作家からならともかく、推理作家から、科学を教えて貰おうとは、思いませんけど。
≪スペイン岬の秘密≫
ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 2002年3月初版
エラリイ・クイーン 著
大庭忠男 訳
沼津市立図書館にあった本。 2002年というと、16年前ですか。 作者が有名どころの割には、あまり借りられていないのか、状態が綺麗ですな。 この表紙ですが、円に入った写真が小さ過ぎて、何が写っているのか、よくよく見ないと、分かりません。 タイトルから推測して、スペイン風の家の一部なのだと思いますが、夕景なので、スペイン的な雰囲気は、あまり感じられません。
クイーンの作品には、前期に、「国名シリーズ」というのが、9作あり、この≪スペイン岬の秘密≫は、その9作目。 この作品の後、作風が変わって行くのだそうです。 1935年の発表。 クイーン作品の探偵役は、作者と同名の、「エラリー・クイーン」という人物ですが、小説は、三人称で書かれています。 ややこしくて、説明し難い関係ですが、実際に、作品を読んでみると、その種の事は、大した問題ではないと分かります。
アメリカ合衆国のスペイン岬にあるゴッドフリー邸で、主の妻の弟と、主の娘が誘拐される。 娘は無事に戻るが、その間に、屋敷では、主の妻の招待客である男が殺され、全裸にマントという奇妙な姿で発見される。 たまたま、休暇で近くに来ていて、事件に巻き込まれたエラリー・クイーンと判事マクリンが、地元の警視と協力して、稀代のジゴロだった被害者の過去を暴き、殺人犯をつきとめる話。
450ページくらい、ありますが、今風の文庫なので、それほどの長さではありません。 にも拘らず、読み終えるのに、一週間もかかってしまいました。 ヴァン・ダインの作品と比べると、明らかに、これは、プロの一流作家が書いたもので、小説としての格が、数段、上です。 しかし、一流作家の作品であっても、一流作品とはいえません。 推理小説に必須のゾクゾク感が欠けている点は、ヴァン・ダイン作品と同レベルです。
まず、登場人物の行動半径が、屋敷の中と、その周辺に限られており、舞台に変化がありません。 次に、聞き込み場面がやけに多くて、まるで、ファイロ・ヴァンス物みたいです。 とどめに、どうも、最初に尺ありきで、不要な描写を入れて、水増ししている観があります。 刈り込めば、3分の2くらいになるんじゃないでしょうか。 長過ぎるせいで、テキトーに読み飛ばしていても、犯人が分かってしまう、弛みが見られます。
犯人ですけど、探偵が謎を解く根拠とは関係なく、半分行かない内に、大体、分かります。 「たぶん、この人だろう。 もし、この人でなければ、この人の存在は、読者への目晦ましだろう」と、そこまでは、確実に分かります。 そして、それは、目晦ましではなく、ほんとに、犯人なんですな。 これでは、ゾクゾクのしようもありません。
同じ豪邸でも、イギリスの貴族のそれと、アメリカの金持ちのそれとでは、雰囲気がまるで違っていて、「これだから、アメリカの推理小説は、イギリスに敵わない」と、つくづく思わされます。 歴史の重みを利用できないと、こうも差が出るかと・・・。 ポーがフランスを舞台にした理由や、カーがイギリスに移住した気持ちが良く分かります。 トリックや謎は、負けず劣らず、よく考えてあると思うんですがね。
≪誰の死体?≫
創元推理文庫
東京創元社 1993年9月初版 1995年3月5版
ドロシイ・L・セイヤーズ 著
浅羽莢子 訳
沼津市立図書館にあった本。 普通の神経の人なら、指先直径1ミリでも、触れるのをためらうほど、状態が悪いです。 「きったねー、本だなー!」と、私も思ったんですが、他にないから、仕方ありません。 ちなみに、私は、図書館で借りて来た本は、除菌アルコールを湿したティッシュで拭いてから、読んでいます。
発表は、1923年。 セイヤーズ作品の最初の長編推理小説で、探偵役のピーター・ウィムジイ卿が初登場する作品でもあります。 ちなみに、クリスティーの≪スタイルズ荘の怪事件≫は、1920年の発表。 恐らく、クリスティーの作品を読んで、「自分にも、書けそうだ」と思って、書き始めた人の一人なんじゃないでしょうか。
高層住宅の最上階にある建築家宅の浴室で、全裸に鼻眼鏡だけをかけた男の死体が発見され、知人である素人探偵、ピーター卿に助けを求めてくる。 一方、時を同じくして、金融界の名士が失踪し、浴室で発見された死体が、その人物に似ていた事から、警察の捜査は混乱する。 ピーター卿が、友人のパーカー警部、従僕のバンターらと協力して、真犯人をつきとめる話。
以下、ネタバレあり。 しかし、読んでしまっても、これから、この作品を読むのに、支障はないと思います。 ネタバレを気にするほどの出来ではないからです。 「全然、面白くない」と言っては、ちと、嘘になりますが、「ほとんど、面白いところがない」と言えば、ほぼ、真。
「裸の死体と、失踪した金融界の名士が、似てはいるが、実は別人」という設定は、謎と言えば、確かに謎ですが、犯人が、なぜ、そんな事をしたのか、簡単な説明しかないので、よく理解できません。 「金融界の名士の方を殺したかった」のは分かりますが、裸の死体を、他人の家の浴室に置いておく理由はないんじゃないでしょうか? どちらも、隠してしまえば、より、完璧な犯罪になったと思うんですがね。
裸の死体なんて、余計なものが出て来るから、警察が怪しむのであって、百害あって一利なし。 これでは、犯人は、単純な判断力も持ち合わせない、アホウではありませんか。 「金融界の名士を殺した後、埋葬場所がないから、本来、裸の死体が入るべき墓に入れた」という事なんですか? いっや~、そんな面倒な事をして、死体の数を増やすより、山の中に穴でも掘って、金融界の名士の死体を埋めた方が、ずっと簡単だと思いますがねえ。
いくら、ミステリーだからって、なんでもかんでも、謎めいた設定にすればいいってものではないです。 そこのところが、分かっていないまま、小説を書いてしまったんじゃないでしょうか? これを出版した編集者も、分かっていなかったんですかね? 何となく、面白そうな設定だったから、売れそうだと思って、OKを出してしまったと?
翻訳のせいではないと思うのですが、妙に、文体が軽薄です。 リズミカルとも言えますが、コメディーではないのですから、もそっと、真面目な雰囲気を作った方が、犯罪を扱う推理小説としては、相応しいんじゃないでしょうか。 ピーター卿の人格そのものが、不謹慎と言っても良いです。 推理小説に於ける、コミカル・パートの効能を否定するわけではないですけど、読者に、不謹慎と思われるのを恐れて、主人公に言い訳させているのは、どんなもんなんでしょうねえ。
科学の学説を、そのまま、挟み込んだような部分が出て来る点、どうも、ヴァン・ダイン作品と似た匂いがします。 本来、書き手側ではなく、読み手側の人が書いたのではないかという、「二流」の匂いが感じられる点も、ヴァン・ダインぽいです。 第一作の発表は、セイヤーズの方が、3年早いですけど。
「セイヤーズには、ユダヤ民族に対する差別意識がある」と言われているらしいのですが、それは、第一作から、もろ出しで、出て来ます。 憎悪タイプではなく、侮蔑タイプの差別意識で、しかも、「自分だけでなく、世間全般が、そう思っているに決まっている」と思い込んでいる、無意識的な差別意識だから、始末が悪い。 当人には、悪意の認識がないまま、書いているわけだ。 むしろ、「ユダヤ人にしては、質素で真面目な人物にしてやったのだから、感謝してもらいたいくらいだ」と思っていたのでは?
もっとも、そういう事を言い出すと、ディケンズなんか、評価するのも問題外になってしまいますが、ディケンズが、近世から近代の人だったのに対し、セイヤーズは、近代から現代の人でして、同列には扱えません。
以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、
≪緋文字≫が、2月14日から、17日にかけて。
≪箱の中の書類≫が、2月17日から、22日。
≪スペイン岬の秘密≫が、2月25日から、3月3日。
≪誰の死体?≫が、3月4日から、6日にかけて。
クイーンせよ、セイヤーズにせよ、波長的には、私の好みから、だいぶ離れています。 探偵のキャラに、好きになれないところがあって、やる事言う事、鼻についていけません。 むしろ、その作家の代表的探偵キャラが出て来ない作品の方が、面白いような傾きがあります。