2018/09/30

読書感想文・蔵出し (42)


  読書感想文です。  今回で、コリン・デクスター作品は、おしまい。 最後の一冊を、清水町立図書館で借りたのがきっかけで、そこにあった、横溝正史作品に移行します。 横溝作品は、長編の主だったところは、自分で所有しているんですが、マイナー作品の方に、まだ、読んでいないものが、かなりあったのです。




≪悔恨の日≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 2000年10月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 文庫版もありましたが、新書版の方を借りて来ました。 文庫版と新書版では、訳者あとがきの内容が違うので、文庫版の方のあとがきも読んで来ました。 さすが、訳者だけの事はあり、ネタバレは書いてありませんでした。

  発表は、1999年。 コリン・デクスターの第13作。 前作からの間隔は、3年です。 デクスター氏は、モース警部シリーズを、第12作の、≪死はわか隣人≫で終わらせるつもりでいたのが、ファンの苦情に押し負けて、しぶしぶ、この第13作を書いたのだそうです。 そのせいで・・・、いや、詳しくは、後で書きます。


  ストレンジ警視の意向により、一年前、妙齢の看護婦が、自宅で手錠をかけられた姿で殺された事件が、モース警部のところへ回されて来るが、モース警部は、なかなか、引き受けようとしない。 ルイス部長刑事は、その看護婦と、モースが過去に関係があったと見て、警部の態度に疑念を抱く。 やがて、事件に関わる、第二第三の犠牲者が出て、モース警部が、本気で捜査を始めるが、その一方で、彼の体は、長年の不摂生が祟り、末期状態に落ち込んで行く、という話。

  以下、ネタバレ、含みます。

  キメラと言うと、語弊がありますが、過去の自身の作品から、多くの要素を移植して、新しく一作を拵えた観が強いです。 たとえば、耳が聞こえない人物の存在とか、広大なゴミ処理場で死体を見つける場面とか・・・。 セルフ・オマージュなどと言うより、このシリーズの歴史を回顧して、作者自身が懐かしんでいるように見えます。 同じような事は、晩期の作品全てで言えますけど・・・。

  事件の方は、そんな感じで、驚かされるようなところはありませんが、中盤以降に、それと並行して進む、モース警部の病状悪化の描写には、鬼気迫るものがあります。 あー、えー、そのー、これは、究極のネタバレなので、これから、この作品を読むという人は、絶対、この先を読まないで下さい。 宜しいでしょうか。

  では、すでに、この作品を読んだ、もしくは、今後も、読む気はない、という人だけを対象に書きますが、なんと、あろう事か、たまげた事に、モース警部は、この作品で、死んでしまいます。 犯人に撃たれて死ぬ、刺されて死ぬ、といった殉職ではなく、酒と煙草をやりすぎて、体がボロボロになった末の、病死です。 病院に担ぎ込まれ、手当てを受けながらも、手遅れで、死んで行くのです。

  こんな死に方をした名探偵役が、かつて、推理小説に存在したでしょうか? 大抵、シリーズ物の名探偵は、引退して、充実した余生を送ったり、遠くへ旅立ったりして、死ぬところまでは書かれずに、「また、どこかで、探偵の才能を発揮しているに違いない」という、読者に希望を持たせる終わり方をするものですが、モース警部は、50代で、自滅してしまうのです。 すっごい個性ですなあ。

  もし、作者の予定通り、第12作で、終わりにしてもらっておけば、こんなひどい結末にはならなかったものを・・・。 全て、第12作の後、続きを書けと、作者に強迫した、一部のファンがいけないのです。 知性レベルの高いデクスター氏の事だから、推理小説ばかり読んでいる、低劣な読者連中から、やいのやいの言われて、心底うんざりし、「こりゃ、やっぱ、モースを抹殺するしかないな」と思ったのではないでしょうか。

  13という数字も、いけないわなあ。 12で終わっておけば、1ダースだから、キリが良かったのに、ファンが、13作目を望んだばかりに、最も不吉な終わり方になってしまいました。 つくづく思うのですが、自分より頭のいい人間を、意の侭に動かせるなどとは、金輪際、思わない方がいいです。 こういう、てひどい、しっぺ返しを食らうのがオチです。



≪モース警部、最大の事件≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1995年2月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男/他 訳

  清水町立図書館にあった本。 この本を読む為に、わざわざ、貸し出しカードを作ってもらいました。 清水町の図書館へは、何回か行った事がありましたが、借りた事は一度もありませんでした。 町立なので、決して、大きくはないのですが、沼津の図書館にはない本があります。

  発表は、1993年。 コリン・デクスターの、唯一の短編集です。 全10編。 モース警部が登場する話が、6編。 その他が、4編。 訳者は、長編の方を全て訳した大場忠雄さんが、8編を担当している他に、二人いますが、訳者の違いで、訳文が読み難いという事はありません。 訳者が異なる作品だけ、訳者名を付します。

  以下、ネタバレ、含みます。


【モース警部、最大の事件】8P
  ディケンズの、≪クリスマス・キャロル≫をもじって、ケチで有名なモース警部が、自腹を切って、人助けをする話。 推理物ではないです。 モース警部シリーズのファンに向けた、サービス・エピソードのような小品。

【エヴァンズ、初級ドイツ語を試みる】24P
  服役中の男が、ドイツ語の試験を利用して、脱獄を図ろうとする話。 長編の方に出て来た、ベル警部が、ちょっと顔を出しますが、中心になるのは、刑務所の方です。 推理物の要素が、少し入っています。 ドンデン返しが重なるのが、欠点。

【ドードーは死んだ】14P
  第二次大戦中に、ドードーという名の女と知り合った男が、1990年になって、その女の素性を調べようとするが、モース警部の調査で、意外な真相を知る事になる話。 相談者の大胆な推理が、モース警部の捜査で、もっと大胆にひっくり返されます。 面白いですが、アイデア的には、ちと、月並み。

【世間の奴らは騙されやすい】24P 中村保男 訳
  観光客相手の詐欺グループの凝った手口と、仲間同士の騙し合いの様子を描いた話。 詐欺師の話は、誰が書いても、みんな、似たような感じになってしまいますな。 ラストに、どんでん返しが繰り返されるのが、欠点。

【近所の見張り】14P
  空き巣が流行っている住宅街で、空き巣に目をつけられたと思しきドイツ人の家を、モース警部が張り込みしていたら、意外なところに空き巣が入り、モース警部より深読みしていたドイツ人に、してやられてしまう話。 モース警部が、負けたままで終わるのは、珍しいですな。

【花婿は消えた?】26P 大村美根子 訳
  シャーロック・ホームズ物のパスティーシュ作品。 シャーロックとマイクロフトの兄弟が、ある事件について、違った見解を戦わせているところへ、ワトソンが、意外な情報を齎して、ちゃっかり、解決してしまう話。 パロディーですが、濃密で、面白いです。 ホームズ物のパスティーシュとしては、出色の出来。

【内幕の物語】46P
  被害者女性が書いた小説を参考に、モース警部が、相関関係を推理し、犯人を突き止める話。 ページ数の多さからも分かるように、これは、短編というより、長編の作法で書かれています。 肉付けして、膨らませれば、長編にできたはず。 作中作が、少し長過ぎて、読むのが苦痛です。 読者側も、長編のつもりで読むべきなのでしょう。

【モンティの拳銃】12P
  夫が原因で、子供が出来ない夫婦が、意外な方法で、妻を妊娠させる話。 生物学的な父親になる人物を、知能を基準にして選んだり、不倫関係で目的を達したりと、何とも、不謹慎な内容です。

【偽者】22P
  トラック泥棒が、「脱獄の常習犯が、また、脱獄した」という新聞記事を読み、それを利用して、警察から逃げ切ろうとする話。 どんでん返しがありますが、またか、という感じ。 デクスター氏は、こういうのが好きなようですな。 モース警部が、ちょっとだけ顔を出すものの、捜査には関係しません。

【最後の電話】24P
  ホテルの部屋で、男の死体が発見され、当初、心臓発作による自然死だと思われていたのが、愛人からの告白電話をきっかけに、殺人事件だと分かる話。 これは、長編用のアイデアで、使えなかったものを流用して、短編に仕立てたという感じがします。 モース警部と、ルイス部長刑事が、コンビで捜査に当たる雰囲気は、長編と変わりません。


  ああ、これで、デクスター作品とも、お別れか・・・。 しかし、長編の方は、後半、焼き直しが多かったので、そんなに、残念な気はしません。 デクスター氏は、推理作家というより、文学者なんですな。 次から次に、新しいトリックや謎を生み出すというタイプではないのです。 それなのに、なせ、面白いのか? 語り方が巧いから、としか答えられません。



≪悪魔の寵児≫

角川文庫
角川書店 1974年3月初版 1977年9月18版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 ≪モース警部、最大の事件≫を借りる為に出向いた時、貸し出しカードを作ってもらっている待ち時間に、書架を見ていたら、文庫コーナーに、横溝正史作品が並んでいて、読んでいない本もあったので、次に行った時に、早速、一冊借りて来たのが、この本というわけ。 個人の寄贈本のようです。 カバーがなくて、剥き出し。 波模様になる前の、角川文庫の本体表紙ですな。 1977年というと、横溝正史ブームが盛り上がっていた頃です。

  発表は、1958年から1959年にかけて、雑誌「面白倶楽部」に連載されたものだそうです。 私が生まれる前ですな。 解説によると、同時期に、雑誌「宝石」に、≪悪魔の手毬唄≫を連載していたそうで、毎月、手毬唄の原稿より、この作品の原稿の方が、常に早く書き上がっていたのだとか。 その理由を作者に訊ねたら、「あの作品は、そう考えなくても書ける」という答えだったそうです。


  精力旺盛な新興事業家の愛人たちの元へ、事業家の妻と、彼女の肖像画を描いている画家の連名で、奇妙な挨拶状が配達され、それを皮切りに、愛人たちが、次々と、エロ・グロ極まりない残忍な方法で、殺されて行く。 「雨男」という謎の人物が暗躍し、事業家の元妻で、蝋人形館を経営している女と、その性的奴隷である蝋人形師が、怪しげな役回りを演じる中、画家の妹と馴染みだった縁で、事件に関わった新聞記者が、金田一耕助・等々力警部らと競う形で、捜査を進めて行く話。 

  冒頭からしばらくは、新聞記者が中心人物ですが、金田一耕助が出て来た辺りから、誰が中心というわけでもなくなり、群像劇のようになって行きます。 金田一耕助が出て来たからといって彼が中心にはならないのは、他の横溝作品と同じ。 映像化されると、大抵、金田一が中心になってしまいますが、小説の方では、そういう事は、まず、ありません。

  「あの作品は、そう考えなくても書ける」と、作者が言った理由は、読み始めると、すぐに分かります。 明らかに、≪悪魔の手毬唄≫や、≪犬神毛の一族≫とは、作風が違っているのです。 戦前、正確に言うと、≪本陣殺人事件≫以前ですが、横溝氏は、江戸川乱歩作品に似た小説を書いていて、解説によると、そういうのを、「草双紙趣味」と言うらしいのですが、≪悪魔の寵児≫は、正に、そちらの系統の作品なのです。

  特に、前半は、そう。 新聞記者が、蝋人形館に忍び込む件りなどは、≪黒蜥蜴≫の世界そのもので、本格派推理小説として、横溝作品に親しんでいる読者なら、自然と、アホらしくなって来ると思います。 これは、子供騙しではないかと・・・。 もっとも、エロ・グロ色が強いから、子供向けとは、とても言えませんけど。 どのくらい、エロ・グロかと言うと、そのままでは、映像化できません。 とんでもない。

  金田一が登場すると、金田一の雰囲気に引っ張られる形で、話に、幾分、リアリティーが出て来ますが、本格派作品というところまでは行きません。 元が、草双紙趣味ですから、本格派の要素を後付けしても、ちぐはぐになるだけで、この程度の作品なら、この程度の展開で、充分だと思います。

  犯人は、意外といえば意外な人物ですが、それ以前に、登場人物が、どんどん死んで行くので、残りは、指を折って数えるほどになってしまい、「この人が犯人でないのなら、あの人がそうだろう」くらいなら、ほとんどの読者に分かります。 わざわざ、罠をかけるまでもなく、捕まえられそうな気もしますが、その点に目くじら立てて、批判を浴びせるほどの作品でもないです。

  死体の山が出来てから、犯人指名と、謎解きだけやって、「事件を解決」するという、迷探偵・金田一耕助物のパターンは、この作品でも生きています。



≪びっくり箱殺人事件≫

角川文庫
角川書店 1975年1月/初版 1976年2月/8版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 「清水町公民館図書室 昭和55年7月2日」のスタンプが押してあります。 町立図書館が出来る前には、公民館に図書室があったのでしょう。 この本は、寄贈本ではないです。 カバーはなくて、波模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。

  ≪悪魔の寵児≫を返しに行って、次の本を、テキトーに選んだら、これになりました。 以前、横溝作品の角川文庫版に、どんなものがあるか、検索した事があるので、≪びっくり箱殺人事件≫という本がある事は知っていました。 表題作が、少し短めの長編で、215ページくらい。 もう一作、中編作品が収録されていて、そちらは、70ページくらい。


【びっくり箱殺人事件】
  発表は、1948年の1月から9月にかけて、雑誌「月間読売」に連載されたものだそうです。 戦後すぐですが、≪本陣殺人事件≫は、1946年で、もっと早かったわけで、すでに、再始動したエンジンが温まり、書きまくっていた時期の作品という事になります。 戦後すぐで、東京が舞台なので、世の中がゴタゴタしており、≪本陣殺人事件≫のような、落ち着いた趣きは、全く感じられません。


  レビューを売り物にした劇場の依頼で、寸劇を演じる事になった、文士「幽谷先生」率いる一団が、劇中で使う、「パンドーラの匣」から飛び出した短刀で人が死んだのをきっかけに、劇場内で次々に起こる連続殺人事件に巻き込まれる話。

  講談調の文体で書かれた、ドタバタ喜劇という感じで、本格派横溝正史作品の文体に慣れた読者には、違和感が強いと思います。 戦後間もない頃の世相を強く映していて、当時なら笑えたであろうパロディーの類が、時代が変わってから読むと、元ネタが分からず、さっぱり笑えないのは、厳しいところ。

  金田一は出て来ません。 等々力警部が出て来るものの、捜査に入った警察全体を擬人化した人物という設定で、探偵役ではありません。 探偵役は、劇場にいた人物の一人が務めますが、ネタバレになってしまうので、ここには書きません。 その人物が犯人ではないかという疑いが、ラストの謎解き寸前まで残るので、バラせないのです。

  ドタバタ喜劇であるにも拘らず、推理小説としての謎やトリックは、しっかり考えてあって、謎解きの段になると、俄然、本格派的になって来ます。 若干、水と油的な感じがしないでもないですが、そもそもが、そういう点に目くじら立てるような、深刻な話ではありません。 何人か死ぬのに、深刻ではないのが、ちと、引っ掛かるといえば、引っ掛かりますけど。


【蜃気楼島の情熱】
  1954年9月に、雑誌「オール読物」に掲載された作品。 一回で、全部掲載した作品だから、70ページくらいの分量になったのでしょう。 セリフを刈り込んでしまえば、短編にもできると思いますが、 むしろ、エピソードを増やして、長編にした方がいいと思うくらい、舞台設定が、よく整えてある作品です。


  パトロンである久保銀造と共に、岡山の瀬戸内に来ていた金田一耕助が、沖合いの島に、龍宮城のような屋敷を建てて住んでいる、アメリカ帰りの資産家に招かれて、島に渡るが、翌朝、その男の若い妻が殺されているのが発見される。 男には、アメリカ時代に、最初の妻を殺された過去があり、その時に疑われたのと同じように、男に嫌疑がかかるが・・・、という話。

  辺鄙な地方が舞台で、奇妙な屋敷に、少し常軌を逸した人物が住んでいる、となれば、雰囲気的には、横溝正史ワールドのど真ん中です。 登場人物とエピソードを増やして、書き足せば、堂々たる長編になってもおかしくない設定です。 やはり、この世界観は、横溝作品の王道ですなあ。 実に、雰囲気がいいです。

  特殊な性格の人物を出して、その性格ゆえに、殺人計画が実行されたというところが、面白い。 過去の怨恨は、材料としては出てくるけれど、謎とトリックがメインの、純然たる本格派でして、どろどろしたところは、ほとんど、ありません。 もし、この作品が、映像化されたら、たぶん、どろどろした因縁話で、水増しされると思いますけど。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、

≪悔恨の日≫が、7月31日から、8月6日にかけて。
≪モース警部、最大の事件≫が、8月9日から、12日。
≪悪魔の寵児≫が、8月17日から、22日。
≪びっくり箱殺人事件≫が、8月25日から、30日にかけて。

  デクスター作品を全て読み終えられたのは、今年の収穫と言えます。 推理小説が、謎やトリックのネタ切れを起こして、マンネリ化したところに、新しい風を吹き込んだ作家なのですが、デクスター氏以降、世界的に注目を集める推理作家は、また、出なくなってしまいました。

  未だに、推理小説に、多くの読者がいるのは、「マンネリでもいいから、推理小説を読みたい」という人がいるからでしょう。 しかし、「進歩」や「発展」を目標にするのなら、もう、推理小説は、その資格を失ったジャンルという感じがしますねえ。 私のように、古典作品の方が面白いと感じる人間がいるのは、その証拠なのでは。

2018/09/23

読書感想文・蔵出し (41)

  読書感想文です。 前回、このシリーズをやったのは、7月15日でしたから、2ヵ月以上、開きましたな。 本の方は、ほぼ、断絶なく、読んでいるんですがね。 コリン・デクスター作品の続きになります。 




≪消えた装身具≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1997年4月 初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 借りて来たのは、文庫版ですが、390ページくらいあり、かなり、厚いです。 末尾の方に、プリンターで刷って、挿入・補修したページが、1枚ありました。 紙の質が全く違うのですが、うまく直してあって、そのページが近づくまで、分かりませんでした。 一体、どういう理由で、その1枚だけ欠けたのか、再プリントする時に、どこから、コピー元になる本を持って来たのか、謎が多いです。

  発表は、1991年。 コリン・デクスターの第9作。 おや? 前作からの間隔が、2年に戻りましたな。 解説によると、その頃、放送されていたドラマのストーリーが足りなくなり、原作者自らが、新作の脚本を書き下ろして、提供し、その後、原作者自らが、小説に書き直したのだそうです。 道理で、最初から小説として書いた作品と比べると、無駄に長いようなところがあるにはあります。


  アメリカから観光に来た団体客の一人が、オックスフォードのホテルの部屋で、死体で発見された上に、有名な宝飾装身具を盗まれた事が分かる。 その後、その装身具を受け取る予定だったイギリス人の男が殺される。 モース警部とその一味が、団体客や案内人達の、嘘を含むアリバイ証言に翻弄されつつも、二つの事件の背後にある複雑な相関関係を調べ、謎を解いて行く話。

  以下、ネタバレ、含みます。

  交換殺人に似た構図の共犯関係が出てくる話でして、デクスター作品にしては、ありきたりなモチーフを使っています。 この程度の話なら、2時間サスペンスや、1時間の刑事ドラマ・シリーズでも、出てきそうな感じ。 犯罪を複雑にしようとして、アリバイを作らせる為に、共犯者を設定したわけですが、この共犯関係が成立したきっかけが、観光バスの中で小耳に挟んだ会話だというから、どうにも、安っぽい。

  自作が映像化され始めると、映像製作サイドに気を使って、映像化し易い場面を入れたり、レギュラー出演者に気を使って、必要がないのに、出番を作ったりする事を、推理作家は、割と良くやるようですが、デクスター氏も、例外ではないようです。 まして、先に脚本ありきでは、映像的なストーリー展開になるのは避けられないか・・・。。

  それでも、面白い話なら、文句はないのですが、恐らく、脚本から話を作るのに不慣れだったんでしょう。 明らかに、刑事ドラマの一般的な作法に囚われていて、推理小説ならではの面白さが、損なわれてしまっています。 端的に、それを表しているのが、ラストの謎解き場面で、犯人を含む大勢の聴衆を相手に、モース警部が、講演でもするように、事件の真相を語るのですが、こんな大袈裟な場面設定は、小説ならば、不要、というか、邪魔です。 

  この、何となーく、推理小説らしさに欠ける雰囲気、何かに似ていると思ったら、ヴァン・ダインの、≪グレイシー・アレン殺人事件≫ですな。 あちらは、作者のオリジナルではなく、映画会社の脚本部が考えたストーリーを、ヴァン・ダインが小説に書いたものですが、映像化を前提にして、ストーリーを作ったという点では同じです。 そして、そういう事をやると、決して、いい小説にはならないわけだ。


  枝葉末節の事ですが、この作品から、モース警部の車が、ランチアから、赤いジャガーに変わっています。 うーん・・・、ジャガーで、赤ねえ。 モース警部は、50代の公務員で、独身独居なので、ジャガーくらい買えても、全然、おかしくはないですが、赤は、ちと派手すぎるのでは? 性格から考えて、もっと渋好みではないかと思っていたのですがね。



≪森を抜ける道≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1998年10月 初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 借りて来たのは、文庫版で、500ページくらいあります。 厚さを見ただけで、読む気をなくす人もいる事でしょう。 文庫版の方が新しいのに、水濡れ痕や、皺、汚れが目立ちます。 デクスターの後期代表作という事になっているので、読む人が多いのかもしれません。 この作品は、1994年に、新書版の方を、確実に借りています。 しかし、最後まで読んだかどうかは、不明。

  発表は、1992年。 コリン・デクスターの第10作。 何と、ここへ来て、前作からの間隔が、1年になりました。 どういう理由で、急に、書くスピードが上がったんでしょう? 前作の、≪消えた装身具≫が、最初、ドラマの脚本として書かれ、その後、小説化されたという事情と、何か関連しているのかも知れません。


  スウェーデンから、イギリスへ、一人旅に来ていた若い女性が、オックスフォードの森で行方不明になり、リュックだけが発見される。 一年後、タイムズ紙に投稿者不明の詩が掲載され、忘れかけられていた事件が、再び、世間の注目を集める。 事件を引きついだモース警部が、前任の警部が捜していたのとは別の森で、たちまち、白骨死体を発見するが、それは、男性の骨だと分かる。 一年前、スウェーデン人女性に何が起こったのかを、解明していく話。

  以下、ネタバレ、含みます。

  面白い小説なんですが、それは、書き方が巧みだからで、事件の内容は、絶賛するようなものではありません。 一口で言うと、≪キドリントンから消えた娘≫の焼き直しですな。 若い女性が失踪し、誰もが、何らかの事件に巻き込まれて死んだと思っていたのに、実は、生きていて、事件関係者の中に、紛れ込んで暮らしているというパターンです。

  短編小説を、アイデアはそのまま、長編に書き直すというケースは、珍しくありませんが、この作品の場合、長編を、より長い長編に、別作品として書き直したという感じです。 書き方は、練りに練ってあって、≪キドリントン≫に比べると、こちらの方が、遥かに面白く読めるようになっています。 デクスター作品を、3作か、せいぜい、5作しか読むつもりがないという読者なら、≪キドリントン≫を外して、こちらを入れるべきですな。 

  割と多い人数の共犯関係になっているという点では、≪死者たちの礼拝≫にも、似ています。 推理小説のアイデアそのものは、底をついてしまい、過去の作品から、断片を掻き集めて、一作、捏ね上げたものと思うのですが、それが分かっていても、小説としての完成度が高いお陰で、貶す気になりません。 他人の作品から、パクったわけではないのだから、こういうのも、アリなのかも知れませんな。


  ちなみに、今までの作品で、レギュラーとして登場していた警察医、マックス氏が、この作品の半ばくらいで、突然死してしまいます。 死亡推定時刻を、口が裂けても、はっきり言わない事で、特徴的な人だったのですが、あまりにも、あっけなく死んでしまって、読者としては、大きなショックを受けます。 この作品で、一番記憶に残るのは、そこですかね。

  上述したように、私は、この作品を、1994年に読んでいるのですが、「彼(モース)は、殺人犯人をつかまえるのが上手です」というルイス部長刑事のセリフと、作中に出てくるオペラ、≪ミカド≫の事だけしか、覚えていませんでした。 素人オペラの上演は、些か、強引な形で、話に挿入されています。

  作者は、別に、日本に興味があるわけではないのですが、なぜ、≪ミカド≫なのかと言うと、これは、私の推測ですが、作者が、日本から入る印税の多さに驚いて、「少し、サービスしてやるか」と配慮したんじゃないかと思います。 そういう事は、小説だけでなく、映画でも、よくある事でして、ストーリー上の必然性がないのに、特定の国に関するエピソードが挟み込まれていたら、それは、読者、もしくは、観客の数が多い国である事を、作り手が知っていて、媚びているわけです。

  同時に、正確な知識がないというのは、哀しいものでして、デクスター氏は、日本人のほとんどが、≪ミカド≫を見た事がないばかりか、どんな話かも、そんな題名のオペラがある事すらも知らないという事を、知らなかったのでしょう。 そもそも、日本人、オペラ自体を見ないからのう・・・。 「自分の作品を読むほど、知的な人達なら、当然、オペラも見るはずだ」と判断したのだとしたら、それはそれで、哀しい思い違いです。



≪カインの娘たち≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1995年10月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 文庫版がなくて、新書版の方を借りて来ました。 1995年が初版ですから、私が94年に、デクスター作品を何冊か借りた時には、確実に、この本は、図書館になかったわけで、もちろん、初読という事になります。 ふと気になったのは、94年の記憶で、私が覚えていた場面の一つが、今までに読んだ10作品の中に出て来なかった事です。 誰か別の作家の作品で読んだ場面と、ゴッチャになってしまったのでしょうか。

  発表は、1994年。 コリン・デクスターの第11作。 前作からの間隔が、また、2年になりました。 訳者あとがきによると、長編第10作と、第11作の間に、短編集が発行されているそうです。 それも、早川書房から出ているのですが、沼津の図書館にはありません。 隣の清水町の図書館にあるようなので、長編を全部読み終わってから、借りに行こうと思っています。


  オックスフォード大学の学寮に住んでいた博士が殺される。 その後、かつて、その学寮で用務員をやっていて、博物館に転職した男が行方不明になり、やがて、彼の刺殺体が川に浮かぶ。 用務員の妻と娘、妻の親友の女性教師が容疑者となるが、彼女らには、しっかりしたアリバイがあった。 殺害に使われたナイフが、いつ、博物館から盗まれたかに着目したモース警部らが、容疑者のアリバイを崩して行く話。

  以下、ネタバレ、含みます。

  前作、≪森を抜ける道≫が、デクスター作品の集大成と言われているそうで、なるほど、この作品を読むと、ピークを越えて、緩いながらも、下り坂に入ったような印象を受けます。 事件は、陰惨というほどでもないし、決して、暗い話ではないのですが、モース警部本人が、「来年には、引退する」などと、弱気な事を口にしていて、何となく、翳がかかったような雰囲気に覆われているのです。

  東野圭吾原作の、≪容疑者Xの献身≫という映画で、殺したい相手とは別に、まるで関係ないもう一人を、別の日に殺しておいて、捜査陣に、殺害日を錯覚させ、本命を殺したと思われている日には、実際には何もしていないから、取り調べを受けても、全く動揺する事なしに否定できる、という一種のトリックが出て来ました。

  その映画を見た時には、そういうアイデアを、初めて知ったので、新鮮な驚きがあったのですが、この、≪カインの娘たち≫に、似たようなトリックが出て来ました。 殺した日が違うから、完璧なアリバイがあって、捜査が撹乱されてしまうんですな。 では、この作品が、そのトリックの本家なのかと言うと、ちょっと、疑わしいところもあり、私が知らないだけで、それ以前の、別の作家の別の作品に、すでに使われている事も考えられます。

  例によって、デクスター作品は、トリックの目新しさで勝負する気はなく、人物描写の奥行きや、ストーリーの語り口で読ませるので、どんなトリックが使われていようが、あまり大きな意味はないという感じはあります。 最も古い作品でも、1975年ですから、すでに、推理トリックは出尽くしていて、瓦礫の中から、使えそうなものを漁って、物語を作って行ったというのが、デクスター氏がやった仕事とでも言いましょうか。 トリックがメインではないのに、この作家が、「本格派」に分類されているのは、奇妙な話ですな。

  必要なカロリーを酒で摂るという、モース警部の不健康な生活は、頂点に達した観があり、救急車で運ばれるわ、嘔吐は繰り返すは、ちと、笑えない領域に入っています。 昔から、名探偵は、自分の健康に気を使わないものですが、薬物依存ではなく、酒と煙草だけで、ここまで、体を悪くするのは、珍しいのでは?

  傑作とか、代表作とか言うほどの特長はないですけど、普通に読めば、普通に面白いです。 新書版の二段組みで、330ページくらい。 デクスター作品は、「早く読み終わりたい」という気分と、「終わって欲しくない」という気分が、相半ばしますなあ。 根っからの読書好きというわけではない私が、そう感じるという事は、平均よりずっと面白いという証明なのかも知れません。



≪死はわが隣人≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1998年3月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 これも、≪カインの娘たち≫と同じく、文庫版がなくて、新書版の方を借りて来ました。 割と、状態がいい本でした。 新書版は、二段組みなので、負担が大きいような気がしますが、訳者は、文庫版と同じですから、文字数は同じなはずで、錯覚に過ぎません。

  発表は、1996年。 コリン・デクスターの第12作。 前作からの間隔は、2年です。 96年というと、私の年齢では、もう充分、最近です。 作中に、ボスニア紛争の事が、ちょこちょこと出て来ますが、最近ですなあ。 もっとも、21世紀になってから生まれた人でも、もう、高校生なわけで、そういう人達にとっては、大昔なんでしょうけど。


  オックスフォード大学、ロンズデール・カレッジの学寮長が引退する事になり、後継者候補の二人が水面下で競い合う中、ある住宅街で、若い女性が射殺され、続いて、隣に住んでいる新聞記者が、同じように射殺される。 酒と煙草のせいで、いよいよ、糖尿病になったモース警部が、病気と戦ったり和解したりしながら、容疑者のアリバイを崩して行く話。

  以下、ネタバレ、含みます。

  ダラダラですな。 と言っても、≪オックスフォード運河の殺人≫から後の作品は、みんな、そんな感じですけど。 ダラダラと話が進みながら、少しずつ、謎が解けて行くわけですが、計算し尽されているというよりも、おおまかな流れだけ決めておいて、後は、筆の赴くままに、テキトーに書き綴ったという感じがします。 

  アリバイ・トリックは、代役を使うもので、前にもどこかで読んだような、ありふれたタイプです。 「DC」という頭文字が、謎の一つになるのですが、該当する人物が、ぞろぞろ出て来て、それが、推理小説に良く使われる、頭文字の謎のパロディーである事が分かります。

  デクスター氏は、本格派と言われていますが、トリックや謎に、造詣が深かったわけではなく、そちらの興味は、推理作家としては、平均以下で、「どうやったか?」よりも、「どう書くか?」の方に、エネルギーを注いだようです。 頭のいい人ですから、トリックや謎が、すでに出尽くしている事を、承知していたんでしょう。

  ダラダラなんですが、たぶん、デクスター作品のファンなら、歓迎すると思います。 推理小説を読みたいが、一方で、ゾクゾクする緊張感よりも、慣れ親しんだ文体の中に、どっぷり浸かるひと時が欲しい、という人達が多いわけだ。 決して多くはない作品数でありながら、そういうファンの一団を作り上げたのは、デクスター氏の偉業ですな。


  各章の始めに、引用文が置かれているのですが、知識・教養が欧米に偏っている、デクスター氏にしては珍しく、「孔子の言行録」からの引用が出て来ます。 ところが、内容は、下品なもので、とても、孔子と弟子の会話とは思えません。 論語はもちろん、孔子が関わったどんな著作にも、こんな会話は出て来ないでしょう。

  その点について、あとがきで、訳者が触れているのですが、論語の英訳版を調べても、該当する会話は載っていなくて、出典をつきとめられなかったとの事。 恐らく、英語で書かれた、論語のパロディーのような本があって、デクスター氏が、それを、実在する「孔子の言行録」だと思い込んだんじゃないでしょうか。 差別意識こそ窺えないものの、興味の対象は、アラブ世界が限界と思われる人物なので、充分にありうる事です。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、

≪消えた装身具≫が、6月28日から、7月5日にかけて。
≪森を抜ける道≫が、7月10日から、15日。
≪カインの娘たち≫が、7月15日から、20日。
≪死はわが隣人≫が、7月21日から、29日にかけて。

  デクスター作品は、長編が、もう一作。 他に、短編集が、一冊あります。 ちなみに、今は、清水町立図書館にある、横溝正史作品を読んでいます。 なんで、清水町立図書館に通うようになったかは、次回、説明します。

2018/09/16

セルボ・モード補修 ⑯

  車の修理・整備記録のシリーズ。 今回で、車検まで行くので、とりあえず、おしまいです。 実は、この夏は、車検後も、いろいろとやっているのですが、それはまた、いずれ。 他のシリーズもある事だし。 うーむ・・・、こうして見ると、私の引退生活は、車を弄るか、推理小説を読むかのどちらかになってしまった感がありますねえ。




【エンブレム貼り替え】

  細かい部品を買った時に、エンブレム・ステッカーも売っている事に気づき、一緒に買いました。 「SUZUKI」が、712円。 「MODE CERVO」が、993円でした。 結構、高い。

  貼り替えは、いつでもよかったんですが、車検前に見てくれを良くしておこうと思い、7月4日にやりました。 その前後数日、天気が悪くて、雨の合間を見い見い、作業しました。

≪写真1≫
  バック・ドア・ガラス左下に貼ってある、「SUZUKI」マーク。 1998年以前のスズキ車には、みな、この部分に、「SUZUKI」のステッカーが貼ってありました。 21年経つと、こんな風になります。 白地に黒になっていますな、

≪写真2左≫
  最初、指の爪で剥がしていたんですが、効率があまりにも悪いので、ネット情報に従い、スクレイパーを使いました。 金属製ですが、相手がガラスなら、キズを付ける事はないようです。 これのおかげで、かなり、剥がす時間を短縮できました。

≪写真2右≫
  新しいステッカーの貼り方も、ネットで調べました。 マスキング・テープで、一辺を押さえてしまって、それから、裏紙を剥がすとの事。 テープがなかったので、途中で、自転車で、ホーム・センターへ行き、買って来ました。 15ミリ×18メートルのが、80円。

≪写真3≫
  ペイントうすめ液で脱脂してから、貼りました。 気泡が入ったものの、カッターで切り込みを入れ、適当に押し付けて、数日したら、自然に凹んで、密着しました。

  このステッカー、本来の色は、透明地に、シルバーです。 古い方は、白黒、逆になってしまっていたわけです。 恐らく、シルバーの部分に銀が含まれていて、それが、黒化し、透明地は、キズがついて、白化したのでしょう。

≪写真4≫
  バック・ドア右下に貼ってある、「MODE CERVO」のステッカー。 亀裂だらけですな。

≪写真5≫
  塗装面に貼られたステッカーに、金属スクレイパーを使う事はできません。 で、ネット情報に従い、すでに用済みの、プラスチック・カードを使いました。 スクレイパーほど、スイスイ取れるわけではないですが、爪でやるよりは、マシでした。

≪写真6≫
  新しいのを貼りました。 これも、古いのと新しいのとでは、色が全然、違っています。 ゴールドの文字が、緑色になったのは、銅が含まれていたからでしょう。 透明地は、キズがついて、白化し、濃灰色だけが、元の色を保っていました。 新しくなったはいいけれど、何年くらい、この状態で、もつんですかねえ?



【ワイパー・ベース・ゴム貼り直し】

  車検前の足掻きで、最後にやったのが、これです。 7月7日に、作業しました。

≪写真上≫
  アフター写真だけなので、説明しないと分かりませんが、フロント・ウインドウ・ガラスと、ワイパー・ベースの間に、ゴムが貼ってあります。 その左端が、20センチくらい、捻じ曲がって、下、つまり、中に、落ち込んでしまっていました。

  ネットで調べたら、ワイパー・ベース側に、溝が切ってあって、そこに、細長いゴム部品が、両面テープで貼られているだけだという事が分かりました。

  で、ワイパー・ベースを外し、ゴムを一旦、全部取ってしまい、古い両面テープの滓を取り除いて綺麗にし、うすめ液で脱脂してから、新しい両面テープで貼り直しました。

  ゴムの捩れが、元に戻らないので、一部分、隙間が開いてしまっていますが、ワイパーが下りていれば、全く分かりません。

≪写真下≫
  これは、2016年に、運転席ドア・バイザーを貼り直した時に買った、超強力・両面テープです。 バイザーの時には、幅15ミリを、半分に切って使いましたが、今度は、それを更に半分に切って、使いました。 100円ショップのセリアで買ったもの。


  ちなみに、このゴムの正式名称は、「シール カウリング・アッパ・フランジ」。 ワイパー・ベースの正式名称は、「ガーニッシュ カウリング・トップ」。 分からんなあ。



【代車・Vivio Bistro / セルボ・モードの車検】

≪写真上・中≫
  7月9日、セルボ・モードを車検に出す為に、中古車ディーラーに持って行き、代車として、スバルの、「Vivio Bistro」を借りて来ました。 もちろん、代車ですから、こちらで選べたわけではなく、店長が用意してあったもの。 2年前に話をしたきりだったのに、私の家の車置き場が、旧規格の幅が狭い軽しか入れられない事を覚えていたのには、驚きました。

  ビストロは、1995年から、1998年まで、生産販売されていた車で、レトロ車ブームの嚆矢です。 ベースになったVivioは、1992年から出ていましたが、カッコいいとも、可愛いとも言い難いデザインで、パッとしませんでした。 ビストロの方が、遥かに商品価値は高かったです。 とは言え、現行規格に変わってから登場した、ミラ・ジーノに比べると、旧規格時代のレトロ車は、やはり、「レトロ・パーツをくっつけただけ」という印象は拭えませんな。

  この車には、リヤ・スポイラーが付いていますが、後付けしたのか、こういう仕様があったのかは、不明。 レトロ車に、エアロ・パーツは似合わないと思うんですがね。 全体の塗装の状態は、まあまあなのに、このスポイラーだけは、ガサガサになっていました。

  出だし、アクセルの反応が鈍いものの、走り出すと、いい感じで、エンジンもサスペンションも、私のセルボ・モードより良いと思いました。 この車、2年前には、そのディーラーで、中古車として売られていたのを覚えています。 メッキ・バンパーの一部が欠けているので、買う気にならなかったのですが、まさか、2年後に代車で乗る事になるとは・・・。

  あまりにも、汚かったので、外を水拭きし、落ち葉マークを剥がした痕がついていたのを、コンパウンドで落としました。 中も、大きなゴミを拾い、埃を拭き取りましたが、掃除機をかける気にはなりませんでした。 掃除機の方が汚れてしまいそうだったので・・・。

  ディーラーと私の家の間を往復した他は、母を乗せて、近所のスーパーに行っただけ。 もし、母を乗せる事がなかったら、車内の掃除はしなかったと思います。 使った分のガソリン、2リットルだけ入れて、返しました。

≪写真下≫
  7月16日、車検が済んだセルボ・モードを引き取りに行った時に、渡された書類です。 左側は、車検場での指摘項目。

外観/下回り ・緩衝装置-ロアアーム-損傷
排ガステスタ ・HC濃度超過 1,904ppm

  店長の話では、HC濃度は、300ppmが基準値だそうで、とんでもない数値が出ていた事になります。

  右側は、中古車ディーラーの請求書。

車検代 55000円
タイロッドブーツ交換 8000円
プラグ交換 4000円
キャブ調整 3000円
合計 70000円

  タイロッドブーツというのが、ロアアームの緩衝装置に当たります。 プラグ交換とキャブ調整で、HC濃度を下げたわけだ。 触媒交換に比べれば、安いそうです。

  予定していたより、お金がかかりましたが、これで、とりあえず、2年間は乗れるわけですから、文句はないです。 プラグ交換とキャブ調整のお陰で、エンジンの調子は良くなったので、結果オーライというところ。




  今回はここまで。 

  何もなければ、55000円で済んだところを、70000円になってしまったわけですが、それほど、高額出費した感じがしないのは、「車検と言ったら、10万かかるのが当たり前」という認識があったからだと思います。 1986年から、1992年まで所有していた初代ミラは、ダイハツのディーラーで車検に出していましたが、毎回、10万円と決まっていました。 その頃は、一年点検も受けていましたが、そちらがいくらだったのか、覚えていません。 車検が10万で、点検が1万という事はないと思うから、3万円くらい、払っていたのかなあ?

  働いていた時には、少ない時でも、年間、250万くらいの収入があったから、「その程度は、必要経費」と思って、何の疑問も感じないで払っていました。 今考えると、高いと思いますけど。 たぶん、その頃でも、安く代行してくれるところへもって行けば、車の維持費が半額以下になったと思います。 つくづく、知らないというのは、救われないものだて。

  「ユーザー車検」というのがあって、車検場に、自分で車を持って行って、検査を受ければ、もっと安く済むのですが、あれは、なかなか、ハードルが高いです。 すでに、何度も経験している人は、決まって、「簡単、簡単!」と言うものですが、それは、慣れているからであって、鵜呑みにできません。

  「ヘッド・ライトの光軸検査だけで、何回も落とされた」といった体験談もあり、休日を犠牲にして行く勤め人なら当然の事、引退した閑人でも、そんな事が繰り返されたら、嫌になってしまうと思います。 ユーザー車検ができる人の類型は、大まかに分けて、二種類あると思います。

  一つは、車の状態がいい人で、新車で買ってから初めての車検など、まだ、経年による不具合が起こらない内に、もって行く人です。 壊れていないから、当然、すんなり通る。 ただ、こちらは、そんなに割合が多くないでしょう。 新車を、短いサイクルで買い換えるような人達は、お金にゆとりがありますから、数万円を浮かせる為に、わざわざ、面倒なユーザー車検をやろうという考え方をしないからです。

  もう一つは、整備能力が高い人で、自分で直せる所は、自分で直そうとする人。 更に、その中でも、機械弄りが好きな上に、向上心があり、知らない事は、熱心に調べたり、知っている人に訊いて、整備士レベルの能力に、少しでも近づこうとする人。 こちらが、ユーザー車検を選ぶ人の、大多数だと思います。

  そういう、特殊な人達が、「簡単、簡単!」と言っても、一般レベルの人間には、ちっとも、簡単ではないのは、理の当然。 そういう人と親しくしていて、頼んで、代わりにやってもらうというケースもあるようですが、お金が関わって来る事ですから、その人に、お礼なしというわけには行かず、結局、払うお金は、ディーラーに頼んだ場合と大差なかった、というのなら、人様に借りを作らないで済む分、最初から、ディーラーに頼んだ方がいいような気がします。

2018/09/09

セルボ・モード補修 ⑮

  車の修理・整備記録のシリーズ。 まだまだ、続きます。 いかに、車検前の私が、うろたえていたかを、証明していますな。 もっと早く、本気で対策を取っておけば良かったものを・・・。 冬の間というのは、車を弄ろうなんて、コツメカワウソの小指の爪の先ほども、思わないんですな。 寒いから。




【前ブレーキ・パッド交換】

  今年(2018年)に入ってからだと思いますが、車の計器パネル内にある、「ブレーキ警告灯」が、走行中に、点いたり消えたりするようになりました。 正常だと、エンジンをかけた時に点いて、サイド・ブレーキを解除すると、消えるランプです。

  それが、ブレーキを踏むと点き、離しても消えません。 しばらくすると、消える事もありますが、一定していません。 当初、サイド・ブレーキのセンサーが壊れたのではないかと思ったのですが、自分では調べられないので、そのまま、乗っていました。

  車検が近づいて、「このままでは、まずいのでは?」と不安になり、本格的に調べたら、サイド・ブレーキは関係なくて、ブレーキ液タンクの中で、液面が下がっているから、センサーが作動して、警告灯が点いているらしいと分かりました。 液を足せば良いというものではなく、ブレーキ・パットが減っているのが、根本原因だとの事。

  これは、換えざるを得ますまい。 バイクのブレーキ・パッドなら、何度も交換した経験があります。 ちなみに、後輪は、ドラム・ブレーキなので、手が出せません。 交換対象は、前のディスク・ブレーキ・パッドだけです。 それだけでも、ブレーキ液タンクの液量は、かなり戻るはず。

≪写真1≫
  純正品は、7000円台なので、冗談ではなく、すぐに、互換品を探しました。 安いのは、2000円を割る品もありましたが、一応、「保安基準適合」のを選び、「MK樫山」という会社の品にしました。 ネットで、3240円。

  バイクでは、そのまま取り付けますが、車の場合、グリスを塗って、鳴き止めにするとの事。 グリスは耐熱性でなければならず、同じショップで、420円で買いました。 地味に、高い・・・。 先にグリスが届き、パッドは、取り寄せ品だったので、数日遅れました。 ちなみに、2点合計で、一定金額を超えていたので、送料は無料でした。

≪写真2≫
  6月28日に、交換作業をしました。 細かい事は省略しますが、手順だけ書きますと、ホイール・カバーを外し、ジャッキ・アップして、車輪を外し、キャリパー下のボルトを外して、キャリパーを持ち上げれば、パッドが外せます。 キャリパーのピストンを引っ込めてから、新しいパッドにグリスを塗り、取り付けて、今度は、逆の手順で戻して行きます。

  作業の難易度は、割と低い方だと思います。 下抜きオイル交換と、同じくらいでしょうか。 車輪を外すので、カー・ステップではなく、ジャッキで上げるのですが、その分、準備が簡単です。 左右の作業空間さえ確保できれば、車を動かす必要すらないです。

  ブレーキ・パッドを交換したら、ブレーキ警告灯は、正常に戻りました。 ブレーキ液タンク内の液面が上がったからです。 お陰で、運転中の鬱陶しさが、随分と減りました。 正常とは、気持ちのいいものですな。

  パッドのゴムの厚さを測ったら、古い方が、3ミリ。 新しいのは、9ミリでした。 車の場合、4ミリを切ったら、交換した方がいいらしいです。 バイクだと、3ミリあれば、5000キロくらいは、楽勝でもつんですがねえ。 車は、何かとお金がかかる事よ。

  ちなみに、今まで付いていたパッドは、「ロード・パートナー」というブランドで、マツダの純正部品でした。 私の車は、「オートザム裾野」で扱われていた事があるから、その時に、マツダの純正部品を使ったのでしょう。 なぜ、マツダの部品がスズキ車に使えるのかというと、アルトなど、他の車種で、スズキから、マツダに、相手先ブランド供給されているものがあるからです。

≪写真3≫
  キャリパーのピストンを引っ込めるのに使った、水道管用のプライヤー。 父の工具の中にありました。 思っていたより、遥かに簡単に、ピストンを戻す事ができました。 バイクの時にも、これでやれば良かった。 つくづく、知らないというのは、どうしょーもない事です。

≪写真4≫
  ジャッキ・アップして作業する時には、作業の衝撃や振動などが原因で、ジャッキが外れてしまう恐れがあるので、タイヤ・ハウスに近い、この位置に、落下止めを噛ましておきます。 私の車の場合、コンクリート・ブロック2段と、2×4の材木一本で足りました。 ピッタリでなくても、大体、隙間を埋めて、あと、ウエスでも押し込んでおけば、充分。

  「外した車輪を置け」と書いてあるハウツー・サイトもありますが、手軽な方法ではあるものの、本当にジャッキが外れた時に、車体や、ホイール、タイヤを傷つけてしまう恐れがあるので、他の物があるなら、他の物にしておいた方がいいと思います。

  アパートやマンション、団地など、集合住宅に住んでいて、コンクリート・ブロックなんて持っていないという場合、致し方ありませんが、そもそも、集合住宅の駐車場で、こんな作業をしていたら、隣の車に大迷惑でして、そういう場合は、どこか、作業できる場所を借りるか、自力整備は諦めて、ディーラーや整備工場に任せるしかありませんな。



【左ヘッド・ライト交換】

≪写真上≫
  左ヘッド・ライトの端の所に、亀裂が入っていました。 車を買って来て、2・3ヵ月した時に、バンパーをぶつけ、そのショックで、ここに、こんな亀裂が入ってしまったのです。

  バンパーそのものは、ちょうど、元からあったキズを直した部分だったので、もう一度やり直して、むしろ、 ぶつける前より綺麗になったのですが、ヘッド・ライトの亀裂は、直しようがなく、1年10ヵ月くらい、この状態で乗っていました。 雨水が入らないように、瞬間接着剤を塗りこんだだけ。

  古い車ですし、こんな細かいところ、見る人はいないと分かっているのですが、私本人は知っているわけで、どうにも、気分が悪い。 いつか、換えようと思って、ヤフオクで中古品を物色していたものの、なかなか、その気になりませんでした。

≪写真下≫
  車検前になって、「少しでも、見てくれを良くしよう」と決意し、ヤフオクで、左ヘッド・ライトを買いました。 出品者は、大阪の中古部品業者。 落札したのが、6月23日、支払いが、24日、発送が、25日、到着が、26日でした。 スタート価格の980円で落札し、税込み1058円。 送料が1512円で、合計、2570円。 本体は、相場より安かったですが、物が大きいせいで、送料が、本体価格より高くなってしまったのは痛い。

  本体に比べると、容積が2倍くらいある段ボール箱が届き、中を開けると、プチプチ・ビニールをぐるぐるに巻いて、厳重とも言うべき梱包がなされていました。 プラスチックではあるものの、一応、割れ物だから、用心したんでしょうか。 それとも、私が知らないだけで、業者の世界では、このくらいの梱包が当たり前なのか・・・。

  クリア剥げがあったので、コンパウンドで、せっせと磨いていたら、レンズと本体の嵌合部位を、一ヵ所、割ってしまいました。 痛恨のミスです。 ポレプロピレン製で、接着剤では着き難いので、手持ちのバンパー・パテで固め、色を塗って、使える状態まで直すのに、数日かかりました。

  7月3日に、交換作業をしました。 ネツトで、ライトの外し方を調べてからやったのですが、結構、手こずりました。 本当なら、バンパーを外してから行なう作業らしいのですが、バンパーはそのままで、強引にやったので、外し難いわ、入れ難いわで、もう、大変。 その上、迂闊にも、ナットをエンジン・ルーム内に落としてしまい、針金に磁石を括りつけて、拾い上げたりしていたので、えらく手間取りました。

  メイン・バルブ(電球)と、サイド・スモール球は、外したヘッド・ライトから、移植しました。 光軸の調整方法も、一応、調べたんですが、どうせ、車検に出すのだから、中古車ディーラーで調整してくれるだろうと思って、自分では何もしませんでした。 全ての球が、ちゃんと点けば、充分です。 どうせ、夜は乗りませんし。

  ビフォー写真と角度が違うので、分かり難いと思いますが、1年10ヵ月ぶりに、亀裂がない状態に戻りました。 あー、清々した。 クリア剥げがあるものの、近づいて目を凝らさなければ、分かりません。




  今回はここまで。 

  前ブレーキ・パッドに関しては、やらなければならない事だったので、多少の出費は致し方ないです。 一度、経験したから、次の交換もできるわけですが、私の場合、一年間の走行距離が、極端に少ないですし、この車が、いつまで、致命的故障を起こさずに乗れるか分からないので、次は、ないかもしれません。

  ヘッド・ライトの方は、ほとんど、見てくれの問題で、たぶん、換えなくても、車検には差し支えなかったと思いますが、思い切って換えたお陰で、気分は良くなりました。 ちなみに、外した方は、捨てずに取ってあります。 細かく砕いてしまえば、埋め立てゴミに出せると思いますが、そんなに大急ぎで捨てる事もないです。 今後、車をぶつけて、ヘッド・ライトが壊れた時に、新しいのを手に入れるまでの繋ぎとして使えますから。 そんな事は起こらないような気がしないでもないですが・・・。


  オマケとして、ささやかな経験から、ヘッド・ライトの中古品を買う時の注意点を書いておきましょうか。

  「レンズに亀裂が入っている」のは、問題外としても、どうせ、みんな使い古しなので、どれを選んでも、大差ないです。 クリア剥げは、当然ですし、黄ばみがあっても、コンパウンドで除去できるから、それが理由で、安いのを候補から除外するのは、勿体ない話。

  「レンズ内に、水滴あり」などと書いてあると、致命的欠陥と思うかもしれませんが、バルブの穴からウエスを入れるか、ティッシュを詰め込んで、拭けばいいだけの事です。 雨のたびに浸水するというのなら、嵌合部位全周を、パテやボンドで埋めてしまうという手もあります。 嵌合部位は、外から見えませんから、見てくれ上の問題にはなりません。

  そもそも、レンズ内に浸水する原因は、バルブの入れ方を間違えたり、ブーツの嵌め方が悪かったりといったケースが多く、嵌合部位に隙間が出来ているというのは、稀なんじゃないでしょうか。 ちなみに、バルブを押さえるバネのかけ方が分からないという人は、大変、多いらしいです。 ハッとするくらい単純な構造なんですが・・・。

  取り付けボルトが欠けているとか、ボルトが入っているプラスチックが割れているとか、そういうのは、ボルトの移植や、パテによる補修で、ほとんどが、直せます。 とどのつまり、レンズ割れだけが、買わない理由として残るわけです。 大きさ的に、送料は、千円以下にはなりませんから、本体は、極力、安い物を選んだ方がいいと思います。

  「そんなケチ臭い修理はしない」という方は、いっそ、新品を探す事をお薦めします。 生産中止から20年経っているセルボ・モードでも、新品が売っていますから、他の車種でも、あるんじゃないでしょうか。 ちなみに、セルボ・モードのヘッド・ライトは、片側、送料別で、26568円です。

  左右とも、新品にすれば、メチャクチャ、清々するでしょうねえ。 同時に、全塗装もやったら、もう、人生のピーク的な幸福感を味わえると思います。 もっとも、そういう思い切った大修理をした直後に限って、電柱とかにぶつけて、廃車にせざるを得なくなったりするものですけど・・・。

2018/09/02

セルボ・モード補修 ⑭

  車の修理・整備記録のシリーズ。 今回、組写真が長いです。 分離して、一つ一つに解説文をつけた方が、読み易いとは思うのですが、それをやると、写真の枚数が増えて、アップが大変になってしまうのです。 というわけで、申し訳ないのですが、興味がある方は、頑張って、読んで下さい。

  私の修理レベル意識は、決して、高くないですが、私よりも低い人になら、参考になる事もあるかもしれません。 誤解を招かないように、申し添えておきますと、車の自力修理ができないからと言って、恥ずかしさを感じる事は、全くないと思います。  恥ずかしいのは、できないのに、自分でテキトーにやって、事故を起こす事でして、自分でできない事を、プロに任せるのは、至って、真っ当な対処法です。




【パーセルシェルフ・ホルダー / プラグ・コード・クランプ / グリル・クリップ】

≪写真1≫
  車検前、土壇場の足掻きで、車の修理部品を、ネットで買いました。 6月20日に注文し、26日に発送され、27日に届きました。 発送までに時間がかかったのは、一部の部品が、取り寄せ品だったからです。 全部で、8種類、12点。

  以前は、「車の部品は、生産終了から10年で廃棄されてしまう」と言われていたのですが、今は、そうでもないようで、ある所にはあるようです。 ネット時代になって、個人で注文できるようになったから、顧客が増えて、「廃棄するよりも、保管しておいて、売った方が得」と考えるようになったんでしょうか。

≪写真2≫
  これは、「パーセルシェルフ・ホルダー」という部品です。 ハッチ・バック車で、荷室の上を塞ぐ板を、パッケージ・トレイと言いますが、スズキでの正式名称は、「パーセルシェルフ」で、それを留めるホルダーだから、「パーセルシェルフ・ホルダー」。

  1個、108円。 ただのプラスチックで、大きさから考えると、高いですが、これが割れていたせいで、2年間、惨めな気分で過ごして来た事を思うと、新品が手に入るのなら、216円くらい、ちっとも高いと思いません。

≪写真3≫
【左端】 左右とも、割れてしまって、接着剤で着けても、すぐに取れてしまうので、スポンジを貼って、緩衝材にしていました。 しかし、どう見ても、車の直し方じゃないですねえ。

【中左】 ホルダーを外したところ。 四角い孔に嵌め込んであるだけなので、孔に入っている部分を、下から、マイナス・ドライバーで押してやれば、外せます。

【中右】 新品のホルダーを取り付けたところ。 これが、正常な姿なんですなあ。 まさか、この部品が、新品で買えるとは思っていなかったので、感無量です。

【右端】 パッケージ・トレイを下ろして、嵌め込んだところ。 思っていたよりも、ガッチリ、ホールドされます。 外す時に、ベース部分を押さえなければならないくらいです。 このお陰で、走行中の異音が、だいぶ、減りました。

≪写真4≫
【左】 エンジン・ルーム内です。 エア・クリーナーの横にブラケットが飛び出しています。 どう見ても、何か付いていたものが、なくなっていると思われたので、ずっと気になっていました。

【中】 で、調べたら、「プラグ・コード・クランプ」という部品が欠品している事が分かりました。 こういう形の物です。 プラスチック製で、140円。 安いという事は、他の車種で、今でも使われているのでしょう。 ヤフオクで、他のクランプと2個セットで、1500円というのが出品されていましたが、元の値段を知らない人なら、買ってしまうかもしれませんなあ。

【右】 取り付けました。 クランプのホールド部分は、4ヵ所ありますが、3気筒なので、プラグ・コードは3本で、1ヵ所、余ります。

  これも、どうして、なくなったんでしょうねえ。 一般ユーザーが弄るような所ではないですし、整備士だったら、外した部品は、必ず、付け直すと思うので、やはり、人手を渡っている合間に、部品取りされてしまったんですかねえ。

≪写真5≫
  バンパーと一体になっているグリルですが、上端をメンバーに留めている部品が、3ヵ所、最初から付いてなくて、結束バンドで、代用していました。

≪写真6≫
  車検を前にして、「結束バンドでは、まずいかな・・・」と不安になり、調べたところ、どうやら、3ヵ所とも、プッシュ・リベットで留めるらしいと分かり、孔の径を測って、ネットで、プッシュ・リベットを注文しました。

  ところが、届いてみたら、径が太過ぎて、入りません。 迂闊にも、ノギスの目盛りを読み違えて、測り間違えたんですな。 送料込み、145円の品だから、ショックを受けるほど、損した感じはなかったですけど。

  で、測り直してみたところ、2年前に、スカッフ用に買ったプッシュ・リベットが使えそうだと分かり、それを出して来て、入れてみたら、硬かったものの、何とか、入りました。

  とっくに、調べておけば、とっくに、正常な状態に出来たのにねえ。 知らないというのは、どうしようもない事です。



【バンパー・サイド・ビス / フランジ・ボルト / フード裏スポンジ】

≪写真1≫
【左】 新しく買った、バンパー・サイド・ビス。 1個、54円。 

【中】 交換したところ。 フロント・バンパー左右横の、後ろの方を、ボディーに留めています。 実は、ビスの相手側になる、グロメットも買ったのですが、元から付いているのが、まだ使えそうだったので、今回は、出しませんでした。

【右】 外したビス。 長い方は、錆びてはいるものの、新しく買ったビスと同じ品です。 短い方は、車の部品とも思えない奇妙なビスで、なんで、こんな物を付けたのか、理由が分かりません。 過去に、かなり、いい加減な人間が、分解と組み立てを行なった模様。

≪写真2≫
【左】 バンパー下側のボルト。 一年前、私がバンパーを外そうとして、ボルトを折ってしまい、家にあったボルトで、代用してありました。

【中】 黒くて、短いのは、新しく買った、純正のボルト。 1個、54円。 ところが、ナットの方に、下駄を履かせているせいで、これでは、届かず、せっかく買ったのに、使えませんでした。

  やむなく、ホームセンターで、頭の形が同じで、長さが長い、「フランジ・ボルト」というのを買って来ました。 4本入りで、110円。 最初、純正品に合わせて、色を黒く塗ってみたのですが、どうせ、締め付ける時に、一部、剥がれてしまいますし、純正品だからと言って、ビス・ボルトの色は一定していないわけですから、意味がないと思い、剥がしてしまいました。

【右】 締め付けたところ。 あまり、変わっていないようですが、ワッシャーがない方が、車部品のボルトっぽいです。 このボルトで締めてあれば、中に、下駄を履かせたナットを使ってあるとは、誰も気づかないでしょう。

≪写真3≫
  ボンネット(エンジン・フード)の裏側、先端、左寄りに、スポンジが貼ってあります。 何の役をしているのかは、不明。 これが、劣化して、ボロボロになっており、前々から、どうにかしなければと思っていました。 最近は、一部、吊る下がっている始末。

≪写真4≫
  スポンジは、G17系のボンドで、接着できると知り、手持ちの、「Gクリヤー」で貼ってみたら、こうなりました。 しかし、触ると、スポンジが粉になって、ボロボロ崩れるという有様で、とてもとても、こんな状態で、車検には出せません。

≪写真5≫
  まず、ダイソーで、代用になりそうな、スポンジ・テープを見つけ、買って来ました。 隙間を塞ぐのに使う、「すきまテープ」という品です。

  その上で、古いスポンジを剥がしました。 スポンジそのものは、ボロボロなので、簡単に取れました。 両面テープがこびりついていたのを、ペイントうすめ液で溶かして、拭き取り、ついでに、脱脂。

≪写真6≫
  ダイソーの、スポンジ・テープを、二段重ねにして、貼り付けました。 幅36センチ、高さ4センチ、奥行き3センチで、奥行きだけ、元から付いていた物より、1センチ長いです。

  本当なら、純正品の方がいいのですが、このスポンジだけは、見付けられませんでした。 パーツ・カタログの図に載っていないのです。 フードそのものを買えば、貼ってあるという事なんでしょうか? ちょっと、考えられないような話ですが・・・。

  「熱が籠る所なのに、ダイソーのすきまテープで、大丈夫なのか?」とは思いましたが、元のスポンジだって、燃える時には燃えると思うので、あまり、違いがないような気がして、ゴー・サインを出しました。 今のところ、問題ないようです。




  今回はここまで。 

  車やバイクの場合、大抵の修理方法は、ネット上で調べる事ができます。 同じ車種でなくても、応用できるやり方は、いくらでもあります。 ただ、それを調べるのが面倒なだけで・・・。

  純正の交換部品が手に入れば、それに越した事はないですが、ネット・ショップでも、ヤフオクでも、すでに全く出回っていないとか、見つかっても、値段が、「冗談はよせ」レベルだとかで、手に入らない場合、似たような物で、代用する事になります。 それを、どこまで許容するかで、マニア度が決まって来るわけですな。

  私は、やむを得ない理由で、車を買ったので、この2年間は、「代用部品で、充分」という意識で過ごして来ました。 むしろ、「代用部品で凌いでいる方が、カッコいい」とまで思っていたのです。 それが、2年経って、少し、考え方が変わって来て、「手に入るなら、極力、純正品に換えたい」と思うようになりつつあります。 車に愛着が湧くと同時に、欲が出て来たんでしょうな。