2019/09/29

読書感想文・蔵出し (55)

  読書感想文です。 と言いながら、前文のネタがないので、私の近況を書きますと、例のバイク生活復活計画、とうとう、バイクを買いました。 バイクが届き、登録、保険の手続きを済ませ、最低限の補修をして、初乗りを済ませたところ。 補修は、続行中です。 詳しくは、読書感想文のストックがなくなってから、改めて書きます。




≪金田一耕助の冒険≫

角川文庫
角川書店 1976年9月10日/初版
横溝正史 著

  相互貸借で、取り寄せてもらった本。 磐田市立図書館の蔵書です。 カバー付きですが、破れがあり、かなり、くたびれています。 角川・旧版で、一冊になっているもの。 相互貸借で取り寄せてもらう際、依頼書の備考欄に、「一冊の方」と指定して、こちらにしてもらいました。

  この本が出た後になって、同名の映画が作られ、その時に、二分冊で、再度、発行されました。 角川・旧版の中で、ダブりがあるのは、この作品だけ。 カバーは、一冊本の方は、杉本一文さんの絵。 二分冊の方は、和田誠さんの絵で、映画の内容に合わせたもの。 ただし、映画と、この本の内容は、全く違います。

  11作を収録した、短編集。 1957-58年(昭和32-33年)に、「週刊東京」に、三人の作家が、一作二回のパターンで、断続的に書いたもの。 横溝さんの作品は、全て、「○の中の女」というタイトルで統一したとの事。 この短編集に収録されていない作品もあるそうです。 数が多くて、一作ずつ、感想を書けないので、大雑把な紹介だけ、一言で片付けます。

【霧の中の女】約39ページ
  霧の夜に、宝石店の店員を刺し、宝石を持ち逃げした女の話。

【洞の中の女】約45ページ
  最近、持ち主が変わった家の、庭にある木の洞から、コンクリートに塗り込められた女の死体が出る話。

【鏡の中の女】約49ページ
  酒場で、殺人計画を読唇術で読み取るが、狙っていた方の女が殺される話。

【傘の中の女】約47ページ
  海水浴場で、間違えた同じ柄のパラソルの下で、女が殺される話。

【鞄の中の女】約51ページ
  車のトランクに積まれた石膏像の中から、女の死体が出てくる話。

【夢の中の女】約44ページ
  姉を殺された、夢想癖を持つ妹が、自分も殺されてしまう話。

【泥の中の女】約60ページ
  たまたま寒さを凌ぐ為に入った家で、女の死体を見つける話

【棺の中の女】約32ページ
  壺を持つ女の像が二つあり、その内の一つから、女の死体が出てくる話。

【瞳の中の女】約29ページ
  記憶喪失の男が、女の顔を思い出し、記憶が戻った後、ある屋敷に、調べに行く話。

【檻の中の女】約30ページ
  小船に載せられた檻の中から、毒を盛られた女が発見される話。

【赤の中の女】約34ページ
  海水浴場で再開した男女4人が、それぞれ、腹に一物ある話。

  「こんなんで、分かるか!」と思われるとは思いますが、これ以上詳しく書くとなると、また、一から読み直さなければならないので、勘弁して下さい。 全ての話で、金田一耕助が深く関わり、等々力警部も相伴します。 ただし、「冒険」はしません。 活劇調の話は、皆無です。

  どの作品も、他の長編や中編に使われている、トリックや謎を、流用したようなアイデアで、新鮮さは、ほとんど感じません。 だけど、面白いです。 中島河太郎さんの解説にも書かれていますが、シャーロック・ホームズの短編集と同じような雰囲気で、夜、眠る前に、一作か二作読むのに、ちょうど良いボリュームなのです。

  これは、図書館で借りて来るよりも、買ってしまって、いつでも読めるように、手元に置いておいた方が良さそうです。 二分冊の方が、手に入れ易いですが、杉本一文さんのカバー絵が欲しいのなら、一冊本の方がお薦め。 この小池朝雄さんみたいな顔は、金田一耕助を描いたのだと思いますが、同じ画家が描いた同じ人物の顔なのに、≪扉の影の女≫のカバー絵とは、随分、違いますねえ。



≪毒の矢≫

角川文庫
角川書店 1976年9月10日/初版
横溝正史 著

  相互貸借で、取り寄せてもらった本。 小山町立図書館の蔵書です。 カバー付き。 状態は、非常に良いです。 背表紙に、「閉架」のシールが貼ってあります。 押し並べて、開架と閉架を分けている図書館の本は、状態が良いと思います。 やはり、開架だけだと、借りなくても、手に取る人がいて、そのたびに、本がくたびれて行くのでしょう。 長編1作、中編1作の、計2作を収録。


【毒の矢】 約190ページ
  元は、1956年(昭和31年)1月に、「オール読物」に掲載された中編を、後に書き改めて、3倍くらいの長さにしたもの、との事。

  金田一耕助が住む緑ヶ丘で、「黄金の矢」と名乗る人物から、名士の家庭のいくつかに、密告状が届くようになる。 名前が一文字違いだった事から、他人宛の密告状を受け取ってしまった夫婦が、金田一に捜査を依頼する。 女性の同性愛に関する密告で、該当者が絞られて行くが、やがて、その一人が殺されてしまい、彼女の背中には、13枚のトランプ散らしの刺青があった。 金田一が、所割暑の刑事達と、謎を解いて行く話。

  女性の同性愛というモチーフは、【白と黒】と同じですが、こちらの方が、事件の原因が、同性愛に関る程度が高いです。 いずれにせよ、横溝作品に於いて、同性愛は、モチーフに過ぎず、テーマにまでなる事はありません。 そして、書かれた時代が時代だけに、同性愛を、「良くない事、忌まわしい事」として描いている点、今では通用しなくなっています。

  トリックは、すり替わりもので、横溝作品に馴染んでいる人なら、ある程度、読むと、「ああ、あのパターンか」と、見当がつきます。 登場人物が多くて、恋愛カップルになるのが、何組も出て来るところは、前年に書かれた、【迷路の花嫁】に似ています。 横溝さんは、この頃、こういう大団円型の話に嵌まっていたのかも知れませんな。 読後感が生ぬるくなるから、推理小説としては、感心しませんが。 

  場所に変化が少なく、話の中心部分は、一軒の家の中だけで進行するので、舞台劇のような地味な印象を受けます。 その点、【白と黒】の、場面転換の豊かさには、遠く及びません。 この作品のモチーフだけ活かして、大幅に書き直す形で、【白と黒】が出来たという順になりますが、推理物としては、こちらの方が勝り、読み物としては、【白と黒】が上、という感じでしょうか。 どちらにせよ、ゾクゾクするような話ではないです。


【黒い翼】 約83ページ
  1956年(昭和31年)2月に、「小説春秋」に掲載されたもの。

  【毒の矢】事件が解決した後の緑ヶ丘を中心にして、「黒い翼」という、脅迫を含む、一種の「不幸の手紙」が流行する。 スター映画女優だった、藤田蓉子が毒死した後、その代役を務めた事でスターになった原緋紗子が、黒い翼に翻弄され、彼女が、藤田蓉子の死に関わっているのではないかという疑念が関係者に広がる。 藤田の命日に、黒い翼の手紙を全国から集めて焼くイベントが行なわれ、大いに盛り上がるが、その夜、藤田の命を奪ったのと同じ毒で、また犠牲者が出て・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  時期的に、続けて書かれた作品なので、【毒の矢】と、似たようなモチーフです。 一方は密告状、一方は不幸の手紙ですが、脅迫を含んでいるという点では同じ。 子供がいて、その親は誰か? もしくは、隠し子がいるらしいが、それは誰か? という設定が出て来る点も、よく似ています。

  ストーリー的には、脅迫物ですが、時間的にズレがある二つの脅迫が出て来ます。 最初の脅迫で、被害者が死んでしまった後、その脅迫者を炙り出す為に、別の人物が、別の脅迫を行なうという、複雑な構成。 うまく組み合わされていると思いますが、複雑だから、面白いというわけではないのが、残念なところです。

  トリックがあり、二つの事件共に、毒杯配り物。 何人か集まった席で、飲み物の杯が配られ、その中の一人が死んだ。 さあ、誰が犯人で、いつ、毒を入れたか? というパターンです。 【百日紅の下にて】と同じアイデアが使い回されているのですが、そんなに出来のいいアイデアではありません。 普通、飲み物の中に、髪の毛が浮いていたら、飲む人はいないんじゃないでしょうか。 気づかないという事もないと思います。

  こういう複雑なストーリーを考え付くのは、大変な事だと思いますが、やはり、ゾクゾク感が欠けているせいで、推理小説としては、物足りない感じがしますねえ。 短いので、金田一の活躍場面も少なくて、その点でも、面白さが感じられません。



≪悪魔の設計図≫

角川文庫
角川書店 1976年7月30日/初版
横溝正史 著

  相互貸借で、取り寄せてもらった本。 小山町立図書館の蔵書です。 カバー付きで、状態は非常に良く、背表紙に、「閉架」のシールがあります。 長編1、中編1、短編1の、計3作を収録。


【悪魔の設計図】 約80ページ
  1938年(昭和13年)6・7月に、「富士」に連載されたもの。

  敏腕新聞記者、三津木俊助が、静養先の信州で、旅芝居を見に行ったところ、舞台上で、殺人事件が起こる。 狙われたのは、ある人物の遺産相続人候補で、遺言には、子供達が互いを殺しあうような仕掛けが施されていた。 最初の妻の息子が犯人ではないかと疑われるが、実は・・・、という話。

  由利先生も登場します。 三津木俊助は、単独で出る時には、探偵役を兼ねますが、由利先生と一緒の時には、推理は先生に任せて、自分は、アクション担当に回ります。 良く考えられた役割分担ですが、三津木俊助というキャラを作ってしまったせいで、必ず、活劇場面を入れなければならなくなり、却って、枷になってしまった恨みがなきにしもあらず。

  冒頭の芝居の部分は、戦後に、金田一物として書かれる、【幽霊座】に似ています。 ただし、事件の中身は、全然違っていて、この作品では、芝居の部分は、別に、ストーリー上、絶対に必要というわけではありません。 とにかく、誰かが、命を狙われている事が分かればいいわけだ。

  子供達が互いに殺しあう遺言というのは、これまた、戦後に、金田一物として書かれる、【犬神家の一族】で、再度、使われます。 こちらの設定は、ストーリー上、必要なものですが、【犬神家の一族】のそれと比べると、描き込みが、全然貧弱で、この遺言の恐ろしさを活かしきれていません。 この作品での心残りがあって、練り直して、再使用したんでしょうねえ。

  全体的に見て、さして、面白いという話ではないです。 冒頭の芝居部分だけ、由利・三津木物としては変わっているので、期待が膨らむのですが、東京に戻ってからは、普通の展開になり、普通に終って行きます。 やはり、動機に、狂気が含まれていると、白けた読後感が残りますねえ。 狂っているのでは、何でもアリになってしまいますから。


【石膏美人】 約150ページ
  1936年(昭和11年)5・6月に、「講談倶楽部」に連載されたもの。 掲載時のタイトルは、【妖魂】。

  三津木俊助が乗った車がぶつかったトラックに、俊助の婚約者そっくりの石膏像が載せられていたのを見て、追跡して行くと、婚約者の家の裏にある家に入って行った。 その家の主と、婚約者の父親は、学者同士で、懇意にしていた。 主の息子が殺される事件が起こり、トラックを運転していた男が疑われるが、正体が掴めない。 警察を辞めた後、姿を消していた由利先生が帰って来て、俊助と共に、事件を解決する話。

  以下、ネタバレ、あり。

  この作品が、由利・三津木コンビ・シリーズの、第一作だそうです。 そのせいで、由利先生の経歴が、細かく書かれています。 ただし、分かるのは、経歴と外見だけで、性格は、描かれていません。 それは、由利先生の最終作品まで、一貫しています。 戦前の横溝さんは、「探偵に、人格は不要」と考えていたらしく、わざと、無色透明なキャラにしていたのかも知れませんな。

  三津木俊助の方は、婚約者が出て来たリして、他の作品と毛色が変わっていますが、この婚約は、最終的に、駄目になります。 だから、その後の作品の俊助には、女っ気がない、というか、私生活の匂いが全くしないんですな。 俊助の方も、人格レスで、金田一に比べると、スカスカな感じがします。

  話の方は、由利・三津木物としては、良く出来ている方。 しかし、面白いというところまで行きません。 ある人物の行為が原因で、恨みが発生し、事件が起こるのですが、その、ある人物が、目立たない人なので、終わりの方で、突然、「実は、私が・・・」と告白されると、「えっ! この人が鍵だったの?」と、肩透かしを食わされてしまいます。

  石膏像は出て来ますが、中に死体が入っているわけではないです。 昭二という、耳が聞こえない少年が出て来て、読唇術で、何かを知るというモチーフが使われていて、そこだけ、少し、ゾクゾクしますが、なんと、この少年、何を知ったか喋る前に、殺されてしまいます。 つまらん! 何の為に出て来たのじゃ!


【獣人】 約44ページ
  1956年(昭和10年)9月に、「講談雑誌」に掲載されたもの。

  若い女性のバラバラ死体が発見される。 死体には、棘で刺したような傷が、たくさんついていた。 まだ、警察に入る前の由利麟太郎が、偶然に、事件に関わり、有名な学者の屋敷を調べて、秘密を暴く話。

  こんな梗概では、何も伝わりませんな。 由利先生は、まだ若造で、推理部門の他に、アクション部門も担当し、三津木俊助と大差ないような事をやっています。 鮎川珠枝という、ヒロインが出て来ますが、別に、恋愛関係になるわけではないようです。

  「死の抱擁」という名の鎧が出て来たり、ゴリラが出て来たり、戦後に書かれる、少年向け作品のモチーフが、すでに、使われています。 モチーフが同じという事は、この作品のレベルも、少年向けという事でしょうか。 科学的根拠がない薬品が出て来るのは、推理物としては、失格ですが、その点も、少年向けっぽいですな。



≪青蜥蜴≫

双葉社 1996年7月5日/初版
横溝正史 著

  沼津市立図書館で借りて来た本。 こんな本があったとは、知りませんでした。 1996年という事は、横溝作品としては、だいぶ、最近になってから出た本になります。 中編1、短編4、ごく短い随想3の、計8作を収録。 カバー絵は、杉本一文さんのもの。 双葉社の本なのに、角川文庫・旧版を大きくしたような趣きがあります。

  収録作品は、いずれも、1962年から、1966年にかけて、「推理ストーリー」に掲載されたもの。 詳しく調べたわけではありませんが、【百唇譜】と【青蜥蜴】は、この本にしか収録されていないのではないかと思います。 他の作品は、角川文庫・旧版の短編集でも読む事ができます。

  ところで、ふだん、この感想文で、各作品のページ数を、「約○ページ」と書いていますが、なぜ、「約」を付けているかというと、実際のページ数ではなく、目次で、引き算して出している数字だからです。 本によって、1ページ当たりの文字数に違いがあるので、あくまで、目安に過ぎません。 ちなみに、短・中・長編の分類も、短編は、50ページ以下、中編は、51ページ以上、100ページ以下、長編は、101ページ以上という、ざっくりした分け方をしています。


【百唇譜】 約64ページ
  1962年(昭和37年)1月。

  夜、路上駐車された車のトランクから、女の死体が発見される。 それより以前に、女をたらしこんでは、唇の形をとって、コレクションし、かつ、恐喝を働いていた男が殺される事件が起こっていたが、女は、その恐喝対象の一人だったらしい。 女は、自宅で殺されて、運び出される途中、車の故障で放置されたと思われたが、実は・・・、という話。

  原型短編の一つ。 後に、【悪魔の百唇譜】とタイトルを変えて、長編化されます。 冒頭の部分は、ほとんど同じ。 中盤から、エピソードが足されて、複雑な話になって行きますが、それは、【悪魔の百唇譜】の方の話で、こちらは、基本的な謎が解けたところで、スパッと終わるので、先に、【悪魔の百唇譜】を読んでいると、何だか、途中で放り出されたような気分になります。

  プチ・ネタバレさせてしまいますと、両作では、犯人が異なります。 つまりその、推理小説とは、組み合わせのパズルであって、ちょっと組み替えるだけで、犯人を別人にする事もできるという事なんでしょう。 そういう話は、ストーリーの組み立てが緩いわけですが、後から、エピソードを足せるのであれば、どんな作品でも、緩くできると思います。


【猟奇の始末書】 約40ページ
  1962年(昭和37年)8月。

  海岸の別荘の近くにある、岩場の入り江。 そこに、ボートに乗った男女が入り込んでイチャつくのを嫌った洋画家が、洋弓で矢を射掛けて、追い払った。 ところが、その後、その入り江に浮かぶボートの上で、矢が刺さった女の死体が発見される。 洋画家が疑われるが、彼は、岩壁を狙ったと言い、実際、岩壁に矢が当たった痕があった。 別荘に招かれていた、中学時代の後輩に当たる金田一が、謎を解く話。

  舞台や小道具が、長編、【死神の矢】に、少し似ていますが、そちらは、1956年だから、こちらの方が、後になるわけで、原型短編というわけではなさそうです。 長編を、後から、短編化するという事もないでしょう。 また、ダイジェストというには、事件の中身が違い過ぎます。

  【死神の矢】は、ラストが、お涙頂戴で、横溝作品らしくない終わり方でしたが、こちらは、同じ犯人に同情するのでも、かなり、ドライで、読後感は、悪くないです。 とはいえ、本当  に憎い相手を殺さずに、別人を殺して、間接的に陥れるというのは、なんだか、的外れな犯行のような感じがしないでもないですねえ。 弓矢だけに。

  この作品は、角川文庫・旧版の、≪七つの仮面≫に収録されています。


【青蜥蜴】 約50ページ
  1963年(昭和38年)3月。

  都内のホテルや旅館、3軒で、黒づくめの服を着た男が、一緒に入った女の首を絞め、女の胸に青い蜥蜴の絵を描いて姿を消す事件が、連続して起こる。 一人目の女は助かったが、二人目と三人目は、殺された。 金田一耕助が、警察関係者と共に謎を解く話。

  原型短編の一つ。 後に、【夜の黒豹】とタイトルを変えて、長編化されます。 金田一は、どちらにも出ていて、役所は、あまり変わりません。 【青蜥蜴】に、エピソードを書き足して、【夜の黒豹】にしたという格好。 先に【夜の黒豹】を読んでいると、この作品が、何となく、手抜きに感じられますが、夜、眠る前に、一作読むというのなら、断然、こちらの方が、適当です。


【猫館】 約40ページ
  1963年(昭和38年)8月。

  猫をたくさん飼っている占い師の女が、自宅で殺されるが、なぜか、上半身が裸だった。 一方、近くの寺の落ち葉溜めで、占い師の弟子の女の死体が、スカートなしの姿で発見される。 その家は、かつて、いかがわしい写真家の館で、その男は、恐喝を裏の仕事にしていた。 金田一が、現場にもう一人、女がいたのではないかと推理し、謎を解く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  占い師の一家、寺の坊さん、幼稚園の先生、写真家、近所の画家と、この短いページ数にしては、関わって来る人物が多すぎて、ちと、ごちゃごちゃしています。 恐喝されていた事が、犯行の動機なわけですが、そのせいで、昔話まで用意しなければならなくなっており、もっと、シンプルな別の動機にした方が、すっきりしたと思います。 ちなみに、タイトルは、「猫館」ですが、猫は、死体発見のきっかけになるだけで、それ以上の役はないです。

  トリックはあるものの、ささやかなもので、読者が頭を悩ますようなものではないです。 謎は、他の作品でも読んだ事があるようなもの。 このページ数で、フー・ダニットは無理があり、犯人が女だと分かった時点で、消去法で、誰か分かります。 まあ、そういう話なんだから、別に、欠点ではありませんが。

  この作品は、角川文庫・旧版の、≪七つの仮面≫に収録されています。


【蝙蝠男】 約44ページ
  1964年(昭和39年)5月。

  ある夜、受験勉強中だった女子高生が、自室の窓から、向かいのアパートの窓に映った影で、女が殺されるのを目撃する。 やがて、そのアパートの住人の女が、勤め先のナイト・クラブの楽屋で、トランクの中から発見される。 女子高生の証言を受け、金田一が、窓の影の謎を解く話。

  60年代半ばは、大学受験をする女子が増えて来ていた頃だったんでしょうねえ。 窓の影を目撃するのは、別に、誰でもいいわけですが、わざわざ、女子高生にしたというのが、面白いです。 横溝作品では、ちょこちょこと、少女趣味が挟まりますな。 もっとも、横溝さんが描く少女は、媚びたところがなく、ドライで、リアルですけど。 娘さんがいたから、現物を観察していたのかもしれません。

  トリックが、謎になっています。 しかし、これは、読みながら推理できるものではなく、ラストの謎解きを読んで、「ああ、そういう事だったのか」と分かるだけです。 それでも、結構、面白いのだから、推理小説の勘所が、必ずしも、「推理しながら読める」点にあるわけではないという事が分かります。

  この作品は、角川文庫・旧版の、≪七つの仮面≫に収録されています。


【歩き、歩き、かつ歩く】 約4ページ
  1964年(昭和39年)9月。

  編集者から逃れる為に、散歩ばかりするようになった事を書いた、随筆。 最後に、オチがついています。


【桜の正月】 約4ページ
  1965年(昭和40年)2月。

  岡山県の桜に疎開していた頃に、兎を飼っていて、その肉を正月に食べたという思い出話。


【ノンキな話】 約6ページ
  1966年(昭和41年)6月。

  時折、懸賞小説に応募する程度の文学青年だった横溝さんが、江戸川乱歩さんのスカウトによって、東京に引っ張り出され、なし崩しに、編集者にされ、更には、作家になってしまった、大雑把な経緯を記したもの。 最後に、オチがついていますが、それは、どうも、創作っぽいです。


  随想3作は、≪金田一耕助のモノローグ≫か何かで、似たような内容の文章を読んだような気がします。 いずれも借りて来た本で、手元にないので、確認できませんけど。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2019年の、

≪金田一耕助の冒険≫が、5月15日から、17日にかけて。
≪毒の矢≫が、5月18日から、21日まで。
≪悪魔の設計図≫が、5月22日から、26日。
≪青蜥蜴≫が、5月29日から、5月31日にかけて。

   いやはや、今回は、短編集ばかり集まってしまいましたな。 短編集の感想文は、一作ごとに、作品データ、梗概、感想を書かねばならず、大変、きついです。 以前、このブログで、感想文の書き方を、ざっと伝授した事がありましたが、その時に、作品データの事も書きましたかね?

  もし、10年以上前に書かれた作品であれば、発表年や、発表誌など、データも書いておけば、そちらから、その作品が書かれた社会的背景や、対象読者層などの方面に、話を膨らませる事ができます。 小学校の時に、そういう技を知っていたら、あんなに頭を悩ませて、原稿用紙と睨めっこしなくても済んだんですがねえ。

  どんなつまらん本でも、今書けば、400字の原稿用紙、5枚10枚くらい、すぐに埋まってしまいますな。 教師から、「おまえは、紙を使い過ぎるから、3枚以上、書くな」とか言われてしまうかも。 もっとも、作品データ、梗概、感想というパターンを使っていたのでは、機械的過ぎて、誉められはしないでしょうねえ。

2019/09/22

読書感想文・蔵出し (54)

  読書感想文です。 今回は、相互貸借で借りたものが2冊、所有している本が1冊、沼津の図書館にあったものが1冊と、出所が、バラついています。 科学書が含まれているから、内容的にも、バラついている。

  今、ふと、思いつきましたが、「バラつく」の、「バラ」って、まさか、「variety」が語源の外来語じゃないでしょうね? 「バラバラ」という言葉もありますが、それも、バラエティーを略してから、重ねたのでは? 意味が近いから、可能性は、充分にあります。 「dull」と「ダルい」以外にも、こういう例があったとは、今の今まで、気づかなかった。

  ちなみに、語源というのは、非常に、いい加減な世界でして、普通、学問の内には入りません。 だから、語源に詳しい人がいて、薀蓄を傾けられても、「ふーん」と答えておくだけで、充分です。 信じ込んで、他の人に話さないのが、無難。 いい加減な人間だと思われる恐れがあります。




≪スペードの女王≫

角川文庫
角川書店 1976年2月25日/初版 1976年3月20日/2版
横溝正史 著

  相互貸借で、取り寄せてもらった本。 小山町立図書館の蔵書です。 「閉架」のシールあり。 元からのカバー付きで、ビニール・コートも被せてありませんが、破れもなく、状態は良いです。 メジャー作品ではないから、開架にあった時にも、借りる人が少なかったのかも知れませんな。

  ≪スペードの女王≫は、解説によると、1960年6月に、書き下ろしで刊行されたもの。 ネット情報では、1958年6月に、「大衆読物」に掲載されたとありますが、どちらが正しいのか分かりません。 一冊一作品の、堂々たる長編です。 しかし、メジャー作品と比べると、内容的にも、ページ数的にも、やはり、見劣りします。 通俗物ではなく、本格トリック物。


  老刺青師が、訪ねて来た女に、秘密の場所に連れて行かれ、そこに眠らされていた別の女の股に、スペードのクイーンの刺青を彫らされた。 依頼した女の股にあった刺青を写したのだが、その女の刺青も、同じ刺青師が、数年前に彫ったものだった。 その後、刺青師が変死を遂げ、首なしの女の死体が海に浮かぶ。 その股には、スペードのクイーンの刺青があったが、さて、殺されたのは、どちらの女か・・・、という話。

  顔のない死体もの。 本格トリック物の横溝作品には、このカテゴリーが、大変、多いです。 この作品の特徴は、最初から、股に同じ刺青がある女が二人いる事が、読者に知らされていて、「これを、どういうストーリーにして行くのかな?」と、そちらへ興味を引っ張って行くところにあります。

  以下、ネタバレ、あり。

  同じカテゴリーの話を、いくつも書いている横溝さんだけに、捻りに捻って、複雑な展開になっています。 犯人が途中で変わるという、掟破りとも言える手法が使われていて、あっと驚かされます。 意外な犯人どころの話ではなく、こんなの、推理しながら読むなんて、絶対に無理ですな。

  顔がない死体ものでは、被害者と思われていたのが、実は、加害者で、死んだと見せかけておいて、実は、すり変わって、生きているというのが、普通のパターン。 それを、更に、引っ繰り返して、被害者に見せかけるつもりだった加害者が、ほんとに被害者になってしまったというのが、この作品なわけです。 ネタバレはネタバレですが、「たぶん、そんな事じゃなかろうか」という感じは、かなり、早い段階で分かります。

  分かった上で読んでも、面白いです。 ≪夜の黒豹≫のように、聞き取り場面の会話で、水増しするような事はしておらず、結構、ちょこちょこと、場所が変わるので、変化があって、読み応えがあるのです。 刺青師の妻から又聞きした話を元に、刺青現場の部屋を捜索する場面は、宝探しの冒険物のようで、ゾクゾクしますなあ。

  緑ヶ丘にある、金田一の事務所兼住居が、ピストルを持った犯人に狙われ、等々力警部や、所轄署の刑事部補が駆けつけてくる場面も、、臨場感があって、面白いです。 なぜ、この作品が、映像化されていないのか、不思議。



≪女が見ていた≫

角川文庫
角川書店 1975年8月30日/初版 1978年4月30日/17版
横溝正史 著

  私の手持ちの本。 1995年9月頃に、沼津・三島の古本屋を回って、横溝正史作品を買い漁った内の一冊です。 買った直後に、一度読み、引退後の2015年にも、読んだと思うのですが、内容を全く覚えていませんでした。 金田一や等々力警部が出て来ない長編で、その割には、面白かったような記憶だけあったのですが、面白かったのに、覚えていないというのは、どういう事なのか?

  1949年5月5日から、10月17日まで、新聞「時事新報」に連載されたもの。 新聞連載で、推理小説を書くのは、毎回、読者の興味を次回に繋いで行く書き方をしなければならないので、難しいらしいです。 確かに、ブツ切り的なところや、「前回までの説明」的な繰り返しが出て来て、書下ろしや、月間誌連載とは趣きが異なります。 一冊で一作品、約350ページの長編です。


  不仲な妻と喧嘩した作家が、銀座を飲み歩いている内に、三人の女に代わる代わる尾行されている事に気づく。 酩酊状態で家に戻った作家が、同居している新聞記者から、妻が銀座の店に呼び出されて、殺されたと知らされる。 現場に、自分の持ち物があったと聞き、容疑をかけられる事を恐れた作家は、姿を隠し、昔の知りあいに、自分のアリバイを証明してくれるはずの、三人の女を探してくれるように頼む。 ところが、その女達が、次々と・・・、という話。

  今回、読んだのが、3回目になるわけですが、やはり、面白かったです。 なんで、面白いのに、時間が経つと、綺麗さっぱり忘れてしまうんでしょう? 探偵役が、はっきりしていないからでしょうか。 作家の昔の知り合いというのが、一応、探偵役なのですが、必ずしも、彼が解決するわけではなく、自然に、犯人が特定されてしまうという流れ。 これといって、中心人物はおらず、群像劇です。 

  特殊な性格を持った人物が、二人出て来ます。 新聞記者と、作家の恩師の妻。 どちらも、精神異常者というわけではなく、性格異常ですらないんですが、極端に特徴的な性格で、他人に害を及ぼし、人間関係に波風を立てるのが大好きというもの。 こういう人達は、現実に存在するので、描写が大変、リアルに感じられます。

  その二人に比べると、他の登場人物は、没個性で、あまり、面白みがありません。 特に、作家の妻は、殺人事件の被害者というヘビーな役所であるにも拘らず、全くと言っていいほど、性格を書き込まれておらず、その点、大いに、リアリティーを欠きます。 こんな特徴のない人間が、なぜ、殺されなければならないのか、そこが、納得できません。

  あと、細かい事ですが、ラスト近くに出て来る、犯人の告白文が、漢字カタカナ混じりになっていて、腹が立つほど、読み難いです。 戦後間もない頃なら、漢字カタカナ混じり文を読みなれた人が多かったから、問題なかったのでしょうが、今では、もう、全然、駄目でしょう。 大ブームの頃ですら、スイスイ読めた人などいなかったはず。 これは、横溝さんの存命中に、許可を取って、修正すべきだったんじゃないでしょうか。



≪死神の矢≫

角川文庫
角川書店 1976年5月20日/初版 1979年8月10日/13版
横溝正史 著

   相互貸借で、取り寄せてもらった本。 富士宮市立図書館の蔵書です。 「寄贈」の印、あり。 しかし、カバーの損傷が少なく、程度はいいです。 図書館の蔵書なのに、古本で出回っているものより、ずっと状態がいいというのは、不思議な気がしますが、たぶん、あまり、借りる人がいなかったんでしょうな。 長編1、短編1の、2作品収録。 短編の、【蝙蝠と蛞蝓】の方は、以前、≪人面瘡≫の時に、感想を書いているので、繰り返しません。


【死神の矢】
  原形になった作品があり、短編か中編かは分からないのですが、1956年3月に、「面白倶楽部」に掲載されたとあるので、一回で終わったという事は、そんなに長いものではなかったのでしょう。 それを改稿して、1961年4月に、書き下ろし長編として発表したのが、この作品。 長編と言っても、約224ページで、短めです。


  ある考古学者が、娘の結婚相手を、求婚者三人の内から、弓矢の腕で選ぶと言い出し、「三人とも、ゴロツキだから、やめろ」と、周囲が止めるのも聞かずに、強行したところ、その内の一人が、本当に的を射抜いてしまう。 試合後に、なぜか、的を外した一人が浴室の中で、試合に使われた矢で殺される。 動機は不明、主だった人物には、アリバイがある。 被害者を脅迫するつもりで近くに来ていた元ボクサーが、屋外から矢を射込んだたのではないかと疑われるが、金田一は、逆に、彼のアリバイを証明しようとする。 やがて、第二の殺人が起こり・・・、という話。

  本格トリックで、金田一が深く関わり、しかも、雰囲気が別荘地ものと来れば、その条件だけでも、面白いと決まっており、実際、クライマックスの直前までは、ワクワクするほど、面白いです。 ちなみに、正確に言うと、別荘ではなく、学者の邸宅が、主な舞台。 だけど、その邸宅が、江の島付近にあるというから、別荘地ものの趣きになるのは避けられません。

  弓矢の腕で、婿を決めるというのは、50年代半ばの話であっても、充分に大時代ですが、現実離れした設定が珍しくない推理小説の世界ですから、取り立てて、滑稽さは感じません。 むしろ、面白さを感じます。 この婿選びの方法が、後々、事件の動機に深く関わってくるとなれば、尚の事。

  しかし、クライマックスに至り、犯人が誰か分かるやいなや、そこから先が、人情物を通り越して、お涙頂戴になってしまい、どうにもこうにも、高く評価できない、陳作に陥ってしまいます。 これは、ひどい。 全体の8割くらいが面白いだけに、謎解きが、お涙頂戴では、もったいないにも程があろうというもの。 

  以下、ネタバレ、あり。

  2時間サスペンスの、出来の悪い作品に良くあるのが、犯人を善人にしてしまうパターン。 被害者を悪党にして、「殺したのには、やむにやまれぬ事情があったのだ」と言って、犯罪を正当化してしまうのです。 しかし、そう思っているならば、探偵役に余計な捜査などさせなければいいのであって、「一体、悪党を罰したいのか、悪党を罰した善人を罰したいのか、どっちなんだ?」と、釈然としない、嫌~な後味が残ります。

  この作品の場合、実行犯は自殺してしまい、殺人計画を立てた人物は、余命幾許もないという状態で、善玉といえども、ハッピー・エンドにはなっていないのですが、それにしても、真相が公にならないというのは、すっきりしません。 金田一は、警察ではないので、犯行の協力者たちを、目こぼししてやるのですが、そんな甘い方針では、正義を貫けますまい。 一体、何を基準に、真相を公にする事件と、公にしない事件を、判断するんでしょう?

  こういうパターンにする場合、殺人の被害者の方が、どれだけ悪党だったかを、くどいくらい描き込んでおけば、多少は、善悪バランスが取れると思いますが、この作品の場合、そちらの方の描写は、まるで、足りません。 学者の娘や助手が、自殺した殺人犯の胸中を察して、びーびー泣くわけですが、全く以て、醜いばかり。 「殺人上等」にしてしまったら、もう、推理小説は、おしまいではないですかね?

  更に悪いのは、隠蔽工作をした女でして、自分が犯罪行為をしたという認識が、かけらもなく、複雑な隠蔽をした事を、誉めて貰えるかのように、軽く思っている事です。 善玉側だからと言って、こんな無反省な犯罪者を、笑って見逃すというのだから、金田一にも呆れます。 犯罪者というのは、一度見逃せば、味を占めて、二度三度と、同じ事をやるものでして、その内、金田一のところへ、犯行方法の相談に来るかもしれません。 そうなっても、ニコニコ笑って、協力してやるんですかね?



≪宇宙に「終わり」はあるのか≫

ブルーバックス
講談社 2017年2月20日/初版
吉田伸夫 著

  沼津市立図書館にあった本。 ブルーバックスというのは、新書サイズの科学入門書シリーズです。 入門書と言っても、理工系でない人間にとっては、入門が限界で、そこから先の専門書には、とても進めないから、「科学書は、ブルーバックスしか読まない」という人も多いのですが。 ちなみに、かつて、SF作家が、小説のアイデアを考える時に、この種の入門書が、ネタ本として、よく利用されたようです。

  副題に、【最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで】とあります。 「10の100乗年」というのは、算用数字で書けば、10の後ろに、0が100個並ぶ数値で、書いてみますと、

100000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000年

  になります。 宇宙誕生から、現在までが、138億年ですが、算用数字にすると、

138000000000年

  ですから、まだ、始まったばかりである事が分かります。 では、この途方もなく長い未来をもつ宇宙が、今後、どんどん発展して行くのかというと、そんな事はなくて、衰える一方なのだとか。 「エントロピーの増大」という言葉で表される事ですが、宇宙が、最も盛んに活動していたのは、ビック・バンの時で、それ以降は、衰えるだけ。

  今現在も、衰え続けている途中で、生物の進化とか、発展というのは、一時的なものに過ぎないのだそうです。 何だか、前向きな気分を著しく阻害する事実ですな。 星にすら、寿命はあり、恒星でも、ほぼ、100億年くらい。 理の当然ながら、生物は、それより前に滅びます。 まして、人類文明が消え去るのは、もっと早いというわけだ。

  太陽系が出来てから、生物が発生して、その後、コツコツと進化し、知的生命体である人類が発展して来るまで、46億年かかっているのに対し、恒星の寿命は、100億年くらいですから、知的生命体が登場するチャンスは、恒星一つにつき、一回しかないというのは、意外な話。 宇宙の持つ、「無限」のイメージを損なう事、甚だしいものあり。

  宇宙が膨張しているというのは、今では誰でも知っていますが、加速膨張なので、遥かな未来、銀河と銀河が離れるスピードが、光速以上になると、他の銀河が、全く見えなくなってしまうのだとか。 もし、その頃に、どこかの惑星に、知的生命体が発生したとしても、彼らは、自分の属する銀河しか観測できないので、ビッグ・バンの痕跡すら見いだせないだろうとの事。 気が滅入る。

  「半減期」という言葉が示すように、原子は崩壊して行きますし、それを構成している素粒子も、消えて行って、いずれ、宇宙に、物質というものがなくなり、空間だけになるのだそうです。 そもそも、現在、宇宙に存在する物質は、ビッグ・バンの時に生み出されたものが、全ての元になっており、宇宙の外から供給される事はないので、最終的には、なくなってしまうわけだ。 気が滅入るなあ。

  ところで、この種の本は、過去にもいろいろとあったのですが、宇宙科学の発展は急で、20年くらい前の本となると、今ではもう、全然、中身が通用しないのだそうです。 たとえば、「インフレーション理論」というのは、かつては、ビッグ・バンの後に起こった現象を指す概念でしたが、今では、ビッグ・バンの原因になった現象を指すようになっているとの事。 概念が変わったのなら、名前も変えて欲しいところです。 ややこしい。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2019年の、

≪スペードの女王≫が、4月17日から、19日にかけて。
≪女が見ていた≫が、4月20日から、26日まで。
≪死神の矢≫が、4月28日から、30日。
≪宇宙に「終わり」はあるのか≫が、4月31日から、5月9日にかけて。

  ≪女が見ていた≫は、手持ちの本だから、まあいいとして、相互貸借で借りた、≪スペードの女王≫と、≪死神の矢≫は、その後、ヤフオクで落札して、買いました。 ≪死神の矢≫は、表題作の内容に問題があるから、欲しいとは思わなかったんですが、他の本とセットだったので、手に入ってしまった次第。 まあ、【蝙蝠と蛞蝓】も収録されているから、そちらを読み返す為に、手に取る事もあるでしょう。

2019/09/15

読書感想文・蔵出し (53)

  読書感想文です。 三島図書館の横溝作品を読み尽し、その後、沼津図書館に戻って、読んでいない本を、相互貸借で取り寄せてもらったのですが、届くまでに時間がかかる。 という事で、手持ちの本の中から、長い事、読んでいなかったものを選び、読み返す事にしました。

  ちなみに、相互貸借制度というのは、静岡県の場合、取り寄せ申し込みができるのは、自分が住んでいる自治体の図書館だけのようです。 わざわざ、遠くまで行って、依頼する人もいないと思うので、そんな事は、他の都道府県でも同じかも知れませんけど。




≪風船魔人・黄金魔人≫

角川文庫
角川書店 1985年7月/初版
横溝正史 著

  家にあった本。 厳密に言うと、母の所有物ですが、私の本棚に入れてあります。 かつて、父方の叔父が、製本会社に勤めていて、うちに来る時には、何かしら問題があって、売り物にならなかった文庫本を、何冊かずつ持って来てくれていたのですが、その最末期の一冊だと思います。

  この、≪風船魔人・黄金魔人≫という本は、横溝正史大ブーム期間中に発行された、角川文庫・旧版の、最末期のものなのでは? これより後というと、≪金田一耕助のモノローグ≫がありますが、それは、随筆集で、それより後というのは、私は、知りません。 あるのかなあ?

  カバー絵は、「暁美術印刷」となっていますが、絵のタッチは、杉本一文さんのそれに、そっくりですな。 本文に挿絵が入っていて、それが、杉本一文さんとあるのですが、えらい簡略な絵で、まるで、別人が描いたように見えます。 少年向けの長編が2作と、横溝正史さんのご家族を交えた座談会の記録が収められています。

  ちなみに、角川文庫・旧版の横溝正史作品では、背表紙の書名文字が、緑色のが、大人向けで、黄色のが、少年向けになっています。 この本は、うちにある唯一の、黄色文字のものです。


【風船魔人】 約116ページ
  1956年4月から、1957年3月まで、「小学五年生」に連載されたもの。

  強力な浮力を持つ気体を発明し、コンパクトな風船に詰めて、馬を持ち上げたり、人形を飛ばしたり、公衆の面前で、派手な実験を繰り返した後、それを犯罪に使おうと目論んでいる一味に、三津木俊助と御子柴進が立ち向かう話。

  ビジュアル的に優れていて、映像化したら、かなり、楽しい作品になると思うのですが、ストーリーの方は、少年向け横溝作品の定番的なもので、さほど、面白くはありません。 伝書鳩に、小型撮影機を運ばせて、その映像から、犯人一味のアジトを特定する件りは、面白い。 横溝さんは、こういう技術的アイデアを、よく思いついた人だったようです。

  新日報社・社長令嬢の、由紀子さん、年中、さらわれる人ですな。 しかも、この作品では、さらわれるだけで、助け出される場面が端折られており、他人事ながら、心配になります。 そういえば、御子柴進も、助け出されないままだな。 いいのか、これで? 当時の読者は、モヤモヤした気分になったんじゃないでしょうか。

  ちなみに、こんなに強力な浮力を持つ気体は、物理学的に存在し得ないのであって、SFとすら言えない、掟破りです。 横溝さんは、理系の教育を受けた人なので、そんな事は百も承知だったに違いなく、「少年向けだから、いいだろう」というつもりで書いたのでしょうが、むしろ、少年向けだからこそ、こういうのは、まずいと思います。


【黄金魔人】 約100ページ
  1957年1月から8月まで、「おもしろブック」に連載されたもの。

  全身が黄金色に輝く怪人が現れ、16歳の少女ばかり、イロハ順に、伊東伊都子、ローズ・蝋山、長谷川花子、丹羽虹子とさらって、黄金人間に変えてしまおうと目論んでいるらしいと分かる。 その裏で、天才科学者を含む、三つ子の老人の遺産争いが絡み、三津木俊助と御子柴進が、謎を解いて行く話。

  基本アイデアは、アガサ・クリスティーの【ABC殺人事件】からの戴き物。 少年向けにしてしまうと、安っぽくなりますな。 自分以外の遺産相続人を片付けてしまおうというのなら、何も、黄金魔人にならずとも、もっと、目立たない方法を取ればいいようなものですが、そこはそれ、少年向けだから、致し方ないところです。

  犯人は一人でやっているのに対し、捜査側は、警察も含めて、大勢いるのに、同じ少女を何回もさらわれてしまうのは、不自然極まりないのですが、そこもそれ、少年向けだから、ストーリーの都合上、致し方ないのでしょう。


  【風船魔人】にせよ、【黄金魔人】にせよ、30分くらいで読み終わるので、眠る前に読むのには、適しています。 子供騙しな部分を、許容して読める人なら、こういう作品を、むしろ、歓迎するかも知れませんな。 頭を使わなくても、スイスイ読めるから。


【座談会 横溝正史の思い出を語る(二)】 約36ページ
  横溝さんの、奥さん、息子さんと、山村正夫さん、編集者の4者で、横溝正史さんの思い出について語り合った内容。 戦前・戦中と、戦後間のない頃の話が中心です。 (二)になっているのは、恐らく、この本の前に出た、≪姿なき怪人≫に、(一)が収録されていて、その続きなんじゃないかと思います。

  人柄が良かった事で有名な横溝さんですが、家族には、当り散らす事が多かったとの事。 人間、どこかしら、憤懣の捌け口がないと、精神状態を維持できないのでしょう。 独り言が多かったというのも、作家という職業が、家族と一緒に暮らしていても、精神的に孤独である事の証明で、よく分かります。



≪悪魔が来りて笛を吹く≫

角川文庫
角川書店 1973年2月/初版 1980年12月/36版
横溝正史 著

  私が、所有している本。 1995年9月頃に、古本屋を回って買い集めた、横溝正史作品の文庫、十数冊の内の一冊です。 当時は、チェーン店はなくて、みな、昔ながらの古本屋でした。 その後、潰れてしまったところもあれば、まだやっているところもありますが、もう、そういう、ジャングルみたいな古本屋に入って行く気力がありません。

  この本、カバーに折れ目があったり、本体の焼けがひどかったりと、かなり、くたびれていますが、まあ、読めればいいです。 カバー絵は、杉本一文さんのものですが、角川文庫・旧版、≪悪魔が来りて笛を吹く≫のカバー絵は、前期・中期・後期、3種類ありまして、この本のは、たぶん、後期のもの。 中期の絵が、一番、迫力があります。

  ≪悪魔が来りて笛を吹く≫は、1951年(昭和26年)11月から、1953年11月まで、「宝石」に連載された、金田一耕助物の、長編小説です。 2年以上かかっているわけで、よくぞ、辻褄を合わせたものだと、驚き入る次第。 当時、雑誌で読んでいた人達は、あまりにも長く続くので、ダレてしまっていたかもしれませんな。


  1947年(昭和22年)、天銀堂という宝石店で、店員達が青酸カリを盛られ、宝石を奪われる事件が起こる。 その容疑者とされた椿英輔・元子爵が、取り調べを受けた後に、自殺する。 ところが、椿邸に住む遺族が、生きている英輔氏の姿を目撃し、彼の生死を占おうとした席で、砂盤の上に火炎太鼓の模様が浮かび上がり、その深夜、同居していた、玉虫・元伯爵が殺される。 英輔氏の娘、美禰子から依頼を受けた金田一が、屋敷に同居する、椿家、新宮家、玉虫家、および、使用人達を調べ、ある人物達の忌まわしい過去を明らかにする話。

  こんな梗概を書くまでもなく、テレビ・ドラマや映画で、大筋を知っている人は、多いと思います。 横溝作品をシリーズで、ドラマ化する場合、大体、この作品も、含まれますから。 有名どころの横溝作品に多い、地方の旧家が舞台ではないというところが、特徴的で、印象に残ります。

  なぜ、今回、この本を読み返したかというと、2018年の暮れに、BS12で、古谷一行さんが金田一を演じる、「横溝正史シリーズ」の≪悪魔が来りて笛を吹く≫が放送されたのを見たからです。 私は、1977年の最初の放送の時には、中学生でしたが、深夜まで起きていて、それを見ました。 覚えているところもありましたが、ほとんどは、忘れていました。

  以下、ネタバレ、あり。

  ドラマでは、放送5回の内、1回を、まるまる、須磨・明石・淡路島に当てていましたが、小説の方でも、同じくらいの割合が当てられています。 この小説、一番面白いのが、須磨・明石・淡路島の部分でして、捜査に出向いた金田一が、長旅の疲れでグースカ寝ている間に、犯人の共犯者が先回りをして、最も重要な参考人を殺してしまうという、そこが、最大のゾクゾク・ポイントになっています。

  もっとも、金田一が無能探偵ぶりを発揮したというわけではなくて、犯人の共犯者が、犯人から情報を得ていて、まっすぐ、参考人の元に向かったのに対し、金田一達は、誰を訪ねていいかも分からないような状態で須磨に到着し、そこから捜査して行って、淡路へ向かったのですから、一日遅れ程度で追いついたのは、むしろ、よくやったと誉められるべき。

  密室トリックが使われていますが、物理的なものです。 密室の作り方が、二段構えになっていて、金田一が最初に説明した方法と、犯人が実際にやった方法に違いがあるのですが、いずれも、ゾクゾクするような面白いものではありません。 そもそも、密室になった原因にしてからが、計画的なものではなく、偶然そうなっていたのを、犯人が利用しただけなのですから。

  密告文を打ったタイプ・ライターの、英式と独式の違いですが、そこも、ゾクゾク・ポイントではあるものの、ちょっと、弱い感じがします。 小説の方では、YとZを打ち間違えた所を、手書きの文字で訂正してあった事になっていますが、犯人が間違いに気づいていたのなら、打ち直すか、別のタイプ・ライターを使うかしたのでは? 電蓄を用意できるなら、タイプ・ライターだって、見つけられそうなもの。 何も、美禰子の機械に拘る理由はありますまい。

  ドラマでは、犯人が訂正してなかった事にしていますが、やはり、おかしいと思ったからでしょう。 しかし、YとZが入れ代わっていたら、ローマ字文を普通に読むのは不可能ですから、金田一でなくても、警察が気づきそうなものです。 どう弄っても、不自然になってしまう、弱点ですな。

  ストーリーですが、ドラマの前半では、原作に、ほぼ忠実に、映像化がなされていますが、後ろの方に行くと、変わって来ます。 目賀博士は、小説では、最後まで生きていますが、ドラマでは、第4回で、殺されてしまいます。 変更の理由として想像できるのは、鎌倉の別荘の場面を省いたからでしょう。 なぜ省いたかというと、ただ、あき子夫人を殺させる為だけに、鎌倉へ舞台を移したりすると、煩雑になってしまうからだと思います。

  椿邸内で、あき子夫人が自殺するようにした場合、目賀博士と信乃の、どちらか一人は、あき子夫人についているのが自然なので、邪魔になります。 そこで、目賀博士の方を先に殺してしまったのでは? その上で、信乃が、謎解きの場に顔を出すようにすれば、あき子夫人を一人にできるわけだ。 ドラマ化する際に、いろいろと考えたんでしょうねえ。

  一方、小説の方で、目賀博士が最後まで生きている理由は、目賀博士も、犯人候補の一人なので、先に殺すわけには行かなかったんでしょう。 犯人は、かなり力の要る行為をやっていて、印象的に、男である可能性が高いのに、目賀博士が先に脱落してしまったら、椿邸内に残る男は、三島東太郎と、新宮一彦だけになってしまい、読者に、消去法で犯人がバレてしまうのを嫌ったのだと思います。

  ちなみに、映画版や、それ以降に作られたドラマでは、鎌倉の別荘場面が入れられていますが、やはり、舞台転換が余分な感じがします。 原作に従い、金田一による謎解きの場面をクライマックスにするか、それとも、あき子夫人が死んで、犯人の目的が達せられる場面をクライマックスにするか、そこが、この作品の映像化で、最も迷うところなのでしょう。

  犯行の動機である、過去の因縁が、この話の根幹部分なのですが、近親相姦なので、読んでいて、気分のいいものではありません。 横溝さんがよく使うモチーフである性倒錯の方は、今では、倒錯という言葉が当て嵌まらないくらい、市民権を得ましたが、近親相姦は、いつまで経っても、社会で許容される事はないでしょう。 それが、この作品のメイン・モチーフなのですから、この気分の悪さも、いつまで経っても、変わらないわけだ。



≪本陣殺人事件≫

角川文庫
角川書店 1973年4月/初版 1981年4月/34版
横溝正史 著

  私が、所有している本。 1995年9月頃に、古本屋を回って買い集めた、横溝正史作品の文庫、十数冊の内の一冊です。 本体の奥付裏に、鉛筆書きで、「200」と書いてあります。 昔ながらの古本屋では、そういう、値段の記し方をしていたのです。 鉛筆書きだから、消せば消えますが、いくらで買ったかの記録になるので、消さないでおきます。

  角川文庫の旧版。 長編2作、中編1作の、計3作を収録。 カバー絵は、杉本一文さんのもので、少女と黒猫の顔が上下に重なる形で、描かれています。 黒猫は、≪本陣殺人事件≫と、≪黒猫亭事件≫に登場しますが、少女の方は、≪本陣殺人事件≫にしか出て来ないので、この絵は、鈴子と玉という事になります。


【本陣殺人事件】 約196ページ
  1946年4月から、12月にかけて、「宝石」に連載されたもの。 この作品は、横溝さんが岡山にいた時に書かれたわけですな。

  岡山県の山村。 かつて、本陣だった一柳家で、長男の結婚式が行なわれた。 その翌日の未明、離屋で、琴の音が鳴り響いた後、新郎新婦が刀で斬られた死体で発見される。 凶器の刀は庭に刺さっていたが、犯人が侵入した足跡はあるのに、逃げ出した足跡はなかった。 屏風に琴爪でつけた三本の血痕があり、前日に、三本指の男が、近所で目撃されていた。 新婦の叔父から呼び出された金田一耕助が、謎を解く話。

  金田一耕助が登場した、最初の作品です。 作中の年代は、戦前の、昭和12年になっています。 とはいえ、金田一の初仕事というわけではなく、この事件以前に、すでに、東京や大阪で、いくつも事件を解決しているという設定になっており、警視庁のお偉方の紹介状を持って現れ、磯川警部ら、地元警察の面々から、一目置かれた状態で、捜査を始めます。

  日本家屋の離屋を利用した、密室トリック物として、日本の推理小説のエポックになった作品ですが、今現在から読み返すと、そういう面で評価するのは、ちと、厳しいものがあります。 何の情報もなしに、普通に読んでも、相当には面白いのですが、それは、密室トリック物だから云々ではなく、山村の旧家を舞台に、極端な性格の犯人をはじめ、登場人物を細々と描写しているからでしょう。

  そもそも、犯人は、最初から密室を作るつもりだったわけではなく、雪が降ったせいで、計画が台なしになってしまったので、ヤケクソで、密室にしたという、かなり無茶な理由。 そんな、テキトーな経緯で作られた密室ですから、名探偵でなくても、解けると思います。 映画やドラマを見た人なら分かると思うのですが、実際に、この仕掛けをうまく作動させるのは、大変難しいのでは? よほど、念入りに作っても、5回に1回くらいしか、成功しないんじゃないでしょうか?

  一方、犯人の性格を極端なものにして、それが、犯行の動機になっていると解き明かして行く過程は、大変、面白いです。 性格異常というより、もはや、精神異常だと思いますが、「こういう人間も、いるだろうなあ」と思わせるところが、巧み。

  以下、ネタバレあり。

  新婦が、自分が過去にしでかした男関係の過ちについて、新郎に打ち明けるべきか、先輩に相談したところ、「そんな事は、言わない方が良い」と助言されたにも拘らず、無視して、打ち明けてしまうのですが、いかにも、そういう立場に置かれた真面目な女性がやりそうな事でして、作者の人間観察が行き届いている感があります。

  隠し事をしたまま結婚したのでは、後々、苦しくなると思ったんでしょうが、自分の結婚相手が、それを許してくれるかどうかまで、考えが及ばなかったんですな。 なーんでも、正直に告白すればいいってもんじゃないんだわ。 だけど、殺すくらいなら、他に方法を考えた方が良かったと思いますねえ。 そういう考え方にならないのが、性格異常・精神異常者の特徴なんでしょうけど。


【車井戸はなぜ軋る】 約78ページ
  1949年1月に、「読物春秋」に掲載されたもの。

  地方の旧家、本位田家の長男、大助と、没落した秋月家の息子、伍一は、瞳が普通か二重かの違いがあるだけで、顔も体格も、瓜二つだった。 二人とも徴兵され、大助だけが、眼球を失った体で復員する。 帰って来たのは、大助に成りすました伍一なのではないかと疑念が募る中、大助が妻を殺し、車井戸に身を投げる事件が起こる。 大助の妹が、療養所に入っている次男の兄に向けて手紙を送る形で、事件の謎を解き明かす話。

  金田一も出て来ますが、単に、作家の元に、事件の資料を送ったというだけで、事件そのものには、全くタッチしていません。 恐らく、ノン・シリーズとして書いた話を、少し直して、金田一の名前を無理やり入れたんじゃないでしょうか。

  ストーリーは、よく出来ていて、アリバイ・トリックの本格推理物です。 犯人が来れないなら、被害者の方を動かせば良いという、2時間サスペンスなどでも、大変、よく使われるパターン。 なぜ、夫の方だけ車井戸に放り込まなければならなかったかが、謎を解く鍵になっていて、結構、ゾクゾク感があります。

  この話、2002年4月に、古谷一行さん主演の、≪水神村伝説殺人事件≫というドラマになっていて、私も見ています。 基本設定は、原作に近いですが、原作で謎解きをする妹が出ずに、姉が新設されているものの、謎解きは、金田一が全て担当しており、犯人も、犯行の動機も違います。 原作通りに作った方が、面白かったと思うのですが、2サスにはするには、いろいろと事情があるんでしょうな。 大助の妻の体に、痣がない事を確認する場面は、映像にすれば、ゾクゾクしたと思うんですがねえ。


【黒猫亭事件】 約127ページ
  1947年12月に、「小説」に掲載されたもの。

  東京都内、ある寺に隣接する「黒猫」という酒場の裏庭で、若い僧侶が、死体を掘り起こしたのを、通りかかった警官が目撃する。 顔が腐った死体の主は、酒場の亭主の情婦のようだったが、亭主とマダムが行方不明になっていて、はっきりしない。 マダムが、一時期、風間俊六に囲われていた関係で、風間の友人である金田一に事件が持ち込まれ、金田一が謎解きに乗り出す話。

  推理小説の命題、「顔のない死体」と、「一人二役」を組み合わせた謎で、凝っていますが、凝り過ぎて、どこが面白いのか、分かり難い話になっています。 大陸からの引揚者であるマダムと亭主の関係が、重要な意味を持っていて、それを説明するのに、全体の3分の2くらいが費やされていますが、そこが、くどいのです。 複雑過ぎて、不自然と言ってもいいほど特殊なので、謎解きをされても、面白くありません。 辻褄は合っていますが、意表を突かれるところがないんですな。

  謎解きは謎解きで、金田一が、調子に乗って、喋り過ぎており、面白いというより、白けてしまいます。 メインの長編作品では、金田一は、オマケみたいな存在で、前面に出て来る事が少ないのに対し、この作品では、ズケズケと出まくっていて、思わず、「こんなに鬱陶しいキャラだったか?」と、眉を顰め、首を傾げてしまいます。

  この作品も、古谷一行さん主演で、1978年9月に、ドラマ化されています。 「横溝正史シリーズ Ⅱ」の第7作です。 私は、見たんですが、だいぶ昔の事なので、いくつかの場面を除き、ほとんど、忘れてしまいました。 若い僧侶役で、シャアの声で有名な、池田秀一が出演していました。 池田さんは、映画≪獄門島≫にも、若い僧侶役で出ていますな。



≪夜の黒豹≫

春陽文庫
春陽堂書店 1997年12月/新装初版
横溝正史 著

  相互貸借で、取り寄せてもらった本。 伊東市立図書館の蔵書です。 春陽文庫の横溝作品は、もっと以前からありますが、この本は、新装版で、カバー絵が新しくなっています。 改版というわけではないようで、文字サイズや、文字間・行間の広さは、それ以前のものと変わりません。 カバー絵は、坂本勝彦さん。 うまい絵ですなあ。

  ≪夜の黒豹≫は、1963年3月に、「推理ストーリー」に掲載されたものですが、その時には、≪青蜥蜴≫というタイトルだったそうで、その後、改稿されて、≪夜の黒豹≫になったとの事。 内容的には、≪青蜥蜴≫の方が、ぴったり来るタイトルです。 江戸川乱歩さんの ≪黒蜥蜴≫と紛らわしいから、変えたんでしょうか? 内容は、似ても似つきませんが。


  都内のホテルや旅館、3軒で、黒づくめの服を着た男が、一緒に入った女の首を絞め、女の胸に青い蜥蜴の絵を描いて姿を消す事件が、連続して起こる。 一人目の女は助かったが、二人目と三人目は、殺された。 三人目の女子学生と関係があった、エロ・グロ画家の青年に容疑がかかるが、捜査に加わっていた金田一は、別の見方をしていて・・・、という話。

  タイトルからして、てっきり、≪悪魔の寵児≫や、≪幽霊男≫と同類の、通俗物だと思っていたんですが、読んでみたら、そうではありませんでした。 分類するなら、本格トリックものです。 ただし、メジャーな長編と同列に語れるものではなく、本来なら、短編用に考えられた話を、聞き取り場面を細々と描き込む事で、引き伸ばして、長編にした作品です。

  聞き取り場面が細かいという事は、たとえば、地の文で書けば、半ページで終わるところを、5・6ページかけて書いているわけで、ページがどんどん進むのはいいんですが、ページ当たりの情報量が少ないので、話の進みは、逆に遅くなり、大変、まどろっこしいです。 とりわけ、女性キャラの話し方が、遠回りばかりしていて、非常に、読み難い。 イライラして来るくらい。

  謎・トリックは、割とありふれた、一人二役系の入れ替わりもので、ゾクゾクするほどのものではないです。 事件部分だけ見ると、何となく、コリン・デクスター作品に似たような雰囲気ですが、発表は、こちらの方が先。 しかし、別に、横溝さんが、オリジナルというわけではなく、いろんな作家が、似たような話を書いているのでしょう。

  1963年というと、横溝さんの戦後活躍期の末期でして、この作品の後は、≪仮面舞踏会≫を途中まで書いて、そこで、新作の筆を折ってしまいますから、完成作としては、これが最後という事になります。 その後、10年以上経ってから、角川春樹さんの仕掛けによる、空前の横溝大ブームが来て、執筆が再開され、≪仮面舞踏会≫が完成し、≪病院坂の首縊りの家≫や、≪悪霊島≫が、新たに書かれるわけですが、この作品を書いていた頃には、そんな未来が待っているとは、全く思っていなかったでしょうねえ。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2019年の、

≪風船魔人・黄金魔人≫が、3月21日から、23日にかけて。
≪悪魔が来りて笛を吹く≫が、3月24日から、4月1日まで。
≪本陣殺人事件≫が、4月2日から、10日。
≪夜の黒豹≫が、4月13日から、17日にかけて。

  ≪風船魔人・黄金魔人≫は、少年向けだから、評価外として、≪悪魔が来りて笛を吹く≫や、≪本陣殺人事件≫は、本格派転向以降、全身全霊を傾けて書いた作品だけあって、話の筋や、犯人を知っていても、尚、読み返して、面白いです。 細かく見れば、ケチをつけられるところは出て来るわけですが、そうと分かっていても、今後も、何回か、読み返す事になるでしょう。

  横溝正史さんは、確かに、素晴らしい仕事を残した。 そして、それが、前人未到の発行部数という形で証明されたのは、愛読者にとっても、大変、嬉しい事です。 横溝大ブームには、もちろん、角川春樹さんの才能も大きく関わっているのですが、もし、横溝さんの作品に魅力がなかったら、いくら笛を拭いても、あんな膨大な数を売る事はできなかったでしょう。

2019/09/08

読書感想文・蔵出し (52)

  読書感想文です。 三島図書館にある、横溝作品のスニーカー文庫を読み終わり、調べてみたら、沼津図書館の方に、まだ読んでいない本があったので、戻る事になりました。 三島図書館は、私の家から、自転車で行くには、遠過ぎでして、行かなくてもよくなって、ほっとしました。




≪蝋面博士≫

角川スニーカー文庫
角川書店 1995年12月/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 旧版は、1979年6月に出ています。 95年に、スニーカー文庫として、改版したもの。 収録されているのは、長編1、短編3の、計4作。 巻頭に、登場人物を紹介したイラストあり。 イメージ・イラストのページあり。 漫画風のコマ割りをしたページあり。 作中に、数枚の挿絵あり。 カバー表紙絵も含めて、全て、漫画風の絵柄です。


【蝋面博士】 約150ページ
  ネット情報によると、1954年12月に、偕成社より、発表。 「蝋」は、本来、旧字。

  盗み出した死体を蝋で覆って、蝋人形にしてしまう、蝋面博士という怪人が世間を騒がす中、今度は、生きた少女をさらって、蝋人形にしようとしている事が分かり、探偵小僧・御子柴進と、ライバル新聞の田代記者が、競って、捜査を進める。 金田一耕助が、アメリカから帰国し、謎を解く話。

  少年向けの話なので、御子柴進が、中心になりますが、謎解きは、金田一にやらせるという、役割分担です。 中盤くらいから、「蝋面博士の正体は、誰なのか」が、最も大きな謎になり、それは、消去法で、割と簡単に見当がつきます。 少年向けだから、そんなに、複雑な話ではないです。

  横溝さんの、この種の長編作品は、みな、パターンが決まっていて、大体、同じようなエピソードが並んでいます。 軽気球で逃走というのは、ほんとに、よく出て来ますなあ。 戦後作品だから、ヘリコプターも出て来ます。 蝋面博士の助手が操縦するのですが、「一体、どこで、操縦を習った?」といった疑問が湧くものの、何せ、少年向けの作品ですから、野暮なツッコミはしないのが花でしょう。

  長編としては、短めなのと、余分なキャラが出て来ないので、話の纏まりはいいです。


【黒薔薇荘の秘密】 約28ページ
  作品データ、なし。

  黒薔薇荘という、ヨーロッパの古城のような邸宅で、主人の古宮元子爵が行方不明になる事件が起こる。 一年後、黒薔薇荘に投宿する事になった少年が、部屋にあった大きな時計の中に、人の顔を見るが、翌朝、調べてみると、時計の裏には何もなかった。 黒薔薇荘には、地下通路があると聞いていた少年が、謎を解く話。

  トリックあり、謎あり、不気味な舞台設定ありで、少年向けとしては、かなり、纏まりのいい話です。 しかし、大人が読んで、面白いというものではないです。 なまじ、出来が良いと、貶す所がないから、感想が書きにくいものですな。


【燈台島の怪】 約28ページ
  作品データ、なし。

  金田一耕助が、助手の少年を連れて、燈台島にやってきた。 燈台守から、消えた旅行者の捜索を頼まれた矢先、その人物が瀕死の状態で現われ、息絶える。 死者が身に着けていた奇妙な紙と、寺に預けられいた額から、金田一が暗号を解き、隠されていた金塊を見つけると同時に、隠した一味の因縁を明らかにする話。

  纏まりがいいです。 トリック、謎、地底から声が聞こえるという、怪奇な設定。 このくらいのページ数が、横溝さんが少年向け短編を書く際の、適量だったのかも知れません。


【謎のルビー】 約26ページ
  作品データ、なし。

  ルビー欲しさに、友人を殺して逃げた嫌疑がかけられている青年がいた。 その妹に頼まれて、藤尾俊策という青年探偵が捜査に乗り出し、被害者が飼っていた鸚鵡が口にする言葉から、ルビーの行方を推理し、真犯人をつきとめる話。

  トリックはないですが、謎はあります。 怪奇趣味は希薄で、謎解きで読ませようという趣向。 必ずしも、少年向けではなく、たぶん、戦前に、大人向けに書かれたのではないでしょうか。 雰囲気的には、【芙蓉屋敷の秘密】(1930年)に近いです。 鸚鵡の言葉がヒントになるのは、【鸚鵡を飼う女】(1937年)と同じ。


  解説が、中村うさぎさんという方で、作品データには、触れておらず、解説というより、横溝作品全般の批評になっています。 一見、主観丸出しのような書き方をしていますが、その実、的確な指摘が多くて、「なるほど、分かる人は、ちゃんと、ツボを押さえて読んでいるのだなあ」と、思わせます。



≪横溝正史探偵小説選 Ⅰ≫

論創ミステリ叢書35
論創社 2008年8月/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 「論創ミステリ叢書」は、内外の名作推理小説を、ハード・カバーの単行本で出しているシリーズで、その中の一冊です。 全集ではないので、横溝作品は、他の出版社が出していない、近年になって発掘されたものだけを収録している模様。

  解説を除いても、約530ページもあり、借りて読むなら、一回に一冊にして、時間に追われずに、じっくり楽しんで読むようにした方が、良いと思います。 私は、こんなに分厚い本だとは知らず、3冊も一遍に借りてしまい、必死の思いで読む羽目になりました。 勿体ない。

  「創作・翻案」だけでも、24作。 その後に、「評論・随筆・読物」が、44作もあり、とても、一作ごとの感想は書けません。 急いで、次を読まなければならないから、そんな手間がかかる事はやってられません。 特に気になったもの以外は、ざっくりと、全体の印象だけ書きます。

  怪盗ルパンの短編の翻案が、2作あります。 解説によると、相当、弄ってあって、改作に近いらしいのですが、恥ずかしながら、私が原作の方を読んでいないので、どの程度、変えてあるのかが分かりません。 ちなみに、原作は、【水晶の栓】と、【奇岩城】だそうです。 昭和初期の頃は、原著の訳本が出ていないものが多く、訳者が、かなりテキトーに、改作していた模様。 恐らく、著作権料も払っていなかったのではないかと思いますが、その辺の事情は、書いてありません。

  【奇岩城】を元にした、【海底水晶宮】は、舞台はフランスなのに、ルパン以外の人名が、日本人のそれになっているという、今から見ると、非常に奇妙な書き方をしています。 恐らく、昭和初期の読者は、外国人の名前を覚えるのが、洒落にならないほど苦手で、こうしなければ、読んでもらえなかったのかも知れません。 もしくは、文字数を減らす為の工夫なのか・・・。

  元の怪盗ルパン・シリーズ自体が、推理小説というよりは、謎がある冒険小説でして、そういうのが好きな読者でないと、楽しめないと思います。 どうやら、昭和初期の読者は、本格推理は、まるで読めず、こういう冒険小説タイプの話の方に、ワクワク・ドキドキしたようですな。

  この翻案2作以外は、横溝さん本人が作った短編小説です。 ほとんどが、戦前の作品ですが、由利先生や三津木俊助といった、シリーズ・キャラは出て来ず、それぞれの作品ごとに、探偵役がいたり、いなかったりと、バラバラです。 耽美主義や、草双紙趣味とも違っていて、意外な結末や、皮肉な結末をもつ、ショート・ショートに限りなく近いタイプの話が多いです。

  もしかしたら、星新一さんも、少年時代に、「新青年」などの雑誌を読んでいたのかも知れませんなあ。 とはいえ、横溝正史さんが、ショート・ショートの開祖というわけではなく、当時は、そういう、ちょっと気が利いた短編小説を、いろんな作家が書いていたのだと思います。 その後、名前が残ったのが、横溝正史さんと、江戸川乱歩さんくらいだったから、その余の作家達は、忘れられてしまったというだけで。

  「評論・随筆・読物」は、いずれも、短いもの。 昭和初期、横溝さんが、「新青年」の編集長をやっていた頃のものが多いようです。 当時の探偵小説作家の名前が、何人も出てきますが、江戸川乱歩さんを除くと、ほとんど、聞いた事がない名前ばかり。 作品も、作者の名前も、何もかも、忘れ去られてしまったんですなあ。 1970年代の大ブームで、膨大な数の読者を手に入れた横溝さんが、特別だったのでしょう。

映画について書かれたものも多いです。 横溝さんは、戦後、自作の映画化については、権利を売ってしまったが最後、我関せずを決め込んだと、≪金田一耕助のモノローグ≫にあったので、映画に興味がなかったのかと思っていましたが、そんな事はなくて、若い頃には、見まくっていたらしいです。 小説でも、映画でも、物語全てに興味があったように見受けられます。

  ヴァン・ダイン原作の映画、≪カナリア殺人事件≫を、完全否定に近い形で扱き下ろしていますが、恐らく、腹が立つほど、出来が悪かったんでしょう。 ちなみに、戦前だと、探偵小説の映画化で、曲がりなりにも成功したといえるのは、≪マルタの鷹≫くらい。 戦後になって、≪オリエント急行殺人事件≫や、≪ナイル殺人事件≫など、アガサ・クリスティーの作品がヒットするまで、どうやれば、推理小説を、うまく映像化できるか、誰も分かっていなかったわけだ。



≪横溝正史探偵小説選 Ⅱ≫

論創ミステリ叢書36
論創社 2008年10月/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 「論創ミステリ叢書」で、「横溝正史探偵小説選 Ⅰ」と、続き番で、出版されたもの。 解説を除いても、約547ページあり、読むのがしんどい、分厚さです。 「創作」が、15作で、みな、短編。 「随筆」が、3作ありますが、ごく短いもの。 「Ⅰ」と同様、一作ごとの感想は書きません。 作品数が多いからというより、ほとんどが、少年向け作品で、似たような話が多いのが、主な理由です。


  短編の内、5作が、三津木俊助・御子柴進もので、全て、戦後に書かれた作品。 戦前作品で、由利先生と共に探偵役を務めた三津木俊助は、戦後、金田一耕助にバトン・タッチする形で、大人向けの作品からは降板しますが、少年向けでは、まだまだ、出番が終わらなかったようです。

  とはいえ、少年向けですから、御子柴進の方が中心になるべきなのですが、この本に収められた作品では、中心人物がはっきりしておらず、三津木・御子柴の二人は、単に顔を出しているだけという感じもします。 【怪盗X・Y・Z 「おりの中の男」】は、連作4編の最終作で、前3編は、角川文庫に収録されているらしいのですが、私は、未読。 

  続く8作が、ノン・シリーズで、作品ごとに、探偵役が異なるか、探偵役がはっきりしていないかの、どちらかです。 いずれも、少年向けで、各作品の類似が甚だしいです。 内2作が、少女向け雑誌に書かれたもので、いくぶん、毛色が変わっており、とりわけ、【曲馬団に咲く花】には、これといって、謎やトリックの要素がなく、次回へ次回へと読者の興味を繋いで行く起伏だけが売りという、朝ドラ・昼メロ的な雰囲気があります。 少年向けと、少女向けを、はっきり書き分けている点は、興味深いところ。

  金田一が登場する、推理クイズ作品が、2作。 一応、小説の体裁はとっていますが、ごく短いもので、作品というほどのボリュームはありません。 推理クイズは、そんなに難しくはないです。 逆に、簡単過ぎて、「引っ掛けか?」と思ってしまいますが、この短さで、引っ掛けを盛り込むのは、不自然というもの。 素直に考えれば、すぐに犯人が分かります。

  「随筆」は、3作ありますが、随筆というより、少年向け探偵小説に対する、作者の考え方を述べた文章で、いずれも、1ページで終わる短いものです。 「探偵小説は、少年に有害」という批判に対して、「そんな事はない」と反論する内容。 私も、作者に同感ですが、むしろ、問題なのは、少年向け探偵小説の存在意義そのものではなく、似たような話ばかりである点ではないかと思います。

  江戸川乱歩さんの、少年探偵団シリーズが典型例ですが、横溝さんの少年向け作品も、負けず劣らず、型に嵌まったものばかりです。 どうしても、「子供向けだから、この程度でいいだろう」と、軽く考えているように思えてしまいます。 「隠し部屋」、「隠し通路」、「水中隠れ家」、「周囲に映画撮影と思わせて逃走」、「被害者とすりかわって逃走」、「幼い頃にさらわれた華族の子」、「財産を狙って甥や姪を殺そうとする叔父」・・・、 そんなのばかり。

  それらの要素を、並べ替え、登場人物の名前を変えれば、ちょいちょいっと、一作出来上がりで、あまりにも、安直。 また、こういう似通った作品を、凝りもせずに注文し続けた出版社にも、呆れます。 作者だけでなく、編集者も、子供向けを、ナメてかかっていたんでしょう。 子供向けに食い足りなくなった読者が、早く、大人向けに昇格するように、わざと、似たような作品ばかり書いていたという見方もできないではないですが、それは、ちょっと、穿ち過ぎでしょうか。



≪横溝正史探偵小説選 Ⅲ≫

論創ミステリ叢書37
論創社 2008年12月/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 「論創ミステリ叢書」で、「横溝正史探偵小説選 Ⅰ」、「Ⅱ」と、続き番で、出版されたもの。 解説を除いても、約626ページもあります。 「創作」が、16作で、内2作が、長編。 他は、短編。 「評論・随筆」が、24作ありますが、どれも、短いもの。 「Ⅰ」「Ⅱ」と同様、一作ごとの感想は書きません。


  現代ものは、6作で、全て、戦後発表。 少年向け作品で、三津木俊助・御子柴進ものが、3作あり、内、【鋼鉄魔人】は、「Ⅱ」に収録されている、ノン・シリーズの【魔人都市】を三津木俊助・御子柴進ものに書き換え、長編化したもの。 前半のストーリーは、ほとんど同じですが、後半、変わって来ます。

  「幼年クラブ」や、「幼年ブック」という雑誌が存在していたようで、それ向けに書かれた作品が、3作あります。 平仮名ばかりで、読み難いですが、短いから、読み始めれば、すぐに終わります。 他の作品で使った謎やトリックを流用したものが多いです。 幼年が相手では、焼き直しも、問題になりますまい。

  時代小説が、10作あり、大人向けと少年向けが混在しています。 大人向けは、人形佐七が登場する推理クイズの【お蝶殺し】を除いて、全て、戦前作品。 少年向けは、全て、戦後作品。

  少年向けの内、遠山の金さんの息子を探偵役にした、智慧若物が3作。 他は、ノン・シリーズです。 解説によると、大抵の作品が、後に、人形佐七シリーズに書き改められているそうです。 出版社側の事情もあると思いますが、横溝さん本人としては、後世に残す時代小説作品を、佐七シリーズで統一しておきたかったのかも知れませんな。

  【神変龍巻組】だけ、長編で、中学生向けの雑誌に連載されたようですが、中学生には、ちと難しいのではと思うような内容。 発表された1950年代前半の中学生は、どうだったか分かりませんが、今の中学生では、冒頭を読んだだけでも、本を閉じてしまうでしょう。 ストーリーは、江戸時代初頭に、豊臣秀頼の落し胤である少年を巡って、様々な勢力が争いあうという活劇。 判官贔屓、負け組の遠吠え的な話で、私は、あまり好きではありません。


  「評論・随筆」は、戦後の推理小説界の流れに関する事や、時代小説を書き始めたきっかけの事など、断片的な内容です。 横溝さんにとって、作品とは、イコール、創作であって、随筆には、あまり、興味が向かなかったようです。 自分の事を書いても、価値がないと思っていたようなフシがあります。


  この、「論創ミステリ叢書」の「横溝正史探偵小説選」シリーズですが、横溝さんの有名作品のほとんどを、すでに読んでいる人向けでして、そうでない人が、いきなり読むと、拒絶反応が出てしまう恐れがあります。 作者本人が、後世に残すつもりでなかった作品ばかり掻き集めているわけで、素晴らしく面白い本になるわけがないです。 「横溝さんの書いたものなら、どんなものでも読みたい」という、マニア読者向けなのでしょう。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2019年の、

≪蝋面博士≫が、2月25日から、27日にかけて。
≪横溝正史探偵小説選 Ⅰ≫が、3月2日から、4日まで。
≪横溝正史探偵小説選 Ⅱ≫が、3月5日から、7日。
≪横溝正史探偵小説選 Ⅲ≫が、3月8日から、13日にかけて。

  角川文庫・旧版では、収録作品の監修役をやっていた、中島河太郎さんが、全作網羅を目論み、主だった作品は勿論の事、かなり、マイナーなものまで収めたわけですが、その後になって発掘された作品が、各出版社から、バラバラに出されていて、論創ミステリ叢書の、≪横溝正史探偵小説選≫も、その一類です。

  こんなにあったのかと、驚く数ですが、内容は、ファン垂涎というほどのものではなく、特に、戦前作品や、戦後であっても、少年向けの作品は、時間を割いて読むほどの価値がないものが多いです。 横溝さんほど、作品の質にバラつきがあった作家も珍しいのでは?

2019/09/01

ワイヤー・インナー・エンド・キャップ

  またまた、自転車の修理の話。 バイク生活復活計画の方は、醜く歪んだ形で、細々と、バイク吟味を続行中。 あまり、長々と吟味を続けていると、完全に目的を見失って、ただ、日々の習慣として、吟味し続けているだけ、みたいになって来ますな。




  前回、≪後輪脱着基礎講座≫の中で、「ブレーキ・ワイヤーを外す」とか何とか、さらさらっと書きましたが、実際にやってみると、そんなに簡単ではないですわな。 ブレーキ・ワイヤーを外すには、曲者、「ワイヤー・インナー・エンド・キャップ」を外さなければなりません。 あの、ワイヤーの先っぽに被さっている、一方が袋になった、アルミ製の管の事です。

  曲者といっても、外し方は簡単で、プライヤーやペンチで、軽く挟んで、引っ張れば、抜けます。 強く挟むと、潰れて、ワイヤーに密着し、摩擦抵抗が大きくなって、抜け難くなります。 だけど、抜けないという事はないでしょう。

  抜くのはいいんですよ。 問題は、付け直す時に、悩む事ですな。 「さて、これを、このまま付けて、いいものなのか。 それとも、新品に換えるべきなのか」と・・・。 で、試しに、外したものを付けてみようとすると、入らない。 「あ、やっぱり、そのつど、交換するものなんだ。 新品を買って来なければ、駄目なんだ」と、ホーム・センターに走り、何十円か、何百円か、とにかく、いくらか出して、買ってくるわけだ。

「くだらん! 馬鹿な事に金を使いおって!」 机ドン! 「あんなもの、何度も再利用するに決まっておるではないか! いちいち、そのつど、わざわざ、買って来るようなものか!」

  だからその、押し潰される事によって、ワイヤーを挟み、それで、留まっているのですよ。 外す前に、押し潰されている向きを見て、縦に潰れているようだったら、プライヤーで横に挟み、軽く握ってやれば、潰れていたのが開いて、指でも抜けるようになります。 開かないまま、引っ張って抜いたとしても、抜いた後で、同じように、潰れを元に戻してやれば、新品とほぼ同じ状態になり、簡単に、ワイヤーを入れられるようになります。 潰れたままでは、ワイヤー端の棘棘が引っ掛かって、入らない。 というだけの話。


  そもそも、なんで、キャップが付いているかというと、ワイヤー端の棘棘を、剥き出しにしていたのでは、危ないし、縒ってあるワイヤーが解れてしまうから、それを覆って、押さえつけてしまおうというわけです。 アルミの袋管が使われるのは、それが一番、簡単な方法だからです。 他の物で代用しようとすると、抜けてしまったり、危険度が下がらなかったりで、いずれにしろ、うまく行きません。

  たとえば、最も安直に、ビニール・テープで巻くとする。 ワイヤーは、滑りを良くする為に、油脂が塗ってあるので、いとも容易に、抜け落ちてしまうでしょう。 それに、ビニール・テープでは、ワイヤーの解れを押さえ込む事は出ません。 では、ビニール・テープの上から、針金で縛るとする。 抜けませんし、解れも押さえられますが、今度は、針金の端が、危なくなります。 では、ビニール・テープは諦めて、ボルト・ナットで挟むとする。 それでは、重くなって、ブラブラ揺れ、ワイヤーが劣化してしまいます。

  結局、アルミの袋管が一番、いいわけだ。 袋になっていなくても、ただのアルミ管でも、端がちょっと危ないだけで、使えるには使えると思いますが、そもそも、あんな細いアルミ管なんて、日常・身の周りに、ありませんわなあ。 買って来ればあるかもしれませんが、それなら、袋管を買って来た方が、専用部品ですから、確実です。


  そういう事を知らない人が、たまたま、所有している自転車に付いていたキャップの潰しが不完全で、引っ張ったら、簡単に抜けてしまい、付け直す時に、スポッと抵抗なく入ったので、「ああ、ただ、挿しあっただけなんだろう」と思って、潰しをせずに走っていたら、いつのまにか、キャップがなくなってしまった。 ありそうな事ですな。 キャップが何の役をしているのかも分からないから、そのまま乗り続けていたら、ワイヤーが解れて来て、ささらのようになってしまった。 ありそうだ。

  そうなったら、もう、ワイヤーを交換した方が、いいでしょうねえ。 なに、ダイソーの108円商品で、売ってますよ。 長さが合わなかったら、長めのを買って来て、元のに合わせて、切れば宜しい。 アウター・エンドの方は、ブレーキ・ユニットの方に、受ける部分があるので、切ったままでも、問題なし。 今度は、インナー・エンド・キャップを忘れないように。

  インナー・エンド・キャップは、いくらくらい? アマゾンで、100個入りのが、送料入れて、100円ちょっとで、売っていますな。 100個か。 多いいなあ。 一生かかっても、使い切れないなあ。 一度、なくす経験をすれば、次からは、ちゃんと潰すようになって、二度と、なくさないから、一人一生に、1個あればいいんですよ。 しかし、1個売りでは、送料が、本体価格の数十倍になってしまいますなあ。 ハムレット風に言うと、その理不尽に耐えられるかどうか、それが問題だ。



  一応、写真を用意したのですが、旧母自だと、後輪の方は、ワイヤーの錆がひどくて、見るに耐えないので、前輪の方で撮りました。 何度か、再利用しているせいで、ボコボコになっています。 被写体が小さいと、なかなか、ピントが合わぬ。 やむなく、オート・マクロは諦め、マニュアルで撮りました。 なんぼか、早い。