2006/06/30
2006/06/29
2006/06/28
2006/06/27
2006/06/26
2006/06/25
狂乱の果て
サッカー・ワールドカップですが・・・・
実は私、日本チームを応援していなかったので、予選敗退した事に関してはどうでもいいのです。 そもそも、サッカー・ファンですらないのですから、ワールド・カップや国際試合の時だけ応援するなど、資格外応援であり、サッカーに対する冒涜であり、不遜もいい所です。 また、見ていても、どういう所が見所なのか分からないので、面白くないんですな。
そういうわけで、選手を責める気持ちなど毛頭なく、ましてや、ジーコ監督の采配を云々する事など考えた事もありません。 五輪の時によく言われる言葉ですが、スポーツは参加する事に意義があるので、全力でやったのなら、結果がどうだろうが、それで充分だと思います。
ただ、マスコミの報道や応援団の狂乱ぶりに対しては、文句が山ほどあります。 まるで、戦争中かと思いましたよ。 大本営発表が無いだけで、マスコミが大衆を扇動して狂気に追い立てている様子は、そっくりでした。 寄せ書きした日の丸は振り回すは、頭には≪神風≫の鉢巻きするは、さながら悪夢を見ているよう・・・・。 恐らく、一試合でも勝っていたら、提灯行列もやったに違いありません。 日本社会というのは、全然進歩なんかしちゃいないのです。
まず、マスコミですが、嘘を言って大衆を誘導するのはやめた方がよいでしょう。
「豪州はパワーだけ。 技術的には日本の方が遥かに上だ」
一体、どこをどう見て、こういう分析をしたのかが分かりません。 一体、その≪技術≫とやらは、なんの役に立つの? 点を入れられない技術なんて持ってたってしょうがないじゃん! スポーツ記者のくせに、サッカーの戦術理論について何も知らんのだろう! 知らないなら、大言壮語するもんじゃないぜ。
「クロアチアは初戦の日本を見て油断しているから勝てる」
あのねえ、クロアチアも初戦で一敗してるんですよ。 第二戦も負けたら、その時点で敗退決定ですわ。 そんな状況で、油断なんてしてるわけないでしょうが! 本当にスポーツ大会の駆け引きが分かってるんでしょうか? 自分がクロアチアの立場だったら、油断するか?
「ブラジルに2点差で勝てば、予選突破できる」
このコメントは、単なる勝ち点計算に過ぎないように聞こえますが、ありえない事を日本のマスコミ全部が唱えていると、異様な雰囲気が漂ってきます。 まるで、2点差でブラジルに勝つ事が起こり得るかのように喋っているわけですが、そんな事は、ごくごく常識的に考えれば、絶対に、金輪際、たとえ天が落ちようとも、死者が全員蘇ろうとも、あり得ないと分かるはずです。 あり得ない事が条件になっている場合、少しは言葉を濁した方がよいです。 マスコミが口にすれば、大衆は信じ込んでしまうからです。
そういや、開会前にはもっと凄い事を言ってましたな。
「日本代表は、優勝も狙えるチームだ」
もはや、狂っているとしか思えませんな。 そんな気違い沙汰を、プロの解説者が大真面目に口にしていたんですぜ。 1998年のフランス大会の時も、同じような状態になり、3戦全敗で終わった後、新聞に、「冷静な分析もせずに煽り立てるのはよそう」という意見文が載ったりしましたが、マスコミの面々は、そんな指摘には馬耳東風、まったく同じ事を繰り返したわけです。 これは愚かも愚かですが、確信犯的な所もあると思います。 騒げば騒ぐほど視聴率が上がり、新聞・雑誌が売れるので、結果がどうなろうが、大嘘つき呼ばわりされようが、煽りまくった方が得と判断したのでしょう。
マスコミの中にも、本当のサッカー好きはいるようで、こういう人達は日本チームだけを応援したりしません。 世界のトップ・プレーヤーの妙技を見れるワールド・カップを心行くまで楽しんでいます。 本来、サッカー・ファンというのはそうあるべきでしょう。 またこういう人達の解説は、門外漢が聞いていても、大変面白いです。 素人では気付かない見所を教えてくれるんですな。 「この選手のこのプレーは凄いですよ」と映像で示されると、確かに凄いので、思わず感心してしまいます。 「ニッポン!ニッポン!」騒いでいるだけの薄らトンカチ解説者達には、今回を最後に引退してもらいたいものです。 特に「絶対勝つんです!」とか怒鳴っている連中ですが、本当にもう出てこなくていいからよ。 な。 うるさいだけで、邪魔だ。
次に、応援団ですが・・・・あー、ここから先は≪激怒モード≫に入るので、温厚な性格の方は、読まないで下さい。
とにかく、みっともない! 普段、J・リーグの試合なんぞ見にも行かないくせに、日本代表の試合の時だけ、サッカー・ファンに化けるのはよせ! 下品極まりない! 一体、お前らは何者なんだ? いいか、本当のサッカー・ファンは、ブラジルの選手がプレーしているのを見ただけで、うっとり見惚れてしまうものなんだ。 自国チームの応援なんてしてる場合ではなくなってしまうんだ。 お前らの中の一人でも、そんな気分になった者がいるか? 最初から最後まで、「ニッポン!ニッポン!」怒鳴ってただけだろうが? そんなのは、サッカー・ファンとは言わないんだ。 ただのナショナリストだ! つい先年、「スポーツに政治を持ち込むな!」とか何とか聞いた風な事を抜かしていたのは、お前らではなかったのか? 自分の姿をよく見よ! その民族主義で凝り固まった醜い姿を! サッカーなんぞやった事もないくせに、代表と同じユニフォーム着て、顔に日の丸描いて、なんなんだ、その様は?
0泊2日ツアー? アホか! ワールド・カップを観戦する資格が無いばかりか、開催国に足を踏み入れる資格も無い! お前らみたいなのに来て欲しくて、どの国も一生懸命誘致しているわけじゃないんだ。 試合だけ見て帰るなら、どこでやっても同じじゃないか! 最低の入国者だな。 不法就労者より性質が悪い。 ドイツという国に、一片の敬意も持っていないのだろう?
「ブラジルに勝つ!」とか軽々しく言っていた奴・・・・お前ら、サッカーの国際勢力図を全然知らないんだろう? 掛け声だけでブラジルに勝てるくらいなら、どの国も苦労はせんわ。 もしかしたら、ブラジルについて、「ただの南米の国」くらいしか知識を持ってなかったんじゃないか? そうでなければ、「勝つ!」なんて言葉が簡単に出るわけがないものな。
あー、すっきりした! 実はここ半月、もっともっと、ムカムカしていたんですが、これ以上爆発させると、血圧が上がって脳溢血でも起こしかねないので、この程度にしておきます。
でも、今回、最終戦がブラジルで良かったと思います。 いくら大馬鹿な応援団でも、力の差がどれだけあるか、思い知ったでしょう。 後半戦なんて、動いているのはブラジルの選手だけで、日本選手はボールを取りに行く事も出来ない有様だったですからね。 これでもまだ「勝てた試合だ」なんて言う奴がいたら、それはもう本当の狂人です。 いや、いそうだから困るんですがね。
前回2002年の時、このコラムで、「2006年には、日本代表は日本サッカー史上最も強くなると思うが、その後、J・リーグ・ブームの時にサッカーを始めた選手達が第一線から外れてしまうので、力は落ちる。 2006年大会は、恐らく日本にとって最後のワールド・カップになるだろう」と書きました。 今回、ジーコ監督が若手を連れて行かなかった事がいろいろと取り沙汰されましたが、もし、「戦力にならない選手を連れて行く余裕が無い」と判断したのだとしたら、今の若手はすでにレベルが落ちているいう事で、もはや日本のサッカーに先は無いという事になります。 今回、アジア勢はすべて予選敗退したので、次回は出場枠が減る事が予想され、本当にこれが最後になるのかもしれません。
日本チームを強くするためには、優れた選手を育てるしかなく、その為には国内のサッカー熱を盛り上げて、選手の裾野を広げるしかないんですが、さて、今回狂乱した応援団どもが、J・リーグを見に行きますかね? 行かないと思いますねえ。 だから、似て非なるファンなど、価値が無いというのですよ。
オマケですが、韓国-スイス戦を見ていて、つくづく思い知らされた事があります。 選手個々の動きや、パスの回り具合などを見ると、韓国は日本より明らかに強いと思いましたが、その韓国ですら、スイスに勝てるように見えなかったのです。 これにはショックでした。 もし、人種の違いによる壁があるとしたら、やる気も何も失ってしまいます。 サッカーがマイナー・スポーツに過ぎない日本なんぞ、何十回出場しても予選突破など夢のまた夢でしょう。
実は私、日本チームを応援していなかったので、予選敗退した事に関してはどうでもいいのです。 そもそも、サッカー・ファンですらないのですから、ワールド・カップや国際試合の時だけ応援するなど、資格外応援であり、サッカーに対する冒涜であり、不遜もいい所です。 また、見ていても、どういう所が見所なのか分からないので、面白くないんですな。
そういうわけで、選手を責める気持ちなど毛頭なく、ましてや、ジーコ監督の采配を云々する事など考えた事もありません。 五輪の時によく言われる言葉ですが、スポーツは参加する事に意義があるので、全力でやったのなら、結果がどうだろうが、それで充分だと思います。
ただ、マスコミの報道や応援団の狂乱ぶりに対しては、文句が山ほどあります。 まるで、戦争中かと思いましたよ。 大本営発表が無いだけで、マスコミが大衆を扇動して狂気に追い立てている様子は、そっくりでした。 寄せ書きした日の丸は振り回すは、頭には≪神風≫の鉢巻きするは、さながら悪夢を見ているよう・・・・。 恐らく、一試合でも勝っていたら、提灯行列もやったに違いありません。 日本社会というのは、全然進歩なんかしちゃいないのです。
まず、マスコミですが、嘘を言って大衆を誘導するのはやめた方がよいでしょう。
「豪州はパワーだけ。 技術的には日本の方が遥かに上だ」
一体、どこをどう見て、こういう分析をしたのかが分かりません。 一体、その≪技術≫とやらは、なんの役に立つの? 点を入れられない技術なんて持ってたってしょうがないじゃん! スポーツ記者のくせに、サッカーの戦術理論について何も知らんのだろう! 知らないなら、大言壮語するもんじゃないぜ。
「クロアチアは初戦の日本を見て油断しているから勝てる」
あのねえ、クロアチアも初戦で一敗してるんですよ。 第二戦も負けたら、その時点で敗退決定ですわ。 そんな状況で、油断なんてしてるわけないでしょうが! 本当にスポーツ大会の駆け引きが分かってるんでしょうか? 自分がクロアチアの立場だったら、油断するか?
「ブラジルに2点差で勝てば、予選突破できる」
このコメントは、単なる勝ち点計算に過ぎないように聞こえますが、ありえない事を日本のマスコミ全部が唱えていると、異様な雰囲気が漂ってきます。 まるで、2点差でブラジルに勝つ事が起こり得るかのように喋っているわけですが、そんな事は、ごくごく常識的に考えれば、絶対に、金輪際、たとえ天が落ちようとも、死者が全員蘇ろうとも、あり得ないと分かるはずです。 あり得ない事が条件になっている場合、少しは言葉を濁した方がよいです。 マスコミが口にすれば、大衆は信じ込んでしまうからです。
そういや、開会前にはもっと凄い事を言ってましたな。
「日本代表は、優勝も狙えるチームだ」
もはや、狂っているとしか思えませんな。 そんな気違い沙汰を、プロの解説者が大真面目に口にしていたんですぜ。 1998年のフランス大会の時も、同じような状態になり、3戦全敗で終わった後、新聞に、「冷静な分析もせずに煽り立てるのはよそう」という意見文が載ったりしましたが、マスコミの面々は、そんな指摘には馬耳東風、まったく同じ事を繰り返したわけです。 これは愚かも愚かですが、確信犯的な所もあると思います。 騒げば騒ぐほど視聴率が上がり、新聞・雑誌が売れるので、結果がどうなろうが、大嘘つき呼ばわりされようが、煽りまくった方が得と判断したのでしょう。
マスコミの中にも、本当のサッカー好きはいるようで、こういう人達は日本チームだけを応援したりしません。 世界のトップ・プレーヤーの妙技を見れるワールド・カップを心行くまで楽しんでいます。 本来、サッカー・ファンというのはそうあるべきでしょう。 またこういう人達の解説は、門外漢が聞いていても、大変面白いです。 素人では気付かない見所を教えてくれるんですな。 「この選手のこのプレーは凄いですよ」と映像で示されると、確かに凄いので、思わず感心してしまいます。 「ニッポン!ニッポン!」騒いでいるだけの薄らトンカチ解説者達には、今回を最後に引退してもらいたいものです。 特に「絶対勝つんです!」とか怒鳴っている連中ですが、本当にもう出てこなくていいからよ。 な。 うるさいだけで、邪魔だ。
次に、応援団ですが・・・・あー、ここから先は≪激怒モード≫に入るので、温厚な性格の方は、読まないで下さい。
とにかく、みっともない! 普段、J・リーグの試合なんぞ見にも行かないくせに、日本代表の試合の時だけ、サッカー・ファンに化けるのはよせ! 下品極まりない! 一体、お前らは何者なんだ? いいか、本当のサッカー・ファンは、ブラジルの選手がプレーしているのを見ただけで、うっとり見惚れてしまうものなんだ。 自国チームの応援なんてしてる場合ではなくなってしまうんだ。 お前らの中の一人でも、そんな気分になった者がいるか? 最初から最後まで、「ニッポン!ニッポン!」怒鳴ってただけだろうが? そんなのは、サッカー・ファンとは言わないんだ。 ただのナショナリストだ! つい先年、「スポーツに政治を持ち込むな!」とか何とか聞いた風な事を抜かしていたのは、お前らではなかったのか? 自分の姿をよく見よ! その民族主義で凝り固まった醜い姿を! サッカーなんぞやった事もないくせに、代表と同じユニフォーム着て、顔に日の丸描いて、なんなんだ、その様は?
0泊2日ツアー? アホか! ワールド・カップを観戦する資格が無いばかりか、開催国に足を踏み入れる資格も無い! お前らみたいなのに来て欲しくて、どの国も一生懸命誘致しているわけじゃないんだ。 試合だけ見て帰るなら、どこでやっても同じじゃないか! 最低の入国者だな。 不法就労者より性質が悪い。 ドイツという国に、一片の敬意も持っていないのだろう?
「ブラジルに勝つ!」とか軽々しく言っていた奴・・・・お前ら、サッカーの国際勢力図を全然知らないんだろう? 掛け声だけでブラジルに勝てるくらいなら、どの国も苦労はせんわ。 もしかしたら、ブラジルについて、「ただの南米の国」くらいしか知識を持ってなかったんじゃないか? そうでなければ、「勝つ!」なんて言葉が簡単に出るわけがないものな。
あー、すっきりした! 実はここ半月、もっともっと、ムカムカしていたんですが、これ以上爆発させると、血圧が上がって脳溢血でも起こしかねないので、この程度にしておきます。
でも、今回、最終戦がブラジルで良かったと思います。 いくら大馬鹿な応援団でも、力の差がどれだけあるか、思い知ったでしょう。 後半戦なんて、動いているのはブラジルの選手だけで、日本選手はボールを取りに行く事も出来ない有様だったですからね。 これでもまだ「勝てた試合だ」なんて言う奴がいたら、それはもう本当の狂人です。 いや、いそうだから困るんですがね。
前回2002年の時、このコラムで、「2006年には、日本代表は日本サッカー史上最も強くなると思うが、その後、J・リーグ・ブームの時にサッカーを始めた選手達が第一線から外れてしまうので、力は落ちる。 2006年大会は、恐らく日本にとって最後のワールド・カップになるだろう」と書きました。 今回、ジーコ監督が若手を連れて行かなかった事がいろいろと取り沙汰されましたが、もし、「戦力にならない選手を連れて行く余裕が無い」と判断したのだとしたら、今の若手はすでにレベルが落ちているいう事で、もはや日本のサッカーに先は無いという事になります。 今回、アジア勢はすべて予選敗退したので、次回は出場枠が減る事が予想され、本当にこれが最後になるのかもしれません。
日本チームを強くするためには、優れた選手を育てるしかなく、その為には国内のサッカー熱を盛り上げて、選手の裾野を広げるしかないんですが、さて、今回狂乱した応援団どもが、J・リーグを見に行きますかね? 行かないと思いますねえ。 だから、似て非なるファンなど、価値が無いというのですよ。
オマケですが、韓国-スイス戦を見ていて、つくづく思い知らされた事があります。 選手個々の動きや、パスの回り具合などを見ると、韓国は日本より明らかに強いと思いましたが、その韓国ですら、スイスに勝てるように見えなかったのです。 これにはショックでした。 もし、人種の違いによる壁があるとしたら、やる気も何も失ってしまいます。 サッカーがマイナー・スポーツに過ぎない日本なんぞ、何十回出場しても予選突破など夢のまた夢でしょう。
2006/06/24
La porte automatique
Excepté la dessin animé, le Japon a peu de produits dont je peux me vanter dans le monde entier, mais si j'ose relever, il y a ≪la porte automatique≫.
Au Japon, la porte automatique à coulisse se propage très beaucoup. La entrée du magasin et le bâtiment public ont presque la porte automatique. Il y a beaucoup de bâtiments équipés de la porte automatique même au magasin très petit ayant la surface de plancher moins de 10 mètres carrés.
Le Japon a la culture traditionnelle de la porte à coulisse. Il est une raison de la diffusion qu'ils pouvaient faire facilement la porte automatique pour ajouter seulement un moteur à lui.
À ce que le Japonais voit, le paysage étranger sans porte automatique est très primitif. J'ai l'impression qu'il est ridicule que les Occidentaux persistent dans la porte à charnières et le tourniquet.
La porte automatique est faite à partir du verre transparent. Parce qu'il est dangereux à moins qu'on saisit les circonstances de l'autre côté avant d'ouvrir la porte.
Parce que le Japonais qui se est habitué à la porte automatique le sait, quand la porte automatique en métal apparaît dans le film de SF des Etats-Unis, le Japonais pouffe de rire involontairement.
2006/06/23
2006/06/22
2006/06/21
2006/06/20
Die letzte Weltmeisterschaft
Schließlich ist die Fähigkeit der japanischen Mannschaft dieses Niveau.
Das Spiel der japanischen Mannschaft ist nicht interessant. Das herrliche Spiel wird nicht gesehen, weil es nicht den Sternspieler gibt.
Ihr Niveau ist zu niedrig, als dass sie an der Weltmeisterschaft teilnehmen.
Aber, es gibt nicht eine Aussicht, dass ihr Niveau in Zukunft steigt. Diese Weltmeisterschaft kann ein letztes Mal sein, dass sie teilnehmen.
2006/06/19
Do you stab at each other ?
New nuclear powers will continue increasing unless all nuclear powers abandon the nuclear weapons. And it is impossible that the nuclear powers abandon their nuclear weapons. Because they cannot abandon a sense of fear and suspicion.
Nuclear powers gradually increase, and the majority of countries come to have the nuclear weapons and the intercontinental ballistic missiles finally.
It is very dangerous that old-timers try to stop newcomers by force. Because it is very likely that the other country already has the nuclear weapon. Even if it is a superpower, the economy is completely destroyed by attack to the big city that used a dozen of nuclear weapons. Old-timers must be ready for striking each other simultaneously.
2006/06/18
惻隠の心
最近、≪国家の品格≫という本で話題になっている藤原正彦さんですが・・・・・。
そういえば、養老孟司さんの≪バカの壁≫も同じ新潮新書でしたが、似たような読者層を狙ってくるものですな。 ただし、≪バカの壁≫が一応学術的な理論であるのに対し、≪国家の品格≫は、個人の意見に過ぎず、この違いはだいぶ大きいです。
先に評価してしまうと、こういう本はかなり危険です。 定説でもなく、その反対でもなく、人々が普段思っていないような切り口から分析を始めているので、読んだ者は、目から鱗が落ちたような気分になり、「この著者は鋭い!」と感心してしまうわけです。 しかし、現実には、コロンブスの卵的発想というのはそうそう存在しないものです。
この著者の意見の最大の問題は、≪武士道≫がどんなものなのか理解していない所にあります。 理解していないというより、誤解しているのです。 大方、武士道について勉強しようと思った時に、新渡戸稲造の≪BUSHIDO≫を最初に読んでしまったのでしょう。 しかし、新渡戸の≪BUSHIDO≫は、山鹿素行の≪士道≫の考え方を基点にしたもので、本来の武士道からは外れています。 ≪葉隠≫を先に読めば、武士道の本質がよく分かるんですが、本の題名が直接的なせいで、先に新渡戸を読んでしまう事が多く、勘違いする者が後を断ちません。
武士道と士道の違いは何かというと、士道には、儒教の要素が加えられているという事です。 武士道は、「とにかく斬って斬って斬りまくれ。 逃げるくらいなら死ね。 若い内に人の一人や二人殺せなくては、一人前の武士にはなれぬ」といった内容で、思想とはいっても、理論も糞もありません。 それではあまりにも野蛮なので、儒教と融合させて、文明的な人生指標に持ち上げようとしたのが山鹿素行の士道なのです。 実際には、水と油を混ぜるようなものですから、この試みは失敗したわけですが、新渡戸は外国人に日本人が野蛮でない事を説明するために、死んでいた士道理論を引きずり出して来たわけですな。 しかし、書名を≪BUSHIDO≫にしてしまったために、現在のように誤解が蔓延する事になったのです。
藤原正彦さんが「日本人がかつて持っていた美徳」として最も重視している≪惻隠の心≫ですが、これは武士道とは何の関係もなく、完璧100%、儒教の理念です。 ≪孟子≫の中で最も有名な言葉といっても良く、儒教をちょっとでも習った人なら知らない人はいません。 それを「日本の武士道の基本的思想」としてしまっているわけで、こりゃもう、鼻で笑うなという方が無理でしょう。 自説が成り立つ根本的な部分で、初歩的勘違いをやらかしているのです。 武士道は戦場の血で血を洗う修羅場の中から生れた考え方ですから、「弱者をいたわる心」なんぞとは全く無縁、むしろ正反対です。 敵ならば女子供でも容赦なく殺す。 赤ん坊を槍で串刺しくらい当たり前。 それが武士道です。 戦場で≪惻隠の心≫なんざ、魚市場で相対性理論の講義をするようなものですな。
≪国家の品格≫という本の題目は、「惻隠の心を始め、日本人がかつて持っていた美徳を取り戻そう」という主張なのですが、その美徳とやらが、日本独自の物ではなく、外国産なのですから、主張自体が成り立たない事になります。 ≪惻隠の情≫そのものは、確かに美徳だと思いますが、それなら儒教の推薦本でも書けばいいのであって、「かつての日本人」を美化する必要は無いはずです。
藤原正彦さんによると、「卑怯な事をしない」というのも日本人の美徳だそうですが、それは世界中に普遍的に見られる考え方で、日本独自の物ではありません。 むしろ、日本人はどちらかというと卑怯な方だと思います。 それが出来る立場に立つと、自己中心的な価値観を他人に押し付ける行為が当然のように行なわれているではありませんか。 自分の出世の為だけに部下を家畜扱いする上司とか、勝手に掟を決める町内会長とか、セクハラも許されると思っている自治体首長とか、枚挙に暇がありません。 日本人を卑怯でないと信じようとするから、歴史上、社会上、様々な場面で現実とのギャップが生れるのであって、最初から卑怯者が多いと思えば、どんな事件が起きても、「なるほど、これは日本的だ」と納得できるようになります。 たとえば、≪耐震強度擬装事件≫の関係者ですが、至って日本的な人達だと思いませんか? ああいう言い逃れや責任転嫁を得意とする人物は身の周りに無数にいます。
藤原正彦さんの意見の中で、もう一つ気になるのは、「論理には価値がない」と、いとも軽々しく断じてしまっている事です。 「理屈を並べるよりも、昔からの道徳・倫理の方が大事だ」と言っているのですが、論理の意義を否定する論拠として、「論理は最初の前提を間違えれば、後の展開がすべて間違いになってしまう。 だから価値がない」と述べているのは、あまりにも幼稚な理屈です。 そんな事を言い出せば、道徳・倫理だって、最初の取り決めが間違っていれば、全部間違いではありませんか。 どちらでも、最初の間違いというのは起こりうるのであって、条件は同じです。 それならば、ただ愚直に道徳・倫理に従うより、論理に則って考える方が遥かに優れていると思います。
そもそも日本人は頭が単純過ぎて論理を理解できないので、「論理に価値はない」と言われると、「宿題なんかやらなくてもいい」と親に言われた子供のように喜ぶ人が多いわけですが、それで済むはずがないのが、グローバル時代というものです。 明治以来、自分の国の分も弁えず、国際情勢の分析も出来ず、ただただ外国を攻めていれば良いと信じ込んでいたから、ボロクソに負けて滅亡したのであって、論理的な判断力があれば、そもそも仕掛けられてもいないのに、自分の方から戦争を仕掛けるような国にはならなかったでしょう。 論理の否定など、とんでもない話です。 日本人の美徳どころか、重大欠陥を育成しているようなものです。 どうも、この人の言う事には、考え足らずな所が多いです。 なんだか、ちょっとだけ教養を聞きかじった中学生の意見を聞かされているような感じがします。
しかし、本当に頭痛がするのは、この種の本を買う人が大量にいるという事実ですな。 世界の思想史に関して一通り知識を持っていれば、こういう本が変だという事は、立ち読みしただけでも分かると思うんですがねえ。 教養レベルがどうしようもなく低いんですなあ。 また、これを読んで、自分の意見のように吹聴して回る大たわけがうようよいるんでしょう。 何度も言うようですが、他人の意見をそのまま頭に入れるのは、低知能・無教養の証明ですぜ。 ネット上でも、この種の本をほぼ丸写しにしたような文によく出食わしますが、ベストセラーなら尚の事、ネタ元がどこかすぐにバレます。 パクリ行為は、教養ある人間から「最低のアホウ」と蔑まれてしまうのだという事を自覚すべきでしょう。
ここ15年ほど、日本人の書いた本で、知的好奇心を刺激するようなものが全く見当たりません。 「とんがった事を書けば、世間にセンセーションを巻き起こせるだろう」という下心丸出しの本ばかり。 買う方の教養レベルが落ちているから、売る方もそういう読者に受けがいいような本ばかり出すんでしょうが、ずーっとそんな状態が続くと思うと、不安がどんどん増大します。 なんだか、世界から取り残されていくような焦燥感に襲われませんか?
そういえば、養老孟司さんの≪バカの壁≫も同じ新潮新書でしたが、似たような読者層を狙ってくるものですな。 ただし、≪バカの壁≫が一応学術的な理論であるのに対し、≪国家の品格≫は、個人の意見に過ぎず、この違いはだいぶ大きいです。
先に評価してしまうと、こういう本はかなり危険です。 定説でもなく、その反対でもなく、人々が普段思っていないような切り口から分析を始めているので、読んだ者は、目から鱗が落ちたような気分になり、「この著者は鋭い!」と感心してしまうわけです。 しかし、現実には、コロンブスの卵的発想というのはそうそう存在しないものです。
この著者の意見の最大の問題は、≪武士道≫がどんなものなのか理解していない所にあります。 理解していないというより、誤解しているのです。 大方、武士道について勉強しようと思った時に、新渡戸稲造の≪BUSHIDO≫を最初に読んでしまったのでしょう。 しかし、新渡戸の≪BUSHIDO≫は、山鹿素行の≪士道≫の考え方を基点にしたもので、本来の武士道からは外れています。 ≪葉隠≫を先に読めば、武士道の本質がよく分かるんですが、本の題名が直接的なせいで、先に新渡戸を読んでしまう事が多く、勘違いする者が後を断ちません。
武士道と士道の違いは何かというと、士道には、儒教の要素が加えられているという事です。 武士道は、「とにかく斬って斬って斬りまくれ。 逃げるくらいなら死ね。 若い内に人の一人や二人殺せなくては、一人前の武士にはなれぬ」といった内容で、思想とはいっても、理論も糞もありません。 それではあまりにも野蛮なので、儒教と融合させて、文明的な人生指標に持ち上げようとしたのが山鹿素行の士道なのです。 実際には、水と油を混ぜるようなものですから、この試みは失敗したわけですが、新渡戸は外国人に日本人が野蛮でない事を説明するために、死んでいた士道理論を引きずり出して来たわけですな。 しかし、書名を≪BUSHIDO≫にしてしまったために、現在のように誤解が蔓延する事になったのです。
藤原正彦さんが「日本人がかつて持っていた美徳」として最も重視している≪惻隠の心≫ですが、これは武士道とは何の関係もなく、完璧100%、儒教の理念です。 ≪孟子≫の中で最も有名な言葉といっても良く、儒教をちょっとでも習った人なら知らない人はいません。 それを「日本の武士道の基本的思想」としてしまっているわけで、こりゃもう、鼻で笑うなという方が無理でしょう。 自説が成り立つ根本的な部分で、初歩的勘違いをやらかしているのです。 武士道は戦場の血で血を洗う修羅場の中から生れた考え方ですから、「弱者をいたわる心」なんぞとは全く無縁、むしろ正反対です。 敵ならば女子供でも容赦なく殺す。 赤ん坊を槍で串刺しくらい当たり前。 それが武士道です。 戦場で≪惻隠の心≫なんざ、魚市場で相対性理論の講義をするようなものですな。
≪国家の品格≫という本の題目は、「惻隠の心を始め、日本人がかつて持っていた美徳を取り戻そう」という主張なのですが、その美徳とやらが、日本独自の物ではなく、外国産なのですから、主張自体が成り立たない事になります。 ≪惻隠の情≫そのものは、確かに美徳だと思いますが、それなら儒教の推薦本でも書けばいいのであって、「かつての日本人」を美化する必要は無いはずです。
藤原正彦さんによると、「卑怯な事をしない」というのも日本人の美徳だそうですが、それは世界中に普遍的に見られる考え方で、日本独自の物ではありません。 むしろ、日本人はどちらかというと卑怯な方だと思います。 それが出来る立場に立つと、自己中心的な価値観を他人に押し付ける行為が当然のように行なわれているではありませんか。 自分の出世の為だけに部下を家畜扱いする上司とか、勝手に掟を決める町内会長とか、セクハラも許されると思っている自治体首長とか、枚挙に暇がありません。 日本人を卑怯でないと信じようとするから、歴史上、社会上、様々な場面で現実とのギャップが生れるのであって、最初から卑怯者が多いと思えば、どんな事件が起きても、「なるほど、これは日本的だ」と納得できるようになります。 たとえば、≪耐震強度擬装事件≫の関係者ですが、至って日本的な人達だと思いませんか? ああいう言い逃れや責任転嫁を得意とする人物は身の周りに無数にいます。
藤原正彦さんの意見の中で、もう一つ気になるのは、「論理には価値がない」と、いとも軽々しく断じてしまっている事です。 「理屈を並べるよりも、昔からの道徳・倫理の方が大事だ」と言っているのですが、論理の意義を否定する論拠として、「論理は最初の前提を間違えれば、後の展開がすべて間違いになってしまう。 だから価値がない」と述べているのは、あまりにも幼稚な理屈です。 そんな事を言い出せば、道徳・倫理だって、最初の取り決めが間違っていれば、全部間違いではありませんか。 どちらでも、最初の間違いというのは起こりうるのであって、条件は同じです。 それならば、ただ愚直に道徳・倫理に従うより、論理に則って考える方が遥かに優れていると思います。
そもそも日本人は頭が単純過ぎて論理を理解できないので、「論理に価値はない」と言われると、「宿題なんかやらなくてもいい」と親に言われた子供のように喜ぶ人が多いわけですが、それで済むはずがないのが、グローバル時代というものです。 明治以来、自分の国の分も弁えず、国際情勢の分析も出来ず、ただただ外国を攻めていれば良いと信じ込んでいたから、ボロクソに負けて滅亡したのであって、論理的な判断力があれば、そもそも仕掛けられてもいないのに、自分の方から戦争を仕掛けるような国にはならなかったでしょう。 論理の否定など、とんでもない話です。 日本人の美徳どころか、重大欠陥を育成しているようなものです。 どうも、この人の言う事には、考え足らずな所が多いです。 なんだか、ちょっとだけ教養を聞きかじった中学生の意見を聞かされているような感じがします。
しかし、本当に頭痛がするのは、この種の本を買う人が大量にいるという事実ですな。 世界の思想史に関して一通り知識を持っていれば、こういう本が変だという事は、立ち読みしただけでも分かると思うんですがねえ。 教養レベルがどうしようもなく低いんですなあ。 また、これを読んで、自分の意見のように吹聴して回る大たわけがうようよいるんでしょう。 何度も言うようですが、他人の意見をそのまま頭に入れるのは、低知能・無教養の証明ですぜ。 ネット上でも、この種の本をほぼ丸写しにしたような文によく出食わしますが、ベストセラーなら尚の事、ネタ元がどこかすぐにバレます。 パクリ行為は、教養ある人間から「最低のアホウ」と蔑まれてしまうのだという事を自覚すべきでしょう。
ここ15年ほど、日本人の書いた本で、知的好奇心を刺激するようなものが全く見当たりません。 「とんがった事を書けば、世間にセンセーションを巻き起こせるだろう」という下心丸出しの本ばかり。 買う方の教養レベルが落ちているから、売る方もそういう読者に受けがいいような本ばかり出すんでしょうが、ずーっとそんな状態が続くと思うと、不安がどんどん増大します。 なんだか、世界から取り残されていくような焦燥感に襲われませんか?
2006/06/17
Le football japonais
L'équipe japonaise participe à La coupe du Monde FIFA 2006. Puisque l'équipe du Japon est le 18ème place par le classement de FIFA maintenant, Il n'est pas une étrange de pouvoir participer. Mais, contrairement à l'apparence, le football au Japon n'est pas une position si haute.
Originairement les sports professionnels japonais ont été monopolisés pour le base-ball.
≪J league≫ qui est une fédération professionnelle du football a commencé en 1993, et un grand boom du football a surgi. Tout le monde sans exception était excité à ≪J league≫ pendant quelque temps. Beaucoup d'équipes ont été faites par chaque zone, et la lutte pour les joueuse est devenue la grande sujet, et la retransmission des matchs du football a été télévisée dans la heure de grande écoute.
Mais, c'était l'enthousiasme superficiel. La popularité est tombé graduellement, et le football a été expulsée de la télévision. L'administration de chaque équipe est devenue dure et il est tombé dans la situation que seulement les véritables fans du football vont au terrain fréquemment soutenir l'équipe.
La majorité de Japonais ne regarde pas habituellement le football. Mais, ils soutiennent l'équipe japonaise avec l'excitation anormale seulement au temps de le match international. Le motif de leur encouragement se compose du nationalisme de 50% et l'humeur de fête de 50%. Ils sont les flatteuse de chaque nouvelle mode, et ne sont pas aussi passionnés que le hooligan.
2006/06/16
Una victoria abrumadora
Miraba un partido entre España y Ucrania. ¡España es fuerte excesivamente! Ucrania parecía un equipo aficionado.
Había apoyado Ucrania al principio, pero he admirado España al fin, porque España era demasiado fuerte.
Alemania actual parece ser muy caliente. Es una condición severa para un equipo de un país frío.
2006/06/15
2006/06/14
굉장한 패배 방법
축구 월드컵 독일 대회가 성황입니다만·····.
6월 12일의「일본-오스트레일리아」전에는 폭소했습니다. 어느 의미, 역사적인 시합이었던 것은 아닐까요?
통상, 종료전 6분간에, 3점이나 골 될까?
종료 직전에 1점 빼앗기고 진다고 하는 일은 자주 있습니다만, 3점은 드물다! 겨우 6분간에, 따라 잡히고, 앞질러지고, 따돌림을 당하다는 것은, 춘사도 춘사, 대춘사! 이러한 일이 일어나는 것은 복권수준의 확률이다! 이것이 웃지 않고 있을 수 있을까!
덧붙여서, 나는 자국 대표를 응원하고 있지 않았기 때문에, 아프지도 가렵지도 않습니다. 써포터들이 분개하는 상태를 보고 즐기고 있습니다.
2006/06/13
Die übertragenden Stunden
Die Weltmeisterschaft wird tief in der Nacht in Japan übertragen. Es ist hart, daß ich von 10:00 bis 12:00 Nachmittag Werktags fernsehe.
Es ist ein Problem, daß Kinder in dieser Zeit schlafen. Der Fußball ist der Sport der Minorität in Japan. Es zeichnet die Aufmerksamkeit der Öffentlichkeit nur zu der Zeit der Weltmeisterschaft. Wenn Kinder nicht die Weltmeisterschaft sehen können, wächst der Spieler im folgenden Generation nicht, denn es gibt nicht eine Gelegenheit, eine Sehnsucht auf dem Fußballspieler zu haben.
2006/06/12
Was there really him ?
The person who commanded an armed group of foreigner was killed in Iraq. He seems to have been blown off by bombing together with the house.
A photograph of the face after the death was announced, but I cannot distinguish who it is, because the looks changed.
In the first place, the existence of this person was known by only the name and a photograph. It is suspicious if he existed really or not. It is possible that he was imagined by the U.S. Armed Forces as the object which they should hate. However, nobody can confirm it if he died.
U.N. Secretary General said, "Because of wartime, it is not assassination." But, if we obey that logic, the murder whom he committed will also be forgiven.
2006/06/11
ノート型
何気なく新聞を読んでいたら、パソコン活用法を紹介するコーナーに、「最近売れているパソコンはノート型が主流だ」とあって、びっくりしました。 ノート型ねえ・・・・。
仕事で持ち歩かざるを得ない人がノート型を選ぶのは当然だと思いますが、家で使う場合、ノート型には何のメリットもないんじゃないでしょうか? 私はずっとデスクトップ型なので、実際に使用した事はないんですが、店頭のデモ機で触れてみたノート型の印象は極悪です。 あまり使いにくいので、今ではデモ機にすら近寄らなくなりました。 正直な感想、あんな不便な機械にデスクトップ型以上の大枚をはたこうという人の感覚が理解できません。
とにかく、決定的な欠陥は、画面が暗いという事です。 ありゃもうどうしようもないですな。 同じ液晶でも、デスクトップ型で使う液晶モニターは十二分に明るいですが、恐らく、パネルの厚さの関係上、発光構造そのものが異なるんでしょう。 その事は、買う前に店頭で見比べてみれば一目瞭然で分かります。 ノート型の暗ぼったい画面を見ていると、だんだん気が滅入ってきますから、特に鬱の傾向がある方は避けた方が良いと思います。 いや、皮肉でなく、至って真面目な話。
画面の暗さだけでもノート型を否定する充分な理由になりえるのですが、困った事にもう一つ重大な欠陥があります。 キーボードの作りが、ちゃちな事です。 これもデモ機で触ってみると、デスクトップ型との違いがすぐに分かります。 デスクトップ型のキーボードが、「カタ、カタ」という音がするのに対し、ノート型のそれは、「サク、サク」という感触がします。 静かなので、一見高級そうな感じがするのですが、それは真っ赤な勘違いです。 薄く、軽くする為に性能を落とした結果、たまたまああいう触感になっただけで、最初からそれを狙ったわけではないからです。 それが証拠に、デスクトップ型のキーボードを単体売りしている製品を見れば、ノート型と同じタイプのキーボードなど一つもありません。 もし、ノート型のキーボードが高性能であれば、デスクトップ型に流用されてもいいはずですが、メーカーがそれをしないのは、譬えて言えば、材木の変わりにダンボールで家具を作るようなものだからでしょう。
ノート型のキーボードといえば、数字キーが独立していないのも不便。 「慣れれば大丈夫」と言う前に、デスクトップ型の10キーを使ってみる事をお勧めします。 最上段の数字キーなんか、全く使わなくなるから。 それに、カナ入力の場合、数字を使おうとするたびに、ローマ字入力に変更しなければならないのが癌。 変更したのを戻し忘れて、後の文を打ってしまった時のあの怒りは、何度やっても慣れません。 そうそう、矢印キーが他のキーの間に埋もれているのも問題ですねえ。 矢印キーの使用頻度は非常に高いですが、隣のキーが密着していると、打ち間違いが起こりやすいです。 あれを間違えた時の腹立たしさも、怒髪天衝きものですな。
初めてパソコンを買う人が、「ノート型の方が進んでる」というイメージを抱いてしまう気持ちは分からないでもないですが、実際に使ってみれば、パソコンという機械が100%実用品であって、トレンドも糞も無いという事がすぐに分かると思います。 悪い事は言わんから、デスクトップ型にしときなされましな。
既にデスクトップ型を使用した経験があるにも拘らず、「一度はノートを使ってみたい」とか「何となくカッコ良さそう」とかいう軽薄な動機で、わざわざノート型を買うという人もいますが、結局、「使いにくい~!」という事になるんじゃないでしょうか? もちろん、人間は見栄の塊ですから、そんな本心はおくびにも出さず、「やっぱり、今買うならノート型だよ」などと吹聴して回るんでしょうがね。 「自分だけが不幸になるのは許せん。 他の連中もみんな不幸にしてやる!」という、不幸の手紙的発想を抱く人もいるに違いない。 事程左様に、渡る世間は鬼ばかりなんですな。
ノート型の利点として、「家中どこででも使える」と言う人がいます。 「冬場、コタツに入ったまま」とか。 でも、そんなのは利点とは言いません。 ノートパソコンをコタツの上に置いて、使える状態にするのに、どれだけ手間が掛かると思ってんのよ? 本体置いて、マウス・パッド置いて、マウス置いて、マウス・ケーブル接続して、LANケーブル繋いで、ACアダプター挿して・・・・と、それだけでも重筋労働ですが、更に馬鹿な人になると、プリンターまで歩くのが寒いからって、コタツの上にプリンター載せたり、デジカメ始め、外付け周辺機器を全部コタツ上に集積したり・・・・。
そもそも、それ以前の問題として、パソコンというのは前傾姿勢で使うものですから、コタツで打ってたら、腰が痛くなって一時間も持たないって。 実際やってみりゃ分かるっぺよ。 結局、パソコンを効率的に使おうと思ったら、専用デスクを常設するしかないんですよ。 ノート型を使っている人でも、しばらく経てば、家の中で使う場所は一ヶ所に決まってしまうのであって、それなら最初からデスクトップを買った方が、遥かに使い勝手はいいです。
それと、昨今、≪リサイクル・パソコン≫と称して、5年くらい前の中古ノート型を、5万円前後で売っているケースがありますが、あんなの買っちゃ駄目ですぜ。 5年も経てば、CPUの処理速度やHDDの容量が完璧に時代遅れになってますから、買った後で何をするにも制約が付き纏うようになります。 増設なんかするくらいなら、高くても新品のノート型を買った方がいいですし、デスクトップ型なら、5万円以下で遥かに性能が高い新品が買えます。 リサイクル社会の構築に協力するのは吝かではありませんが、パソコンのように性能の進歩が速い商品には不向きですな。 もちろん、昔のノート型は、今のノート型以上に画面が暗いです。 鬱病患者が手首を切る事疑いなし。
暗いといえば、パソコンでテレビを見る人がいるようですが、あれも勧めません。 テレビ画像を映すには電力が少なすぎるのか、画面全体が異様に暗いのです。 そもそも、パソコンのモニターはノート型でもデスクトップ型でも、動画用に出来てないんですな。 反応も遅く、残像だらけで、アクション映画なんぞとても見れたものではないです。 イライラ、ストレスが蓄積して、鬱病患者であれば、頚動脈を掻き切る事決まったも同然。 論より証拠、店頭でテレビと見比べれば、すぐに分かりますって。 パソコンとテレビを兼用させようなどとセコい事言ってないで、中古の14型ブラウン管テレビでも買ってきた方が、よっぽどいい映像が楽しめます。
最後に、注意書きですが、上に書いたような事は、セカンド・パソコンとしてノート型を選ぶ場合には全く適用されません。 二台持つなら、デスクトップ型とノート型にするのは当然です。 ただ、パソコンが二台あると、必ず、反応速度が遅い方を使いにくいと感じるようになり、買い替え衝動に襲われて、後はシーソー・ゲームになってしまうので二台持つ事自体を勧めません。
2006/06/10
≪Non à ○○≫
C'est un cliché des nouvelles liées à la France au Japon.
Quand un opinion publique de démenti apparaît en France, l'expression de ≪Non à ○○≫ est toujours employé dans le journal japonais. C'est ainsi depuis que je lis le journal pour la première fois. Il n'y a complètement aucun progrès pendant quelques dizaines d'années. Il me semble que le journaliste japonais ne sait pas l'autre français.
≪Oui≫ est également employé parfois, mais ≪Non≫ est plus fréquent que celui.
Dans la circonstance semblable, ≪Нет≫ russe et, ≪Nein≫ allemand, ≪No≫ anglais sont employés rarement. Avec d'autres langues, l'expression de cette sorte n'est pas employée.
2006/06/09
Una pared de piedra de imitación
Ésta es una pared concreta que acaba de ser apilada. Es hermoso solamente mientras que siendo nuevo.
Se imita a la pared de piedra, pero cuando usted ve cuidadosamente, entiende que tiene los del mismo patrón. Éstos son el bloque concreto que fue hecho en el molde.
Pero, éstos son más elegantes que los bloques concretos del diseño artificial.
2006/06/08
2006/06/07
다륜꽂이
일본에서는 작은 화병의 일을 ≪일윤꽂이(一輪挿し)≫라고 합니다. 이 그릇은 일윤꽂이입니다만, 꽃이 작기 때문에, 꽉 들어 차있게 되어 있습니다. 원래, 화병에 꽂는 꽃이 아니어요.
그런데도 적당히 모습이 갖추어지고 있는 것은, 우리 어머니가 기묘한 재능을 가지고 있기 때문입니다. 스케치 한장도 그릴 수 없는 예술의 문외한이면서도, 꽃을 꽂으면 이상하게 능숙합니다.
일본에는 ≪화도(華道)≫라고 하는 예술 분야가 있습니다. 별명을 ≪꽃꽂이(生け花)≫라고도 불려 수반의 중앙에 둔 침봉에 풀꽃을 꽂고 형태를 만듭니다.
다양한 유파가 있어, 모두 피라미드식의 교수망을 전국에 구축하고 있습니다. 피라미드의 정점으로 서는 유파의 두목은,≪당주(家元)≫로 불려 유파내에서 절대인 권력을 보지합니다. 일본의 추리 드라마에서는, 당주의 후계자 선택에 관한 살인 사건을 소재로 한 작품이 많이 있습니다.
꽃을 꽂는 것이 목적입니다만, 전통 예술이기 때문에, 복장도 일본옷이 선호됩니다. 일본의 지방도시로 일본옷을 입고 걷고 있는 여성을 보면, 화도 또는 다도를 하고 있는 사람입니다.
2006/06/06
Ein deutsches Nachschlagewerk
Dieses ist ein Buch, das ich von einer Bibliothek borgte. Der Inhalt ist beträchtlich ausführlich. Jedoch kann ich nicht den vollständigen Inhalt schlucken, weil der Verfasser seine eigenen Ansichten für Analyse der grammatischen Struktur verwendet.
Ich kann nicht Grammatik des Deutschen erlernen, nur indem ich einmal lese, weil er sehr kompliziert ist.
2006/06/05
A concrete wall
This is a concrete wall covering a levee. This kind of materials which became old are apt to become really dirty. This is different from the stone wall that the antique look is deepened as It becomes old.
Even if only the surface of the levee is covered, there is not much significance. There is a case that it collapse by losing soil of the inside.
If the bank of the river is covered by reeds and water plants without artificial materials, ability for purification of water rises.
2006/06/04
語学参考書
語学の参考書には、出来不出来があります。 最近、ドイツ語とスペイン語を始めたので、「参考書もそれぞれ一冊くらいあった方がよかろう」と思って、図書館や本屋に調べに行っているのですが、つくづくそれを感じます。
今、書籍は本当に高くなってしまい、語学参考書で1500円以下というのはほとんど見当たりません。 こちとら大人買いが出来るので、それは構わないんですが、同じ価格帯でも中身に天地の差があるとなると、どれでもいいというわけには行かなくなります。 一方、辞書はどれを買ってもそれほどの差はありません。 両者の違いは、執筆者が複数であるか個人であるかに関わっているようです。 辞書は、出版社の人間も含めて、複数の人間で作られるので、意見の相違があれば中間点を取る形になり、結果的にあまり突飛な物ができる事はありません。 それに対して、参考書は普通個人が書きます。 執筆者は大抵専門の学者なので、編集者が内容に口を出す事も少なく、個人の意見がそのまま本になります。
ここ15年ほど、やたらに増えたのは、≪初めての○○語≫、≪やさしい○○語会話≫、≪○○語会話、初歩の初歩≫といった名前が付けられた、初心者向けの参考書です。 この種の本は以前からあるにはありましたが、今のように全体の八割以上を占めるほど多くはありませんでした。 そういえば、NHK教育テレビの語学番組も、昔は≪○○語講座≫と言っていたのが、ある時期から≪○○語会話≫に変わってしまいました。 やさしくしよう、とっつき易くしようという傾向なのですが、長年語学と死闘を繰り広げてきた経験者の目から見ると、あまり感心しません。 なぜというに、外語というのは、結局のところ難しいのであって、難しいものを簡単に習えるわけがないからです。
この種の本をいくら読んでも、日常会話はおろか、旅行会話レベルにすら到達できないでしょう。 判で押したように、対話形式の例文を中心にして簡単な解説を付ける形式になっていますが、作文の参考にしようと思うと、何の役にも立ちません。 また、やたら字が大きく、行間が広く、「絵本か?」と訝るような物もありますが、ページ数を増やして値段を吊り上げようという魂胆が透け透けスケルトンで、その知性の欠落ぶりに悪寒がしてきます。 紙を不必要に厚くしたり、二色刷りにしたりするのも、恐らく同じ企図でしょう。 この種の本から得られる程度の情報なら、高い金を出さなくても、ネット上で入手できるので、コストパフォーマンス的に失格と言っていいと思います。 100円ショップに行くと、簡単な会話集が売っていますが、内容的に大差ないです。 1500円などという価値は到底無しですな。
あと、章ごとに練習問題をしこたま盛り込んだ参考書がありますが、ありゃもう何の疑いもなく、ページの水増しですな。 練習帳じゃないんだから、そんなの要りませんぜ。 無理にでも有効に使いたかったら、正解を先に書き込んでしまって、単なる例文として見るようにするしかないですな。 そういえば、未だに≪誤文訂正≫の問題というのがあるようですが、あれは百害あって一利無い最悪の問題なので、決して見ない方が良いと思います。 語学というのは覚えてなんぼの勉学ですから、間違った文を覚えてしまう危険性は極力排除した方が良いです。 「そういえば、こんな文をどこかで見たな」と思い出した文が、練習問題の誤文だったら、まずいでしょ?
参考書を買うなら、会話よりも文法について詳しく書かれた物でなければ価格に見合いません。 そして、その種の本は、最近ほとんど見られなくなりました。 分厚い学術書風の文法書ならありますが、手頃な価格帯の物は全滅状態にあります。 去年、土居寛之さんの≪基礎フランス語入門≫を購入し、これは満足できる本でしたが、発行年は30年以上前でした。 詳しい文法書は売れないから出版しなくなったというより、最近の参考書執筆者が程度の低い内容しか書けなくなったのだと思います。 知能が低下しているのは、学生だけではなく、学者も同様なんでしょう。 ≪基礎フランス語研究≫と同じレベルの参考書が、ドイツ語やスペイン語でもあればいいんですが、今のところ見つかっていません。
語学参考書は、本屋の店頭でパラ読みしただけでは、良し悪しが分からない事が多いので、購入する前に、図書館で借りてきて、一通り目を通してみるのが良いと思います。 もしかしたら、買うよりも、そっちの方が学習効率が上がるかもしれませんな。 決定版を一冊だけ買って全面的に頼るより、様々な参考書を一通り読んでみる方が、要点が記憶に残り易いかもしれません。 これは重要だと思ったところだけ、ノートに書き写しておけば、自分専用の参考書が出来上がるというわけです。
ちなみに、最も詳しい語学参考書は、辞書です。 あまり知られていませんが、辞書をよく読めば、ほとんどの文法解説は載っています。 ただ、辞書は単語を中心に書いてあるので、文法の解説が分散していて、探しにくいんですな。 そこで、文法解説だけをまとめた参考書に需要が出てくるというわけ。 しかし、うまく使えば、辞書だけでも文法学習は可能です。
文法に詳しい参考書が良いと書きましたが、詳しいといっても、内容が理解できないほど細かかったり、説明が回りくどかったりする物は除きます。 何が書いてあるか分からないのでは、そもそも使い物にならないからです。 そういう参考書も実在するので要注意。 ヨーロッパ系言語なら、関係代名詞か従属接続詞の項目を読んでみれば、分かり易いかどうか判断できます。 中国語では完了態の説明がすんなり分かれば、その参考書は上物と言えます。
あ、そうそう、語学学習に関するオマケですが、中学一年で英語を習い始めた方々や、大学初年で第二外語を習い始めた方々に一言アドバイスを。 教科書や参考書を手に入れたら、一通り全部読んでしまいましょう。 授業の進捗にあわせて、後ろの方は読まずに取っておくなど、たわけの律儀です。 言語というのは、読むにせよ、書くにせよ、聞くにせよ、喋るにせよ、全ての知識が同時に必要になるので、「基本文型や冠詞の用法は先に覚えなければならないが、関係代名詞や仮定法は後回しにしても良い」などという事はありません。 最初から全てを知っている方が断然有利なのです。 項目によっては理解しにくい物もありますが、それは、どの段階で習っても理解しにくいのであって、後回しにすれば楽になるというわけではありません。 文法というのは繰り返し何度も接している内に徐々に頭に入ってくるので、早目に目を通しておいた方が良いのです。 特にヨーロッパ系言語では、関係代名詞が分からないと、ニュース記事の文章など一文さえも読めませんから、習得の優先順位は高いと思います。
2006/06/03
Un peintre du plagiat
La plus grande nouvelle qui est sur le tapis au Japon présent est un soupçon de plagiat d'un peintre japonais.
Il a été découvert que la œuvre d'un peintre qui est reçu un prix artistique par l'Agence des affaires culturelles ressemble trait pour trait à la œuvre d'un peintre italien célèbre, et c'est fait grand bruit.
Si on compare tous les deux, même pour un profane, il est évident que C'est plagiat. Il y a longtemps, affectant de être un admirateur ardent, le peintre japonais a visité la maison du peintre italien, et a photographié ses peintures.
Le peintre japonais nie le plagiat et donne une excuse toujours, mais parce que l'excuse est trop non polie, il est drôle plutôt que désagréable.
Le monde artistique japonais qui a donné un prix important au peintre sans s'apercevoir que c'est plagiat est dans un état qui ont exposé l'ignorance. Il y a plusieurs années, il a été découvert qu'un archéologue a enterré l'outil de pierre avec sa main et Le monde archéologique japonais qui ne savait pas le détecter a perdu la confiance. Le monde artistique est tombé dans le même trou cette fois.
2006/06/02
≪Español que podéis entender rápidamente≫
Éste es un libro de consulta español que se pide prestado de la biblioteca. Español es un idioma extranjero importante como francés y alemán, pero los libros de consulta que circulan en el mercado japonés son pocos comparativamente.
Este libro está para los principiantes, pero generales de la gramática se explica. Pero, si compro, un libro gramatical más detallado es deseable.