2006/09/30

Le pluriel

*La pile sont arrangées.
Quand des langues européennes sont apprises, les Japonais ne peut pas comprendre l'usage du pluriel. Parce que l'expression du pluriel est employée dans le Japonais seulement quand il est nécessaire. Mais, il y a quelques éléments de grammaire pour exprimer le pluriel.

≪~tachi≫ est employé pour l'humanité et l'animal. ≪~ra≫ a la même signification que ≪~tachi≫, mais il est un peu grossière.

・ senshu → senshu tachi / senshu ra
  joueur → joueuse

・ inu  → inu tachi / inu ra
  chien → chiens

D'autre part, il n'y a aucun mot qui exprime le pluriel pour l'objet. Le numéral de ces objets est ajouté quand nous voulons lui faire le pluriel à tout force.

・ tsukue → futasuno tsukue / ikutsukano tsukue
  bureau → bureaux

 Hitobito(gens), kigi(arbres), yamayama(montagnes), ieie(maisons), etc. Le pluriel qui répète le même mot n'est pas loi générale. Les mots qui peuvent l'appliquer sont rares.
 
 
Mais, ce n'est pas fait le pluriel particulièrement quand les parleurs savent qu'il est pluriel.

* Le joueur se rangent en ligne.
* Le bureau sont arrangés.

Ces phrases suivent la grammaire dans le Japonais.

2006/09/29

La habitación de estilo japonés


Los habitaciones de estilo japonés en la casa japonesa son repartidos por el tablero del fusuma. El fusuma es la puerta corrediza de papel. El fusuma es también pared. Si el fusuma es quitado, dos habitaciones estrechas se convierten en une habitación espaciosa. La habitación espaciosa sea necesario en caso del funeral,la ceremonia religiosa budista, etc para muchas invitados.
Las casas japonesas son frágiles en el terremoto porque tiene el espacio grande en la casa, aunque Japón es un país del terremoto.

2006/09/28

歇业大甩卖的袜子


在快要歇业的大荣,打八折买来的一套四双的袜子。 本来的定价是500日元,所以打八折是400日元,就是一双100日元。 可是跟一百日元商店的东西相比,料子显然薄,觉得有些靠不住。 还是好象便宜的东西也有便宜的理由。

2006/09/27

라이카 동맹


“중고 카메라 구입병”에 걸린 작자의 고백형 사소설.  사소설이라고 말해도, 역시 현대풍의 책입니다.  평이한 문체로, 아무런 저항도 없고 척척 읽을 수 있습니다.  작자의 심리를 세세하게 묘사하고 있으므로, 조금 장황한 인상도 있읍니다만, 결점이라고 할 정도가 아닙니다.  카메라의 지식 전무여도 읽는데 지장 없음.

일본 만이 아니다고 생각합니다만, 사진을 찍지 않는 주제에, 카메라만 모으고 싶어하는 “카메라 컬렉터”라고 하는 사람들이 존재합니다.  막대한 금액을 중고 카메라에 투입하는 모습은 정말로 광기.  고상한 취미취미라고는 도저히 생각되지 않습니다.

2006/09/26

Ein Turm des Lichtes


Ein japanischer erster Zukunftsroman, dem Aran Kyoudomari 1963 schrieb.
Aber, ich las es und habe verstanden, daß es eine banale Arbeit war. Es ist ein Roman, den ein Amateur schrieb und der nur lang ist.
Ich vermute, daß die japanischen Zukunftsromane sich entwickelt haben, indem sie diese Arbeit für ein schlechtes Beispiel hielten.

2006/09/25

A prepaid book card


This is a prepaid book card of 1000 yen which I exchanged for the service points of the labor credit association. Soon after I obtained this one, I bought a German reference book.
It hasn't been at my hand any longer though it was the card which had a beautiful picture. Because a checker asked to me "May I dispose of it?" and I answered carelessly "yes". It is the great regret of my life.

2006/09/24

蒐集と罪

  尾辻克彦さん、本名、赤瀬川源平さんの短編小説集、≪ライカ同盟≫を今しがた読み終わりました。 90年代前半の作品群ですが、専ら中古カメラ趣味について書かれているので、古いという感じはしませんでした。 一応、小説という事になっているんですが、ほとんど随筆ですな。 私小説と呼ぶのが最も近いか。 いや、私小説自体が随筆と大差ないという気もするし・・・・。 つまり、大体そんな本だったわけです。

  いや、今回は文学論じゃないんですよ。 カメラ趣味の話。 赤瀬川さんも前書きで告白していますが、カメラをやたらに欲しくなるという衝動は、ありゃ、明らかに病気ですな。 「上品な趣味だ」なんてのは、錯覚もいい所で、精神状態に異常を来たしているのです。 カメラ欲しい病に罹っている患者は、「余計なお世話だ!」と怒るでしょうが、余計なお世話ではすみません。 意味のない事に大金を使うのは、省エネルギー社会に於いては、倫理的犯罪に等しいです。

  ご存知の通り、カメラを集めている人というのは、あまり写真を撮りたがりません。 そもそも、プロの写真家でもないのに、年柄年中バシャバシャ写真を撮っているというのも、資源の浪費という点で些か問題ですが、まあ、話が複雑になるので、そちらには触れないとして、写真を撮るという本来の使い方をしないのに、カメラだけ集めるというのは、明らかに異常な行動です。 本人は、「自分の金で買っているんだから、他人に迷惑は掛けていない」と言うでしょうが、使わない物を大量に購入するという行為は、本来、他の方面に回されて、有益に使われるべき資金を、殺してしまっている事になります。

  中古カメラの価格は、機能や性能ではなく、「どれだけの人間が欲しがっているか」で決まっているのが実情ですが、これはバブル期に於ける地上げや株投機と何ら変わりがありません。 実体が無いのに金だけがやりとりされているのです。 たくさんの中古カメラを数百万はたいて買い集めても、部屋の棚に並んで当人を慰めるだけで一円も生み出しませんが、その金を環境保全に振り向けたら、相当な活動が出来る事は容易に想像がつくと思います。

 「中古カメラ趣味は文化だ」と言うかもしれませんが、そんなの、「煙草は文化だ」と嘯く肺癌予備軍の開き直りと選ぶ所がありませんな。 個人の趣味はどこまで行っても個人の趣味で、文化にはなりえません。 それなら、自宅の庭先で自分の排泄した糞尿を鍋で煮るのも文化なんでしょうか? 何でもかんでも、文化だといえば許されると思っているようですが、地球がエネルギー欠乏で未来暗澹たる窮地に追い込まれているという時に、文化で全て通ると思ったら大間違いです。

  カメラ・マニアばかり吊るし上げるのも不公平ですな。 当然これは、書画骨董趣味など、実体価値以上の価格で取引されている物すべてについて同じ事が言えます。 作家でもないのに書斎を構えて、読みもしない本を壁一面の本棚に飾っている人や、家中をキャラクター・グッズで埋めている人なども同じ穴の貉です。 その金を他の事に使おうとは、一度も考えた事がないんでしょうか?

  なんで、こんな嫌味にしか聞こえないような事をわざわざ言うかというと、これら、趣味に大金を投じた人達が死んだ後、蒐集された高価なガラクタのほとんどが、家族の手によって二束三文で売られてしまうからです。 売り物になるのはまだいい方で、ゴミ捨て場に直行するケースも少なくありません。 家族にしてみれば、お宝どころか、全く価値が無い障碍物であり、さっさと処分して家の中をすっきりさせたくて仕方ないのです。 ああ、無残! いや、処分された蒐集物がではありません。 その蒐集物を購入するのに費やされた資金が惜しいと言っているのです。 当人が下らない欲に気を惑わされなければ、社会に還元されたり、お金のままで子孫に残されたり、いくらでも有用な使い道があったものを。


  話をカメラに戻しますが、デジカメ時代になって、フィルム代や現プリ代から解放されたから、心置きなく撮り捲っているという人もいるでしょう。 しかし、そんなにうまくは行かないのがこの世の中なんですな。 デジカメの画素数は増える一方ですが、画像が緻密になればなるほど、データ量も増えるので、今度は保存が難しくなります。 写真を撮る人は誰でも、原画像を残しておきたいと思うものですが、1000万画素なんて画像を全部保存しようと思ったら、ハード・ディスクをいくら買い足しても追い付きません。 デジカメでも、結局金が掛かるのです。

  昨今、頭打ちになったコンパクト・デジカメに代わり、一眼レフ・デジカメに人気が集まっているようですが、あれこそ省エネに逆行する買物というものです。 まったく、無駄。 重くて嵩張るだけで、いい事なんて何もありません。 どうやら、一眼レフ・デジカメが売れているのは日本だけのようですが、知能低下の影響がこんな所にも現れているんですな。 あのねえ、一眼レフというのは、フィルム・カメラ時代に、レンズを通して実際に撮影される構図を見る為に作られた機構であって、ただ≪高級だ≫って意味じゃないんですよ。 そもそも、デジカメはレンズを通した構図を液晶画面で確認できるから、コンパクト型でも、一眼レフと同じ機能が備わってます。

  一眼レフなら、レンズ交換が出来ますが、今やそれも無意味です。 昔はズーム・レンズが無かったので、標準、広角、望遠、マクロといった具合に複数のレンズを使い分けていたわけですが、今はズーム一本で、ほとんど間に合ってしまいます。 それとも、ズッシリ重いレンズ・バッグ担いで、撮影に行きますか? 地獄ですぜ。 そもそも一体、何を撮るんです? 風景を撮るなら、毎週休みの度に三時起きする必要があります。 人物写真はモデルが見つかりません。 勝手に他人を撮れば、警察に突き出されるのがオチ。 花でも撮りますか? それなら、マクロ一本で済むけど、それ以前に、コンパクト・デジカメでも充分用が足ります。 なぜ、わざわざ一眼レフなど買うんです?

  年配のカメラ・マニアが一眼レフ・デジカメを買いたがるのは、昔買い集めたレンズ群をデジカメで使ってみたいからですが、あれもどうかと思います。 曰く、「レンズの味が違う」のだそうですが、それらの≪名品レンズ≫で撮影された写真を、私がネット上で見比べた限りでは、区別がほとんどつきません。 よく言われるのが、「硬い/柔らかい」という表現の使い分けですが、ピントが甘ければ柔らかく感じ、ピントがキリキリに合っていれば硬く感じるのであって、本当にレンズの味とやらが関わっているかどうかは大いに怪しい所です。 大抵の場合、「このレンズはいい!」という感想は、「この写真はいい!」という感想と混同されています。 試しに名品レンズで、つまらん対象を撮ってみれば宜しい。 やっぱり、つまらない写真になるだけだから。 ちなみに、もっと分からない表現が、「このレンズは奥行きの描写に優れてる」という物。 あのねえ、奥行きがある対象を撮っているから、奥行きがあるんですよ。 そうは思いませんか?


  まったく、下らない事に金を使う人が多すぎる。 だから、日本は一人当たりのエネルギー使用量が減らないんです。 先進国の国民というのは、人類を自滅に追いやる癌細胞みたいなもんですな。 自分が稼いだ金なら、どんな無意味な事に使ってもいいと思っている。 地球全体のエネルギーは有限なんですよ。 どうせ、どんなに道楽全開で暮らしても、いつかは死んでしまうんだから、少しは世の中の役に立つ生き方をしたらどうです? 生きているだけでも幸福と思うべきです。 カメラの蒐集など言語道断だとは思いませんか?

2006/09/23

Deux pays de bouddhisme


Un coup d'État a été fait en Thaïlande. L'armée thaïe fait parfois le coup d'État pour exclure le pouvoir confus. Il semble que il n'a pas établi la démocratie encore. Mais puisque la stabilité de la société thaïe est particulièrement haute en Asie, elle n'est ébranlée jamais par la confusion de la politique et du coup d'État. Le souverain de la société thaïe n'est pas ni le roi ni les hommes ni L'armée mais le bouddhisme.

Les chiens errants thaïs sont les plus heureux au monde. Le service de santé publique attrape les chiens errants, mais il est libéré encore après qu'une opération de la contraception soit pratiquée. On observe ≪l'interdiction de la tuerie≫ du bouddhisme. Les chiens errants n'ont pas besoin de chercher le détritus dans le quartier résidentiel, et ils peuvent vivre doucement, parce qu'ils peuvent obtenir assez de nourriture si ils vont au temple bouddhique.

À propos, le Japon est également un pays de bouddhisme, mais la circonstance diffère totalement de la Thaïlande. Le chien errant qui a mis son pied dans le temple est envoyé au service de santé publique immédiatement par le information de le supérieur du temple ou ses familles. Le service de santé publique japonais tue les chiens dans la salle de gaz toxique. Le chien qui n'est pas mort par le gaz est assommé avec la massue. Il est vrai bien qu'il semble être une histoire inventée exagérée.
Puisque même le temple est un tel état, vous pourrez imaginer combien la dévotion des personnes ordinaires est pauvre.

À vrai dire, les Japonais savent presque pas la doctrine du bouddhisme. Ils ne peuvent pas comprendre la théorie de religion parce qu'ils sont ignorants de la logique.

Una expresión precisa


¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo! ¡Diablo!

Debemos decir diez mil veces en vez de iraquí matado.

2006/09/22

日本安帕族


小松左京的首次长篇小说。 吃铁的新人类,安帕族让日本消灭,建安帕国的话,是很痛快的故事。
这本书是发刊年的1964年的东西,但是封面的颜色没退色的事,真叫人吃惊! ≪河童小说选≫只不过是光文社的简装本,但是好象打从前做优质的书。

2006/09/21

조금 상등품


이것은, 새롭게 사 온 장화.  600엔.
가장 싼 물건은 500엔으로, 그 쪽이 깊이가 있었습니다만, 너무 깊어서 취급하기 어려운 것 같았기 때문에, 이쪽으로 했습니다.
장화 메이커도 영고 성쇠가 격렬한 것 같아서, 10년전과 같은 물건은 자취도 없었습니다.

현재의 일본에서는, 구두 제품은, 일부의 브랜드품을 제외해, 모두 중국제입니다.  옛날과 비교해서 가격이 훨씬 싸져, 부담없이 새로운 구두를 살 수 있게 되었습니다.

일본에도 구두의 브랜드가 있습니다만, 패션 계열이 아니고, 운동화 계열입니다.

2006/09/20

Ein Verbrechen


Was tut NATO in Afghanistan ? Es ist nicht eine Weise der zivilisierten Gesellschaften, die auf die Zahl stolz ist, die Sie getötet haben. Wieviele Leute wurden von Ihnen bis jetzt getötet ? Wieviele Leute werden von Ihnen von nun getötet ?
Das Globalismus ist nicht mit ihrem Nationalismus kompatibel. Die Zukunft des Menschen ist dunkel.

2006/09/19

A retirement


About 10 years ago, when I began commuting by a motorcycle, I bought these boots. These have got some holes in the bottoms and have turned out retirement at last. The price was 1,000 yen when I bought these, if I remember correctly.
These were used only on the rainy days, but what have worn for ten years is wonder. I thank them for longtime contribution.

2006/09/17

火達磨電機会社

  どうも、日本の電機メーカーは、世界市場で敗退しつつあるようですな。 どの分野でも、シェアが10%を超える事がなくなったらしいです。 一企業の話ではなく、日本の電機メーカー全てを合わせた数字。 現在、世界の電気製品市場で覇を争っているのは、韓国、台湾、中国の三者で、日本企業は追われる立場どころか、並ばれた状態ですらなく、完全に追い抜かれている上に、追いつくどころか、追いかけて行く事も出来ないという惨憺たる状況に落ち込んでいます。

  なぜ負けたか、原因は幾つか考えられます。


1 ≪学生の知能低下のあおりで、優秀な技術者を得られなくなった≫

  ≪ゆとり教育≫などという呑気な事にかまけていたせいもありますが、それとは別口で、徐々に国民全体の知能レベルが低下していた事も事実です。 そもそも、子供を育てる親がどんどん馬鹿になっているのです。 これには、恋愛結婚が主流になった事が関係していると思われます。 恋愛結婚となると、相手の外見が最も大きな関心点になり、頭の中身の方は二の次になります。 人によっては、「少々馬鹿な人の方が扱い易い」などと考える者もおり、馬鹿な人間が多く結婚するために、勢い馬鹿な子供が増えるというわけです。 最近の小さい子供を見ていると、顔立ちは明らかに昔の子供より整っていますが、「この子は賢そうだ」などという例をとんと見なくなりました。 具体的に言うと、奇声を上げて騒ぎまわる子供はいますが、こましゃくれた口を利く子供がいなくなりました。 頭が回らないので、言葉を使いこなせないのでしょう。 学校に上がる前から馬鹿なのです。

  学校のカリキュラムはどんどん簡単になっているのに、塾通いが昔より盛んだというのも奇妙な話です。 塾に通っていても、尚且つ昔より簡単な勉強すら出来なくなっているとは驚きますな。 人格的にも欠陥のある子供が多く、学級崩壊の話など聞くにつけ、勉強以前のレベルである事が分かります。 今現在、中学・高校生の人は、こういう文を読むとムッとするでしょうが、いくらでもムッとして下さい。 自分の世代の馬鹿さ加減を実感するには、親が保存している昔の教科書を覗いてみるのが一番です。 おそらく二・三ページめくっただけで、あまりの難しさに背筋に冷たい物が走るでしょう。 ≪後世畏るべし≫という諺がありますが、円周率を≪3≫で計算するように教えられている世代を畏れるなどアホ臭いにも程があり、むしろ、≪後世嘲うべし≫というべきですな。 あはははは! ・・・・いや、笑い事ではないのですが。

  入学して来る学生があまりにも馬鹿なので、大学で高校の勉強をやり直させているらしいですが、あれも奇妙な現象ですな。 じゃあ、何の為に入学試験やってるのよ? やり直すっていっても、本来三年かけて教えるものを、せいぜい数ヶ月で教え直せるわけがありません。 それでなくても、今の大学では一般教養の教授がザクザク首を切られて、基礎的な事を教える能力が落ちているというではありませんか。 当然の事ながら、そんな事で時間を浪費していたのでは、本来大学で習うべき事が習えなくなるので、卒業する学生のレベルは更に落ちます。 そんな連中を雇わなければならない日本企業は、さながら、ムンクの叫びでしょう。 日本企業には、大学の教育に頼らず、入社した後で一から教え直すという伝統がありますが、これも素材によりけりです。 世界の平均レベルより遥かに知能が劣る学生に一から教え直したとしても、世界のトップレベルの研究開発が出来るようになるとはとても思えません。 もうお手上げなんですな。


2 ≪外国人を雇うのが下手≫

  国内で人材が確保できないなら、優秀な外国人を雇うという方法がありますが、日本企業はこれがド下手です。 日本人には、明治以来、猛烈な外国人蔑視意識が植え付けられていて、「外国人など、みんな馬鹿」と見下す風潮があります。 この差別意識は、物心付くなり親から直接刷り込まれるので、≪三つ子の魂百まで≫で大人になっても抜けません。 日本企業が雇っている外国人といえば、みな末端の肉体労働者で、「知能労働は日本人が担当する」という不文律があります。 これが致命的なのです。 馬鹿がどんどん増えている日本人だけを知能労働者として使っているのですから、世界レベルに追いつくはずがないではありませんか。

  ところが、差別意識というのは凄まじいもので、現実に全然追いつかないにも拘らず、日本企業はこの方針を変えようとしません。 たとえば、現在、飛ぶ鳥落とす勢いの韓国企業などは、優秀な外国人技術者を、元の数倍の給料で引き抜くという事を普通にやっていますが、日本企業はそういう考え方を取り入れる事が出来ず、呆れた事に、「優秀といっても外国人だから、日本人より少ない給料でいいだろう」などと考えているのです。 もう、全然駄目だな、これは。

  日本企業は中国で学生の青田買いをしていますが、彼らは入社して日本企業の実態が分かって来ると、さっさと辞めてしまいます。 現地人を重要部署につけないのも日本企業の特徴で、それが抜き難い差別意識から出ている事が、日本人社員の態度から分かるので、現地人社員は会社の為に努力するのが馬鹿馬鹿しくなってしまうのです。 ほとんどの日本人は知りませんが、外国に進出した日本企業が、現地の従業員から煙たがられている事は何十年も前から有名です。 制服や体操を強要したり、やたらと朝礼を開いて説教を垂れたり、日本でしか通用しないような社内規則を押し付けたり、他の国の企業ならありえないような束縛を従業員にかけるからです。 それでいて、給料が良いというわけでもなく、出世しても現場主任止まり。 日本以外の国の企業の場合、現地法人は現地人が社長まで行くのと比べると、天地の差です。 つまり、日本人というのは、外国人を利用したがるくせに、信用していないのです。 明らかに無能であっても、日本人社員の方を高いポストにつけます。 そんな事やってて、合理的人事を行なっている外国企業に勝てるわけないわな。


3 ≪その国で売れる製品の情報収集能力がない≫

  日本人が情報収集が苦手なのは、旧日本軍時代からつとに有名ですが、日本企業の海外戦略を見ると、それが民族的欠陥である事がまざまざと分かります。 最近の典型的な例は、中国に於ける携帯電話市場です。 中国の携帯電話保有台数はダントツ世界一で、超巨大市場なのですが、日本企業のシェアは全部合わせても一桁にしかなりません。 なんでこんな事になったかというと、日本企業が中国市場をなめてかかり、日本で売れ残った製品を売ろうとしていたからです。 サムスンやノキア、それに中国の地元企業が最新機種をドシドシ投入している市場で、それでなくても後れている日本の携帯電話の、更に旧機種を売ろうとしていたのですから、そのマヌケ振りには呆れて物が言えません。

  東南アジアやインドでは、かつて日本製品が市場を独占していましたが、今や韓国製品と中国製品に圧倒されて、風前の灯となりました。 ここでも、市場の動向を読めない事が命取りになりました。 日本企業は、「所得が低い地域だから安物の方が売れるだろう」と考えて低価格機種ばかり売っていたのですが、韓国企業は、「中間所得層が広まっているから、高級機種の方が売れる」と見て、すかさず投入し、その読みが当たって日本企業を圧倒してしまったのです。

  電機メーカーだけでなく、自動車メーカーも同じような事をやっています。 トヨタは、80年代に中国政府から進出要請があったのを、時の社長が先が読めない人だったばかりに断ってしまい、要請を受け入れたフォルクスワーゲンに、中国市場をかっさらわれました。 80年代頃に、中国政府が直接、特定の外国企業に進出を要請するという事は、「儲けさせてやる」という事なのですが、トヨタはその意味が理解出来なかったのです。 最大のライバルがいない中国市場で、フォルクスワーゲンがどれだけ儲けたか分かりません。 大魚を逃した事が分かってから、真っ青になったトヨタは、次の社長から10年以上中国にお百度を踏んで、00年代になって漸く進出を果たしました。 まあ、そこまではマヌケながらも仕方ないとして、問題はその後です。 最初に投入した車種は、中国専用車でした。 これが笑っちゃうじゃありませんか。 カローラより小さい、リッターカー・クラスのセダンだったのです。 トヨタにしてみれば、「中国の為にわざわざ開発した車だ。 どうだ、ありがたいだろう」というつもりだったのでしょうが、その時、中国市場では、アウディやベンツの高級車が、作る端からドカドカ売れていたのです。 馬鹿ですねえ、高級車の方が利益率が数倍も高いのに、≪わざわざ≫チンケなリッター・カーを開発して持って行ったんですよ。 損得勘定が出来ないのか?

  これにも、外国人を見下してかかる日本人の差別意識が深く関係しています。「外国人はおしなべて無能で貧乏人」という驚くべき差別意識が、心の奥底にべったりこびりついていて、剥がすに剥がせないんですな。 こんな黴の生えた考え方を持っていて、国際競争に勝てるわけがないんですが、国民全体の意識構造にかかわる問題なので、解消は不可能と思われます。 日本企業のシェアは縮小する一方でしょう。 誰が、自分達を見下している国の企業が作った製品を買いたがるね?


4 ≪そもそも、日本企業は特別な存在ではなかった≫

  高度成長期、バブル期など、日本企業が世界に躍進した時代が続いたので、日本人の意識の中に、「日本企業は特別優れている」という固定観念が形作られてしまったのですが、長い目で世界の産業史を見ると、日本企業の隆盛は実は一時的なものであった事が分かります。 イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどの国々も、それぞれ世界の産業の牽引役を務めた時期があり、日本だけが特別なわけではありません。 日本は80年代初頭にアメリカとドイツから牽引役を引き継いだわけですが、それは90年代初頭のバブル崩壊と共に終わりました。 日本の後を引き継いだのは、韓国と台湾です。 そして、90年代後半からは中国が加わり、今は韓台中の三地域で牽引役をやっています。 日本の時代は既に終わっているのです。 ところが、日本人の大部分は、過去の栄光が忘れられず、日本企業の絶対的な優位を疑う事が出来ません。 様変わりした世界の産業勢力図が読めないのです。 憐れといえば憐れ。 滑稽といえば滑稽ですな。

  たとえば、今売れている唯一の家電、液晶テレビですが、本体の液晶パネルを作っているのはほとんど韓国と台湾です。 そういう事を知らんでしょう? シャープが世界一だと思っているでしょ? 単にシェアが少ないだけでなく、泣く子も黙る≪液晶のシャープ≫が、液晶パネルのかなりの割合を外国企業から買っているなんて、想像もつかないでしょ? ノート・パソコンは東芝がトップだと思ってるでしょ? お気の毒ですが、日本企業が売っているノート・パソコンは、ほとんど台湾、中国企業が作った製品に日本ブランドをくっつけた物です。 自分のパソコン、バラしてみなされ。 日本製の部品を探すのに苦労するから。 というか、ほとんど無いと思います。 周辺機器を売っている日本企業を、メーカーだと思ってませんか? あれ、外国企業から仕入れて、自社ブランドで売っているだけですぜ。 周辺機器の企業には、ネット時代になるまで、名前も知らなかったような会社が多いですが、そんな会社がいきなり最新製品なんて開発出来るわけがないじゃありませんか。 外から買ってるんですよ、みんな。

  こういう事が分かっていればいいんです。 ところが、一般的な日本人も、日本企業の関係者も、分かっていないんです。 分かっていれば、焦って追いかけようという意識が働くはずなんですが、その気配が全くといっていいほど感じられません。 ふんぞり返っていても、「最終的には勝てる」と思い込んでいます。 処置なし・・・。 恐らく、遠くない将来、潰れる電機メーカーが出てくると思いますが、電機メーカーは社員数が多いですから、倒産が相継げば、社会に与える影響も甚大になります。 勢いのある外国企業が買収してくれればいいんですが、前述した通り、日本企業の気風は嫌われていますから、そうそう買い手がつきますまい。 あなたが外国企業の社長だったとしたら、倒産したくせに、こちらを見下している会社を買おうと思いますか?

  社会の授業で習ったとおり、日本という国は加工貿易で富を得ています。 外国で日本製品が売れなくなったら、富の流入が止まるわけです。 後は流出するばかりで、日本社会はどんどん痩せ衰えて行きます。 分かってるのかね? この危機的状況が。 外貨準備が無くなったら、凶作の時に、外国から米を買う事も出来なくなるんですぜ。

2006/09/16

Le camion léger


La voiture japonaise a une catégorie spéciale appelée ≪la voiture légère≫. Il y a la measures d'incitation fiscale pour les voitures de moins de la longueur 3.4m, la largeur 1.5m, et la cylindrée 660cc. Il n'a aucun rapport avec le poids contre le nom de ≪légère≫.
Il n'est pas exporté vers l'Europe et l'Amérique, mais environ la moitié des voitures vendues au Japon sont les voitures légères. Puisqu'il y a beaucoup de parc de stationnement où un espace est petites et beaucoup de routes étroites, les voitures légères sont plus maniable que les voitures générales.
La voiture de tourisme, la voiture de affaires, la voiture sport, la voiture décapotable, le minibus, le camion, la benne, etc. Il y a toutes types des voitures.

Une voiture de cette photographie est le camion léger ≪Daihatsu Hijet≫ de vieux modèle. Le camion léger est la voiture que se fait envie vaguement, mais en réalité, il est inutile pour les personnes ordinaires. Il est particulièrement incommode que le dossier de siège ne peut pas incliner vers l'arrière. Il est la voiture réservée à les fermes.
 
 
cf. Quatre fabricants font les voitures légères.

≪SUZUKI≫
≪DAIHATSU≫
≪HONDA≫
≪MITSUBISHI≫

2006/09/15

El paisaje como paraíso


El padres e hija jugó con una cometa en una plaza de un césped del sur del paso de Jikkoku. Parece ser la escena que trasladó felicidad a la pintura.

El padre “Volvamos a casa ya.”
La hija “Quiero jugar más.”

El plazo cuando la muchacha puede jugar con los padres es todavía largo. Ojalá ella pueda venir otra vez.

2006/09/14

熱海日金山霊園


静冈县热海市的高山的山顶有一个公共墓地。
因为是刚刚做的公共墓地,虽然买了场所,但还没有主人的坟墓很多。
这儿有梯田式构造,而且每级做着面对面的排列。面谷的坟墓很好,可是面山的坟墓不能享受难得的眺望吧。因为不是墓碑有眼睛,没有问题吗?

2006/09/13

묘석의 묘지


아마, 묘원을 만들었을 때에, 그것까지 있던 옛날부터의 묘지를 부수어, 낡은 묘석을 여기에 모았겠지요.
그러나, 이것은 심한 처분의 방법이예요.  방치해도 흙에는 돌아가지 않는데도.
이런 취급을 할 정도라면, 분쇄해 다른 원료에 사용하는 것이 유효한 이용법이라고 생각합니다.

일본에서는, 법률로 매장이 금지되고 있습니다.  화장으로 한 유골을 납골 단지에 넣고 돌에서 조립한 상자안에 보관합니다.  사진의 묘석은 그 상자 위에 세우는 석주입니다.  정면에 집안의 이름을 새깁니다.

2006/09/12

Das Moos


Das dicke Moos wächst auf einer echten Steinlaterne. Die Größe der Steinlaterne ist 2.5 Meter. Das Moos einer so hohen Stelle bedeutet, daß dieser Platz viel Nebel hat. Sonst ist Wasser unzulänglich.

2006/09/11

Lantern posts


Lantern posts of the cemetery of Atami-Higanesan. Atami is a place name. Higanesan is a name of a Buddhist temple.
Buddhists have a custom to contribute the lantern post to the temple. These lantern posts are simple types, and only the part of the post is made of a stone. It has the price that it is easy to contribute, but it is uncool that appearance is cheap.

2006/09/10

己で探せ

  少子化が叫ばれて久しいですが、一向に歯止めが掛かりません。 もっとも私は、「人口が減れば減るほど、世の中は住み易くなる」と考えているので、人口を増やさなければならないと切歯扼腕している連中の気が知れません。 大方、年金制度が崩壊して自分が年金を貰いはぐれるのが怖い一心で焦っているんでしょうが、そういう考え方が下賎だというのです。 「自然に増えないのなら、外国人を移住させて・・・・」という輩もいますが、てめえの老後の生活資金を工面するのに、外国人を利用しようなど、よくもまあそんなクソ図々しい事が考えられるものです。 そんなの、奴隷貿易とどこが違うんだ?

  出生率が低いといえば、韓国は現在、日本以上に低くなってしまっているのですが、両国の事情は全く異なります。 韓国では、教育熱が非常に高く、一人の子供に掛かる教育費がべらぼうな金額になるので、子供の数を少なくしようという計算が、夫婦の間で働いているのです。 もし、教育費の負担を軽くする政策が導入されたら、たぶん増加傾向に転ずると思います。

  一方、日本ですが、教育に金が掛かるから子供を少なくしようという風潮は見られません。 韓国とは違う原因で子供が減っているのです。 政府や有識者が唱える少子化対策を見ると、一組の夫婦が作る子供の数をどうやって増やさせるかに重点が置かれているようですが、これは根本原因を見誤っているとしか思えません。 一組の夫婦が作る子供の数が減ったというより、夫婦の数そのものが減っていると見るべきでしょう。 高齢独身者が社会問題になるほど増加しているのに、夫婦の数が減っていないはずがないのです。 奇妙な事に、夫婦の数の統計というものは存在しないらしく、過去と現在の増減を比較できないのですが、30年ほど前まで健在だった、≪国民皆婚≫時代に比べると、割合にして半分以下になっているであろう事は容易に想像がつきます。

  自己の意志で結婚しない人間が増えたのではありません。 見合い制度が崩壊したせいで、相手を見つけられず、結婚できない人間がどっと増えたのです。 精神疾患があるか、さもなくば、よっぽどねじくれ曲がった発想の持ち主は別として、この世の中に、生まれつき結婚したくない人間などいないと思いますが、結婚したくても相手が見つけられないのです。 もうどうしようもないわな。 以前、≪滅び行く見合い≫という文で書きましたが、見合い制度の崩壊は正に深刻極まりない結果を現出したわけですな。

  どこぞの世間知らずの閣僚が、「官製のお見合いを設けよう」などとガキの浅知恵的政策を提案した事がありますが、あっさりお流れになったようです。 まあ、ちょっと考えただけでも、そんな小っ恥かしい所へ、のこのこ出かけて行こうなんて人間がいない事は直ぐ分かるでしょう。 全国規模でやるわけには行きませんから、勢い各自治体ごとに取り組む事になりますが、市役所から通知が来て、「お見合いしますか?」「はい、します」なんてやりとりは、想像しただけでも悪寒が走ります。 市町村くらいの規模になると、役所に親類や知人が勤めているケースが多いですから、官製見合いなどに登録しようものなら、親戚中・近所中の物笑いの種になるのがオチです。 「○○の奴、いい年こいて、役所の見合いに登録して来やがったぜ」なんて、陰口叩かれる様子をご想像あれ。 誰がやるか、そんな見合い。

  見合い制度が崩壊した最大の原因は、≪家を存続させる≫という意識が消滅した事にあります。 今の感覚では全く理解できないと思いますが、本当に、ほんの20年前までは、家の存続は、どの家庭でも至上命題で、跡取りを作るために息子や娘に結婚相手を探して来る事は親の重要な務めでした。 その習慣が、ものの見事に雲散霧消してしまったのです。 「いなきゃいないで、しょうがない」で済むようになったのです。 跡取りがいらないとなれば、子供の結婚相手を探すのに狂奔する必要もありません。 親は呑気に老後をエンジョイすればいいわけですな。 親の世代はそれでいいわけですが、とばっちりを喰らったのが子供の世代です。 見合い制度がなくなってしまったために、縁談話が流通しなくなり、結婚相手を見つけられなくなってしまったのです。

  これねえ、現在20代前半以下の人達は、この文を読んで、ニヤニヤ笑っているでしょうが、笑い事じゃないんですよ。 あんた方、もし今現在交際している異性がいないとしたら、まず一生結婚できんよ。 「30才過ぎれば、親や親戚が見合いの話を持ってくる」という当ては、もはや陳腐な程に時代遅れなんですぜ。 待ってたって、誰も縁談なんて持って来やしない。 見合い制度とは、≪相互縁談紹介システム≫に他なりません。 互いに紹介しあうから、制度が成立するわけですが、最も身近な例として、自分の親を観察してみなされ。 誰かに縁談を取り持ったりしているかい? しとらんだろう? 今の親は、自分の生活を楽しむ事に夢中で、そんな面倒臭い事なんて一切しないのよ。 見合いが未だに行なわれているのは、ドラマの中だけ。 プロデューサーや脚本家が世上に疎くて、見合い制度が今でも続いていると思い込んでるんですな。


  だからねえ、もう自分で探すしかないのよ。 男だったら、身近な独身女性に片っ端から声をかけて、脈がありそうな相手を見つけるしかないのです。 勝敗は兵家の常、一回や二回フラれたくらいで諦めるな! 男の特権は、自分の方から何回でも求愛できる事なんだから。 とにかく、いかんのは、「運命の出会い」などといった妄想に取り付かれ、「この人と結ばれないのなら、俺は一生独身で通すべきなんだ。 それが俺の運命なんだ」などと思い込んでしまうことです。 そんなの只の思い込みだって! 所詮は、雄と雌の駆け引きに過ぎません。 一人が駄目なら、すぐ次に行け! 時間が無いんだ、君には! あっという間に禿げて来るぞ! みるみる内に腹が突き出てくるぞ!

  どうやったら女性と知り合いになれるか分からないという人は大勢いると思いますが、もし就職前ならば、就職先は女性が多い職場を選ぶ事です。 職場結婚が最も成婚率が高いからです。 ≪職場結婚≫という言葉の響きがダサいなどと思っているようでは、まだまだドタマの中がガキなのであって、結婚する資格そのものがありません。 ぶっちゃけた話、今の世の中で異性と知り合う機会といったら、職場が同じか、合コンで会うか、ナンパしかないのですが、その中で、相手の情報が得易く、結婚相手を吟味するのに適しているのは職場結婚だけなのです。 合コンで友人の友人と知り合ったとして、家族構成や友人関係など、その女性の情報を一通り集めるのに、どれだけの時間と労力がかかるか、ちょっと考えただけでも分かるでしょう。 合コンで知り合った彼女が、どの程度貯金があるかとか、分かりますか? まして、ナンパなど、本来ゴロツキのやる事であって、引っ掛けたはいいが、次のデートで、彼女にチンピラが同伴して来たなどという話は枚挙に暇がありません。 「愛さえあれば」などといって、ヤクザや宗教家の娘と結婚して、自分のみならず、親兄弟にまで甚大な迷惑を掛けたというような話も聞きますが、他人事ながら、ぞーっとします。

  そんな面倒が嫌だったら、堅実に職場結婚を狙う事ですな。 集団意識というのは非常に奇妙なもので、一見それぞれが個人の意思で動いているように見えて、実は集団全体の環境に大きく左右されています。 異性が多い集団に入ると、かなり外見がまずくても、自動的にモテます。 たまたま同性が多い職場に勤めてしまったという人は、少ない異性がどんなにモテているかを観察すれば、この法則が真実である事が分かるでしょう。 だから、最初から、異性が多い職場を狙えというのです。 職場結婚の場合、女性の方も計算づくで男を選びますから、互いに過度の期待をせず、結婚後も家庭が円満になる事が多いです。


  さて、女性の場合ですが、自分が結婚適齢期に入ったと思ったら、少女漫画や歌謡曲の歌詞の世界とはさっさと縁を切る事です。 あれは有害極まりないです。 しつこく言いますが、「運命の出会い」だの、「赤い糸で結ばれていた」などというのは、妄想以外の何物でもないです。 話にならんで、われ! んじゃあ、赤い糸で結ばれた二人が、家庭内暴力で、人相が変わるまでボコボコにぶん殴ったりぶん殴られたりしているのをどう説明するねん? 何が運命だよ、笑わせるな。 結婚ほど現実的に考えなければいけない問題もそうそうありません。

  それと、もう一つ重大な事ですが、プロポーズされたら、相手がどんな男だろうが、真剣に考える時間を持った方が良いです。 たとえ、寒気がするほど好みでない相手であってもです。 なぜというに、プロポーズされる機会というのは、一生の内に何度も無いからです。 また、女性の場合、自分からプロポーズするという事は現実的に出来ませんから、プロポーズされる機会は非常に貴重なものになります。 一人の女性が一生の間にプロポーズされる回数は、多くても3回くらいです。 そして、歳を取るほど、その機会は減ります。 男性というのは、女性が思っている以上に、女性の外見を気にするので、目尻や首筋に皺が目立つような歳になったら、もう同年代の男からは求婚対象として見られていないと考えた方が良いでしょう。 プロポーズされるチャンスは20歳から30歳まで、しかも多くても3回、それを考えもせずに断るのが、如何に軽率な事か分かりますか? いや、今は分からなくても、完全に婚期を逸した後でなら、よーく分かります。 地団駄踏んでも、年齢は捲き戻せません。

  結婚できなかった女性は、必ずといっていいほど、「プロポーズされた事はある」という自慢話をしますが、あれは、恥にこそなれ、自慢にはなりません。 もし相手が、検討にも値しないほどひどい男であれば、そんな男にプロポーズされたとしても何の価値もありませんし、まずまずのいい男だったけれども、断ってしまったというなら、それはその女性の判断ミスであり、やはり自慢になりません。 ほんの一時の判断ミスで一生を棒に振ったのに、当人がそれに気付かず、自慢話にしているのは、滑稽且つ虚しい限りですな。

  とにかく、適齢期に入ったら、心の準備をして、プロポーズされた時に的確な判断が出来るようにしておく事です。 すべて断ってしまった後で、「私は男運がない」などと愚痴をこぼしても、誰も共感などしてくれません。 プロポーズされた回数が同じだったのに、あなたは結婚できなかった、あなたの友人は結婚できた、その違いは何か? それは、あなたがプロポーズをすべて断り、あなたの友人がプロポーズを一回受けた、その一点に尽きます。 当然の事ですが、断り続けている限り、結婚は出来ません。 そしてプロポーズされるには年齢的な限界があるという事を頭にしっかり入れておくべきでしょう。

  なんで、こんな事をくどくど書くかというと、30どころか、40を過ぎても、「運命の人と出会わない」などと戯言を口にして、まだ自分が求愛されると思い込んでいる愚かな女性が非常に多いからです。 中には、歳をとればとるほど、自分の魅力は増すと思っている地獄行きの馬鹿もおり、もうつける薬がありません。 あるニュース番組で、30代半ばのキャリア・ウーマンが、突如結婚に目覚めて、「相手の年収が800万以上なら、結婚してもいいかな」などと言っているのを聞いた事があります。 つまり、この女、自分には年間400万円貰う価値があると思っているわけですが、馬鹿も休み休み言うべきです。 400万円貰うどころか、男に勃起不全の治療費を払わなければなりますまい。

2006/09/09

100 yans trois minutes


Il y a les jumelles dans presque tout les sites pittoresques japonais.
Le prix est 100 Yens, et n'est pas changé de toute antiquité. Mais, je ressens encore que le prix est cher. C'est la composition simple des objectifs. Quelques surmenages que nous fassions, il ne se diminue pas.
Il vaut à peine 10 yens. En avis plus franc, l'emploi gratuit est raisonnable.

Una exposición de la fotografía


Una exposición de la fotografía era celebrada en el primer piso del mirador del paso de Jikkoku. Era las fotografías que tomaron un cambio de una cuatro estación alrededor del paso.
Pero es sin setido celebrar tal exposición de la fotografía en un lugar de hermoso paisaje, porque las fotografías no pueden ganar en el paisaje genuino.

2006/09/08

文言文的石碑


十国山头儿的石碑。尽管是很长的字面,还是没有了不起的内容。各方位和可以望见的地方名,还有这个碑文被写的来历。好象热海市的某一家旅馆的老板请住宿的文人写了。
因为是相当单纯的文言文,所以甚至日本人的初中生能够阅读。

2006/09/07

백장 접시


석회동에 잘 볼 수 있는“석회화단 언덕”, 통칭“백장 접시”에 잘 닮습니다만, 그렇지는 않습니다.  십국 고개의 전망대의 주위의 콘크리트 포장입니다.  놀이로 한 것으로서는 수고가 너무 걸려서 있기 때문에, 아마, 한난차이에 의한 균열 방지를 위해, 아스팔트로 밭이랑을 만들었겠지요.  어딘지 모르게 예술의 향기가 감돌고 있습니다.

2006/09/06

Die Frankfurter


≪フランクフルト≫ = ≪Frankfurt≫
Das Frankfurter Würstchen wird am meisten japanischen Sehenswürdigkeiten verkauft. Wenn die Frankfurter diese Fahne sehen, werden sie seltsam fühlen.

2006/09/05

Cylinders.... It is a mystery.


This is an viewing building of Jikkoku mountain pass.
It is very tattered ! It is strange that it does not collapse by an earthquake.
But, overwhelming presence of the building does not still decline because the form is odd. This dignified appearance matches an atmosphere of the mountaintop really well !!

2006/09/03

濫読筒井作品 ⑥

≪壊れかた指南≫ 01~04

  最も新しい単行本です。 発刊からまだ三ヶ月しか経っていませんが、奇跡的に図書館の書架で見つけました。 いや、奇跡なのか、それとも内容が悪くて予約者が少なかったのかは分かりませんが・・・。

  目次の分類に従えば、短編20作とショートショート10作を収録してありますが、作品数の多さから見ても分かるように、いずれも短編というほどの長さはなく、すべてショートショートと言った方がよいと思います。 筒井さんの作品に限りませんが、相変わらず、短編とショートショートの境界は曖昧としていますな。 というか、星新一さん亡き後、ショートショートという言葉自体が使われなくなったような傾向あります。 いずれは短編というジャンルに統合されてしまうのでしょう。

  で、内容なんですが・・・・これがねえ、あまり感心しないんですよ。 全般的に≪未完成≫、或いは≪作りかけ≫、物によっては≪出来損ない≫とまで言っても、まだ誉め過ぎのようなひどい作品もあります。 ≪天狗の落し文≫にも、同じような雰囲気がありましたが、こちらは作品としての体裁を取っているだけに、半端ぶりがより際立っています。

  最初の一編の、≪漫画の行方≫という作品の中に、「人気作家になると、てなぐさみに描いた漫画でさえ売れるようになる」といった文が出て来るのですが、それは客観事実である以前に、作家の傲慢意識の現われであり、「そんな事は、たとえ腹の底で思っていても、書くべきではないのではないか?」と首を傾げたくなります。 更に読み進むうちに、この短編集全体が、てなぐさみである事に気付き、落胆の度がますます深まります。

  筒井さんが読者に媚びるつもりがない事は、≪朝のガスパール≫や≪読者罵倒≫で承知の上ですが、≪壊れかた指南≫は、読者に媚びないというより、作品を作るという姿勢を捨ててしまっており、とてもじゃないが、高い評価は出来ません。 「この程度の半端作品でも、集めて本にすれば、作者の名声だけで売れるだろう」という打算が透け透け。 ≪読者罵倒≫をゲラゲラ笑って読んだ読者でも、≪壊れかた指南≫では、あまりのひどさに憮然としてしまうに違いありません。

  全般的にひどいですが、はっとさせられるような拾い物もちらほら無いではないです。 完成度が高いのは、≪大人になれない≫、≪狼三番叟≫、≪逃げ道≫の三話。 特に、≪大人になれない≫は優れています。 意外な結末へ持って行く話の操り方が巧みで、筒井さんならでは書けない作品になっています。 ≪狼三番叟≫は、オチというオチは無いのですが、筒井さんの体験と夢想がうまく融合していて、内容が詰まった普通に高品質な作品です。 ≪逃げ道≫は、登場人物を突き放したような終わり方がショッキングで面白いです。 短いですが、純文学の作法に則った切れのいい作品といえるでしょう。 他に、強いて挙げるなら、≪TANUKI≫なども、話の展開が軽快で面白いのですが、オチだけが弱いのが惜しい所。

  他にも一応の起承転結をつけてある話はありますが、いずれも本体とオチのバランスが悪く、途中まで書いて飽きてしまい、適当なオチで無理やり終わらせてしまったと思しき作品が多いです。 中には、≪稲荷の紋次郎≫のように、作者自ら、「これ以上書いても面白くならないからやめる」と開き直っているものもありますが、こんなのは問題以前に問題外で、そんな未完成作品は、発表どころか、家族に見せるのも控えるべきでしょう。 作家というのは常に新しい読者を獲得して行かなければジリ貧になるわけですが、もし初めて筒井作品を読むという少年が、この本を手にしてしまったら、≪稲荷の紋次郎≫あたりで、「馬鹿馬鹿しい。 駄目だ、こんな作家は」と放り出すのは疑いありません。

  筒井さんは、どうも小説家という職業に飽きてしまっているようですが、「筒井康隆という人物は、小説家としてしか評価されない」という事を再認識して、危機感を新たにした方が良いと思います。 出来損ないの短編を本にして出版しているようでは、今までに築いた名声すら失いかねません。 読者は作家を見限る時は早いで~。 しかも一旦見限ると、それまで敬愛していた反動で憎悪しますからねえ。 全く売れなくなってから、原点に立ち戻ったって、逃げた読者の半分も戻ってこんと思いますぜ。

  そういえば、≪パプリカ≫が、今敏監督の手でアニメになるそうですな。 これには大いに期待できそうです。 もっとも、小説の出来がこれ以上ないくらい良いので、アニメに期待しすぎると肩透かしを食らう恐れがありますが。

2006/09/02

La divergence


Presque tous les Français visitant le blog français au sujet du Japon sont des hommes. Il semble que les Françaises ne prennent pas l'intérêt continu au Japon.

C'est un phénomène intéressant qu'il y a peu de Françaises épousant un homme japonais, bien qu'il y ait beaucoup de Français épousant une femme japonaise. En toute franchise, je ne peux pas s'empêcher de éclater de rire, parce que je peux apercevoir directement la conscience de discrimination française. Les hommes japonais ne peuvent pas devenir un objet de mariage pour les Françaises.

D'autre part, les femmes japonaises épousant un Français ne méritent pas également le respect du tout. Elles marient un français pour se vanter du mari aux amis japonais. Leur amour n'est qu'une prime de vanité. (Vous ne pourrez pas le nier ! )

Tout de même, la relation entre l'homme et la femme est une chose mystérieuse.  Il y a beaucoup de cas que les femmes japonaises épousant un Français a le visage tel qu'un monstre, jugeant du sens japonais. Ça me rappelle que presque tous les actrice des race jaune à apparaître dans les films occidentaux sont les femmes laides horribles à voir. Il semble que le sens esthétique est différent selon les races.

2006/09/01

Un funicular del paso de Jikkoku


Parece estar absolutamente largo, pero, la distancia verdadera no está tan largo porque una parte de una vía doble es un punto intermedio. Llego a la cumbre inmediatamente aunque suba a pie, pero en esta cercanía no hay senda montañosa.
The price of funicular is 420 Yens. Éste es un complot de la compañía del funicular.