2006/08/31

强卖照片


  十国山头儿的缆车站。说实话,穿蓝色衬衫的俩人是强卖纪念照片的人。乘缆车之前强行抓住客人,拍摄照片,并且立刻做显影和印相,向回来的客人强卖。看着怪可怕的家伙。我是吝嗇鬼,所以当然拒绝了照相了。

2006/08/30

닛산·노트


일세를 풍미한 닛산 뉴 디자인도, 시간의 경과에 데려 보기에 싫증이 나왔습니다만, 노트는 꽤 좋은 스타일이라고 생각합니다.
노트의 특징은, 리어 콤비네이션 램프가 지붕 위까지 계속 되고 있는 곳입니다만, 완전히 쓸데 없는 디자인임에도 구애받지 않고, 처리가 교묘한 탓으로, 그다지 불쾌한 느낌이 들지 않습니다.

2006/08/29

Das Grundstück


Das Grundstück des japanischen Hauses ist sehr klein. Der Durchschnittswert ist 282 Quadratmeter, aber es gibt auch viele Häuser unter 100 Quadratmeter.
Aber, nur das Haus, das solch ein großes Grundstück hat, erscheint in der Werbung der Hausfirmen. Diese muß eine Art Betrug sein.

2006/08/28

Faith to white


A herd of a commercial vehicle of a certain office.
Why is a white color liked by commercial vehicles ? I think that white color shows dirt for commercial vehicles, because commercial vehicles are used more coarsely than private vehicles, and are rarely washed.
Faith to white wiped out long ago on personal vehicles may be still left on commercial vehicles.

2006/08/27

水魔が足を引く

  今年の夏は天気が良かったせいで、人出が盛んで、例年以上に水難事故が多かったようです。 新聞の社説に、「どうして水の事故を減らせないのか?」などという文が出ていましたが、つくづく社説というのはいい加減で考え足らずな執筆者が書いているもんですな。 それらしい事さえ書けばいいと思ってやがるのです。 アホか? 水難事故が減るわけねーべよ。

  水難事故が減らない理由は、各人の経験が蓄積されないからです。 人間どんなに愚か者でも、同じ失敗を何度か繰り返せば、何をしていいか、何をしてはいけないか、経験的に判断できるようになりますが、水難事故は、個人当りの確率で見れば、滅多に起こらない事なので、失敗経験が溜まらないのです。 また、滅多に起こらない割に、死に直結する場合が多く、経験者が死んでしまうために、経験談が他人に伝わらないという事情もあります。

  命に関わるような怖い思いをした人は、海や川はもちろん、プールや池にも近づかなくなります。 温泉にも行きませんし、もちろん、船にも乗りません。 更に徹底すると、風呂に入るのも嫌い、一生シャワーだけで済ますという人も出てきますが、水の危険の大きさを考えると、それでも滑稽とは思いません。 老人の死亡原因の多くが風呂場での事故だというではありませんか。 ちなみに私は、犬を連れて海岸に行っても水には絶対入りません。 また浅い川を歩いて渡るという事もしません。 足場が不安定な所へ持って来て水が流れているとなれば、それだけで充分に黄信号だと思います。

  あまり、根源的な所から説くのも却って説得力を欠きそうですが、それを承知で敢えて書けば、人間という動物は、もともと泳ぐように出来ていないのではないでしょうか? 赤ん坊をプールに入れると、潜水状態で泳ぎますが、あれは、ついこないだまで液体の中にいたから、その名残で水に馴染んでいるのであって、物心つくくらいの年齢になってから水に入ると、百人中百人が溺れてしまいます。 泳げないんですよ、人間は。 猿は本能的に犬掻きで泳ぎますが、人間の子供はそれも出来ません。 たぶん、遺伝子情報から、≪泳ぐ≫という先天的能力が消えてしまっているのでしょう。 平泳ぎやクロールなどは、後天的に身に付ける技術であり、教わらなければ習得できません。

  また、この泳げる人というのが、結構よく溺れるのです。 昔、急流のライン下りで船が転覆した時、泳ぎが達者な人ほどよく溺れたと言います。 それはなぜかというと、泳げる人は腕に自信があるので、岸までの距離だけ見て泳いで渡ろうとするのですが、プールと違って川には流れがあるため、思うように前に進まず、その内力尽きて流れに呑まれてしまうのだそうです。 それに対し、全く泳げない人は、転覆した船や最寄の岩にしがみついて、救助が来るのを待っているので、助かる率が高いのだとか。 皮肉な話ですが、この話を知っているか否かだけでも、生死が分かれる事は想像してもらえると思います。 泳げると思っても泳いでは駄目なのです。

  私は一応泳げるのですが、これといって泳ぐ必要を感じないので、海にもプールにも行かない事にしています。 「泳げないよりは、泳げる方がいい」とすら思っていません。 水難事故で子供の犠牲者が多いのを見ても分かる通り、泳ぎの訓練をしている最中に死ぬケースが非常に多く、本末転倒だと思うからです。 断言してもいいですが、泳げなくても一生何の問題もなく生きて行けます。 一方、毎年水遊びに出かける習慣を作ってしまうと、死ぬ確率は一気に何桁も跳ね上がります。 さあ、どっちが得かよく考えてみましょう。 馬鹿な話だで、遊びに行って死ぬなんて。

  海やプールに子供を連れて行く場合、子供の人数は、大人の数と同数かそれ以下に限るべきです。 よく車のCMなどで、近所の子供を何人も連れて海へ行くような場面が出てきますが、あんなのは以ての外です。 そんなにたくさん、目が行き届くはずがないではありませんか! たとえ自分の子供であっても、大人が一人なら、子供を二人引率するのは危険です。 もし二人が同時に溺れた場合、否が応でもどちらかを見捨てる事になりますが、出来ますか、そんな事? 可能性が充分にあるにも拘らず、自ら危険を冒すのは無責任というものです。 ≪多くの子供を引率できる≫のが優れた大人なのではなく、≪自分に管理できる子供の数を認識している≫のが本当の大人なのです。

  だけど、ここでこんな事書いても、行く人は行くんだろうなあ。 水難事故の怖さは、死ななきゃ分からんのよ。 馬鹿と同じだね。

2006/08/26

La discord


C'est le point le plus étrange dans le blog français au sujet du Japon que les Français ne savent pas presque la langue japonaise. Qu'ils soient les auteurs de blog ou qu'ils soient les invités, je connais seulement trois personnes qui peuvent lire et écrire la langue japonais.

-J'étudie le japonais.
Tout en disant ainsi, la plupart des français ne veut pas écrire le japonais. C'est vraiment étrange. Ont-ils peur d'une erreur ? (C'est vanité de gosse !)
Jugeant objectivement, je pense que le niveau d'intelligence français est plus élevé que le Japonais généralement, mais pourquoi ne peuvent-ils pas apprendre le japonais ? Bien qu'ils soient intelligents, détestent-ils l'étude ? Ou sont-ils faibles en le domaine qui s'écarte du système d'étude traditionnel ?

Si vous voulez apprendre les Japonais, il est gaspiller le temps de parler entre les Français. Vous feriez mieux de bavarder avec le Japonais qui ne comprend pas le français.

Las nubes del verano


Ésta es las nubes que fotografié en el paso de Jikkoku.
Dondequiera que veamos las nubes, lo consideramos como mismas nubes. Pero es más impresionante en la montaña porque la distancia está cercana. Aunque vine a un punto de excursión, fotografié solamente las nubes.

2006/08/25

以狗猫为对象的警告


≪きけん≫是≪危险≫的日文式读法。可是标志的位置太低了。
狩野川的堤上路往常是禁止车辆进入的。焰火大会、鲤幡大会等、在河滩有例行的时候,只向许可车辆开放。
自行车承蒙不咎。早晨变成高中生的上学道。

2006/08/24

거리 안의 공터


일본의 지방도시의 예외가 아니고, 누마즈도 공터가 눈에 띄는 거리입니다.
주차장의 저쪽의 공터는 몇년전까지, 노포의 책방이 있었습니다.  어릴 적부터 학생시절까지 대단히 신세를 졌습니다.
지금도 그 가게에서 어느 책을 샀는지 기억하고 있습니다.
그 밖에도 책방은 있습니다만, 최근은 지적 호기심을 자극하는 책이 격감했으므로, 좀처럼 책방에 가지 않게 되었습니다.

2006/08/23

Ein hohler Flur Ⅲ


Dieser Roman ist wirklich eine letzte Arbeit von Sakyo Komatsu. Drei Volumen sind von 1986 bis 2000 erschienen, aber die Geschichte ist noch in der Mitte. Und es gibt nicht das Zeichen, daß eine Folge geschrieben wird.

2006/08/22

“VIRUS”


Japan name is “A day of revival”. It is an SF novel of Sakyo Komatsu written in 1964. This work is filled with medical knowledge of the field of bacteria and virus.

A movie made in 1980 was a passable level. I think that it was a movie made best in filmized Komatsu works.
The director is Kinji Fukasaku. The performers were Masao Kusakari, Yumi Takigawa, Olivia Hussey, Bo Svenson, George Kennedy, etc. The music dorector is Teo Macero. It was an international work which was rare as Japanese movie.

2006/08/20

十国峠

  この夏の連休は、静岡市北部の井川ダムにツーリングに行こうと思っていたんですが、連休前に引いた風邪の回復が遅れたのと、天候不順の時期にバイクで山道を走る怖さが邪魔をして、敢えなく断念しました。 さりとて、どこにも行かないのも惜しいので、超近場に車で出かける事にしました。 箱根の≪十国峠≫です。

  ≪十国峠≫は、よくテレビで紹介される芦ノ湖近辺の箱根から、箱根連峰の尾根を5キロばかり東南へ行った所にあります。 その名前は、≪相模、武蔵、安房、上総、下総、駿河、遠江、信濃、甲斐、伊豆≫の十カ国を一望できるという意味で、眺望が良いというだけで堂々と世にはばかっている正統派の観光地です。 静岡県東部や神奈川県西部では知らない者がいないほど有名で、大抵の人が子供の頃に親に連れられて行っています。 あまりにもメジャーすぎで、大人になってから行くのが憚られるような雰囲気すらあります。 ちなみに、「十国峠」の正確な発音は、「じっこくとうげ」ですが、今は普通、「じゅっこくとうげ」と言います。 言葉は世に連れですな。

  芦ノ湖から南下しても行けますが、沼津からだと、清水町経由で函南に出て、熱海峠に登った方が早いです。 熱海峠から、1キロ北上すれば、右手に大駐車場を備えたレストハウスが見えてきます。 山の上で、他の何にも無いですから、間違えようがありません。 それはさておき、この登り坂は、軽ワゴンには結構きつかったです。 一名乗車で、エアコンも送風も全部切ってエンジン負担を軽くしていたにも拘らず、アクセルは始終ベタ踏み。 後続車がいなくて助かりました。 ホンダの≪ライフ≫ですが、山を登るには重量が重過ぎるんですよ。 完全な平地用ですな。 やはり軽はボンバンに限る。


  さて、このレストハウス自体はちっとも眺望がよくないので、ケーブルカーで頂上に登らなければなりません。 「十国峠とかけて、ケーブルカーと解く。 その心は、十国峠だから」というくらい古くからケーブルカーがあります。 レストハウスから頂上までは見えるくらいの距離で、歩いて登っても全く大した事はないんですが、結構しつこく探したにも拘らず、登山道を見つけられませんでした。 登山道入口の跡らしき場所はありましたが、閉鎖されて久しいようで、中は笹薮がぎっしり。 おそらく、ケーブルカーの客を増やすために、歩いて登れないように画策しおったのでしょう。 こういう自由を束縛するような事をやってるから、リピーターが増えないんですが、気付かないんですよ、観光地というのは。


  片道210円ですが、何せ登山道が無いので、またケーブルカーで下りて来るしかなく、結局、420円の往復券を買う事になります。 往復だからといって、一円も安くなるわけではないから、ますます腹が立ちます。 しかも、乗車時間は、片道たったの三分。 距離的に言えば、片道100円くらいが妥当な値段でしょう。


  車体全景。 かなりの年代物です。 私が子供の頃に乗った物と同じ車両ですから。


  この種の古い乗り物は、昭和中期の平均体型に合わせて作られているので、席も通路も小さくて、とても寛げるものではありません。


  ケーブルカーはレールの上を上下するだけなんですが、なぜか運転手がいます。 何を操作しているのかは不明。 ハンドルはいらんと思いますが。

  さて、高い料金ふんだくられたのが癪なので、ケーブルカーの中で写真を撮り捲ってやろうと思ったいたら、発車と同時に、デジカメの電池が切れました。 これには真っ青・・・。 まだ峠からの眺望を一枚も撮っていないというのに、写真無しで帰れるか! やむなく、頂上の展望台についてから、土産物屋で電池を買いました。 単三アルカリが二本で210円。 百円ショップの4倍! しかし背に腹は代えられません。 買いましたよ、このケチの私が。  で、生き返ったカメラで早速撮ったのが、十国峠の大パノラマです。


  どーんと広いです。 ここへ踏み出した途端に、ケーブルカー料金の高さを忘れてしまいます。


  駿河湾方面。 このサイズの写真だと分かりませんが、沼津の香貫山や象山がはっきり見えました。


  相模湾方面。 こちらは手前に小山があるせいで、熱海の街や相模湾は見えませんでした。 それにしても山の上がこれだけ平らというのは奇観。


  芦ノ湖方面。 雲にひきつけられて、切れてしまいましたが、右端に見えるのが芦ノ湖。 距離が近いので、湖畔の街がはっきり見えました。


  富士山方面。 富士山が見えたんですが、好天で光が多すぎたせいで、この写真では飛んでしまいました。 柔らかそうな黄緑色の部分は、実は笹の薮でして、ちっとも柔らかくありません。


  観光客の一人が、「この凄さは、写真じゃ分からないだろうなあ」と言ってましたが、確かにそんな感じでした。 なるほど、これだけ眺めがよければ、他に何もなくても観光地としてやっていけるはずですわ。 素晴らしい!


  十国峠のシンボルになっている円筒形展望台。 ケーブルカー同様にえらい年月を経ていて、もはやボロボロですが、却って古色が付いて、貫禄が出ていました。 山の上にこういう非日常的な形態をした建物があるというのは、幻想的で面白いです。


  景勝地になくてはならぬアイテム、100円双眼鏡。 子供がとびつく様子は昔も今も変わりません。 財布を気にする親が一回しか使わせない所も。


  展望台から南方向の尾根が大きく切り開かれていて、広大な空き地になっています。 実に気持ちがいい所。 夏だと暑すぎますが、春か秋にくれば、ピクニックに最適でしょう。 凧を揚げている親子がいました。 子供にとっては一生忘れられない思い出になると思います。


  更に南に行くと、≪日金山東光寺≫に繋がります。 地蔵菩薩が本尊のかなり有名な霊場。 伊豆地方の霊魂はここを通って極楽往生するといわれています。 十国峠一帯そのものが極楽みたいな雰囲気の場所ですから、ここに霊場を作ろうと考えた昔の人の気持ちはよく分かります。


  ここも観光寺院の一脈らしく、ミニ地蔵の奉納をやっていました。 金儲けばかり考えていると、罰が当たりそうです。 でも、お気楽な観光客にしてみれば、何も無いよりは華やかでいいです。


  「雰囲気的に見て、ありそうだな・・・」と思っていたら、やっぱりあった五百地蔵。 なぜかここでも風車を持っている地蔵がかなりありました。 最近の流行? それとも、昔からの風習? 手前に並んでいる角石は、墓石の廃品。 下にあった骨はどうなったやら。


  ミニ地蔵の墓場。 飾りきれなくなったものを、ここに移しているようですが、処理に困っているらしい事が見え見え。 


  霊園もありました。 こんなに眺めのいい所に葬られると思えば、死ぬのも満更悪くないかもしれません。 少なくとも死後の楽しみが一つ出来るわけですな。 しかし、墓参りは大変そうです。


  どうぞ、やすらいで下さい。 しかし、死んだ後も文字で意思表示を続けるというのは如何なものか? 煩悩丸出しという気がせんでもなし。


  炎天下に無帽で一時間くらい歩いていたので、些か熱射病気味になり、へろへろになって展望台に戻ってきました。 缶のサイダーで一服してから、再びケーブルカーでレストハウスへ下りました。


  行きに電池切れで撮影できなかったので、帰りに線路の様子を撮りました。 単線ですが、真ん中付近だけ複線になっていて、そこで上りと下りがすれ違います。


  こんな具合です。 別に見世物として面白いからすれ違わせているわけではなく、二台の車両が一本のケーブルで繋がっていて、一方が重力で下がる力を利用して、もう一方を持ち上げているので、否でもこうせざるをえないんですな。


  もちろん、ケチは土産なんぞ買いません。 どうせただの峠に特産品などあるわけがないから、いいんです。 饅頭くらいならどこにでもありますが、伊豆近辺の土産物は三島市の製菓会社で作っている場合が多く、わざわざ遠くまで行って、隣町の産物を買ってくるのも馬鹿馬鹿しいですから、なるべく買わぬようにしています。

  帰り道は下りだったので、車に負担も掛からず、割と楽に下りてきました。 山道の下りでは、標識の指定があるなしに拘らず、≪2≫レンジを積極的に使うと運転し易いですな。 カーブに入る時のブレーキングの怖さが相当和らぎます。 付いている機能は使わねば。

  十国峠は本当に眺めが良かったので、また来たいと思いましたが、次は涼しい時にバイクで来ようと思います。 ケーブルカーに乗らなくて済むように、日金山東光寺側から登るようにして。

2006/08/19

La friction


Il y a caractéristique étrange dans le blog français au sujet du Japon.

En cas des personnes qui ne connaissent pas le Japon bien, ils ont tendance à féliciter le Japon avec excès. La plupart d'entre ils sont le peuple qui ont pris intérêt au Japon par le dessin animé et le manga. En tout cas, ils félicitent tous au sujet du Japon. Il est terrible au point que les Japonais rougissent de honte.
Ils ne savent rien au sujet du Japon vrai. La sympathie précédant, ils regardent seulement les bonnes parties. Puisqu'ils ne savent pas le mauvais aspect, ils ne savent rien faire d'autre que de féliciter.
Il est misérable qu'ils ne puissent pas parler avec Japonais vrai. Un fossé parmi le Japon qu'ils imaginent et le Japon vrai est grand, et ils ne peuvent pas faire la conversation.

Ensuite, en cas des personnes qui connaissent le Japon bien, ils ont tendance à écrire seulement l'aspect anormal japonais. Puisque c'est une expérience vraie de l'auteur, il n'a aucun problème. Mais, les invités venant à là ne connaissent pas le Japon bien. Ils font le commentaire avec la badauderie. Tandis qu'ils répètent les commentaires des esprits, il se métamorphose en la conversation qui se moque de le Japon mal. Ces blogs ne peuvent plus distinguer s'ils aiment le Japon ou non.

Je pense que les personnes connaissant le Japon bien ont une qualification pour dire du mal du Japon autant qu'elles veulent, et les personnes qui ne connaissent pas le Japon bien n'ont pas une qualification pour faire un mot du éloge du Japon. Je ni fais l'éloge de la France ni dis du mal de la France. La raison est parce que je ne connais pas la France bien.

≪En un final de un curso sin fin≫


El otro día en una librería de libros viejos, encontré un libro de Sakyo Komatsu que he leído en una biblioteca de un instituto en el pasado. Es una obra de 1965, pero no siente viejo porque es SF. Las obras de Komatsu en los libros del bolsillo de kadokawa de entonces tiene nivel alto de la pintura de la cubierta.

2006/08/17

停车票券发行机


  大约20年前在沼津市区的路旁上登场的停车票券发行机。这是40分钟付200日元,在特定的地方许可街上停车的制度。
  不过我从来只用一次这个。因为是为了去市镇里的小商店付停车费的事,违背吝啬鬼的哲学。

2006/08/16

자동 판매기


최근, 자동 판매기의 수가 줄어 들었습니다.  제품이, 가격의 높이에 비교해 내용량이 적게 되고, 이용자가 줄어 들었을지도 모릅니다.
한시기, 코카콜라가, 자동 판매기를 “벤더”라고 부르게 하려고 선전하고 있었습니다만, 피리를 불어도 춤추지 않았던 것 같습니다.  “vend”은, “행상한다”의 뜻.  자동 판매기는 행상 하지 않을 것이다.

2006/08/15

Die Schlangenlinie


Ein Teil eines Dammes schlängelt sich. Welche Bedeutung hat diese Schlangenlinie ? Ich denke, daß es nicht ein Problem gibt, selbst wenn es eine fließende Kurve ist.
Diese Nachbarschaft hatte nicht den Damm in früheren Zeiten. Die Häuser entlang dem Fluß hatten ein Kai jedes.

2006/08/14

The neighborhood of "Agetsuchi"


"Agetsuchi" is written as "上土" in kanji. It means piling up soil. If it is a castle town, it has the same place name anywhere. It was the place where a base of a castle began.
The Numazu castle of the Edo era was a castle on level ground. It had a castle tower, but it was only a small lofty building. After the Meiji era, the castle was destroyed, and a central city of Numazu was made.

2006/08/13

小松作品に非ず

≪日本沈没 第二部≫

  四半世紀前に≪日本沈没≫が大ブームになった頃から、「いずれ続編が出る」と言われていたのですが、一向に出る気配が無く、すっかり忘れた頃になって、別の作家との共同作品という形で出版されました。 単行本、1800円。

  もし小松左京さんが一人で書いたものなら、出来の良し悪しに関係なく、即買ったと思いますが、実際に執筆を担当した谷甲州という作家について、何の情報も持っていなかったので、一応警戒して、内容をざっと読んでみてから、買うか買わぬか決める事にしました。 1800円は結構な値段ですから。

  二軒の本屋で、合計二時間くらい拾い読みしたので、大体の中身は読み取れたと思うんですが、買う気にはとてもなれないような代物でした。 小松左京さんの名前は入っていますが、往年の小松作品とは似ても似つかぬ、全く別の作風によって書かれた小説でした。

  1973年に世に出た≪日本沈没≫の方は、読書嫌いの私でさえ何度も繰り返し読んだ長編SFの傑作ですが、この≪第二部≫は、そもそもSFと言っていいのかどうかすら躊躇われるような作品です。 一番近いジャンルは、15年位前に流行った≪仮想戦記物≫でしょう。 「太平洋戦争で日本の方が勝った」などといった仮想の歴史を設定して、その経過をリアルに書き込んでいくという、文学とはおよそ縁遠いあの馬鹿馬鹿しくも有害なジャンルです。

  最も違和感があるのは、元日本があった洋上での戦闘場面です。 相当なページ数が割かれていますが、小松左京さんは、そういう緊迫した状況をリアルタイム風に描写するといった書き方はしないんですよ。 いや、小松さんだけでなく、往年のSF作家で、戦闘場面を長々書き込む人というのは、まず一人もいなかったと思います。 なぜなら、そんな事をすれば、SFの範疇から食み出してしまって、戦記物になってしまうからです。 非常に単純な事ですが、この谷という作家は、平気でその禁を犯してしまっています。

  文体そのものは軽いという事はなく、谷氏に文章力がある事は直ぐに分かるのですが、往年の小松作品に特徴的だった知識・教養・情報の奔流は全く感じられません。 いかにも、「予め決められた設定を、メモで確認しながら書き込みました」といった平板な書き方になっています。 頼まれ仕事を淡々とこなした形跡がそこかしこに見えて、小説の命である生気が感じられないのです。

  問題点は、執筆者の書き方以前にも存在します。 物語の設定にしてからが、娯楽小説に仕立てるには無理があるのです。

  日本が沈没した後も日本政府が存続しているというのは、どうにも不自然ですし、艦艇などを25年間も保有し続けているというのはもっと変です。 沈む列島から人間を脱出させるだけでも、国家財政が何百回も破綻するほど金が掛かるのに、徴税権を失った政府が、メガフロートの建設などできるはずがありません。 日本人が世界中に散らばって、各地で共同体や自治区を作って暮らしているという事になっていますが、彼らは自分達が生きる事に精一杯なはずで、亡んだ国の亡霊政府に資金提供をする余裕など無いと考えるのが普通でしょう。

  ユダヤ民族が比較例として出て来ますが、日本人はユダヤ人ほど金儲けの才がありませんし、宗教による結束力も無いです。 実際に外国に存在する日系人社会を見ても分かるように、日本人だけで片寄せあっている間は、現地に全く溶け込めず、日本人社会から離れて、言葉も生活様式も現地化した者だけが成功を掴んでいます。 民族の同一性を残しながら現地とも一体化していく華人のような能力は日本人には無いのです。 この作品の中でも「四世代たてば、日本を覚えている人間はいなくなってしまう」と語る人物が出て来ますが、四世代なんぞ、とてももちますまい。 帰る所がないとなれば、常識的な判断力を持った人間なら、自分の子供達には、現地社会に溶け込む事を最優先させるはずで、ものの二世代で消えてしまいます。

  メガフロートというのが、またバブル時代の発想でして、今頃こんなものを出されると、ガックリしてしまいます。 まして、たった25年前に巨大な列島がそっくり沈んでしまったような地殻不安定な所で、浮島なんて危なっかしい物を作るかね? 常識的に考えても、絵空事だと分かりそうなものです。

  日本人が移住先の現地社会と起こす揉め事についても書かれていますが、それ以上に周辺国を悪辣に描いている部分が多くて、読んでいて気分が悪くなります。 特に中国の描き方は糞味噌で、この点、昨今本屋の平積み台を占領している中国嫌悪を煽る事を目的にした低劣本と大差ありません。 別に特定の国を扱き下ろさなくても、≪第二部≫は書けたはずですが、これはどういう趣旨なんでしょう? 最近の知能低劣な読者に受けようと思って、わざわざ盛り込んだんでしょうか? これまた、往年の小松作品であれば、こんな客観性の無い外国観など絶対に見られなかったんですがねえ。 そもそも、私がコスモポリタニズムを学んだのは、小松さんの小説からだったんですよ。 コスモポリタニズムという言葉は、この作品の中でも何回も出て来ますが、そのコスモポリタニズムが、作品に携わった人達に決定的に欠けている事は、皮肉を通り越して噴飯物です。

  正直な感想、この≪第二部≫に読む価値は無いです。 SFとは到底言えませんし、科学技術知識も上っ面を撫でる程度で、知的好奇心を刺激するようなレベルではありません。 とにかく、メガフロートや地球シミュレーターは勘弁してくれ。 15年以上前に取り沙汰された技術を、新刊書で使わないでくれ。 もう情けなくて、涙が出てきます。 往年の小松ファンの涙です。 少しは意味があるでしょう。

  小松左京さんがこの作品の執筆を他の人に任せたのは、年齢から来る体力上の理由からだったそうですが、執筆はしなくても、自身の名前をつけて出版するからには、一通り目を通したでしょう。 その上で、OKを出してしまったというのが、私は悲しいです。 この作品のつまらなさ、異常さ、奇妙さ、滑稽さ、時代感覚のズレ、それらを小松さん当人が見抜けなかったか、もしくは、見抜きはしたが、「それでもよかろう」と許してしまったかのどちらかなわけですが、どちらにしても、判断力が著しく衰えたとしか結論できないからです。

  この本は出版されない方が良かった本だと思います。 今の若者が読んでも、全く理解できないか、偏った外国観を刷り込まれるかのどちらかがオチですし、往年の小松ファンは、ただただ胸を痛め、涙するだけです。 ≪ゴルディアスの結び目≫を書いた作者の名が、こんな作品にも冠されるとは、悪夢としか思えません。 日本のSFは、やはり、とうに死んでいたんですね。

2006/08/12

Une ville morte


La ville de Numazu est une ville locale de la 200.000 d'habitants, mais au sujet d'avoir peu de personne dans la rue, il ne cède pas à un village de la 20.000 d'habitants.

Cette photographie a été prise à vers deux heures du dimanche après-midi. La ville déserte à l'après-midi de jour de congé est rare.
La ville de Numazu est souvent employée aux extérieurs des dramatiques. Puisque le rangement des spectateurs est facile, il peut être favorable à la prise de vues.

2006/08/11

La calle de Numazu


Dicen que la ciudad de Numazu es destruida por el terremoto de Tokai en el principio de "El hundimiento de Japón (la versión rehecho)".
Aunque es una película, es desagradable que mi propio ciudad está destruida. Puede ser una ciudad inútil para la supervisión de la película. Pero, vivimos en esta ciudad.

2006/08/10

地理条件不好


在狩野川的河口附近有一家的超级市场。
原来是八佰伴盖的店铺,可是八佰伴倒闭后被大荣买下了。 大荣当初用西风的店名开始营业,可是不久大荣陷于营业不振了。大荣缩小店铺网,而且废止西风的名牌了。这家店铺的名字又改变,成为了大荣本身。但是那个大荣名字的店铺也终于今年九月关闭了。
看起来,真是不合算的店铺。

2006/08/09

새로운 텔레비전


거실의 텔레비전이 고장났습니다.  구입하고 부터 5년째.  대형 TV는 수명이 짧습니다.  요즈음의 가전은 수리를 부탁하면 얼마 걸릴까 알지 못하고, 신품으로 바꾸는 것이 확실하기 때문에, 곧바로 새로운 텔레비전을 부탁해 왔습니다.

사진은 새로운 텔레비전입니다.  전에 있던 것과 거의 같은 그레이드입니다만, 회전 대좌가 생략 되고 있는 등, 약간 값싸지고 있었습니다.  뭐, 회전 대좌는 사용하지 않기 때문에 좋은데.

2006/08/08

Die Töpfe des gleichen Designs


Meine Mutter kaufte einige neue Töpfe vor einigen Tagen.
Obwohl es nur ein Topf war, der defekt war, kaufte von neuem sie Töpfe aller Größe. Sie wünschte eine Einheit des Designs.
Aber, dieses ist nichts weniger als die Vergeudung der Hilfsquellen.

2006/08/07

Kitchen utensils of a farm team


Kitchen utensils put on a cupboard. A juicer, a mixer, a vegetables cutter and so on, these poor tools were driven out on a cupboard gradually, because it was not absolutely necessary.
Nevertheless, such tools are not readily thrown away. Because my mother who bought them is the master of this kitchen. If other persons of her family bought it, it will be thrown away by her easily even if it is the day when they bought it.

2006/08/06

テレビ雑言

  居間のテレビが壊れました。 電源を入れても、ブツブツ小さな音がするだけで、映像も音声も出ません。 三◇電機製の29型ブラウン管テレビです。 買ったのは2001年ですから、たった5年しかもたなかった事になります。 地上波デジタル切り替えまでは充分もつと思っていたので、家中に衝撃が走りました。 今時の家電は、保証期間を過ぎてしまうと、修理にいくら掛かるか分かりません。 出張費だの、技術料だの、訳の分からない費用まで取られます。 その上、修理しても確実に直るという保証は無し。 やむなく買い替える事にしました。

  どうも、大型テレビというのは小型テレビに比べて壊れ易いようです。 うちの居間には、今までに三台の大型テレビが据えられましたが、三台とも6年以内に死にました。 前の二台は松↓電機製だったので、三台目は警戒して他のメーカーにしたんですが、結局駄目でした。 更にショッキングなのは、急遽買い替えた次のテレビも、同じ三◇電機製だという事です。 もうブラウン管テレビは生産が縮小していて、他のメーカーの製品で安いのが無いらしいのです。 壊れ易いと分かりきっていても買わなければならない、この理不尽。 怒りのぶつけ所がありません。

  新しいテレビも大きさは29型で、ブラウン管のアナログ式です。 壊れたテレビの後継製品なのです。 値段は本体税込みで4万円くらい。 一方、地デジ対応の薄型テレビで、同サイズとなると、楽に15万円以上します。 「地デジ切り替えまで5年しかないのに、使えなくなるテレビを買ってもしょうがない」というような考え方は、私の辞書にはありません。 「まだ5年もあるのに、切り替え後値崩れするに決まっている製品に、4倍もの金を払えるか!」というのが、ケチの発想です。 ちなみに、地デジ化は録画デッキから始めるつもりなので、次のテレビが5年以上もっても、当面は使い続ける予定です。

  実を言いますと、私だけなら、もっと小さいテレビでもいいんですよ。 21型くらいでも充分だと思います。 しかし、うちの場合、昼の間、母が居間でテレビ漬けになるので、大きいテレビでないと、外国映画の字幕が読めんというのです。 まったく年寄りというのは不自由なもんです。 また、母はかつて公務員だったせいで、≪倹約≫といった概念がなく、4万円くらいなんとも思ってないんですな。 冗談じゃないよ。 ホームレスが4万円持ってたら、どれだけ贅沢できるか分からないよ。 お金の価値というものは、常に無一文状態に感覚をリセットして量らなければいかんと思うんですがねえ。

  ところで、地デジ切り替えに関して、「アナログ放送が5年後に終了する事を知らずに、アナログテレビを買う人がいまだにたくさんいる」といったニュースがよく流れますが、本当なんですかね? 抗議の意味を込めて、「知りません」と答えているだけなんじゃないですかね? これだけ騒いでいれば、耳に入らないという事はありますまい。 今回、家電量販店のテレビコーナーに行って気付いたんですが、薄型テレビの方は閑古鳥で、ブラウン管テレビの方に客が集中していました。 地デジ化するのは分かってるんですよ、みんな。 分かった上で、今買ったら損だと判断して、安い方を選んでいるんです。

  しっかし、地デジ化には困ったもんですな。 視聴者側に得な事なんか何にもありません。

≪画質がよくなる≫
  余計なお世話です。 画質に拘るような番組なんてないじゃん。 どうしても高画質で見たいドラマや映画があれば、DVDで買って来ます。

≪双方向性がある≫
  いりません。 双方向性となれば、パソコンの方が遥かに高機能です。 地デジの双方向機能なんて、使っている人いるんですかね? 一昔前に、電話に液晶画面とキーボタンをくっつけて、ネットを限定的に利用できるようにした製品がありましたが、あれと同じで、中途半端な代物なんじゃないですかねえ。

≪電波帯が有効利用できる≫
  下らん! それこそ視聴者には何の関係もない! 「余裕が出来た電波帯を携帯電話の機能向上に回す」ですと? どうして、携帯利用者の為にテレビ視聴者が出費しなきゃならんのですか? 理不尽極まりない! そもそも、テレビと携帯とでは、社会的重要度が全然違います。 携帯の機能が今のままでも困る人はいませんが、テレビがなくなれば気が狂う人間はうじゃうじゃいます。

  正直に言いなさいな。 地デジ化したい本音は、家電メーカーが儲けたいからでしょう? 得をするのはどう考えても、メーカーとメーカーからおこぼれが期待できる政治家だけだものね。 あんた方ねえ、資本主義なんだから儲けるのは自由ですが、他者に重大な損失を与えてまで儲けるのは、倫理的犯罪ですぜ。 消費者の事なんか全然考えてないだろう? でなきゃ、これだけポンポン、新規格ばかり作り出せるわけがないものね。 レコードがCDになったのも、LDがDVDになったのも、DVDがブルーレイになるのも、ビデオがHDになったのも、買い替えさせて儲けたいというのがズバリ本音なんだろ?

  そんな卑怯な手で儲けようとしているから、国際市場でシェアをどんどん落すんだよ。 自分の感覚で考えてみたって分かるでしょうが。 消費者の事を考えて、使える物を安く売ろうとするメーカーと、使える物を使えなくして、新しい物を買わせようとするメーカーの、どちらを信用するね? 「それがビジネスだ」なんて利いた風な事を言っていると、その内日本の家電メーカーは全滅するぜ。

  日本の家電メーカーがどこから道を踏み外したかというと、遙か昔、ウォークマンが登場した時に遡ると思います。

「消費者が必要としている物を売るだけではなく、全く新しい生活様式を生み出すような製品をメーカー側から提案しなければならない」

  これです。 今や神話と化したこの発想こそが、傲慢極まりないというのです。 この発想の延長が、地デジ化などという、消費者に対する最悪の裏切り行為に繋がっているのです。 なるほど、あんたらの御大層な≪提案≫とやらに乗っかって、ここまでやって来た。 しかし、それで良い社会になったか? 必要ない物を無理やり買わせるのが、家電メーカーの社会的使命なのか? そんなに地デジが有用だというなら、全国全世帯のテレビを無料で交換したらどうだ? どうだ、出来まい?

2006/08/05

Le bateau de pêche


Il est inutile de dire à présent, mais il est terrible de gagner le large avec si petit bateau.
Ils ont toujours un moteur maintenant, mais ils confiaient leur vie à un aviron autrefois. Cet inquiétude dépasse l'imagination. On dit en japonais: ≪Itako ichimai shitawa jigoku.≫ (Il y a enfer au-dessous de une planche.)

Un calendario del perro


Un calendario que un hospital del animal me dio.
El hospital da un calendario del perro a los dueños del perro. Los dueños del gato reciben probablemente un calendario del gato.
Este calendario tiene muchas fotografías de los perros que dan un aire de perro bonito.

2006/08/04

什么姿态?


  这个是我家的狗常作的姿态。在地板上睡觉的时候,在下颚下垫上一只胳膊。
  是正好有凹陷的部分,所以好象没有苦于呼吸。
  不过,这个姿态是枕着胳膊睡觉?还是托着下巴沉思?